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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第一章 国境、燃ゆる
6/136

第5話 進化

じわじわと増えるブクマとPV&ユニークにニヨニヨしております。

そしてこの間初評価いただきました。

ありがとうございます!


2/15追記 ジェラルドの戦闘シーンで、納得がいかない描写が出てきたので修正しました。些細なところではあるのですが、気になってしまうとどうしようもなく……本筋にはまったく影響ありませんので、スルーしていただければ幸いです。


2/22追記 一部の括弧を修正しました。例によって本編にはまったく影響ありません。


(――ここは……?)

 ゆっくりと意識が浮上し、徐々に視界の焦点が合う。

 アルヴィーは、見覚えのない一室で意識を取り戻した。

 頭を巡らせてみるが、殺風景でのっぺりした灰色の壁しか視界に入って来なかった。窓はない。いや、正確には足を向けている側の壁に一つあるのだが、何となくあの窓は外には通じていない気がした。どうしてそう思ったのか不思議に思い、起き上がろうとしてその答えに行き着く。

(そっか……《擬竜兵( ドラグーン)》になってから、よく検査だ何だって押し込められた部屋に似てんだ……)

 アルヴィーの身体は、服も着替えさせられ、頑丈なバンドで寝台に拘束されていた。どこかで体験したシチュエーションだ。竜の細胞を埋め込まれた施術の時と違うのは、右腕がバンドに加え鎖や布まで使って特に厳重に拘束されていることくらいか。どうやら魔法も併用しての拘束のようで、布には陣が刺繍されている。

 腕を変形させれば破れるかもしれなかったが、戦闘形態になると右肩にも周囲から魔力を取り込むための魔力集積器官マナ・コレクタが形成されてしまうため、大変なことになってしまう。主に寝台と自分の首辺りが。

 そんなわけで、アルヴィーに許されるのはただ、首だけを動かして部屋の様子を見ることくらいだった。

(つーか、これ……間違いなく捕まったよな……)

 メリエの《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》を防ぐために、自分も《竜の障壁( ドラグ・シールド)》を展開した辺りまでは何とか覚えている。そして、あの時の自分の背後には、ルシエルがいたことも。

(ルシィ……メリエ……どうなった……?)

 かつての親友、現在の僚友。あの一瞬、自分は前者ルシエルを守るため、後者メリエの攻撃を阻んだ。だが、至近距離で《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》の反射を浴びたであろう彼女は、一体どうなったのか。そして自分が拘束されても気が付かないほど深く昏倒していたとなると、メリエの一撃を完全に防ぎ切れたわけでもないのだろう。もはや人外の回復力を持つ自分はともかく、ルシエルは無事でいるのだろうか。

(くそ……がっちり拘束されてる。《擬竜兵おれ》の力でも引き千切れないとなると、まだ本調子に戻ってないのかな。右腕もやたら重いし……)

 もぞもぞともがいてみるが、拘束が厳重なことを再確認するだけの結果に終わった。部屋にはアルヴィーしかおらず、誰も来ず、何も聞こえない。何も情報がない不安と、ルシエルやメリエの安否が分からない焦燥が、アルヴィーの胸を締め付ける。

「誰か……っ! 誰もいないのかよ!」

 十中八九敵地であろう場所ではあったが、不安の中放っておかれるよりは尋問された方がまだましだ。声をあげると、まるでそれを待っていたようなタイミングで部屋のドアが開いた。

「――ふうん、報告じゃ結構な重傷だったらしいが、ほんの二時間程度で喚けるくらいに回復するとはな。さすがレクレウス軍の秘密兵器、《擬竜兵( ドラグーン)》ってとこか」

 室内に入って来たのは、数人の騎士を従えた黒髪黒目の男だった。他の騎士とは明らかに作りの違う制服、飾り緒まで付いているところを見ると、高い地位にいるのだろう。だがアルヴィーは彼よりも、その後ろに付き従うルシエルの姿に思わず声をあげた。

「ルシィ!」

「アル……もう大丈夫みたいだね」

 ルシエルは安堵したように微笑むが、その笑みにはどこか翳りがあった。だがそれを訝しく思うより早く、黒髪の男が寝台の傍らに立つ。アルヴィーは訝しげに眼を細めた。何となく、その男に対して警戒心が湧き上がるのだ。男は面白そうにそれを流したが。

「そう警戒するな。人慣れしてない野良猫みたいだぞ」

「誰が野良猫だっ……!」

 噛み付くアルヴィーだが、その様子がまさに毛を逆立てて威嚇する猫にしか見えなかったのは、彼以外の全員に共通した意見だった。

「まあ冗談は置いといて、だ。まずは自己紹介と行こうか。俺はファルレアン王国中央魔法騎士団所属一級魔法騎士、ジェラルド・ヴァン・カルヴァート。で、おまえはレクレウス王国軍特務少尉、アルヴィー・ロイ……で間違いないな?」

 彼の口から間違いなく告げられた自分の階級に、アルヴィーは瞠目する。

「何で……」

「これに見覚えは?」

 眼前にちらつかされたそれは、アルヴィーたち自身のパーソナルデータが記入された書類の一部だ。今回のレドナ強襲は《擬竜兵( ドラグーン)》の拠点攻略能力のデータ収集の側面もあったため、指揮官である将校たちと共に軍の研究者も同行していた。彼らが持ち込んだものだろう。無論言うまでもなく機密書類である。まあそれを言うなら、そもそもアルヴィーたちの存在自体が、軍でもまだ上層部の限られた人間しか知らない重要機密なのだが。各地を魔物討伐に回っていた時も、彼らの存在は徹底した情報規制で隠し通されていた。しかしそんな彼らに関する書類を敵国の騎士が持っているということは、指揮所が“やらかした”ということだろう。アルヴィーはため息をついた。

