第31話 大地の王女
今回、ちょっとグロい&ホラー(かもしれない)描写があります。
苦手な方ご注意ください(読み飛ばし可)。
レクレウス北端、オルロワナ北方領――その中心都市たるラフトの一角、とある武具店で臨時店員などやっていたフィランは、その日ようやく、臨時店員を卒業し流れの剣士に戻ることができた。
「――おーっ! ちゃんと直ってる!」
「当たりめぇだ! 俺を何だと思ってやがる!」
「いや、前に見せた鍛冶師なんか、“どこが歪んでるんだ?”なんて訊いてきたからさ」
戻って来た愛用の剣を鞘から抜き、フィランはご満悦だ。《紅の烙印》との一戦で歪みが出た剣を直すため、はるばるオルロワナ北方領まで足を伸ばした彼は、それだけの甲斐はあったと思える出来栄えに満足し、剣を鞘に納めた。
「いやー、臨時店員も今日で終わりかあ」
「ったく、手持ちも足りねえのによくまあ持ち込んで来たもんだ」
「だって俺、基本的に自給自足で旅してるからさあ。金とかあんまり持たないんだよ」
サイフォス家に生まれ、《剣聖》の称号を受け継いだ者として、フィランの旅はそれそのものが修行だ。道がなければ藪を切り拓き、宿がなければその辺の樹上や洞穴で休み、食べ物も自分で獣を狩ることが珍しくない。そんな毎日を送っている彼が、纏まった金など持っているわけがなかったのだ。
それでも数日臨時店員を務める程度で済んだのは、アルヴィーを助けファルレアンの騎士団と知り合った際、纏め役らしい騎士――正確にはその副官らしき若い女性騎士――が気を利かせて、《紅の烙印》捕縛の報奨金がフィランに渡るよう計らってくれたからに他ならない。その金は、路銀に加えレクレウス通貨への両替手数料で多少使ったが、大部分は残っており、それがあったからこそ最低限の労働で不足分を賄うことができたのだった。
「じゃ、俺そろそろ発つんで」
「試し斬りはせんでいいのか」
「ああ、ちゃんと直ってる。持てば分かるよ。――じゃ、世話になったね、おやっさん」
「ちょっと待て、忘れるところだった。おまえに言伝だ」
店主は一旦店の奥に引っ込み、小さな袋を持って戻って来た。
「……それは?」
「ほれ、おまえこないだ、店の前で大立ち回りやったろう。その時のお嬢さんからの使いが、礼と心付けだって置いてったんだよ。せっかくだから、路銀にでもしとけや」
「へえ、あん時の……」
渡された小さな袋は、だが意外と重かった。不作法だとは思いつつちらりと中を覗くと、金色のきらめき。そんな大金を持ち慣れていないフィランはひいっと慄く。
「な、何か結構な金額入ってた!」
「ほう、じゃあ割といいところのお嬢さんだったのかもしれんなあ、おまえが助けたのは」
「ど、どうしよう、金貨とか持ってるの怖い!」
「……棒切れ一本で破落戸叩きのめすクソ度胸あるくせに、変なとこで気が小せえなあ」
店主に呆れられたりしながら、フィランは店を後にした。臨時収入があったので、久しぶりに宿にでも泊まってみようかと考える。問題は、野宿歴が長過ぎて宿に泊まる際の手続きの記憶が定かでないことだが。前にまともに宿に泊まったのっていつだっけ、などと考えながら歩いていると、反対側から男が歩いて来るのに気付いた。
(……ん?)
フィランが内心首を傾げたのは、その男の歩き方だ。服装はごく平凡な市民のそれだが、やけにきびきびとしたその歩き方は、市民というより騎士や軍人のそれを思わせた。
(軍人が潜入調査でもしてんのかな)
そう見当を付けつつすれ違う。だが、その男だけではなかった。フィランがこれと思う宿に辿り着くまでに、さらに二人ほど、一般市民の姿をしているのに一般市民らしくない歩き方をする男とすれ違ったのだ。だがまあ、剣を直しにこの地に来ただけの自分には関係ない話だと片付け、宿に部屋を取る。
(さて……剣も直ったことだし、これからどうするかな。このままレクレウスを出るか……ファルレアンで聞いた限りじゃ、戦争はファルレアンの方が有利っぽいしなあ……ファルレアンに戻ってもいいし、ヴィペルラートに抜けるのも有りか)
戦争しているとはいえ、両国の行き来が完全に途絶えているわけではない。両国の間には国境付近の集落を結ぶ生活道が無数にあり、それを使えば比較的楽に越境できる。ではレクレウス側の住民がファルレアン側に逃げ出さないのかという話になるが、そもそも戦況が不利な方が情報操作をしていないわけがなく、また大抵の領地では、領民の逃亡に対して重い罰を科している。加えて、主戦場である国境地帯から遠いレクレウス北部では、まだ戦争の実感が薄いのだ。今の生活を捨ててまで他国へ逃亡を図ろうとする人間は、そう多くはなかった。特にこのオルロワナ北方領は、鉱山資源のおかげで潤っている。戦費のための税負担も領民の所得からすれば低い方であり、そんな生活をどうして捨てられるかというところであろう。
フィランがさほど苦労なくこのラフトに入れたのも、ここオルロワナ北方領のそういった一種“緩い”雰囲気のおかげだ。ここを拠点に、これからどこへ向かうかしばらく考えようと、フィランはベッドに寝転がる。
と、開けてあった窓から、小高い丘の上に建つ大きな建物が見えた。大きさと立地からして、ここの領主の館か何かだろうと見当を付け、夕食のため一階の食堂に下りた時に宿の主人に訊いてみた。
「向こうの丘の上にあるのって、やっぱりここのご領主のお屋敷か何か?」
「ああ、あそこに住んでるのはこのオルロワナ北方領のご領主様さ。――ここだけの話、ここのご領主様はこの国の姫様らしいんだがね。何でも、母上様のご身分が低くて、お妃様や王子様方に認めて貰えなかったとか。それで、当時はほとんど何もない貧しい土地だったここに流されて来たって噂なんだが、あの方がご領主様になられてからこっち、今じゃこんなに栄えて暮らしやすい土地になったんだから、ご領主様は俺たちにとっちゃ救世主みたいなもんさ!」
ははは、と笑い、宿の主人は料理を置いて厨房に消えていく。
(中央から辺境に流されて来た姫様ねえ……《剣聖》が関わったら面倒なことになりそうだな)
フィラン当人に言わせれば《剣聖》の称号など、単に“剣術馬鹿の中でも一等突き抜けた剣術馬鹿”と同義なのだが、世間一般では割と有名かつ一目置かれる称号なのだ、恐ろしいことに。剣の道を極める邪魔になるのが嫌で(=面倒臭くて)権力に関わらなかった代々の《剣聖》の姿勢も、なぜか“権力に媚びない孤高の剣士”的な扱いになっている。どうしてそうなった。
今更ながらに、おかしな方向へと捻じ曲がりまくっている自分の一族のイメージに、思わず頭を抱えるフィラン。
(……大体俺は、元々《剣聖》なんて継ぐ気はなかったんだよおおお!!)
