第4話 ナイトメア・ナイト
まだまだ戦闘パート続きます。
エグい描写も健在ですので苦手な方はご注意ください。
レドナ侵攻作戦の本部たる指揮所――その天幕の中では現在、研究者たちが頭を掻き毟らんばかりに苦悩していた。
「馬鹿な……!暴走だと!?」
「データ上では、そんな兆候は少しも――」
「皆さん、落ち着いて! とにかく、現在のデータを少しでも収集するのです!」
シアが手を叩き、男性研究者たちはようやく、少しばかり落ち着いたようだった。
「落ち着かなければ、状況の打開もできませんわよ?」
「そ、そうだな……我々としたことが」
「《擬竜兵》に付けた使い魔はまだ生き残っているか?――やっぱり全滅か。よし、ならば新しい使い魔を飛ばせ。何としてもデータをこちらに送らせろ」
研究者たちはひとまず落ち着いたが、作戦指揮を任されている将校たちの方はそうもいかなかった。
「そんな呑気なことを言っている場合か! レドナが灰燼に帰してしまっては、今回の作戦は失敗なのだぞ!?」
「どう責任を取ってくれるのだ!」
軍としては、レドナの街をできるだけ無傷で占領し、そのまま前線基地として使おうと目論んでいたのだ。だがこのままでは、その目論見もレドナもろとも灰となってしまいかねない。そうなれば、彼らの首も物理的に危ないのだ。
だが、シアは相変わらず穏やかに笑みを浮かべたままだった。
「大丈夫ですわ」
「だから、どう大丈夫だというのだ!」
「レドナの件に関しては、あなた方が心配するような事態は起こりませんわ。わたくしたちはとにかく、あの子たちのデータを収集しなければならないのです。――せっかく、ここまで研究が進んだのですから」
彼女の言葉に、何となく噛み合わないものを感じて、デニス・マクマトン少佐はシアを凝視する。その手は無意識に、腰の剣の柄を握っていた。
だが――それをすぐさま抜かなかったことが、彼の運命を決めたのだ。
「……頃合ね。いらっしゃい、ダンテ」
透明な石のはまったピアスが光る左耳に手を当て、シアが謡うようにそう告げた次の瞬間――天幕内を颶風が駆け抜け、血飛沫が舞った。
「――ご無事ですか、我が君」
いつの間にかシアに寄り添うように立っていたのは、まだ年若い青年だった。ココアブラウンの髪にエメラルドのような翠緑の瞳をして淡く微笑すら浮かべた、二十歳ほどの柔和な顔立ちの青年だ。だが彼が見掛け通りの温和な人間でないことはすぐに分かる。
なぜなら彼は、鮮血に染まった抜身のサーベルを、その手に携えていたのだから。
二人の眼前、先ほどまでシアに食って掛かっていたレクレウス軍の将校たちは、今や一人残らず物言わぬ骸と化していた。青年の目にも留まらぬほどの速い斬撃に、ろくに迎撃もできずに斬られたのだ。
「ええ。――必要なデータももうすぐ集まりますし、ここに留まる理由はもはやありません。少しあなたの手を煩わせてしまいますけれど、後始末をお願いしますわ、ダンテ」
「仰せのままに、我が君」
ダンテと呼ばれた青年は、優雅ですらある動作でサーベルを構える。惨劇を目の当たりにしてさえなお目の前で起きた事態が信じられずに、ゴーラ・ザーフィル博士は喘ぐように呟いた。
「ノ、ノルリッツ博士。その青年は、き、君は、一体――」
「そうですわね。長らくわたくしの研究にご協力いただきましたし、ご紹介致しますわ」
シアは、これが本来のものなのだろう、普段にも増して上品な口調で青年を示す。
「彼はダンテ・ケイヒル。わたくしの騎士ですわ。そしてわたくしの本来の名は、レティーシャ・スーラ・クレメンタイン。――もっとも、もうご存知の方はいらっしゃらないでしょうね。時の流れだけは、致し方ありませんもの」
シア――否、レティーシャと名乗った女はそう微笑むと、使い魔からのデータが送られ続けている水晶板に向き直る。
「ではダンテ、後はお願いしますわ。そうそう、ここにある資料はまだ必要ですから、できるだけ血で汚れないようにしてくださると有難いですわね」
「はい、お望みのままに」
ダンテは微笑み、そしてその姿が掻き消えた――そう思った瞬間、ゴーラの首筋から鮮血が噴き出す。研究者たちは自らの目を疑ったが、彼らもまた、自分の目を疑っている間にゴーラと同様の運命を辿ることとなった。
白かった天幕の内部は飛び散った血で真っ赤に染まり、だがレティーシャがいる一角だけは、一滴の血も飛ぶことなく綺麗なままだ。そしてダンテ自身も、目立つほどの返り血は浴びていない。これだけの惨劇を作り出しつつ、彼は返り血の角度まで調整したのだ。恐ろしいまでの腕前だった。
「ご苦労様、ダンテ。相変わらず素晴らしい腕ですわね」
「勿体無いお言葉です、我が君。――外の者たちも始末致しますか?」
「ええ、そうですわね。わたくしはここでもう少しデータ収集と資料の整理を続けておりますから、お願いできるかしら」
「もちろんです。では少々、お傍を離れさせていただきます」
ダンテはまさしく騎士のように一礼し、天幕を出て行った。程なく、外から断末魔の絶叫や、魔動銃の発射音が聞こえてくる。が、レティーシャは意にも介さず、水晶板に映し出されるデータの記録を続けた。どうせ、彼女の騎士を傷付けられるような者など、ここにはいないのだから。
次々と送られてくる、世界に唯一の《擬竜兵》のデータに、彼女はいつしか少女のように無邪気な笑みを浮かべていた。
◇◇◇◇◇
「第二一三騎士小隊、全滅! 全滅です!」
