第55話 宣明
タイトルは「せんめい」と読みます。
「宣言し、明らかにすること」という意味です。
……タイトルにもルビ振らせてください、マジで。
大陸北部、大陸環状貿易路で最も北に位置する中継都市・トゥエンを擁する、三公国の一角ロワーナ公国。同じく三公国のサングリアムなどと比べると、特筆するような産業はなく、街の賑わいもおとなしめだ。もっとも現在はすでに日も落ちており、昼間ほどの人通りもないのだが。月は出ているので足下は明るいが、夜に出歩くほどの娯楽はさほどないのだろう。
ロワーナ公国は、百年以上前――まだ“ロワーナ公爵領”であった頃から、東隣のリシュアーヌ王国と深い関わりがあった。そもそも建国自体、リシュアーヌ王国を後ろ盾としてのものだ。元々の公爵領に加え、その周辺も支配圏に組み込んだはいいが、サングリアムのように独自産業の強みもなく、モルニェッツほどの軍事力も持たなかったロワーナは、それだけ国力も弱く大国の庇護を必要としたのである。もっともその代償に、当時の領土の東側四分の一ほどをリシュアーヌに割譲したため、ロワーナ公国は現在大陸に存在する国の中で、最も国土の小さい国となった。
その公国領の東端からさらに東、現在はリシュアーヌ王国領である地を見下ろす上空、そこに静かに浮かぶ有翼の大蛇の背に、二つの人影がある。
「国境守備は申し訳程度、兵の練度も低い、か……まあ、ロワーナはリシュアーヌにとって、半分属国みたいなものだ、気が緩むのもしょうがないか」
使い魔の背から恐れもなく遥か眼下を見下ろし、ダンテはそっと口元に笑みを刻む。その後ろで、普段より八割増しほどに目付きの悪い死霊術士、ラドヴァン・ファーハルドがぼやいた。
「まったく、なぜ俺が……外は妙に落ち着かん」
「いつもあんな暗い部屋に閉じこもってばかりいるからだろう。その内カビが生えるよ」
ダンテの忠告にも、ラドヴァンはふん、と鼻を鳴らすだけだ。主であるレティーシャに関すること以外、さほど関心の高くないダンテも、さして気に留めることなくそのまま流す。
少なくとも、これからこなすべき任務について、ラドヴァンにカビが生えるかどうかなど何の関係もないのだから。
「まあ、さっさと終わらせてしまおう。ロワーナはサングリアムとは違って、あまり重要度は高くないから」
そう言って、ダンテは自らの使い魔・《トニトゥルス》の鱗をコツンと叩く。それを合図に、有翼の大蛇はゆるりと身をくねらせ、地上へと舞い下りていった。
リシュアーヌ王国の国境守備部隊が駐留している砦、そこから少し離れた地点に、《トニトゥルス》は翼を広げ降下していく。地上まで数メイルというところで、ダンテはその背を蹴って軽やかに地上に下り立った。
「まったく……こっちはおまえのように身軽じゃないんだ。考えろ」
ぶつくさ言いながら、ラドヴァンもそれに倣う。羽織ったローブが空気を孕み、翼のように大きく広がった。
「じゃ、上で良い子で待っててくれよ、《トニトゥルス》」
ダンテの言を聞き届けたように、《トニトゥルス》は再び空に舞い上がる。それを横目に、ラドヴァンは杖を出した。
「……それにしても、ただここの部隊を潰すだけなら、他の者でも良かっただろうに。それこそ、あの《擬竜兵》の小娘辺りでも間に合ったのではないか?」
「さすがに彼女だと、この砦ごと消し飛びかねないからね。――それに、今回ばかりは彼女を向こうに回さないと、こっちが《竜の咆哮》の標的にされかねないよ」
ダンテの表情は微笑ましげだが、言っていることは物騒だ。
「何せ、死んでも想い続けた相手との、待ちに待った再会だからね。女の子の恋路の邪魔はするものじゃない」
「ああ……《擬竜兵》で唯一生き残ったとかいう小僧か」
心底どうでもいい、という調子でラドヴァンは言う。
「あれ、素体として興味があるとか言いそうなものなのに」
「死んでいれば是非とも手元に欲しいが、生きている者に興味はない」
「……ラドヴァンはもう少し、生きてる相手と交流を持つべきだと思うんだ、僕は」
「死体の方が使いでがあって良いだろう」
身も蓋もなく、ラドヴァンはばっさりと切り捨てた。まったくもって、全身全霊で死霊術に邁進している彼である。
ダンテはため息をついて、ラドヴァンの人格矯正を諦めた。
「……まあいい。行こう」
「そうだな。早めに終わらせて戻るに越したことはない」
一刻も早くあの暗い地下室――彼にとっては安息の地――に戻りたいラドヴァンもそれには同意し、ローブを翻して歩き始める。
「……しかし、上層部を殺すだけで本当にこの国を支配下に置けるのか? いっそ皆殺しにしてから死霊術で傀儡にした方が、面倒がなさそうだが」
「そうやって誰も彼も死体にしたがるのはやめてくれないか。――そもそもここは本来、帝国領の一部。継承者が我が君しかおられない現在、我が君が統治するべき土地なんだから、大公には先祖の不忠の後始末をして貰って、正当な統治者に土地と民を返して貰う。単純な話だろう?」
