第32話 胎動
森で一夜を明かしたアルヴィーたちは、翌朝早い内から野営場所を後にし、特に何事もなくラース砦へと帰り着いた。
その足でアルヴィーとルシエル、シャーロットはデズモンド・ヴァン・クラウザー一級騎士の執務室に向かい、特別任務を完了したことを報告する。と、彼から新事実を告げられた。
「――では、今回の大暴走で魔物がやけに多かったのも、レクレウスの暗殺者の仕業だったということですか?」
「うむ。君らが森で捕らえた連中を尋問したら吐いた。《擬竜兵》を疲弊させ、かつ自分たちに目を向けさせないようにするため、わざと魔物を呼び寄せていたそうだ。何でも、そういう能力を持った人間がいたらしい」
デズモンドの話では、その人物は《魔物使い》と呼ばれていたが、魔物だけでなく獣もある程度操れるということだった。ただ、森での襲撃後行方不明らしい。
「その件ですが、我々が森で襲撃を受けた際、人形を使う二人組によって暗殺者のリーダー格と思われる人間が連れ去られました。その魔物を操る人間も、同じく連れ去られたのかもしれません」
「ふむ……魔物や獣を操るというのはそれなりに珍しい能力であるし、あり得なくはないな」
デズモンドは頷く。
「ともかく、今回の大暴走の異様な魔物の多さも、これで理由が分かったわけだ。――よろしい、連中については引き続き、こちらで預かろう。大暴走が終わって、しばらくは暇であろうしな。おそらくはレクレウスの手の者であろうが、たっぷりと泥を吐かせてやろう。まだこの近辺に諜報員らしき者がいるらしいことも口走ったし、一人残らず炙り出してやろうぞ」
《魔物使い》の件といい、仮にも敵国に潜入するレベルの暗殺者がそうベラベラと情報を喋るわけがないので、十中八九何か薬物でも使ったのだろう。いわゆる“素直になれるお薬”を。騎士団怖い、とちょっと引いたアルヴィーだったが、ルシエルたちは割と普通の顔だった。どうやらその辺りも必要悪だと割り切っているらしい。
「では、報告はこの辺にして……“それ”の件だが」
デズモンドはアルヴィーが持ち込んだ“それ”を、何ともいえない顔で指差す。見ると、彼の副官や執務室にいる他の騎士たちも、似たような顔をしていた。
「それは、もしや」
「あ、はい。ワームの皮と骨と牙ですけど。あと、マンティコアも倒したんで、その毒針と魔石も」
ごそごそとアルヴィーが取り出したそれらの品物に、騎士たちは軒並み卒倒しそうな顔になり、ルシエルとシャーロットは遠い目をした。ちなみに、適正価格で市場に流せば、これらの品で王都のそれなりの店が軽く一軒買い取れる。
「大暴走で俺が倒した分はレドナの復興資金に回すってことだったんで、これもかな、と」
「……いや、それは大暴走終息後の、特別任務の際に倒したものだろう。その件に関しては、カルヴァート一級魔法騎士か騎士団長閣下に判断を仰ぐと良い。どの道、任務の達成を報告しなければならんだろう」
「あ、はい」
王都までこれを持って帰るのは、それはそれで荷物になるが、指揮官が上官に指示を仰げと言うのだから置いて帰るわけにもいかない。アルヴィーは再びそれらを纏め直した。骨は運びやすいように解体の時にある程度ばらしたし、皮は小さく巻いてしまえばいい。ただ処理が荒いので、途中で腐ったりしないように魔法式収納庫に入れることにした。術具を入れる分しか預かっていなかったので、魔石やら素材やら入れて術具に変な影響でも出たらまずいと背負って来たのだが、それで影響が出るならそもそも魔法式収納庫など使えない、という目から鱗の指摘を受け(何しろ魔法式収納庫そのものが魔法技術の塊だ)、それならばと片っ端から突っ込む。術具がどんな代物か分からなかった以上、魔法式収納庫はかなり容量に余裕があるものを持たされたらしく、術具と素材を放り込んでもまだ容量が残っていそうだ。
「では、我々は失礼致します」
「ああ、君らは応援部隊と共に戻るのだったな。心配は要らんだろうが、気を付けて帰りたまえ」
「お気遣いありがとうございます」
ルシエルたち第一二一魔法騎士小隊は、このまま王都からの応援部隊に戻り、帰還することとなっていた。デズモンドに敬礼し、そしてアルヴィーにも小さく手を上げて、ルシエルは執務室を退室する。シャーロットも敬礼してそれに続いた。
「さて。君はまだ、王都への報告が残っているだろう。ここの通信設備を使いたまえ」
「あ、はい。ありがとうございます」
