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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第五章 動乱の萌芽
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第34話 邂逅

 かつて大陸でも最も進んだ魔法技術と、最大の領土を誇った帝国――クレメンタイン帝国。だが百年前の大戦で滅んだ後は、新たに大公となってそれぞれ国を興した三つの公爵家を除く数多あまたの帝国貴族の生き残りが、小さな国を興しては戦乱や飢饉などでせいぜい十数年ほどで滅ぶことが相次ぎ、やがては国家の存在しない空白域となるに至った。ゆえに現在、その一帯は《虚無領域》と称される。

 《虚無領域》には人間と魔物の領域テリトリーまだらのように点在し、そこに生きる人々の間からはいつしか、家名の習慣が廃れていった。人間の生きられる範囲はさほど広くなく、ちょっとした村程度の集落を作り上げるのがやっとだったのだ。そういった環境下では、わざわざ家名など付けて区別しなくても、どこの誰だかすぐに分かる。必要のなくなった家名は、やがて消えていった。

 ――そんな多くの村の一つ、エトル村。リューラン川に程近い地点に位置し、三公国の一角モルニェッツ公国に近いこの村もまた、狩猟と農業で生計を立てる、どこにでもあるような村だった。

 村は魔物除けの柵に囲まれ、その周囲には森が広がっていた。そこは村人たちの狩場であり、また山菜や木の実、薪などの恵みを与えてくれる畑でもある。村の子供たちがこっそり柵の隙間から抜け出して森に入り、木苺や山葡萄(ぶどう)などを集めてその甘酸っぱさを堪能するのも、代々受け継がれてきた通過儀礼のようなものだ。

 村の男の子たちの大多数が腕白わんぱく坊主を経て粗野な少年に育つ中、村長の息子であるオルセルは一風変わった、勉学が好きな少年に育った。

 黒髪、群青に近い深い青の瞳を持つ彼は、今年十五歳。同年代の少年たちが畑仕事や狩りに精を出している中、彼は本を片手に、村の畑を回って農業の指導をしていた。

「――あ、そこ、もう少し間を空けて。あまり間を詰め過ぎると、隣の株と根が絡まって、育ちが悪くなるんだ」

「へえー、ちょっとでも多く育てようと思って詰めて植えてたけど、そうしない方がいいのかい。何だか変な感じだなあ」

「何言ってんだ、坊ちゃんの言う通りにしときゃ間違いないよ。うちも去年、そうやって植えたら実が生る頃には、前の年よりずっと実が大きくなったんだ。前の年より多い麦と交換して貰えたよ」

「そうなのか。坊ちゃんは物知りだなあ」

「いや、この本のおかげだよ。作物の植え方や育て方について、詳しく書いてあるんだ」

 面映おもはゆそうに手にした本を見せるオルセルだったが、村人たちにはちんぷんかんぷんだ。それもそのはず、こんな小さな村では余所の村や町と交流する機会すらそうそうなく、買い物も物々交換。言葉だけですべてが済んでしまう生活の中、文字すら廃れてしまったのである。唯一、村長の家には昔から受け継がれてきた本が何冊か残っており、そのおかげでオルセルは文字くらいは何とか読めるようになった。

 もっとも、この本は元から家にあったものではない。村の近くの森の中に、八割方崩れかけた廃屋のような建物があり、その地下の部屋から持って来たものだ。数年前に見つけたそこから、オルセルは少しずつ本を持ち帰り、独学で様々なことを学んでいた。それでも、彼が持ち帰った本は、地下室の蔵書のごく一部に過ぎない。おそらくクレメンタイン帝国時代のものだろうと、オルセルは見当を付けていた。

 この日も農業指導を終えると、オルセルは一応小さな弓とナイフ、そして最低限の食料を入れた背負い袋を持ち、森へと足を向ける。これまた本からの知識を参考に、森の中の数ヶ所に罠を仕掛けてあるのだ。それを見て回るついでに、件の地下室からまた本を持ち帰るつもりである。

(噂で聞いただけでも、クレメンタイン帝国って凄い文明を持った国だったみたいだし……村のために、知識はいくらあっても困らないしな)

 だが、いつものように村を出ようとすると、

「――お兄ちゃん!」

 背後から飛んできた声に、オルセルは振り返った。

「ミイカ?」

「お兄ちゃん、森に行くの? わ、わたしも、一緒に行っていい?」

 駆け寄って来た小柄な少女は、三歳年下の妹・ミイカだ。妹といっても腹違いだが。オルセルの父である村長は女好きで、貴族でもないのに一夫多妻を気取り、現在四人の妻を持っていた。ミイカの母はその妻たちの中でも一番立場が低く、しかも子供が娘であるミイカしかいないため、彼女ミイカは他の妻や子供たちに常日頃からいじめられていたのだ。暗い緑色の瞳はいつも伏せられ、髪も少し伸ばすと切られてしまうため、肩上辺りから伸ばせない。どこかおどおどした雰囲気と小柄な体格のせいで、ミイカは実年齢よりさらに年下に見えた。

 それでも彼女は、オルセルにだけは懐いていた。他の兄弟たちと違い、オルセルは穏やかで物知りで、ミイカを虐めるようなことはしないからだ。それが分かっているオルセルも、この異母妹いもうと不憫ふびんで、いつも連れ歩いていた。少なくともその間は、ミイカが誰かにちょっかいを掛けられることはないからだ。幸い、オルセルの母は父の最初の妻であり、妻たちの中でも立場が強い。ミイカを連れ歩くことにも、表立って文句を言われることはなかった。

