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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第八章 よみがえる亡国
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第60話 謀る者

「――もーっ、なぁんであたしがこんなとこに閉じ込められなきゃなんないのよー! アルヴィーを迎えにいかなきゃいけないのにーっ!!」

 修繕が進みつつある《薔薇宮ローズ・パレス》の一室で、メリエは憤懣ふんまんやる方ないといった様子で喚いていた。

 アルヴィーをこちら側に引き入れるため、ファルレアンに再び突撃しようとしていた彼女は、レティーシャの意を受けたダンテによってあっさり捕まり、この部屋に閉じ込められたのだ。いかに《下位竜( ドレイク)》並の力を誇ろうとも、不意を突かれた上にレティーシャ謹製のマジックアイテムを使われれば、なす術はなかった。一体何に使うつもりで作ったのか首を傾げるような、やたら頑丈な鎖でぐるぐる巻きにされ、メリエといえども脱出できなかったのである。

「……んもー!」

 喚いても反応がないので、怒気を撒き散らしながらベッドへと乱暴に腰を下ろす。ふわふわとした寝具が、メリエの怒りをも柔らかく受け止めるようだった。

 どうやら元は身分の高い人物か、あるいは客人向けの部屋だったらしいここは、現在レティーシャの魔法で封鎖されており、出入口の扉は頑として開かない。一度威力を絞って《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》を撃ち込んでもみたのだが、よほど強固な防御魔法を施しているらしく、封鎖を破ることはできなかった。

(威力上げて撃ち込んでも、もし破れなきゃこっちが痛い目見るだけだもんね……前みたいに)

 レドナで一度“死んだ”時の記憶は、彼女を慎重にさせた。

 ため息をついて、ベッドに膝立ちになると窓から外を眺める。窓には貴重品であるガラスが惜しげもなく使われ、外の景色が望めるのだ。もちろん一見(もろ)そうなこの窓も、押しても引いても殴ってもびくともしなかった。もちろん、左手で殴ってのことである。

「……こんな強い魔法が使えるのに、何で研究所で研究員なんかやってたんだろ、シアってば」

 独りごちた時、思いがけなく答えが返ってきた。


「もちろん、あなたたち《擬竜兵ドラグーン》を生み出すためでしてよ、メリエ」

「――――!?」


 弾かれたように振り返ると、いつの間にか扉が開き、相変わらず底の見えない笑みを浮かべたレティーシャが立っている。メリエは一息でベッドから飛び下り、彼女に詰め寄った。

「ちょっと! 何であたしがこんなとこに閉じ込められなきゃなんないの!?」

「それはもちろん、あなたが勝手にファルレアンに攻め入ってしまうと問題だからですわ。頭は冷えまして?」

「だから何で、それが問題なの? 全部吹っ飛ばしちゃえばいいだけじゃない!」

 苛々と床にブーツの踵を叩き付けるメリエに、だがレティーシャは笑みを崩さないままだった。

「仮にも“国”を名乗る以上、他国との交渉事はまず、対話で行うべきですわ。それを怠った百年前の我が国は、対話によって結ばれた多国間連合に敗れたのですから」

「話し合いなんて、まどろっこしいだけでしょ」

「最初から喧嘩を売るだけでは、狂犬の類と変わりません。強い力はまず、示威のために使うべきなのです。それでも相手が理解を示さない場合に、初めて剣を抜けばよろしいのですから。それが成熟した国同士の対話の仕方というものでしてよ。最初から剣を振り回すような外交は、下の下ですわ」

「それのどこが悪いのよ? モルニェッツとか、問答無用で頭を潰しちゃったじゃない」

「我がクレメンタイン帝国が“その程度”の国であると誤解されるわけには参りません。三公国に関しては、足場固めと百年前の不忠を取り返させる意味で、ああした措置そちを取ったまでのことですわ。そもそもあの三国は、元は我がクレメンタイン帝国の領内でしてよ?」

 レティーシャはにこやかにそう言い切ると、不意に白い手を持ち上げ、ぱん、と打ち合わせた。その意味が分からず怪訝けげんな顔をするメリエに、彼女は微笑みかける。

「ひとまず、封鎖の魔法は解除しておきますわ。あなたも聞き分けてくださいませね」

「……分かったわよ」

 レティーシャと話している間に、頭も冷えた――というより、差し当たって気になることが増えた、といった方が良い。遠慮する性質でもないので、メリエは素直にそれを口に出した。