「機密書類あっさり盗られるとか……何やってんだよ、指揮所は」

「まあそう言ってやるな。俺たちがそちらさんの指揮所を見つけた時には、一面血の海だったからな」

「……え?」

 とっさに意味が掴めず、アルヴィーは思わずジェラルドと名乗った騎士の顔をまじまじと見つめてしまった。

「血の海って……一体どういう」

「言葉通りだ。俺たちが場所を割り出して踏み込んだ時には、二十歳くらいの優男が先に指揮所の人間を皆殺しにした後だった。銀髪の四十そこそこの研究者らしい女を“我が君”なんて呼んだ挙句に一緒に消えたが。どうやら皆殺しもあの女の指示だったようだが、おまえ、何か心当たりはないか」

「銀髪……シア……?」

「誰だ、そりゃ」

「シア・ノルリッツ……俺たちの“管理”を担当してた……でも、何であの人が指揮所を皆殺しになんて……」

 半ば呆然としながらかぶりを振るアルヴィーに、ジェラルドはさほど落胆した様子もなく書類を部下に渡す。自分たちにも堂々と顔見せして行ったくらいだ、どうせ名前も偽名だろう。

 アルヴィーには言わずにおいたが、ジェラルドはそのシア・ノルリッツと名乗っていた女が、何か重要な鍵を握っていると踏んでいる。そして《擬竜兵( ドラグーン)》のデータをほとんど引っ浚い、レドナの戦闘を気にする様子もなく撤退した辺り、もしかすると、彼女は《擬竜兵( ドラグーン)》が帰還しない可能性を考慮していた――つまり彼らの暴走や戦死をある程度想定していた――のではないかと。

「……それにしても、あれだな。おまえは他の連中と毛色が違うな。他の奴らは馬鹿笑いしながら辺り構わず薙ぎ払って騎士・民間人問わず殺しまくってたが、おまえはまだまともな理性が残ってる。何か理由でもあるのか?」

「まとも……?」

 アルヴィーは自嘲するように笑う。端から見れば分からないのかもしれないが、アルヴィーにも暴走の兆候らしきものはすでに表れているのだ。他の《擬竜兵( ドラグーン)》よりは程度が軽いため、相対的にまともに見えているに過ぎない。そもそも、本当にまともな神経の持ち主ならば、竜の細胞を植え付けられたその時点ですでに生きてはいないだろう。

 例え異形を抱える身になろうとも、死にたくないと――竜の細胞の侵食を喰い返すほどの強さでもってそう望んだ者たちだけが、あの施術を生き残った。

「……俺だって、いつああなるか分かったもんじゃないぜ」

「アル!?」

 ルシエルが思わず声をあげる。そんな彼に、アルヴィーは静かに問うた。

「なあ、ルシィ。――メリエはどうなった?」

 ルシエルはしばし沈黙したが、やがてぽつりと、

「……死んだよ」

「そっか……」

 アルヴィーは瞑目する。僚友の死を悼むように。

 ……自分にその資格があるのかは、分からないが。

 程なく開かれたその双眸には、何かを悟ったような寂しげな色がある。

「――俺が、殺したんだな」

「それは違う!」

 ルシエルは否定したが、他に考えようがなかった。あの時、メリエは《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》を放とうとしていた。おそらく、アルヴィーが張った《竜の障壁( ドラグ・シールド)》は、そのほとんどを彼女自身に跳ね返したはずだ。アルヴィー自身もそこそこ重傷だったらしいので、すべてを跳ね返せたわけではないのだろうが、それでも彼女に跳ね返った《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》が、彼女の命を少なからず削ったであろうことは想像に難くなかった。

「アルは自分の身を守っただけだ! 僕たちだって助けられた! あの時は他にどうしようもなかったんだ!」

「ルシィ……」

 縋るような目で自分を見る幼馴染に、アルヴィーは一瞬、昔に戻ったような感覚を覚えた。

 ――まだ二人ともがあの辺境の小さな村にいた頃。継父に殴られていたルシエルを庇って思い切り蹴り飛ばされ、肋骨にひびが入ったことがあった。さすがに大騒ぎになり、アルヴィーはしばらく寝込む羽目になったのだが、その時ルシエルは今と同じような目をして、ずっとアルヴィーの枕元に付き添っていた。


 ――ごめんね、ごめんね。

 ――僕のせいでこんな怪我させて、ごめんなさい。

 ――強くなるから、あんな奴に負けないくらい強くなるから。


 だから、嫌いにならないで――。


「……でもさ、ルシィ」

 つい幼い頃のように頭を撫でようとして、今の自分の状況を思い出す。今の自分は、敵に捕らわれた捕虜なのだ。そしてルシエルは敵国の騎士で、もうアルヴィーが背に庇っていた小さな少年ではない。

 けれど、それでも。

「俺って薄情なのかな。あいつらは仲間で、それなりに付き合いもあって――だけど、またああいう状況になったらって考えた時、ルシィを助けないって選択肢が、俺にはないんだ」

