第40話 嵐の前のひと時
11/1追記:せっかく通貨単位まで考えてたのに入れ忘れてた……orz というわけで買い物シーンを一部修正しました。
レクレウス王国北部、オルロワナ北方領の中心都市・ラフト。その入口を守る堅牢な門を、一台の馬車が潜って行く。紋章を掲げていないところを見ると平民富裕層のものだろうと、街行く人々の記憶からは、その馬車のことはすぐに消えた。もっとも、一部の者はふと思ったのだが。
このところ、馬車が少しばかり増えたような気がする――と。
門を潜った馬車は、通りをしばらく進むと、とある一軒の屋敷の門前で停まる。御者が降りて家人を呼ぶと、話が通っていたらしく門扉が開かれた。御者が乗り込み再び動き出した馬車を呑み込むと、門扉は再度閉ざされる。
敷地内に入った馬車は庭の小道を通り、屋敷の正面玄関前の車寄せに停まった。御者が扉を開けると、中から帽子を目深に被った男性と、その使用人と思しき人間が二人、馬車を降りてそそくさと建物に入る。玄関の扉が閉まると、彼らは息をついて帽子や外套を脱ぐ。と、仕立ての良いお仕着せを着た紳士が現れた。
「ようこそ、おいでくださいました。こちらでございます」
「うむ……」
来訪者たちは彼の案内を受け、広間から廊下に入り歩いて行く。やがて一番奥の、向かって右手の部屋の扉が開かれ、来訪者たちは中に招じ入れられた。
「! おお……!」
そこで待っていた人物に、来訪者は思わず歓喜の声をあげ、駆け寄ってその肩を抱いた。
「そなた、無事であったか……!」
「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません……父上」
部屋で待っていたのは、彼の息子であった。無事に見えることの叶った息子に、父は何度も頷き涙する。
よく見ると、周囲にも同じ立場であろう若者と壮年の紳士の姿がいくつか見られた。様子は様々なれど、皆一様に家族との再会を喜んでいるのは確かなようだ。
そこへ扉が開き、歯切れの良い足音と共に、数人の人間が入室して来た。
「――皆、子息との再会が叶ったようだな。何よりだ」
口火を切ったのは、このオルロワナ北方領の領主たるユフレイア・アシェル・レクレウスだ。その姿を目にした一同は、一斉に床に膝をつき頭を垂れた。
「この度は、我が愚息に身に余るご恩情をいただきまして……! 父として感謝の言葉もございません!」
「今となっては、我が身を恥じるばかりでございます……!」
彼らはユフレイアを襲撃した近衛兵――今は“元”が頭に付くこととなるが――と、その父親だった。いずれも、国内では由緒ある家柄の貴族だ。だが今では、王太子の暴走であるユフレイア襲撃の責を被せられ、王家から切り捨てられたことで、その生家も社交界ではもはや無いものとして扱われている。
王家は彼らを襲撃以前にすでに解任したと主張しているため、兵として罰することはできない。そして一般人が罪を犯した場合、原則としてその事件が起こった場所を領有する領主に刑罰の決定権がある。これはレクレウスの法で定められていた。つまり、今回のユフレイア襲撃事件については、ユフレイア自身に彼らを罰する権限があるのだ。
彼女はそれを利用し、元近衛兵たちの生家を自身の陣営に引き込もうとしていた。
床に平伏せんばかりに頭を下げ、感謝の言葉を繰り返し述べる彼らに、ユフレイアは殊更に柔らかい口調で語りかける。
「此度の一件では、ある意味卿らも被害者と言えなくもない。王太子殿下に命じられれば、近衛兵の立場では断ることなど事実上不可能だろう。責めを負うべきは、卿らを利用した挙句に都合が悪くなれば切り捨てた側ではないか?」
「しかし、例え利用されたといえども、ユフレイア殿下に剣を向けたは紛れもない事実……それを不問に付してくださるなど」
「何、あの一件では物はともかく、人命への被害はなかったからな。そういう意味では、そこのフィランにも礼を言うべきかもしれないが」
「え、俺に振らないでよ姫様」
いきなり話を持ってこられて、壁際に護衛として控えていたフィランは嫌そうな顔をした。だが、彼が襲撃に介入したおかげで人的被害が(襲撃側にしか)出なかったこともまた事実だ。当主たちはフィランの物言いに目を剥いたが、元近衛兵たちの中には、魔法を弾き飛ばしたフィランの剣技の冴えに感じるところのあった者もいるようで、彼を見る目には賛嘆の眼差しが混ざっている。
「ただ、卿らの家の名誉回復は、今しばらく待って貰わねばならない。国王陛下と王太子殿下が権勢を誇る今の段階では、例えわたしが卿らを無罪放免にしたところで、卿らの家の汚名を雪ぐとは思えないからな。むしろ、余計なことを喋られてはかなわぬと、暗殺者でも送り込みかねない」
「承知しております。本来ならば息子のみならず、我々も連座して処刑されてもおかしくなかったところを、殿下のご恩情によってお助けいただいた身。そのお言葉だけでも、過分なお心遣いにございます」
「すまないな」
