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片翼のドラグーン  作者: 八月 あやの
第五章 動乱の萌芽
34/136

第33話 穏やかな日

第五章開始です。

サブタイが難産だったので変えるかもしれませんorz

なかなか話がとっ散らかってきましたが、お暇な時にでも覗いてやってくださいませ。

 振り抜かれる刃。アルヴィーはそれを辛くもかわし、今度はこちらから打って出る。身を捻るように繰り出した《竜爪( ドラグ・クロー)》の一撃はしかし、相手に容易たやすくいなされ、逆に懐に入られかけた。

「ちっ――!」

 舌打ち一つ、アルヴィーはとっさに両足に力を込め、後ろに跳び退すさる。追いすがるように襲い掛かる剣先を、《竜爪( ドラグ・クロー)》で何とか弾いた。

(くそ、速い……! 向こうは篭手こてまで着けてんのに、切り返し速過ぎんだろ!?)

 篭手を着ければ当然、手先の方に重心が寄る。ともすれば大振りになりそうな斬撃を、だが相手は体幹や腕の動きで巧みにコントロールし、矢継ぎ早に攻撃を放ってくる。一つの動きが次の動きの予備動作となり、結果として流れるように滑らかな、切れ目ない斬撃となってアルヴィーに襲い掛かるのだ。

 だが、逃げてばかりではらちが明かない。アルヴィーは地面を蹴り、攻撃に転じた。相手の喉元を狙い《竜爪( ドラグ・クロー)》を振り抜く。それは躱されたが、アルヴィーとしてもそれは織り込み済み。相手の動きを牽制けんせいする方が主だ。そしてこちらが本命とばかりに薙ぎ払った右腕を素早く引き戻し、大きく踏み込んでほとんど殴り掛かるような体勢で《竜爪( ドラグ・クロー)》を繰り出す。刺突しとつとも斬撃ともつかない一撃を、しかし相手はするりと躱すと、次の瞬間アルヴィーの首筋には、冷たい金属の感触がひたりと押し当てられた。


「――ここまでだな。以前よりはずいぶん良くなったが、体捌きも足運びもまだまだ甘い。身体の芯にまで叩き込むつもりで鍛錬を積まねばな」


 そんな批評と共に、剣が引かれる。アルヴィーは大きく息をついた。

「はあ……やっぱそう簡単に一本は取れねーか」

 《竜爪ドラグ・クロー》を引き、相手に一礼。

「ありがとうございました」

「何、鍛錬を始めたばかりの頃に比べればそれなりに板に付いてきたぞ。まあ、こっちは二十年近くこれ一本でやってきたんだ、そうそう簡単に追い越されては困る」

 右手の篭手を外しながらそう笑うのは、三十前後と見える男性だった。ファルレアンではあまり見ない彫りの浅い顔立ちは、大陸南西部のアルシェント王国に多いという。実際彼も生まれはアルシェントで、商人の親に連れられてファルレアンに渡って来たらしい。名をパドマ・ラーシュという彼は、第二一五魔法騎士小隊に所属する三級魔法騎士であり、アルヴィーの剣の師となる人物だった。

 パドマが使う剣は《パタ》といい、篭手の先に剣身が取り付けられた形をしている。剣を取り落とす心配は間違ってもない武器だが、手首が固定されてしまうため手首をしならせて斬ることができず、斬撃は身体や腕の動きで上手く勢いを付けて放たねばならない。ちょうど、アルヴィーの《竜爪( ドラグ・クロー)》と似た武器だった。そこでジェラルドが手を回し、アルヴィーに剣を教えることを打診、彼が承諾したのでこうして稽古を付けて貰うことになったのだ。

 ラース砦から戻ってすぐ、アルヴィーはジェラルドに持ち帰った術具などを提出した際、剣を本格的に習いたいと改めて申し出た。レクレウスの刺客の襲撃の時、自分の技量のなさを痛感したのだ。ジェラルドもその辺りは報告を受けていたので、すぐに手を回してくれ、パドマに話が行くこととなったのである。

 話が付くとパドマは早速アルヴィーのもとを訪れ、彼が剣に関しては素人同然と知って俄然がぜん燃えたらしく、早速基本から叩き込んでくれた。同じような武器の使い手がどうしようもなく少ないのも、それに拍車を掛けたのだろう。

 そうして剣の練習を始めたアルヴィーは、一月近くをひたすらに基本の反復に費やした。自分自身の身体を使いこなし、無駄な動きを極力減らすべく、暇を見つけてはパドマに教えられた基本の動きを繰り返す。そして実戦を想定したパドマとの組手。その甲斐あってか、型も何もなく文字通りの力押しに近かったアルヴィーの剣は、まだしも“剣術”のそれに近付いてきていた。

 それでも、一人前というにはまだまだ程遠い腕前でしかない。パドマが帰ってからも、アルヴィーは練習に使っている宿舎の裏庭に残り、素振りなどを繰り返す。

(力だけあったって仕方ない。使いこなせなきゃ意味がないんだ)

 剣も、魔法も。今のアルヴィーにあるのはただの力に過ぎない。その大きさに任せて力尽くで押し切ることはできるだろう。だがそれでは、アルヴィー自身が一歩も前に進めないのだ。


 強くなるために、ルシエルの隣で剣として在るために。アルヴィーは進み続けなければならない。


(体幹と腕で勢いを付けて……踏み込みながらその分の速さも乗せる、と!)

