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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第六章 戦火ふたたび
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第45話 巡る策謀

 ファレス砦への侵攻部隊としてこの地におもむいたレクレウス軍兵士たちの中には、当然だが年嵩としかさの者もいる。

 二十数年前、火竜によるレクレウス襲撃を実体験として知る者も。

 彼らは眼前の光景に、期せず同じことを思った。


 あの時の悪夢がよみがえった――と。



 光が奔り、炎が咲くたびに、無敵の存在であったはずの魔動巨人ゴーレムが頭や腕をもぎ取られ、足を吹き飛ばされて倒れていく。業火と破壊を撒き散らす片翼の少年は、様々な色合いの紅にまみれながら、嵐のように戦場を蹂躙じゅうりんした。

「――う、うわああ! 化物だ……!」

「畜生がっ……!」

 放たれる閃光の余波が炎となって、後方にいる兵士たちのすぐ近くまで押し寄せる。すぐ間近に迫る“死”に、兵士たちは悲鳴をあげ、襲い来る灼熱を避けようと逃げ惑った。

 雨によってもたらされた水気はすでに消し飛び、巻き起こる砂塵さじんが炎と混ざり合って視界をさまたげる中、わずかばかりに放たれる反撃の攻撃魔法や魔動銃の魔力弾は、詠唱すらない不可視の障壁に弾き散らされる。炎で朱金色に照らされた、灼熱の戦場の中心に立つ少年は、レクレウス軍にとってはまさしく災厄の権化ごんげだった。

「て、撤退だ! 魔動巨人ゴーレムがやられた!」

「一時撤退して、態勢を立て直せ!」

「そんな馬鹿な……たった一人相手に魔動巨人ゴーレム部隊が、ぜ、全滅だと……!?」

「くそ、先鋒せんぽう魔動巨人ゴーレムが出るから、俺たちは楽勝だって話じゃなかったのかよ!?」

 口々にあがる悲鳴が、そこで起こったすべてを端的に物語る。必勝を期し先陣を切った魔動巨人ゴーレム部隊は全滅。いくら《擬竜兵( ドラグーン)》が単騎で魔動巨人ゴーレムを相手取れるとはいえ、数を揃えて掛かれば勝てるだろう――そう踏んでぶつけた結果が、これだった。

 明々と燃える地上の炎を映したように、空からも光が射し始める。夜明けだ。空を覆う雨雲は薄まり、それを押し退けるように空が白んでいく。

 それを見上げたアルヴィーは、炎と良く似た朱金の双眸そうぼうを細めた。

(……そういや、まだ朝なのか……)

 そこで周囲に目をやれば、死屍累々(ししるいるい)とばかりに転がる魔動巨人ゴーレムの残骸。指揮官や操作術者の姿はいつの間にか消えているが、まあ魔動巨人ゴーレムがなければ彼らとしても仕事のしようがないだろう。現物も砦の方で鹵獲ろかくしてあるので、それを調べれば術式などについても詳しく分かる。術者に逃げられても大して問題はない、はずだ。

 魔動巨人ゴーレムは全滅、レクレウス軍も一時撤退。アルヴィーの仕事はこれで充分だろう。侵攻部隊の本隊の方は、司令官が手柄として欲しいようなので、これ以上働くのはかえって迷惑がられそうだ。

(……戻るか)

 一応もう一度周囲を確認し、反転攻勢の気配などがないことを確かめて、アルヴィーは砦に戻るべく歩き出した。

「あー……それにしてもひっでえな、これ……」

 魔動巨人ゴーレムの自爆に巻き込まれた際、深刻なダメージを受けた挙句に血塗れになった制服に、アルヴィーはがっくり項垂うなだれる。加えて先ほどの戦闘で土埃もプラスだ。正直一刻も早く身体を洗って着替えたい。そして寝たい。

 途中の塹壕ざんごうも軽々と飛び越え、自軍の陣地に帰還を果たす。そこでアルヴィーを出迎えたのは、防衛線を守っていた騎士たちの、畏怖混じりの視線と囁きだった。


「――凄まじいな……本当に同じ人間か?」

魔動巨人ゴーレムを全滅させてくれたのは有難いが……」

「何であれで生きてるんだよ……普通死ぬぞ、あんなの」


(……まあ確かに、普通の人間なら五回くらい死んでるって言ってたしな、アルマヴルカンも)

 破片が深々と突き刺さっていた左肩や脇腹、潰されていた左足。それらはもう怪我の片鱗へんりんすらうかがえないほどに再生されている。竜の血肉がもたらしたこの驚異的な再生能力は、だが普通の人間にしてみれば確かに、畏怖の対象でしかないのだろう。

 ちらりと視線を向ければあからさまに動揺されたことに苦笑し、アルヴィーはそのままそこを通り過ぎた。魔動巨人ゴーレムがいなければ、レクレウス軍の攻撃手段はせいぜい攻撃魔法か魔動銃くらいのものだ。騎士たちの防衛力で充分事足りる。