このラース砦には、王都との連絡用に、術式を込めた水晶板を使った通信設備が設置されている。そしてデズモンドの執務室の隣室には、一般の騎士でも使える設備とは別に、騎士団上層部へ直通の通信設備があるそうだが、それを使わせてくれるというのだ。といっても、こういった道具にはまだ疎いアルヴィーには使い方が分からないので、起動は別の騎士に手伝って貰ったが。加えて、責任者としてデズモンドも立ち会っている。
やがて水晶板の上に像が結ばれ始め、それはジェラルドの姿となった。
『――思ったより早かったな。首尾はどうだった』
開口一番そう訊いてくるジェラルドに、アルヴィーは魔法式収納庫を軽く叩く。
「術具と魔法陣、見つけて洗い浚い回収して来……ました。魔法陣は描き写した後、他に漏れないようにルシィ……第一二一魔法騎士小隊が全部消したのも確認済みで」
『よし、良くやった。森での一件も報告は受けた。念のために飛竜を一騎手配してあるから、おまえはそれで戻って来い。もうそっちに着いているはずだ』
「了解」
そう答え、ふと思い出す。
「そうだ、これ、どうしたらいいか……ですか」
ごそごそと取り出す数々の素材に、ジェラルドの目もだんだん遠いものになっていく気がした。
「大暴走で俺が倒したのはレドナの復興費用に回すって話だったけど、これ術具回収の時に倒した奴のだから、どうしたらいいかと思って」
『……まあ、大暴走終息後の特別任務中に倒した分は、今回の取り決めの範囲外になるし、任務中の拾得物と同様の扱いになるだろうな。一旦騎士団預かりにして、一定期間後に本人に返還か国が買い取る形になる。魔石は国の方で欲しがるかもしれんが。動力源として、魔石はいくらあっても足りんからな』
「え、と。じゃあこれ、俺が持ってていいの?」
『一定期間騎士団の方で預かるがな。まあ元の持ち主がいるわけでもなし、しばらくしたら手元に戻るだろ。――ああ、毒針は研究所に売り付けてやれば、薬学部の連中が躍り上がって喜ぶぞ。マンティコアの毒針なんぞ、そうそう手に入らんからな。じゃあまあ、寄り道せずに帰って来い』
最後はからかうようにそう言って、ジェラルドの姿は掻き消えた。
執務室に戻り、デズモンドに挨拶を述べる。
「じゃ、俺これで。その、お世話になりました」
「ははは、それに関してはお互い様だろう。ではな」
ようやく様になり始めたファルレアン式の敬礼で応え、アルヴィーは執務室を後にする。王都からの応援部隊が順次出発しているため、砦の中は何となく浮き立つような喧騒に満ちていた。そんな中、ルシエルたちの姿を見つけてアルヴィーは駆け寄る。
「ルシィ。これから帰りか?」
「ああ。アルはどうする? 特別任務の件もあるし、急いで戻った方がいいと思うけど」
「ん、それがさっき報告した時、飛竜回すからそれで戻れって」
「なるほど。まあ確かに、アルは独立部隊みたいなものだしね」
術具を早く安全に持ち帰るためにも、その方が良いだろう。少々羨ましくはあるが。何せ、馬で十日ほど掛かる距離でも、飛竜ならひとっ飛びだ。
と、アルヴィーがふと、窓越しに遥か遠く、《魔の大森林》の方角を見やった。
「アル、どうかした?」
気付いたルシエルが尋ねる。アルヴィーはかぶりを振り、
「何でもない。――ただ、あの二人のことが、ちょっと気になってさ」
「あの二人って、例の人形を使う?」
「ああ……ルシィが言ってただろ。あの二人は、レクレウスの勢力争いに関係してここに来たんじゃないか、って。――戦況が、また動くのかな」
「それは何とも言えない。彼女たちが属する陣営が目指すところがどこなのか、今の段階ではまだ掴めないからね」
それでも、まったく無関係ということはあり得ないだろう。アルヴィーの持つ力は大き過ぎる。それこそ戦局すら左右するレベルで。彼女たちが属する陣営の動き、ひいてはレクレウスの動き如何で、彼はまた戦場に戻らなければならないかもしれないのだ。
それは分かっていたので、アルヴィーも少し表情を翳らせはしたものの、落胆はしなかった。
「……そうだな。ここで考えてても仕方ないか」
「僕が出した手紙はもうとうに着いてるはずだし、今は多分、どう動くか国の上層部で検討してるところだと思うよ」
おそらく、アルヴィーの存在を抑止力として誇示し、その裏でレクレウス内部の穏健派に接触を図る――それが最も可能性が高いと、ルシエルは読んでいる。上手くやれば戦力の損耗を抑えられると思われるからだ。ファルレアンの騎士団は総数約十三万人を誇るが、レドナで痛手を受けているし、そもそも対レクレウス戦に全戦力を突っ込むわけにはいかない。国内の治安維持はもとより、ファルレアンはレクレウスの他にも、リシュアーヌ王国やソルナート王国、サングリアム公国と国境を接しており、そちらの国境防衛のために幾許かは張り付けておかなければならないのだ。もっともこれも侵攻を警戒するというより、越境犯罪などを取り締まる側面が強いが。