「くそ、何だあの化け物は……!」
レドナ・一般街区。騎士団の数個小隊が、ただ一人の青年を遠巻きに取り囲み、恐怖を貼り付けた表情を向けている。
その青年もまた、《擬竜兵》だった。男にしては長めの髪を熱風になびかせ、異形の右腕を携えて、狂気にぎらつく目で周囲を睥睨する。
「っ、撃て!」
号令と共に、周囲の建物の屋上に陣取った魔法銃士たちが、狙撃用魔法小銃で一斉に青年を狙い撃つ。ほぼ全方位からの攻撃魔法弾の強襲を、しかし青年は右腕と《竜の障壁》でほとんど弾き返した。いくつか命中弾はあったものの、彼の身体は抉られた側からすぐに再生し、後には噴き出した血の痕しか残らない。
「ば、化け物め……!」
指揮官が軋るような声で吐き捨てる。
「ひゃははハハははハははハハ!!」
青年――エルネス・ディノは狂ったように笑い声を撒き散らし、《竜の咆哮》で周囲を薙ぎ払った。連射する内、その右腕と肩の魔力集積器官が次第に形を崩し、不自然に蠢き始めたが、彼は気に留める様子もなく蹂躙と殺戮を続ける。
「ひゃハははハハ――」
その狂笑が、突如途切れた。
いつのまにか彼のすぐ後ろに、一人の男が立っている。魔法騎士団の制服を纏い、しかもその上着の飾り緒と襟元の徽章は、彼が大隊を預かる地位の者だと示していた。黒髪黒目の、端正にして精悍な容貌の彼は、手に漆黒の刃を持つ長剣を握り、それを振り抜いた姿勢で動きを止めている。
そして、一拍の後。
ドチャッ、と重たく湿った音がして、エルネスの右腕が肩口から千切れて落ちた。一太刀に斬り落とされたのだ。
「なッ、がぁああぁぁッ!?」
思わず左手で傷口を押さえ、絶叫するエルネス。そこへ、年若い少年の声が割って入った。
「戒めろ――《晶結鎖牢》!」
詠唱に伴い、エルネスの左右に出現する魔法陣。そこから結晶の鎖が迸り、エルネスの身を幾重にも縛り上げる。
そして――。
「薙ぎ払え、《烈風重刃》!」
詠唱と同時に、漆黒の長剣がエルネスの首筋に、正確に打ち込まれた。ただ斬っただけなら、あるいは常識外れの回復力により、斬られ方によっては傷を塞げたかもしれない。だが傷口に刃と共に叩き込まれた爆風が、傷口の癒着を阻み、首を遥か頭上へと吹き飛ばした。
「…………!」
断末魔の悲鳴さえ零せぬまま、エルネスの首は宙に舞い、そして地面に墜ちた。その後を追うように捕縛の魔法が解かれ、胴体の方も崩れるように地面に沈む。首と一緒に斬られ舞い上がった灰色の髪が、上空で熱風に煽られて散っていった。
自身の死を理解していないのか、信じられないという顔のまま落ちている首を見て、エルネスを斃した男はむしろ意外そうに漏らした。
「何だ。馬鹿みたいな回復力があっても、一瞬で首を落とせばやっぱり死ぬのか。右腕以外は腐っても人間だった、ってことか?」
ジェラルド・ヴァン・カルヴァートは、それ以上は興味もないというように、長剣の刃を拭って鞘に納める。瞬間、周囲の騎士たちから歓声が沸き起こった。
「すげえ……! さすが一級魔法騎士!」
「っていうか、戦闘力はもう特級クラスっていうの、あれ本当なんじゃないか?」
「あんな化け物を、あれほど容易く仕留めるとは……」
周囲の賛嘆と驚愕の声を気に留める風もなく、ジェラルドは付き従う部下に声を投げる。
「で? 次はどこだ?」
「ここからなら、中心街区の方が近いです。十四番地区に出現報告が。一般街区ですと、二十五番地区になりますね」
彼の副官である二級魔法騎士、パトリシア・ヴァン・セイラーが無表情で報告した。ペールブルーの髪とサファイアブルーの瞳の、人形のようなどこか硬質の美貌の女性騎士だ。愛剣である刺突剣を腰に帯び、左耳に着けた魔動通信機から飛び込んでくる情報を、随時管理しながらジェラルドに伝えている。
「あー、中心街区か……そっちもそこそこ人員出てただろ?」
「はい、騎士小隊三十八個と魔法騎士小隊二十五個が出撃しています」
「そんだけ出てりゃ殲滅くらいできるだろ。諜報部隊からの情報にもあったが、《下位竜》並みのスペックっつっても、所詮は付け焼刃みたいなもんだ。不意を打つなりして攻撃前に仕留めりゃ案外いけるぞ。――おい、そこの死体、ちゃんと持って帰れよ。腕もな」
「はっ!」
声を掛けられた近場の騎士が、慌てて背筋を伸ばし敬礼した。そして本体と分かたれたエルネスの右腕に怖々と手を伸ばす。
――ごそり。
まさにその瞬間、異形のまま落とされた右腕が、まるで生あるもののように蠢いた。
「うわっ!?」
思わず悲鳴をあげて飛び退いた騎士たちの眼前で、千切れ落ちた異形の腕はなおも蠢き、その形を崩しかけながら苦しむようにのたうち回る。おぞましい光景に、場数を踏んでいる騎士たちさえわっと後ずさり、恐怖を含んだ目で暴れ回る腕を見つめた。
そんな中、すらりと剣を抜いた人間が一人。パトリシアだ。彼女は眉一つ動かさないまま、蠢く腕の中心に愛剣の切っ先を叩き込んだ。
細く鋭い刺突剣の刃は、崩壊に伴って脆くなった鱗を砕いて突き刺さる。そしてそこを起点に氷結魔法が発動した。蠢く腕をものともせず、氷は厚みを増しながら迅速にその表面を覆い尽くし、やがて完全に全体を包み込む。
その氷をブーツの底でためらいなく踏み、パトリシアが刺突剣を氷から引き抜く。上官と同じく布で丁寧に剣先を拭うと、その布を袋に入れて厳重に封をし、自身の魔法式収納庫に収納した。