ダンテの甘く整ったその顔に浮かぶ笑みは、だが穏やかでありながら、静かに狂気めいたものを孕んでいた。
「それに、大多数の国民にとっては、“統治者が誰か”なんてことはあまり関係ないからね。自分の生活さえ脅かされなければ“誰だっていい”んだよ」
「ふん、いい加減なものだな」
「でも今は、その方が有難いよ。下手に反乱でも起こされたら、多少乱暴になっても鎮圧しなきゃいけないからね。我が君の臣民になる相手を、むやみに殺したくはない」
「他国民であれば、殺しても構わないと?」
「だって、我が君の領土を取り戻すのに、ここの連中は邪魔じゃないか。――それとも、急に慈悲でも芽生えたのかい?」
「いや」
からかうようなダンテの問いに、ラドヴァンは薄笑いを浮かべた。
「――使える死体が増えるだけだからな。結構な話だ」
「そう来なくちゃ」
ダンテも、こちらは柔らかい笑みを浮かべる。もっとも、話している内容は常軌を逸しているが。
話をしながら、二人は砦の前まで歩いて来ていた。もちろん、いきなり現れた不審な二人組を、砦の兵士たちが警戒しないわけがない。一個小隊ほどの人数が出て来て、二人に槍の穂先を向ける。
「……待て、おまえたち何者だ!? 今日はもう国境の通過は許可できん、おとなしく戻るが良い!」
隊長らしき兵が怒鳴ってくる。ダンテが腰の愛剣に手を掛けた。
「構いませんよ、砦なんか通らなくても、何とでもなりますから。――《シルフォニア》」
囁くような最後の一言に、しかし魔剣《シルフォニア》は忠実に応えた。主によって鞘から抜き放たれるが早いか、その軌跡から繰り出された不可視の刃が、数名の兵士を一瞬で斬り倒す。
「何っ……!」
一瞬の自失――それはダンテ相手には、あまりにも致命的な隙だった。
再び空を裂いて奔る、見えない斬撃。それは、驚愕のあまり動きを止めてしまっていた残る兵士たちをも、ほとんど薙ぎ倒した。
「――いかん、外に出た隊がやられた!」
「矢を射掛けろ! 遠距離から仕留めるんだ!」
砦の城壁から様子を窺っていたらしい別の兵士たちが、今度は弓矢でダンテたちを狙ってくる。だが、彼らに降り注ぐかに見えた矢は、ダンテが《シルフォニア》を一振りしたことによって、大部分が空しく消し飛ばされた。わずかに生き残った矢も、ダンテの剣捌きによって弾き散らされる。
「馬鹿な、何だあの男は!? 魔剣持ちか!?」
「いや、だが向こうからは百メイル近くある、いくら魔剣といってもここまでは――」
半ば願望のような兵士の声は、だが彼方から放たれた見えざる剣閃によって断ち切られた。双眼鏡を手にしたまま、正確に首から上を飛ばされた同僚の姿に、危うく難を逃れた兵士たちは慄然とする。
「くそっ、何なんだあいつは――!」
「魔動兵装の用意だ! 門を封鎖しろ、籠城して遠距離射撃で奴を近付けさせるな!」
「魔石の準備急げ!」
一気に慌ただしくなる砦の中――その喧騒を感じ取り、ダンテは満足げに目を細めると、《シルフォニア》を高く掲げる。月明かりに、その銀の剣身がきらりと輝いた。
「――《トニトゥルス》!」
鋭く振り下ろされる剣と、ダンテの声。それに応えたのは、上空でたゆたっていた影だ。それまでおとなしく空を泳いでいた翼ある大蛇は、主の声を聞くやその双眸をぎらりと光らせ、翼を一つ羽ばたかせたかと思うと、砦目掛けて一気に急降下した。
「な、何だ、今度は魔物――!」
兵士たちの悲鳴ごと薙ぎ払うように、《トニトゥルス》は城壁の内側に舞い下り、身をしならせながら鋭く旋回。その強靱な尾は、体躯の巨大さも相まって凶悪な武器となった。撥ね飛ばされた兵士たちは、血反吐を吐きながら地に伏す破目となり、運の悪い者は城壁を越えてその向こうへと落ちていく。
そして最後に、仕上げとばかりに一振りされた尾は、砦正面の門扉を半分ほど吹き飛ばした。
「よし、《トニトゥルス》、良くやった。いい子だ」
散々城壁内を蹂躙し、悠々と舞い戻って来た使い魔を労うと、ダンテは再びその背に飛び乗る。
「さて、と。そこそこ死体もできたし、後はそっちだけで何とかなるだろう。僕は大公を始末しに行くよ」
「ふん、言われるまでもない。済んだら先に戻るからな」
「好きにしなよ」
そう言い置いて、ダンテは《トニトゥルス》を駆り飛び去って行く。
「よ、よし、なぜかは分からんが一人退いたぞ! あと一人なら――」
兵士たちは声を弾ませたが、彼らは知る由もなかったのだ。
この場に残ったもう一人の方が、ある意味遥かに厄介な存在であったということを。
「――蘇れ。《操屍再生》」
ダンテがリシュアーヌ兵の攻撃を捌いている間、ラドヴァンは術の準備に専念していたのだ。地面に大きく浮かび上がる、蒼黒に輝く魔法陣。それに惹かれるように集まった弱い光を、どれだけの人間が視認できただろうか。
それらの光は魔法陣に吸い寄せられて蒼黒く染まり、地に倒れ伏したリシュアーヌ兵の骸に吸い込まれていった。