本来ならもっとのらりくらり修行と称しつつ旅をし、変に目立ったりせず一剣士として生きていくつもりだったのだが。うっかり先代《剣聖》だった父に一撃入れてしまったがために、人生設計がパアである。
ほんのり落ち込みつつ、フィランは夕食を終え部屋に引き揚げた。剣に生きる一族に生まれたがため、趣味も特技も剣一色になってしまった彼は、賭け事も娼館通いも大して興味がなく、結果としてこういう時は部屋でゴロ寝くらいしかすることがない。日に干した清潔なシーツを堪能していた彼だったが、その表情が一瞬で鋭く変わり、飛び起きた。
――殺気だ。
フィランに向けられたものではない、さらに言うならば森の獣や街の破落戸たちのようなあからさまなものでもない。ただ役目と割り切り人を殺そうとする、静かな殺気とでもいうべきもの。それが、フィランの意識を掠めたのだ。
(暗殺者……? いや、それにしては隠しきれてない。任務を受けた騎士か軍人……うん、そんな感じだ)
もはやさっきまでのだらけぶりは欠片もなく、フィランは静かに剣を腰に帯びた。明かりができるだけ外に漏れないよう、ランプをベッドの陰に押し込むと、そっと細く窓の鎧戸を開ける。見下ろした道、人影が滑るように早足で歩いて行くところだった。
(……昼間見た連中と似てる)
一般市民のふりをした、一般市民ではない“何者か”。フィランは直感的に、その人影がその内の誰かであることを悟る。足運び、姿勢などがそっくりだ。剣士としてそこを見間違わない自信はあった。
フィランは少し考え、窓を閉めてランプを消すと、ドアにしっかり鍵を掛けて部屋を出た。もちろんわざわざ確認に行く義理などないのだが、あの人影の目的が例えばあの武具店の店主だったりしたら、いささか寝覚めが悪い。なのでこうして夜の散歩と相成ったわけだ。
気配を消す程度のことは、フィランにとっては朝飯前だったので、先を行く男は尾行するフィランには気付かず、街の中心部へと向かって行く。途中、フィランが世話になった武具店の前も通り過ぎたが、男はそちらを一顧だにしなかった。どうやらそこが目的ではなかったようだと安堵する。それが分かればフィランが男を追う理由もなくなったわけだが、ここまで追って来たのだからいっそ目的地がどこなのか見届けてやろうと、フィランは尾行を続行した。どの道何もやることがなく暇を持て余していたのだし。
先を行く男が中心部に近付くにつれ、一人また一人と人影が合流していく。彼らは歓楽街に目もくれず、そのまま街中を抜け、中央の小高い丘を目指していた。
(……この先にあるのって、領主が住んでるっていう館だけだよな?)