「いいよ。おいで」

 そう言うと、ミイカの顔がぱあっと輝いた。

 鳥の雛のようについて来る妹を伴い、オルセルは森に分け入った。森のごく浅い場所ならば、非力な少女でも危険な目に遭うことは滅多にない。それでも、ミイカの方には常に気を配りながら、オルセルは罠を仕掛けた場所を見て回る。その内の二ヶ所で小さいながら獲物が掛かっており、早速止めを刺して血抜きなどの処理を簡単にだが行った。

「お兄ちゃん、それ、どうするの?」

「そうだなあ、片方はここで捌いて、昼ご飯に食べてもいいけど……」

 そんな話をしていた時。

「――お、お兄ちゃん、あれ……!」

 ミイカがいきなり声を上擦うわずらせ、オルセルの腕を掴んだ。その視線の先、白っぽい人影が地に伏せ、ぴくりとも動かない。

「人……? 何でこんなところに」

「だ、大丈夫だよね。生きてるよね……」

「……分からない」

 ともかく、生きていてもここでは、まかり間違えば獣や魔物の餌になりかねない。オルセルは用心しながら、その人影に近寄って行った。その後ろに、おっかなびっくりのミイカが続く。

 近くでよく見ると、倒れていたのはミイカと変わらないくらいの年の少年だった。服ともいえないような貫頭衣を身に着け、足は裸足。そして何より、全身が汚れていた。すっかり布地に染み込んで黒ずんだその汚れは、おそらく血だろう。ミイカがひっと小さな悲鳴を漏らす。

「お、お兄ちゃん……」

「大丈夫だ。息はちゃんとしてるみたいだし、苦しそうでもない。多分本人の怪我じゃないよ」

 少年を注意深く観察したオルセルは、そう結論付けた。実際、これだけ出血するような怪我をしていれば、もっと顔色も悪いだろうし、周囲にも血が落ちているはずだ。そういった様子はまったくなかった。

「……ねえ、君。大丈夫か? こんなところで寝てたら、魔物辺りに襲われるぞ?」

 ひとまずそっと手を伸ばし、少年を揺り起こしてみる。と、


「――――!」


 突然少年がカッと目を開き、獣のように俊敏に飛び退すさった。

「うわっ!?」

 驚いたオルセルとミイカがる。少年は青銀の髪を振り乱し、そんな二人をにらんだ。まさしく、人間を警戒する野生動物そのものだ。

「だ、大丈夫みたいだな……」

 起き抜けであれだけ動ければ、体調面での問題はまったくないだろうと、オルセルはひとまずほっとする。

 その時。


 ……ぐるるるるる……。


 魔物の唸り声のような怪音が、唐突に聞こえてきた。

「な、何……?」

 ミイカが不安げに周囲を見回す。オルセルもすわ魔物か獣の襲来かと緊張したが、それらしい気配や足音はなかった。そしてまたしてもぐぎゅるるる、と怪音。そして謎の少年がへにょりと眉を下げ、腹の辺りを擦るのを見て、オルセルははたと思い当たった。

「もしかして……お腹、空いてるのか?」

 少年に尋ねると、彼は首を傾げた。

「……お腹が空く? 何だ、それ?」

「えっと、ご飯が食べられなくて、気持ち悪くなったりとか、ない?」

「気持ち悪い……? 何かこの辺がおかしな感じだけど、それか?」

 腹の辺りを指して言う少年に、ミイカは恐る恐る訊く。

「あの……最後にご飯食べたの、いつ?」

 すると少年は、またしても首を傾げた。


「ゴハン? 何だそれ?」


「……ミイカ。そこに生えてる葉っぱを集めてくれ。あれはハーブだ。僕はこの野兎を捌く」

「う、うん」

「パンと山羊の乳はあるから……とりあえず君はこれを食べろ。ミイカはハーブを集めたら、僕のところへ持って来て」

「分かった!」

 オルセルは背負い袋から食料として持って来たパンと山羊の乳、小さな椀を出すと、山羊の乳を椀に入れ、パンを浸して少年を手招いた。警戒しながらも、匂いに釣られたのか、空きっ腹の少年はそろそろと近寄って来る。そんな彼に椀を渡し、パンを乳に浸しながら食べるよう言い含めると、オルセルは腕をまくって先ほど獲った野兎を捌き始めた。元々血抜きはしてあるので、後は皮や骨から肉を外し、近くの小川の水で洗う。そしてナイフで肉を適度な大きさに削ぎ、ミイカが集めたハーブを揉み込んで臭みを消すと、手近な枝を切って来て樹皮を削り、串を作って肉に通した。仕上げは石を円形に組んで枯葉や枝を集め、火をおこして肉を焼き始める。

 やがて立ち昇る食欲をそそる匂いに、パンを食べ終えた少年はきらきらと目を輝かせた。

「お、おおお……! それは何だ?」

「これも食べ物だよ。だからよだれは拭こうか」

「む」

 食事という知識はなくとも、食欲という欲求自体はあるようで、少年は口の端から垂れた涎をこしこしと拭き、肉が焼けるのを待ち焦がれるように眺めている。

「もういいかな……熱いから一気に食べないで。口の中を火傷するよ」

「むう……んむ、何だ、口の中がじわっとするぞ」

「あああ、だから言わんこっちゃない」

「食べる前にふーっ、ってするといいよ」

 むぐむぐと口を動かしつつ首を傾げる少年に、親のように世話を焼きながら、オルセルとミイカは肉を焼いてやったり小川から水を汲んで来たりする。結局野兎一匹分の肉をぺろりと平らげ、少年は満足気に息をつきながら腹を擦った。