 そうして砦に帰還したアルヴィーを迎えたのは、砦の騎士たちの驚愕の視線だった。

「ド、《擬竜騎士ドラグーン》……それは……」

「ああ、ちょっとヘマして魔動巨人ゴーレムの自爆に巻き込まれて。見た目派手だけどもう治ってるから、治療とか要らないよ」

「い、いや、しかし……」

 一様に絶句する騎士たちを余所に、アルヴィーは宛がわれた部屋に向かう。その際、身体を拭くための水だけ、通り掛かった下働きらしい少年に頼んだ。「ひぃっ!?」と見るからに怯えられてちょっと凹んだが、まあそれはともかく。

 あまりの様相に恐れをなしたのか、大急ぎで水を持って来てくれた少年に礼を言い(正確には言う前に逃げられたのでその背中に言う羽目になった)、改めて桶に満たした水に自分の姿を映して、さもありなんと納得してしまった。べったりと血に塗れた顔や身体は凄惨せいさんの一言である。このまま地べたに寝転がっていれば戦死認定されるかもしれない。さすがにこんな壮絶そうぜつな格好で司令官の前に顔を出すわけにもいかないので、報告の前にまずは着替えだ。

 しかし結果として、それは叶わなかった。


「……あ」

「む……《擬竜騎士ドラグーン》か。しかし、その姿は……」


 御自おんみずから高台に上がり、戦闘の様子を観察した帰りのイライアスとその部下に、ばったりと鉢合わせてしまったからだ。

 さすがにイライアスも、凄まじいとしか言いようのないアルヴィーの姿を、やや困惑したように見やる。アルヴィーは手にした桶をどうしたものかと見下ろし、とりあえず足下に置いて敬礼した。

「……《擬竜騎士ドラグーン》、帰還しました」

「ずいぶん派手にやったものだな」

「ああ……魔動巨人ゴーレムの自爆に巻き込まれたんで。でも命令通り、魔動巨人ゴーレムは全滅させました」

「なっ……あれに巻き込まれたのか」

 双眼鏡で遠目ながら現場の状況を見ていたイライアスの部下が、驚愕に目を見開いた。自爆があってから割合すぐに戦闘が再開されたので、てっきり上手く逃れたものだと思っていたのだ。

「まあ俺、怪我とかすぐに治りますんで。――あの、それで、俺はこの後待機でいいんですか」

「む……ああ、うむ。良くやった……充分に身体を休めるが良い」

「ありがとうございます」

 そのまま去って行くイライアスたちを見送り、今度こそ桶を抱えて自室に戻る。

「きゅっ!――きゅーっ!?」

 さすがにもう起きて、室内をうろちょろしていたフラムが、待ちかねたように駆け寄って来てアルヴィーの惨状に気付き、ぶわわと全身の毛を逆立てた。心配げに足下に纏わり付くフラムを撫でて落ち着かせてやる。和んだ。

 魔法式収納庫ストレージから布を取り出して桶の中に放り込むと、血塗れの制服を脱いで、濡らした布で身体を拭く。魔動巨人ゴーレムの部品が深々と突き刺さっていた部分も、血を拭えば痕すら残っていない。

 ほんの少しそれを見つめて、アルヴィーは血で汚れた布を、再び桶の中に突っ込んだ。水が赤く染まっていく。

(……こんだけ血を流しても、生きてんだなー、俺)

 常人なら数回は死ぬような怪我をしても、大量の血を流しても、すぐさま回復する自分の身体。日常動作にはとことん向かなくなったかつての利き腕といい、自分が戦うための生体兵器であることを改めて実感する。

 ため息一つついて、アルヴィーは洗い終えた布とボロボロの制服を、纏めて魔法式収納庫ストレージに突っ込み、代わりに新しい制服を取り出した。王都でワーム素材をあちこちに売却した際、念のために予備を作っておいたのだが、その時の自分の判断に心から感謝する。しかし、こうも続けざまに制服が駄目になってしまうと、これから先制服がいくらあっても足りない気がするので、いっそ制服に修復魔法でも掛けるべきかもしれない。今度ルシエルに習おうか。

 身支度も済ませて、汚れた水は外に持って行き捨てると、部屋に戻って寝台に寝転がる。その枕元にフラムが飛び乗り、すりすりと頬に擦り寄ってきた。

「ん……悪い、俺ちょっと寝るわ」

「きゅっ? きゅー!?」

 当てが外れたように騒ぐフラムには悪いが、何しろこちとら日が昇る前から戦闘に出て、並みの人間なら五回は死ぬような怪我を負ったばかりである。怪我自体は治ったが、精神的な消耗は即座には回復しないので、今のアルヴィーには休養こそ一番の薬なのだ。

 そのまま寝落ちたアルヴィーに、フラムはしばらく未練ありげに頬を鼻先でつついたりしていたが、しばらくするとまるでアルヴィーが深く眠っているのを確信したように、彼の胸元に潜り込んだ。そして額の宝玉を彼の胸に押し付けるようにしておとなしくなる。

