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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第七章 流転の時
52/136

第51話 深く、静かに

「――まったく、困ったものですな」

 とある屋敷の一室。窓の代わりとでもいうように壁に風景画や肖像画が掛かり、中央には大型の円卓がしつらえられているそこで、声の主は大きくため息をつきながら、手にした手札カードの内から二枚、円卓の上に放り出す。

 卓を囲むのは全部で六人。いずれも遊戯用の手札カードの束を持ち、中央の山から順繰りに札を取っては、手札と見比べて時々対になったものを捨てていく。もっともこれは“本題”の傍ら暇を潰すだけの、ほんの手慰みだ。真剣に勝負ゲームをしている者はいない。各自の席の前には、捨てられた札の他に華奢きゃしゃな作りのワイングラスも置かれ、芳香を漂わせる深紅のワインが、時折客人たちの舌を楽しませていた。

「この頃とみに、《女王派》の力が強くなっている。やはり、ギズレ元辺境伯の一件が痛過ぎましたな」

「ブライウォード侯爵家も《女王派》に取り込まれたようですしな……いっそのこと、息子を王配にでも差し出しますかな」

「ははは、あの娘とめあわせるなら、よほど上手く猫を被らせねばなりますまいよ」

 笑い声があがるが、それはどこか空々しいものだった。

「……しかし、《擬竜騎士ドラグーン》が《女王派》に付いたのも大きいですな」

 別の人物が手札カードを捨てながら話を元に戻す。先ほどの笑い声で緩んだ空気が、また張り詰めたようだった。

「しかも、よりにもよってクローネル伯の息子の親友とは……ただでさえ目障りな男が、余計に目障りになりましたな」

「あの男のことだ、《擬竜騎士ドラグーン》という札を最大限に使うでしょう。まったく、厄介なことだ」

「……その《擬竜騎士ドラグーン》とやら、こちらに取り込めぬものでしょうか」

「難しいでしょうな。クローネル伯の息子との結び付きはかなり強いようだ」

「しかし所詮しょせんは平民。金でもちらつかせれば――」

「さて、それはどうですかな」

 さらに別の人物が、中央の山から手札カードを取りつつ投げやりに切り捨てた。

「……わたしが聞き込んだ話によると、その《擬竜騎士ドラグーン》とやら、例の《下位竜( ドレイク)》の素材の大部分を国に献上するそうですぞ」

「なっ」

「《下位竜ドレイク》を……! 正気か」

「一体どれほどの額になることか……まさか、金の計算ができぬわけでもあるまいに」

「出身が僻地へきち過ぎると、そもそも金銭に興味が薄いのやもしれませんな。――だが、考えようによっては、素材を献上することでさらに足場を固めたと見ることもできるわけか」

 一人の意見に、他の面々は顔を見合わせる。

「なるほど」

「確かに、高位元素魔法士ハイエレメンタラーである上に《下位竜ドレイク》の素材を惜しげもなく献上するとなると、国としても下手な扱いはできませんな」

「しかも血が続く限り五百年の火竜の加護付きと来れば、是が非でも手元に留めておきたいところでしょう。ことによると、爵位の一つでも与えるやもしれませんぞ」

「いや、それはさすがに時期尚早じきしょうそうというものでは」

「ですが、男爵位や子爵位程度ならば、領地を持たぬ者も一定数おりますしな。あの女王のことだ、あり得んとも言い切れますまい」

「む……」

「それは、まあ……」

 女王アレクサンドラは、まだ十代と若いせいか、意外と型破りなところがある。それこそ、《擬竜騎士( アルヴィー)》がいい例だった。何しろ彼は、元は敵国の兵士なのだ。確かに、その戦闘力を考えれば味方に引き入れるのは“有り”だが、それにしても旧来の王にはない果断さで、彼女はそれを決めた。そんな彼女であれば、戦功(いちじる)しい《擬竜騎士( ドラグーン)》をさらに強固にこの国に縛り付けるため、爵位を与えるくらいはやってのけるだろう。それは、彼らにも容易に想像できた。

「――とにかく、我々は今後のことを見据えて動かねばなりませんからな。使える手札ふだは多い方が良い……場合によっては“竜の鎖”を切ることも考えねばなりますまい」

「では……」

「ちょうど、使えそうなこまにも心当たりがありますのでな。まあ、子細はおいおい詰めていくと致しましょう」

 それをしおに、彼らは各々(おのおの)立ち上がる。円卓の上には手札カードとワイングラスが置き去られ、それらは客人たちと入れ替わりに入室した使用人たちの手で、丁寧に片付けられていった。やがて後片付けを終えた使用人たちも、潮が引くように静かに立ち去る。