もはや伏し拝まんばかりに、心からの感謝を捧げてくれる彼らには悪いが、彼らを王家側から引き剥がしてこちらの陣営に引き込むために、この恩義を利用させて貰う。何しろユフレイアの味方であると明言できる貴族家は、今のところクィンラム公爵家くらいのものだ。ちなみにその彼は、ユフレイアと元近衛兵たちの実家との連絡を取り持ちつつ、王都で情報収集・操作に勤しんでいた。いかに宮廷での存在をほとんど黙殺されている貴族たちとはいえ、さすがに当主がいきなり王都や領地から消えれば勘繰られる。そこで情報操作の専門家であるクィンラム公爵家が、巧みに情報を操り王家や周辺の貴族たちの目を誤魔化しているのだ。
ユフレイアが元近衛兵たちの親をラフトに呼び寄せたのは、彼らと直に顔を合わせて密かに手を組む約束を取り付けるため、そして元近衛兵たちを引き取って貰うためだった。罪を問わないことにした以上、彼らをいつまでも領主館に留め置いてはおけない。そこで一旦、生家に引き取って貰うことにしたのだ。彼らは生家の領地に戻って、しばらくは息を潜めていて貰うことになる。
身柄を押さえておけば彼らの生家に対して人質としての効果もあるだろうが、彼らは王家側からの裏切りで現在不遇を託っているのだ。そのためユフレイアは、できる限り寛容かつ誠実な姿勢を前面に打ち出すことにした。そうすることで、より王家への不信感を煽ることが期待できる。それに、密かに彼らと接触したクィンラム公爵家側からも、王家に不信を持つような内容――とはいえでっち上げでなく事実なところは微妙に笑えないが――を吹き込んでくれているはずだ。
「だが……王太子殿下の権勢が翳り、わたしの発言力が多少なりとも増せば、卿らの家の名誉回復について、口添えをすることも可能となるだろう。とはいえ、この通り辺境に流された身だ。中央の事情に通じた家の知己が得られれば心強い」
「何を仰います。しばらく前から王宮では、殿下が高位元素魔法士であられるという噂で持ちきりでございましたぞ」
「左様にございます。ましてや殿下は、この北方領を王国一豊かな土地に生まれ変わらせた実績もございましょう」
途端に貴族たちが誉めそやし始めたので、ユフレイアは軽く手を振ってそれを躱す。
「あまり持ち上げないでくれ。――では、わたしは後の予定があるので失礼する。卿らは今しばらくここで歓談しているが良いだろう。無論、領地へ戻るのも自由だ」
「は……ご配慮、まことに有難く存じます」
深々と頭を下げる貴族たちの謝意を受け取り、ユフレイアは部屋を後にする。もちろんフィランや随行していた面々もそれに続いた。もちろん、退室しても中の様子は隣の隠し部屋からチェックさせているが。
廊下を歩きながら、フィランが小声で懸念を口に出す。
「――でもさ、姫様大丈夫? 条件もなしに息子返しちゃって。あの中の誰かがこっそり王家に注進に走る可能性も、ないとは言えないと思うけど」
「そうだな。だが、その心配は当分あるまい」
「へ? 何で?」
「彼らも長年貴族社会を渡って来て、それなりに損得勘定や立ち回りには敏感だ。だが今回、王家の裏切りで大損失を被った。そこへわたしからの申し出だ。彼らはおそらく、王家に恭順する素振りを見せながらわたしとも通じ、ギリギリまで双方を天秤に掛ける道を選ぶ。わたしでもそうするからな」
「……それ、機を見計らって良さげな方に乗り換えよう、ってこと?」
「そういうことだ。現政権がファルレアンとの戦争に見通しを付け、王が退位して王太子が即位すれば、彼らはわたしに引き抜きを掛けられたという情報を手土産に、王家に注進に走る可能性もないとはいえない。もしかしたらその手柄で、家の名誉回復が成るかもしれないからな。――だがわたしは、その線は薄いと見ている」
「何で?」
「今回のことで、王太子の人となりは彼らにも知れた。注進に走ったところで、情報だけ取られてポイ捨てされるかもしれない――と思えば、うかつに密告もできないだろう。何しろ一度痛い目に遭わされている。それに彼らは、わたしとクィンラム公が組んでいるのを知っているんだ。そもそもクィンラム公が、後々裏切ろうと考えるような輩を本格的に引き込むとも思えないし、その上で子息との再会を斡旋したのなら、“こちら寄り”だと考えて構うまい。ならばある程度は彼の目的を聞いてもいるだろうし、今の状況と比較して我々の側に付くのが得だと判断する可能性は高い。今のままでは所詮一領地を任されただけに過ぎないが、クィンラム公の目的通り貴族議会が国を動かす形態になれば、自分たちにも国政に口を出す機会が巡ってくるかもしれないからな。貴族というのは多かれ少なかれ野心を持っているものだ。“革命”が成れば表舞台へ、そうでなければ王家に恭順したままほとぼりが冷めるのを待つ――そんなところだろう」
「はー、政治の世界って面倒だな。やっぱウチの一族が関わってこなかったの、正解だわ……」
フィランはしみじみと慨嘆しながら遠い目になった。なぜかって、今の自分はきっちりガッツリ関わってしまっているので。
そんな彼に、ユフレイアはにやりと笑みを見せる。
「悪いが、おまえにはしばらく働いて貰わなければな。差し当たっては、ここの周りの密偵の排除の継続だ。貴族たちがここにいることを誰にも知られるわけにはいかない」
「はいはい、承りました」
肩を竦め、フィランは一行を離れてふらりと外へ出て行く。また牢に繋ぐ人間が増えるかと考えながら、ユフレイアは次の予定のために足を早めた。
◇◇◇◇◇
ふっと浮かび上がるように、オルセルは目を覚ました。
(――ここは……?)