「でさ。《擬竜兵あたしたち》を生み出すために研究員やってたって、どういうことなの?」

「そうですわね。せっかくですし、話しておきましょう。いらっしゃい、メリエ」

 レティーシャはメリエを促し、部屋を後にする。メリエもそれを追った。

 ――レティーシャがメリエを導いたのは、メリエが二度目の生を得た地下研究施設だ。あちらこちらから水音が響く中、入口で本を開いていたオルセルが、二人の姿を見て椅子から立ち上がった。

「あ、あの、何か緊急事態でも……?」

「いいえ、ただメリエと話をするためですわ。――そうですわね、あなたにもここの管理人として、聞いておいていただくべきですわね。オルセル、あなたもこちらへ」

「は、はい!」

 オルセルは慌てて本を置き、レティーシャたちに続いた。

 レティーシャが彼らを導いたのは、黒い水槽がずらりと並ぶ一画だ。覗き込んでみると、水の中にたゆたうように、一人の少年が瞳を閉じて横たわっていた。長く伸びた銀の髪が、ゆらゆらと揺れている。

「……何これ。死んでんの?」

 メリエが面白くもなさそうに少年を見下ろすが、オルセルの方は勉強を続けていただけに、その正体に気付いた。

人造人間ホムンクルス……ですか?」

「ええ。オルセルはよく勉強していますわね。――もっとも正確には、人造人間ホムンクルスをベースに他の生物の因子を混ぜ込んだ、いわゆる合成獣キマイラに当たります。言うなれば、人型合成獣(キマイラ)ですわ。この個体には山猫の因子を仕込んであります」

「人型合成獣(キマイラ)……」

 オルセルは水中で眠る少年を見つめる。一見、ごく普通の人間の少年にしか見えない。

 と、メリエが思い出したように、

「あ、そういえばあのゼーヴハヤルって子も、そうなんじゃなかったっけ?」

「ゼルが……!?」

 オルセルが驚愕に顔を跳ね上げると、メリエの方も意外そうな顔になった。

「って、え? あんた、あれだけ仲が良いのに知らなかったの?」

「いえ、その……普通の人間じゃないことは、分かってたんですけど……」

 何しろ、手足の先だけとはいえ、人間にはあり得ない変貌を遂げたのだ。鋭く伸びた爪で魔物を容易たやすほふった姿は、忘れられるものではない。

 ――それでも。


「だけど……ゼルは僕たちを守るために戦ってくれたんです。普通の人間じゃないことを、僕たちに知られると承知の上で。――だから、多少人間離れしてても、それは気にしないことにしようって」


 オルセルやミイカに対してのゼーヴハヤルは、ただ無垢で素直な少年だ。だからオルセルもミイカも、彼がそのままでいられるよう、友人として彼を受け入れる。

 たとえ彼が外でどれだけ、その手を血で汚していようとも。

 傍から見れば歪んでいると取られかねないそれは、だが確かに彼らの中では絶対の誓いだった。

 それを聞き、レティーシャは満足げに微笑む。

「……あなたたちと出会ったからこそ、あの子は自我を得たのでしょうね」

「え?」

 そっと囁かれたその言葉は、オルセルの耳をほんのわずか掠め、そのまま水音に紛れた。

「――それはいいんだけどさー。結局、あたしたちについての話はどうなったの?」

「ええ、そうでしたわね。話を戻しましょう」

 レティーシャは戯れのように水槽の水に手を潜らせながら、話を続ける。

「つまり、《擬竜兵ドラグーン》はこの人型合成獣(キマイラ)の発展形なのです。ただし、人型合成獣(キマイラ)は成長の過程で因子を混ぜ込むことができましたが、《擬竜兵( ドラグーン)》はそれが不可能でした。未発達な幼い身体では竜の強過ぎる力に耐えられない可能性が高いことと、単純に竜の身体組織を手に入れることが困難だったからです。それでも、人型合成獣(キマイラ)のデータを参考に、理論だけは組み上げましたが」

「ああ……そこへ、レクレウスが《上位竜ドラゴン》を倒したってわけね」

 メリエも適合者選別の際、その話を聞いたことがあった。

「その通りですわ。わたくしにとっては好都合でしたの。ですから、|《擬竜兵《

 ドラグーン》》の理論を携え、レクレウスの魔導研究所に潜入したのです。本物の《上位竜( ドラゴン)》の血肉を使って、わたくしの研究を進めるために。さすがに、《上位竜( ドラゴン)》の素材は国外はおろか、国内にすら出回りませんし、あの頃はダンテが動けない状態でしたから、正面から乗り込むのも少々不安がありましたから。事を穏便に運ぶに越したことはありませんものね」