 扉が閉じられ、部屋はただ沈黙に包まれた。



 ◇◇◇◇◇



 王都ソーマの貴族街近く、とある紅茶店。

「――へっくし!」

 親友の盛大なくしゃみに、ルシエルは少し眉を寄せた。

「どうしたの、アル。風邪でもひいた?」

「んなことはないと思うんだけど……そういや、誰かに噂されてるとくしゃみ出るって、どっかで聞いたな」

「へえ、そんな話があるのか」

「誰に聞いたんだっけかなあ……」

 アルヴィーは首を捻っていたが、やがて思い出すのを諦めた。

「ま、いっか。――それよかルシィ、どうだった、小母おばさんの方」

「ああ……母さんは大丈夫。屋敷のみんなも気遣ってくれてるし、第一あの村できたえられたからね。貴族の奥様に怒鳴り込まれたくらいじゃ動じないよ」

「……ルシィおまえ、それ返事に困るんだけど」

 ルシエルの継父だった男のことを思い出し、アルヴィーは顔をしかめた。彼の中では未だに、今まで出会った人間の中で最低辺争いをしている男だ。

 ――《下位竜ドレイク》の素材の中で必要とする分だけを選別し、残りを国に譲渡する手続きを済ませて、アルヴィーはクローネル邸を訪れていた。とはいえ、さすがに伯爵邸に事前連絡アポなしでお邪魔するわけにはいかないので、そこは《伝令( メッセンジャー)》の出番である。そうしてルシエルと連絡を取り合い、この店で落ち合って詳しい事情を聞いているところだった。

「でも、そっか。大丈夫ならいいんだ。――ほら、何ていうか、面倒そうな人じゃん、領地からわざわざ王都まで馬車飛ばして来るなんてさ」

「あの人たちは、兄上が家を継ぐと信じきってたから……いきなり廃嫡はいちゃくされて、動転したんだろうね」

 基本的に、ファルレアン貴族は長子相続だ。爵位や領地は嫡子ちゃくしがすべて相続し、次男以下は(何らかの理由で嫡子に繰り上がらない限り)他家に婿養子むこようしに入るか、あるいはルシエルやジェラルドのように騎士団に入り、自力で身を立てるのが通例だった。そのため異母兄のディオニスも、多少羽目を外したところで自分が後継者であることは動かないと思い込んでいたのだろう。まさか、それが根底から引っ繰り返るとは思いもせずに。

「けど、ルシィがゆくゆくはご領主様かあ。すげーよなあ」

「これからが大変だけどね。僕は領地経営に関しては素人だから、一から勉強しないと」

「うわあ……」

 親友の労苦を思いやり、アルヴィーの顔も引きつる。彼自身、お世辞にも勉学が得意な性質たちとはいえないので余計だ。まあ、ルシエルは勉学の方も優秀なので、そつなくこなすだろう。

「……頑張れよ。俺も手伝えることあったら手伝うからさ。――ぶっちゃけ頭が追っ付かない気はするけど」

「ああ、まあさすがに、父上が教師役を付けてくれるそうだし……領地には優秀な代官もいるから、すぐ一人で現場に放り込まれるわけじゃないよ」

「へー……でもそれもそうか、ルシィの親父さん、ずっと王都こっちに入り浸ってるもんな。どうやって領地の方の面倒見てんのかと思ってたし」

「伯爵家以上の家の当主は、父上みたいに閣僚になることもあるし、そうでなくても王都に留まりたがる人が結構いるからね。自分の跡継ぎや代官に領地を任せっきりの人も少なくないよ。やっぱり王都の方が生活するにも色々便利だし、人脈を広げたりするにも有利だから」

「人脈かあ……」

 むう、と唸って、アルヴィーは天を仰ぐ。アルヴィー自身、この国で足場を固めるためには様々な人脈が必要になるだろう。とはいえ、親友の父が現職の副大臣で上司は侯爵家次男、女王その人にもじかで面識があるのだから、スタート時としては破格の恵まれっぷりかもしれないが。

(でも、それで慢心してちゃいけないんだよな、多分)

 アルヴィーを取り巻く状況は、時を追うごとに複雑さを増している。そんな中を上手く渡って行くには、人脈もさることながら、アルヴィー自身が機を読めるようになり、自分の考えで判断を下せるようにならなければならないのだろう。

 だから、様々なことを知らなくてはならない。この国のことも、それ以外のことも。

(……ってことは、俺も勉強しなきゃ駄目ってことか……)