身体を起こそうとして、くらりと眩暈を覚えてふらつく。それでも何とか持ち堪え、周囲を見回した。
石造りの、今まで見たこともないような立派な部屋だ。オルセルが寝かされていたベッドや寝具も、しっかりとした作りの寝心地の良いものだった。実のところ、こんなに質の良いベッドで寝た記憶がなかったので、何だか冷や汗すら出てきた彼である。
(ほんとに、何でこんなところで寝てたんだ僕は……!? 確か村に――)
そこまで思い出し、そして一気に血の気が引いた。
「……っ、そうだ、ミイカ! それに村は――」
慌ててベッドを飛び出し、その勢いで部屋も飛び出す。部屋の外は薄暗い廊下だった。どちらへ行けば良いのかと、オルセルは立ち竦んできょろきょろと周囲を見回す。そこへ、
「――お目覚めになりましたか」
「うわあああ!!」
いきなり声をかけられ、オルセルは反射的に絶叫した。
「び、びっくりした……あなたは?」
飛び上がらんばかりに驚いたが、振り返った先に立っていたのは侍女服を纏った一人の女性だった。手にランプ皿を持ち、その上では蝋燭に灯された火が揺れている。正直薄暗い中でのその光景は少々怖かったが、ともかくも幽霊ではなさそうだと分かって、オルセルはほっと胸を撫で下ろした。
「わたくしはこちらにお仕えする者です」
「あ……すみません。ちょっと驚いて……そうだ、あの! 僕の妹を知りませんか!? 僕より少し年下の、緑色の目をした――」
ここで働いているというなら、彼女がミイカについて何か知っているかもしれないと思い付き、オルセルは急き込んで尋ねる。だが彼女は無表情のまま、
「わたくしは別の仕事を受け持っておりますので、お答えできません。では、失礼致します」
「あ、ちょっと――」
呼び止める暇もあらばこそ、彼女は明かりを持ってさっさと歩いて行ってしまった。
(何なんだ、一体……)
呆然とそれを見送ったオルセルだったが、先ほどの無表情さを思い出し、ふと薄気味悪いものを覚えた。さっきの彼女は人間というより、もっと何か無機質な――。
「――オルセル!!」
「うぐふっ」
そこまで考えたその瞬間、背中から突進して来た物体がまともに衝突し、オルセルは呻きながら前方に吹っ飛びかけた。だが腰の辺りに体当たりしてきた相手がそのまましがみ付いたため、吹っ飛ぶ代わりに前方の床にダイブする羽目になる。
「いたたた……」
呻きながら起き上がろうともがくオルセルに、ぎゅう、と抱き付くそれは、
「……ゼル? どうしてここに……」
「良かった! オルセル、生きてた……!」
少し青みがかった特徴的な銀髪は、忘れようはずもない。ゼーヴハヤルだ。だがもう一つの特徴である黄金色の瞳は見えなかった。オルセルの胸に額を押し付けるようにして、小さな肩を震わせていたから。
ぐす、と鼻をすする音が聞こえて、ああ、と思い当たる。
「ゼル。――村に来たんだな」
「……何か、イヤな感じがおさまらなくて……どうしても行かなきゃいけない気がした。だから、ちょっとだけのつもりで行ったんだ。そしたら、オルセルとミイカが……」
そこから先は思い出したくなかったのだろう、ゼーヴハヤルは言葉を切ってさらに強く、オルセルに抱き付いた。まるで、放せば今度こそ、彼が失われてしまうとでもいうように。
「……ゼル。大丈夫だ、僕はもう平気だよ。――そういえば、かなり大怪我だったはずなのに、何でもう痛みもないんだ? ひょっとして僕、そんなに寝てたのか……」
ゼーヴハヤルを宥めようとして、オルセルはやっとそのことに気付いた。深々と斬り裂かれたはずの脇腹は、痛みすら感じない。服――眠っている間に着替えさせられたのだろう、質素なチュニックとズボンだった――をめくってみても、傷痕らしきものは見当たらなかった。
「――姫様が特別に、あなたたちにポーションを使ってくださったのよ」
「え?」
急に飛び込んできた知らない声にそちらを振り仰ぐと、侍女服の少女が立っていた。一瞬先ほどのことを思い出したオルセルだったが、この少女は先ほどの侍女とはやや侍女服の意匠が違う。見て取れるだけでも、先ほどの侍女のものより装飾性が高く、格が上のように思えた。手にしたランプも、蝋燭の頼りない明かりではなく、安定した明るい光を放っている。もしかしたら魔法が使われているのかもしれないと、オルセルは推測した。
「あなたの妹は別室で療養しているわ。あなた同様に傷はもう治っているけれど、ショックが大きかったんでしょうね、まだ目を覚ましていないの。部屋はその子が知っているわ。ゼーヴハヤルといったかしら」
「そう、ですか……あの、ありがとうございます」
「お礼なら姫様に申し上げるべきね」
素っ気なくそう言って、彼女はオルセルたちの横を通り過ぎて行く。一部だけ結って髪留めで留められた紅茶色の髪が、明かりに照らされながらさらりと揺れ、その後ろ姿はあっという間に薄暗がりに溶けて見えなくなった。
「……なあ、ゼル。ミイカの部屋を知ってるなら、教えてくれないか? 様子を見に行きたいんだ」
「うん、分かった」
ようやく落ち着いたのか、ゼーヴハヤルはオルセルから離れて立ち上がると、ぐいぐいと腕を引っ張って歩き出す。危うく転びそうになりながら、オルセルはそれに続いた。
辿り着いた部屋は、オルセルが寝かされていた部屋からさほど離れていなかった。だったらせめて隣同士にしてくれれば、とも思ったが、途中ちらりと覗いた部屋は薄暗い中でも天井や壁が崩落していたのが見えたので、まだしもまともな部屋に運び込んでくれたのだと知る。正直、なぜこんな傷みも甚だしい建物を使っているのかとは思ったが。
「――ここだぞ」
ゼーヴハヤルが立ち止まり、中へずかずかと入って行く。オルセルも未だ引っ張られる形でそれに倣った。
そこは、オルセルが寝かされていたのと良く似た部屋だった。そのベッドの上で、ミイカが小さく寝息を立てながら眠っている。それを確認し、オルセルは大きく息をついた。