「穏便、ねえ……」

 仮にも国三つの元首を暗殺、中枢を掌握した首謀者にそんなことを言われても、残念ながら説得力は欠片もない。メリエは何ともいえない表情で呟いたが、それ以上の言及は避けた。賢明である。

「……で、首尾よくあたしたち四人が生き残ったってわけね?――もっとも、アルヴィー以外はレドナで死んじゃったけど」

「ええ、どうやら人間の身体で竜の魂の欠片と共存するのは、難しかったようですわ。ですのでメリエ、あなたの今の身体は、そこを改良してありますの。現在、あなたは竜の細胞からもたらされる力を持っておりますけれど、竜の魂の欠片は抜いてあります。もう、狂う心配はしなくて結構でしてよ」

「ふーん、そうなの。ならいいわ」

 メリエは確認するように左手をかざして眺めたが、すぐに視線を戻す。

「でもさ、アルヴィーはそのままなのよね? 危なくないの、それ?」

「わたくしも、彼には驚きましたわ。どうやら彼は、竜の魂との相性が飛び抜けて良かったようですわね。経緯は不明ですけれども、上手く共存しているようです。――ですので彼には、是非ともわたくしの手元に戻って来ていただきたいものですわね」

 レティーシャがにこりと微笑めば、メリエは口を尖らせた。

「だから、あたしがファルレアン行って、アルヴィーを連れ戻して来るって言ってるじゃない!」

「あなたが行けば、また戦争が起きましてよ。大丈夫ですわ。すでに手を打ってあります」

「……どういうこと?」

 訝しげなメリエに、レティーシャは慈愛に満ちた微笑みを向け、そして慈愛とは程遠い言葉を紡いだ。


「正面から奪いに行かずとも、方法はあるということですわ。――いずれ、ただ殺すよりも絶望的な形で、あの子の守りたいものを奪ってあげましょう」



 ◇◇◇◇◇



 小高い丘の上に佇む、荘厳な館。その応接室に、ナイジェル・アラド・クィンラムはいた。

 ここは元宰相であるロドヴィック・フラン・オールトの館だ。ロドヴィックは宰相職を辞した後、領地に戻って身辺の整理に取り掛かっているという。ナイジェルはその彼に会うため、密かに王都レクレガンを後にし、今この場にいるのだった。

「――お待たせして申し訳ない、クィンラム公」

 扉が開き、ロドヴィックがナイジェルと同年代ほどの青年を従えて入室して来る。青年はロドヴィックに顔立ちがどことなく似ていた。おそらくは長男であろう。ナイジェルも立ち上がって彼らを迎える。

「いえ、先触れもなく参りましたこちらの非礼をこそ詫びねばなりません。――何はともあれ、お変わりないようで何よりです」

「お気遣い痛み入る」

 見事な寄木細工のローテーブルを挟み、向かい合う形でソファに腰を下ろす。

「……して、今をときめく貴族議会の代表であるクィンラム公が、この老いぼれに何の用かの」

「ご謙遜けんそんを。オールト公に比べればわたしなどまだまだ若輩じゃくはい者ですよ。――ところでそちらは、ご嫡男でいらっしゃいますか?」

「うむ、息子のローレンスだ」

 ロドヴィックが頷き、青年が一礼した。

「ローレンス・ヴァルド・オールトと申します。お目に掛かれて光栄です、クィンラム公爵閣下」

「こちらこそ、ローレンスきょう。以後よしなに」

 会釈を返し、ナイジェルはロドヴィックに向き直る。

「……実はこのたびの訪問は、極秘のものなのです。――ご当家には、あまり望ましくない用件となりますので」

「ふむ……」

「父上」

 不安げな顔の息子に比べ、ロドヴィックの表情は落ち着いていた。覚悟はできていた、というところだろう。

「この老いぼれの処遇しょぐうが決まった、というところかの」

「はい。ファルレアンとの合意の条件として、“レクレウス(こちら)側の戦争責任の所在を明確にする”との項目がありますので……できうる限り動いてはみましたが、やはり完全に無傷とは参りませんでした」