蠢く腕を平然と氷漬けにした彼女に、周囲の騎士が絶句する中、パトリシアは上官に一礼する。
「指示をいただく前に対応してしまいましたが、よろしかったでしょうか」
「ああ、問題ない。――にしても、せめて眉くらいはひそめろよ。千切れた腕が勝手に動いてんだぞ」
「変形する腕ですよ? 千切れても動くくらいは許容範囲だと思いますが」
そういう問題じゃない、と周囲の騎士たちの心の声が期せずして一致したが、当の上官と部下は知らぬ顔だった。
「まあそれもそうか。存在自体が狂気の沙汰だからな、こいつら」
「隊長」
話している二人に、第三者の声が掛かる。声の主は、屈み込んでエルネスの持ち物を調べていた、ローブを纏った線の細い印象の少年だった。白に近い銀髪と金色の瞳が、周囲の各所で未だ燃えている炎に照り映える。
「どうした、セリオ」
「この《擬竜兵》、魔動通信機持ってます」
「ほう。通信相手、追えるか」
「何とか行けそうです」
やはりジェラルドの直属の部下である三級魔法騎士セリオ・キルドナは、発見した魔動通信機を手に立ち上がると、それを起動させる。そして襟元から鎖に下げた小さな笛を引っ張り出し、息を吹き込んで呼ばわった。
「出番だよ、《スニーク》」
すると上空を旋回していた一羽の鳥が、一直線に彼のもとに舞い下りて来る。蒼い三つの目を持つその鳥は、通信機の周囲をくるりと一巡し、再び空に舞い上がって一つの方向へと飛んで行った。この鳥は魔物の一種で、額にある第三の目で魔力を見ることができる。それに目を付けたセリオが、探知・追跡の術式を封じ込み、使い魔として使役しているのだ。
セリオは魔法式収納庫から大きなレンズを持つ片眼鏡型の魔動端末を出して装着すると、使い魔との繋がりを辿り、それを思念で端末に送る。程なく、端末に座標が浮かび上がった。
「……座標特定。飛べます」
「よし、良くやった」
短く部下を労うと、ジェラルドは周辺の騎士たちに告げる。
「おそらく、通信相手は敵の指揮官だ。俺たちはそっちを追う。その死体、ちゃんと駐屯地に運んでおけよ!」
ジェラルドが指示を飛ばす間にも、セリオは魔法式収納庫から長杖を取り出し、とん、と地面に突き立てた。杖を中心に、地面に魔法陣が浮かび上がる。
「転移準備できました」
「よし、パトリシア、行くぞ」
「はい」
ジェラルドとパトリシアが陣の上に乗り、セリオは陣の中心で杖を支え持ちつつ、使い魔からの情報を処理して転移魔法の術式を構築していく。
「転移先座標、目標地点の北二十メイルに設定。敵性反応、付近に無し。行きます。――導け、《転移》」
セリオの詠唱に、魔法陣が輝く。その上の三人の姿は光の中に消え、すぐに光の粒となって消えた。
「……すげえな。結局、ほんの十分そこそこで片付けて行きやがった……」
「“カルヴァート隊”は別格だろ。実際の実力は今の階級のワンランク上だっていうし」
「そういや、面倒が増えるから昇級試験受けないって噂、あったっけなあ……」
そんな軽口を交わしながら、奇妙に弛緩した空気の中、騎士たちは自分たちのやるべき仕事に戻っていくのだった。
◇◇◇◇◇
三人が転移したのは、レドナから数ケイルほど離れた森の中だった。
陣が消えるなり、ジェラルドとパトリシアは剣を抜いた。セリオも、長杖は魔法式収納庫に仕舞い、代わりに取り回しやすい短杖を取り出す。
と、森の奥から三つ目の魔鳥が飛んで来て、セリオの肩に止まった。
「良くやったね、いい子だ。危ないかもしれないから、しばらく上に上がっておいで」
セリオが言い聞かせると、鳥は返事のように主に頭を摺り寄せてから再び飛び立つ。
「行くぞ」
ジェラルドが、鳥の飛んで来た方に歩き出した。部下二人もそれに続く。
程なく、目標地点に辿り着く。しかしそこで展開されていた光景に、セリオが思わず口元を押さえた。
「っ、これは……」
そこは、文字通り血の海だった。ここがレドナ侵攻のための指揮所だったのは確かだろう、森の中だというのにいくつも天幕が設えられ、魔物除けの陣の跡もある。多くの魔動機器や魔動銃が散乱する中、そこに倒れている人間はいずれもレクレウス王国軍の灰緑の軍服を纏っていた。そしてその全員が血に塗れ、中には首や腕が胴体を離れて転がっているものもある。濃厚な血臭が満ち溢れ、息が詰まりそうだ。
「……血が固まってない。まだそう時間は経ってなさそうだな……」
ジェラルドがそう呟いた時。
「――あれ。もうここがばれたんですね」
さくり、と草を踏む音。そこに現れたのは、一人の青年だった。
ココアブラウンの髪に翠緑の瞳の、まだ年若い青年。だが彼は未だ血の筋が伝うサーベルを抜身のまま手にし、何より周囲の人間が残らず死んでいる中ただ一人生きている。これほど怪しい相手もそうそういないだろう。
「……貴様、レクレウス軍か?」
猛獣が唸るような低い声で問うジェラルドに、青年は軽く肩を竦める。
「違いますよ。僕が忠誠を捧げる主は、この世でただ一人。レクレウス軍なんかじゃありません」
「なら貴様は何者だ?」
「一介の騎士です。お気になさらず」
「そういうわけにもいかんだろうよ」
ジェラルドが目を鋭くすがめる。
「おっと、これ以上のお喋りは止めにしましょう。僕も色々と、仕事が残ってるので」
「まあそう急ぐなよ。多少の無駄話くらい、罰は当たらんだろうさ!」
ジェラルドの長剣が唸った。黒い刃を這う極小の稲妻が、見る間にいくつもの球電となって青年に襲い掛かる!