嫌な予感がひしひしと押し寄せて来るが、ここまで来て帰るというのもあれだ。もしかして領主の命で街中で潜入調査していた兵士が帰還している――というのも考えたのだが、男たちから感じる殺気は一向に鎮まる気配がなく、むしろ館に近付くにつれ強まっているように思えた。
(目当てはあの館……としか思えないよなあ。やっぱ領主が狙われてるのかー)
まあ、領主ともなればそういう苦労もあるのだろう。ただ、狙っているのがどうも暗殺者というより、騎士か兵士であるらしいのは少々問題だ。
(騎士だとしたら他国からの刺客だろうけど……兵士となると、内輪揉めの可能性もあるのか。確かレクレウスには騎士って階級はないんだよな。あいつらがどの陣営から送り込まれたのかは分からないけど、これ、まずいよなあ)
他国からの刺客にせよ、国内での内輪揉めにせよ、レクレウスの王家に連なるらしいこの地の領主が暗殺でもされれば、この地が大混乱に巻き込まれるのは明らかだった。宿の主人の様子では、件の領主はこの地で善政を敷いているのだろう。それが失われるのは忍びない。次の領主が同じく善政を敷く保証などどこにもないのだ。
(とりあえず、あいつらが刺客だって確定したら邪魔しに入るか)
とはいえ、あの男たちが本当に刺客だと確定したわけでもないので――殺気もあらわに領主の館に向かっている時点で八割方確定な気もするが――フィランはこのまま男たちを追うことにした。
男たちは領主館の近くで覆面をし、剣を抜く。そして門を守る門番に暗がりから襲い掛かろうとしたまさにその時――フィランは声をかけた。
「なあ、そこで何やってんの?」
男たちはぎょっと振り向く。そこへフィランは疾風のように飛び掛かった。
鞘走りの音と共に抜かれた剣は、目にも留まらぬ速さで一番手近にいた男の剣を弾いた。剣先が斬り飛ばされてくるくると宙を舞う――それが地面に落ちるより早く、返す刃で男の腕の筋を断つ。男が悲鳴をあげるが、無視。早めにポーションを使えば何とか繋がるだろう。
「貴様、何者だっ!?」
「王女の護衛か!?」
「いんや、ただの通りすがり」
「ふざけるな!」
そう怒られても、本当にただの通りすがりなのだから仕方ない。しかし、この程度で声を荒げるなど、この男たちは本当に自分たちが刺客であるという自覚があるのかと、フィランは他人事ながら内心首を傾げる。やはり、普段はこういった“汚れ仕事”をやりつけない人間なのだろう。
「くそ、さっさと殺せ! ここで騒ぎになっては……!」
「いやー……もう手遅れだと思うよ?」
血相を変えて敷地内に走り込んで行った門番の背を見送りつつ、フィランは突っ込む。とはいえこれで門を守る人間がいなくなってしまったので、門から侵入されることがないよう、フィランが素早く走り込み、門を背に男たちと対峙した。
「おのれ……我が主の命、邪魔はさせん!」
「ってことは、その主ってのは国に反逆しようってわけね」
曲がりなりにも王女と呼ぶ相手を害そうとしている辺り、そう言われても仕方あるまいし、その主とやらもそれは承知しているだろうと、フィランは何気なく口にしたのだが。
「反逆とは無礼な!」
「その暴言、捨て置けぬ!」
いきり立った男たちは、一斉に剣を振りかぶりフィランに躍り掛かってきたのだ。これにはフィランの方が面食らった。
「え、いや、王家の縁者襲撃するとか、それ問答無用で反逆者扱いされても文句言えないよな、普通!?」
面食らいながらも、フィランの身体はもはや条件反射の域で動いていた。身を低くして相手の脛を斬り払い、腕を掠めるように筋を斬り付ける。下手に全力を出したら手足を斬り飛ばしてしまいかねないため、多少手加減はしたが、それでもいくつか絶叫があがった。脛というのは人体の急所の一つである。そこを切れ味鋭い剣でカウンター気味に斬られたのだから、それは堪えるだろう。加えて、市井の市民に化けるため、男たちが一切防具を着けていなかったことも、被害を広げた。
「ぐ……お、おのれ……!」
思わず剣を取り落とし、うずくまる男たち。フィランは剣を振り上げ、
「とりあえず寝ときなよ」
がすがすがす、と柄頭で男たちの頭や首筋を無造作に一撃ずつ。短く呻いて昏倒する男たちの懐を探るが、さすがに暗殺に来ている自覚くらいはあったのか、身元や所属が分かるようなものは身に着けていなかった。仕方ないかと諦め、とりあえずその辺に転がしておく。しばらく放っておいても、ごく浅く(ただしサイフォス家基準)斬り付けたくらいで死にはしないだろう。
「さて、と……とりあえず、ここの人に身柄押さえて貰うか」
立ち上がりひとりごちたその時――。
ズドン、と腹に響く轟音。
そして日没後にも関わらず、周囲がぱっと明るくなる。
「――しまった!」
フィランは館を振り仰ぎ、絶句する。
領主館の一角が、燃え盛る炎に包まれていた。
「くそ、別動隊がいたのか……!」
関わり合いになるべきか否か、逡巡は一瞬。
フィランは剣を鞘に納めると、領主館に向かって駆け出して行った。
◇◇◇◇◇
ユフレイアはその日も、いつもと変わらずつつがなく職務を済ませ、夕食も終えて一階の書斎で寛いでいるところだった。
地魔法を駆使し、石材を主として建てられたこの領主館は、主たるユフレイアがそう望むこともあり、公的なスペース以外は基本的に絨毯を敷かず、石造りの床が剥き出しになっている。この書斎も例外ではなく、中央に絨毯が敷かれた程度で、彼女が身を預けた肘掛け椅子のある暖炉の前は石造りの床のままだ。ユフレイアはそこで補佐官の給仕を受けつつ紅茶を楽しみ、取り寄せた書物のページをめくる。このひと時は、政務に追われる彼女にとって、お忍びの街中探索と共に貴重な息抜きの時間なのだ。