 宝玉が紅く光り、すぐにその光も消えると、フラムはするりとアルヴィーの胸元を抜け出した。ぱたり、長い耳と尻尾を揺らし、枕元まで歩くとくるりと丸くなる。

 まるでおやすみと告げるように、すり、とアルヴィーの頬に顔を擦り寄せ、フラムもその大きな目を閉じた。



 ◇◇◇◇◇



「――我が君」

 呼び声に、レティーシャは眼前で淡く輝く水晶柱から視線を外し、穏やかな笑みを浮かべた。

「ダンテ。稽古はもうよろしいのですか?」

「はい、そもそもメリエは剣より魔法の方を好みますし、剣は自分の身を守る程度で良いと思います。――それはそうと、我が君、それは……」

「これは、“彼”の体調のチェックというところですわ。“彼”は今のところ、唯一の成功体ですもの。ですから、彼のもとに送り込んだ使い魔(ファミリア)に、逐一ちくいちデータを送らせているのです。何か異変があれば、すぐに分かるように」

 レティーシャは目を細め、再び水晶柱に向き直る。水晶柱の中では光の文字がずらずらと下から上へと流れていき、それが淡い輝きとなって彼女の美貌をなお白く照らし出していた。

「ですが、それならばいっそ、“彼”――アルヴィー・ロイをこちらに迎え入れればよろしいのでは? どの道こちらに連れ戻すおつもりならば、早い方が」

「ふふ、“可愛い子には旅をさせろ”という格言もありますのよ、ダンテ。実際、ファルレアンの騎士となることで、彼は新たな力を手に入れているのですもの。そうなると、欲が出て参りますわね」

 穏やかな笑みを崩さない主に、ダンテもそれ以上の言及を止めた。

「承知致しました。――ところで、我が君。モルニェッツの方はこれから、どうなさいますか。現在は洗脳した大公の血縁者や重臣たちで国を回させていますが、あまり長くは続かないでしょう。それに、ヴィペルラートも黙ってはいないかと」

「ええ、分かっておりますわ。ですがまず、領土の回復を優先します。次はサングリアムを奪還致しましょう」

「サングリアムですか……では、メリエは外した方が良いでしょう。彼女の攻撃は加減が利きませんから、重要施設まで破壊してしまう恐れがあります。ゼーヴハヤルは出しても問題はありませんが」

「サングリアムは公国三国の中では最も重要な地ですし、あなたに制圧をお願い致しますわ。メリエやゼーヴハヤルが加わったことで、わたくしの身辺の警護も充分となりましたから、問題はないでしょう。引き受けてくださいますわね、ダンテ?」

「もちろんです、我が君」

「ヴィペルラートには、引き続きメリエを当てますわ。ヴィペルラートにしても、国境警備の一部隊が壊滅した程度でいきなり大戦力を投入したりはしないでしょうから、彼女の戦闘力なら充分に防衛はできるでしょう」

かしこまりました。――それでは、御前ごぜん失礼致します、我が君」

「ええ、近い内にサングリアムにっていただきますから、それまで英気を養ってくださいませね」

「勿体無いお言葉です。では」

 ダンテは敬慕けいぼを込めて主に一礼し、その場を後にする。

 中庭を見下ろす回廊を歩いていると、前方から歩いて来る人影を見つけて、彼は何となく足を止めた。

「やあ、ベアトリス」

「ダ、ダンテ様!?」

 侍女頭としてレティーシャに仕える少女は、どこか焦ったように、だがさすがに楚々(そそ)とした仕草でダンテに一礼した。その後ろで、こちらも慌ててぴょこんとお辞儀をする小柄な少女に、ダンテの表情が和らぐ。

「仕事の指導かい?」

「は、はい。この子にも早く仕事を覚えて貰いませんと。仮にも姫様の侍女を名乗るからには、中途半端な仕事はさせられません。ねえ、ミイカ?」

「はい! 頑張ります!」

 力の入った返事を返すミイカの姿は、同年代の少女たちより小柄なせいもあって、何とも微笑ましい。

「そう。それは有難いね。ベアトリスには我が君の名代みょうだいとして他国へ出向いて貰うこともあるし、他の侍女たちはあの通り味気ないから。君たちがいてくれれば、我が君のお心も晴れるだろう」

「そんな! 勿体無いお言葉です!」

 ベアトリスは白い頬を薔薇色に染めた。抑えきれない笑みを隠すために顔をわずかに伏せる。その初々しい様子に、ダンテが余計に微笑ましい気分になっていることは、生憎あいにく彼女の知るところではなかったが。

「――じゃあ、これからも頑張って。頼りにしているよ」

「あ、ありがとうございます!」

 軽く手を上げて去って行くダンテを、ベアトリスはぽうっとした表情で見送る。そんな彼女を、ミイカは窺うように見上げた。

「……あの、ベアトリス様」

「えっ!? な、何かしら!?」

「“みょうだい”って、何ですか?」

「ああ……代理ということよ。姫様はみだりにここを動いて良いお方ではないから、恐れ多くもわたしが、姫様の代わりに国外に出るお役目をたまわっているの」

「うわあ……! ベアトリス様、すごい!」

 きらきらと瞳を輝かせるミイカに、ベアトリスも満更まんざらでもない様子で小さく咳払いする。

「……まあ、その時にはあなたにここの采配さいはいを任せることになるわ。そのためにも、しっかり仕事を覚えてちょうだい」

「はい!」

 小さな拳を胸元で握り締め、気合を入れるミイカに、何となく小動物的な可愛らしさを感じて、ベアトリスは微笑を浮かべた。

「……さあ、次のところに行きましょう。他の侍女たちは、なぜか言われたことしかできないようだから。わたしたちが指示を出せるようにならないと」

「は、はい……」

 ミイカの声が途端に小さくなる。だがそれは、責任の重さに萎縮いしゅくしたというよりも、何か得体の知れない薄気味悪さを感じたからのように、ベアトリスには思われた。同じ思いを、彼女もまたこの城の侍女たちに感じていたため、知らず眉をひそめてしまう。