 腕全体をしならせるようにして、《竜爪ドラグ・クロー》に空を斬らせる。と、小さく拍手が聞こえた。


「やってますね。感心感心」

「シャーロット?」


 建物の陰からひょこりと顔を覗かせたのは、制服に身を包んだシャーロットだった。彼女を含め第一二一魔法騎士小隊は、アルヴィーに遅れること十日ほどで王都に帰還し、そこからしばらくの休暇を経て通常任務に復帰している。彼らの本来の主任務は王都の治安維持なので、担当区域の巡回を終えて戻って来たというところだろう。

「見回り終わったのか?」

「ええ、すべて世はこともなく、です。まあたまに商人の馬が暴れたり、りや引ったくりが出たりはしますけど、それくらいはすぐに片付きますし」

 そう言って、シャーロットはため息をついた。

「むしろ、王都の治安がよろしくなくなるのはこれからですよ。もうすぐ、国主催のオークションがありますからね」

「オークション?」

「ほら、この間の大暴走スタンピードで、魔物の素材が山のように集まったでしょう。そういった品がオークションに出品されるんですよ。で、その収益で報奨金分を取り戻して、さらに儲けるわけですね。今回は超大物の素材がゴロゴロしてますし、他国の財務関係者や大手の傭兵ようへい団なんかが詰め掛けるでしょうから、オークションも大盛況でしょうねえ」

「へー……」

 シャーロットの説明に、アルヴィーは感心しきりだ。

「詳しいんだな」

「生まれてこの方十数年王都で暮らしていれば、それくらいの話は耳に入ってきますし」

 言われてみればもっともである。

「それもそうか。――そういや、ルシィは? 見回り、一緒に行ってたんだろ?」

「戻りは一緒でしたが、隊長はクローネル伯爵からのお呼び出しがあって、そちらへ出向かれましたよ」

「ルシィの親父さん?」

 ルシエルの父・ジュリアスは財務副大臣を務めているため、王城に出仕している。一方、騎士団本部も同じく王城内にあるので(場所は大分離れているが)、何か用があれば呼び出すのもおかしくはない。だが、そもそも二人とも同じ家に暮らしているのだから、家に帰ってからでも良さそうなものだが。

 しかしそれを言うと、シャーロットに呆れたような顔をされた。

「何言ってるんですか。財務の部署は今、絶賛戦争状態に決まってるでしょう。大暴走スタンピードで倒した魔物の報奨金の算定がやっと終わったと思ったら、今度は国主催のオークション。そっちも主に担当するのは財務の方ですからね。クローネル伯爵はそこの副大臣ですし、おそらく今、王城で一番忙しい方だと思いますが。下手をしたらご帰宅の頃には日付が変わってるかもしれませんよ」

 貴族である副大臣でそれなら、その下の財務官僚などは家にすら帰れないのかもしれない。文官の仕事の予想外の過酷ハードさに、アルヴィーはちょっと戦慄せんりつした。

「……そ、そうなのか……何かすげーとこだな、財務って」

「ついでに、最近まで財務を地獄に叩き落としてた報奨金の算定、何割かはあなたが倒した魔物の査定でしょうね」

「…………」

 魔物を倒しまくった自覚はあるので否定できない。とりあえずルシエルの父やその部下たちには、心の中で謝っておくことにした。

「まあ、あれはレクレウスの暗殺者が呼んだ分も入っているでしょうから、不可抗力といえばそうなんですが。むしろ国としては、収支は大幅にプラスになるはずですし、財務の方としても国庫が潤うのは喜ばしいんじゃないですか」

「へー……魔物の素材ってそんなに金になんの?」

「ピンキリですね。ですがあなたが倒した大物の魔物は素材としては軒並み一級品、しかもほとんど一撃で仕留めてて無駄な傷が少ないですから、かなりいい値が付くと思います。――そういえば、別口でワームとマンティコア倒してましたよね? いっそのこと、便乗びんじょうして売却したらどうですか。適正価格で売れれば、多分家一軒くらい軽く買える額になると思いますけど」

「いや、俺は目が届くように宿舎に住めって、上が」

「ああ……完全に首輪付いてますねえ」

「首輪って何だよ……」

 ぼやくも、首に縄を付けられている感があるのは確かだ。もっとも、騎士団にしてみれば、首に縄を付け鎖で繋いで、それでもなお安心はしきれないというところだろう。

 竜の力というのはそれほどに脅威きょういなのだ。

「っていうか、あれ任務中に狩ったやつだし、みんなで分けるのが筋じゃね?」

「……つくづく欲のない人ですねえ……何だか、すぐだまされそうで心配になってくるんですけど。もし声をかけられても、知らない人に付いて行っちゃ駄目ですよ?」

「ガキ扱いすんな!」

 幼い子供を見るような目で見られて、アルヴィーは吠えた。シャーロットの目がますます生温くなる。

「まあそれはともかく。あれはあなたが独力で倒したものですし、ぶっちゃけわたしたちは一切関与してませんからね。あなたのものということで良いと思いますが。そもそも通常、魔物の素材というのは倒した者取りです」