 到達した結論にちょっと項垂うなだれたくなったが、ルシエルも通った道だと自分を励ます。

「アル?」

 いきなりどんよりした空気をかもし出し始めたアルヴィーに、ルシエルが気遣わしげに眉を寄せたので、アルヴィーは慌てて手を振った。

「や、何でもねーよ。――あ、そうだ。俺、ルシィに渡しときたいものがあったんだ」

「渡したいもの?」

「ああ」

 ごそごそと魔法式収納庫ストレージを漁り、アルヴィーは“それ”を取り出す。


「これ、《下位竜ドレイク》の皮なんだけどさ」


 ひょい、と渡されかけたそれに、ルシエルはうっかり紅茶を気管に入れてしまった。

「けほっ、ちょ、それっ」

「おいルシィ、大丈夫か!?」

「だ、大丈夫、大丈夫だからそれとりあえず仕舞って!」

 《下位竜ドレイク》の表皮といえば、貴族が大金を積んででも欲しがる代物だ。それを土産物か何かのように平然と――しかも客層が良いとはいえ店の中で――渡されかけて、ルシエルは頭が痛くなった。しかもアルヴィーが渡してこようとしたそれは、明らかにある程度の面積がありそうだ。

「……あのね、アル。この際だから言っておく。それ、こういう店先でひょいひょい渡すような代物じゃないから」

「え、駄目か?」

「駄目。ばれたら大騒ぎになる」

「そっか。悪い」

 全身で“マズイです”と主張しているルシエルの様子に、アルヴィーも察してそれを元通り魔法式収納庫ストレージに戻した。

「……でもそれ、アルが返還して貰った分だろ? どうして僕に?」

「っていうかむしろ、みんなに分けるために一部返して貰ったんだけど。ほら、ルシィの剣、新しくして鞘も新調したけど、やっぱ鞘が剣身と釣り合わないみたいだし。だから《下位竜( ドレイク)》の皮で作ればいいんじゃないかと思ってさ。後はルシィの隊のみんなと、一応大隊長んとこと、一三八小隊と、それから……」

 指折り数え出したアルヴィーに、ルシエルは再び痛み出した気がするこめかみを押さえた。

 ルシエルの愛剣《イグネイア》の剣身は、元々はアルヴィーの《竜爪( ドラグ・クロー)》だ。《上位竜( ドラゴン)》の鱗と同等の強度と力を内包ないほうするそれを納め続けておくには、確かに通常の素材で作られた鞘では明らかに力不足だった。しかし《下位竜( ドレイク)》の皮であれば、この剣身に見合う鞘を作れるだろう。

 ……とはいえ、《下位竜ドレイク》の素材など、普通はそう配り回るものではないのだが。この辺り、村で獲物を分け合っていた猟師時代の感覚が、まだ抜けていないと見える。

(多分、身内認定なんだろうな……)

 アルヴィーは懐に入れた者には寛容かんようだ。手助けや援助も惜しまない。今回のこれも、アルヴィーにとってはその一環に過ぎないのだろう。獲物のスケールが違い過ぎはするが。

「……とりあえず、家に戻ろうか」

 その辺りの常識を改めて教え込むため、そして何よりアルヴィーがどんな代物を配り回ろうとしているのか確認するため、ひとまず自宅に連れ帰るべく席を立つルシエルだった。



 ◇◇◇◇◇



 レクレウス王国はその日、歴史的な瞬間を迎えた。

 つい先日まで活発に軍議が行われていた議場には、国王ライネリオの姿はなく、代わりに以前ならば議場には足を踏み入れたこともなかった、子爵位や男爵位の下級貴族の姿がある。彼らを含め、貴族たちは高揚と不安がないぜになった面持ちで、壇上に上がった男の姿を見つめた。


「――さて、皆様方。この度はお集まりいただきまことに感謝します」


 ナイジェル・アラド・クィンラム公爵――彼がこの日発足する貴族議会の代表であることは、もはや周知の事実だった。長年王家の影として仕え続けてきたクィンラム公爵家が、ついに太陽の下へと足を踏み出したのだ。

「とはいえ、現在この国が存亡の危機を迎えているのは皆様もご存知のことでしょう。ゆえに手短に述べますが――今日この時をもって、ここにいる我々で貴族議会を発足させ、以降、国としての意思決定はこの貴族議会での会議によって行うこととします。また、現国王ライネリオ一世陛下はご健康を害され、王位を退かれることとなりました。これにより、王位は弟君にして王太子殿下であらせられるレイモンド殿下が継承なさり、議会の決定はレイモンド“陛下”のご承認をたまわった上で発効することとなります」