(本当に……ここの侍女たちは、何だかみんな人形が動いているみたいだわ。人間味がないというか……この子が気味悪く思うのも、無理はないわね)

 まったくといって良いほど表情が動くことのない、そして皆どこか顔立ちが似通っている気がする、そんな侍女たちを思い出し、ベアトリスは少々薄ら寒いものを感じながら、ミイカを連れて再び歩き始めるのだった。



 ◇◇◇◇◇



 魔動巨人ゴーレム部隊、壊滅。

 その報告は、すぐさまレクレウス王国王都・レクレガンに届けられた。

「――何だと!? そんな馬鹿なことがあるものか! 新型を含め、動かせる魔動巨人ゴーレムをすべて投入したのだぞ!?」

「で、ですが現地からは確かにそのような報告が……」

「おのれ……! 《擬竜兵ドラグーン》か!」

 王太子ライネリオは憎々しげに呻く。新王として即位するにあたり、現在大急ぎで準備を進めていた中での凶報に、母譲りの華やかな顔立ちを思わず歪めてしまうのをこらえられない。

「は、おおせの通りにございます」

「まったくもって、しつこく祟ってくれるものだな、卑しい裏切り者風情が……!」

「して、部隊の損害の程は?」

 宰相ロドヴィック・フラン・オールトが冷静に尋ねる。報告を持って来た部下は、はっと報告書に目を落とした。

「は、魔動巨人ゴーレム部隊は魔動巨人ゴーレムがすべて損壊、稼働不能。人員につきましては、当初の指揮官の戦死を受けまして新たに指揮官を現地任官、その他は魔法士や操作術者に負傷者が多数……本隊の方は、魔動巨人ゴーレム部隊が道を拓いた後に進撃する作戦になっておりましたため、さほどの被害は出ておりませんが、それでも戦闘の余波で負傷者が出たとのことでございます」

「そうか。あい分かった」

 頷くロドヴィックの横で、ライネリオが尖った声をあげる。

「それで部隊はどう動くのだ。まさか、恐れをなして逃げ出してはいまいな!?」

「い、いえ、そのようなことは……ただ、魔動巨人ゴーレムを失ったため下手に動けず、状況は膠着こうちゃくしているとのことです」

 本来、砦からの迎撃を魔動巨人ゴーレムの突破力で押し通るつもりだった侵攻部隊は、その魔動巨人ゴーレムが全滅してしまったために、ファルレアンの陣地に不用意に踏み込めなくなってしまった。現在は防衛線から五ケイルほど離れた地点に陣を敷き、そこで様子見を余儀よぎなくされている。

「そのような生温いことでどうする! 栄光あるレクレウス王国の兵が、何たる弱腰! 魔動巨人ゴーレムがなくとも、砦に忍び込む程度はできよう!」

 現場の地理や状況を知らないライネリオが癇癪かんしゃくを起こす。彼としては、自身の即位と成婚という晴れの舞台に、とんだケチを付けられたという心境だった。是が非でも何らかの成果を挙げねば、一歩目からつまずいてしまうばかりでなく、下手をすればこの先の自身の王としての能力にさえ疑問符が付きかねない――そんな危機感が、彼にそう喚かせたのだ。

「殿下、落ち着かれませ。ともかく、現地の部隊が態勢を立て直さぬことには、どうにもなりませぬぞ。あまり前線の兵に無理を強いては、かえって被害が大きくなるばかりかと」

 そういさめたロドヴィックを、ライネリオは凄絶せいぜつな目付きでにらんだ。

「ええい、悠長な! これだけの戦力を注ぎ込んでおきながら、何の戦果も得られぬなど、あってはならんのだ! 今回の作戦は、是が非でも成功させよ!」

「しかし、魔動巨人ゴーレムを失った以上、その穴を埋められるような戦力は我が国にはもはや……」

 魔動巨人ゴーレムはレクレウス軍における最大火力であり、決戦兵器だった。それがすべて倒されてしまった以上、レクレウス側に打つ手はない。いや、形振なりふり構わないというのであれば、一人心当たりがなくもないのだが……。

 だがライネリオは、このに及んでもそれを許しはしないだろう。国のために自身の矜持きょうじを曲げるほどの度量を、彼は持っていない。自己顕示欲や虚栄心ならば、有り余るほど持ち合わせているが。

 それらにぎらぎらと双眸を光らせ、ライネリオは命じる。

飛竜ワイバーンを動かせ! 飛竜ワイバーンに爆薬を持たせて爆撃をさせるのだ!――そうだ、どうせ飛竜ワイバーンを使うなら、砦などよりいっそ王都を爆撃してしまえば良い! 上手くすれば、あの生意気な小娘も始末できるではないか!」