だが――そんな彼女の耳に、囁き声のような小さな声が届いた。
『――友よ』
『我が友ユフレイアよ、そこは危険だ』
『危ないよ、ユフィ』
その声に、彼女はやおらカップを傍のテーブルに置き、本を閉じて膝から下ろす。
「姫様?」
急な挙動に尋ねる補佐官には答えず、彼女はかつんと靴の踵を鳴らして石造りの床を軽く叩き、何もない空間に右手を差し伸べた。
「――杖よ」
すると床の一部が伸び上がり、見る間に銀色に輝き杖の形を成して彼女の手の中に収まった。補佐官が驚きの声をあげる。
「姫様、それは……」
「わたしの杖だ。妖精族と友誼を結んだ時に貰ったが、そんな杖など持ち歩けば余計に狙われるから、普段は彼らに預かって貰っている」
ユフレイアは事も無げにそう言って杖を掲げ、カン、とその石突きで床を突く――瞬間、そこから床が波打ち、大きく伸び上がった。見る間に彼女と補佐官を守るように、石の壁が形作られる。
そしてその直後、耳をつんざく爆音が轟き、石壁の向こうが真っ赤に染まった。
「ひ、姫様、これは――!」
「襲撃だ! わたしはいい、母上を!」
「は、畏まりました。――誰か!」
補佐官が声を張り上げる。だが呼ぶまでもなく、先ほどの爆音に驚いた使用人たちが泡を食って駆け付けて来た。
「ど、どうなさいました!」
「何者かの襲撃だ。妃殿下をお守りせよ!」
「畏まりました!」
使用人が飛んで行く。それを余所にユフレイアは、杖で再び床を叩いた。すると新たな石壁が形成される。今度の石壁は先ほどできたものよりさらに幅と高さがあり、室内をほとんど分断した。壁の両脇から忍び寄っていた火の手と熱気が遮断され、ユフレイアは息をつく。ただ、この壁の向こう側では未だに炎が燃え盛っており、どうにかしてその火を消す必要があった。壁の向こうの本棚にあった書物は、諦めるしかないだろう。
しかし今は、書物より自分の心配をしなければならない。
「ひとまず脱出するか」
「姫様、こちらへ!」
補佐官に導かれ、ユフレイアは駆け出した。この際はしたないなどと言ってはいられない。廊下を駆け抜けながら、襲撃者について考える。
(わたしを邪魔に思う人間は多いだろうな。筆頭は王家だが、ここまで派手なことをするか……? いや、後で揉み消せるということかもしれないな。あちらにはクィンラム公爵家も付いている。情報操作はお手の物だろう。しかしそれにしても、王家もわたしとこの土地との関係は知っているはずだが……)
考えを巡らせながらも、彼女たちは階段から地下へ下り、さらに秘密の通路を使って館の裏手に出た。魔法で炎上した一角とはちょうど反対側になるので、この辺りは明かりもなく暗い。魔法が使える者が簡単な明かりの魔法を詠唱し、館を脱出した者たちはそこへと集まる。
「母上、ご無事ですか!」
「ああ、ユフレイア。わたくしは大丈夫。ですが、まだ館に残った者が……」
ユフレイアの母・クレアがややうろたえながらも、心配そうに館を見上げた。
「炎上したのは書斎の辺りのみでございますし、何人かが消火に向かっております。どうぞご心配なく」
「そう、それは良かった」
使用人の報告に、母娘共々安堵する。だがその時、ユフレイアの足下の地面が波打った。波は彼女を中心に広がり、ややあって暗がりから「うわっ!?」と声が聞こえた。直後、火球がユフレイアの脇を通り過ぎ、館の壁に着弾する。地面が突然波打ったせいで、狙いが逸れたのだ。
「何者だ!」
使用人たちがユフレイアとクレアを守るように立ちはだかる。火球が弾けた光に一瞬浮かび上がったのは、覆面姿の人影がいくつか。
「誘き出されたか……! 何たる不覚!」
裏手に逃げるよう誘導されたのに気付き、補佐官が悔しげに顔を歪めた。刺客たちは魔法の明かりを投射して視界を確保、再び攻撃魔法を放ってくる。
しかしその前に、ユフレイアが再び杖で地面を叩いていた。地面が盛り上がって土壁となり、魔法を受け止めて砕け散る。刺客の一人が思わずといった風に舌打ちするのが聞こえた。
「おのれ、厄介な……!」
「うろたえるな、畳み掛けろ! 地の妖精族は争いを嫌うという、あちらから攻撃はできまい!」
その声に、ユフレイアは双眸をすがめた。
(わたしが地の妖精族の加護を受けたことを知っている……?)
だが、またしても魔法が雨あられとばかりに投射されてきたので、ユフレイアは再び防壁を構築した。魔法で崩される側から再構築しているので、今のところユフレイアや他の人間に被害はない。だがそれがどうにも腑に落ちず、彼女は眉をひそめた。
(高位元素魔法士相手に魔法勝負を挑んだところで、自分の方が先に力尽きるのは分かりきっているだろうに……奴らの目的は)
そこまで考えたところで、彼女ははっと気付いて思わず振り返った。
「――挟み撃ちか!」
考えてみれば、刺客が眼前にいる連中だけとは限らないのだ。そのことを失念していた自分に、ユフレイアは舌打ちする。と、土壁の向こうから嘲るような声が聞こえてきた。
「今更気付いたとて遅い!」
それに重なるように、暗がりの中から足音。自分の詰めの甘さにユフレイアが唇を噛み、周囲の人間を守るためさらに土壁を築こうとした時――。