「そうなのか……?」

「大体、あのレベルの魔物を一人で簡単に狩って来る方がおかしいんです。一般人なら普通に死んでるレベルですけど……あなた一般人からかけ離れてますしね。うん、常識に当てはめようとしたわたしが馬鹿でした」

「人を非常識みたいに言うな」

 口を尖らせると、シャーロットにくすりと笑われた。

「ま、非常識なのは戦闘力だけで、人格の方は至極しごくまともだと思いますよ? 普通それだけ強かったら、もっと傍若無人ぼうじゃくぶじんになりそうなものですが」

「……強い、か」

 右手を、その手首から伸びる《竜爪ドラグ・クロー》を見つめ、自嘲する。

「力だけ強くたって、仕方ないけどな。――今の俺は剣だってまだまだだし、この国のこともほとんど知らない。足りないものだらけだ」

 だから、足掻あがく。この力に振り回されないために。本当の意味で、この力を自分のものとするために。

 そんな彼をしばし見つめたシャーロットは、やおらアルヴィーの肩を勢い良く叩いた。ばちん、と景気の良い音がする。

「痛って! 何だよ!?」

「まあまあ、今から落ち込んでいても始まりませんよ。あまり根を詰め過ぎてもかえって身に付きませんし、今日はこの辺にしておいたらどうですか」

「……そうだな」

 シャーロットの忠告ももっともだったので、アルヴィーは今日の鍛錬たんれんをひとまずここまで、と決めた。《竜爪( ドラグ・クロー)》を引っ込め右腕を通常の状態に戻す。なまじ体力や持久力が常人を遥かに超えているので、どこかで切り上げないと一日中でも延々と鍛錬できてしまうのだ。

 何となくシャーロットと連れ立つ形で、宿舎裏を後にする。

「……ところで、シャーロットは何でここに?」

「特に理由はありませんが。いて言えば、こっちで物音がしたので覗きに来ただけです。――では、わたしはここで」

 宿舎の表側に回り、出入口のところでシャーロットは去って行った。アルヴィーも自分の部屋に戻ることにする。

 《擬竜騎士ドラグーン》となるに伴い、アルヴィーにあてがわれた部屋も従騎士エスクワイアのそれとは段違いに広くなった。本来ならそこそこ上級の騎士のための部屋なのだろう。人も招けるように応接用の部屋があり、その奥に寝室がある。また、風呂こそないが腰湯程度なら使えるよう防水加工がされた一室が、寝室の隣に設けられていた。トイレも併設されている。

 最初は下手をしたら自分の生家ほどもありそうな部屋に驚いたものだが、数日も過ごせば人間慣れるものだ。部屋に入ると着替えを掴み、まず汗を流すべく浴室で服を脱ぐ。水は壁に水魔法の込められた宝珠オーブがはめ込まれており、魔力を通すか魔石を近付ければ水が出てくる仕組みだ。用意した桶を宝珠オーブの下に置き、宝珠オーブに魔力を通すと、水が溢れるように湧き出してあっという間に桶を満たした。それを頭から被って汗を洗い流し、右手から出した炎で身体を乾かせば終わりだ。

 新しい服に袖を通し、汗を吸った服は桶に新しく汲んだ水でざっと洗って絞る。後は部屋の籠に置いておけば、雑事を担当する宿舎の管理人が持って行き、きちんと洗濯してくれることになっているのだ。

 寝室に入ると、ベッドの枕元でフラムが爆睡していた。仰向けに寝転がった野性の欠片もない寝姿で、ぷすーぷすーと寝息を立てている。そのあまりの緊張感のなさに、コレが自分を監視する使い魔(ファミリア)だというのをうっかり忘れそうになるアルヴィーだった。というか当のフラムももしかしたら、自分の役目を忘れきっているのかもしれない。それにしてもほとほと野性を感じさせないその緩みっぷりに、もしかしてコイツはもう野生では生きていけないのではないかと、ちょっと心配になった。まあそもそも使い魔(ファミリア)なのだから、自然の中で生きた経験があるかは疑問だが。

「……おまえはいーよなぁ、なーんも悩みとかなさそうで」

 これでもかとさらけ出された腹をぷにぷにとつついてやると、ころんと寝返りを打つフラム。さすがにそれで目が覚めたのか、ぱちぱちと瞬きをし、アルヴィーの姿を認めるとその耳がぴんと立つ。緑の双眸そうぼうもきらっきらだ。

「きゅー!」

 と、ジャンプ一番顔面目掛けて飛び掛かってきたので、途中でキャッチして肩に乗せてやった。毎度毎度、なぜこの小動物は狙い澄ましたように顔面目掛けて飛んで来るのだろうか。

「きゅっ」

 これはこれで満足したように、フラムはアルヴィーの頬にすりすりと擦り寄る。何となく癒された気がして、アルヴィーは目を細めた。なるほど、これがシャーロットやユナが言う、“小動物で癒される”というやつか。