 ずっとずっと、昔から。

 アルヴィーが守るべき相手として心の真ん中に置いていたのは、他の誰でもない、ルシエルだった。彼が貴族の落胤と分かり、村を離れて隣国に行ってしまっても、ずっとずっと。

 実際に剣を交わし、彼がもはや誰かに守られるだけの存在ではないと知った今も、誰より先に守らなければと考えてしまうのは彼なのだ。

 大切な存在は、命を懸けても守るもの――自らの姿でそう示してその命を落とした父が、アルヴィーと母をその位置に置いていたように。

「アル……」

 ルシエルが思わず寝台に歩み寄ろうとして、次の瞬間踏み止まった。今アルヴィーを尋問しているのは上官だ。それを差し置いて、勝手に近付くわけにはいかないのだろう。

「……なるほど。それが正気を保ってる理由か? それに、現場で当たった騎士からの報告じゃ、おまえ、非戦闘員には手を出さないようにしてたらしいな」

 ジェラルドがアルヴィーを見下ろす。確かにアルヴィーは、あの時ほぼ一方的にルシエルに告げた、あの約束を支えに生きてきた。竜の細胞を移植したあの施術の時も、その約束を守りたい一心で、自身を侵食し食らおうとする“何か”と戦って、今こうして生き残るに至った。

 そして“人”であるために、かつて練兵学校で習ったあの言葉を、繰り返し心に刻み込んでいる。

「それもあるし……それに、戦えない人間も構わず巻き込むようなことはしたくなかった。それじゃ、魔物と何も変わんねえよ」


 ――“敵に背を向けるな、非戦闘員に力を振るうな”――。


 お世辞にも普通の人間とは呼べない力を手にしてしまったからこそ、心くらいは人間でありたかった。故郷を蹂躙していった魔物たちのように、ただ本能のままに暴れ回る存在モノにはなりたくなかった。

 アルヴィーは特に厳重に拘束された右腕を見やる。皮肉にもその拘束のおかげか、右腕には目立った変化はない。

(……メリエが本格的におかしくなったのは、確か左腕が変な感じに変形し出してからだ。俺もルシィと戦ってる時、右腕が勝手に震え出した……)

 あれが暴走の前兆だとしたら――。

 ぞくりと背中を冷たいものが走る。もし万が一、こんなところで暴走などしたら、間違いなくルシエルを巻き込んでしまう。それだけは避けたかった。

 例え、何を引き替えにするとしても。

 アルヴィーはジェラルドを、その腰にかれた長剣を見る。そしてもう一度ジェラルドの目を真っ直ぐに見据えた双眸は、覚悟を秘めて炎のように揺らめいた。

「……あんたに、頼みがある」

「あ?」

 怪訝な顔のジェラルドに、アルヴィーははっきりと告げた。


「俺の右腕を、斬り落としてくれ」


「――アル!? 一体何を!」

 堪らず詰め寄ろうとしたルシエルを、ジェラルドが片手で制止する。そしてアルヴィーに尋ねた。

「どういうことだ」

「……メリエは、おかしくなる直前、左腕の変形が制御できてないみたいだった。――メリエは左腕、俺は右腕に、竜の細胞を植え込まれてる。暴走するとしたら、俺の場合、右腕からだ。実はもう、そろそろやばそうなんだ。こんなとこで暴走したら……どうなるか、分かるよな」

 その言葉に、室内に戦慄が走る。大して広くもないこの部屋で、もし《擬竜兵( ドラグーン)》の暴走が始まれば、室内の人間は退避する暇さえなく全滅するしかないだろう。

 ジェラルドはしばしアルヴィーを見つめ、背後の部下たちに指示を出した。

「パトリシア、そいつの拘束を解け。ただし右腕の封印具はそのままだ。セリオ、パトリシアが拘束を解いたらそいつを起こして、魔法で押さえろ」

「カルヴァート大隊長!?」

「いい覚悟じゃねえか。それともクローネル、おまえは大事な幼馴染がたがの飛んだ化け物になってもいいのか?」

「っ、それは……!」

 ルシエルの脳裏にちらつくのは、《擬竜兵( ドラグーン)》の少女の最期だった。ぼろぼろと崩れ落ち、果ては人の形も留めぬまでになったあの姿。アルヴィーをあんな目に遭わせはしないと、あの時確かにルシエルは心に誓ったのだ。

(……あんな風に、死なせるわけにはいかない。せめて命だけでも助かるなら……!)

 拳をきつく握り締め、ルシエルは口をつぐんだ。それを了承と取ったか、ジェラルドは部下たちを促す。

 パトリシアが寝台の拘束を解くと、アルヴィーが身を起こすのをセリオが助ける。そしてすまなそうに呟いた。

「……すぐ済むから。少しだけ辛抱して」

 魔法式収納庫ストレージから短杖ワンドを取り出し、魔法を発動させる。

「戒めろ。《晶結鎖牢アダマントジェイル》」

 瞬間――アルヴィーの頭上と足下に魔法陣が展開。そこから透明な結晶でできた鎖が数十本も迸り、瞬く間にアルヴィーに絡み付いてその自由を奪う。ただ右腕だけは、真横に伸ばされた形で固定された。