「――お、良かったー! まだ無事だったか!」
その場にそぐわぬ明るい声に、ユフレイアは面食らい、刺客たちがざわめいた。
「何だ!? 誰だ、あの声は!?」
「あのような者はいなかったはず……!」
狼狽のあまりか、刺客たちからの攻撃の手がわずかに緩む。そして使用人が掲げ持つ魔法の明かりが照らし出す範囲内に、人影が入り込んで来た。その顔に、ユフレイアはあっと声をあげる。
「おまえは確か、武具店の……!」
「へ? 何で俺が武具店で働いてたこと知ってんの?」
首を傾げたのは、金茶色の変わった髪色に茶色の猫目をした、年若い青年だった。ユフレイアにとってその顔は記憶に新しいものだ。街で破落戸に絡まれた時、彼女を救った青年に違いなかった。確か名をフィランとかいったか。
彼は一瞬不思議そうな顔になったが、それどころではない状況を思い出したのだろう、表情を引き締めて自分の背後を親指で指す。
「とりあえず、門の方に剣持ってる怪しげな連中がたむろってたから、伸してここの人に任せて来たけど。こっちにもいるの?」
「なっ……!」
「そ、それはまことか!?」
刺客が絶句、補佐官が仰天する。
「馬鹿な、奴らは剣の腕では指折りの――」
「おい!」
思わずそう口走りかけた刺客の一人が、窘められて慌てて口を噤んだ。
「くっ、ひとまず撤退だ! 退け!」
「させるか!」
挟み撃ちするはずの味方がいつまで経っても来ないことで、刺客たちも焦り始めたようだ。急いで逃げようとするところへ、ユフレイアが杖を振るった。すると刺客たちの周囲の地面が盛り上がり、彼らをすっぽりと包み込んでしまう。傍から見ると釣鐘か何かのようだ。
「な、何だこれは!」
「くそ、開かない……!」
中からガンガンと叩き付けるような音が聞こえてくるが、刺客たちを閉じ込めた土の防壁はびくともしない。
「暴れても無駄だぞ!」
得意げに声を投げるユフレイアに、補佐官が冷静に指摘した。
「姫様、あれではその内窒息してしまうかと思われますが、よろしゅうございますか」
「ああ、忘れていた。それはまずいな」
言われて気付き、彼女は杖をもうひと振り。土壁の一部が崩れて落ち、釣鐘から鳥籠のような檻に変化する。といっても、脱出できないのは変わらないわけだが。
「――さあ、誰の差し金か吐いて貰おうか」
ユフレイアが杖を突き付けるも、だんまりを決め込む刺客たち。その内の一人がそっと短杖を握り直したことに、ユフレイアは気付かなかった。
「……だんまりか。まあそれはそうだろうな。仕方ない、牢に収監する。そのように手配を」
「は、畏まりました」
ユフレイアが補佐官に指示するべく、刺客たちから視線を外したその瞬間。
「――穿て、《尖氷投槍》!」
詠唱。刺客の一人が檻の隙間から杖を突き出し、ユフレイアに向けていた。そして彼が生み出した氷の槍が、ユフレイア目掛けて殺到する!
「姫様!」
「くっ――!」
補佐官が駆け寄ろうとし、ユフレイアは防壁を築こうとするが、間に合わない――!
「――よっ、と。後ろ伏せてろよ!」
その時、誰かがユフレイアの眼前に滑り込む。
そして硬質な音が連鎖したかと思うと、氷の槍は急に軌道を逸らし、ユフレイアの周囲を翔け抜けていった。
「な、ば、馬鹿な……!」
刺客は呆然とそれを見、悲鳴じみた声をあげた。
「剣で弾く、だと!?」
刺客が放った《尖氷投槍》は、ユフレイアの前に滑り込んだフィラン――正確には彼が振るった一振りの剣によって、ユフレイアに当たる軌道のものはすべて弾かれ、後方に逸らされていた。逸らされた氷の槍は館の壁に着弾し、一部を突き崩している。あれが当たっていたら、とユフレイアは一瞬ぞっとした。だが使用人たちもフィランの忠告に従って地面に伏せたので、被害者はいないようだ。胸を撫で下ろす。
「魔法を弾いた……!?」
自身に向けられる驚愕の目に、フィランはむしろ当惑したように頭を掻いた。
「え、だって、魔法っていったって飛んで来るのはれっきとした氷だろ? だったら剣で斬れるじゃん。まあ、さっきのはいちいち斬ってたら手が回んなかったから、弾くだけにしたけどさ」
「しかし、魔法の前に飛び込むなど……恐怖というものはないのか」
もはや呆れ半分のユフレイアの突っ込みに、フィランは首を傾げる。
「俺、剣で斬れるものはそんなに怖くないよ? 幽霊とかはヤだけどさ。あいつら普通の剣じゃ斬れないし」
度胸があるのかないのか良く分からないことを言い、彼は肩を竦める。そして使用人たちの方を振り返った。
「それより、こいつらも取り押さえないと」
「あ、ああ、確かに」
補佐官を始め、使用人たちが動き出そうとするのを、しかしユフレイアが制した。
「いや、いい。――“彼ら”がやってくれるそうだ」
彼女がそう言うが早いか、檻の中の地面が蠢く。そしてそこから一斉に、手が突き出した。土色の――というか材質は土そのものだが、その造形から動きまでやけにリアルなその手が蠢く様に、
「ぎゃあああああああ!!」
と刺客のみならず使用人たちの間からも絶叫があがった。ついでにフィランも叫んでいた。
手は刺客たちの足を掴み、ひた、ひた、といった感じでその身体を這い上っていく。さすがにこれには、刺客たちも狂乱した。わけの分からないことを叫びつつ、檻の中ということも忘れて暴れ回り、終いには土の手に鼻や口を塞がれてばたばたと倒れていく。もしや死んだかと、使用人たちがおっかなびっくり確認に近寄ったが、ぴくぴく震えている辺り生きてはいるのだろう。ひとまずは。