「……何はともあれ、大暴走も特別任務も終わったし、一足先に王都に戻って休みなよ。アルは色々、大変だったからね」
大暴走での奔走もさることながら、命を狙われて二度も襲撃を受けたのだ。体力的にはともかく、精神的には疲弊していることだろう。そんな親友の気遣いに、アルヴィーは表情を緩めた。
「おう、ありがとな」
ユナに預けておいたフラムを受け取ってそのままルシエルたちと別れ、アルヴィーは部屋に戻ると支度を始める。といっても、さほどの荷物もなく、すぐに終わったが。
「また飛竜に乗るからな。おとなしくしてろよ」
「きゅっ」
いつもの小袋に収まってキリッと返事をするフラムに少し笑い、アルヴィーは荷物を持って部屋を出た。
砦に駐在している騎士を捕まえ、飛竜について尋ねると、砦の裏手にすでに到着しているということだったので、そちらに向かう。ついこの間襲撃を食らった現場でもあるが、今日はもちろんそんなこともなく、飛竜と手綱を取る騎士がすでに準備を整えて待っていた。
「――《擬竜騎士》ですか。どうぞ、後ろへ。王都まで送ります」
「あ、どうも……」
飛竜を怯えさせないように、竜の気配を抑えながらその背によじ登る。搭乗用の装備を着け、アルヴィーが掴まったのを確認すると、騎士が飛竜に合図を送った。すると飛竜の巨体がふわりと浮き上がり、翼を羽ばたかせて上空へと翔け上がっていく。
「うお……!」
「きゅー!」
アルヴィーがわずかに身を乗り出して短く歓声をあげ、その拍子に袋ごと大きく揺れたフラムが悲鳴のように鳴く。飛竜はぐんぐん速度を上げ、ラース砦はあっという間に遥か後方に消えていった。
「――予定では日が落ちるまでには王都に着きますので!」
「さっすが、飛竜は速ぇなー……ん?」
何気なく見下ろした地上、その前方遠くに黒い点を見つけて、アルヴィーは目を凝らした。近付くにつれ、それが幌馬車とそれを囲むように進む騎馬だと分かる。
「……なあ! あれ、馬車かな?」
「馬車? ああ、商人か商隊でしょう。大暴走も終息したということで、この辺りの道の封鎖も解除されたので、商人が早速王都やその近辺へ向かってるんですよ。資金に余裕がある商人は傭兵なんかを護衛に雇うんですが、小規模な商人はそれも無理なので、資金力のある商人にくっついて商隊になるんです。護衛を持ってる商人に幾許か金を払って、相乗りさせて貰うんですよ。護衛が付いてる商隊は、盗賊なんかからしても襲い難いですからね」
「へー……」
そんな話をしている間にも、飛竜はぐんぐんその一団に近付き、あっという間に追い越した。しかし、大暴走が終わるや否や王都に向かうとは、商人にもなかなか命知らずがいるらしい。
馬車の列もすぐに後方に消えて見えなくなり、アルヴィーは再び前方に目を向ける。
飛竜は王都に向かって一直線に飛び、すぐに南西の空へと消えていった。
◇◇◇◇◇
ゴトゴトと揺れる幌馬車の荷台。そこに両手と両足を縛られ、《黒狼》と《魔物使い》は座らされていた。その反対側には、魔力の糸を指に絡ませ、何やら形を作って遊んでいる二人の銀髪の少女。そして荷台の大部分を占拠して、二体の人形が手足を折り曲げる形で格納され、馬車の揺れに合わせて小さく揺れている。
「……あのさー、せめて足だけでも解いてくんない? この馬車揺れるのに身体支えらんなくて、結構辛いんだけどー」
《魔物使い》の嘆願に、少女たちはにべもなく、
「駄目」
「寝てれば?」
「寝られるわけないじゃん、こーんな揺れる上に堅ったい床でさぁ!」
じたばたと暴れる《魔物使い》だが、少女たちはすっぱり無視して糸遊びを続ける。と、
「……周りの連中の顔、いくつか覚えがある。レクレウスの情報部だろう。同じレクレウスの陣営がなぜ、我々の邪魔をして《擬竜兵》を助けた?」
《黒狼》の問いに、彼女たちは顔を上げた。糸を消し、《黒狼》に向き直る。
「わたしたちはわたしたちの主に従うだけ」
「知りたかったら旦那様に訊いて」
「ということは、その“旦那様”とやらにとっては、《擬竜兵》が生きている方が都合が良いということか。あの時も似たようなことを言っていたな」
《黒狼》の突っ込んだ問いに、少女たちはこくりと頷く。