 しばらくフラムを構ってやっていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「ん……何だろ」

 フラムを肩に乗っけたまま、立って行ってドアを開ける。ドアの前に立っていた少年が、現れたアルヴィーにびくりと身をすくませた。

「えっと……何?」

「し、失礼しましたっ! その、騎士団の方から《擬竜騎士( ドラグーン)》に伝言を、と……」

 どうやらこの宿舎で下働きをしているらしい少年は、ぎこちなく一枚の紙を差し出す。受け取って読んでみると、例のワームとマンティコアの素材の保管期間が過ぎたそうで、返却するという通知だった。

「で、では僕はこれでっ!」

 アルヴィーに通知を渡し、少年は逃げるように立ち去って行く。どうやらまだ、アルヴィーを恐れる人間は一定数いるようだった。肩に乗ったフラムの和み効果もあって無きがごとし。

「……はあ」

 そのことに少々へこみつつ、アルヴィーはとぼとぼと室内に戻って行った。



 ◇◇◇◇◇



 大臣や副大臣の執務室は、広大な王城の中でもほぼ中央部にそびえる城館、その中ほどに位置する。父の呼び出しのむねを携えて来た文官の案内を受け、ルシエルは父の執務室に向かった。

「――失礼致します。ルシエル・ヴァン・クローネル様をお連れ致しました」

「ああ、入りたまえ」

 文官が伺いを立て、入室の許可を得て扉を開ける。中は飾り気のない部屋だったが、客を迎えることもあるのか毛足の長い絨毯が一面に敷かれ、差し向かいで話ができるソファと低いテーブルも置かれていた。だがそこは今、書類に占拠されて使い物にならなくなっている。

 奥の執務机で、絶え間なく書類にサインを書きつづっていた父・ジュリアスは、切りが良いところまで行ったのか手を止め、ルシエルに目をやった。

「よく来た。座るが良い……と言いたいところだが、これではな」

「いえ、お構いなく」

 ルシエルも、書類に占拠されたソファに座る気はなかった。何しろ膨大な書類が絶妙なバランスで積み上がっている。下手に触ればその瞬間に倒壊しそうで恐ろしい。

 文官を退室させ、ジュリアスは口を開いた。

大暴走スタンピードの後始末が終わったかと思えば、次はオークションだ。――だが、想定以上に質の良い素材が大量に集まったのでな。国庫も充分に潤うだろう。おまえの友人には感謝せねばな。“色々と”役に立ってくれた」

「……どういう意味でしょう」

「大物の魔物を多数倒すことで多くの良質な素材を国にもたらし、現場の騎士たちの損耗を最小限に抑え……そして、レクレウス内部の足並みの乱れまであぶり出してくれた。あの情報を基に、今後の方針が決まるだろう。無論、あれだけがすべてではないが」

「当然、諜報ちょうほう部隊の方でも水面下での調査は進めていた……と」

「直接ぶつかり合うだけが戦争ではないのでな。武力で優越していても、情報にうとかったがために辛酸を舐めた国はいくらでもある。――が、“彼”のおかげで我々は、武力面でも大きな力を手に入れた。もうそろそろ、この戦争にもけりを付けたいところだ」

 席を立ち、ジュリアスはゆっくりと窓際に歩み寄る。外の光の眩しさにか、それとも他の理由でか、わずかにその紫の双眸を細めた。

「……だが、ひとまずその件は置いておこう。今日おまえを呼んだのは別件だ」

「別件、ですか」

 いぶかしげなルシエルに構わず、ジュリアスは言葉を継ぐ。


「ルシエル。――クローネル家を継ぐ気はないか」


「は……?」

 予想外の言葉に、ルシエルは思わず間の抜けた声をあげてしまった。

「父上……冗談のおつもりなら笑えませんが。そもそも父上が僕を引き取るにあたって、僕が家を継ぐことはないと明言されたはずです」

「仕方あるまい。事情が変わった」

 ジュリアスは執務机の抽斗ひきだしから数枚の書類を取り出し、ルシエルに寄越した。その内容をざっと読み、ルシエルは眉を寄せる。

「これは……」

「あの馬鹿息子たちは、わたしが代官を付けたのを良いことに、周囲の目を上手く盗んで遊び歩いているようだ。騎士になれなかったばかりか、領主としてもこれでは落第だな。――とはいえ、あれらの母が甘やかすのを放っておいたわたしにも、幾許いくばくかの責はあろうが。ゆえに、それなりの対処をせねばならん」

「それが、僕に家を継がせることだと?」

「わたしの息子の中で一番わたしの役に立っているのはおまえだ、ルシエル。正直、騎士学校をまともに卒業して騎士団に入ってくれれば充分だと思っていたが……今のところおまえは、予想以上にわたしとクローネル家に貢献している。ならば、最も優秀で家のためとなる者にクローネル家を継がせるのが、道理というものだろう」

「ですが……僕は領地経営などほとんど学んでいません。それに、兄二人を差し置いて僕が後継となるのは、貴族の慣例としても問題なのでは?」

「通常ならばな。――だが、おまえに限っては、王家や国の上層部もそれを認めるだろう」

 ジュリアスの言葉に、ルシエルは気付く。否、気付かざるを得なかった。

「……アルを留めるために、ですか」

「“竜”を縛る鎖が頑丈であるに越したことはないからな。ただの貴族の息子では、万が一騎士を辞して国を出ることとなっても、それを止める法はない。だがそれが次期当主となれば、そのような勝手は許されん。貴族の嫡子には当主同様、領地領民を預かることになる者としての責務があるのだ。――あの馬鹿息子たちは、それを忘れているようだがな」