「……ねえ、なにあれ」
「……地の妖精族が“少し懲らしめてやる”と言っていたが……さすがにわたしも、こんな方向性だとは」
ユフレイアも少々引いていた。とんだ恐怖体験である。友と呼ぶユフレイアを危機に晒したこの刺客どもに、妖精族はいたくご立腹のようだった。
やがて妖精族も満足したのか、はたまた刺客たちが全滅したからか、土の手はするすると地面に戻っていく。刺客たち、そして周囲の人々に多大なる心理的外傷を残し、地の妖精族は去って行った。
「……と、とにかく皆、この者らを牢へ! 杖を取り上げ、縛り上げるのを忘れぬように!」
「は、はっ!」
さすがに年の功というべきか、初老の補佐官が最初に我に返り、指示を出し始める。使用人たちも弾かれたように、それに従って動き始めた。ユフレイアが檻を消すと、刺客たちが覆面に使っていた布を引っ剥がし、それを縄代わりに刺客たちを後ろ手に縛って運んで行く。
「さ、姫様、妃殿下。今夜はひとまず別棟の方でお休みくださいませ。――ああ、それと、そこの剣士殿」
「え、な、何か?」
そろりとその場を去ろうとしていたフィランを、補佐官は目敏く見つけて呼び止める。彼はにこやかに笑みを浮かべ、
「此度は危ういところをご助力いただき、心より感謝致しますぞ。ささ、皆の者。剣士殿をご案内せよ」
「はい、ただいま」
「え、いや、お礼とかいいからこのまま帰らせて――いやあああ!?」
抵抗虚しく、フィランは使用人たちによってずるずると引きずられ――もとい、別棟へと“ご案内”されていったのだった。
レクレウス王国の“隠された王女”と《剣聖》。
この二人の出会いは少し後に、レクレウス王国の歴史に、決して小さくない波紋を投げ掛けることとなる。
◇◇◇◇◇
暗殺者たちをラース砦の騎士たちに引き渡し、アルヴィーたちは改めて《魔の大森林》に分け入った。といっても、アルマヴルカンが派手な“目印”を付けてくれたので、実を言えば分け入るというほどの苦労はしなかったが。何せ、一直線に森が焼き開かれているのだ。余熱で燻っているのを水で冷やす必要はあったが、まあ些細なことである。
「――うわ……!」
そして道の終点に辿り着き、アルヴィーは感嘆の声をあげた。
木々の間にぽかりと空いた場所に、それはあった。地面に描かれた精緻な魔法陣、そしてその周囲に並ぶ術具は、やはり魔法陣が刻まれた薄蒼い宝玉を、台座から伸びる銀の環が交差しながら守るように封じ込め、木漏れ日にきらきらと光を放っている。台座には文字のような紋様が刻まれ、足のように伸びた支柱を地面に打ち込む形で宝玉を固定していた。宝玉は全部で六つ。良く見ると刻まれた魔法陣の意匠がすべて違っており、おそらく位置を一つでも間違えれば、この魔法陣は起動しないのだろう。
「凄いな……こんな精密な魔法陣、彫り込める職人なんか今ほとんどいないよ、多分」
「この魔法陣の意匠も見事ですね……ああ、この魔法陣を描き写して家に持ち帰りたいですけど、守秘義務がっ……!」
クロリッドは宝玉に張り付いてうっとりと見つめ、シャーロットは心底残念そうに地面の魔法陣を眺める。いくら彼女の父がクレメンタイン帝国の研究に勤しんでいるとしても、騎士としての任務で得た情報を勝手に流すのは、もちろん服務規程違反である。
「けど、魔法陣と術具の位置は描き写しておかないと、これ多分置き場所間違えたら駄目よね」
「あ、僕、紙持って来ました」
ユフィオが自分の魔法式収納庫をごそごそ探り、紙の束を取り出す。と、
「一枚ちょうだい」
ユナがその中から一枚貰い受けて、六等分すると数字を書き込み、それぞれに紐を付けた。手製のタグだ。
「これ、術具に付けておけば大丈夫」
「なるほど、番号を付けておけば間違えないな。よし、付けておこう」
ディラークとユナが手分けして、タグを術具に括り付ける。
「……今日はもう、森の中で野営だな。今までは魔法陣も術具も無事だったが、術具を回収したら魔法陣にどう影響するか分からないし、早めに魔法陣を描き写そう。その後ここの魔法陣を消し、森の外を目指す。戻れるところまで戻って、日が落ちたら野営だ」
「けど、この森で野営ってキツイっすよ。今日は一旦戻って、明日また改めてここに来るってのは?」
「そうしたいのはやまやまだが、あの人形を使う二人組の件がある。彼女たちがここを見つけて、術具を持ち去らないとも限らない。そうなったらまずいだろう」
「確かに……元々ギズレ元辺境伯と組んでいたのはレクレウス軍ですし、この片割れをレクレウス側がすでに回収していますね」
ルシエルの懸念に、シャーロットも頷いた。もしあの二人が術具や魔法陣の意匠を持ち帰ってしまえば、長距離転移技術がレクレウス側に渡ることになるのだ。それは避けたかった。
「……よし、じゃあ手分けして魔法陣を描き写そう。日がある内に写しきってしまわないと」
ルシエルは空を見上げる。目測ではあるが、日没まであと三時間、森の中であるこの空き地に日が射さなくなるのはその半時間ほど前というところか。魔法陣の直径は十メイルほどもあり、日が蔭る前に手作業ですべて写しきることができるかどうかは微妙なところだったが、やるしかあるまい。
「アル、周辺警戒を頼んでいいかな。描き写してる最中に魔物が来たら厄介だから」
「分かった、任しとけ!――でも、俺そっち手伝わなくていいのか?」