「でも、わたしたちも詳しいことは良く知らない」
「旦那様に直接訊いて」
そう言って、彼女たちは今度は二人掛かりで糸遊びを始める。もう話すことはない、というのだろう。
「……ねえ、どうすんのさ、この状況」
《魔物使い》がぼやいてくる。《黒狼》は縛られたまま器用に肩を竦め、
「とりあえず、おとなしくついて行くしかあるまい。少なくとも本国には戻れるぞ。他の連中はおそらく、それすら叶わないからな」
「どっちが良かったのかは分かんないけどね……」
「どの道、今の我々は得物も取り上げられて丸腰だ。――それに、例の“旦那様”とやらの話にも興味がある」
「ええ? 乗り換えるつもりなの?」
「こうなっては致し方ないだろう。そもそも我々は暗殺者。部下ではあっても臣ではない。落ち目の主に最後まで付き合うのは、股肱の臣のやることだ」
現在のレクレウスの状況がよろしくないのは、《黒狼》も分かっていた。そして沈む船にいつまでも乗り続けるつもりはない。《擬竜兵》の暗殺に失敗した以上、レクレウス上層部も《黒狼》たちのことは死んだものと看做すだろうし、おめおめ戻ったところでろくな未来は待っていないだろう。ならばこのまま、彼女たちの主とやらを見極めるのも一興だ。
「……まあ、まずは生き残らなきゃ始まらないかー」
「ああ、まったく同意見だ」
意見の一致を見たところで、まずは身体を休めることにして、《黒狼》は荷台に背を預け目を閉じる。少々揺れが大きくはあるが、寝ようと思えばどこででも寝られるのは、彼の特技の一つでもあった。
堂々と居眠りを始めた《黒狼》に、《魔物使い》は感嘆と呆れがない交ぜになった表情を浮かべる。
(この状況でよく寝られるよなあ、この人。――あんなおっかない女がいる前でさあ)
無論彼らも、まったくの無抵抗で捕まるつもりなど毛頭なかった。それがこんな有様なのは、目の前で糸遊びをしている二人の少女が、彼らにそれを許さなかったからだ。
彼女たちはそれぞれ《黒狼》と《魔物使い》を確保して現場を離れ、情報部の面々と合流して二人を拘束する際、ごく当たり前のように訊いてきたのである。
「――おとなしく縛られるのとこのまま握り潰されるの、どっちがいい?」
と。
彼女たちの人形に鷲掴みにされたままでは選択肢などあろうはずもなく、彼らは無条件で投降するしかなかったのだった。
(……ま、僕もまだ死にたくないしね。――やっぱ、こいつらの主ってのに会って、条件次第で乗り換えるのが得策かなあ)
暗殺者とはいえ、彼も自分の命は惜しかった。わざわざ生還を報告するほど、国に忠誠心を持っているわけでもない。ということで、現時点では一番生き残れる確率が高い手に乗ることにして、《魔物使い》は手持ち無沙汰にぼんやりと揺れる幌の内側を眺め始めた。
――やがて幌馬車の一行が道から忽然と姿を消してしまっても、気付いた者は誰もいなかった。
◇◇◇◇◇
王都で足場固めのため忙しく立ち回っていたナイジェルの耳に、その知らせが飛び込んで来たのは、《人形遣い》の少女たちを敵国へ送り込んでから少し経った頃だった。
「――北方領主が襲撃された!? 確かなのか!?」
「は。幸いユフレイア殿下はご無事とのことですが……実は同時期、王太子殿下が密かにご自分の近衛兵を動かしておられます。現在も、近衛兵の中に消息が不明となっている者がいくらかおります」
「まさか……王太子殿下がユフレイア殿下を?――いや、あり得なくはないか。だとするとその場合、火を点けたのは他ならぬわたしか……なかなか、笑えない状況だ」
自嘲するようにそう言って、ナイジェルはすぐに指示を出した。
「とにかく情報を集めろ。王太子殿下の周辺は特に念入りにだ。それと、天馬を用意しろ」
「は……天馬を、でございますか?」
「ああ。――オルロワナに向かう」
王太子ライネリオが異母妹である北方領主ユフレイアを嫌い、彼女もまたライネリオを嫌っていることは、すでに掴んでいた。ゆえにナイジェルは考えたのだ。
この一件を利用すれば、第三王女にしてオルロワナ北方領を統べるユフレイアを、自分の陣営に引き込めるかもしれない――と。
「は。すぐにご用意致します」
「それと、情報操作を。わたしが北に向かう間、不在を悟られぬようにしたい」
「畏まりました」
部下は一礼し、足早に立ち去る。ナイジェルは使用人に命じて、旅の支度を整えさせた。だがそう長い旅にはなるまい。あまり長く王都を空けるわけにもいかないのだ。