 ライネリオの即位によって王太子となったレイモンド・ソラム・レクレウスは、まだ十歳を超えたばかりの少年だ。当然、為政者いせいしゃとしての知識もほとんど学んでいない。明らかに傀儡くぐつの王となることを望まれた即位であった。これも、この場にいる貴族たちにとっては織り込み済みのことなので、低いざわめきが起こったのみに留まる。

 何しろこの場には、ナイジェルの側に付き、政権奪取を支持した貴族たちしかいないのだから。

 ライネリオの乱心をでっち上げ、強硬派の足場を崩したナイジェルは、かねてから計画していた通り、密かに話を付けておいた貴族たちに呼びかけ、貴族議会をち上げた。同時にライネリオを療養と称して王宮内の一棟に軟禁し、完全に表舞台から遠ざけた後、前国王グレゴリー三世の死去と現国王ライネリオ一世の近日中の退位を国内に布告。そして、現国王最後の命として、ファルレアンからの降伏勧告を受けての停戦を全軍に通達した。もっとも、レクレウス軍はすでに満身創痍まんしんそういであり、そもそもこれ以上戦線を維持する余力などほとんど残ってはいないが。

 そして停戦交渉を進める傍ら、宰相を始めとする強硬派貴族に接触、集めていた汚職の証拠を突き付けることで彼らを黙らせた。停戦交渉自体は事前にファルレアン側の代表、ヨシュア・ヴァン・ラファティー伯爵と秘密裏に進めていたので、強硬派が手を打つ間もなく一気呵成いっきかせいに事を押し進めることができたのはめでたいことだ。

 そういった諸々の面倒事を乗り越え、ナイジェルは今日この日を迎えた。

 彼の演説に、貴族たちは期待の色を浮かべて聞き入る。特に表情が明るいのは、かつてライネリオの命令で北方領主ユフレイアを襲撃した、例の近衛兵たちの身内だ。彼らは王家の裏切りによって罪をすべて被せられ、宮廷でもその存在を黙殺されていたが、ナイジェル側に付くことによって晴れて復権を果たしたばかりか、貴族議会にも参加できることとなった。


「今までは王家や一部の上級貴族にしか、まつりごとへの参加を許されてはいなかった。だがこれからは違います。爵位に関係なく、国を良くするための意見を頂戴したい。様々な意見が集約されてこそ、より良い方策が生まれるのです。ここにお集まりの方々には、それを証明していただきたい!」


 ナイジェルの最後の一言に呼応するように、歓声が議場に満ちた。

 場を掌握しょうあくしたことを確信し、ナイジェルの唇に薄く笑みが浮かぶ。

(これで良い。このまま王家の影響力を次第に排除していく……“王”という存在自体はまだ必要だが、それは為政者としてではなく旗頭はたがしらとしてだ。口を出さず、人形のように玉座に座っていてくれれば良い)

 とりあえず、今回の戦争の責はライネリオに負って貰う。退位の理由も、健康を害したというものと、今回の戦争責任を取るためという二つを並べておいた。先代国王の病没も公表したので、そちらに責任を押し付けることもできまい。強硬派の上級貴族たちはナイジェルの強引な手法に初めこそ反発を見せたが、情報収集の過程で集まった商人との癒着の証拠と共に、諸共に戦争責任を負うかと軽く脅しを掛けただけで、いともあっさりと態度をひるがえした。彼らはライネリオに忠誠を誓っていたわけではなく、ただ単にその権力のお零れで甘い汁を吸いたかっただけなのだ。それがなくなり、逆に自分の身も危ないとなった途端に、もう老齢に近い彼らはあっさりと、年若い国王を見限った。その卑小さに内心眉を寄せながらも、ナイジェルは表面上はにこやかに彼らを解放した。もちろん裏では、何かを企むようならすぐに破滅させられるよう、入念に準備は整えて。

 ひとしきり歓声をそのままに、ナイジェルは議場を見渡すと、頃合いを見て手を挙げ、貴族たちを制した。

「――それではこれより、早速議会を開会致しましょう。議題は……」


 そんな活気に満ちた議場とは対照的に、王城の奥まった場所にある、独立した棟の一つ。


「――くそっ!」

 罵声と共に、がしゃん、と物が壊れる音が響いた。

「おのれ、クィンラム……! おのれ、おのれぇっ!!」

 名ばかりの王と成り果てたライネリオは、押し込められたこの一室で、室内の調度品を片っ端から投げ付けて壊しながら、自らをこの状況に陥れた相手に対し呪詛じゅそのような罵声を吐き出し続けていた。といっても、ここで暴れているだけなので、当の本人には一切届かないが。

 元々ここは、高貴な身分の病人を収容するための棟だった。身体的な病気だけではなく、精神の方の病を患った者も、ここに収容されて治療を受ける――というのは表向きの話で、特に後者に関しては、むしろ表に出て来ないように半ば幽閉するための施設だ。その場合、ここに送られた者はもはや、社会復帰は絶望的といって良い。

 それを知るがゆえ、ライネリオは歯噛みする。

(クィンラムめ……! 最初からわたしを追い落とすつもりだったか! 戦争の責任をすべてわたしに被せて、自分が表舞台に立つために!)