「良かった……」
そして親兄弟、村の人々のことを思い出す。
「そうだ、母さん、それに他のみんなも……ゼル、何か知らないか!?」
「俺はオルセルとミイカのことしか知らないけど……でも、二人のとこへ行く途中、倒れてる人間はいっぱいいた」
「そう、か……」
もとよりオルセル自身、村人たちが盗賊に薙ぎ払われるように殺されたのは目撃していた。自分の持ち場以外の場所の状況は分からないが、村が壊滅的な被害を受けたことだけは察せられた。
(……何だか、まだ信じられない。全然何も変わらない、いつも通りの日だったのに――)
まだどこか信じきれないような心持ちで、オルセルはそっとミイカの頭を撫でる。その温かみと寝息にこれ以上ない“生”を感じ、彼は泣きたくなったのを堪えて俯いた。
◇◇◇◇◇
色々な意味で精神をガリガリ削ってくれた謁見から一夜明け、アルヴィーは騎士団本部に足を運んでいた。
今回の件の褒美として、故郷の様子を見に行くことを許されたはいいが、アルヴィーも今や魔法騎士団の一員。遠出するには、まず上司たるジェラルドの許可を得なければならないのだ。
というわけで、彼の執務室に向かった。
「――休暇を取って故郷の村に、か……」
難しい顔で唸るジェラルドに、アルヴィーの表情が曇る。
「……ダメ、か?」
「正直、今はな……そろそろレクレウスが態勢を立て直して再侵攻してきてもおかしくない。おまえがブチ壊した魔動巨人も、もういい加減修理できた頃だろうからな」
「あー、あれな……」
そういえば女王アレクサンドラもそれを指摘していたと、アルヴィーも思い出した。国境に出張っていた三体の魔動巨人は、一体は破壊することができたが、残りの二体は回収されてしまったのだ。魔動機器大国と異名を取るレクレウスの技術力ならば、修理して再び戦線復帰させることも可能だろう。
「向こうが魔動巨人出してくりゃ、こっちも《擬竜騎士》を出さざるを得ない。ま、今すぐは諦めろ」
「謁見の時にもそれは言われたけど……やっぱ近いのか、再侵攻」
「向こうの出方次第ではあるがな。そう遠い話じゃないはずだ」
「ふーん……」
頷きながら、アルヴィーはふと疑問に思ったことを訊いてみた。
「そういやさ、ファルレアンって防衛戦主体なのか? レクレウス側に侵攻してきたことってないよな」
「ああ……まあ、周辺諸国の目ってもんもあるからな。積極的に他国に侵攻してる国と専守防衛の国とじゃ、他国からの印象も違うだろう。それに正直なところ、あんまり領土を広げ過ぎても、今度は広過ぎて統治が追い付かない、なんてことにもなりかねん。それなら現状維持の方がマシだ。土地によっては地元民の反発もあるしな。“元敵国”の領土を苦労して統治するくらいなら、賠償金やら関税優遇、それに技術と技術者の提供辺りで手を打った方が得だってのがこっちの考えの主流なんだよ。それに、旧ギズレ領がまだ宙に浮いた状態で陛下の預かりになってるだろう。褒美に領地を求める奴にはそれをくれてやれば良い。もっとも、領地を賜るほどの勲功となれば、相応の手柄は要るがな」
領土の割譲はそれ相応の“旨味”があるところでなくては、統治のための投資を丸々損するだけになりかねない。現在レクレウスで最も“獲り甲斐のある”土地は北のオルロワナ北方領だが、統治や採掘の手間を考えれば、領土を奪うよりも採掘された資源を買い叩く方がコストが低いのだ。オルロワナ北方領の民は鉱物資源の採掘や加工に必要な技術を持っているが、北方領がファルレアンに割譲されることとなれば、そういった民の内かなりの割合が、レクレウス領内へと引き上げてしまうことが考えられる。そうなると生産性は大きく落ちるし、ファルレアンから住民を流入させても技術の習得までに時間が掛かるので、あえて領地は奪わずに、生産される資源を格安でファルレアンに提供する条約でも結んだ方が手っ取り早い――というのが、国の上層部の意見の大勢を占めていた。ジェラルドもまったく同感だ。
「それに、向こうへ押し込むってことは、それだけ補給線が伸びるってことだからな。多少なりとも頭が切れる奴はそこを確実に突いてくる。補給部隊を襲われたら被害がでかくなるし、それに併せて焦土戦術でも使われたら厄介だ」
焦土戦術とは、敵が自陣の土地に押し入って来ることを見越して、わざと食料や資材になりそうなものを引き上げ、あるいは焼き払っておく戦術だ。そうしておけば、攻める側が物資を現地調達しようにも不可能となるので、撤退するか自腹を切って物資を調達し進むかの二択になる。防御側としては、前者ならば防衛が成り、後者でも敵の兵站に負担を掛けられるということで、どちらに転んでも利はあるのだ。さらに悪辣なケースになると、物資を洗い浚い引っ攫った挙句地元民は置き去りにし、その面倒を敵方にすべて負わせてさらなる負担を強いる場合もある。まあそれは、味方の信をも失いかねない諸刃の剣ともなるのだが。
レクレウスのレドナ侵攻も、そもそもはファルレアン国内に侵攻するに当たっての補給基地を得るためだった。その目論見は《擬竜兵》の暴走によって文字通り灰燼に帰してしまったのだが、成功していればレドナを足掛かりに、国内への侵攻を許していただろう。街を占領されてしまえば、そこに住む住民を人質に取られるようなものだ。奪還は困難を極める。
そして多少なりとも領土への侵入を許してしまうということは、相手に手札を与えてしまうことと同義。たとえファルレアンが戦争に勝っても、レクレウス側はその手札を切ることで、何らかの要求を通せる可能性が生まれる。それを考えれば、手酷い被害を受けたとはいえ、レドナを奪われずに済んだ意味は大きかった。
「じゃあ、ファルレアン側はレクレウス軍を国境から内側に入れなきゃいいわけか……あ、でも、飛竜で隊組んで、王都を直接襲うとかされないのかな」