「人を堕落に誘わないでくださいよ」
青年は足元の小石を蹴り上げ、球電の一部に当てて爆ぜさせた。後のものは体捌きだけですべて避けきる。そこへ、パトリシアの刺突の連打が襲い掛かった。
「――――!?」
だが、次の瞬間そこに青年の姿はなく、パトリシアの連撃はその背後にあった木の幹にすべて叩き込まれる。刺突を受けた幹はすぐさま氷に包まれた。
「怖いなあ」
一瞬で傍らの木の梢に飛び上がり、青年はため息をつく。そこへ、
「――斬り裂け。《風刃乱舞》」
セリオの放った魔法が、青年の立つ木をバラバラに断ち割った。足場を失った青年は、当然地面に落下するしかない。そしてそれを待ち構える形で、ジェラルドが雷電を纏う剣を構えている。
「やれやれ、こっちも怖いことだ」
青年は落下しながらも慌てることなく、サーベルを一振り。刃が振り切られた軌跡がそのまま不可視の刃となり、ジェラルドに襲い掛かる。ジェラルドはやむなく雷を飛ばし、それを迎撃した。
「なるほど。そっちも魔剣か」
「ええ。我が君に賜ったものですよ」
猫のように身軽に地面に下り立った青年は、未だに柔和な笑顔を崩さない。
と――。
「そこまでになさいな、ダンテ」
不意に割って入った女の声に、ジェラルドたちは反射的にそちらを向く。
中央の天幕の前に立っていたのは、一人の女だった。研究者らしき白衣に身を包んだ、四十代ほどの銀髪の女。肌も着衣も白い中、群青色の双眸がやけに鮮やかだ。
「もう御用はお済みですか、我が君」
「ええ、おかげで片付きました。必要なものはすべて回収致しましたから、そろそろ戻りましょう。わたくしたちの故郷へ」
「仰せのままに」
いつの間にか彼女の傍に控えて一礼する青年に、ジェラルドが凶悪な笑みを見せる。
「おっと――そういうわけにいかないことくらいは分かるよな?」
三度漆黒の刃に雷を纏わせるが、主従は意にも介さなかった。
「では皆様、御機嫌よう」
女が人を食ったような挨拶を残し、手にした小さな結晶を地面に落とす。青年が繰り出した剣先が、正確にそれを突き壊した。
パキン、と澄んだ音と共に、結晶が砕け散り――そして二人の姿が光の粒となって消え失せる。
「転移!?」
セリオは急いで魔動端末を起動させるが、やがて悔しげに、
「すみません、転移の他に探知妨害の術式も仕込まれてます……追えません」
「転移に探知妨害? あんな小さな結晶にか?」
「はい。あのレベルだと、おそらく錬金術師が絡んでると思います。ただの魔法士に、あそこまで高度な魔法付与は無理ですから。でも、解析しようにも現物は壊されてますし、多分術式も諸共に。術式の隠滅も兼ねて破壊を発動キーにしたのかもしれません」
セリオの報告に、ジェラルドは眉をひそめたが、やがて息をついて剣に纏わせた魔法を解く。
「……まあ、仕方ないな。ひとまず、ここに残ってる資料があれば、そいつを回収して戻るぞ。あの女が必要なものは回収したみたいだから、そう期待はできないがな。後は、現場の封鎖だ。セリオ、そっちは任せた」
「はい」
セリオは頷き、魔法で現場内の空間を封鎖しに掛かる。現場の死体が森の獣などに荒らされて、検死に支障を来すのを避けるための措置だ。それと並行し、ジェラルドとパトリシアは残った資料の中で目ぼしいものを片っ端から魔法式収納庫に放り込んでいった。その中からパーソナルデータらしき書類を見つけ、ジェラルドはそれを指で軽く弾く。
「――どうやら、こいつらがあの《擬竜兵》を運用してた部隊で間違いなさそうだな。初陣兼稼働試験か……ったく、余所でやりゃあいいのに」
「さっきの不審人物がいくらか持ち去っているかもしれませんが、それでもそれなりに資料が残っていますね……あら、これ、通信記録かしら」
パトリシアが地面に転がっていた結晶を拾い上げる。中で文字が踊っているように見えるそれは、情報を格納した記録結晶だ。
「後で専門部署に解析させましょう」
「隊長、封鎖用の術式基点の設置、終わりました。後は僕らが外に出て、術を走らせるだけです」
「おう、分かった。――パトリシア、行くぞ。後は調査に人を寄越す」
「了解しました」