 そして、その前に立ったジェラルドがすらりと漆黒の長剣を抜き放つ。アルヴィーは奥歯を噛み締め、襲うであろう激痛を覚悟した。

「……行くぞ」

 上段に構えられた剣が、アルヴィーの肩口に一閃する――。

 ……その、刹那。


「――――!」

 アルヴィーが突如目を見開き。

 そして彼の右腕を封じていた封印具と、セリオの《晶結鎖牢( アダマントジェイル)》が纏めて弾け飛んだ。


「……チッ!」

 ほんの一瞬遅れた刃は、硬い手応えに弾かれる。ジェラルドは鋭く舌打ちし、アルヴィーを注視した。

「っぐ、あああぁぁぁっ!!」

 自らの意思によらず、肩を突き破って形を成した魔力集積器官マナ・コレクタに、アルヴィーは思わず苦悶の叫びをあげた。その右腕は竜のような鱗に覆われ、無秩序に蠢き、さらに異形の姿へと変貌していく。

「始まったか……!」

 もうこうなったら手加減はしていられない。ジェラルドは予定変更し、長剣を横に一閃させる。アルヴィーの首を狙った一撃は、しかし肩から首へと侵食した鱗によって受け止められた。素早く剣を引き、飛び退って距離を取る。

「ふん……あの“腕”、自分の意思でも持ってんのか? 宿主を殺させたくないみたいだな」

「アル!」

 ルシエルは今度こそアルヴィーに駆け寄ろうとしたが、


 ヴィ――――ッ!!


 駐屯地全体に響き渡る非常警報アラート。そして続いた魔動伝声機スピーカーからのアナウンスに、ルシエルは息を呑んだ。


『――現在、駐屯地が攻撃を受けています。出撃可能な騎士及び魔法騎士は、直ちに駐屯地正面ゲートに急行してください。繰り返します――』



 ◇◇◇◇◇



 絶望が、やって来る。


「――魔物だぁぁっ!」

「逃げろっ!」

「誰か……誰か助けて! うちの子がまだ畑の方にぃぃっ!!」


 阿鼻叫喚の地獄。その中に、アルヴィーは立っていた。

(これ……村が魔物に襲われた時の……)

 その地獄は、確かに見覚えのあるものだった。他ならぬアルヴィーが暮らしていた、あの辺境の小さな村。これは、アルヴィーが母、そして故郷を失った、まさにその時の記憶だ。

 大地を蹴立て、森の木々を薙ぎ倒して村に押し寄せて来るのは、隣国ファルレアンで発生した魔物。一際巨大な、二本の角と四本の牙を持つ四足の魔物はベヒモスだ。それに従うように、魔狼デモンウルフ巨猿ヒュージコング、それにゴブリンなどが大挙して、村を呑み込まんばかりに迫って来る。

「――ぎゃあああぁぁぁ!!」

 逃げ惑っていた村人の一人が、魔狼デモンウルフに飛び掛かられ喉笛を食い千切られる。それが、惨劇の始まりだった。

「うわあああ!!」

「助けてぇぇっ!!」

 外で逃げ惑う村人たちが次々と魔物たちの餌食になり、家の中に逃げ込めば無軌道に走り回るベヒモスに家ごと粉砕される。

「……や、めろ」

 地獄の真ん中に立つアルヴィーを、村人たちも魔物もまるで空気か何かのように認識もせず、惨憺たる光景が繰り広げられる。その中に彼は、自身の母を見つけた。

「やめろ……」

 母は鍬を手に、寄って来るゴブリンたちを必死に追い払っていた。そんな母の横合いから、興奮して走り回るベヒモスが地響きを立てて迫る。逃げる暇もあらばこそ、周囲に群がるゴブリンにも構わず、ベヒモスは母のいる辺りを走り抜ける――!

「……やめろぉぉぉっ!!」

 アルヴィーの絶叫――それに重なるように鈍い音。ベヒモスの足にまともに蹴り上げられた母の身体が、宙を舞った後人形のように無抵抗に、地面に叩き付けられる。

「あ、あ……」

 アルヴィーは喘ぐように声を漏らし、その光景をただ眺めるしかなかった。母に近付き、その身体に触れようとして、気付く。その右手が、人のものとはかけ離れた異形のものであることに。


 ――ぞわり。


 右腕がざわめき、“何か”がそこから無理やり押し入ってくる感覚。それが強まれば強まるほど、右腕から力が漲ってくるようだ。

 そしてそれに反比例するように、意識が霞んでいく。

 ざわり、右腕が一際大きく蠢き、一気に肥大化してアルヴィーの身体を戒める。ぎりぎりと締め上げられ、アルヴィーは呻いた。ぞわりぞわり、蠢く部分がだんだん大きくなり、容赦なくアルヴィーを侵食していく。

「がっ……あぁっ!」

 少しずつ喰われていくような感覚に、霞みゆく意識が恐怖に染まっていく。そんな彼に止めを刺すかのように、右腕だった部分がぼこりと大きく盛り上がり、ある形を成してアルヴィーの眼前でにたりとわらう。

 竜の頭――少なくともそれに酷似した形状の“それ”は、大きく顎を開き、アルヴィーの頭を呑み込もうと――。


「……ふざっ……けんなぁぁぁっ!!」


 次の瞬間、アルヴィーの渾身の頭突きが、“それ”に炸裂した。



「――がっ!?」

 額に強烈な衝撃と痛みを覚えて、アルヴィーの意識ははっきりと覚醒する。

 そこはあの小部屋だった。いつの間にかアルヴィーは、床に倒れていたらしい。そして思いっきり頭突きを見舞ったのもどうやら床だったようで、小さく血痕が残っていた。

「ぐ、ぅ、ぅあああぁぁああぁっ!!」

 だがそれを認めたのも一瞬、大きく蠕動ぜんどうし、元の形など見る影もなく蠢く右腕から、無理やりアルヴィーを侵食してくるものがある。右肩が引き千切られるような激痛、自分の最も奥底にある部分に無遠慮に押し入ってくる“何か”。身のうちを異物が這い回るような感覚に、吐き気すらこみ上げる。

(く、そ……何だ、これ……っ!)