こうしてナイジェルは数人の護衛だけを引き連れ、秘密裏にオルロワナ北方領へと向かった。
――オルロワナ北方領の中心都市ラフトは、領内のやや南寄り、アルタール山脈に端を発する大河・ディラエ川の畔にある。王都レクレガンからだと、ほぼ真北に当たる位置だ。
早朝に王都を発ち、天馬を飛ばして昼過ぎにはラフトに辿り着いたナイジェルたちは、まず街の近郊に下り立ち、ラフトでも一、二を争う高級な宿に入った。そして宿の者たちに厳重に口止めをした上で、護衛の一人を先触れとして領主館に向かわせる。
しばらくして、領主館の方から馬車が寄越されて来たので、ナイジェルたちはそれに乗り込み、領主館へと赴いた。
石造りで重厚な印象を与える領主館は、さすがに襲撃からさほど間がないせいか、一部が破壊されたままで人の出入りも慌ただしい。それでもナイジェルの出迎えがおざなりになることはなく、彼は丁重に迎え入れられた。
「――遠いところをようこそ、クィンラム公。だが生憎立て込んでいてな。少々騒がしいのは寛恕願いたい」
出迎えたユフレイアに、ナイジェルは跪き礼を示す。
「こちらこそ、お忙しいところ急な来訪となりまことに申し訳ありません、ユフレイア殿下。ですが此度の報を聞き及び、矢も盾も堪らず馳せ参じました次第です。また、些少ではありますが、お見舞いの品をと思い、取り急ぎ目録を持参致しております。品は現在、我が領地から急ぎ運ばせておりますので、数日中には到着致しますかと」
ナイジェルの領地はレクレガンとラフトとの間にある。今頃はナイジェルからの連絡を受けて大急ぎで荷が纏められ、順次ラフトに向けて発送されているはずだった。もちろん情報操作も怠っていないので、王都の方からこの動きを察知することは難しいだろう。こうした突発事態への見舞いの場合は、もちろん前もって品の用意などできるわけがないので、現物の到着が少々遅れても非礼にはならない。
補佐官を介して渡った目録を確かめ、ユフレイアは頷いた。
「気遣い痛み入る、クィンラム公。――それにしても相変わらず耳の早いことだ。卿が一番乗りだぞ」
「は……それは光栄にございます」
「せっかくだ、王都の話でも聞かせて貰おうか」
「もちろんでございます、殿下」
案内を受け、ナイジェルは館の中の応接間に通された。ユフレイアと対面する形でソファに腰を下ろす。護衛たちは部屋の外に下がり、紅茶と茶菓子の給仕を終えた使用人も下がると、室内は二人きりとなった。もちろん、ユフレイアの指示だろう。
紅茶のカップを取り上げて少し唇を湿し、ユフレイアは口を開いた。
「……正直、卿がこちらに来訪したのは、わたしにとっては意外だった。てっきり、王都で揉み消しを図ると思っていたのだが」
「と、仰いますと……殿下は此度の襲撃が、王都からのものだとお考えなのですか?」
「考えているのではない。――犯人が吐いた。確定だ」
やはり、とナイジェルは内心で嘆息した。そしてこの地を訪れた自身の判断を褒める。
「……しかし、それをわたしの前で口になさってよろしいのですか? わたしが王都の回し者でないという保証はありますまい」
「保証か。――では訊こう。“この館は、一体何でできている”?」
唐突な彼女の問いに、ナイジェルは一瞬戸惑い、そして理解した。
「……なるほど。石材もまた、殿下の朋友たる地の妖精族の力の及ぶところ。館だけではない、文字通りこのオルロワナの地すべてが。――ことこのオルロワナの地におられる限り、殿下は常に地の妖精族の守護を受けられるというわけですか」
「彼らは人の悪意に敏くてな。もし卿が害意を持ってわたしに近付いていたら、今頃は石の檻にでも閉じ込められていただろうな」
楽しげにそう言って足を組み、ユフレイアはナイジェルを見やった。
「それで? 卿の目的は何だ? 中央に疎まれ北の辺境に流された名ばかりの王族と誼を結んでも、卿にさしたる得はなかろう?」
「とんでもございません。殿下は地の妖精族の加護を受けし高位元素魔法士にして、国内で最も豊かな土地を統べる領主にあらせられる。――僭越ながら、殿下はもう少し、ご自分の価値というものに目を向けられた方がよろしいかと。今、この国は徐々にではありますが、確実に崩れかけております。おそらく今の政権のままでは、我が国は滅びの道を辿るよりない」
ナイジェルの言葉に、ユフレイアの瞳が鋭く細められた。
「少々言葉が過ぎるのではないか? クィンラム公」
「これはご無礼を。――しかし、殿下。あえて申し上げますが……現在の王太子殿下がいずれ即位なさったとして、良き君主におなりになるとお思いですか?」