「お待ちください! そのようなことをすれば、こちらも同じ報復をされても文句は言えませぬぞ! 何より向こうには《擬竜兵( ドラグーン)》がおりまする、かの者を送り込まれれば、爆撃どころではない被害が出ますぞ!」

 そうなればもはや地域紛争では済まなくなる。国を挙げての総力戦だ。下手をすれば共倒れである。ロドヴィックは必死にライネリオを諌めた。

「それに、こちらが飛竜ワイバーンを動かせば、風精霊にてそれはすぐに、ファルレアン女王の知るところとなりましょう。そうなればファルレアンも対抗して飛竜ワイバーンを使ってくることと存じます。ファルレアン王都に辿り着く前に、迎撃されることとなりましょうぞ」

「うるさい! ならば他に手があるのか!」

「……もはや我が国に、これ以上戦争を続ける余力はありませぬ。まだ国を立て直せる余力のある内に、停戦交渉を持ち掛けてはいかがかと」

 ロドヴィックの言葉に、その場にざわめきが起きた。

「宰相――気でも違ったか!」

 悲鳴じみた声をあげるライネリオに、ロドヴィックは口の中が乾いて舌が貼り付きそうになるのを湿しめしながら、何とか言葉を継ぐ。

「ファルレアン側も、おそらく戦争が長引くのは本意ではないはずでございます。ならば、話の持って行き方によっては、さほどの傷を負わずに停戦に持ち込むことも可能かと」

 これは賭けだった。他の貴族たちも聞いている中であえて停戦案を持ち出したのは、ライネリオの君主としての器を貴族たちに見せるためだ。それを目にした貴族たちがどう動くか――それはロドヴィックにも予測の難しいところだったが、それでも彼は踏み切った。今のこの国を動かすのは王家であり貴族たちだ。彼らの思惑を見極めることが、いずれこの国のためとなる、それを信じて。

 果たして――ライネリオは顔を歪めて吐き捨てた。


「……失望したぞ、宰相。貴様のような腰抜けは、わたしの側には要らぬ! たった今をもって、貴様を宰相職から罷免ひめんするゆえ、どこへなりと失せよ!」


 その言葉に、今度こそ驚愕のどよめきが場を満たした。

「何と……!」

「宰相閣下が……」

「だが宰相閣下も、国の将来を憂慮ゆうりょしてのお言葉であろうに」

「いや、しかし、殿下のお怒りも無理からぬこと。ここまで来て停戦交渉など、さすがに無理だろう」

「そもそもここで停戦に持ち込んだところで、我々には何の利もないではないか……」

「せめてもう少し儲けさせて貰わぬとな」

 ささやき交わす貴族たちの低いざわめきを、ロドヴィックはしっかりと聞いていた。ただただ驚く者、ライネリオの独裁ぶりに眉をひそめる者、そして自らの利益のために戦争が長引くことを歓迎する者。誰がこの国の将来さきうれい、誰がこの国を食い物にしようとしているのか、それを確かめるために。

 そして周囲がやっと静まりかけてきたところで、ロドヴィックは口を開いた。

「……うけたまわりました。この老いぼれには少々過ぎた役目であったようですな。仰せの通り、宰相職はこの場で返上させていただきましょう。執務の方は部下にしかと申し伝えておきますゆえ、ご安心召されませ。――それでは、老骨はこれにて、御前を失礼(つかまつ)ります」

 深々とライネリオに一礼し、ロドヴィックはその場を後にする。そして、自身の執務室に向かって歩き出した。

 役職を罷免されたとはいえ、すぐさま領地に引っ込むわけにもいかない。彼が抱え込んでいる重要案件は山のようにあるのだ。せめてそれらを解決するための道筋くらいは示してからでないと、部下たちや長年仕えてきた先王に申し訳が立たない。

 それらの案件を一つ一つ思い浮かべ、考えを巡らせていると、いつの間にか足音が一つ付いて来ていることに気が付く。振り返り、ロドヴィックはわずかに表情を緩めた。

「……おお、クィンラム公か」

「ご無沙汰しております。――それにしても、思い切ったことをなさいましたね」

「はて、公は先の場にはおらなんだと記憶しておるがな。相変わらず、どこにでも耳を持っておる男よ」

 つい先刻の、しかもナイジェルは居合わせていなかった場でのことを、まるで見ていたかのように語る彼に、ロドヴィックはむしろおかしげに相好そうごうを崩す。あるいはそれは、宰相という国の舵取りの重責から、形はどうあれ解放されたせいかもしれなかった。

「……正直なところ、殿下に聞き入れていただけるとは思っておらなんだ。だが、このままではどう転んでも、我が国が勝利する目はないだろう。ゆえに、わしは確かめようと思ったのだ」

「確かめる、とは?」

「貴族たちの中で、誰がこの戦争に乗り気で、誰がそうでないのか。多少なりともこの国の行く先を憂えておる者は、逆に食い物にして自らの懐を暖めようとしている者は……人というものは、思いがけない事態に直面した時、思わず本音を漏らしてしまうことが多いものだ」