 “それ”が自分を喰らおうとしていることが、アルヴィーには直感的に分かった。


「――アル! アル!! しっかりして!!」


 その時聞こえた、混沌にもがく意識を繋ぎ止める、声。この声を自分は知っている。守るべき親友にして“家族”。歩む道が分かたれようとも、ずっとこの心の真ん中にいた存在。

 その声に向かって、自分の意思とは無関係に右腕が持ち上がる。生まれる熱。


 ――だから、おれが守ってやる! とーさんみたいにな!


 大切な存在は、命を懸けてでも守るもの。

 例え竜であろうと、この魂もそしてルシエルも、奪わせてなどやるものか――!


「……喰われて、堪るかぁぁぁっ!!」


 《竜の咆哮(ドラグ・ブレス)》の発射直前。

 アルヴィーは渾身の力で右腕を振り抜き――放たれた光芒は、ルシエルたちではなく横合いの壁を爆音と共に吹き飛ばした。


「……てめえは、俺の腕だろうが……!」


 ふらつく足で立ち上がる。激しく蠢く右腕、もうほとんどない感覚を掻き集め、右手を固く握り締めた。

 右腕に宿る“それ”がたじろいだかのように、感覚がわずかに戻る。それを逃さず、しっかりと掴むように、さらに握った右手に力を込め――咆哮。


「主は俺だ! 俺に従えぇぇぇっ!!」


 刹那――アルヴィーの右腕から右肩にかけてが、爆発するように激しい炎に包まれた。


「――アル!!」

 その光景にルシエルが血相を変えて駆け寄ろうとする。それを、ジェラルドが制した。

「どうして!」

「いいから良く見ろ」

 常にない硬い声。ルシエルはアルヴィーに視線を戻し、そして目を見開く。

 彼の右腕を包む炎は渦を巻き、やがてこごるように肩口の辺りから腕に吸い込まれ始めて、そこから右腕が再構成されていく。だが新しく形作られていく腕は、これまでのものとは違っていた。暗紅色の鱗は同じだが、その色合いは濁りがなく、柘榴石ガーネットのように深く澄んでいる。

 五指は竜のそれと酷似し、爪はさらに鋭くシャープになり、そして一番の違いは肩に形成された魔力集積器官マナ・コレクタだ。これまでただの突起だったそれは、はっきり翼と呼べるものになっていた。竜のそれのごとく湾曲した主骨格に、ほのかに金色を帯びた黒檀の光沢を持つ爪を備え、その後ろに広がるのはこれまた柘榴石の板のような五枚のはね。これまでのものとは違い、思わず目を奪われるほどに美しい。

「あれは……」

「どうやら今までのは不完全形態だったってことだろうな。まったく……つくづく常識が通じねえな、《擬竜兵( ドラグーン)》ってやつは」

 ジェラルドですら、口元が引きつるのを止められない。旧態ですら凄まじい戦闘力を誇るというのに、それがさらに進化したのである。そんな相手と事を構えるなど、想像したくもない。

 彼らのそんな思いなどもちろん知る由もなく、アルヴィーは新しく形成された自分の右腕を見つめた。

(今までのと全然違う……それに、あの侵食される感じも、もうなくなってる)

 右手を握ったり開いたりして、異常がないのを確認していると、不意に外から轟音と地響きが巻き起こり、アルヴィーはぎょっと顔を上げた。

「な、何だぁ!?」

「クローネル、そっちは任せるぞ。パトリシア、セリオ、出撃だ」

「了解しました」

「はい」

 アルヴィーの正気は問題ないと見て取ったか、ジェラルドは先ほどアルヴィーがぶち破った壁の方に向かう。この部屋は窓こそないが、前庭に面しているのだ。そして前庭の向こうには、駐屯地正面ゲートがある。ただ部屋は地上三階にあるのだが、この程度の高さなら、身体強化魔法や風魔法の使い手なら難なく飛び下りられるものでしかない。

「修理の手間を考えると頭が痛いが……とりあえず今は、手間が省けていいな」

 ジェラルドはためらうことなく床を蹴り、風魔法を起動したセリオとパトリシアも続く。

「……何だったんだ、今の」

 呆然と呟いたアルヴィーを、我に返って今度こそ駆け寄ったルシエルが掻き抱いた。

「アル! 良かった、無事で……!」

「ルシィ」

 自分を抱き締める腕が、小さく震えている。考えてみれば、彼にはずいぶん残酷なことをしてしまった。あのタイミングで暴走が始まり、何とか打ち勝てたから良かったようなものの、一歩間違っていれば目の前で幼馴染の腕が斬り落とされるか、それとも自我崩壊の果ての暴走に巻き込まれるか、というところである。綱渡りにも程があると、今さらながらにぞっとする。

