第29話 思惑、交錯
アルヴィーが砦内で襲撃された事実は、大部分の騎士たちには伏せられたが、一部の人間たちにはすぐ伝えられた。
「――それで、《擬竜騎士》は無事なのかね?」
「はい、掠り傷程度で。ただ、魔物の迎撃、警戒任務に続いてのこの騒ぎですので、さすがに今は休ませておりますが」
「それはそうだろうな。で、犯人はどうなった?」
尋ねるデズモンドに、部下は申し訳なさそうに、
「は……それが、連中は砦の外に逃亡致しまして。どうも、事前に砦の中を調べ、脱出経路を確保していたようです。追おうとしましたが、ちょうど魔物の群れが出現したため、それに手を取られて見失いました」
「魔物? 被害は?」
「さほど強力な魔物ではありませんでしたので、何人かが軽傷を負った程度ですが、何分数がおりまして……しかし、あまりに連中に都合が良過ぎた気は致しますが」
「ふむ……その魔物も、その連中の仕込みだったと?」
「その可能性も捨てきれません」
部下の報告に、デズモンドは顎を撫でながら小さく唸る。
「……しかし、この砦にそのような輩が潜んでいたというのは、問題だな。大問題だ」
「は。どうやら、大暴走の発生で人の出入りが増え、確認作業が手薄になった隙を突かれたものと思われます。現在、急いで名簿と人員の照合をさせております」
「うむ。――まあ、おそらくその連中は、砦に入るのに正規の手続きを経てはおるまい。何しろ、ここに常駐する部隊と王都からの応援部隊では、互いの顔も知らんことが珍しくないからな。紛れ込んでいたとしても、なまじのことでは気付くまいよ……そういえば、それらしき人間を見たという報告が、確か上がっていたな?」
「は、中央の第一三八魔法騎士小隊から、確かにそのような報告が上がっております。後ほど出頭させましょう」
襲撃の話はそれで一旦お終いとなり、彼らの話は今回の大暴走の総括に移る。
「今回の大暴走だが、あれは少々異常だ。一度、森の中を調査すべきかもしれん」
「しかし……あの森に入るとなると、相応の被害を覚悟しなければ」
「そうでもない。――《擬竜騎士》の特別任務があるだろう。実はそのついでにでも、森の中を少し探って貰えないかと思っている」
デズモンドの話に、部下はなるほどと頷いた。
「確かに……《擬竜騎士》であれば、多少の魔物はものともしませんな」
「探索任務ということであれば、どの道森の中を調査せねばなるまい。そのついでだ。原因が分かれば儲けものというところかな」
そんな話をしていると、砦の中を調べさせていた騎士が、報告を持ってやって来た。
「失礼致します。砦の中を調べましたところ、空き部屋の一つを何者かがつい最近まで使用していた痕跡がありました。おそらく、《擬竜騎士》を襲撃した一団が使っていたと思われます」
「そうか。騎士たちに割り当てられていた部屋ではなかったのだな?」
「はい、備品などを置いておくための部屋でした。それと、襲撃現場に残された魔動銃ですが、この砦の武器庫から持ち出されたものと分かりました」
「なるほど。まあ、連中にしてみれば、その方が足が付かずに済むだろうしな。しかし、いくら大暴走でばたついていたとはいえ、武器庫の管理が甘かったのは事実だ。頭が痛いな」
有事の隙を突かれたというのは免罪符にはなるまい。管理体制の甘さを指摘されても文句は言えない事態だった。アルヴィーが掠り傷程度で凌いでくれたのがせめてもの救いである。
「――とにかく、人員の確認作業を早急に。それと念のため、《擬竜騎士》にもしばらく護衛を付けておいた方が良いかもしれん。彼は貴重な高位元素魔法士だ。森に入ればおいそれと襲撃もできんだろうが、それまではな。万が一ということもある」
「は、了解致しました。そちらも手配を」
返答を返す部下に頷き、デズモンドは声を張り上げる。