一通り重要そうな資料を回収すると、三人はその場を後にした。セリオが封鎖魔法を起動させると、現場が淡い光を放つ半透明の繭のようなもので包まれる。通常なら三級魔法騎士に扱えるようなレベルの魔法ではないが、セリオは本来、一級に昇級していてもおかしくない実力の持ち主である。ただ、二級以上の騎士になると、まず昇級試験を受けるために貴族の推薦が必要になる上、受かったら受かったでパトリシアのように上官付きの副官にでもならない限り隊を任されるため、それが嫌な彼は昇級試験を受けていない。ジェラルドにしても、これ以上昇級すると将軍クラスとして王都に釘付けになり、さらに面倒臭い権力争いなどというものにも巻き込まれるため、あえて一級で足踏みしているのだ。実のところ、騎士たちの間で囁かれる噂話は、かなりの割合で正鵠を射ているのであった。
「さて、レドナに戻るか。――あの《擬竜兵》の方は、片付いてそうか?」
「いえ、残る三人はまだ生きているそうです。一人は未だ一般街区で戦闘中――残る二人と第一二一魔法騎士小隊が交戦中!?」
普段滅多に表情を変えないパトリシアが、飛び込んで来た情報に思わず驚愕の声をあげる。ジェラルドもさすがに驚いた。
「おいおい、生きてんのかあいつら」
「分かりません。それ以上の新しい情報がまだ……」
「まあ、この状況じゃなあ……セリオ、まだ飛べるか?」
「座標が分かれば行けます。パトリシアさん、第一二一魔法騎士小隊の現在位置は?」
「最新の情報では中心街区十四番地区。移動している可能性もあるけど、そう遠くへは行っていないはずよ」
「じゃあとりあえず、十四番地区の中央に飛びます。あれだけ派手に戦う相手なら、現地に行きさえすれば、戦ってる場所は分かるでしょうし」
セリオが杖を持ち替え、目的地の座標を設定し直す。転移魔法は通常の攻撃魔法に比べて消費魔力が多い上に制御も難しいので、予め制御補助の術式を仕込んである専用の長杖を使うのだ。それでも普通は近距離の転移がせいぜいで、セリオのようにケイル単位で転移できる魔法士は、ファルレアン国内の魔法士を掻き集めても一握りもいないだろう。
「行きます!――導け、《転移》!」
そんなセリオの転移魔法で、三人は再びレドナへと舞い戻る。
――そこから二百メイルほどを隔てた場所に、二つの影があった。
「ファルレアンの魔法騎士……さすがに、いい腕してる。――どうしましょうか、我が君」
サーベルの刀身を布で丁寧に拭き、鞘に納めながら、ダンテが主に問い掛ける。
「捨て置いて構いません。当面の標的に、ファルレアンは入っていませんから。それより、レクレウス国内に置いてある資料も持ち帰らねばなりませんわね……それに、“あれ”も」
「回収だけなら僕でもできますし、我が君は先にお戻りください」
「いえ、わたくしも共に参りますわ。レドナの方の状況も気になりますし……使い魔が戦闘に巻き込まれてしまって、データの送信が途切れてしまいましたから。できれば、すべて記録したいのです」
「畏まりました。では、僕の使い魔を使いましょう。上空からの観察なら、今のレドナの状況では見咎めようもないでしょうし」
「ええ、お願いしますわ」
「それではしばしお待ちください、我が君」
ダンテはレティーシャから少し離れ、今しがた鞘に納めたばかりのサーベルを再び抜くと、傍らの地面に突き立てた。
「おいで、《トニトゥルス》」
すると、地面に魔法陣が浮かび上がり、そこから巨大な頭がぬっと出て来る。するりと魔法陣を潜り抜けてこちらに現れたのは、翼を持つ大蛇だった。ぎょろり、とこれまた巨大な目が青年を見るが、彼は臆する様子もなくサーベルを鞘に納めてその顔を撫でる。
「よしよし、いい子だ。ちょっと乗せて貰うよ」
青年が鱗を軽く叩くと、大蛇は甘えるように主に頭を擦り付ける。ダンテはレティーシャの傍に戻ると、
「失礼致します」
そう声を掛け、彼はひょいと彼女を横抱きにして、巧みに大蛇の背に飛び乗った。その足どりには微塵の危なげもない。
「上空ですので少し風が強いですが、少しの間ご辛抱を」
「ええ、もちろんですわ」
ダンテが再び大蛇の鱗を叩くと、大蛇は翼を広げ、ふわりと宙に浮かび上がった。緩やかに身をくねらせながら、空飛ぶ大蛇はレドナの方角へと泳いで行く。
森に住む獣たちだけが、それを見送っていた。
◇◇◇◇◇
「……う……」
自身のかすかな呻き声で、ルシエルは意識を取り戻した。
(何があった……? そうだ、確かもう一人の《擬竜兵》が――!)