「……ごめん、ルシィ」

 呟くと、さらに強く抱き込まれた。

「……生きててくれて、良かった。――あんな目に遭わせずに済んで、本当に……」

 深く安堵の息をつき、ルシエルは身体を離す。途端に再びの轟音。

「さっきから何だ、これ!?」

「……駐屯地が攻撃を受けてる。十中八九、残りの《擬竜兵( ドラグーン)》だ」

「何だと!?」

 アルヴィーは自分がこしらえた壁の大穴に駆け付け、外を覗く。眼下には訓練用も兼ねているのか、広い前庭が広がっていたが、そこは現在大勢の騎士たちでごった返していた。彼らが相対するのは、たった一人の少年。

「……マクセル……」

 アルヴィーはその名を呟いた。マクセル・ヒューレ。メリエ・グラン、エルネス・ディノと共に、同じ《擬竜兵( ドラグーン)》としてレドナに投入された僚友に間違いない。

 しかしアルヴィーの強化された視力は、彼の蠢く右腕を、はっきりと捉えてしまった。

「……あいつも、暴走したのかよ……!」

 アルヴィーは思わず、左手で自分の右腕を掴む。その時。


『――ふむ。他の宿主は、我が欠片に打ち勝てなんだか』


「え?」

 聞き慣れない声に、アルヴィーは周囲を見回す。

「アル?」

「今――声がしなかったか?」

「声? そんなの聞こえないけど……外からじゃないの?」

「いや、確かにさっき、耳元辺りで声が――」

 言い募るアルヴィーの言葉は、再びの爆音で遮られた。眼下で騎士たちの戦列を避け、逃げ惑う人々。同じく壁の穴からそれを見下ろし、ルシエルははっとした。

「あれは――騎士じゃない。民間人だ!」

「え!?」

「そうか……街が攻撃されたから、民間人をここに避難させたんだ。ここは広いし、騎士が常駐していて安全だったから」

 その言葉に、アルヴィーは唇を噛み締める。

「……俺たちのせいか……!」

「とにかくアル、君はひとまず僕の小隊の監視下で――」

 ルシエルがそう言ってアルヴィーに向き直るのと、ほぼ同時。彼は床を蹴り、三階下の地面へと飛び下りていた。一瞬の自失。だがルシエルはすぐに思い当たる。彼はおそらく責任を感じ、民間人を守りに行ったのだ。

「ああもう――まったく!」

 彼らしいとは思いつつも、事態がややこしくなることに変わりはない。ルシエルは天を仰ぎたいのを何とか堪え、手早く《伝令メッセンジャー》の魔法で部下たちに召集を掛けると、自らも身体強化魔法を起動させ、宙へと身を躍らせた。



 ◇◇◇◇◇



「何としても止めろっ! ここが抜かれたらレドナが落ちるぞ!!」

 指揮官が声を嗄らして部下たちを鼓舞し、魔法騎士たちが攻撃魔法の集中砲火を人型の災害に叩き込む。一般騎士たちは避難してきた民間人を、まだしも安全な駐屯地裏手に避難させようと、飛び交う死の光芒や魔法を掻い潜るようにして走り回っていた。

 だが、《擬竜兵( ドラグーン)》の攻撃は確たる標的などなく、いわば気紛れに放たれるようなものなので、騎士団はかえって苦戦していた。相手の目的が読めるならば、まだ対応のしようもある。だがこの敵はまったく行き当たりばったりに、気の向くまま攻撃を放つのだ。しかも騎士も民間人も構うことなく。生半可な魔法障壁や結界など紙のように容易く突き破られ、掠っただけでも人間を松明のごとく炎上させる光芒が、容赦なく後方の騎士たちや民間人を襲う。

「――いかん! 伏せ――」

 騎士が皆まで叫ぶ暇もなく、《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》が彼らを薙ぎ払う――。


「――《竜の障壁(ドラグ・シールド)》!!」


 その、寸前。声と共に光が炸裂し、爆音が響いた。

「…………?」

 焼き尽くされることを覚悟した彼らは、だがいつまで経っても想像した灼熱が襲ってこないことに、訝しく思いながら恐る恐る顔を上げる。そんな彼らが見たのは、ちらつく炎の残滓の中、柘榴石で作り上げたような片方だけの翼を負う、一人の少年の後ろ姿だった。

「な……」

 声を掛ける暇もなく、少年は地を蹴り、駆け出した。前線へ――死が飛び交うその只中へ。

「ひゃはははハハははハハァ!!」

 狂笑を響かせながら、マクセルは右腕を振り回し、無秩序に《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》を放つ。その光芒の間隙を縫い、ジェラルドは相棒たる魔剣《オプシディア》を励起すると、魔法を纏わせマクセルの首目掛けて鋭い剣閃を叩き込む!

 ――ギィン!