 今となっては、彼もナイジェルの思惑に気付かざるを得なかった。すべて、ナイジェルによって操られていたのだ。実際は、操っていたというよりはライネリオの先走りを上手く利用されたようなものだが、その辺りについては永遠に気付かないままだろう。

「くそっ、わたしは乱心などしておらん! これは策略だ! 出せ! わたしをここから出せ!!」

 荒い息をつきながら、棟の出入口の扉を叩くが、外からの返答はなかった。扉には外から鍵が掛けられ、窓も鉄の格子が嵌め込まれているため、脱出は不可能だ。棟の内部でなら自由に動け、望んだものは大抵すぐに差し入れられはするが、実態は囚人か何かのような生活である。

 ライネリオがここに閉じ込められ、王妃となったばかりだった令嬢は半狂乱になりながら親元へと戻された。母である前王妃も、愛息子の乱心の報にショックを受け倒れてしまったそうで、援助は期待できない。

(どうにかしてここから出なければ……! このままではわたしはここで朽ちて終わってしまう)

 ぎりりと歯を食いしばり、ライネリオは固く拳を握り締める。

 命はあれども、このままでは生きながらに死んでいるようなものだ。確かにこの手にあったものもすべて奪われ、後は籠の中で飼われる鳥のごとく、だが誰の目にも触れず記憶にすらも残らず――。

(……そのような終わり方など、あってたまるものか……!)

 いきどおりを込めてもう一度強く扉を叩き、ライネリオは怨嗟えんさにぎらぎらと光らせた目を上げた。

 その向こうに、憎き相手を見るかのように。



 ◇◇◇◇◇



 騎士団本部には、基本的に小隊用の部屋などはない。ただ、作戦室や休憩室という名目で、そこそこの数の小部屋が用意されており、簡単な申請だけで気兼ねなく使えるようになっている。

 ルシエルはその内の一室を借り受け、隊員たちを集めた。

 そして現在、彼らは机の上に広げられた物品を、絶句したまま眺めている。

 たっぷりとした沈黙を破り、カイルが引きつった顔で尋ねた。

「……なあアルヴィー、もっぺん訊いていいか? これ何だって?」

「だから、《下位竜ドレイク》の素材だけど。ルシィには鞘用に皮渡したから、みんなも好きなの取ってくれていーぞ!」

 とてもいい表情でアルヴィーが勧めるが、隊員たちの顔は引きつったままだった。

「……隊長……これ、どれだけの価値があるのか、彼、本当に分かってるんですか……?」

「その辺はきっちり教え込んだよ。――だけど、その辺にまったく興味がなくてどこまでも他人事なんだ、アルは。猟師だった時に狩った獲物を村中で分けてた感覚が、どうしても抜けないらしくて……」

 どこか疲れたような表情のルシエルに、シャーロットは心底同情した。幼い頃から染み付いた価値観というのは、かくも塗り替えるのが難しいものらしい。

 しかし、その稀少価値を考慮しての空恐ろしさを別にすれば、《下位竜( ドレイク)》の素材は確かに魅力的ではある。武器に仕込むも良し、装身具か何かに加工してマジックアイテム化するも良しの優れものだ。

「……ま、せっかくだしくれるってんなら有難く貰うぜ。俺は得物に仕込むか」

 まずは割り切ったらしいカイルが遠慮をかなぐり捨て、素材の吟味ぎんみを始める。つられたように、他の面々も素材に手を伸ばした。

「じゃ、好きに選んでてくれよ。俺、大隊長んとこにも届けに行って来るから」

「……ああ、気を付けて」

 彼らが素材を選んでいる間、アルヴィーは別に分けておいた素材を持ってジェラルドの執務室に向かう。未だ彼に対しては敬語が不自由なアルヴィーだが、世話になった自覚はあるし相応に恩を感じてもいるのだ。