 ジュリアスはため息をつく。彼がルシエルに寄越した書類は、領地の家臣たちに密かに命じておいたクローネル家子息――つまりルシエルの異母兄たちの素行や領主としての資質を密かに調べた報告書だった。そこには、お世辞にも優良とは言い難い報告ばかりが並んでいる。

 ――そもそも、ルシエルは本来ならば、クローネル家に引き取られることはなかった。ジュリアスには妻との間に二人の息子がいたからだ。貴族は一般的に、嫡子となるべき男子と、その嫡子に万一のことが起きた場合に、次の継嗣けいしとして立てるための子を儲けることをとする。長男が何事もなく育てば、次男以下は婿養子として他家に送るのが常だった。そうして貴族同士は結び付き、血を交わしながらその血脈を残していくのだ。

 クローネル家の場合、すでに二人の息子がいるため、さらに落胤らくいんであるルシエルを引き取る理由は、本来は存在しなかった。ならばなぜジュリアスが、わざわざルシエルを探し出し引き取ったのか――その理由は、ファルレアン王国の歴史にあった。

 ファルレアン王国が建国して間もない頃は、まだ王権が盤石ばんじゃくではなく、大臣を決めるにも悩まなければならない有様だった。下手に有力な貴族をその座にければ、その権力をもって王家を打倒される恐れすらあったのだ。ゆえに時の王家は、一つの法を定めた。“国の重職に就こうとする者は、自らの子息を騎士団に入団させることをもって、その忠誠を示すべし”――要するに、体の良い人質制度だ。

 時代が下り、王家の権威が揺るぎないものとなるにつれ、その法は次第に存在の意味を失い、やがては廃された。しかし法としては廃されても、その行為は慣習として残り、今に続いているのである。法として定められてこそいないが、副大臣以上の役職に就くことを望む貴族は、子女を騎士団に入れて王国への忠誠を示す。そうしなければ、他の貴族たちから白い目で見られるのだ。

 ジュリアスもまたその慣例に従い、財務副大臣の座を志すに際して、ちょうど就学年齢に達した息子たちを騎士学校に入れた。だが、ここで誤算が起きた。母に甘やかされて何不自由なく育ってきた二人の息子たちは、いずれも騎士学校での学業や鍛錬の日々に耐えられず、騎士学校を辞めてしまったのだ。確かに貴族の子女に必ず騎士学校に入らなければならない義務はない。しかし一度騎士学校に入学したにも関わらず、しかも怪我や病気などの止むを得ない理由ではなく、単に授業に耐えられないなどという理由で退学したのは、副大臣の座を目指すジュリアスにとってはとんでもない醜聞だった。

 醜態を晒した息子たちと、それを咎めもせず逆に息子たちを擁護し甘やかし続けた妻を、ジュリアスは自身の領地に戻した。押し込めた、と言った方が近いが。そうしてとりあえずの収拾を付けたその時、彼は思い出したのだ。かつて自身が短い逢瀬を交わした、一人の令嬢のことを。

 手を尽くして密かに探させた結果、彼女は自家の所領を離れ、隣国レクレウスの辺境の村に住んでいること、そして息子が一人いることが判明した。息子の見目や年頃から察するに、その息子はジュリアスの子供である可能性が非常に高いということも。

 さらに詳しく調べさせ、彼女の生家にも事情を訊いて、それを確信したジュリアスは、早速人をって母子を自らの手元に引き取ったのである。ファルレアン王国では貴族であれば複数の妻を持つことが認められているため、ルシエルの母ロエナを第二夫人に迎え、ルシエルを第三子として扱うに何の問題もない。

 といっても当初、平民の子として育ったルシエルに、ジュリアスは過度の期待はしていなかった。ただ単に騎士学校をまともに卒業して騎士団に入り、ジュリアスが副大臣の座を得るための最低限の役目を果たしてくれれば、それで良かったのだ。だがルシエルはあらゆる意味で、彼の予想を超えていた。

 引き取られて実父と初の対面を果たしたその時、ルシエルはおくすることもなくジュリアスを見つめ、言ったのだ。


『僕が立派な騎士になれたら、あの村に家族を迎えに行ってもいいですか』――と。


 ルシエルが家族同然に慕っていた少年のことも、ジュリアスは報告だけは受けていた。ゆえに、それが励みになるならばと、ジュリアスは軽い気持ちでルシエルの出したその“条件”を了承したのだ。

 結果――ルシエルは寸暇を惜しむように文武に励み、騎士学校入学時にはすでに、貴族子弟として恥ずかしくない教養と武芸、立ち居振る舞いを身に付けていた。そして異母兄たちが早々に音を上げた騎士学校での生活では、常にトップクラスの成績を叩き出し、卒業時には魔法騎士科の首席にまで上り詰めたのだ。彼の快進撃は騎士団に入団してからも止まらず、次々に功績を挙げて実績を積み重ね、昇級試験も早々にパスして、十七歳という若さで二級魔法騎士にまで駆け上がった。ジュリアスにしてみれば、こちらは喜ばしい誤算である。ルシエルは異母兄二人の失態を帳消しにしてなお余るほどの優秀さを、常に示し続けた。