「問題は起きたが、むしろ管理体制を見直す好機になったと思え。この砦はファルレアンの盾の一つ。万が一にも隙があってはならん。これを契機に、さらなる体制強化に繋げるのだ。良いな!」
「はっ!」
一斉に姿勢を正し敬礼する部下たちを満足げに眺め、デズモンドは自らも職務の続きを再開するため、机に山積みとなった書類に目を通し始めた。
◇◇◇◇◇
「――おい、聞いたか?」
「昨夜、ここに侵入した奴がいたらしいな」
「レクレウスの偵察か何かか?」
「おいおい、ここは戦線の反対側だぜ。何の偵察に来るんだよ?」
翌朝。砦の食堂は、昨夜の侵入者の話で持ちきりだった。
「……もしかしたら、物資狙いの盗賊か何かだったんじゃないか? 今のこの砦には、強力な魔物の魔石や素材が唸るほどあるだろ」
「そういえば、昨日は凄かったしな。大暴走の時期には、ここは魔石も素材も結構稀少なのがゴロゴロしてるから、確かに狙いたくなるかもなあ」
大多数の騎士たちには詳細が伏せられているため、明後日の方向にズレた推測もあちこちで聞こえる。だがそれらの会話も、アルヴィーが食堂に足を踏み入れた途端にぱたりと止んだ。窺うような視線が一斉に突き刺さり、内心辟易する。
「……おい、あいつだろ? ベヒモス二体にワームまで、一撃で仕留めたっていうの」
「魔物の群れを一人で半分くらい消し飛ばしたってのは聞いたけど」
「さすがは高位元素魔法士様、ってとこか」
ひそひそと交わされる会話を聞き流し、アルヴィーは食事を載せたトレイを一つ手に取って、空いた席に座った。
(……昨日襲撃の邪魔したのって、多分国境戦の時に魔動巨人に乗ってた、あの二人組だよな。糸使ってたみたいだし……でもあの二人、レクレウス側のはずなのに、何で俺のこと助けるような真似するんだ?)
レクレウスにとっては、ファルレアンに寝返ったアルヴィーは確かに、抹殺の対象になってもおかしくない。なのであの騎士に化けていた男たちが、レクレウスの回し者だと考えれば納得はできた。だが、それを同じくレクレウス側に属するはずの少女たちが邪魔する理由が分からない。
(何か、“都合がある”とかって言ってたけど……レクレウスにとって俺ってどう考えても邪魔者だよなあ。それに国境の時は結構ガチで戦った気がするけど、何でいきなり方向転換してんだ?)
とはいえ、元々複雑な裏事情など考えるだけで疲れるのだ。アルヴィーは早々に推測を放棄し、朝食の方に集中することにした。
「――アル、おはよう」
パンをもふもふと頬張っていると、聞き慣れた親友の声。口の中のパンを飲み込み、手を挙げる。
「はよ」
「ここ、いいかな?」
「おー、どこでもいいぞ」
同じくトレイを持ったルシエルがアルヴィーの対面に腰を下ろすと、ちょっとしたざわめきが起きた。そういえばルシエルは貴族だったかと、今更ながらに思い至る。
朝食に手を付けながら、ルシエルは気遣うようにアルヴィーを見た。
「アル、昨日も警戒要員に駆り出されてたけど、疲れてない?」
「体力だけはあるしなー。ルシィたちこそ休めたのか? 結構きつかったろ、昨日のあれは」
「僕たちはあれから、駆り出されることもなかったからね。それに、休める時はきっちり休むようでなきゃ、騎士なんて務まらないよ。体調管理も騎士の仕事の内だ」
そう言いながら食事を口に運ぶルシエルは、いかにも貴族の御曹司という外見にそぐわず、意外と健啖家だ。まあ騎士などという仕事は、食べなければ保たないのかもしれないが。
「……そういえば、ルシィんとこの他のみんなは?」
「他のテーブルで食べてるんじゃないかな。別に一日中一緒に行動してるわけじゃないし」
「それもそっか」