 というわけで執務室で同じように素材を広げたアルヴィーは、いつぞやのように室内を驚愕の坩堝るつぼに叩き込んだ挙句に、ジェラルドに一発拳骨を喰らった。

「痛ってー! 何すんだよ!」

「阿呆か! こんな代物をほいほい配り歩くな!」

「別に無差別じゃねーし! ちゃんと相手は選んでるよ」

「まったく……」

 口を尖らせるアルヴィーにため息をつき、ジェラルドは素材を眺める。パトリシアはどこか怖々と、セリオは食い入るように素材を見つめて、気になったものを手に取っていた。

「やっぱり凄いな、竜種の素材は。篭もってる力が段違いだ。――本当にこれ、貰っていいの?」

「ああ、そのために一部返して貰ったんだし」

「じゃあこれ、杖に仕込もう。魔法の出力上がるはずだから。パトリシアさんも、これなんかどうですか? その刺突剣エストック鋳込いこめば、強度が跳ね上がると思いますけど」

 セリオはこういうものに目が利くのか、パトリシアにも勧める。彼女もまた、ためらいながらも惹かれるように、牙の部分を一つ手に取った。

「……凄い……牙っていうより、何かの鉱物みたい」

「まあ竜の牙や爪は、その辺の金属なんか簡単にへし折っちまうからな。――おい、アルヴィー。おまえ、他にもこれを配る気か」

「え? うん、まあ、今まで世話になった相手には一通り」

「……配るのはもう何も言わんが、きっちり口止めしとけよ。噂が広がれば、関係ない奴らも殺到するぞ。相手を余計な厄介事に巻き込みたくはないだろ」

「そ、そっか。分かった」

 素直にこくりと頷いたアルヴィーに、ジェラルドは再度ため息をついた。それが分かる辺りまるきりの馬鹿ではないはずなのに、どうして土産感覚で《下位竜( ドレイク)》の素材を配り回るなどという暴挙をしでかすに至ったのか。

(……多分、群れで生きてる野生動物が、狩りでった獲物を群れの仲間で分け合うような感覚だろうな)

 れっきとした人間を野生動物扱いし――しかしあながち間違ってもいない――ジェラルドは目をすがめて素材を眺めると、骨の一部を手に取った。これだけの力ある素材なら、愛剣《オプシディア》の強化に役立つだろう。

「まあ、せっかくだ。有難く貰っておくさ」

 彼とて、強くなる機会があるのなら、それを棒に振る気はないのだから。

 ――くれぐれも話が外に漏れないよう気を配れときつく言い含められ、アルヴィーはジェラルドの執務室を後にした。部屋を出たところで残りの渡す(予定の)相手を確認していると、誰かがやって来る。

「あ」

「うん?――貴様はっ」

 それが見知った顔だったため、アルヴィーが思わず声をあげれば、相手も顔を上げびしりと指を差してきた。

「えーと、確かウィリアム、うーん……」

「ウィリアム・ヴァン・ランドグレンだ! いい加減覚えろぉぉ!!」

「あ、そうそう」

 肩をいからせて自分の名前を絶叫したウィリアムは、アルヴィーの軽い返答に追加で何か言おうと口を開きかけたが、思い直したように閉じると軽く咳払いした。

「……ふん。まあ、無学な貴様にいちいち腹を立てても仕方ない。――それに、二級魔法騎士となった今、些細ささいなことで激昂していては、資質と品格を問われるからな」

「え、二級? あ、そういやイムルーダ山の時に、推薦がどうとかって言ってたっけ」

「そうだ、聞いて驚け! 僕はこのたびの昇級試験で、二級魔法騎士に昇級したのだ!」

「おおー」

 朗々とぶち上げるウィリアムに、アルヴィーは思わずぱちぱちと拍手する。実際、勉強が苦手な彼としては、任務の傍らわざわざ試験を受けてしかも突破するというのは、結構な偉業に思えたのだ。

「試験合格したのかー。すげーな」

「そ、そうか。まあ、僕の実力をもってすれば、これくらいは当然だがな!」

 自らがライバルと(一方的に)もくしているアルヴィーに素直に感心されて、ウィリアムは一瞬面食らったようだったが、すぐに自慢げに胸を反らす。

「ちなみに今回の昇級試験、騎士団全体で二級合格者は僕を含めてもたったの数名だ。まあ、貴族家の推薦を貰わなければ試験自体受けられんのだから、無理もないがな。――というわけで僕はこれから、カルヴァート大隊長に魔剣の帯剣許可を申請しに行かねばならん。二級魔法騎士ともなれば、魔剣を帯剣することも許されるからな!」

「へー……あ、そうだ」

 そういえばと思い出し、アルヴィーは出て来たばかりの扉を開けると、ウィリアムを引っ張って逆戻りした。ノックもなしの暴挙に唖然としているウィリアムの眼前に、魔法式収納庫ストレージから引っ張り出したものをずいと突き出す。