「はふー……気持ち悪くなくなったぞ」

「それは“お腹一杯になった”っていうんだよ」

「おなかいっぱい、か」

 ミイカの言葉に、少年はそう言ってもう一度膨れた腹を擦った。

「おなかいっぱいは、気分がいいな」

「そうだよね。お腹空いたらちょっと落ち込んじゃうもんね」

 年が近いのと、どこか浮世離れした少年の雰囲気のせいか、どちらかといえば人見知りのきらいがあるミイカも、彼と打ち解けつつあるようだ。そんな異母妹を見やり、オルセルは少年に尋ねた。

「――でも、君は何でこんなところに? この近くにはうちの村の他には集落もないはずだけど。どこから来たんだ?」

 すると少年は首を傾げた。

「んー……暗いとこから来た」

「暗いところ?」

 こくりと頷く少年。どうやら彼も、自分がいた場所の詳しい説明ができないらしい。

(服装も粗末だし……もしかして、どこかに捕まってて何とか逃げ出して来たのかもしれない。食べ物も、ほとんど貰えてなかったのかも……)

 この《虚無領域》一帯はわずかな人里を除けば、人の姿などない無法地帯だ。逆に言えば、身の安全さえどうにか確保できれば、誰にも気付かれずに隠れ住むことも可能となる。他国でお尋ね者となった盗賊などが、身を隠すために入り込んだ可能性は多分にあった。この少年はそういった連中に捕まっていて、何とか逃げ出して来たのではないか――オルセルはそう考えたのだ。

「……とにかく、ここにこのままいるのは危ないな。魔物なんかが来るかもしれないし、ひとまず移動しよう」

 オルセルは立ち上がり、二人を促した。といっても、さすがに名前すら分からない謎だらけの少年を、村まで連れては行けない。そもそも余所者など見つかれば叩き出されてしまう。だがオルセルには、雨風を凌げ少年をかくまえる場所に一つ、心当たりがあった。

(得体が知れなくはあるけど……人見知りするミイカが打ち解けるくらいだから、悪人じゃなさそうだし。第一、まだ子供だ)

 自分にそう言い聞かせ、オルセルは焚火の始末を済ませると、二人を連れて再び森を歩き始めた。



 ◇◇◇◇◇



 返却された素材を王立魔法研究所に任せ、相変わらず暇を見つけては剣の稽古にいそしんでいたアルヴィーだったが、そんな彼に新たな任務の連絡があり、アルヴィーは身支度を整えて(ついでにフラムは部屋に置いて)ジェラルドの執務室に向かった。

「――イムルーダ山?」

「ああ、王都からだと百ケイルばかり北にある山だ。ディルアーグ公爵領の中だな」

 ジェラルドが執務机にばさりと地図を広げ、その一点を指で示す。ディルアーグ公爵領は、ファルレアン王国内でも一、二を争う広大な領地であり、領主であるディルアーグ公爵は現在、女王アレクサンドラを補佐する宰相の地位にあった。かの家は当代だけでなく、さかのぼれば何人もの宰相を輩出する、まさに王佐の血筋とでもいうべき家系だ。ちなみに、ディルアーグ公爵領はジェラルドの実家であるカルヴァート侯爵領、及びシルヴィオの実家であるイリアルテ伯爵領とも隣り合う位置関係にある。

 問題のイムルーダ山は、ディルアーグ公爵領の中でも北東に位置し、王国内でも十の指に入る標高を誇る山だという。周辺には人里などもなく、公爵領の中でも特異な場所だった。

「ここは、野生の飛竜ワイバーン営巣えいそう地だ。ちょうど今の時期、飛竜ワイバーンはこの山の山頂周辺で繁殖を始める。――で、騎士団ではこの山で数年に一度、飛竜ワイバーンの幼体を捕獲して騎乗用に飼い馴らすんだが、その捕獲部隊に同行しろ」

「幼体を捕獲って……それ、親が怒り狂うんじゃ……」

 亜種とはいえ、飛竜ワイバーンとて一応竜種に数えられる存在だ。戦闘になれば――アルヴィーは別としてだが――かなりの強敵となるだろう。しかも繁殖期というのは、大抵の動物が子供を守るために攻撃的になりがちだ。そこから幼体を捕獲して来るなど、この間の《魔の大森林》での術具探し以上に無茶振りな気がする。

 が、アルヴィーの中でアルマヴルカンが注釈を入れた。

『いや、飛竜ワイバーンは多めに子を産み、その上で弱い個体を切り捨てていく。おそらく、その切り捨てられる個体を狙うのだろう。騎乗用として人間に飼い馴らされるならば、多少弱くとも問題はない。丁寧に世話をされれば、丈夫になることもあろうしな』

(そんなもんなのか? 何か、飛竜ワイバーンも森の獣みたいなんだな)

『あれらも自然界の一部には変わりない。命の根幹的な営みなど、どの動物も似たようなものだ』

 アルマヴルカンの言葉に、何となく得心が行ってアルヴィーは頷く。彼もまた猟師として森を駆けた経験があり、自然と近しい生活をしていた。ゆえに、獲物となる動物たちの生態についてもある程度の知識がある。

「どうした?」

「いや、アルマヴルカンに飛竜ワイバーンについて聞いてた。アルマヴルカンが言うには、飛竜ワイバーンは多めに子供を産んで弱いのから切り捨ててくから、その切り捨てられたのを捕獲して飼い馴らすんじゃないかって」