一気に意識が覚醒し、身を起こす。幸い、さほど大きな怪我は負っていないようだった。近くには、やはり意識が飛んだのだろう、部下たちや連れて来た騎士たちの生き残りが、こちらも大した怪我もなく倒れている。
ほっと安堵の息をついたが、振り返ったところでその表情は凍り付いた。
その先にあったのは、虚無だった。
道に敷き詰められていた石畳は、ルシエルたちから数メイルの地点で消滅している。そこから向こうには、浅いながらも大きさが十メイルはあろうかといういびつなクレーターができており、周囲の建物もそれに沿うように大きく抉られていた。
そして――そのクレーターの端に、アルヴィーが倒れていた。
「――アル!!」
急いで駆け寄り、その身体を抱き起こす。彼の状態は酷かった。纏っていた深紅の軍服はズタズタに裂けて焼け焦げ、身体中に大小の傷があり、右半身には重度の火傷を負っている。意識を失ったせいか、その右腕はまだ人のそれに近い形に戻っていたが、それもところどころ焼け爛れていた。抱き上げたその身体は、焼けるように熱い。火には高い耐性を持つ《擬竜兵》をしてここまでのダメージを負ったのだ。あの《竜の咆哮》の威力は想像するに容易かった。
「アル! しっかりして! 目を開けるんだ!!」
ルシエルの叫びに、意識を取り戻した部下たちも駆け付けて来る。
「隊長、これは……っ!」
シャーロットも、眼前の状況の凄まじさに息を呑んで立ち竦んだ。
ユフィオが恐る恐るクレーターに近付いて来ると、アルヴィーの状態を診る。彼は防御魔法の他に医療系魔法も習得しており、小隊の中では衛生兵の役割も担っていた。彼の魔法式収納庫にポーションが常備されているのもそういった理由による。
だが彼の診立てでも、アルヴィーの状態は非常に重篤だった。
「まだ息はあります……ですが、これだけ状態が酷いと回復魔法は使えません。あれは掛けられる方にもそれなりの体力や生命力が必要です。ポーションも、この状態だと喉がやられて、飲めない可能性があります。傷に直接掛けるにしても、さっき騎士の治療に使ったので、手持ちが……」
「……他に、何か手はないのか……?」
「残念ですけど、この場ではそれ以外の手段は……」
「……っ!」
ルシエルは顔を歪めて、アルヴィーをそっと抱き締める。
「……アルはあの時、僕を庇った。いつもそうだ。アルはいつだって僕を助けてくれたのに、僕は何もできない……!」
――ルシィ、もう大丈夫だからな!
そう言って、自分を庇う背中は、自分と同じくらいの大きさしかなかったはずなのに、何よりも頼もしかった。その背中に何も返せない自分が、ひどくもどかしかった。
村を離れ、クローネル家に引き取られてからは、いつか自分が彼を守るのだと決めた。幼い頃に守られ助けられた分、今度は自分が彼とその母を守ろうと。
だが今、彼と敵味方として再会し、それでも彼はまだ自分を守るべき相手として見てくれていた。そしてあの頃のように、身を挺して庇ってくれたのだ。
なのに自分はまた、彼に何も返せない。
(いくら力を付けたって、肝心の時に役に立たなきゃ、何の意味もないじゃないか……!)
視界が滲む。やっと手が届いたと思った彼を、今度こそ失うかもしれないという恐怖が、ルシエルの胸を締め付けた。
その時、ユフィオがはっと息を呑んだ。
「た、隊長……!」
彼が指差す方を見て、ルシエルも驚愕する。
焼け爛れていた右腕が、徐々に治癒し始めていた。腕だけではない。右半身の火傷も見る見る内にその面積を減らし、代わりに健康な皮膚が張り始める。人間離れも甚だしいその異常なまでの回復力に、小隊の面々や騎士たちは言葉もなく、傷が治っていく様子をただ見つめるしかなかった。
「……確かに、凄まじい回復力だとは思ったが、これは……」
ディラークが呻く。戦闘の最中にも目の当たりにしたが、これほどの重傷でも問題なく治癒するのかと、いっそ薄ら寒いものを覚えた。
「――っ、そういや《擬竜兵》、もう一人いたんじゃ……!」
その事実を思い出し、カイルが周囲に目を走らせる。その視線が、ある一点で止まった。
クレーターの、ちょうど反対側。一人の少女が倒れている。彼女もやはり重傷だった。細い手足が痛々しく焼け爛れ、左半面も火傷に蝕まれている。そしてその左腕は高熱に曝されたのか、指先がほとんど焼け落ちていた。
「……アルの障壁に跳ね返されて、自分の攻撃を自分で受けたんだ」
通常の魔法障壁なら、まず間違いなく消し飛ばされていただろう。だが、あの時彼女の攻撃を阻んだのは、同じ《擬竜兵》の魔法障壁だった。その強靭な障壁に跳ね返され、彼女自身があの光に灼かれたのだ。
凄まじい有様に、魔法騎士たちは絶句して彼女を見やった。一つ間違えば、ああして無残な姿になっていたのは、自分たちの方だったかもしれない。そう思うと、背筋が寒くなる。
「……彼、わたしたちを助けてくれたんですね」
シャーロットが、ぽつりと呟いた。
その時――焼け爛れた少女の指先が、ぴくりと動いた。
「……あはぁ」
反射的に身構えた魔法騎士たちの視線の先で、少女が目を開く。その左目は完全に濁っていた。高熱に曝されたせいだろう。しかし彼女はもはや痛みも感じていないのか、ゆっくりとだが確実に起き上がろうとしていた。
「まだ動けるのか……!」
遠距離攻撃手段を持つクロリッドとジーン、それにユナが、各々杖や魔法銃を構えた。騎士たちも彼女の実力は身に沁みており、届かぬながらも剣を構える。彼らが見つめる先、少女は半身を起こし、五指のほとんどを失った左腕を虚空へと差し伸べた。
「あは……あは、は」
か細い笑い声を漏らし、少女は何かを掴もうとするように左手をさまよわせた。生理的なものか、白濁した左目からは涙が零れ、残る右目の焦点も定まっていないようだ。それでも彼女は、何かを見つけたようにその視線を一点に留める。
ルシエルに抱き抱えられた、アルヴィーへと。
「……あ、る」
そして――次の瞬間、その左腕が崩れ落ちた。
目を見張る騎士たちの視線の先、少女の身体は左肩から徐々に黒ずみ、崩壊していく。まるで燃え尽きた炭が割れ落ちるように、ぼろぼろと崩れ落ちる彼女に、誰もが言葉も為す術もなく見守るしかない。
やがて彼女は全身を黒に侵され、ズシャリと音を立てて地面に崩れた。小さく埃が舞い上がる。もしかしたらその中のごく一部は、崩れ落ちた彼女自身であるかもしれない。なぜなら、完全に崩壊した身体は、もはや人の形を保っていなかったから。
「な……何なの……今の。こっちの子の傷は治ってるのに……」
ジーンが掠れた声で呟く。それに答えたのはユフィオだった。
「……多分、再生の限界を超えたんだと思います。元々、竜や強力な幻獣の高い自己治癒力は、その魔力によって支えられている側面もあるといわれていますし……ああなる前にもずいぶん攻撃に力を使っていたみたいですから、自分自身を癒すための魔力も、気付かない内に使い込んでたんじゃないでしょうか。いくら周囲から魔力を取り込めても、あれだけ大威力の攻撃を無差別にばら撒いていたら……それにあの様子だと、もしかしたら魔力を取り込む器官も機能不全を起こしていたかも」
彼女の常軌を逸した様子を思い返せば、その意見には納得できるものがある。確かアルヴィーは“暴走”と言っていたか。
そこまで考えて、ルシエルははっとして腕の中のアルヴィーを見た。
(……アルも同じ《擬竜兵》だ)
そして彼もまた、戦いの最中、明らかに様子がおかしかった――。
(まさか……そんな)
恐ろしい可能性に思い当たって、ルシエルは未だ目を覚まさない彼を縋るように抱き締めた。先ほどの、《擬竜兵》の少女の最期が、腕の中のアルヴィーにちらちらと重なる。それを必死に振り払った。
(あんな目には遭わせない。――アルは、僕が守るんだ……!)