「……何だこれは」

「ほら、イムルーダ山で《下位竜ドレイク》倒しただろ。そいつの素材だよ。世話になった人に渡してるんだけど、そういやあの時魔法でフォローしてくれたよなって思ってさ。だから、はいこれ」

 ぽす、と渡され、つい受け取ってしまったウィリアムだったが、一拍遅れてアルヴィーの言葉を理解すると同時に、「はぁぁぁぁ!?」と絶叫した。

「なんっ、これ、《下位竜ドレイク》のっ」

「あ、他の人には内緒な。何か、話が広まったら素材欲しさに寄って来る奴いるかもって話だから。じゃ!」

 用は済んだとばかりに手を挙げてアルヴィーが部屋を出て行っても、ウィリアムはしばし素材――どうやら爪の部分のようだった――を握り締めたまま凍り付いていたが、やがて我に返るとぎぎぎ、と執務机のジェラルドの方を振り返った。ジェラルドはどこかあわれみを含んだ目で、ウィリアムを見ている。

「……カ、カルヴァート大隊長……この度は……」

「ああ、分かってる。さっきのは不可抗力だ。話を外に漏らすなって俺が言ったから、人に聞かれないようにここに引っ張り込んだんだろう。気にするな」

 どうやらノックもなしの入室は不問に付されそうだと、ウィリアムはほっと息をついた。そしてどうしたものかと、手の中の爪を見つめる。ジェラルドがひらひらと手を振った。

「せっかくだし貰っとけ。どうせ魔剣をあつらえるんだ、最初から鋳込んじまえばいい。《下位竜( ドレイク)》素材の魔剣なんざ、なかなか豪勢じゃないか」

「は……し、しかしっ」

「まあ、あれだ……猫がたまに、飼い主に獲物を持って来ることがあるだろ。あれと似たようなもんだと思っとけ。深く考えるな。――禿げるぞ」

「…………」

 ジェラルドの暴論に、何とも言いようがなく、ウィリアムはその場に立ち尽くすのだった。



 ◇◇◇◇◇



 《薔薇宮ローズ・パレス》の回廊を、レティーシャはダンテを従えて優雅に歩みを進めている。

 やがて二人は、一つの扉の前で立ち止まった。

「我が君、こちらで?」

「ええ、当面はここを“転移の間”と致します」

 ダンテが扉を開け、先に入室すると、うやうやしく主を招き入れる。二人が足を踏み入れたのは、他の部屋と同じような小部屋だった。ただ、石造りの床にはその面積のほとんどを占めるほどの、大きな魔法陣が描かれている。陣の中にさらに小さな円陣が描かれた、もはや絵画のような美しさを備えたその精緻せいちな魔法陣に、レティーシャはさしたる気負いもないように足を踏み入れた。

「さあ、参りましょう、ダンテ」

「はい、お望みのままに、我が君」

 彼女に続いて陣の中にダンテが踏み入ると、レティーシャは腕輪の形をした魔法式収納庫ストレージから、身の丈ほどもある長杖スタッフを取り出す。

 杖の石突きを魔法陣の中央に突き立てると、レティーシャはうたうように詠唱を始めた。ダンテには理解できない、どうやら相当に古い言葉のようだ。彼女が謡うごとに、杖の宝玉からほろほろと光が零れ、それに呼応するように魔法陣も銀色の光を放ち始める。緩やかに巻き起こった風がレティーシャの髪やドレスの裾を揺らし、彼女をまるで白銀の野に下り立った精霊のように見せた。幻想的なまでに美しいその光景を、ダンテは声もなく見つめる。

 光はますます強くなり、やがて脈動するように明滅が始まった。そして一際(まばゆ)い光が視界を満たし――かちり、と何かが噛み合うような音を、ダンテは聞いた気がした。

「――済みましたわ、ダンテ」

 思わず目をつぶった彼の耳に、主の涼やかな声が聞こえる。彼が目を開くと、そこはすでに宮殿内の小部屋ではなかった。

 優雅なアーチを描くはり、それに支えられた天井は高く、床は《薔薇宮( ローズ・パレス)》のそれを思わせる汚れなき雪のような白。完璧な円形に切り取られたその床の中心は、同心円状に一段高い。そこには同じく真円の魔法陣が刻み込まれ、彫り込まれた線は銀色に輝いていた。