 それはすべて、ただ一人の少年のために。

 そして、ルシエルが力を求め続けた理由であるかの少年もまた、ジュリアスにとって非常に“使える”存在であった。

 《下位竜ドレイク》と同等の戦闘力を持つ生きた戦略兵器にして、炎の高位元素魔法士ハイエレメンタラー。国防上非常に有用となり得る存在が、息子の無二の親友であるという事実は、おそらく本人たちが思っている以上に重い。自らの従騎士エスクワイアにするという手段で、カルヴァート家子息であるジェラルドに手綱の一端を握られたとはいえ、彼、アルヴィー・ロイが最も優先する存在は、やはりルシエルだろう。すなわち、息子であるルシエルを通じ、ジュリアスもアルヴィーにある程度の影響力を持つ――少なくとも周囲はそう思う。宮廷内で影響力を持ちたいという自身の目的のため、そして王国の臣としても、ジュリアスはアルヴィーを国に縛り付けておきたい。

 そのための手段として、ジュリアスはまず、ルシエルを後継者候補として据えることにしたのだ。幸い――というべきか否か、上の息子二人は母親が甘やかしたせいで、領主としては不出来としか言いようがない。嫡出子ちゃくしゅつしを排除する理由に困らないというのもどうかとは思うが。ともかく、兄が居ながらにして末子のルシエルを後継者候補とするのに、ある程度の理由は持たせられる。ただ、息子二人を猫可愛がりする第一夫人は強く抵抗するだろう。何か策を講じなければならない。

 後はルシエル本人の意思だが、そちらも手の打ちようはあると、ジュリアスは踏んでいた。


「伯爵家の次期当主となれば、周囲の見る目も変わる。地位も権力も、今とは比べ物になるまい。――友人の後ろ盾となることを望むなら、悪い話ではないだろう?」


 ルシエルは努めて表情を変えるまいとしているようだったが、それでもその瞳が揺れたのを、ジュリアスは見逃さなかった。

 彼は力を求めている。親友を守るための力を。武力という点では、アルヴィーの方が遥かに上回っているが、貴族社会では家柄や権力というものも、決して無視できない力となる。貴族たちの様々な干渉からアルヴィーを守るため、それらの力を求めるルシエルにとって、この話は望むべくもない好都合な話のはずであった。

「……少し、考えさせてください」

 ややあってルシエルが返した答えは、是とも否ともいえないものだったが、ジュリアスは頷いた。

「いいだろう。そうすぐに返事ができるものでもなかろうしな。どの道、この戦争が終わって両国の情勢が落ち着くまでは、こちらも大きな動きはできん。下手に廃嫡してギズレ元辺境伯のようにレクレウスの工作員に籠絡ろうらくされでもしたら、それはそれで面倒だ。だが、どの道領地経営については、おまえにもそろそろ勉強を始めて貰わねばならんと思っていた。もしあれらのどちらかをこのまま次期領主として立てるとしても、補佐に誰か置かねば使い物にはならんだろうからな。――話はそれだけだ。下がれ」

「はい……失礼します」

 ルシエルが退室すると、ジュリアスはもう一度、報告書を取り上げた。この報告書だけでは、上二人を“切る”には少々心許ない。第一夫人の実家は格上の侯爵家であり、ジュリアスとしてもあまり波風を立てたくはなかった。いっそ彼らをしてもかばいようがないくらいの面倒事を息子たちが起こせば手っ取り早くはあるが、それはすなわち領地の損害となりかねないのが悩ましいところだ。

「さて……ひとまずは、もうしばらく泳がせておくべきか」

 呟いて、ジュリアスは新しい紙を取り上げる。さらさらと数枚の書面を書き上げると、彼はそれを別の紙で包み、封蝋ふうろうを施して封をした。文官を呼んでそれを託し、自身の領地を現在監督している代官の人間に届けるよう言い付ける。

 そして彼は、財務副大臣としての義務を果たすべく、再び書類の処理に没頭し始めるのだった。



 ◇◇◇◇◇



 通知の来た素材の受け取りのため、指定された窓口に向かったアルヴィーは、そこで見知った顔に出会った。

「あれ、ニーナ?」

「あ、アルヴィー・ロイ!? どうしてここに!?」

 アルヴィーがまだ従騎士エスクワイアであった時、特別講義で講師役を担当していた少女騎士、ニーナ・オルコットだ。頬をわずかに紅潮させ、やけにうろたえた様子の彼女に首を傾げながらも、アルヴィーは先ほど届けられた通知の書面を示す。