「…………」
彼女の答えは沈黙だった。そしてそれこそが、彼女の思いを雄弁に物語っている。
やがて、ユフレイアは口を開いた。
「……今回の襲撃は、王太子の差し金だ。実行犯は奴の近衛だった。今の今まで無視しきって上納金ばかり集っていたくせに、なぜ今頃になって刺客など差し向けてきたのかは知らないが……」
「中央では密かに囁かれているのですよ。ファルレアンの女王と同じく高位元素魔法士であるお方が国内にいらっしゃるのだから、この国難に際してお起ちいただくべきではないかと」
そのきっかけとなったのが自身であることはもちろんおくびにも出さず、ナイジェルはそう嘯く。
「迷惑な話だ。――だが」
ユフレイアは足を組み替え、表情を厳しくした。
「わたしの感情をさて置けば、高位元素魔法士をファルレアンへの牽制に使うというのは、さほど悪い案ではない。確かに地の妖精族は他者を傷付けることを厭うため、打って出ることはできないが、その代わり守りに入ればおそらく、他の追随を許すまい。守るための戦いならば、妖精族も否やはないしな。それを打診もしてこない時点で、今の国の上層部の器は知れている」
おそらく、王太子ライネリオやその後ろ盾でもある王妃に気兼ねしているのだろうが、現在のレクレウスの状況は、もはやそんなことを気にしている場合ではないのだ。この状況を挽回しようと思えば、もはや形振り構わず打てる手は打って行くしかないというのに。
「この段階で、まだ王家の顔を立てることを優先しているようではな。打てる手を自分で潰しているようなものだ。状況がどんどん詰んでいくぞ」
突き放したようなユフレイアの言いように、ナイジェルはわずかに目を細める。為政者というのは、自分自身も含めて俯瞰できる視点を持っていなければならない。自分の施策をいっそ冷徹なほど客観的に見ることができなければ、優れた為政者にはなり得ないのだ。その点では、この姫君の方がよほど、上に立つのに向いている人材といえるだろう。
「それに、殿下にはこのオルロワナ北方領を見事に統治し、国内でも有数の豊かな地に生まれ変わらせた実績がございます。翻って王太子殿下は、次代の王としてのお立場こそあれど、実績というほどのものはございません。帝王学を修められてはいますが、それも書物の上での知識に過ぎない」
「北の辺境の領地と一国の統治とでは、勝手も違うだろう。祭り上げられたところで受ける気はないぞ。わたしも自分の力量は分かっているつもりだ。ファルレアンの女王陛下のような出来物には、とてもではないが及ばない」
肩を竦め、ユフレイアは切り込んでくる。
「……まあ、腹の探り合いはこの辺りにしないか、クィンラム公。――卿は一体、何のつもりでここに来た? わたしへの見舞いだけで、わざわざ王都から北の辺境まで自身が足を運びはしないだろう?」
金と紫、宝玉のような瞳がナイジェルを射抜く。その視線を真っ向から受け止めながら、ナイジェルは口を開いた。
「ならば、遠慮なく申し上げましょう。わたしの計画に、手をお貸しいただけませんか。――この国を正すための計画に」
それは大きな賭けだった。彼女が拒めば、そして王家にこの件を告げれば、自分の足場など簡単に崩れ落ちてしまう。下手をすれば、反逆罪に問われかねないのだ。いくらユフレイアが王家を嫌っているとしても、その可能性は決して無ではない。臣下が国の舵取りに手を出そうというのは、それだけ大それたことなのだ。
だが――彼女はしばしナイジェルを探るように見つめ、小さく息をついた。
「……どうやら、本気のようだな」
「嘘や酔狂でこのようなことは申し上げませんよ。下手をすれば反逆罪ですので」
「ああ、特にあの王太子なら、喜んで卿を吊るし上げるだろうな。――だが、わたしは興味が湧いた。話せ」
ユフレイアに促され、ナイジェルは口を開いた。
――しばしの会談の後、ユフレイアはナイジェルを領主館から送り出した。その背中に声がかかる。
「あ、いたいた姫様。公爵さんとの話、どんな感じで?」
「フィランか」
ふらりとやって来たのは、領主館の中だというのに剣を腰に帯びた猫目の青年・フィランだ。先日の襲撃の際、ユフレイアたちを救ったこの青年は、あの後補佐官の巧みな尋問によって当代の《剣聖》であることをうっかり口にしてしまい、以来食客兼ユフレイアの護衛として、この領主館に滞在している。何しろ代々の《剣聖》が国や権力との関わり合いを避けていたのは有名な話であるので、駄目元で持ち掛けてみた話だったが、これからの身の振り方を特に決めていなかったというフィランは、当分の間という条件でそれを受け入れた。何でも、権力に関わりたくないのは単に面倒だからだそうで、その点このオルロワナは北の辺境であり、王都ほどしがらみもなさそうだからということらしい。後は、この領主館で出された茶菓子や料理が美味かったからだとか。