「ここは……もしかして、サングリアムの?」

「ええ、領主の居城に設置してある転移魔法陣ですわ。有事の際には防衛のためすぐに帝都クレメティーラから飛べるように、サングリアムには密かに転移魔法陣を敷いてありましたの。代々の領主にだけはそのことが伝わっていたはずですけれど、きっとどこかで失伝してしまいましたのね。クレメティーラ側の陣は、あの大戦の折にサングリアムからの侵攻を防ぐために破棄してしまいましたし」

 サングリアム大公の宮殿は、大公がまだ帝国内の一領地の領主であった頃の居城の設備を、今なお色濃く残している。帝国時代、サングリアムの地はポーションの製造拠点であり、帝国内でも優先して整備が行われ、当時最先端の技術を惜しみなく注ぎ込まれた土地だった。もっとも、解析されることがないよう、技術の中核部分は開示していなかったので、サングリアムの方では設備を使うことはできても整備や修繕はできないようになっていたが。

 その技術は現在でも解析が叶わず、サングリアムは帝国の遺産であるポーション製造施設を、帝国から教えられた手順シークエンスに従って運用することで、ポーションの流通の大部分を握り三公国の一角として生き残ったのだ。そしてその優位を他国に奪われないよう、他国からの施設の調査要請を頑として撥ねつけてきた。そのせいで、今に残った数少ない帝国時代の遺産は、未だに解析が進んでいない。

 しかしそれはこうして今、再びクレメンタイン帝国を冠する者の手に戻ってきたのだった。

「……我が君、まずはどちらへ?」

「そうですわね、転移魔法陣の接続も済みましたし、城内の様子を確認致しましょう」

かしこまりました」

 ダンテは一礼し、主に手を差し出す。杖を仕舞ったレティーシャも当然のように手を預け、エスコートを受けて段差を下りた。

 魔法陣のある部屋は、城内の一画、寂れた小さな塔の中に位置していた。出入口には固く封印が施されていたが、ダンテが《シルフォニア》で扉ごと斬り飛ばして道を開く。どの道、彼らしか使うことのない施設なのだから構うまい。

 そんな二人の足下に、城館の方から伸びてきた茨が忍び寄ってきた。だが、寸前で見えない壁に突き当たったかのようにぴたりと止まり、そして二人を避けるようにして方向を変えて地を這っていく。城館に近付くにつれて、濃密な薔薇の香りが二人を包んだ。

「まあ、よく育ちましたわね」

 ほぼ茨に包まれきった城を見上げ、レティーシャは満足げに微笑む。彼女が足を踏み出せば、茨はまるで彼女を迎え入れるように、ざわざわとうごめいて道を開けた。その向こうには、城内へ続く出入口。

「良い子ですわね」

 茨を愛おしむように声をかけ、レティーシャはダンテを伴い城内に入る。

 城の中は、外にも増して濃厚な薔薇の香りが満ちていた。その中を、茫洋ぼうようとした表情とどこか頼りない足どりで、侍女や文官が行き交う。彼らはまるで、レティーシャたちの姿が見えていないようだった。

「上手く思考が麻痺しているようですが……国の運営を考えれば、使い物にはなりませんね」

「雑事をこなしてくれればよろしいのですから、問題はありませんわ。運営についてはわたくしが考えれば良いことですもの」

「確かに。出過ぎたことを申しました」

「構いませんわ」

 鷹揚おうように微笑み、レティーシャはダンテの案内を受けて大公の執務室に向かった。

 ――執務室の近くまで来ると、薔薇の香りを掻き消すほどの血と死の臭いが、二人の鼻を突いた。

「あらあら」

 レティーシャはまるで子供の悪戯いたずらを見たかのように小首を傾げ、腕輪からまた別の杖を取り出すと短く詠唱。残されたままだった近衛兵のむくろは一瞬で炎に巻かれて燃え尽き、後には崩れかけた骨と灰が残った。炎は骸だけを焼き、その下の床には焦げ目一つ付けていない。恐ろしいまでに見事な魔法制御だった。

「お手をわずらわせまして申し訳ありません、我が君」

「問題ありませんわ、ダンテ。――それよりも、必要なものを仕分けてしまわないといけませんわね」

 彼女たちがここに来たのは、サングリアム公国がポーションで得ていた利益の全容を掴むためだ。レティーシャはこのサングリアム公国を隠れみのに、ポーション製造によって生み出される莫大な資金を手に入れようとしていた。


 すべては、彼女の目的のために。


「――さあ、始めましょう、ダンテ。他国が異変に気付かない内に、事を進めてしまわなくては」

「畏まりました」

 一礼し、ダンテは執務室の扉を開けた。


 ――水底を這うように、深く、静かに。

 かつて滅びた国が密やかに牙を研いでいることを、まだ、誰も知らない。


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