「何だ!? 魔法か!?」
「気を付けろ、大規模な攻撃魔法かも――」
注意を促す声は、途中で途切れる。ゆらりと立ち上がった、絶命したはずの同僚たちの姿に。
「ば――馬鹿な……!」
兵士たちが呆然としている間に、文字通りの生ける屍となった兵士たちは、生者を求めて歩き始める。その足どりは、次第に早さを増していった。
「ひっ、こ、こっちに来るぞ!」
「あいつら、死んだんじゃないのかよ!?」
「扉を閉めろ、押し込まれるぞ!」
「駄目だ、さっきの魔物に壊されて――!」
「矢だ、矢を射ろ! 止めるんだ!」
混乱の中、まだしも冷静さを持ち合わせていた何人かが、矢を放って死者たちを牽制する。だがそれは、皮肉にも死者たちを刺激する役にしか立たなかった。
「――ア゛ア゛ァァァァァ!!」
もはや息もないはずなのに、身の毛がよだつような絶叫と共に、屍兵たちは目を見開き歯を剥き出しにしながら、我先にと半壊した門に殺到する。中の兵士たちは恐慌状態に陥った。悲鳴をあげながら槍を突き出し、矢を撃ち放つ。しかし死者には何の痛痒も与えられず、逆に屍兵たちが手にした槍で突き殺されたり、首筋を喰い破られたりして落命する者が続出した。
「うわあああっ、来るなっ……!」
「た、助け――」
阿鼻叫喚が漏れ聞こえる砦を、ラドヴァンは遠くから満足げに見やった。
「さて、そろそろ仕上げに掛かるか」
数体の死者に自分を守らせながら、彼は悠々と砦に向かって歩き出す。混乱する砦から、時折思い出したように放たれる矢は、その死者たちが身を挺して受けた。死霊術士であるラドヴァンは、死者の魂をある程度自由に操れる。たとえ寸前まで敵対していた相手であろうと、忠実な下僕とすることはそう難しくもないのだ。
そうして砦に辿り着いたラドヴァンは、壊れた門から堂々と中に入り込む。城壁の内側は、血の臭いに満ちた惨劇の場と化していた。その光景に、だがラドヴァンは薄い笑みすら浮かべると、再び術式を編み上げ始める。
「蘇れ。《操屍再生》」
発動した魔法は、周囲に倒れ伏した兵士たちをも、屍兵へと変えた。新たに生み出された屍兵たちは、まだ生きている兵士を見つけ出し、文字通りの血祭りに上げていく。そして彼らもまた、ラドヴァンの死霊術により屍兵への仲間入りを果たすのだ。
そうして砦はいつしか、死者たちの流した血の臭いと、彷徨いながら漏らす呻き声だけが満ちる、陰鬱な空間へと変貌を遂げていた。
「ふむ。悪くない」
ラドヴァンは頷き、屍兵たちに告げる。
「良いか。おまえたちは、その身が朽ち果てるまでこの砦を守り、侵入しようとする者を残らず殺せ」
おおう、と地の底から響くような声が、屍兵たちの間からあがる。常人なら震え上がるようなその声に、だがラドヴァンは欠片ほどの恐怖も見せず、魔法式収納庫に杖を仕舞うと、転移用の水晶を取り出した。
「やれやれ……やっと戻れる」
そうぼやくと、彼の姿は光に呑まれて消えた。
(……向こうは、そろそろ終わった頃かな)
魔剣《シルフォニア》を振るい、ダンテはふと、国境部の進捗に思いを馳せる。言動はアレだが、ラドヴァンは死霊術士としては一流だ。おそらく今頃は、あの砦は死の砦と化していることだろう。
現在、ダンテはロワーナ公国の首都・ラトラにいた。正確にはその中枢、大公の居城の中に入り込み、大公その人の居室の前で護衛を斬り倒したところである。
「――な、何奴!」
扉を開けて中に踏み込めば、さすがに異変に気付いたのだろう、ロワーナ大公が急いで剣を佩き、武装しているところだった。もっとも、ダンテにとっては丸腰と大差ないが。
「夜分遅くに失礼致します、ロワーナ大公閣下」
「き、貴様……一体何者だ!」
「申し遅れました、わたしはダンテ・ケイヒル。クレメンタイン帝国唯一の継承者、レティーシャ・スーラ・クレメンタイン皇女殿下の騎士として、お側に侍る栄誉をいただいております」
「何……?」
滅びて久しい国の名に、大公が訝しげな顔をする間もあらばこそ。
「そして……百年前の先祖の不忠、閣下に責任をお取りいただきます」
一閃。
大公がダンテの言葉の意味を理解するより早く、《シルフォニア》の見えざる刃が、その首を刎ね飛ばしていた。
「……さて、と」
血の曇りなど一片もない銀の剣身を、すらりと鞘に納めて、ダンテはごく当たり前のような足どりで窓辺に歩み寄る。この部屋は窓の外にテラスが張り出し、外の風景を楽しめるようになっていた。そこへ出て、彼は左耳のピアスを弾く。
「――我が君、こちらは万事滞りなく。ラドヴァンから連絡は行っておりますか」
『ええ、ダンテ。《薔薇宮》のベアトリスから、ラドヴァンも戻ったと連絡がありました。あなたも良くやってくれましたわ。あちらへ戻って、ゆっくりと休養を取ってくださいませね』
「有難きお言葉です」
主の労いに笑みを零すと、上空で待っていた使い魔がテラスの傍まで舞い下りて来て、顔を突っ込んでくる。早く乗れとせっつくようなその仕草に、ダンテはその大きな鼻先を撫でてやると、