 アルヴィーの答えに、ジェラルドは頷いた。

「分かってるなら話は早い。騎乗用飛竜(ワイバーン)の主な任務はあくまでも人や物資の運搬だからな。この間の国境戦みたいに戦闘に投入される場合もあるにはあるが、任務に耐えうるように専門の飼育係が世話するから、生まれた時に多少弱かろうと別に構わんわけだ。野生で生きていくに耐えられないと親が判断した個体でも、騎士団の管理下なら特に問題とならないケースは多い。それにすら耐えきれない個体は、どの道騎士団が捕獲しに行く以前にとうに死んでる」

「へー……まあでも、何となく分かるかも」

 自然界では切り捨てられる命でも、人間のもとでなら生きられるのであれば、それはそれで良いのだろう。親兄弟と戦わせるわけでもないのだし。

「まあそれでも、営巣地に踏み込むわけだから飛竜ワイバーンも警戒はする。おまえの役目は、それを抑え付けることだ」

「抑えるって……あ」

 どういうことかと訊きかけて、飛竜ワイバーンに乗った時のことを思い出す。あの時は、アルヴィーの中の《上位竜( アルマヴルカン)》の気配に、それはそれは怯えられたものだ。正直、人間ひととして複雑な気分になったのは余談である。

「要するに、アルマヴルカンの気配全開で睨み利かせてろ、ってこと?」

「使えるものは使わんとな」

 涼しい顔で、ジェラルド。確かに、アルヴィー(アルマヴルカン)が後ろで睨みを利かせていれば、飛竜ワイバーンも襲ってはこないかもしれないが。

「……ま、騎士団が襲われたら大事おおごとだしな」

 肩をすくめて、アルヴィーは任務を受領する。ジェラルドは頷き、命令書を寄越してきた。

「これが命令書だ。出発は五日後。準備を始めておけ」

「了解しました」

 そう答え、命令書を仕舞い込む。これから荷を纏め、必要なものを買い込まなくてはならない。

(……あ。そういやこの間魔石の買い取りで金貰ったし、そっから揃えればいいか)

 分不相応なくらいの大金なので持っているのも怖かったが、装備を揃えるのに使えば良いものも手に入るだろう。

 アルヴィーは腰に着けた魔法式収納庫ストレージを見やった。あの後ルシエルに大金の安全な保管方法を訊いたところ、魔法式収納庫ストレージがあるなら自分で持ち歩くのが一番だと言われたので、忠告通りその中に放り込んでいる。これは術具の回収に使ったものではなく、騎士団からアルヴィーに正式に貸与たいよされているものだ。

 ファルレアン王国騎士団では、四級以上の騎士及び魔法騎士に魔法式収納庫ストレージが貸与されることとなっていた。ある程度なら大きさや重量を無視して荷物を持ち運べる魔法式収納庫ストレージは、あまりに利便性が高過ぎるため、基本的に騎士団にしか使用が許されず、加えて国が一括で管理しているのだ。もちろん十万を超える数になるが、一つ一つに番号が振られ厳格な管理がなされている。国の許可を得ていない者が魔法式収納庫ストレージを作るのはおろか、持つだけでも違法となるのだからその管理の厳しさは相当のものだ。

「どうせだから、魔法式収納庫ストレージ自前で持てりゃ便利なのになー」

「阿呆か、何のために国が番号振って管理してると思ってる。こんなもんが個人で持てるようになってみろ、危険物でも持ち込んでないか、街ごとに検問所作っていちいち確認しなきゃならなくなるぞ。不心得者がこっそり王都に爆薬の類を大量に持ち込みでもしたら目も当てられん」

 実際、そういった犯罪行為にも利用できてしまうのが、魔法式収納庫ストレージの怖いところだ。そんな洒落にならない事態をできる限り防ぐため、前述のように付番の上で厳重に管理され、製作も王立魔法技術研究所のみ許可。年間に製造する数すら決まっている徹底ぶりなのだ。もちろん、紛失でもしようものなら大目玉である。

「やっぱそういう魔法関係のアイテムって、色々制限厳しいんだな」

「まあ利権も絡むが、それ以上に国防に関わるからな」

 ジェラルドは生臭いこと含めさらっと言ってのけたが、実のところ重要なのはどちらかといえば後半だ。

「レクレウスだってそうだろうが。例のギズレ元辺境伯の時みたいなのは例外にするとしても、普通は軍で使ってたような魔動機器なんぞ、民間には流れんだろう」

「……そう言われりゃそうだけど」

「最先端の技術を国が抱え込むのは、別に不自然じゃない。むしろ、技術流出を防ぐためには有効だ。民間に漏れれば最後、あっという間に他国にも広まるからな。ものによっては国防上好ましくない場合もある。――まあ、魔法式収納庫ストレージに関しては別にファルレアン(うち)の専売特許じゃない。元はクレメンタイン帝国時代の技術だ。この大陸にある国は軒並み、大戦以前に帝国から技術供与を受けてる。もちろん、それなりの対価を支払ってな」

「へー、そんな前からあったんだ、魔法式収納庫ストレージって」

 百年以上前に開発された代物が、未だ現役で最先端技術というのも凄い話だ。アルヴィーは改めて、自分の腰の魔法式収納庫ストレージをしげしげと見るのだった。

 ――任務を受領し、ついでに入り用になりそうなものを購入できる店の情報を仕入れ、アルヴィーはジェラルドの執務室を後にした。これから街に出て、装備を揃えるつもりだ。

(今回の装備もそうだけど、制服も予備作っといた方がいいよな。まだ一着しか持ってねーし)