 戦争責任の所在となると、筆頭は王家だが、政治中枢に名を連ねていた高位貴族たちのそれも決して軽くはなかった。密かにファルレアン側に根回しを進め、戦争終結に向けて動いていたクィンラム家ですら、幾許いくばくかのペナルティを課せられることは避けられなかったのだ。

「大体の部分は、継戦を望んでいた強硬派に帰することができましたが……やはりオールト公も、宰相職に在られた以上、相応の責任はまぬがれぬと」

 政治の舵取り役であった宰相職を務めたロドヴィックへの処遇は、ナイジェルのそれよりも数段厳しかった。公爵から伯爵への爵位の降下、それに伴う領地の縮小、懲罰ちょうばつ金の支払いなどである。それらを聞かされたロドヴィックは、表情を曇らせながらも頷いた。

「そうであろうな。もとより覚悟はできておった。わざわざこうして秘密裏に知らせてくれたこと、まことに有難い。これで身の振り方も考えられるというものよ」

「父上……」

 息子ローレンスの表情も、沈痛なものになった。ナイジェルはわずかに目を伏せる。

「力及ばず、申し訳なく思います」

「なんの。正直なところ、家の取り潰しすらあり得ると思うておった。クィンラム公が大分骨を折ってくれたのであろう。礼を申さねばな」

「わたしはただ、オールト公が宰相職を追われることもかえりみず、戦争終結を訴えられたことを伝えたまでです」

 戦争継続に積極的だった強硬派の高位貴族たちは、爵位の降下どころか剥奪のき目に遭い、懲罰金の支払いも相まって、軒並み没落することが決まった。中でも、商人と癒着して私腹を肥やしていた貴族には、自決勧告という体裁を取った処刑を宣告されることとなった者もいる。そういった者たちは予めナイジェルによってリストアップされ、貴族議会への参加を阻まれていたため、彼らの家が復権することはもはや不可能だろう。そんな中では、ロドヴィックの処遇は遥かにましな方だ。口には出さないが、ナイジェルも相当に奔走ほんそうし、密かにファルレアン側――主にヨシュア・ヴァン・ラファティー伯爵と交渉を重ねた。

 彼がそこまで尽力したのは、単純にロドヴィックの“経験”が必要という点に尽きる。

(貴族議会に参加した貴族には、わたし自身も含め、やはり国政に深く携わった経験が圧倒的に少ない。長年宰相職を務めてきたオールト公の経験は得難きものだ)

 幸い、ロドヴィックも思想としては穏健派だった。ナイジェルはそれを最大限にアピールし、王家や強硬派と比較しての印象操作も行うことで、政治中枢にいた高位貴族としてはかなり軽い処分を勝ち取るに至ったのである。

 ロドヴィックも、表に出されずともそのことは察していた。伯爵位にまで落ちるとはいえ、貴族として在ることを許されただけ僥倖ぎょうこうなのだ。ただ、代々受け継いできた領地や家格を減じてしまったことを、口惜しく思ってしまうのも事実だった。

「……すまぬな、ローレンス。父祖より受け継いだこの家と領地を、満足にそなたに渡してやることができなんだ」

「何を仰います、父上……」

 ローレンスが弱々しくかぶりを振る。

 そんな彼らに、ナイジェルは薄く笑みを浮かべながら口を開いた。


「挽回ができないわけではありませんよ、オールト公」

「……何?」


 ロドヴィックが怪訝そうに眉をひそめた。

「いや、しかし……今の状況でさえ、本来ではあり得ぬほどの処遇であろう。これ以上のものを、どうやって望むというのか」

「やろうと思えば不可能ではありません。ただ――公には少々、ご不便を強いることとなりますが」

「どういうことじゃ」

 問われ、ナイジェルはさらに笑みを深めた。


「簡単なことですよ。――オールト公がご自害なさるのです」


「クィンラム公、それはっ……!」

 気色ばむローレンスを、ナイジェルは片手で制する。

「もちろん、実際にお命を絶たれる必要はありません。ですが、公が“戦争の責任は自分のみに有り、家には何ら関係なきもの”と明言した上で、責任を取ってご自害なさったとなれば、ファルレアン側もそれ以上、オールト家への責任を問うことはできないでしょう。国政に関わっておられたのはご当主であるオールト公のみ、ご子息はご領地で職務を果たされていただけなのですから。――無論そうなれば、公は二度と表舞台に立つことはできなくなりますが……なに、表に出られずとも政治はできます」