「なるほど……ですが、何も宰相職をなげうつほどのことはなかったでしょうに」

「どの道、儂でももう殿下をお止めすることは叶わぬ。陛下がまだご健在であったならばまだしも……いな、それでもこの状況を多少遅らせる程度にしかならなんだか」

 自嘲するようにそうこぼし、ロドヴィックはナイジェルを振り返る。

「儂が確かめた限りではあるが、まだしも目のありそうな家の者を後で教えておこう。もっとも、そなたであればもう掴んでおる情報やもしれぬがな」

「いえ、情報のすり合わせができるのは有難いことです。――それに、この一件でどうやら、閣下を戦後の災いからお救いすることもできそうですしね。少なくとも、停戦交渉を持ち掛けようと提案なさったことは、後々有利に働くでしょう」

「有難い申し出ではあるが、此度こたびの戦争責任は儂の負うところも大きい。開戦を決め、今まで何万もの兵を前線に送り出してきたのは、確かに儂であるのだからな。今さらその事実から逃げようとは思わぬ」

 報告書に数字でしか載らない、戦争の犠牲者たち。下手をすれば正確な数字ですらないかもしれないその中には、だが確かに、それだけの数の命がある。そしてそこには、ロドヴィック自身の領地の民も含まれていたはずだ。

「――だが、宰相の任を解かれたことで、少なくともこの戦争が終結するまでは、自分や家族の身の振り方、領地の行く末を考える余裕ができた。それだけは有難い」

「……そこまで心をお決めになっておられるなら、もう何も言いますまい。ですが、閣下が選ぼうとなさった道は正しいものだと、わたしは思っております。戦争が続いて潤うのは、一部の商人とそれらに繋がりのある貴族でしかない。民が求めているのは国を焦土にしてでも勝利を得ることではなく、敗れようともできる限り多くの命が残されることでしょう」

 ナイジェルの言葉に、ロドヴィックはふと口元を緩めた。

「……その言葉、忘れてくれるでないぞ、クィンラム公。そなたが次の時代を動かそうとするならばな」

「肝に銘じましょう」

「そう願おう。――では、儂は最後の奉公をしてくるとしようか。少なくとも、今抱えておる案件くらいは、道筋を付けておかぬとな」

 そう言い置いて去って行く背を、ナイジェルは少しばかりの敬意と共に見送る。

(まったく、王太子殿下も勿体無いことをしたものだ……だが、長く国の舵取りをしてきたあの方の経験は、やはり惜しいな。何とか残っていただきたいものだが)

 まあ、いくつか手は考えている。その内のどれかが使えるだろう。ナイジェルも自身の目的のために、また違う方向へと足を向けた。新たな宰相人事についての情報収集、自陣営を有利にするための情報操作。やるべきことはいくらでも山積みだ。

 それでもそのこと自体に時代を動かそうとしている手応えを感じながら、ナイジェルはふとその口元に笑みを浮かべた。



 ◇◇◇◇◇



 ルシエルたち第一二一魔法騎士小隊が、地方領地への派遣任務を言い渡されたのは、ルシエルが父と話をした三日後のことだった。おそらく、ジュリアスが話をした後、騎士団内部で色々と調整があったのだろう。

 呼び出しを受けて大隊長の執務室におもむいたルシエルに、ジェラルドが資料を寄越す。

「まあ予想は付いてるだろうが。今回の任務は、クローネル伯爵領と隣接する子爵家領地群との境界一帯で活動する魔物の討伐――ってことになっちゃいるが、まあ建前だな」

「……父がお手数をお掛け致しました」

「ま、騎士団としちゃ、おまえの小隊の扱いでクローネル伯に一つ借りができたのは確かだからな。さっさと返させて貰うに越したことはない。騎士団も色々と派閥の影響があってな。面倒臭いんだよ」

 心底うんざりした様子でため息一つ落とす彼も、実家は派閥争いと無関係ではいられない高位貴族だ。何やら思うところがあるのかもしれない。

「ギズレ元辺境伯の件もあるから今のところ、《保守派》はおとなしいがな。国同士の戦争が終わったら、今度は宮廷で戦争だ。実際の戦争みたいに銃砲やら魔法やらが飛び交うわけじゃないが、その分数段えげつないぞ」

「……アルが巻き込まれさえしなければ、僕にはどうでも良い話です」

「ってことは、いずれ関わらなきゃならない覚悟はできてるわけだな」

 ジェラルドの言葉に、ルシエルはわずかに眉をひそめる。だがそれは、ジェラルドの言葉が正しい証明でもあった。

 火竜の加護を――それも血筋が続く限り五百年に渡って――受けた、一騎当千の戦闘力を持つ高位元素魔法士ハイエレメンタラーなど、貴族に目を付けられないわけがない。ルシエルの言葉は、ただの願望に過ぎないのだ。

「まあ、その辺りもクローネル伯は織り込み済みだろうからな。代替わりまでにきっちり仕込んでくださるだろうよ。――で、差し当たっては任務の説明だ。良いな?」

「はい。ですが、魔物討伐は建前だと、先ほど大隊長ご自身がおっしゃいませんでしたか」

「建前でも一応現地の説明はしなきゃならんだろうが。そもそも今回の任務、クローネル伯の肝煎きもいりなのは確かだが、何もまったく必要のない任務をでっち上げたわけでもないからな」