「こないだ任務で狩った魔物の素材の引き取りに。ひとまず拾得物扱いになってたんだけど、保管期間が過ぎたって連絡来たからさ」

「そ、そう……大暴走スタンピードでの噂は聞いたわ。ずいぶん活躍したみたいね」

 むしろやり過ぎてドン引かれていた気がするが、それは口をつぐんでおいた。

「それで、窓口はどこなの? 分からないなら教えてあげるわ」

「あ、うん、ありがとう……」

 通知の書面に窓口の場所も記載されていたが、ニーナが妙に張り切っている感じだったので、任せることにした。

「――ここよ。係員にその通知を見せればいいわ」

「ああ、ありがとな」

 ニーナが案内してくれた窓口は、二人が顔を合わせた場所からはさほど離れていなかった。ニーナと別れ、窓口で受付をしている派遣文官らしき係員に通知を見せると、奥から箱を持って来てくれる。

「量が多かったのと、防腐処理をしていない素材があったので、この中に纏めてあります。この箱には魔法式収納庫ストレージと同じ効果がありますので、中身の状態はこちらで預かった時のままですが、素材として使うのなら専門店などできちんとした処理をして貰うのをお勧めします」

「あ、はい……どうも」

「それとこちらは、魔石の買い取り分となります。基本的に魔石は国が買い上げますので、素材として返却は致しません」

 追加でじゃらっと置かれたのは、そこそこ膨らんだ袋だった。持ってみると重い。ここで中を覗くのは周囲の目が怖いので、部屋に戻ってからにしようと決めて袋は仕舞った。

 箱は今日一杯までなら貸して貰えるとのことだったので、それを抱えて王立魔法技術研究所に向かう。マンティコアの毒針は研究所の薬学部で欲しがるという話だったので、引き取って貰おうと思ったのだ。

 研究所には従騎士エスクワイアだった頃に何度も来ているので、もはや勝手知ったるというやつである。正面玄関をさっさと抜け、研究員たちがたむろする部屋を覗いた。すっかり顔見知りになった研究員がすぐに気付いてくれる。

「おお! 久しぶりだなあ!」

「ども」

「こないだの術具、君が回収して来たんだって? クレメンタイン帝国時代の魔法遺産が拝めるなんて、魔法技術の研究者として望むべくもない幸運だよ! 素晴らしいな、あれは。いやあ、あれを解析してると五徹の疲れも吹っ飛ぶよ!」

「いや、それは一回寝た方がいい、悪いこと言わないから」

 ジェラルドいわくの“ここの連中は一度研究に没頭したら、周りなんぞ気にせず飯も睡眠も抜くような、文化的生活不適合者しかいない”というのは、嘘でも大袈裟おおげさでも紛らわしくもなく事実のようだった。

 とにもかくにも、薬学部の場所を教えて貰う。薬学部は研究所の中でも孤立しているような立地だが、道順そのものはそれほど複雑ではない。ただ、そこはかとなく妙な異臭がするのには参った。強化されてしまった五感をこの時ばかりは恨めしく思いつつ、出入口と思しきドアを叩く。

「――おーい! 誰か――」

 すると、皆まで言いきらない内にすぐ傍の窓が開いた。

「何だい、うるさいねえ」

 顔を出したのは、白髪に近い茶髪にミッドナイトブルーの瞳をした、小柄な初老の女性だった。白衣を羽織っているところを見ると、研究員なのだろう。彼女はアルヴィーを見、そしてその人にはあり得ない深紅の肌の右手を見て、悟ったようににやりと笑みを浮かべた。

「なるほど、あんたが噂の《擬竜騎士ドラグーン》かい。あたしはスーザン・キルドナ。ここの主任だよ」

「あ、俺はアルヴィー・ロイ……っていうか、“キルドナ”って」

「察しの通りさ。第二大隊のカルヴァート大隊長のとこのセリオは、あたしの弟子兼養い子でね」

「養い子?」

「旅の途中で拾ってね。なかなか才がありそうだったから連れて帰って来たのさ。まあ、確かに魔法じゃちょっとしたもんになったよ。可愛げは元からなかったけどねえ。――で、《擬竜騎士( ドラグーン)》が薬学部ウチに何の用だい?」

 スーザンがれかけた話を戻してくれたので、アルヴィーは抱えた箱の中からマンティコアの毒針を取り出した。

「これ、《魔の大森林》で狩ったマンティコアの毒針。薬学部こっちだと使えそうっていうから、持って――」

 瞬間。

「ちょ、ちょっとお待ち!」

 スーザンが慌てて顔を引っ込め、次いで廊下を走る足音。そしてドアがバン! と豪快に開き、アルヴィーは危うく直撃を食らうところだった。

「うわっと!?」

「マンティコアの毒針だって!? まだあるのかい!?」

「え、ええと、ここに一つ……」

「どれどれ。――ほぉう、こりゃまた綺麗なもんじゃないか。くふふふふ、国から回ってきた分はもう使い切っちまったけど、これでまた別のレシピの開発ができるねぇ」

 怪しげなことこの上ない不気味な笑いに、もしや持ち込む相手を誤ったかと、額に冷や汗が一筋。だが彼女は毒針を丁寧に梱包こんぽうし、奥に持って行った。扱いについてはやはり専門家プロ、心配は要らないようだ。――結果的にあれが何に化けるかはともかく。