 ナイジェルの提案を、親子は呆然と聞いた。

「……し、しかし……そうしたとて、これ以上の処遇など望めるのか」

「そこはわたしが、微力ながらお力添え致しましょう。幸い、ファルレアン側には顔が利きますので」

「ですがクィンラム公、なぜ我が家のためにそこまで……」

 ためらいがちに尋ねてくるローレンス。いかに知己とはいえ、この状況下でここまで便宜べんぎを図ることに、不自然さを覚えても不思議ではなかった。もっともナイジェルとしても、ロドヴィックの経験と思想が、自身の目的にとって有用であると認めたがゆえの助力である。そうでなければ、このまま放っておいたところで何の痛痒つうようも感じない。

「わたしも、ただ善意だけでお手伝いをしようというわけではありません。――端的に言えば、わたしはオールト公の知識と経験を求めているのです。我々貴族議会にとって、公の長年の経験は宝ともなりましょう。是非ともそれを、我々のために役立てていただけませんか」

「宝などと……わしは一度、この国の道を誤らせた人間だというに」

 自嘲気味に口元を歪めるロドヴィックに、だがナイジェルは余裕に満ちた笑みを浮かべた。


「道を誤ったからこそ、分かることもあるというものでしょう。その経験を、今度は我々貴族議会の運営に生かしていただきたいのです」


 その言葉に、ロドヴィックは目を見開く。ややあってその双眸に、鋭い光が満ち始めた。

「……このような老いぼれが、まだ役に立つと言うか」

「大いに」

 ナイジェルの頷きに、ロドヴィックは立ち上がった。

あい分かった。もとより、この国のために働くというならば異存はない。その上に少しでも家や領地への傷が小さくなる可能性があるというのなら、いなやなどあろうものか」

「ち、父上……」

「ローレンス、儂の余生など知れたものであろう。それと引き替えに家の安泰が得られるのであれば、望外の取引ではないか」

「ご承知いただき嬉しく思います、オールト公。ご当家については、できる限りのことをさせていただきましょう」

「よろしく頼む、クィンラム公」

 ナイジェルも立ち上がり、ロドヴィックと握手を交わした。

「では、儂は早速準備に掛かろう。家の者たちにも、良く言い含めねばならん。――クィンラム公、此度こたびのこと、心より感謝する」

 強く握り締めた手に、その思いが伝わってくるようだった。

 ロドヴィックたちの方も準備に取り掛からねばならないということで、ナイジェルはオールト邸を辞去することにした。ローレンスと使用人たちによって丁重に見送られ、正面玄関前の馬車寄せ(ポルト・コシェール)に横付けされた馬車に乗り込む。

 御者が馬に鞭をくれると、馬車はゆっくりと動き出した。そのまま門を潜り、よく整備された道を進んで行く。


「――周りの様子はどうだった、イグナシオ」


 馬車の客車にはナイジェル一人だったが、そう呼びかける。すると、前方の御者席から返答があった。

「問題ありません、閣下。周囲はすべて掃討しました」

「ほう、とすると何人かは始末したわけか?」

「密偵とおぼしき者が二人、暗殺者アサシンが一人です。一応薬を使いましたが、末端のようで。自分を直接雇った相手の情報しか持っておりませんでしたので、それを聞き出した後に始末しました。死体は埋めて処分済みです。よほどのことがない限り、発見はされないでしょう。マジックアイテムとは便利なものですな」

「なるほど、良くやった」

 ナイジェルは頷き、御者を装って随行した元暗殺者(アサシン)、イグナシオ・セサルをねぎらった。

「まあ、実行犯に詳しい情報など握らせないのは、多少の頭があれば当然のことだ。そちらは、王都に残して来たブランとニエラ、それに子飼いの者たちが探り出すだろう。おまえはこのまま、オールト公を護衛してくれれば良い」

「承知致しました。予定の場所で御者を引き継ぎましたら、すぐにオールト邸に戻ります」

「ああ、そうしてくれ。――さすがに、公爵邸に護衛を引き連れ、あまつさえそれを置いて行くなどという真似はできんのでな。それができれば、こんな手間を掛けずに済んだんだが」

「致し方ありますまい。そもそも今回、閣下がこちらへ足を運ばれたこと自体が極秘。大々的に護衛を引き連れるわけにも参りません。いわんや、元とはいえ宰相職にあった方の邸宅にそれでは、いささかまずうございますからな。先方の警備を信用していないと言うようなものです」