その時。
「――お、何だ、キッチリ生きてんな。上等上等」
二人の部下を従え悠然と歩いて来た男に、ルシエルは驚愕の眼差しを向ける。
「カルヴァート大隊長……」
「服からして、あっちで崩れてんのが《擬竜兵》の成れの果てか? で……」
ジェラルドの視線が、ルシエルの腕の中に向けられる。同じ深紅の軍服に、異形の右腕。誤魔化しようはなかった。
「もう一人を、何でそう後生大事に抱え込んでる? クローネル」
「……同じ村で育った、友人です……家族同然の」
「ほう」
ジェラルドの目に、面白がるような光が宿る。
「確か俺は、《擬竜兵》は殲滅を前提にしろと言ったはずだが」
「……ッ!」
ルシエルは言葉に詰まり、アルヴィーを抱えた腕に力を込める。と、生き残った騎士小隊の隊長が、その時口を開いた。
「僭越ながら、申し上げます。カルヴァート大隊長殿」
「あんたは?」
「西方騎士団第九大隊所属第五三二騎士小隊隊長、バルド・マウゼルと申します。――我々からも、その少年の寛大な処遇をお願い致したく」
「ほう? 何でまた?」
意外そうに眉を動かすジェラルドに、バルドは気圧されながらも告げる。
「その少年は――我々を助けました」
「どういうことだ?」
「我々は彼の重力魔法で倒されましたが……それがなければ、我々はあの少女の放つ光線で、全滅しておりました。それにその少年は、戦闘不能となった我々に少女が止めを刺そうとするのを阻み、治療を受けるのを見逃しました。敵とはいえ、幾度も命を救われながら知らぬふりをするのは、我が騎士道にもとります」
「ふうん……なるほどなるほど」
ジェラルドは真意を悟らせないためか表情を消し、アルヴィーを見やる。焦りを感じたルシエルがそれを見返す――と、ジェラルドが不意に笑い出した。
「ははっ……“氷の貴公子”がそんなに焦った顔をするとはな。偉大だな、昔馴染みってのは」
「趣味が悪いですよ、隊長」
後ろに控えるパトリシアが窘める。その横で、セリオも同意するように頷いていた。
「おまえらなあ……ま、いい。クローネル、そいつを連れて駐屯地に戻るぞ」
「え……」
「こっちの戦力が《擬竜兵》に優越してるかどうかが不透明だったからな。無理して鹵獲を指示するよりも、殲滅して死体を調べた方が安全だと踏んだんだが、生きた《擬竜兵》が手に入るんならそれを逃す手はない。欲しい情報もあるしな」
「情報……」
思わず呟くが、確かにレクレウス軍の特殊部隊である《擬竜兵》・アルヴィーの持つ情報は、ファルレアンにとっては貴重なもののはずだ。そもそもアルヴィー自身が、竜の細胞を移植されてなお生きているという、貴重きわまる人間である。即座に処刑される可能性はまずないだろう。
そう思い至って、ルシエルは小さく息をついた。
(……命の保証がされるならいい。それなら、僕の力でもある程度は守れる)
ルシエルには二級魔法騎士という地位と、クローネル伯爵家の後ろ盾がある。落胤とはいえ、わずか十七歳で二級魔法騎士・小隊長にまで駆け上がった彼は、当主たる伯爵にも覚えがめでたい。それに他ならぬアルヴィーに関することならば、母のロエナも協力してくれるだろう。彼女もまた、アルヴィーとその母には深い恩義を感じているのだから。
(それに、アルは第一二一魔法騎士小隊や他の騎士を助けてる。それは、心証にプラスになるはずだ)
彼の身体を抱き上げ、ルシエルは立ち上がる。今度こそ、彼を守るのだと心に決めて。
……意識のないアルヴィーの右手がぴくりと小さく動いたことに、ルシエルは気付かなかった。
◇◇◇◇◇
一般街区・二十五番地区。最後の戦場となっているここでも、ある異変が起こっていた。
「う、ぐ……ああぁぁぁぁ!!」
圧倒的な力で騎士たちを攻撃していた《擬竜兵》の少年が、突如右腕を抱えて苦しみ始める。その異形の右腕は不自然に形を崩し、蠢き、さらに禍々しいものに変わろうとしていた。
「――い、今だ! 攻撃しろっ!」
指揮官の号令一下、騎士小隊の銃士による一斉射撃と、魔法騎士小隊の攻撃魔法が少年に殺到する。少年――マクセル・ヒューレは苦悶しながらも、自身に迫り来る攻撃に本能的に危険を感じたか、その場から飛び退って回避した。そして右腕を振り回す。
放たれた光の奔流が、隊列を組む騎士団の一部を薙いだ。それだけで、数人が黒焦げの焼死体と化す。
「がああぁぁぁぁぁっ!!」
獣のように吠え、マクセルはぎらぎらと光る眼で騎士たちを睥睨した。
「ひっ……!」
「な、何だあいつは……!」