「……と、仰いますと?」

 頭を切り替え騎士の表情になったルシエルに、ジェラルドは説明を始める。

「さっきも言った通り、現場はクローネル伯爵領と子爵家領地群との境界の辺りだ。魔物は人間の領地の境なんか知ったことじゃないから、両方の領地でうろつく形になる。となると、まずは両方の領主の私兵を動かすことになるが、子爵家でそんな余裕がある家はそうそうないからな。となりゃ伯爵家の方に頼るしかないんだが、私兵の扱いは領主の裁量にゆだねることになるから、領主が首を縦に振らなきゃどうにもならん。今、クローネル伯爵領の方は長男に任せてる状態だったな?」

「正確には目付け役に人を付けているそうですが。実務はほとんどその人物が取り仕切っているそうです」

「ま、良くある体制ではあるな……とはいえ、形の上ではその長男の方が権力を持ってるだろう。父親から権限を委任されてるのはあくまで長男だからな。その長男がうんと言わん限りは、私兵も動けん。そうなれば次は騎士団の方から人員を出すことになるんだが、生憎あいにく西方騎士団は今回のレクレウスとの戦争で動かせる人員を目一杯動員してる。残ってるのは最低限、管轄内の治安維持ができる程度の数だ。とても一領地の魔物討伐に人を回す余裕はない。――で、クローネル伯は最後の札を切ることにした」

「それが僕というわけですか」

「何しろ若くして騎士団で小隊を率いるエリート様だ。戦力としても申し分ないし、被害に遭った領民に対しても一応の格好は付くだろう。そのついでに不出来な上の息子にも引導いんどうを渡してやろうってはらだろうな」

 領民への被害を無視して遊興ゆうきょうふける正妻腹の息子と、中央で騎士として身を立て、民を守りにやって来る妾腹の息子。領民たちがどちらを歓迎するかなど、火を見るより明らかだ。どちらも確かに領主の血を引いている以上、民が重要視するのは母親の血筋や立場ではなく、自分たちを庇護してくれる領主となり得るかどうかなのだから。

 ルシエルは改めて、父の徹底的な合理主義を恐ろしいと思う。血を分けた息子でさえ、家のためにならないと思えばためらいなく切り捨てるのだ。それが貴族――と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが。


 そして、そんな一幕をて、ルシエルたちは今、イル=シュメイラ街道を西へと辿っていた。


「――いやー、しっかしクローネル伯爵領が街道上にあって助かったな。道が良いこと」

「確かに。南部街道はさすがに、イル=シュメイラ街道と比べれば多少道の整備が劣りますしね」

 第一二一魔法騎士小隊は、現在馬上にて取り留めもない話をしていた。当面の目的地はクローネル伯爵領の領都・ラクルマルディだ。レドナから王都に戻る際、彼らもかの街を通過しているので、大まかな雰囲気は掴めていた。

「ラクルマルディって確か、西部じゃそこそこ大きい街でしたよね」

「ああ、街道が通ってるおかげで、交通や貿易の中継地点になってるんだ。僕も領地の方にはあまり長くいなかったから、そこまで地理に詳しいわけじゃないんだが」

 ルシエルはクローネル家に引き取られた後、領地にいた期間はさほど長くない。一通りの基礎的なことを勉強したところで、王都に移って騎士学校に入ったからだ。そのため、領地の隅々までを詳しく知っているとはとても言えない。もっともその一点においては、領地に居ながら城下の繁華街で遊び歩いてばかりいるらしい異母兄あにたちも、似たようなものかもしれないが。

「とにかく、早めに領内に入りたいな。僕を領地に行かせるための建前とはいえ、領内で魔物が活動しているのは確かなんだ」

 ルシエルは手綱を握り、馬の足を心持ち早めさせる。隊員たちもそれにならった。

 ――クローネル伯爵領領都・ラクルマルディは、大陸環状貿易路グレート・ロードの一部たるイル=シュメイラ街道が通り、領地全体の主産業である農業で作られた農産物の集積地であると同時に、貿易の中継点としてもそれなりに栄えている。王都ソーマの街並みと比べると、やや落ち着いた印象を受けるのは、建物を形作る石材や壁がウォームグレイをしているからだ。これは、王都周辺との地質の違いによる。

「うわあ……!」

 隊員たちの中でも年少の少年少女たちは、改めてじっくりと眺めたその街並みの見事さに、思わず感嘆の声をあげた。

「レドナの行き帰りじゃあっさり通り過ぎちゃったけど、いいわねえ、この落ち着いた感じ」

 ジーンもまるで美術品でも眺めるように、ため息をつきながら周囲を見渡す。

「何ていうか、目に優しい感じだよね」

「分かる!」

 盛り上がる年少組を余所に、ルシエルはシャーロットに声をかける。

「シャーロット、すまないが少し後を頼む。僕は一度、館の方に顔を出して来ないといけないんだ」

「分かりました。宿は隊長の分も取っておいた方が?」

「……ああ、そうだな、頼む。一応任務で来たことになっているんだし、その方が良いだろう」

「では、こちらの裁量で見繕っておきます」

 頷いたシャーロットに後を頼み、今度はディラークに向き直る。

「ディラーク、一応付いて来てくれ。供の一人くらいは連れていた方が、格好が付くだろうから」

「分かりました。せいぜい後ろで睨みを利かせていましょう」

 第一二一魔法騎士小隊では、身の丈一九〇セトメルを超える筋骨隆々の大男であるディラークが、一番の強面こわもてだ。彼が後ろで威圧感もたっぷりにたたずんでいれば、多少の抑止力にはなるはずだった。何しろこれからルシエルは、実家とはいえ敵地にも等しい場所に乗り込まなければならないのだ。