「その通りだ。おまえが気の回る男で助かるよ」

 ナイジェルは満足げに唇を歪める。

「それにしても、職務を下りた後でまで狙われなければならないとは、要人というのも面倒なものですな」

「“あちら”にもそれなりに頭の回る者はいるということだろう。我々貴族議会には、本当の意味で政治を動かしたといえる者は少ない。今は新しい形の政治が始まったという、いわば勢いに乗った形で見逃されているが、このままでは遠からず行き詰まるだろう。まつりごとに長けた助言者の存在は必須……そしてそれは、“あちら”にとっては見逃せない敵の急所というわけだ」

 それこそが、ナイジェルが王都を密かに離れてまで、ロドヴィックのもとを訪れた理由だった。

 政権を握った後も、彼は他の貴族たちに対する諜報網を緩めてはおらず、逐一ちくいちその動向を調べ上げていた。それが功を奏し、ある情報が彼の耳に入ったのは、貴族議会が発足して間もない頃だ。


 ――強硬派の一部が前王ライネリオを担ぎ上げ、再び政変を起こそうとしている、と。


 前王ライネリオは、現在王城の一角に幽閉されている。本来ならごく限られた人間でなければ近付けないはずだが、強硬派貴族たちは城内の侍女たちのいくらかを買収し、幽閉中のライネリオと連絡を取っているようだった。ナイジェルの調べたところでは、どうやらライネリオの母である王太后も関わっているらしいとのことだ。

 そして彼らは、貴族議会の力を殺ぎ、政権を自分たちの手に取り戻すため、貴族議会の協力者となり得る国政経験者――つまりはロドヴィックに狙いを定めたのである。

「オールト公を亡き者とすれば、貴族議会は経験豊かな協力者を失うし、強硬派の溜飲りゅういんも下がる。オールト公は穏健派の重鎮であるからな。――それに、後継者である子息ともども殺害して、自らの息の掛かった者を送り込む可能性もある。あの家はローレンス卿の他にも子息はいるが、公その人や重点的に教育を受けてきたであろうローレンス卿であればともかく、中央の毒気に慣れていない貴族の若者など、取り込むのは容易たやすい」

「そうなれば、領地ごと乗っ取られるということですか」

 この度の戦争責任を問われたとはいえ、オールト家は宰相を多く輩出した名家だ。取り込む価値はあると見たのだろう。

「ですが、そもそもあの御仁ごじんには、表向きとはいえ亡くなっていただかねばならないのでは?」

「はは、それはそうだ。――だが、少しでも世間の同情を引き、家の利になる亡くなり方をして貰わなければな。長男のローレンス卿に穏便に家を継いで貰うためにも、“亡くなる”時機タイミングはこちらで決めたい、ということだ」

 この時期に暗殺では、色々と詮索されることは避けられないし、何より“家を守り責任を取るための覚悟の自害”という手が使えなくなる。この一手でファルレアン側のオールト家への心証を良くし、処分をさらに軽くさせることがナイジェルの目的なのだ。自分の側に引き込む相手が、できるだけ身分や資産、影響力を保持しているに越したことはないのだから。

「……そういえば、オルロワナ公の方はどうなったかな。そちらにはクリフを向かわせたのだろう?」

「はい、問題なく刺客を撃退したとの連絡が、すでに届いております」

「そうか」

 ロドヴィックと共に、ユフレイアも強硬派の標的となっていた。改革と同時に表舞台に躍り出た彼女が、ナイジェルと無関係であるはずがないと、強硬派の貴族たちは考えたのだろう。彼女が治める領地が豊かな鉱山資源と経済力を持つことを考えれば、彼女の役割にも想像が付くというものだ。

 もちろんナイジェルも、それを看過するはずもなく、イグナシオと共に部下にしたクリフ・ウィスを現地に送っていた。イグナシオとはタイプが違うが、彼もまたかつては国の依頼を受けていた暗殺者アサシン。強硬派貴族の手先程度に後れは取らないだろう。

 そんなことを、周囲に気を配りながら馬車の揺れる音に紛れて話し合っている内に、予定していた中継地点に到着する。そこにはすでに、本来の御者が到着していた。彼に手綱を託し、御者姿から周囲に紛れやすい暗い色合いの服に着替えたイグナシオは、必要な物資を持ってそのまま元来た道を戻り始める。ここはオールト邸から二ケイルほどしか離れていないので、さほど時間も掛からず戻れるはずだ。