「……アル、君、特別講義で古代文字とか習った? 魔法陣にはよく使われてる文字なんだけど」
「……分かった、周り警戒しとく」
どうやら騎士学校魔法騎士科を卒業すると、そういった知識も身に付くらしい。生憎アルヴィーは、自身が魔法技術の粋のような存在でありながら、そんな知識とはさっぱり無縁だった。
第一二一魔法騎士小隊が分担して魔法陣を描き写している間、アルヴィーは周囲の音に耳を澄ました。魔物が近付いて来れば、大抵は足音でそれと分かる。飛行型の魔物なら足音はしないが、姿が見えた瞬間に撃墜してしまえば良いのだ。
……そうして、マンティコアを一体撃墜し、小型のワームを一体《竜爪》でぶった斬ったアルヴィーは、意気揚々とそれらの獲物をルシエルたちのもとへと持ち帰った。
「ルシィ、とりあえずこれくらいしかいなかったから狩って来たけど、これどうしたらいい? 俺さすがに、魔物は解体したことないんだけど」
「……ねえ、マンティコアはともかく、ワームの方はどう見ても剣で首を刎ねたようにしか見えないけど、どうやったの」
「や、こいつちっこいから、まだブレスも弱くてさ。《竜の障壁》で防ぎながら、隙を見て《竜爪》ですぱっと。砦に来た奴は頭吹っ飛ばしちまったから、牙とか勿体無かったと思ってさ」
今度は丸ごと持って来た! と良い顔のアルヴィーに、ルシエルは頭痛がした気がして額を押さえる。小型とはいえ、八メイルはあろうかという巨躯を引きずって来られても、ここではどうしようもないのだが。砦に来たワームは二十メイル近くあったので、このワームはおそらくまだごく若い個体だろう。もちろんそれでも、その魔石や素材は人間にとっては貴重なものだ。
だがワームをしげしげ見ながら、アルヴィーが真顔で爆弾を投下した。
「……これ、食えねーかな」
間。
「……いや、無理無理無理! ワームだぞ!?」
「でも、マンティコアは毒持ってるからダメとしても、こいつならイケそうな気しねーか?」
「む……確かに、蛇は食べられると聞くが」
「待てオッサン! 引きずられるな、正気に戻れ! 魔物だぞ!?」
ちょっとその気になりかけたディラークに、カイルが渾身の勢いで突っ込んだ。ちなみに女性陣はその蛇のような姿形ですでにドン引きだった。
「魔石や素材はかなり魅力的ですが……さすがにこれを食べるのはちょっと」
「解体して使えそうな素材だけ持って帰った方がいいと思うわ……」
「…………」
ふるふるふる、と顔をこわばらせたユナが壊れた魔動機器のように首を振る。食べたくない、という意思表示だろう。
――結局、ワームを食すという案は第一二一魔法騎士小隊総出の反対により却下され、ワームは解体して魔石と素材を回収した後、肉や内臓は廃棄されることとなった。元猟師として狩った獲物を食べないのは気が咎めるが、確かに魔物は体内に毒でも持っていないとも限らないし、今回は致し方あるまい。ここに魔物を呼ばないように、少し離れたところに廃棄するということにして、アルヴィーは空き地の隅でワームとマンティコアの解体を始める。初めての経験ではあったが、獣の解体の経験はあったので、すぐにコツを呑み込んで解体作業は順調に進んだ。まあ多少、肉をこそぎ落としきれずに骨や皮に残っていたりするが、きちんとした処理は砦に戻ってからでも良いだろう。
まず《竜爪》で硬度の低い腹側を切り開き、《重力陣》でできるだけ血を抜くと、内臓を右手で掻き出す。戦闘形態の右手は、この作業に非常に役立った。何しろ爪がそのままナイフ代わりだし、鱗もまるでヤスリか何かのようだ。うっかり皮を破ったり、骨をへし折ったりしないように気を付けながら、肉を無造作に削ぎ落としていく。
「きゅっ」
「あ、こら。それおまえの食い物じゃねーぞ」
たまに覗き込むフラムを追いやったりしながら、アルヴィーは二時間ほどで何とかワームを解体し終えた。削ぎ落とした肉と内臓は少し離れたところに捨て、鱗が付いたままの皮と骨は地面に広げる。ちなみに、マンティコアはワームに比べて素材として使える部分が少なく、肉も毒があるかもしれないのでやはり廃棄処分。ただ魔石と尾の毒針は回収する。魔石はもとより、毒針も解毒薬の開発に使えるそうだ。
アルヴィーが持ち帰る素材を纏める頃には、魔法陣の複写も終わりかけていた。
「――何とか日が落ちるまでには終わりそうか」
「ですが、そうなるともう今日は砦には戻れませんね」
「どの道そのつもりで準備はして来たし、問題はないだろう。残りを写してしまおう」
というわけで魔法陣を写し終えると、何度も見比べて誤記や写し忘れがないことを確認し、魔法陣周辺に設置されている術具を回収した。そして魔法を撃ち込み、魔法陣の痕跡を完全に消す。万が一にも、魔法陣の意匠の情報を他に漏らすわけにはいかないのだ。
魔法陣の処理を終えると、ルシエルは息をついた。後はこれを持ち帰れば、ファルレアンもまた、長距離転移技術の一部を手に入れることとなる。
「あ、何かさ、術具とか回収したらこれに入れろって、魔法式収納庫預かって来た」
アルヴィーが取り出したのは、騎士団員たちに貸与される魔法式収納庫とは少し違う作りのものだ。おそらく従来のものとは容量や耐久性が違うのだろう。開けてみると梱包用か、布と紐が入っていたので、それで術具を梱包し、魔法式収納庫に収納した。ついでに魔法陣を描き写した紙も纏め、その中に入れる。アルヴィーが持っていれば、万一襲撃されても強奪されることはあるまい。仕上げに纏めた魔物の素材も背負う。