「申し訳ありません、我が君。《トニトゥルス》が少々飛び足りないようでして。戻りが少し遅くなりますが、お許しいただけますか」
『もちろんですわ。存分に飛ばせておやりなさいな』
「ありがとうございます、我が君」
通信を終え、ダンテはテラスの手摺を乗り越えて、《トニトゥルス》の背に納まった。
「お許しも出たし、クレメティーラまではこのまま戻ろうか」
ダンテが硬い鱗を撫でると、《トニトゥルス》は甘えるようにぐるぐると唸り、翼を羽ばたかせる。その大きな影はすぐに、夜陰に紛れて見えなくなってしまった。
◇◇◇◇◇
ファルレアン王国主催のオークションは、《雪華城》内の一棟を使って行われる。どこか謁見の間と似通った広々とした大広間は、鮮やかなタペストリーで飾り立てられ、天井にきらめくのはシャンデリア。
基本的に庶民の手が届くような品は出ないので、こちらに参加するのは国内外の貴族や要人、資金力のある商人や、大規模な傭兵団の代表者といった面々だ。特に商人や傭兵団は、貴族と誼を結ぶ絶好の機会であるので、気合を入れて参加する者が多い。当然参加者の服装は誰も彼もきらびやかで、オークションというよりは舞踏会でも始まりそうな雰囲気である。
そんな参加者たちの、盗み見るような視線を一身に浴びながら、アルヴィーは内心ため息をついた。
(……やっぱ場違いにも程があるよな、俺……)
そもそも本来ならこんな場所に立ち入れる身分ではないのだ。その上、各所に警備に立つ騎士たちの中、一人だけ違いも鮮やかな深紅の差し色の制服を纏い、同じく深紅の肌をした右腕は(大部分は袖で隠れているといっても)手袋などもなくそのまま。人のものにはあり得ないその右手は好奇の視線に晒され、囁き合う声が聞こえる。
「――見ましたか、あの右手……」
「まるで血のような色ですわね、薄気味悪い」
「まだ若いのに、《下位竜》を一人で倒したという話だが」
「火竜の加護を受けているという話も聞きましてよ。あれで平民でなければねえ」
「まったく。貴族であれば、我が家にも年の釣り合う娘がいるというのに、惜しいことだ」
聞き流そうにも、生憎常人離れした聴力がことごとく拾い上げてしまう。一部何だか怖い発言もあったが、無視無視、と無表情を心掛けていると、
「よお、真面目にやってるか」
ふらりとやって来たジェラルドが声をかけてきた。彼は中央魔法騎士団第二大隊長として、この場に警備のため配置されている魔法騎士たちを統括する立場だ。ちなみに騎士団からも人員は出ていて、そちらは騎士団の大隊長が指揮を執っている。
「見ての通り。――珍獣やってますよ」
さすがに国内外の貴族が雁首揃えている上、注目の的になっている中で、普段のように敬語が不自由のままというのはまずいので、何とか取り繕っている状態だ。今のところ、まだボロは出ていない――と思いたい。
「まあそう言うな。貴族なんてのは娯楽に飢えてるから、新しい余興には目がないが、その分飽きるのも早いからな。しばらくおとなしくしてりゃ、すぐに目移りするさ」
(……だといいんだけど)
胸中でげんなり呻いていると、ジェラルドがふと表情を引き締めた。
「――むしろ遠巻きにされてるくらいがちょうどいいかもしれんがな。下手に国外の貴族と諍いでも起こしたら、それこそ洒落にならん。多少のちょっかいや陰口は相手にせず流せ」
「……じゃあとりあえず、人目があるとこで無表情で立ってればいいってこと?――ですか」
「そうだな。衆人環視の中でわざわざ絡みに来るような度胸の持ち主はそういないだろうが……もしそういう奴がいたら、俺の名前を出しても良いから振り切れ。上官に警備の命令を受けてるから無駄話に付き合う暇はない、ってな」
「了解しました」
いくら何でもその原文そのままを返すわけにはいくまいが、ひとまず敬礼と共に指示を受領。まあ、薄気味悪いだとか何だとか囁き合っているのだから、わざわざ近寄って来る人間もいないだろう。
そうこうしている内に、進行役――おそらく財務の部門に属する文官だろう――が入室して来てオークションの開始を宣言し、ジェラルドも会場を見回るためか、どこかへ歩き去って行く。
参加した貴族たちの注意がほとんどオークションに奪われてしまったので、無遠慮な視線の嵐から解放され、アルヴィーは小さく息をつく。だが、すぐに別方向から新たな視線が飛んできて、内心辟易しながらそちらを見た。
視線の主は、一人の少年だった。年はアルヴィーよりも下だろう。雨雲のような鈍色の髪、少し翠緑が混ざった蒼い双眸はきょろりと大きく特徴的だ。先ほどの貴族たちと違い、アルヴィーの異形の右手を話の種にすることもなく、ただひたすら、何かを確かめるようにじっとこちらを見つめている。
もしかして何か用があるのかと、声をかけようとしたが、その前に少年はすっと目を逸らし、参加者たちの間に紛れ込んでしまった。
(……何だ?)