「……っていうか、オッサンはともかく、何で後の連中の引率シャーロットに頼むの、隊長? 普通ここは、年長の俺でしょ」

「カイルに任せると、歓楽街の近くに宿を取りそうだからな。十代の教育に良くない」

「あっはは、確かに!」

「ちょ、隊長ひでえ!!」

 物申したカイルを速やかに撃墜し、ジーンの笑い声に送られながら、ルシエルはディラークを連れて一行と別れた。ちなみにシャーロットに宿の確保を頼んだのは、彼女が一番金額交渉が上手いからだ。

「さて、それじゃ行きましょうか」

 ぱん、とシャーロットが手を叩き、一行は手頃な宿を探すため、馬の手綱を引いて歩き始めた。


「――着いた。ここだ」


 一方のルシエルたちは、シャーロットたちと別れてから程なく、市街地のほぼ中心部にある城館に辿り着いた。

 ラクルマルディの街並みの只中で、領主たるクローネル伯爵家の城館は堂々たる佇まいを見せていた。やはりこの地方の産物であるウォームグレイの石材を、一定の大きさのブロックとしてそれを隙間なく組み上げ、全体的に角張ったシルエットを形作っている。だが随所に煙突や塔が突き出し、四隅も丸みのある塔を据えていること、部屋の配置を工夫して外にせり出す箇所をいくつか作り、単調な四角形をわざと崩していることで、ともすれば無骨な印象になりそうな外見を瀟洒しょうしゃなものとすることに成功していた。

 現在、城館の主人たるジュリアス・ヴァン・クローネル伯爵は、財務副大臣として王城に出仕しているため、領地にはほとんど戻らず王都の別邸に暮らしている。そのこと自体は特に問題はない。むしろ、領主が国を動かす閣僚に名を連ねているというのは非常な名誉であり、領民たちとしても誇るべきことである。領地で圧政でも敷いていればまた話は別だろうが、ジュリアスは財務副大臣を務めるだけあって経済には詳しく、領民たちに無理な課税をすることもなかった。

 だが――当代の領主が賢明であったとしても、後継者までがそうとは限らないのだ。

(……まあ、考えようによっては、そのおかげで僕もクローネル家(ここ)に引き取られて、アルの後ろ盾になることができるんだろうけど)

 まったく人生、何が幸いするか分からないものだ。

「……とりあえず、僕が来ることは話が通っているはずだ。行こう」

 ため息一つ落とし、ルシエルは門を守る門番に声をかける。ジュリアスがあらかじめ知らせを送っておくと言っていたが、それは確かに届いていたようで、門番は慌てて居住まいを正して門を開けた。もとより彼も、ほとんど寄り付かないとはいえ、領主の末子については知っている。

 開けられた門を、ルシエルはディラークを伴って堂々と潜った。

 大抵の貴族の城館に当てはまるが、領地の城館は王都の別邸より広い敷地を贅沢に使って建てられる。王都のような敷地の制限がないからだ。クローネル邸も例に漏れず、広々とした庭園の真ん中に、王都の館の二倍から三倍はありそうな城館が鎮座し、門から玄関の少し手前までは並木道すら造られていた。その左右に広がる芝生と植込みは、いずれも一部の狂いもなく整えられ、見事な直線と曲線を描いている。ルシエルの記憶では、館の窓から庭を見下ろせば、幾何学きかがく的な模様が浮かび上がるはずだった。おそらく今でもそのままだろう。

 石畳が敷かれた道を、館の玄関まで馬で進んで行く。玄関の前には噴水が造られ、水盤に清らかな水をたたえていた。中央の石像から滾々(こんこん)と湧き出す水は、涼しげな音を立てて水盤に落ち込み、周囲にごく細かな水の飛沫しぶきを振り撒いて清涼感をもたらす。

「これは……素晴らしい眺めですね」

「これでも伯爵家としては一般的な方らしい。――さあ、乗り込むぞ」

 玄関前で馬を降り、飛んで来た馬丁に馬を引き渡す。そして玄関に向かうと、玄関先に控えていた従僕フットマンうやうやしく一礼し、扉を開いて二人を招き入れた。


 ――果たして、この館の中のどれほどが味方となり、どれほどが敵となるのか。


 魔法式収納庫ストレージの中に仕舞った、父の書簡という名の爆弾について思いを巡らせつつ、ルシエルは騎士らしく背筋を伸ばし胸を張り、馴染みの薄い実家へと足を踏み入れた。


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