話をしながら、昨日襲撃されたことを告げるべきかどうか迷ったが、あの連中が森の中まで追いかけて来る可能性もないとはいえない。そうなった時にルシエルたちが何も知らないのは困るだろうということに気付き、話だけはしておくことにした。――話した後が怖いが、かといって黙っていたらおそらくもっと後が怖いので。
「……なあ、ルシィ」
「何?」
「後で話しときたいことあるからさ、ちょっと部屋まで付き合ってくんね?」
「いいよ。じゃあ、これ食べ終わったら行こうか」
というわけで、朝食を終えて早々にアルヴィーの部屋に移動する。
部屋では、昨夜女性陣から返却されたフラムが、ベッドで未だぷうぷうと寝息を立てつつ惰眠を貪っていた。どうやら散々構われもみくちゃにされたようだが、それにしてもこんな緊張感の欠片もない姿を見ると、コレが監視用の使い魔だということを忘れそうになる。
「……で、アル。話って?」
「あー……うん。実は、昨夜のことなんだけどさ」
非常に言い出し難かったが、肚を括って昨夜の一件を話す。聞いている内にルシエルの顔がだんだん厳しくなっていくのが分かったが、今更“やっぱ今のなし”というわけにもいかない。結局洗いざらい話すと、ルシエルは深いため息をついた。
「……アル」
「……おう」
「言いたいことは……まあなくもないけど、今回の一件は別にアルのせいじゃないからとりあえず置いておく。――でも、確かに話してくれて正解だった」
「へ?」
「多分この一件、アルが思ってる以上に重要だ。その連中がアルを《擬竜兵》だって知ってて襲ってきたんなら、確かにレクレウス側の刺客だと思う。今の状況でアルを排除したい勢力となれば、やっぱりレクレウスが筆頭だからね。だけど、それを邪魔する存在がいて、しかもそれが同じくレクレウス側の人間だとすると――もしかしたら、レクレウス内部でも分裂が起きかけてるのかもしれない」
ルシエルの言葉に、アルヴィーはいまいちピンと来ず首を傾げる。
「……どういうことだ?」
「国内で意思を統一できてないってことだよ。少なくとも、アルを排除したい勢力とそうでない勢力が存在することになる。その邪魔に入った二人組は、国境で魔動巨人を操ってたあの二人組だったんだろう? 彼女たちが独自にここまで来て邪魔に入るのは考え難いから、多分その後ろに誰かがいるはずだ。つまり、刺客とは別陣営のね」
「ってことは……そいつらがレクレウス国内で喧嘩してるってことか?」
「大っぴらに対立してるとは限らないし、どっちが主流派かも今の段階では分からないけど、まあそういうことだと思う。レクレウスも一枚岩じゃない――ということは、こっちの動きようによっては切り崩す隙ができるかもしれないってことだ」
「切り崩すって、仲違いさせるってことか?」
「それもあるし、もっと踏み込んでレクレウス国内を混乱させたりもできるかもしれない。――こう言うとアルにとっては複雑かもしれないけど、レクレウスの情報部がギズレ元辺境伯に取り入ってファルレアンを混乱させようとした、あれと同じようなことだよ」
「……そっか」
確かに複雑な気分で、それでもアルヴィーは頷いた。騎士になった以上、こうした国の謀略にも無関係ではいられないのだと、改めて気付かされる。
「とりあえず……それ、クラウザー司令に報告した?」
「うん……直接じゃないけど、事情聴取された時に担当の騎士には話したから、多分伝わってると思う」
「そう、なら改めて報告する必要はないね。僕も一応、王都の父上に手紙を出しておくよ」
ルシエルの父・ジュリアスは財務副大臣だ。そこから上がった情報であれば、国の中枢にも届きやすいだろう。もちろんデズモンドからも王都に報告が飛ぶはずだが、アルヴィーの親友であると国上層部に知れているルシエルからの報告と合わされば、信憑性は増すに違いない。
「閣僚レベルに情報が上がれば、それを基に外交で切り崩しを図ると思う。ああ、でもそれより先に、諜報部が接触対象の洗い出しに掛かるかな」