 彼にこの地での後事を託し、ナイジェルは再び馬車に揺られながら、王都への帰還の日程を考え始めるのだった。



 ◇◇◇◇◇



 騒動から数日後。アルヴィーは、新たな任務ということでジェラルドの執務室に呼ばれた。

「――今度の任務は、今までの任務とは毛色が違う。ついでに、期限も切られてない。他の任務が入ればそっちに軸足を置くこともあるだろうが、基本的には今回の任務を継続しつつ並行で、という形になる」

 ジェラルドの説明に、アルヴィーは首を傾げる。

「……その任務やりながら、他の任務も入ったらやれってこと? 忙しいな」

「仕方ない。おまえにしかできないだろうって任務だからな」

「俺にしか……? でも戦争はもう終わったし、まさかまた開戦する予定とかないよな?」

「あってたまるか。――だが、場合によっちゃ戦争と似たような騒ぎになるかもしれんがな」

「え?」

 訝しげなアルヴィーに、ジェラルドは告げる。


「おまえに例の《擬竜兵ドラグーン》を追わせると、上層部が決定した。――要するに、あの小娘をもう一度殺せ、ということだ」

「…………!」


 アルヴィーは息を呑んだが、同時に理解していた。

 メリエの戦闘力は《擬竜兵ドラグーン》であった頃そのままだ。それに対抗できるのは、同じ力を持ったアルヴィーしかいない。ならばアルヴィーを彼女への対抗策として充てるのは、当然の決定だった。

「もちろん、居所も分からん相手を本当に追いかけ回させるわけじゃない。あくまでもおまえはこの国の騎士だからな。だが、向こうがあの程度でおまえを諦めたとは思えん。いずれまた、手を出して来るだろう。その時にはおまえが相手をしろってことだ」

「……分かった」

 頷いたアルヴィーに、ジェラルドはわずかに唇の端を上げる。

 かつての僚友であろうとも、このファルレアン王国に害をなす者ならば、剣を交えることをためらってはならない。それが、ファルレアンの騎士になるということだ。今のアルヴィーには、その覚悟がある。

「“どうして殺す”、とは訊かないのか。おまえみたいにこっちへ取り込む手もあるが」

「……メリエはファルレアンには来れないだろ。――俺が、レクレウスに戻れないのと同じだ。殺し過ぎた」

 メリエはファルレアンの騎士を、アルヴィーはレクレウスの兵士を。確かにその手に掛けている。戦争という異常な状態の下でのこととはいえ、その手で人の命を奪った事実は覆らない。国としても受け入れられないだろう。

 それに――と、左手を胸元に置く。その下には、アルヴィー自身のものを欠いた、三枚の識別票ドックタグがある。


 あの日レドナで命を落とした、僚友たち。

 内二人に至っては、その死にアルヴィー自身が大きな責を負っている。

 親友ルシエル、そして自身の信念。アルヴィーがそれを選んだがゆえに、彼らは命を落とした。だからアルヴィーは立ち止まれない。後戻りもできない。

 たとえ僚友メリエが再び現れ、手を差し伸べてきたとしても――その手を取ることはできないし、そうするつもりもなかった。


「だけどそれが、俺の選んだ道なんだ。だから、今さら引き返さない。そんなぬるいことできるかよ。――俺の後ろには、俺が生き残るために死んでった人間がいるんだ」


 成功体アルヴィーを生み出すまでに犠牲となった、《擬竜兵ドラグーン計画》の被験者たち。そして僚友たち、アルヴィーを騎士団から奪還しようと襲撃してきた刺客、戦争で敵となった故国の兵。彼らはきっと、道を切り拓こうと足掻くアルヴィーを、彼が踏み締めてきた道の後ろから見つめているのだ。

 だからアルヴィーはひたすら前を向く。彼らの命が失われたのが、無為むいだったことにしないために。


 朱金の瞳と黒い瞳が真っ向から交錯し、ジェラルドの眼が細まった。

「よし、大分(はら)を括ったな」

「割と前から、そのつもりだった」

「ふん、言うようになったじゃないか。――任せたぞ」

 そう言うと、ジェラルドはひらりと手を振って退室を促す。アルヴィーは大分身に着いてきた敬礼を返し、執務室を後にした。

 任務を言い渡されたとはいえ、すぐに事態が動く類のものでもないため、差し当たってやることはない。ならば少しでも鍛錬を積み、来るべき日に備えようと、いつもの裏庭に向かうことにした。