 そんなことを遠い目で考えていると、スーザンが上機嫌で戻って来た。

「――いい素材が手に入ったよ。代金代わりに、ポーションでも何本か持って行くかい?」

「いや、俺別にポーションとか要らないし……あ、そうだ。魔物の皮とか、きちんと処理してくれる店、知ってたら教えて貰いたいんすけど。こないだ狩ったワーム、一応皮とか骨とかは剥いできたけど、俺も本職じゃないから処理が甘くて」

「ワームかい。そりゃまた大物を狩って来たもんだ。――そうさね、こっちで処理してやろうか。魔物の肉なんかも薬の材料に使ったりするからね、本職顔負けにそういうのが得意なのが薬学部ウチにゃ何人かいるんだよ。肉を削いだ後の皮を処理して仕立屋にでも売れば、研究費の足しになるし、ウチは処理のための薬品にも事欠かないしね」

 王立研究所とはいえ、予算にも限りがあり、足りない分はそうして稼いでいるという。なかなか世知辛せちがらい話だ。

「そうなのか……そうして貰えたら助かるけど、でも手間賃とか」

「そんなもん、あの毒針と、後は処理の時に出る肉の欠片やら骨の一部やらを、こっちに貰えりゃそれでいいさ。ワームの肉や骨なんか、滅多に手に入らないお宝だよ」

「は、はは……じゃあ、それでよろしく……」

 今にもお伽噺とぎばなしの魔女よろしくひひひ、と笑い出しそうなスーザンに、何となく腰が引けつつもアルヴィーは任せることにした。研究所の方でやってくれるというなら楽だし、処理の後の廃棄するしかないような部分を有効活用できるのなら、それに越したことはない。

 奥の部屋に入れて貰って箱を引っ繰り返し、素材類をすべて放出、それをスーザンに任せて箱も窓口に返し、アルヴィーはようやく自室に戻った。そこで、仕舞っておいた袋の存在を思い出す。

(……そういや、魔石ってどれくらいするもんなんだろ)

 純粋に興味を惹かれ、アルヴィーはベッドの上で袋を逆さにしてみた。

 途端にじゃららら、と小さな山になる金貨と銀貨。アルヴィーはひいっとおののいた。何しろ、こんな大金は今までの人生でお目に掛かったことがない。慌てて袋に戻し、口を厳重に縛って、ベッドの脇の衣装箱に放り込む。

(……こんな金額が普通に行き来するとか、都会って怖ぇ……)

 早々にルシエル辺りに安全な保管方法を尋ねようと、強く心に決めたアルヴィーだった。



 ◇◇◇◇◇



 ぺた、ぺた、ぺた。

 砂礫されきや雑草に覆われた地面を、剥き出しの裸足のままで、その少年は歩いていた。

 わずかに青みがかった銀の髪は、伸び放題のボサボサ。その合間から覗く瞳は、蜜を集めたような黄金こがね色だ。しかしそれも、かすみでも掛かったようにどこかぼんやりとしている。身に纏っているのは、服というにはあまりに簡素な、布の中央に穴を開けてそこに頭を通しただけ、といった形のものだった。時折吹く風に大きくひるがえるが、少年がそれを気にする様子はない。

 と――少年がふと立ち止まる。

「……グルルル……」

 唸り声と共に、彼の周囲を取り囲む魔物。いずれも人の背丈ほどもありそうな大きさで、牙を剥き口の端から涎を垂らしながら、少年を追い詰めるように距離を詰めていく。

 すると、それに触発されるように、少年の顔付きが変わった。

 茫洋ぼうようとした金の双眸に獰猛どうもうな光が宿り、うっすらと開かれた口からは小さいながらも鋭い犬歯が覗く。そしてだらりと垂らされていた両手足には力がみなぎり、その指と爪がさらに太く鋭くとがり始めた。

 じりじりと少年に詰め寄っていた魔物たちが、その変化にびくりと身を竦め、足を止める。容易く狩れる獲物であったはずの存在が、いきなり自分たちと同種――否、それ以上に獰猛で凶悪な気配を放ち始めたからだ。

 だが、もう遅かった。

 少年が少し膝をたわめたかと思うと、次の瞬間には地を蹴っていた。魔物が反応するよりさらに速く、その右腕が大きく振るわれ、鋭い爪が標的となった魔物の顔面を深々とえぐる。激痛と恐怖に動きを止めてしまった魔物を、少年は追い討ちとばかりに蹴り飛ばした。ごぎん、という音と共に魔物の胴体がへし折れ、吹っ飛んだ魔物は地面で何度か弾むと、口から血を吐いてそのまま動かなくなる。

 ぐるり、と振り返った少年は、次の魔物を標的と定めて襲い掛かる。その時にはもう、他の魔物たちは一目散に逃げ出していた。標的とされた不運な魔物だけが逃亡も叶わず、一足飛びに飛び掛かった少年の爪に首を掻き切られ、血飛沫をあげながら絶命した。

 返り血を浴び、あっという間に凄惨せいさんな見た目になった少年は、血で汚れた右手の指をぺろりと舐める。そして不味まずかったのか思いっきり顔をしかめると、少し悩んで魔物のむくろを置き去りに、また歩き始めた。

 その姿は不意に巻き起こった風と砂煙に紛れ、すぐに見えなくなった。


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