「上空から王都を爆撃でもするってことか? そもそもそれだけの規模の編隊を組めるほどの数の飛竜は、どこの国も持ってないぞ。飛竜を一頭使い物になるまで仕上げるのには、恐ろしく手間暇と金が掛かる。それにたかだか十頭程度の飛竜で漫然と王都を爆撃してもどうにもならん。その爆撃で国王を筆頭に政権の中心人物を軒並み吹っ飛ばしでもできればまた話は別だがな。正直、その手を使うならレクレウスよりファルレアンの方が上手くやれる」
「上手く?」
「簡単だ。飛竜に《擬竜騎士》を乗せて向こうの王都まで送り込めばいい。そこで《竜の咆哮》を何発か王城にぶち込めば、それで片が付く」
「…………」
アルヴィーが何とも嫌そうな顔になったのを見て、ジェラルドは肩を竦めた。
「……まあそれは最後の手段というか、禁じ手だがな。向こうの政治中枢を軒並み吹っ飛ばしちまったら、こっちが勝っても戦後の和平交渉やらその他諸々が、とんでもなく面倒臭くなる。ましてやレクレウスの向こうのヴィペルラートは、隙あらば余所から領土を掠め取ってやろうと狙ってやがるし、戦後のゴタゴタを突いて領土の一部占領くらいやりかねん。こっちの希望はあくまでも、総力戦に雪崩れ込む前の地域紛争のレベルで抑えることだ。その上で賠償をいくらかと、こっちに有利な条件を付けられれば言うことはないってところか」
この戦争で命を落とした者たちの遺族には、あるいは徹底的にレクレウスを叩きのめすことを望む者もいるだろう。だがそうすれば、弱体化したレクレウスの領土や資源を巡って、今度はさらに別の国が介入してくる可能性もあるのだ。そうなればファルレアンは、果て無き戦乱の渦に呑み込まれる。それはファルレアンの国益になるとは、到底言えないものだった。
たとえ一部の民の思いを無視することになってでも、国全体の利益となる道を選ばなければならない。国を動かすには、それを受け止めた上で貫き通す意志の強さが必要なのだ。幸い、現女王アレクサンドラはその辺りについてはよく理解している人物なので、判断を誤る心配はない。
だがまずは、戦争そのものをファルレアン優位で終わらせることが最低限の絶対条件だった。
「ま、そういうわけでおまえは、基本的に待機だ。事が起これば飛竜なり何なりで早々に現地に向かって貰う」
「……了解しました」
アルヴィーも自分の役目は分かっている。生ける戦略兵器と謳われる自分の力は、戦場でこそ最も活きるのだから。
それでも、戦況が一段落すれば纏まった休暇を貰える約束は取り付け、アルヴィーはジェラルドの執務室を後にした。《擬竜騎士》として独立した階級を持つ彼は、平素の街の治安維持やらの任務には出ない(というか小隊を組んでいないので出られない)ので、普段の主なお仕事は剣などの鍛錬となる。一旦自室に戻って練習着に着替えるかと思ったアルヴィーだったが、ふと思い付いて王立魔法技術研究所へと足を向けた。
「――お邪魔しまーす……」
相変わらず異臭が漂う薬学部に顔を出す。ワーム素材の処理を頼んでいたので、それが仕上がっているかどうかの確認だ。
「おや、誰かと思えば。聞いたよ、《下位竜》の話は」
ひょっこりと顔を出した薬学部責任者スーザン・キルドナは、にひひと笑ってアルヴィーを手招きした。
「ワームの方は処理も一通り終わったよ。状態もそう悪くなかったし、街で売ればそれなりの額になるだろうね」
スーザンが持って来てくれたワーム素材は、見事に処理がされていて確かに充分売り物になりそうだった。というか、薬学部の副業にしては見事過ぎる気もする。いっそこれが本業でもいいんじゃないかとちらりと脳裏によぎったが、さすがに口には出さなかった。彼らの薬学研究は、薬やポーションという形で確かに国に役立っているのだし。
礼を言って素材を魔法式収納庫に仕舞い込む。スーザンはにやりとして、
「こっちも良い素材を貰ったからね。――何なら、この間の《下位竜》の素材もこっちに回してくれて良いんだがねえ」
「あー……その辺はルシィの親父さん……じゃなかった、クローネル伯爵と相談してるとこなんで」
昨日の謁見の後、アルヴィーはジュリアスと《下位竜》素材の分配について軽く話し合った。何しろ滅多に手に入らない竜の素材である。倒したアルヴィーに権利があるのは当然としても、魔石(《竜玉》と呼ばれるのは《上位竜》のものだけらしい)を始めとした《下位竜》の素材は国としても非常に魅力的であり、ある程度は国の方にも融通して貰いたいというのが、財務副大臣であるジュリアスの言い分であった。財務大臣ではなく副大臣である彼が交渉に来たのは、やはり親友の父という立場を最大限に活用するためだろうかと、ちょっと穿ったことを考えるアルヴィー。
もっとも、現在肝心の《下位竜》素材は財務の方で査定中&使い物になるよう処理中らしいので、本格的な協議は評価額が確定してからになるだろう。ジュリアスの方も、国主催のオークションの準備もあるのでそう長い時間は空けられず、アルヴィーとも十五分ほど話をしたくらいで本来の執務に戻ってしまった。協議というよりも、他に先んじて声をかけておく、程度の意味合いだったのだと思われる。
(……っていうか、ぶっちゃけ俺《下位竜》素材貰っても使い道ねーし……)
他者からすればとてつもなく贅沢なことを胸中で愚痴りつつ、アルヴィーはスーザンに暇を告げて薬学部を後にした。去り際にスーザンが不気味な笑いを漏らしていたが、詳しく訊いたら精神衛生上よろしくなさそうだったので見なかったことにする。ワーム素材で新薬開発とか言っていた気もするが、アルヴィーは何も聞いていない絶対に。
とりあえずワーム素材を売却して、制服を何着か注文しておこうと、アルヴィーは街に出ることにした。部屋に戻って着替え、置いてきぼりにされて少々お冠だったフラムを宥めて連れ出す。そして、さて街に出よう――としたところで、アルヴィーははたと気付いた。
(……そういや、こういう素材ってどこで売ればいいんだ……?)