 着ている内に傷んでくるだろうし、そもそもアルヴィーはまだ成長期(だと思いたい)なので、サイズが合わなくなることもあるだろう。少し大きめで予備を作っておくのが良かろうと、制服も一着注文しておくことにした。仕立てたのは従騎士エスクワイアの略装も手掛けたあの店だと聞いていたので、そこへ注文すれば改めてデザインなどを説明する手間も省ける。手持ちはとりあえずあるし、ここで多少使ってもまだワームの素材があるので、それを売却すれば問題はない。

 アルヴィーは早速、件の店に向かうことにした。

 ラストゥア通りの仕立屋テイラーは、相変わらず客を選ぶような瀟洒しょうしゃたたずまいだったが、来るのは二回目なのとある程度の手持ちがあるおかげで、最初のような近寄り難さは感じなかった。扉を開け、顔を覗かせる。

「おや、いらっしゃいませ」

 店主はアルヴィーの顔を覚えていたのか、早速声をかけてくれる。

「どうも……」

「制服の方はお気に召しましたかな」

「あ、はい。で、予備にもう一着欲しいと思って」

「それはありがとうございます。少し大きめの方がよろしいですかな?」

 さすが本職、それだけでアルヴィーの要望を見て取り、手早く採寸する。

「――そうですな、やはり背丈が少々伸びておられますし、少し大きめに作った方がよろしいでしょう」

「じゃあ、それで」

 予備の制服を頼み、何気なく店内を見回したアルヴィーは、ふとある一点に目を留めた。

「あそこにあるの、あれ、上着かな」

「あちらは外套コートですな。騎士様方がお好みのデザインとなっております」

 アルヴィーが目を惹かれたのは、制服と同じくダークグレイを基調とした男性用の外套だ。膝上丈で足の動きを妨げることもなく、布地や縫製もしっかりしている。その分値段もそれなりだが、今は手持ちがあるし、高山の山頂付近まで登るとなると防寒対策は必要だろう。それに冬場の普段使いにも良さそうだ。

 一目で気に入ったアルヴィーは、サイズなどが問題ないことを確認してそれを購入し魔法式収納庫ストレージに入れる。制服は少し時間が掛かるそうだが、それは仕方がないので戻って来てから受け取ることにした。

 店を後にし、その他必要と思われるものを揃えると、アルヴィーは宿舎に戻るべく王城の方に足を向ける。と、少し離れた辺りでにわかに騒ぎが巻き起こった。


「――引ったくりだ! 誰か捕まえてください!」

退けェ!」


 人混みを掻き分ける――というより突き飛ばす勢いで、角張った大きな鞄を抱えた男が走って行く。鞄を奪われたと見える男性は地面に膝をつき、傍の人々に助け起こされていた。そちらは大丈夫だろうと踏み、アルヴィーは逃げた男を追うべく両足に力を込める。

 跳躍。

 同じく人混みを掻き分けていては追い付けないと判断したアルヴィーは、手っ取り早く空中を行くことにしたのだ。手近な街灯の柱に一飛びで飛び上がり、そのまま道沿いの街灯を次々と飛び移って引ったくりを追う。見上げる人々がどよめき、振り返った引ったくりが目を剥いた。

「……何だとぉ!?」

「ほい、確保」

 そんな彼の眼前に飛び下り、アルヴィーはその手から鞄をもぎ取ると、引ったくりを右手一本でひょいと担ぎ上げた。

「圧し潰せ、《重力陣グラビティサークル》」

 仕上げに自分もろとも重力魔法。アルヴィーにとってはどうということもない威力だったが、引ったくりは蛙が潰れたような呻き声をあげて伸びてしまう。これで暴れられることもない。

 あっという間に増えた大荷物を両手に、アルヴィーは被害者のところまで戻る。幸い、大の男一人と大きな鞄を軽々と持ち運ぶ彼に、道行く人々は逃げるように道を譲ってくれたので、人混みを掻き分ける苦労はなかった。

「――荷物、これで全部だと思うけど、一応確認して貰えます?」

 被害者の男性に鞄を差し出すと、彼は顔を輝かせてそれを受け取り、やおらアルヴィーの手を握り締めた。

「ありがとうございます、おかげで助かりました! これはどうしても先方に届けなければならない大事なもので――おや?」

 感極まったように感謝を述べていた男性だったが、ふとアルヴィーの顔を見て目を瞬かせる。

「あなたは確か、以前料理店でお会いした……」

「え?――あ」

 アルヴィーも遅ればせながら思い出す。

「確か、シャーロットの親父さん……?」

 眼前で鞄を後生大事に抱える、引ったくりの被害者。

 彼は以前、ルシエルと共に訪れた料理店で顔を合わせた、シャーロットの父親に間違いなかった。



 ◇◇◇◇◇



「――オルロワナ北方領からの鉱物資源の出荷量が減っている? どういうことじゃ」

 手元に上がって来た報告に、レクレウス王国宰相であるロドヴィック・フラン・オールト公爵は眉をひそめた。

「は……それが、つい数日前より北方領側から一方的に、流通量を制限し始めたそうです。特に鉄と銀は大幅に制限され始めています」

「む……」

 ロドヴィックが小さく唸る。鉄は武器、銀は魔法触媒の材料として広く流通している。だが、レクレウスにそれらの膨大な資源をもたらすはずのオルロワナ北方領が、ここに来て流通に制限を掛け始めたのだ。