だが、面倒事は嫌いでもそれが自身と関係のないことならば興味は湧くらしく、まさしく猫のように興味に目を光らせるフィランに、ユフレイアは肩を竦めてみせる。
「そうだな。とりあえず、クィンラム公は食わせ者だと前々から思っていたが、予想以上だったというところだ」
ユフレイアはてっきり、クィンラム公爵家は王家側だと思っていたのだが、当代のナイジェルはさらに腹に一物隠し持っていたらしい。まさか、代々王家の“影”として仕えてきた公爵家当主が、クーデターなど計画していようとは。
『――現王家から国政に関する権限を奪い、貴族で議会を作ってそこで国政を動かすという形態を、現在考えております。王家はその血筋を残してはいただきますが、あくまでも国の象徴であり、国政や外交に関する権限は貴族議会が持つ……そうすれば王家による専横を防ぎ、より良い人材によって国政を運営することができます。殿下も、謂れなき誹謗に煩わされることもなくなりましょう。いかがです?』
彼はあの時、そう言って笑みを浮かべてみせたのだ。
「……とにかく、まずは領主館の修繕だな。資材は何とでもなる。それに、クィンラム公からの見舞いもあるから、それほどの赤字にはならないだろう。襲撃の犯人はこちらの手にあるし、何らかの手札として使えるはずだ。――余計な手出しをしなければ、わたしもあえて王家に盾突こうとは思わなかったがな」
(うひゃー、怒ってんなあ、姫様。ま、臣下としてちゃんとやってたのにいきなり逆恨みで襲撃されちゃ、怒りもするか)
怒りに燃えるユフレイアからそっと視線を外し、フィランはぽりぽりと頭を掻く。
「……ま、俺は期間限定で姫様の身を守るだけだからね。――っていうか、姫様自分の身を守るくらい、俺いなくてもどうとでもなるでしょ?」
「何を言う。わたしは守り一辺倒だからな。相手を倒すには、やはり“剣”が要るだろう?」
「はいはい、仰せのままに」
そっかー倒しに行く気なのかー、と遠い目になるフィラン。そんな彼を余所に、ユフレイアは部下たちに指示を出し始める。
「ひとまず、王家への上納金は一時停止だ。この一件に関しての答弁を出させる。この機会に、国からの独立性を高めるぞ。それと、外部への鉄や銀の流出も制限を始めろ。領内の備蓄を増やす。浮いた分で食料や物資の買い付けも忘れるな」
「はっ」
ばたばたと動き出す領主館の人間たちを他人事のように(というか実際他人事だが)見やり、フィランは自身が腰に帯びる剣を見下ろす。思えば、この剣のためにここオルロワナにまでやって来たのが、事の始まりだったのかもしれない。
だが彼がそれを悔いることはない。起こったことは起こったこととして受け止め、どんな状況が降り掛かろうとまずは受け入れた上で、それを脱するために動くのだ。そのすべてを、自らの剣と生の糧とするために。
(とりあえず当分は、ここで姫様の護衛やってるか。――もしかしたら、何か大きなことが起こるのかもしれないし)
猫が気紛れに腰を落ち着けるように、フィランはそう考えて、その猫のような瞳を興味にきらりと光らせた。
◇◇◇◇◇
かつん、と足音が響く。
廃都クレメンティアの中枢、《薔薇宮》。その地下にある自身の研究施設の一角を、レティーシャは歩いていた。その数歩分ほど後ろには、彼女の騎士たるダンテも控えている。
「……あら、ここも中身が逃げてしまいましたのね。まあ、この辺りのものは一世代前の研究サンプルですし、逃げられてもそう惜しくはないのですけれど……やはり、早急に管理者が必要ですわね」
「では、ベアトリスを?」
「いえ、彼女には当初の予定通り、侍女頭と共にわたくしの名代としての役目を果たしていただきますわ。ここの管理者は別に探しましょう」
そう言いながら、彼女は空になった水槽への水の供給を止めた。水を抜いて中を清めなくてはならないが、それは自分でなくともできることだ。それより差し当たっては、やるべきことがあった。
しばらくそのまま歩き、やがて彼女は立ち止まった。