内心首を傾げつつも、まあ物珍しかったのだろうと結論付け、アルヴィーはすぐにその少年のことを記憶の片隅に仕舞い込むと、再び警備の任に勤しみ始めた。
「――いかがでしたか、ユーリ様」
尋ねてきた護衛の武官に、ユーリは頷く。
「うん、似てる。――右手の感じとか、あの魔法士の女にそっくりだ」
まるで血に染まったかのような、深紅の肌。それは、ヴィペルラート軍の国境守備部隊を襲ったと思しきあの少女の左腕と、よく似ていた。
(……にしても、すごいな、あいつ。ギリギリ人間、って感じ)
《擬竜騎士》から感じ取った力に、ユーリは内心目を見張る思いだ。水を操る彼は、至近距離であれば、相手の体内を流れる血液などから、そこに宿る力を感じ取ることもできる。さすが高位元素魔法士の一人というべきか、彼の中に内包された力の大きさは、ユーリをして驚嘆させるほどのものだった。
「あの時生身だったら、もっと詳しいことも分かったんだろうけど」
「物騒なことを仰いますな」
「分かってる。やらないよ」
肩を竦めて、ユーリはすでに始まっているオークションの方に目を向けた。
「……で? 何か買うの」
「そうですな、そちらは別の者が担当致しますが。ユーリ様も、何かお気に召したものがあれば参加して構わないと、陛下のお許しがございましたでしょう」
「いいよ、別に使い道ないし」
武官の気遣いを一言でぶった切り、ユーリはぼんやりとオークションを眺める。どういう仕組みなのかはいまいち分からないが、こうした催しにほとんど触れてこなかった彼にとっては、これはこれで珍しい光景には違いないのだ。
もとより、《擬竜騎士》を間近に見ることができた時点で、ユーリの仕事は半分終わったも同然である。後は他の者の仕事とばかりに丸投げし、彼は純粋に(といってもほぼ無表情だが)オークション見学を楽しむことにした。
◇◇◇◇◇
その日、セルジウィック侯爵邸に軟禁状態であるディオニスとクリストウェルは、母ドロシアから茶会へと呼ばれていた。
茶会といっても、身内だけのものなので、それほど大袈裟でもない。それでも、情緒不安定気味であるドロシアが多少なりとも落ち着くのならばと、侯爵はそれを許し、息子たちも顔を出すことにしたのだった。
「――母上、本日はご機嫌麗しく」
クリストウェルの挨拶に、ドロシアは鷹揚に頷き、口元を扇子で優雅に覆った。
「あなたたちにも心配を掛けました。ですが、もうすぐこの憂いもなくなります」
「……それは、どういう?」
常にない母の様子に、クリストウェルはわずかに目をすがめるが、ドロシアは答えることなく笑うのみだった。
「ほほほ、その話は後で。まずは、お茶を楽しみましょう。あなたたちと話をするのも久しぶりだわ」
そう言われては従う他なく、メイドたちがカップに香り高い紅茶を注ぎ、恭しく給仕するに任せる。充分に喉を潤したところで、ドロシアはメイドを一人だけ残し、他の者を全員下がらせた。
「――例のものを」
「はい、畏まりました」
一人残ったメイドは、一礼して一旦退出すると、ややあって細長い木箱を抱えて戻って来た。
「……それは?」
訝しげに問うディオニスに、ドロシアは楽しげに言う。
「開けてごらんなさい」
弟と顔を見合わせながらも、彼は母の言葉に従い、木箱の蓋を開ける。そして、思わず感嘆の声を漏らした。
「ほう、これは……」
「へえ、見事なもんだねえ」
クリストウェルも横から中を覗き込み、箱の中に横たわる剣の絢爛たる美しさに目を見開く。
「しかし母上、女性である母上がなぜ剣など?」
もちろんファルレアンでは、女性も騎士として身を立てることが少なくないので、女性が剣を手に入れること自体はそうおかしなことでもない。だがドロシアは、生まれながらに高貴な身分の女性であり、剣によって守られる側である。彼女と剣というのは、息子からすればどうにもおかしな取り合わせだった。
息子たちの疑問に、ドロシアは得たりとばかりに微笑む。
「これはただの剣ではないの。――何でも、持ち主の願いを叶える宝剣だそうよ」
「……はあ」
クリストウェルは何とも言えず、短くそう頷くしかなかった。貴族令息として育ち、世間を知らない自覚はあるが、そんな彼でも“持ち主の願いを叶える剣”などという代物の怪しさは分かる。だが、ある意味彼以上に箱入りの令嬢として育ち、世間を知る間もなく嫁いだ母には、その辺りの警戒心が育つ機会もなかったのだろう。彼女はすっかり、その触れ込みを信じ込んでいるようだった。
「これはね、願うだけで憎い相手の命を奪うこともできるそうよ」
しかしさすがに、その物騒な触れ込みには、クリストウェルもぎょっとして母の顔を見やる。
「母上、それは……」
「間違いないのよ。ねえ?」
「は、はい、左様でございます」
いきなり話を振られ、慌てて頷くメイドに、クリストウェルは眉をひそめる。
(このメイドは……確かあの時、《保守派》の貴族の手の者と密会していた、あのメイドか。あの時聞いた話の限りだと、単に不思議な効力をでっち上げて、母上たちを騙そうとしてる風にしか聞こえなかったけど。でも、あの男が《保守派》貴族の手先らしいことは気になるな……)
警戒を強めるクリストウェルに対して、ディオニスは母同様、“持ち主の願いを叶える”という部分に興味を惹かれたようだった。
「そういえば、わたしもそのような話を、そこのメイドから聞いた覚えがあるが……なるほど、この剣が」