「――よし、引き揚げるぞ。できるだけ森の浅層に戻ろう」
ルシエルが号令を掛け、一行は空き地を後に、森の出口を目指した。すでに日は落ちかけているが、アルマヴルカンが焼き開いた道を戻れば良いだけなので、ある程度距離は稼げる。だがそれでも、道の始点にまで戻る頃には、もう日は完全に沈み、森は闇に覆われ始めていた。
「これ以上は危険ですね。近くで野営できそうな場所を探しましょう」
シャーロットの意見が採用され、二人一組で付近を捜索。何とか野営に使えそうな場所を発見し、そこで一夜を明かすことにした。そこはそれなりに大きな木の根元で、天候が崩れても枝葉が屋根代わりになってくれるだろう。周囲にアイテムを設置して魔物除けの結界を張り、火を熾すと携帯食料で簡素な夕食を済ませる。できれば鹿の一頭でも狩りたいところだったが、生憎魔物だらけのこの森では、普通の獣は生きられない。空を飛べる鳥たちがせいぜいというところだ。
「……やれやれ、大暴走も片付いたし術具も回収したし、あとは王都に戻るだけだな」
寛いだように欠伸をしながら、カイルはしみじみと言う。帰路は帰路でまた十日ほど掛かるが、戻るだけなら気楽なものだ。もっとも、術具や魔法陣の件は外に漏れないようにしなければならないが。
「王都に戻ったら、術具や魔法陣は魔法技術研究所に引き渡す形でいいんだろ?」
「ああ。そこで色々解析するとかって言ってた」
「解析して量産可能ってことになったら、時間が掛かる移動ともおさらばかしら。早くそうなって欲しいわ」
現在、長距離移動の手段は一般的に馬や馬車、もしくは徒歩くらいのものだった。稀に飛行能力を持つ大型の魔物を使い魔として飼い馴らすケースもあるが、それは例外である。だがこの長距離転移技術が実用化されれば、少なくとも国内の長距離移動は格段に容易になるものと思われた。もちろん、実用化までにはいくつもの課題があるだろうが、少なくともクレメンタイン帝国時代には確立されていた技術なのだ。一からの開発に比べれば楽なものだろう。
「そうなったら、僕の実家の商売も楽になるかなあ」
「え? ユフィオんとこって商売やってんの?」
「知らないの? メイスン商会っていえば、王都でもそこそこの規模だよ。――まあユフィオは、商売人には向かないけどね。だからって騎士に向いてるとも思えないけど」
「ひどい!」
同期であるクロリッドの容赦ない意見に、ユフィオは轟沈した。ひとしきり笑いが起こる。
「――さて、そろそろ休もう。明日早めに起きて森を出れば、昼には砦に戻れるだろう」
ディラークがそう纏めたので、彼らは休むことにした。無論、交代で見張りを立てるのは忘れない。魔物除けの結界を張ってあるとはいえ、大暴走の直後なのだ。油断はできない。
最初の見張りに立ったのは、アルヴィーとユフィオだった。戦力の均等配分というやつだ。集めて来た枝を火の中に時折放り込むアルヴィーに、フラムがせっせとじゃれつく。その様子を、ユフィオが目を輝かせて見つめているのに気付き、アルヴィーはフラムの首根っこを掴むと、ユフィオに差し出してやった。
「構いたいんなら別にいいぜ」
「え、いいの? ありがとう。ほら、こっちおいで」
フラムを抱き取ると、その毛並みを楽しむユフィオ。そんな彼に、アルヴィーはぼそりと、
「……どっかの使い魔だけどな」
途端に、ユフィオも複雑そうな顔になった。
「……使い魔だって分かってても、平気なの? この子がいつも傍にいるのは」
「きゅ?」
自分のことが話題になっていると分かっているのかいないのか、呑気な顔できょるんと小首を傾げる小動物。その頭をくりくりと撫でながら、アルヴィーはわずかに笑みを浮かべる。
「まあ、こいつこんな呑気な顔してるし、つい忘れそうになるけどな。――それに、こいつを送り込んで来たのがシアなら、俺に害になるようなことはしないかなって、何となく」
「シア?」
「《擬竜兵計画》の研究者で……優しかったな、俺らには。それが必要だったからかもしれないけど」
研究者たちの中では数少ない、《擬竜兵》に対して母のように接してくれた存在。例えそれが計画上必要だっただけだとしても、アルヴィーは確かに、彼女に対して他の研究者たちよりは心を許していた。それは他の《擬竜兵》たちもそうだっただろう。
だが彼女は、レドナ侵攻の際、他の研究者や兵士たちを皆殺しにして姿を消した――。
(……シアが何考えてんのかは分かんねーけど……多分いつか、俺に接触してくる。俺が唯一生き残った《擬竜兵》だから)
彼女がいずれ自分に接触してきたならば、その真意を確かめるつもりだった。なぜ友軍を皆殺しにしたのか、なぜフラムを自分のもとへ送り込んだのか。
……そして、自分たちをどうするつもりだったのか。
「……とにかく今は、ファルレアンに馴染むことが最優先だ。――俺はもう、ファルレアンの騎士だからな」
「あ……うん、そうだよね」
話を変えるようにそう言ったアルヴィーに安堵したのか、ユフィオがこくこくと頷く。アルヴィーは頭上を見上げた。枝葉の間からわずかに見える星の瞬き。それは、まだあの辺境の村で暮らしていた時、見上げたものと良く似ていた。それでも、星の配置などはやはり違うはずだ。
アルヴィーがもう、あの頃の彼ではないように。
双眸をわずかに細め、アルヴィーは炎に視線を戻す。手にした枝を折り、炎の中へと放り込んだ。
彼らの夜は、そうして更けていった。