思わず一歩後ずさる騎士たち――その隙を突き、マクセルは走り出す。手近な建物に向かって走ると、積み上がった瓦礫や窓の庇などを巧みに足場とし、屋根の上まで飛び上がった。
「しまった!」
頭上を取られるという痛恨のミスに、騎士たちは顔を歪める。だがマクセルは、彼らには見向きもせずに屋根伝いに移動し始めた。
「何!?」
好き放題に暴れ回っていた敵兵のいきなりの逃走に、騎士たちは一瞬呆気に取られたが、すぐに我に返って急いで追跡を始める。だが《擬竜兵》の身体能力は彼らの想像を遥かに上回っていた。しかも地上は戦闘の余波を受けて瓦礫だらけだ。見る間に両者の距離は広がり、やがて完全に見失ってしまう。
「くそ……何てことだ! ここまで来て!」
「ひとまず、報告しよう。街中に隠れられたら厄介だぞ」
この状況において、自分の失態を糊塗しようとする虚栄心とは、彼らは無縁だった。すぐさま駐屯地に置かれた司令部に連絡を入れ、《擬竜兵》失探の旨を報告する。司令部はその報告を受け、比較的損害が少なく、現在動きが取れる隊を街中の探索に向かわせた。
――だが、彼らが探し求める《擬竜兵》は、彼らの予想だにしない場所に逃げ込んでいたのだ。
一般街区と中央街区を隔てる壁。マクセルは屋根を伝い人間離れした脚力を駆使して、その上に飛び上がった。足場には事欠かない。この壁は強襲開始当初にアルヴィーが結界陣破壊のために攻撃を加えており、穴が開いたり天辺が吹っ飛んだりして高さが目減りしている。それらを経由して壁の上に逃げ込んだマクセルは、そこで限界を迎えてうずくまった。
「ぐぅ……お、あぁぁっ」
ボコボコと波打つ右腕の皮膚。骨格すら変形しているのではないかと思うほどの光景を、だがマクセルは見るどころではなかった。彼は今、自分の中に入り込もうとするものと戦っている。その感覚はかつて、《擬竜兵》として生まれ変わった時に経験したものと酷似していた。
彼は知る由もないが、アルヴィーを除く他の《擬竜兵》たちも、これとほぼ同じ症状に見舞われ、そして自我を保つことができずに暴走した。ただマクセルは、その二人よりもほんの少し、理性を保つことができていた。力に酔って騎士・民間人構わず殺傷したのは同じだが、同時に彼の中には、上官からの命令もまた残っていたのだ。
すなわち――騎士団の排除と重要施設の制圧を優先せよ。
その命令と共に与えられた、レドナの街中の地理の情報。それらの欠片を掻き集め、彼は何とか意識を繋ぎ止めながらここまでやって来たのだ。
壮絶な異物感に押し流されそうになりながら、マクセルは霞む意識で中央街区を見下ろす。騎士団の排除、そして重要施設の制圧。その二つの命令を一ヶ所で達成できる場所を、彼は思い付いたのだ。
彼が見下ろす先――壁からは遥か遠く、だが《擬竜兵》の視力でならはっきりと見える、その一際広い施設。
ファルレアン王国西方騎士団所属、レドナ駐屯地。
首尾良く目的地を見つけ、息をついたその時、これまでにも増す不快感が彼を襲う。気持ち悪いだとかいう次元ではなく、いっそ恐怖だ。自分の意識が、魂が、何か得体の知れないものに上書きされるような感覚に、彼は絶叫した。
「があああぁあぁぁぁぁっ!!」
ボコボコと、これまで以上に激しく右腕が蠢き、彼はのたうち回った。
彼の“内側”での、魂同士の激しい死闘。だがそれは、程なく終わりを告げた。勝者となった“彼”は、今だ蠕動を続ける右腕をゆっくりと持ち上げる。
「ひは、ははハはハハはは」
その目にはもはや、狂気しかなかった。
“マクセル”は立ち上がると、これまでとは違った目で中央街区を眺める。自分の中にある膨大な力を解き放ち、すべてを薙ぎ払いたいという誘惑に、彼はあっさりと従うことにして、壁を蹴った。《擬竜兵》の身体能力は、遥か眼下の屋根に彼が身軽に下り立つことを容易にする。
だが今や意識のすべてを狂気と破壊衝動に呑み込まれた中、ついさっきまで“彼”だった存在の記憶の一欠片が、本来集束点などなかったはずのその衝動と絶妙に絡み合い、一つの明確な目標を与えた。
彼は再び地面に下り立つと、漲る力に狂笑をあげながら、先ほど確かめた記憶のあるその目標に向かって歩き出す。
制圧目標――レドナ駐屯地へ。
“過ぎた科学は魔法に見える”というような言葉を以前聞いたことがありますが、逆はないですね。というわけでこの世界の魔法はちょっとシステマチックです。その理由についても後々描写予定、ということで。
お読み頂き、ありがとうございました。まだ続きます。