装飾も美しい剣を、ディオニスは魅入られたように見つめ、やおら取り上げる。
「そうか……この剣を使えば、あの忌々しい妾の子など……」
「兄上、しっかりしなよ。そんな都合の良いものが、そうそう手に入るわけがないんだから」
兄の様子にどこか尋常でないものを感じ、クリストウェルは諌めた。だが、ディオニスはその言葉など聞こえてもいないように、ぶつぶつと何か呟いている。こちらは埒が明かないと見て取り、母の方から先に目を覚まさせることにした。
「母上も、そんな与太話を信じるなんて」
「与太話とはどういうことなの!」
「だってその剣、単に余所の貴族が金策のために手放しただけの、ただの剣なんだよ。――ねえ、そうだろう? その貴族の使いと君が話してるのを、聞いたんだよ、僕は」
「えっ……!」
まさか企みをクリストウェルに知られているとは思わなかったのか、メイドが絶句する。その顔がだんだん青ざめていくのを見て、ドロシアもさすがにおかしいと思ったのか、
「……どういうことなの。おまえ、わたくしを騙していたの?」
「だ、騙すなんて、そんな……奥様、わたしは本当に……」
弱々しくかぶりを振るメイドを、ドロシアは怒りに燃える目で睨み、手にした扇子を彼女に叩き付けた。
「あっ!」
「たかがメイド風情が、このわたくしを騙そうなんて……! 覚悟なさい、早々にこの屋敷にいられなくしてやるわ!」
「お待ちください、奥様……!」
メイドが半泣きになりながら、ドロシアに縋り付こうとした時――“それ”は起こった。
――ザシュ、と鈍い音。
そして一瞬の後、メイドの背中で赤い血が弾けた。
「……は、ははは」
崩れるように倒れたメイドのその向こう、鮮血が滴る剣を片手に、ディオニスが笑っている。ドロシアがひっ、と息を呑む声が、いやに大きく響いた。
「ディ……ディオニス……あなた、何を」
「兄上!?――誰か! 誰か来てくれ!」
あまりのことに一瞬自失したものの、クリストウェルは反射的に人を呼び、ドロシアの手を掴む。この際非礼がどうのと言っている場合ではなかった。強引に母の手を引き、少しでも兄から離れようとする。何しろこちらは丸腰、向こうは剣を手にしているのだ。
「クリストウェル様、何か……ひっ!?」
呼び声に応えて顔を出した別のメイドが、室内の惨状に凍り付いた。そして次の瞬間、凄まじい声量で悲鳴をあげる。
「――きゃああぁぁぁ!!」
屋敷中に響き渡ったのではないかと思えるほどの悲鳴に、ディオニスがメイドを振り返る。その姿に、メイドはさらなる恐怖のあまり、這うようにして逃げ出した。
「何事だ!?――ディオニス様、何を!」
悲鳴を聞いて駆け付けて来た従僕たちが慌てて足を止め、一人が回れ右して逆方向へと走って行く。もっとも、逃げ出したわけではなく、ややあって箒や庭を整えるための熊手など、柄の長い道具を持って来て、せめてもの武器代わりとして同僚たちに配っていた。
と、双眸をぎらぎらと光らせ、凄まじい形相になったディオニスが吠える。
「邪魔をするな!! あいつを――あの薄汚い妾の子を殺してやる!!」
剣を振り回すディオニスに、従僕たちはへっぴり腰になりつつも、長物を突き出し牽制する。血塗れの剣を振り回し、メイドの返り血で全身を汚した状態のディオニスを、断じて屋敷の外に出すわけにはいかなかった。そんなことになれば、このセルジウィック侯爵家は一気に醜聞に塗れるのだ。主家の名誉のため、従僕たちも必死でディオニスの足止めを図る。
「う、嘘よ……こんなことが……」
その光景に、ドロシアが喘ぐように呻いたかと思うと、その場に崩れ落ちた。クリストウェルもそれに倣いたい気分だったが、生憎、現在この場でディオニスを取り押さえるよう命じられるのは、もはや彼しか残っていないのだ。
ひとまず、失神してしまったドロシアを何とかしなければならない。クリストウェルは声を張り上げる。
「――誰か、窓の外に人を! 風魔法を使える者を呼ぶんだ!」
ここは二階だが、魔法を使えば無事に地上に下ろすのも難しくはない。従僕の一人が慌てて駆け出して行く。クリストウェルはそっと窓を開けた。幸い、ディオニスは扉の方で従僕たちと対峙していて、こちらには目を向けていないようだ。曲がりなりにも貴族の子息として躾けられてきたため、窓から出入りするなどという“非常識”な方法は浮かばないのかもしれない。
「ああもう、僕は厄介事は御免だっていうのに……!」
そう愚痴った時、窓の外に何人もの使用人が駆けて来るのが見えた。簡単な魔法を使える程度の者であれば、こういった貴族の館の使用人にはさほど珍しくもない。そして、そういった者が数人も集まれば、唱和詠唱で魔法騎士一人分くらいの魔法は使える。
「――クリストウェル様! 準備ができました!」
使用人の合図に、クリストウェルは母の身体を抱き上げると、窓枠に足を掛ける。眼下の地面に足が竦むが、背後で繰り広げられている光景を思えば、まだこちらの方がましだと自分に言い聞かせた。この際、行儀だとか貴族の常識だとかは、地の果てまで蹴り飛ばしておくことにする。
「よし……僕が飛び下りたら、兄上を部屋に押し込め! そのままここに閉じ込めるんだ、いいね!」
そう従僕たちに言い置くと、クリストウェルは目を瞑り、窓枠を蹴って宙に身を躍らせた。
◇◇◇◇◇
その二人連れが《雪華城》の中の広場に姿を現したのは、オークション開始からしばらく経った頃だった。