「それ、あの二人の後ろにいる“誰か”ってことか?」
「っていうよりは、レクレウス側の穏健派かな。レクレウスに限らないけど、戦争なんて最初は良くても、長引けば長引くほど国の経済を圧迫して、国力を削っていくからね。よほどの超大国だとかいうのでなければ、遅かれ早かれそうなっていく。それを嫌がる人間も一定数はいるってことだよ。もちろん、ファルレアンにもそういう考えの貴族はいる」
戦争に勝てばもちろん利益が見込めるが、反面敗戦すればすべてを失う可能性もある。そんな博打を早めに切り上げたいというのは、決して理解できない考えではない。
ルシエルの説明に、アルヴィーも納得が行って頷いた。
「そっか。――みんながそう思ってくれれば、戦争なんてすぐ終わるのにな」
わずかに翳った双眸は、この戦争によって失った人々を思い出したから。
守れなかった、そしてこの手に掛けてしまった人たち。すべてを戦争のせいにするつもりはないけれど、戦争がなければ死なずに済んだ者もいたのは確かだ。
そして、改めて気付く。
自分はそうして死んでいった者たちの命の上に立っているのだと。
「……アル」
気遣わしげなルシエルの声に、アルヴィーはふと我に返ってかぶりを振った。
「何でもない。――早くこの件片付いて、戻れるといいな」
「そうだね」
ルシエルも同感だった。
「――じゃあ僕は部屋に戻るよ。父上への手紙も書かなきゃいけないし。アルは昨日色々あったんだから、今日は出撃命令があるまでちゃんと休むこと。いいね?」
「う……分かった」
親友を怒らせると怖いことは良く知っているので、こくこくと頷くアルヴィー。ひとまずはそれに安心して、ルシエルはアルヴィーの部屋を後にした。
自分に宛がわれた部屋に戻りながら、先ほどの話を思い返す。
(アルを排除して利益を得るのは、やっぱりレクレウス……それも戦争を継続させたい勢力だ。レクレウスに戻る見込みがないなら、アルはレクレウスにとって厄介な障害にしかならなくなるし、逆に排除できれば逆転の目も出てくる。――だとすると、例の二人組を送り込んできた人物は、アルがファルレアンにいることで、レクレウスが二の足を踏むのを望んでるってことか)
それが戦争を厭う穏健派なのか、それともただ単に、アルヴィーを排除したい一派の足を引っ張りたいだけなのかは分からないが――敵国の足並みが乱れているというのは、こちらからすれば歓迎すべきことだ。
(このまま分裂していってくれれば、こっちとしても楽なんだけど……まあ、それは楽観視し過ぎか)
ともあれ、この情報を得れば国の上層部も動くはずだ。切り崩しはそちらに任せて、自分たちは目の前の任務をこなさなければならない。特に自分たちには、アルヴィーと共に《魔の大森林》探索に行くという特別任務もあるのだから。
ルシエルは窓の外、遠く望める《魔の大森林》を一瞥すると、足どりを早めて廊下を歩いて行った。
◇◇◇◇◇
「――ええい、忌々しい!」
王宮の自室で、レクレウス王国王太子・ライネリオは手にした書類を床に叩き付けた。それは、国境戦線の戦況報告書だ。街道沿い、そして国境南部。どちらも戦況は自国にとって思わしくないという文言で一致していた。
「これだけ時間を掛けながら、どちらも未だ国境を越えることすらできぬとは……! 無能者どもめが!」
憤懣やる方ないといった様子で吐き捨てるが、南部の侵攻を阻む砦は地形も相まって難攻不落と名高く、海路は使えない。そして街道沿いの旧ギズレ領への侵攻も、撤退を求めた現場の将兵にそれを許さず、最後の一兵となってでも侵攻を進めろと命じたが、当の現場は《擬竜兵》の圧倒的な戦闘力に軒並み戦意喪失しており、侵攻どころか逆に脱走兵まで出る始末だという。
(このまま結果が出なければ、継戦を指示したわたしの立場がないではないか!)