 だが、マクセルはぐらつきはしたものの、その首は肩から首を侵食した鱗に守られ、目立った傷は残せていない。

「チッ――さっきのあいつと同じパターンか」

 一人目の《擬竜兵( ドラグーン)》は鱗で阻まれる前に首を落とせたが、どうやらここまで侵食が進むとそれも不可能らしい。

「隊長、退いてください!」

 そこへセリオの声。ジェラルドはすかさず飛び離れる。

「凍て付け――《氷界の墓標(ニヴルグレイヴ)》!」

 間髪入れず、セリオの魔法が発動する。虚空から降り注ぐ巨大な氷柱が、マクセルの周囲に突き刺さった。それで終わりではない。氷柱は見る見る成長して隣り合うもの同士が融合し始め、程なく一つの氷塊となってマクセルをその中に封じ込める。

「やったか……!?」

 騎士たちの間から弾んだ声があがるが、その声も終わらぬ内に、氷塊に罅が入る。軋むような音と共に入った亀裂は瞬く間に大きくなり、一瞬の後に氷が内側から爆砕された。

 だが――セリオの表情は変わらない。この程度で倒せる相手ではないことくらい、とうに理解している。

「……多少は頭が冷えたかしら?」

 氷の中から現れたマクセルの背後から掛かった、涼やかな声。彼が振り返る暇も有らばこそ、氷の魔法を纏ったパトリシアの刺突剣エストックの連撃が、凄まじい速度でその背に撃ち込まれた。攻撃された部位と、ジェラルドよりさらに速いその剣閃に、さすがに鱗の防御も間に合わない。

「――がぁぁアアァァァッ!!」

 絶叫。パトリシアの氷魔法は、剣を通して体内で荒れ狂う。傷口は塞がっても体組織が凍り付いていくその痛みに、マクセルは身を捩って苦悶の声をあげた。その大き過ぎる隙を、ジェラルドはもちろん見逃さない。


「圧し潰せ――《超重斬刃グラビティブレイド》!!」


 一閃。

 地系統重力魔法によって本来の数倍もの重さとなった超重量級の一撃が、マクセルの右肩に叩き込まれる!

「ギャアアァァアアァッッ!!」

 漆黒の刃が鱗を粉砕し、右肩に深く食い込む。あがった絶叫は、人のものというより魔物のそれに似ていた。

「やった……! 今度こそやったぞ!!」

 騎士たちの歓声に、だが当のジェラルドは、剣を引くと舌打ちした。

「チッ……まだ浅い!」

「え――」

 パトリシアが目を疑う。鎖骨の辺りまで斬り下げられ、常人であれば間違いなく致命傷であるレベルの傷が、瞬く間に塞がっていくのだ。あのままジェラルドが剣を引かなければ、《オプシディア》を体内に取り込まれていただろう。

 そして、痛みに狂乱したマクセルは、それを与えた者たちを最優先のターゲットに定めた。

「ア゛ア゛アアァァァァ!!」

 振りかぶられた右手から溢れる光。咆哮と共に、それは光の刃となって、ジェラルドたちを薙ぎ払うべく放たれる――!


「――あんたら、伏せろっ!!」


 まさにその瞬間、騎士たちの頭上を飛び越え、ジェラルドたちの眼前に着地した一つの人影。そこへ致死の威力を湛えた光芒が襲い掛かり、そして不可視の障壁に阻まれて爆発の連鎖を起こす。

「……おまえは」

 呟いたジェラルドの眼前で、アルヴィーは右腕を伸ばす。バキバキと硬質な音と共に、その手首から先を覆う形で形作られたのは、透き通った暗紅色の輝きを持つ一振りの剣。

 アルヴィーはすぐさま地を蹴り、僚友であるはずの少年に肉薄する。

「……いい加減にしろ、マクセル!!」

「ガァァアアアァ!!」

 もはや僚友の顔も分からないほどに狂乱したマクセルは、アルヴィー目掛けて《竜の咆哮( ドラグ・ブレス)》を放とうとする。

『――そのまま貫け!』

「!?」

 またしても聞こえた声を疑問に思う間もなく、アルヴィーは反射的に右腕の刃、《竜爪( ドラグ・クロー)》を突き上げた。暗紅色の刃が光を湛えた右腕を跳ね上げ、次の瞬間バターか何かのように容易く、その鱗や骨ごと腕を貫き通す!

「ギャアアア!!」

 放たれた《竜の咆哮(ドラグ・ブレス)》は上方へと逸れ、空の彼方に消えていく。刃で貫き通された右腕は、《擬竜兵( ドラグーン)》の再生力をもってしても塞がらず、マクセルはただ苦悶の叫びをあげるしかできない。同じ《擬竜兵( ドラグーン)》の体組織の一部である《竜爪( ドラグ・クロー)》で貫かれた状態では、その高い再生力も通用しないのだ。

 アルヴィーはマクセルの肩を左手で掴み、渾身の力で暴れる彼を押さえ付ける。

「マクセル! 俺が分かるか!?――もうやめろ! 民間人まで見境なく襲うんじゃ、ただの魔物と同じだ! おまえはレクレウスの兵士だろう! “敵に背を向けるな、非戦闘員に力を振るうな”――そう教わっただろうが!!」

 そうでなくてはもはや誇りあるレクレウス兵ではなくただの魔物だと、練兵学校の教官はそう言った。その言葉は、魔物に故郷を蹂躙じゅうりんされ母を殺されたアルヴィーの心に強く響いたのだ。こうしてマクセルを、《擬竜兵( ドラグーン)》を止めることは、祖国に弓引くことかもしれない。だがそれでも、その言葉だけは貫こうと、アルヴィーはそう決めた。