どこから現れたのか、侍女らしき少女を一人従え、しずしずと歩みを進める銀髪の女性。顔には薄いベールを下ろしているため、遠目には顔立ちなども分からないのだが、薄紫色の優美なドレスを身に纏い、いかにも高貴な身分であるという雰囲気を漂わせている。
彼女――レティーシャは、《雪華城》の中でも中央にある最も高い塔、女王アレクサンドラが座すその場所を見上げた。
「……さすがに、精霊の守りが固いようですわね」
「そうなの?」
付き従うメリエも、それに興味を惹かれたように頭上を仰ぐ。さすがにいつもの格好では、とても貴人の侍女には見えないため、今日の彼女はショートパンツの上に薄手のスカートを穿き、露出した肩もケープを羽織って隠していた。
「……別に、何も見えないけど」
「風精霊ですもの、姿は見えませんわ。ですが、力は感じます。女王アレクサンドラが、この城中に精霊たちを置いているようですわね」
「ふうん、そんなもんなの。――でもさ、それじゃあたしたちがこの城に入ったことも、ばれちゃったんじゃないの?」
「そうですわね。ですがその程度は、些事でしかありません」
たおやかに微笑むレティーシャは、ちらりと周囲に目を走らせる。ざわ、と風が吹いた。
『風精霊たちが警戒しているわ。動かせる隊をすぐに、広場に向かわせてちょうだい』
風を通して、アレクサンドラの声が屋外で警備をする騎士たちに伝わる。にわかに緊張が走った。
「おい、オークション会場の方にも伝えろ」
「了解しました」
騎士の一人が走って行く。すぐさま動きの取れる小隊が集められ、それぞれ広場に急行した。
「――陛下、現在騎士が十二小隊、及び魔法騎士が七小隊、広場に急行しているそうです」
「そう。ありがとう」
報告を聞き、アレクサンドラは次の指示を出す。
「念のため、オークションを一時中断させて。参加者はそのまま広間に。警備の騎士たちには引き続き、周囲を固めさせて」
「はっ。――《擬竜騎士》は動かされますか。現在、会場の警備に就かせておりますが」
「会場にはカルヴァート一級魔法騎士がいるわね? 彼の判断に任せます」
「は、ではそのように、カルヴァート一級魔法騎士に伝えます」
すぐに会場警備の指揮を執るジェラルドに《伝令》が飛ぶ。だが、実はその前にすでに、彼のもとにもこの異常事態の報告は届いていた。
『――主殿。来たぞ』
入札の声が飛び交う中、アルヴィーだけに聞こえる声が響く。会場内をさり気なく見回していたアルヴィーは、突然の声にわずかに目を細めた。
(……来たって、何が?)
問えば、一瞬の沈黙の後。
『やけに気配が薄くはあるが……あれは“わたし”と同じものだ』
「――それって……!」
アルマヴルカンの答えに、小さく息を呑む。アルマヴルカンと同じ存在――それはつまり、“火竜の魂の欠片”に他ならない。
「でも……そんな。俺以外の《擬竜兵》は全員、レドナで……!」
左手が縋るように、制服の下の識別票を握り締める。三人の《擬竜兵》たちの内二人は、満足な遺体すら残らなかった。これは彼らが遺した、唯一のよすがだ。
(あり得ない。あいつらはみんな、レドナで死んだ……!)
混乱する頭にそう言い聞かせ、アルヴィーは顔を上げた。
(アルマヴルカン、どこだ!?)
『ここからは少し離れている。今のところはおとなしいようだな』
(分かった)
アルヴィーは持ち場を離れ、ジェラルドのところへ向かった。
――その報告を聞いたジェラルドは、即座に判断を下した。
「分かった。おまえはすぐに現場に向かえ。言い訳は後から――おっと」
そこへ城から飛ばされた《伝令》が到着し、アレクサンドラからの命令が届く。それを聞いたジェラルドは、得たりとばかりに笑った。
「どうやら、言い訳は要らんな。行け」
「了解!」
アルヴィーはすぐさま、身を翻して駆け出した。
建物を出ると、今度はアルマヴルカンの指示が飛ぶ。
『左手の方角だ』
「分かった!――近道すんぞ!」
アルヴィーは走りながら、右腕を戦闘形態に変えた。右肩から広がる翼を模した魔力集積器官が朱金の輝きを帯びる。
そのまま踏み切り――跳んだ。
一跳びで手近な建物の屋根に跳び上がったアルヴィーは、指示された方向から現場の見当を付ける。
(あっちは広場だな……よし)
広場までの間には建物がいくつもあるが、アルヴィーにとってはむしろいい足場だ。翼の力を借りながら、彼は建物から建物へと飛び移り、ほぼ一直線に広場へと向かった。
「――いたぞっ、あの二人か!?」
「しかし、見たところ貴族の令嬢と侍女だぞ……」
ちょうどその頃、広場に真っ先に到着したのは、偶然近くで警備をしていた騎士小隊だった。だが、どう見ても非力な貴族令嬢とその侍女にしか見えない二人に、困惑の色を隠せない。
そんな彼らの戸惑いの隙を突き、メリエはするりと前に出た。
「ねえ、シア。やっちゃっていい?」
「構いませんけれど、手加減はなさいね、メリエ。今回は場所を借り受けに来ただけなのですから。勢い余って城内を必要以上に壊してはいけませんよ? それさえ守れるなら、この場は任せますわ」
「分かってるってば!」
メリエは羽織ったケープをかなぐり捨て、左腕を戦闘形態に変える。その異形の腕と、左肩から突き出した翼めいた突起に、騎士たちは息を呑んだ。
「まさか! あれではまるで《擬竜騎士》――!」
騎士たちは急いで剣を抜くが――遅い。
「んじゃ行くよっ、《竜の咆哮》!」
そしてその左手から、死の光芒が放たれる――!