最低でもファルレアン国内に足掛かりとなる占領地を作らなければ、この侵攻自体が失敗と見なされる。そしてライネリオは、この侵攻を強硬に推し進めた筆頭だった。失敗すればそれはそのまま、彼の評価となって跳ね返ってくる。いくら王太子として遇されているとはいっても、それが揺らぐことのない盤石な足場である保証はない。いや、少し前までならばそう信じられたのだが、今の彼にはそれができなかった。
それは、あの男――ナイジェル・アラド・クィンラム公爵のせいだ。
(クィンラム公め、よりにもよってあのような下賤の者のことを持ち出すなど……!)
身分の低い母を持つ、王族と呼ぶのも憚られる生まれの娘。父であるグレゴリー三世が気紛れに側に上げた男爵家の娘が産んだ王女は、一応第三王女として遇されてはいるが、王妃を始めとする王族たちのほとんどが、彼女の存在を認めていない。公爵家出身の母を持つライネリオから見れば、男爵家など貴族というのも名ばかりの、平民と大差ない身分だ。そんな女から生まれた娘が王族を名乗るなど、彼にとっては我慢がならないことであった。もちろん、腹違いとはいえ妹だなどとは、一度たりとて思ったこともない。
王妃やライネリオなど、宮廷でも強い権力と影響力を持つ者たちが彼女を嫌ったため、彼らにおもねる貴族たちもまた、彼女の存在をないもののように扱ってきた。さすがに父であるグレゴリー三世だけは、哀れに思ったか北に領地を与え、母親共々そちらに送ったが。しかし今になって、ナイジェルがその存在を蒸し返してきたのである。
もちろん、表立ってそれを噂する者は、少なくとも上級貴族にはいない。裏ではどうだか知れたものではないが。
少なくとも、かの娘は北の地の領主として、おおむね問題もなくその地の政を取り仕切っている。対してライネリオは、王の仕事を学ぶという名目で父王の傍に控えていることが多いが、自身で領地を運営した経験はなかった。一応幾許かの領地は与えられているのだが、運営は代官に丸投げしている。住み慣れた快適な王都・王宮を出るのを厭っているからだ。
今まではそれで良かった。だが今は、その経験の差が無視できない要素となってくる。
実地を知らない王太子である彼と、北の辺境とはいえ実際に領地を運営している娘――しかも高位元素魔法士である彼女とでは、地力が違い過ぎる。もちろんライネリオはそれを認めていないし、貴族たちも公式にはそれに追従するだろうが、腹の中では第三王女の方を評価する者もいるだろう。
もっとも、彼が不快に思うのは為政者としての力量が劣っているからではなく――そもそも彼は自分に劣っている部分があるなどと考えたこともない――彼女と比較されるという事実そのものだ。彼にとって名ばかりの第三王女は、王族を名乗るのもおこがましいほどに卑しい、立場(身分)が低い相手なのだから。
(そうだ、なぜこのわたしがあのような者のために、こんな不快な思いをしなければならないのだ! 父上も父上だ、北の辺境とはいえ、あんな下賤の者に領地など……!)