「加えて、此度こたびの北方領からの上納金も差し止めると……」

「何じゃと?」

 追い討ちを掛けるような報告に、ロドヴィックはさすがに声をあげた。

「北方領からの上納金がとどこおれば、国の財政にも無視できぬ影響が出るぞ。あのお方は何を考えておられるのか……!」

 戦費として莫大な金が消費されている現在、オルロワナ北方領からの上納金は少なからず国の財政を支えていた。それが滞るとなれば、国の財政は一層苦しくなる。ロドヴィックが苦い顔になるのも無理はなかった。

「今までは問題なく臣下としての務めを果たしておられたというに……どういう風の吹き回しか」

「それが……急ぎ問い合わせましたところ、理由は王太子殿下がご存知である、と」

「何? 北方領の施策に、なぜ王太子殿下が関わっておられるのだ」

 いぶかしく思いつつも、これは自分一人では手に余る件だと感じ、ロドヴィックは席を立った。

「ともかく、これは陛下に奏上すべき案件じゃ。急ぎお目通りを」

 ――彼の望みはすぐに叶えられ、ロドヴィックはさほど待たされることなくグレゴリー三世の前に立つことができた。

「宰相、先ほどの報告、まことか」

 挨拶を述べる間もなくき込むように尋ねてきたグレゴリー三世に、ロドヴィックは纏めた資料を差し出す。

「詳細はここに。確かにオルロワナ北方領からの鉱山資源及び、上納金がほとんど差し止められておりまする」

「うむ」

 グレゴリー三世が書面に目を通し始める――と、傍に控えていた王太子ライネリオが、忌々しいという表情も隠さず吐き捨てた。

「おのれ、あやつらしくじったか……!」

「……何? それはどういう意味だ、ライネリオ」

 さすがに聞き咎め、グレゴリー三世が問い質す。恐ろしい可能性に思い当たって、ロドヴィックは息を呑み問いかけた。

「恐れながら、王太子殿下。此度の件に関して、何かご存知であらせられますか」

「答えよ、ライネリオ」

 二人の凝視を受け、ライネリオはややたじろいだものの、すぐにたじろいだことを恥じるかのように強い口調で、

「分不相応にも領地など賜り大きな顔をしていたあの下賤げせんの者に、身の程を知らしめてやろうとしたまででございます!」

 それは、北方領への干渉を認めるに等しい言葉だった。

「……それはつまり、オルロワナ北方領に何らかの手出しをしたということか?」

「近衛を送り込みました。あの下賤の者をちゅうし、不当に領有されたかの地を取り戻せと」

「何と……そなた、自分が何をしたか分かっておるのか!?」

「あの土地は、王族に名を連ねるのもおこがましい下賤の者には過ぎた土地! それを取り戻すことの何が問題なのですか」

 ライネリオの言い分に、ロドヴィックは冗談抜きで頭痛を覚えた。

 彼の言い分を認めれば、“王家が力尽くで臣下の領地を奪い取る”ことが正当化されてしまう。しかも、何の問題もなく適正に統治されており、領主も国への恭順を示している領地だ。彼女の生まれは言い訳にすらならない。これが他の貴族たちに漏れれば、反乱が起こってもおかしくないレベルの話だった。

 さらに始末が悪いのは、ライネリオがオルロワナ北方領についてほとんど何も知らないということだ。あるいは、知っていても頭の中から抜け落ちているのか、領地の豊かさに目が眩んでいるのかもしれないが。

 グレゴリー三世も同様のようで、さすがに苦言を呈した。

「そなたは忘れておるのやもしれぬが、かの地は地の妖精族とあの娘――ユフレイアとの友誼ゆうぎによって、あそこまで豊かな鉱物資源を持つに至ったのだ。あの娘がいなくなれば、その時点で妖精族の加護はなくなるのだぞ」

「そ、それは……」

 ようやくそのことに思い至ったのか、ライネリオは言葉に詰まる。だがすぐに代案を示してきた。

「ならば、殺さずに幽閉しておけば良いのです。“あれ”が生きてさえいれば、妖精族の加護は途切れぬのでしょう。統治権だけ取り上げて、あの地は国の直轄領とすれば良い。そうすれば、あの地からの収益はすべて国のものです」

「しかしな……」

 一度与えた領地――しかも与えた当時はほとんど産業のない貧しい場所だった地を、資源が増え栄え始めたからといって取り上げるのは、すこぶる外聞がよろしくない。だがライネリオは、さらに勢いを増して言い募る。

「理由に困るのならば、クィンラム公辺りを使って適当にでっち上げれば良いのです。あの者は情報操作に長けておりますゆえ、上手くやるでしょう。それをもって領地を返納させれば、はばかることなくあの地を手に入れられます。――そもそもこのレクレウスの国土は、本来そのすべてが王家のもの。それを貴族どもに“治めさせてやっている”に過ぎないのです。元々王家のものだった土地を取り戻すだけのこと、何も問題はありません」

 ライネリオの言葉に、ロドヴィックは表面は平静を装いつつも、本心では眉の一つも盛大にひそめてやりたい気分だった。ライネリオにとっては、ロドヴィック自身を含めたこの国の貴族たちは、単なる領地の管理人でしかないのだ。彼らが先祖代々その土地に生まれ住み暮らし、その地を故郷と思い定め愛しているのも、苦心惨憺くしんさんたんしながら開拓し栄えさせてきたことも、その発展を誇りに思いさらに励んできたことも何らみ取らず、ただその成果を労せず手に入れたいだけのこと。貴族たちが代々積み重ねた歴史を、すべて否定したに等しかった。

(このまま王太子殿下が即位なされば、我ら貴族がどう遇されるか分かったものではない。最悪、汚名を着せられ処断されることすらあるやもしれぬ……)