覗き込んだその水槽の中には、一人の少女がたゆたっている。ついこの間まで赤ん坊だったその少女は、今は少し成長して、五歳ほどの容姿になっていた。相変わらず目は閉じられているが、榛色の髪は伸びて肩を越し、水の流れにゆらゆらとなびいている。
「成長速度は予定通りですわね。もう少しすれば“彼女”の魂を移すにも支障はなくなるはずですわ」
「しかし、傍から見ていると面白いものですね、我が君。こうして見ると、生きているのか死んでいるのか……」
「そうですわね。強いて言えば“生まれる前”というところでしょうか。未だ自我はなく、ですが身体そのものはすでに生命活動を始めています。――人はどの時点で“人”となり得るのか、研究してみても面白そうですわね」
くすりと笑い、レティーシャは身を起こして再び歩き始めた。ダンテもそれに倣う。
さらに歩いたその先、研究施設の最も奥まった場所で、彼女は足を止めた。
そこには扉があった。扉には魔法陣が刻まれ、淡い光を放っている。レティーシャが手を差し伸べると、その指にはめられた指輪の宝玉部分が輝き、扉の魔法陣も共鳴するように一度輝くと、扉がひとりでに開き始めた。レティーシャは当然のようにその扉を潜り、その向こうに足を踏み入れる。
そこは研究施設からすれば小さな部屋だった。幅や奥行きはそれぞれ数メイルほど。だが壁や床はおろか、天井にまで魔法陣が刻まれ、部屋の中央の台座には、人の頭ほどもある暗紅色の巨大な玉石が鎮座していた。
レティーシャはその玉石に歩み寄り、スカートを摘んで淑女の礼を取る。
「ご機嫌はいかがですか? 《火竜アルマヴルカン》」
すると、唸るような声がそれに応えた。
『――また貴様か。人間』
よく見ると台座の玉石の中で、熾火のようにちらちらと光が燃えている。
『貴様もずいぶんと物好きだな。部屋中を翻訳の魔法陣で埋め尽くして、そうまでして我が声を聞きたいか』
「ええ。長きを生きた《上位竜》の知識、その断片でも手に入るのなら、このくらいは安い投資ですわ」
『ふん……貴様のような狂った女に、そのような知識が渡れば最後、この世が滅びかねんがな』
「あら、わたくしも自重というものは知っておりましてよ」
楽しげにそう嘯いて、レティーシャは本題に入ることにした。
「――ところで、一度分かたれたあなたの魂は、再び“寄せ集める”ことは可能でして?」
『さあな。興味もない……そもそも、一度分かたれれば、今ここにある“わたし”とはもはや別の存在となり果てる』
「あなたの血肉の一片に宿った“あなたの欠片”が、すでに別の意思を持って動いているように、ですわね」
『分かっているならば訊くまでもなかろう』
「では、血肉に宿った魂の欠片を“吸い取る”ことはできまして?」
『必要性が分からん』
素っ気なく言いきった竜の魂に、だがレティーシャは薄く笑みを浮かべる。
「“できない”とは仰いませんのね?」
『やったことも、その必要もなかった。それゆえだ』
「では、いずれ試していただきますわ。――それでは、わたくしはこの辺で失礼致します。どうぞ良い夢を、アルマヴルカン」
『ふん……』
それを最後に、竜の魂は再び黙り込む。まるで、微睡み始めたかのように。
部屋を後にし、レティーシャは扉を閉めると、元来た道を引き返し始める。ダンテが尋ねた。
「――我が君、あの《竜玉》をどうなさるおつもりなのですか? 魔石として使えば、膨大な魔力の源として使うことができると存じますが」
「そうですわね。ですが、“彼”の真価は魔力ではなく、その知識ですわ。長い長い……生に飽いてしまうほどの長きを生きる間に蓄えた、その知識。わたくしはそれが欲しくて、“彼”を手に入れましたのよ。わたくしの目的のために」
レティーシャは謳うようにそう言って、研究施設を後にした。彼女とダンテの背後で、扉が重々しい軋みを立てながら閉まる。あの大戦の時にも、何を置いてでも彼女が守り抜いた、知識の粋が詰まった夢の匣。
「今度こそ、わたくしはわたくしが求め続けたものを手に入れてみせますわ。――手を貸してくださいますわね、ダンテ?」
「もちろんです、我が君。どうぞ、あなたのお望みのままに」
「信じていますわ」
跪き騎士の礼を取るダンテに微笑みかけ、レティーシャは地上への階段を上り始める。地上から射し込む光に、レティーシャはふと手を翳し、目を細めた。
(……そう。今度こそ必ず、手に入れてみせる。ずっと夢見ていた、わたしの――)
これにて第四章は終了です。来週はお休みさせて頂いて、九月六日から第五章開始の予定です。
次はまた国内編……カナー?
ともあれ、これからも本作をよろしくお願い致します。