(そういえば、最近日が合わなくて、鍛錬も見て貰ってないしな)

 アルヴィーは別小隊に属する魔法騎士に、剣の手解きを受けている。だが双方ともに騎士として任務をこなさなくてはならない身。特に教える側はその合間を縫わなければならないため、常に時間が取れるわけではない。そうした日はとにかく、基礎の動きを身体に叩き込むべく、ひたすら反復練習をすることにしていた。

 練習場所として使っている、宿舎の裏庭に着くと、右腕を戦闘形態にして《竜爪( ドラグ・クロー)》を伸ばす。

「あーあ……やっぱ組手の相手が欲しいよなあ」

 基本の型をさらいながら、そうぼやきを漏らした、その時。


「――なら、僕が相手をしようか」


 背後からの声。振り向きかけた視界に銀光が掠め、アルヴィーはとっさに《竜爪( ドラグ・クロー)》を翳した。きぃん、と甲高い音が空に響き、深紅と銀の刃が交差する。

「っ、てめえっ……!」

「へえ、良い反応だ。ちゃんと鍛錬を積んでるね」

 緑灰色の瞳を細めて褒めるように微笑み、いつの間にかすぐ傍にまで肉薄していた青年は、剣を引くと飛び退る。その姿に、アルヴィーは見覚えがあった。

「あんた確か、ダンテとかって――」

「覚えてくれてたとは光栄だね。僕はダンテ・ケイヒル、クレメンタイン帝国の騎士だ。君とはいずれ、同僚ということになるのかな?」

「誰がなるかっ!」

 怒声と共に振り抜いた《竜爪ドラグ・クロー》を、ダンテは軽々と受け流した。そして逆に、突き技を放ってくる。反射的に左半身を引いてかわそうとしたアルヴィーだが、躱しきれずに頬を裂かれた。

「つっ……!」

 だが一瞬走った鋭い痛みはすぐに消え、傷も塞がる。どうやらダンテの剣は、竜素材が混ざったものではないようだった。

(なら、よっぽどの致命傷でも貰わなきゃやられることは――)

 一瞬よぎったそんな考えが、しかし油断であったことを、アルヴィーはすぐに知ることになる。


(――っ、いない!?)


 ほんの一瞬、意識が逸れた間に、ダンテの姿が視界から消えていた。そして次の瞬間、ぞくりと背筋を冷たいものが走る感覚。振り返ろうとしたその時、銀の刃がまるで生き物のようにするりと、アルヴィーの首筋を滑った。

「……っぁ、何を……!」

「悪いけど、これも役目なんだ。心配しなくても、この剣は竜素材じゃない。少しおとなしくしててくれれば、余計な怪我もせずにすぐに傷も塞がる」

 いつの間にか、ダンテがアルヴィーの背後に立ち、その手にした剣が首筋を浅いながら斬り裂いていたのだ。傷口から流れ出た血が、首筋を伝い襟元にシャツの襟元に染み込む。

 痛みは一瞬で、すぐに剣は引かれ、背後の気配も消えた。思わず振り返りざまに《竜爪( ドラグ・クロー)》を振るったが、その時にはすでにダンテの姿はない。

「――何しに来やがったんだ、あいつ……!」

 辺りを見渡しても、その姿は見当たらない。そもそも相手は自由に転移を使えると聞いている。すでにこの近くにいない可能性も高い。とにかくこの事件を知らせるため、アルヴィーは右腕を元に戻すと、本部へ向かって駆け出した。


「――これで良し、と」


 一方、当のダンテはやはり、アイテムを使った転移で裏庭から少し離れた場所に移動していた。そこで懐を探り、小さな瓶を取り出す。栓を指で開けると、右手に下げた抜身のままの剣先にその口を宛がった。

 剣身を伝う深紅の液体――アルヴィーの血が、その瓶の中に滴り落ちていく。それを確認し、ダンテは瓶にしっかりと栓をすると、魔法式収納庫ストレージに仕舞った。剣もきちんと拭って鞘に納める。

(さて、用も済んだし、帰るとするか)

 彼は再び転移用アイテムを取り出すと、光に包まれてその場から姿を消したのだった。


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