 暗澹とした気分で、ロドヴィックは王と王太子の会話を眺める。ふと、いつぞやのナイジェル・アラド・クィンラムとの会話が脳裏を掠めた。


『――老婆心ながら、閣下。“この国”のために最善の方法というものを、そろそろお考えになった方がよろしいかと存じますよ』


 あの時ナイジェルが去り際に残した言葉が、やけにはっきりと思い出された。

「……もう良い、分かった。北方領の件はこちらで処理しよう。それと、近衛を送り込んだと言ったな。その者らの処遇はどうする」

「任を全うできない無能者など、わたしの傍には不要です。近衛はまた新しく任命すれば良い」

 疲れたように言ったグレゴリー三世に、ライネリオはにべもなくそう答えた。自分の命令で送り込んだ近衛兵でさえ、容赦なく切り捨てたのだ。彼にとっては選り抜きの近衛兵でさえ、替えの利く消耗品に過ぎなかった。

「宰相、これから北方領主に書簡をしたためる。間違いなく届けさせよ」

「は……仰せの通りに」

「北方領主には、此度の一件は王家とは何ら関わりのないものと押し通す。近衛たちも日付を遡って解任せよ」

「ありがとうございます、陛下」

「は、そのように致しまする」

 ライネリオが満足気に一礼する。同じく、国王に向けて恭しく礼を取りながらも、ロドヴィックは胸中では失望を感じていた。王太子の暴走は、本来ならば即時に廃嫡されてもおかしくないレベルのものだ。だが国王はそうしなかった。親として、息子の尻拭いをすることを選んだのだ。

(クィンラム公の言う通りか……陛下はやはり、血を分けた息子を見捨てられぬ)

 やはり、国王といえど人間なのだ。我が子可愛さに彼は、近衛兵たちを切り捨てこの件を揉み消すことを選んだ。だが、近衛兵というのは家柄からして考慮され、選り抜かれる精鋭エリートだ。彼らの生家がこの措置をどう思うか――ロドヴィックには容易に想像が付いた。

(おそらく、切り捨てられた近衛兵たちの実家は、王家に対して反感を持つであろうな。それに何より北方領だ。資源や上納金の差し止めまでやってきたということは、おそらく確たる証拠を握っておる。王家が此度の一件を握り潰せば、どう出て来るか……)

 もし北方領が王国に反旗でも翻そうものなら、下手をすると国が割れる恐れすらあった。それを思えば、国王は王太子ライネリオの暴走をいさめ、格好だけでも何らかの罰を与えるべきだ。何しろ時期が時期である。他国との戦争中に内乱など、攻め入ってくれと言わんばかりではないか。

 ロドヴィックは自らの領地を思い出す。豊かな農地と美しい自然を持つかの地で、彼は生まれ育ってきた。宰相となるにあたって、領地は長男に任せてきたが、王の傍にはべる今となっても、故郷を忘れたことは一度としてない。かの地には今なお、社交界に出すため手元に置いた末娘以外の家族が暮らし、数年前に病で他界した最愛の妻も眠っている。その地が戦乱で蹂躙じゅうりんされるなど、考えたくもなかった。


(――“この国”のために最善の方法、か……)


 その言葉を内心でもう一度繰り返し、ロドヴィックは王が書簡を書き上げるのを待つ。書き上がったそれを恭しく受け取ると人を呼び、最速でオルロワナ北方領に届けるよう言い付けた。これが王家の公式見解となる。ロドヴィックはせめてもと、北方領主が矛を収めてくれることを祈った。

 この国と、そして何より自らの故郷の安寧あんねいのために。



 ◇◇◇◇◇



 引ったくりを現行犯で捕縛したアルヴィーは、犯人を騎士団本部に連行するため王城に戻って来た。被害者であるシャーロットの父・リチャードも一緒だ。彼も王立魔法技術研究所に用があるというので、護衛も兼ねて同行したのである。

「――いや、助かりました。ありがとう」

 引ったくりを本部に引き渡し、簡単な聴取も終えると、リチャードはアルヴィーに礼を述べてきた。知人の身内ということもあり、妙に面映い気分で頭を掻くアルヴィー。

「や、一応俺の仕事でもあるんで……っていうか、俺に敬語なんて使わなくていいんですけど」

「ああ、これはもう癖でしてね。気にしないでください」

 リチャードはにこにこと、シャーロットに良く似た薄い紫色の双眸を細めた。聞けば両親の躾が厳しく、相手に関わらず自然と敬語で話す癖がついたのだという。おそらくシャーロットも父親の影響を受けて、常に敬語を使うようになったのだろう。未だ敬語が不自由なアルヴィーは、見習った方がいいのかもしれない。

 と、


「――お父さん? どうして騎士団本部ここに?」


 噂をすればというわけでもないが、巡回を終えて戻って来たのであろうシャーロットが、こちらに気付いて足早に近付いて来た。その後ろには、ルシエルを始めとした第一二一魔法騎士小隊の姿もある。

「確か今日は、魔法技術研究所の方に用事があると言っていませんでしたか?」

「それが、引ったくりに鞄を盗られかけましてねえ。それを、こちらの彼が取り返してくれたわけで」

「一応事情を訊くのと、どうせ行き先は同じだから用心のために一緒にこっち来たんだよ」

「ああ、そういうわけですか。どうも、父がお世話になりまして」

 シャーロットは軽く会釈する。そんな彼女に、リチャードがにこにこと手を振った。

「それじゃ、わたしは研究所にこれを届けなければいけませんので、これで。――シャーロット、帰りが少し遅くなるかもしれませんから、母さんにそう伝えておいてください」

「分かりました」

 傍で聞いているとどうにも他人行儀に思えるが、当人たちは別段不自然にも思っていないようなので、これが通常なのだろう。重そうな鞄を抱えて歩いて行くリチャードを見送り、アルヴィーはシャーロットに顔を向けた。