そもそも、自給自足か軍で配給を受けるだけという生活しかしてこなかったアルヴィーだ。商取引についてはド素人の中のド素人である。このまま街に行って飛び込みで素材を売りに行ったところで、体良くカモにされる未来しか見えない。
となると――。
アルヴィーはしばし考え、そして騎士団本部の方へと足を向けた。
◇◇◇◇◇
「――で、こっちに来た、と」
アルヴィーの話を聞き、ルシエルは頷いた。
「うん。確かに正解だったと思うよ。経験もなしに王都の商人と交渉なんて、無謀でしかないからね」
親友が後先考えずに飛び出して行くお馬鹿さんでなくて本当に良かったと、ルシエルは胸を撫で下ろす。
ルシエルたち第一二一魔法騎士小隊が巡回任務を終えて戻って来たのは、今から十分ほど前のことだった。報告を上げ、さあ解散――という時に、アルヴィーが尋ねて来たのだ。そして話を聞き、冒頭に至る。
「だよな。そもそもどこ行けば捌けるのかすら分かんねーし」
「ワーム素材だからなぁ……その辺の店じゃ扱うのは無理だろ。ユフィオ、どっか良さげな店知らねーの? おまえん家は専門だろ」
カイルがユフィオに尋ねる。ユフィオの実家は王都でもそれなりに知られた商家だ。だがユフィオは慌てて首を振る。
「ぼ、僕の家は主に食品関係を商ってるので……ワーム素材だったら、むしろ武具店なんかに直接売った方が」
「武具店か……そう言われりゃそうだな」
「魔法具店って手もあるよ。ワーム素材は魔力を帯びてることが多いからね。杖なんかの材料に良いんだ」
「革だったら服にするのも有りよ」
クロリッドにジーンまでが乱入して来て、ああでもないこうでもないと言い合い始める。元来寡黙なユナはそれを一歩退いて眺めていたが、ふとある人物に目を留めてそそっと近寄った。
「……ロット、どうしたの?」
「え?」
その人物――シャーロットは、同じく賑やかな輪を眺めていたが、ユナに声をかけられてふと我に返ったように振り向いた。
「何か?」
「何となくぼーっとしてた」
「いえ、ちょっと……この後の予定を考えていて」
「何かあるの?」
「そういうわけではないんですが」
「ふうん」
表情に乏しい顔で頷くと、ユナはちょいちょいとシャーロットを手招きした。首を傾げつつも近寄って来た彼女の背後に回り込み、ぐいぐいと押しやっていく。
「えっ、ちょっと、ユナ!?」
「気になるなら、ロットも話に入ればいいと思うの」
「別にそういうわけじゃ――」
いきなり押し問答を始めた二人に、同じく輪の外から見守っていたディラークが「どうした?」と声をかける。が、彼より先にカイルとジーンの二人が、ユナの思惑に気付いたらしい。にやにやしながらユナに加勢する。
「そうそう、シャーロットは王都育ちだもの、街には詳しいでしょ?」
「俺は花街専門だからなー」
「余計なことは言わない!」
カイルが口を滑らせてジーンに脛を蹴られる一幕もあったが、三人掛かりではいくらシャーロットが抵抗しようとも敵わない。ぽいっとばかりに輪の中心にいるアルヴィーのところに放り出された。
「シャーロットは生まれも育ちも王都で、店なんかにも詳しいから、案内して貰いなさいな」
「アルヴィーだけじゃ口の上手い商人に言い包められちまいそうだしな」
「え、ああ、そういうこと?」
クロリッドも遅ればせながら、彼らの魂胆に気が付いたらしい。良く分からない顔をしているユフィオを引っ張って離脱する。いきなりシャーロットを連れて来られて首を傾げているアルヴィーに、ユナが手を差し出した。
「フラム、貸して?」
「え? うん……」
肩に乗せていたフラムを引っ掴んで渡してやると、彼女は瞳をきらきらと輝かせて、
「ありがとう。――今日はわたしが遊んであげる。お風呂にも入れてあげるね」
「きゅっ!? きゅーっ!?」
何やら尋常でない気配を感じたのか、フラムが常にない勢いで四肢をばたつかせたが、ユナに優しくもがっちりと胴体を掴まれていて、逃亡は果たせなかった。そのままフラムを手にフェードアウトしていくユナ。遠ざかるフラムの悲鳴をバックに、仲間たちは遠い目でしみじみ。
「ああ……そういや、防衛線の辺りにはああいう小動物いなかったもんなあ……」
「雰囲気ピリピリしてたから、小鳥も逃げたもんね……」
「久しぶりに好みの小動物に会ったから、我慢できなくなったのね……」
おそらくフラムは今日、怒涛の勢いでユナに構い倒されるだろう。まあ虐めるわけではないのだから良いだろうと片付け、彼らは自分たちも引き揚げることにした。
「じゃ、わたしたちも解散しましょうか」
「お疲れ様でしたー」
「お疲れー。あ、隊長はちょっとこっち」
「え?」
「オッサンも早く帰って家族サービスしてやれよー」
ジーンが解散の音頭を取れば、クロリッドがユフィオを、カイルがルシエルを引っ張りディラークにも声をかけて、さっさとその場を離れる。後にはアルヴィーとシャーロットだけが残された。
「……何なんだ?」
ぽかんと呟いたアルヴィーだったが、同じくぽかんと立ち尽くしているシャーロットに目をやる。
「……何かよく分かんねーけど、案内してくれんの?」
「え? ああ、はい、そうですね……」