「ぃよしっ! 間に合っ――たぁっ!」
だが、その寸前。
屋根の上を駆け抜け辿り着いたアルヴィーが、飛び下りざまに振り下ろした右腕を一閃。メリエの左腕を叩き落とす勢いで《竜の咆哮》の射線を逸らした。
「うわっ!?」
撃ち放たれた《竜の咆哮》は、騎士たちの手前の地面に突き刺さり、爆炎と轟音を撒き散らす。だが、騎士たちは飛び散った石畳の破片などで軽傷を負ったものの、《竜の咆哮》の直撃は免れた。
「おお――《擬竜騎士》か!」
時ならぬ歓声が起こる中、飛び退いたアルヴィーは襲撃者の顔を真正面から見据え、呆然と立ち尽くす。
――アルヴィーが知る《擬竜兵》は皆、レドナで死んだ。
だから、可能性があるとすれば、アルヴィーたちの情報を基に、新たに生み出された《擬竜兵》。
そう、思っていたのに。
「……メリエ……?」
やっとのことで押し出した、震える声。そんな、自分でも情けないと思える声に、彼女――メリエ・グランは、花が咲くように破顔した。
「そうだよ! あたし、生き返ったの」
「そんな……だって、メリエは」
ほとんど相討ちに近い状態だったため、アルヴィー自身は彼女の最期は見ていない。だが、ルシエルたちが言ったのだ。
彼女は人の形すら残らず、塵になって崩れ落ちた――と。
なのに当のメリエは、こうして目の前に立っている。榛色の髪も菫色の瞳も、あの時と変わらぬまま。
混乱して立ち竦むアルヴィーに、その時アルマヴルカンが告げた。
『なるほど。――この娘、確かに主殿の知己のようだ。肉体からはわたしの魂の気配は感じられないが……魂の方が混ざり合っている』
「何だよ……それ」
『おそらく、わたしの魂の欠片に喰われた際に、混ざり合ったのだろう。この娘の記憶や人格が残っているのは、最期に何らかの執着があって、それが死の間際、わたしの欠片に一瞬ながらも打ち勝ったというところか』
「執着……?」
呟くアルヴィーに、メリエは可愛らしく小首を傾げた。
「うーん、そっかあ。これって執着になるのかなあ。――ねえ、アルヴィー」
こつり、とブーツの踵を鳴らし、メリエはアルヴィーに歩み寄る。彼を上目遣いに見つめ、彼女はにっこりと笑った。
「あたし、アルヴィーに会うために戻って来たのよ。だから……ファルレアンなんかにはあげない」
「――っ!?」
とっさに飛び退いたアルヴィーの胸元を、彼女の左手――《竜爪》の切っ先が掠める。鋭い痛みが走り、斬り裂かれた制服の切れ目から、銀色の輝きが零れ落ちた。
「あ……!」
それは、四枚の識別票だ。さっきの一撃でチェーンが切れたのだろう。受け止めようとしたアルヴィーの指の間をすり抜け、小さな金属片が地面に散乱する。
その内の一つを、メリエの右手が拾い上げた。
「それ……あたしたちの識別票? アルヴィー、ずっと持っててくれたんだね」
「……やっぱ、俺のこと恨んでんのか。――俺が殺したようなもんだもんな、おまえのこと」
じくじくと疼く傷に顔をしかめ、だが瞳を逸らすことなく彼女を見つめる。あの時、アルヴィーは確かに、彼女ではなく親友を選んだ。だから、その結果彼女に恨まれることになろうとも、そこから目を逸らしてはならないのだ。
だが――メリエは心底不思議そうに、きょとんとアルヴィーを見つめ返した。
「恨む? 何で?――そっか、今さっき斬り掛かったの、アルヴィー勘違いしてる?」
合点が行ったように頷くと、メリエはくすくすと笑った。
「違うよ。さっきのは、単にアルヴィーにおとなしくして欲しかったから。だって、そうしないとアルヴィーはあたしたちに付いて来てくれないって、シアが言うから」
「……シア? やっぱりシアが絡んでんのか?」
シア・ノルリッツ――そう名乗っていた、彼女。アルヴィーたちを《擬竜兵》として生まれ変わらせ、レドナで友軍を皆殺しにして姿を消し、そしてアルヴィーのもとに使い魔としてフラムを送り込んできた。彼女の目的が何なのか掴めるかもしれないと、アルヴィーは目を鋭く細める。
それと、ほぼ同時。
城の上空に、巨大な魔法陣が浮かび上がった。
『――皆様、初めまして。わたくしはレティーシャ・スーラ・クレメンタイン。百年前に滅びたとされる、クレメンタイン帝国の唯一の継承者です』
その玲瓏たる声は、まるですぐ傍で話しているかのように、城内の人々の耳に届いた。それは、建物の中にいた人々も例外ではない。玉座に座したアレクサンドラを始めとしたファルレアン上層部、そしてオークション会場に足止めされたままの、各国からの賓客たちも。
「……風の下位精霊たちが、怯えている……」
呟き、アレクサンドラは長杖を握り締めた。
『本日は、大陸各国の重鎮がおいでになるとのことで、この地に参りました。勝手ながら、この場をお借りして申し上げますわ』
今や、地上の人々は食い入るように、上空の魔法陣を見上げている。
そして――わずかな沈黙の後。
地上をメリエに任せ、広場を見下ろす建物の屋上に転移したレティーシャは、高らかに宣言した。
『本日この時をもって、クレメンタイン帝国を再興致しますことを、このわたくし、レティーシャ・スーラ・クレメンタインの名において宣言致します』
それは、再び歴史が動き始めた瞬間だった。