「グアアアァァァ!」

 だが、もう言葉さえ届かない。マクセルは血走った双眸でアルヴィーを睨み据え、めちゃくちゃに暴れる。その弾みで、彼の右腕を貫いていた刃が払われた。

「え――」

 《竜爪ドラグ・クロー》はさしたる抵抗もなく、さくりとマクセルの右手首を斬り落とした。

 地面に落ちた手首は、見る見る内に黒ずんでざらりと崩れる。愕然と立ち竦んだアルヴィーの背後から、ルシエルの鋭い声が飛んだ。

「アル、退いて!」

 反射的にその声に従って飛び退くと、小柄な人影が宙に舞う。

「――はぁぁぁぁっ!!」

 バルディッシュを高々と振りかぶったシャーロットが、落下の勢いも乗せて渾身の力でそれを振り下ろした。

「ガアァァアア!!」

 両断、そして絶叫。

 ジェラルドのそれをも上回りかねない強烈なパワーを持つその一撃は、マクセルの右腕を肩口から斬り飛ばし、さらに地面を深々と抉って止まる。そしてマクセルが体勢を立て直すより早く、ルシエルが疾風のように滑り込んで来た。


「斬り裂け――《風刃エアブレイド》!!」


 狙うは心臓――風の刃を纏い振り抜かれた白銀の剣身は、マクセルの左腕ごと、彼の胸郭の左半分を深々と切り裂いた!

「か――は」

 マクセルがよろけ、そして地面に落ちた左腕もまた、一瞬で黒く染まって形を崩す。

「マクセル!」

 アルヴィーが駆け寄り、倒れかけるマクセルを抱き留めた。だが次の瞬間、その身体そのものも右肩からあっという間に黒ずみ、ざらりと崩れてアルヴィーの腕から零れ落ちていった。

「……あ……」

 その腕に残るのは、血に塗れボロボロになった深紅の軍服のみ。そしてその間から、鎖の付いた小さな金属板――識別票ドックタグが滑り落ち、地面に当たってかすかな音を立てた。

 アルヴィーの足から力が抜けて、その場に膝を突く。左手でそっと拾い上げた識別票ドックタグを握り締め、額に当てて俯いた。その表情が悲痛に歪む。声なき慟哭どうこくのような、祈りのようなその姿に、剣を鞘に納めたルシエルを始め、周囲の騎士たちは歩み寄ることもできずに立ち尽くす。


 その光景を、駐屯地近くの上空から眺める影があった。


「――ご覧になっていますか、我が君」

 身体強化によって強化された視力で一部始終を見届け、ダンテはココアブラウンの髪を風に揺らしながら隣の主に問い掛ける。

「ええ、ダンテ。――それにしても、予想外でした。まさか今の段階で、欠片とはいえ《上位竜( ドラゴン)》の魂を従える被験者が出るなんて」

 主の声に潜む、滅多にない心からの驚愕を感じ取り、ダンテも興味と共に再びその少年を見やる。その右肩に柘榴石のごとき翼を背負い、仲間だった者の名残を前に跪き悼むその姿は、ひどく美しく侵し難いものに見えた。

「わたくしでさえ、別の方法を採らざるを得ないと思っていたのに……人間というのは本当に、予想の付かない生き物なのですね。こうして様子を見に来ることにして、本当に良かった……危うく、これを見逃すところでしたわ」

「でも、綺麗なものですね、あの翼に腕。本当に《上位竜( ドラゴン)》の鱗みたいだ」

「本来、《擬竜兵( ドラグーン)》の理論には、大きな問題点があるのです。戦いの興奮という刺激を得るにつれ、肉片に宿った竜の魂の欠片が次第に活性化、宿主である人間と互いに反発して喰らい合い、やがて理性を失って暴走を引き起こす……レクレウス軍が成功体だと思い込んでいた被験者たちも、実際は適合率が飛び抜けて高いだけの未完成状態でしかなかったのです。本来、人間と竜ではその魂に内包された力に大きな差があるもの。わたくしのシミュレーションでも、いずれ宿主側が竜の魂の欠片に屈し、戦いの中で暴走を起こして自壊するはずだったのに……自力で竜の魂を従えて一つの身体で共存する個体が出るというのは、完全に想定外でした。――非常に興味深いですわ」

「では、連れ帰りますか?」

 尋ねるダンテに、だが主は否定の言葉を返す。

「いいえ。もうしばらく経過を見ることにします。その上で安定しているようならば、あの子をわたくしたちのもとへと迎えましょう」

「となると、監視用使い魔(ファミリア)を?」

「そうですわね……ですが、《擬竜兵( ドラグーン)》の暴走で手持ちの使い魔(ファミリア)はすべて吹き飛んでしまいましたし、一度“あちら”へ戻って新しい使い魔(ファミリア)を調達してからの話ですわね」

 主の決定に従い、ダンテは現時点での干渉を見送る。

「では我が君、後はレクレウスに回って、資料と“あれ”を回収しましょう」

「ええ、では人目に付かないところまで、よろしくお願いします」

「仰せのままに」

 主の意を受け、ダンテは足元を軽く蹴る。のそりと身動きしたのは、翼を持つ巨大な蛇だ。彼らはこの蛇の上から駐屯地での一戦を眺め、主にレティーシャがその模様を記録していたのである。一応探知妨害の魔法も巡らせてあるが、駐屯地があの状況では周囲を探知するどころではなかったかもしれない。

「さて、と。じゃあ行くよ、《トニトゥルス》」

 ダンテの声に蛇は優雅に身をくねらせて方向を変え、宙を泳ぎ始める。その姿は程なく、空の彼方へと消えていった。


ここでやっとタイトル通りに“片翼”になりました。

そして話はまだまだ動きます。

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