ほとんど反射的にシャーロットは答え、はたと我に返ったが、アルヴィーが顔を輝かせて「ありがとな!」などと言うものだから今さら前言撤回もできない。というか、危なっかしくて一人で街に出せなさそうなのも確かなのだ。従騎士時代のお使い程度ならともかく、一人で交渉事などやらせたらカイルの言う通り、上手く言い包められて損をしそうな気がしてならない。
「……とりあえず、行きましょうか」
ともあれ、家に帰って私服に着替えてからの話だ。シャーロットはアルヴィーを促し、先に立って歩き出した。
……その様子を、離れたところから興味津々で覗き見る第一二一魔法騎士小隊(-ディラーク)の面々。
「――どういうことだ?」
「だぁから、どういうことも何も、そーいうことでしょうが、隊長」
「まあ、アルヴィーの方はまだそういう感情はないかもしれないですけどねえ」
「……ロットはちょっと気になってると思うの。防衛線構築の時も、ちょくちょく北の方見てぼーっとしてた」
「なにそれ詳しく!」
フェードアウト後再び合流し、フラムを撫で撫でしながらのユナの一言に、ジーンが勢い込んで食い付く。ここに至ってようやくルシエルも、彼らの言わんとすることに気付いた。
「……ええと、もしかして」
「いやー、若いっていいよなあ」
しみじみと言うカイルもまだ二十代前半である。
当初は驚いたルシエルだったが、驚きが去れば、それはそれでアルヴィーにとっては良いことかもしれないと思い直す。彼は故郷も家族も失ったのだ。そんな彼に新たに大事に思う相手ができるのなら、むしろ喜ばしいことだろう。
「……まあ、あまりからかわないでやってくれ」
そう言い置いて、ルシエルも自宅に戻るべく歩き出した。
◇◇◇◇◇
街に出たアルヴィーとシャーロットは、まずシャーロットが私服に着替えたいと希望したので、彼女の家に向かった。
シャーロットの家は、大通りを二十分ほど歩き、脇道を少し入った、建物が建ち並ぶ一画にあった。小ぢんまりした二階建ての家や、フラットと呼ばれる集合住宅型の家が多い。石材で基礎を組み、防腐加工か黒に近い焦げ茶色に塗った木材を柱や梁に、白っぽい土を固めた壁というのが基本的な構造で、そういった建物が並ぶ様はそれだけで目を楽しませてくれる。もっともこれは、平民の家では建物すべてを石材で組み上げるなどという手間暇も金も掛かる建築ができないので、安価な木材や土を使うがゆえの構造らしいが。
故郷の村にいた頃は木組みの家ばかり見慣れていたアルヴィーは、感嘆の声をあげながら周囲を見回した。
「やっぱ王都って、普通の家も洒落てんなー」
「それほどでもないですが。――ここです」
それらの家の一つ、一軒の二階建ての前でシャーロットは足を止めた。
「どうぞ」
「や……俺、ここで待ってるよ。街並み見てんのも面白いし」
「では、すぐ着替えて来ますので」
シャーロットが玄関を開けてくれるが、何となく家の中に人の気配がない。他に家人がいればともかく、そうでない(しかも女性の)家に入ることは妙に憚られ、アルヴィーは外で待つことにした。それに、外の景色を見たいのも本当だ。木材の焦げ茶色と土壁の白のコントラストが整然と並ぶ景色は見事だった。もっとも似たような外見の家が多いので、初見では間違いなく迷子になりそうだったが。正直、シャーロットの案内なしでは大通りに戻れる気がしない。
(地元民スゲエ……)
感心しながら周囲の家を眺めていると、とんとんと階段を下りてくる音がした。ややあって玄関が開く。
「――どうも、お待たせしました」
現れたシャーロットは、ブラウスに膝下までのスカート、ショートブーツという姿だった。胸元を飾る、ブラウスと同生地の大きなリボンが女の子らしい。こうしていると、戦場でバルディッシュを操り前衛に立つパワーファイターなのが嘘のようだ。
「あ、うん……」
どこからどう見ても可憐な美少女でしかないシャーロットに、アルヴィーは一瞬目を奪われ、慌てて頷いた。
連れ立って再び大通りに出ながら、シャーロットはルートの算段を立てていく。
「まずは魔法具店に行きましょうか。ワームの骨や牙辺りが、杖の材料や術の触媒の材料として買い取って貰えるはずです。わたしの知ってる店が、ここからもそう遠くないですし。革はジーンさんが言っていた通り、服か防具に仕立てて貰った方が良いかも……ああ、でもワーム防具より頑丈ですよね、あなた」
「……間違っちゃいないんだけど、何か釈然としない……」
確かに素で強化魔法並みの頑丈さを誇る身ではあるが、何となくビックリ人間呼ばわりされているような気分になって、アルヴィーはぼやいた。
――シャーロットがアルヴィーを連れて来たのは、彼女の家から十分ほど歩いた場所にある魔法具店だった。店頭には素っ気ない看板しか出ておらず、知らなければ普通にスルーしてしまいそうな店である。
だが入口の扉を開ければ、そこから先はまさに別世界だった。
木で作られた簡素なものから装飾が施された金属製まで多彩な長杖、短杖が並び、魔法照明らしき灯りを受けてきらめくのは色とりどりの宝玉の原石。壁際には何に使うのか良く分からない乾燥させた植物が吊るされ、術具の合間にはなぜか獣のものと思しき頭蓋骨が鎮座している。何ともカオスな世界だった。
「……何ここ」
「気持ちは分かります。でもここのオーナー、腕は良いんですよ……」
シャーロットも何だか遠い目だ。