「ちゃんと話したのは今日が初めてだけど、優しそうな親父さんだな」

 実際、リチャードはずいぶんと物腰柔らかな、温和な人物だった。だがシャーロットはため息をつく。

「確かに優しい人ではありますが……ちょっと浮世離れしてるところもあるので、それが困ります。学究肌といえば、聞こえはいいんですが」

「ええと……あれか? 研究所のグエン所長みたいな?」

 王立魔法技術研究所所長であるサミュエル・ヴァン・グエンも、何となく変わり者というか、一般人とはどこか違う雰囲気を漂わせている人物だ。学者というのはみんなそういうものなのだろうかと、世の学者たちに対して少々失礼なことを考えるアルヴィー。

「ええ、まあ……似たような感じですね。まあグエン伯爵はさすがに、世渡りの方法は心得ておられそうなんですが、うちの父はひたすらに人が好いもので……いつか詐欺に遭いそうで心配なんですが」

「あー、何となく分かるなあ」

「……いや、あなたも人のことは言えないと思いますけども」

 世慣れていないというか、無欲過ぎて危なっかしいというか。シャーロットは突っ込みつつ遠い目になった。

「でも、どうして街に? 最近、いつも宿舎の裏手で鍛錬してたでしょう」

「ああ……次の任務が入ってさ。その準備に。イムルーダ山行けってさ」

「イムルーダ山というと……飛竜ワイバーンの捕獲ですか」

 さすがにシャーロットは、地名を聞いただけでピンと来たらしい。

「それはまた……東へ行ったり北へ行ったり、忙しい話ですね」

 確かにあちこち引っ張り回されている自覚はあるので、アルヴィーも苦笑するしかない。

 と、


「――アル。ちょっといいかい?」


 ルシエルが歩み寄って来て、声をかけてくる。その声の調子に、アルヴィーは何となく感じるものがあって、頷きつつシャーロットたちに軽く手を上げた。

「んじゃ俺、ルシィと話あるから。――ルシィ、俺の部屋来るか?」

「そうだね、そうさせて貰うよ」

 というわけで、ルシエルを連れて部屋に戻る。室内に足を踏み入れたルシエルは、興味深げな様子で部屋を見回した。

「宿舎は使ったことなかったけど、こんな風になってるのか」

「ま、ここ座れよ」

 ルシエルにソファを勧め、自分も対面に腰を下ろすと、アルヴィーは口を開いた。

「どうしたんだ、ルシィ? 何かあったのか?」

「……ちょっとね。父上に思いがけないことを言われて」

「思いがけないこと?」

「ああ。――家を継ぐ気はないかと、言われた」

 ルシエルの言葉に、アルヴィーも面食らった。

「え? 確かルシィんとこって、兄ちゃんいたんじゃ――」

「腹違いだけどね。最初引き取られる時には、父上も僕に家を継がせる気はないと言っていたし、異母兄あには二人いるから万一のことがあってもこっちに回って来ることはないと思ってたんだけど……どうも、二人とも素行があまり良くないらしくて。父上も頭が痛いみたいだ」

「そっか……貴族ってのも大変なんだな」

 アルヴィーは同情するように眉を下げた。まだ貴族社会のことにはうとい彼にして、察して余りあるといったところらしい。ルシエルはわずかに微笑み――だが、自分に話が持ち掛けられた“もう一つの理由”をアルヴィーに話す気はなかった。

 ルシエルに後継者候補の話が持ち掛けられた一因に、自分の存在があると知れば、彼はきっと気に病むだろう。ルシエルに余計な負担を背負わせてしまうと考えるに違いない。彼を守るための力が欲しいのは事実だが、そのために彼を貴族のしがらみに縛り付けてしまうのは本末転倒だ。

 そう思った時、アルヴィーが真剣な表情でルシエルを正面から見つめ、口を開いた。


「でも俺は、ルシィが思うようにすればいいと思うぞ」

「……アル」

「ルシィがどんな道を選んだって、俺はルシィに味方するし、付いて行くよ。そのために俺は、この国に来たんだ」


 真っ直ぐな眼差しに宿るのは、純粋な信頼。

 それは、ぐらつくルシエルの心を何よりも強く支えてくれる。


「ありがとう、アル。――そうだな、父上があちらの都合を押し付けてくるなら、僕も僕の思う通りにさせて貰うだけだ」


 ルシエルはどこか吹っ切れた思いで、立ち上がった。

「あれ? ルシィ、もう帰るのか?」

「ああ、色々とやることもあるしね」

「そっか……ああ、でも俺も、五日後からまた任務なんだよなあ。準備しねーと」

「任務? どこで?」

「イムルーダ山で飛竜ワイバーンの幼体捕獲だってさ。まあ、飛竜ワイバーンは大体アルマヴルカンを怖がるし、大丈夫だとは思うけど」

「そうか……でも、気を付けて。それじゃ、僕はこれで」

 そう言い置いて、ルシエルはアルヴィーの部屋を後にした。

(父上が僕たちを利用しようっていうなら、こちらもその思惑を利用させて貰うまでだ。――いつまでも踊らされてばかりではいられない)

 改めてそう心に決め、ルシエルは足早に廊下を歩いて行った。


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