そんなことを喋っていると、奥から一人の老婆が出て来た。魔法具店というからどんな怪しい格好の人物が顔を出すかと思ったら、ごく普通のチュニックとスカート、頭にはスカーフとまるで村の老婆のような出で立ちで、少々拍子抜けするアルヴィー。
だが二人を見てにやりと笑ったその顔は、やはり何となく胡散臭かった。
「――おや、シャーロットじゃないか。久しぶりに買い物かい? しかも男連れとはねえ、あたしも年を取るわけだ」
「っ、そういう誤解を招きそうなことを言うのは止めてください……というか、今日は買い物ではなく、商談です」
「商談?」
「はい」
シャーロットにつつかれ、アルヴィーは急いで魔法式収納庫からワームの骨やら牙やらを取り出す。それらの部位は他の店でも売れるそうなので、とりあえずここでは一部の売却に留めておくつもりだった。それでも両手で抱える量ではあるが。
「ええとこれ、ワームの素材なんだけど――」
瞬間、老婆の眼の色が変わった。
「本当かい!?――ふーむ、確かにこの魔力はそんじょそこらの魔物のレベルじゃないね。術具としても申し分ないよ」
「……骨とか何の術に使うんだ?」
「知りたいかい?」
ニタァ、と笑われ、アルヴィーは即座にぶんぶんと首を横に振った。世の中、知らなくて良いことは山ほどあるのだ。
「この量なら十五万ディーナは行くねえ」
「ご冗談を。三倍は堅いでしょう」
「老い先短い年寄りを虐めるもんじゃないよ、シャーロット。仕方ないねえ、二十万でどうだい」
「それだけ買い叩く気力があるなら、あと三十年は大丈夫だと思いますよ? 四十万で」
「口の減らない娘だねえ」
突如目の前で始まった売買交渉に、アルヴィーが口を挟めないで唖然としている内に、シャーロットは三十万ディーナ、金貨にして三十枚での売却を決めた。とはいえ、老婆の方も充分以上に儲けになるのでそれで手を打ったのだろう。
「……すげーな」
「これくらいは普通ですよ? というか少し値切られました、すみません。さすがに年の功には敵いませんね」
「いや、充分だと思う……」
少なくとも、自分がやって同じ値段を叩き出せる気がしない。アルヴィーは素直に感心した。
ワームの骨や牙を老婆に渡し、引き換えに金貨を受け取って、魔法式収納庫に仕舞い込む。そして興味津々で店内を見回していると、視界の隅で何かがキラリと光った。
(何だ?)
近寄ってみると、それは髪飾りだった。結った髪に挿すタイプのもので、紫水晶の欠片を銀の細い鎖で繋いで連ねてある飾りの部分が、照明を反射して光ったのだろう。
「ああ、それは魔法抵抗を上げるんだよ。まあ、微々たるもんだがね」
値札を見ると八千ディーナとあった。マジックアイテムとしては安い――と思いかけて我に返る。そもそも店内のアイテムの値段が軒並み高いのだ。もっとも、マジックアイテムというのは総じて高価なものだが。
それをまじまじと見ているアルヴィーに、老婆がにやにやと話しかける。
「そういえばシャーロットは、装飾品の類はあまり着けない娘だねえ。髪飾りくらい着ければいいのに」
「……必要を感じませんので」
「え、似合いそうだけど。これとか」
髪飾りにあしらわれている紫水晶は、どことなくシャーロットの瞳の色に似ている。なのでするりとそう言ってしまったところ、老婆がさらに目を細めてにやにやしながら勧めてきた。
「ほらシャーロット、彼もそう言ってるじゃないか」
「ですからっ、騎士としてそういう派手なものは――」
「馬鹿だねえ、非番の時に着ければいいじゃないか」
シャーロットの反論ものらりくらりと躱し、老婆はにやにやと笑うばかりだ。先ほどの交渉とは打って変わって、今回はシャーロットの方が圧倒的劣勢のようだった。そして矛先はアルヴィーにも向く。
「兄さん、どうだい? ちょっとしたプレゼントには良い品だよ。素材の売却に付き合って貰った礼にでもどうだい」
「そっか、それもそうかもな」
「アルヴィーさん!?」
珍しくあたふたするシャーロットを余所に、充分に手持ちのあるアルヴィーはそれを購入した。
「ほらシャーロット、せっかく買って貰ったんだから、着けてみちゃどうだい」
老婆が髪飾りを片手に、シャーロットを手招く。シャーロットは逡巡したが、やがて思い切ったようにやって来た。彼女は左右一房だけ残して後は後頭部で結っているので、そこに髪飾りを挿す。細い銀鎖と紫水晶がしゃらん、と涼しげな音を立てた。瞳の色ともあいまって、良く似合っている。
「ほーれ、似合うじゃないか。ねえ、兄さん」
「え、あ、うん、いいと思う」
アルヴィーが頷くと、シャーロットは恥ずかしげに目を伏せた。
「……ありがとうございます」
「や、交渉代わって貰った礼だから! てか次も頼む、俺だと言い負かされる気しかしない……」
王都の商売人怖い、と項垂れるアルヴィーに、シャーロットはくすりと笑った。
「そうですね、では代理人報酬ということで遠慮なくいただきます」
「あ、うん、そうしてくれ」
「分かりました。では、次に行きましょうか」
二人は魔法具店を後に、次の店に向かった。身長の関係でやや見下ろす形になるシャーロットの後頭部で、銀の鎖がしゃらしゃらと揺れてきらめく。
そのせいか否か、眩しげに少し目を細め、アルヴィーは石畳の道を歩き始めた。
やがて巻き起こる戦火――その少し前の、限りある穏やかなひと時だった。