自身が推し進める隣国への侵攻が上手くいかない苛立ちも手伝い、ライネリオはいつしか、すべての憤りを彼女にぶつけ始めていた。彼自身は気付かなかったが、彼女が治める北の地が今や王国の経済の命綱となりつつあることへの妬みも、その中には含まれていたかもしれない。かの地は豊かな鉱山資源を誇り、戦費の増大に喘ぐ王国の中でほぼ唯一といっても良い、経済的に潤っている領地なのだ。
そのことに思い至り、そして彼の脳裏に一つの考えが閃いた。
(……そうだ。あの地をわたしのものにできれば……)
鉱山資源に恵まれ、富が溢れるあの地をライネリオのものにできれば、彼の権勢は不動のものとなるだろう。そもそもあの領地は、父である国王によってかの娘に与えられたもの。言い換えれば、元々国王のものなのだ。ならば、将来その座を継ぐ自分が取り戻すのは、むしろ当然のことだ――彼の頭の中はあっという間に、その考えに塗り替えられた。
とはいえ、領地が第三王女に与えられた時点で統治権は彼女に委譲され、彼女が領地を返納でもしない限りは統治権が国王に戻ることはない。そしてもし彼女が夫を迎え、後継者が生まれたならば、統治権はその後継者に引き継がれる。通常ならば。
だが――万一彼女が夫を迎える前に命を落とせば、後継者不在の領地は原則として、一旦王家の預かりになる。その後、相応しい人物に改めて与えられる形となるのだ。
(そうだ。そうなれば、わたし以上にかの地を与えられるに相応しい人間はいない。王国で最も豊かな地を、将来の王であるわたしが手に入れて、何が悪いのだ!)
もはや彼の頭の中には、北の領地を手に入れて財政基盤を固め、国王として華々しく戴冠する自身の未来予想図しか存在していなかった。しかしそのためには、第三王女の存在が邪魔となる。そして彼は、存在そのものすら認めたくない異母妹など、排除したところで何の痛痒も感じない。
ライネリオは声をあげた。
「――近衛! 近衛はいるか!」
「は、ここに」
扉の向こうから、護衛のため控える近衛兵の声が聞こえた。いずれもライネリオに絶対の忠誠を誓い、実力も申し分のない者たちだ。
「入れ」
「は……では、失礼致します」
扉が開き、近衛兵たちが入室して来る。ライネリオは唇を歪め、彼らに告げた。
「おまえたち近衛兵に、重要な任務を与える。――ただしこれは、現段階では父上にも知られてはならぬ。そのつもりで聞くが良い」
「は、承ります」
極秘任務と聞いて一層態度が改まる近衛兵たち。そんな彼らに、ライネリオは“任務”を言い渡した。
「北のオルロワナ北方領に赴き、かの地を不当に領有しているあの下賤の者より領地を取り戻すのだ。領主の生死は問わぬ……否、長らえさせることこそまかりならぬ」
近衛兵たちは思わず息を呑んだが、その動揺もすぐに収まり、一人が冷静に口を開く。
「……畏まりました。その任務、必ずや全う致します。我らは殿下の臣。殿下の命令こそが絶対でございます」
「うむ」
満足げに頷き、すぐに出立するよう言い渡して、ライネリオは近衛兵たちを下がらせた。彼らはいずれも、ライネリオの幼少のみぎりから仕え、彼に忠誠を誓っている。ライネリオが気兼ねなく使える手駒だった。
(高位元素魔法士といっても、あの者に加護を与えたのは確か、争いを嫌う妖精族だという。ならば、戦闘に関してはさほどのものでもあるまい。手練れの近衛兵が掛かれば、よもや失敗などはあり得まいよ)
ライネリオはうっそりと笑い、先ほど床に叩き付けた書類を拾わせるため、続き部屋に控える侍従を呼ぶことにした。
……この一件が後に王国に与える影響の大きさを、彼は考えもしなかった。
◇◇◇◇◇
レクレウス王国北部一帯――そこは王国きっての、鉱山資源に恵まれた土地だ。北の国境の約三分の二を占めるアルタール山脈に抱かれたオルロワナ北方領は、良質な鉄鉱石、金銀などの貴金属、宝石の原石などが大量に採掘できる一大産地であり、そのいっそ無秩序なまでに多様な鉱山資源は、王国の財政を強固に支えている。殊に戦時中である現在、その価値は天井知らずに上昇しているといっても過言ではない。
現在の王国にとっての生命線の一つともいえるその地は、だが、ほんの十年ほど前までは鉱脈など大して存在しない土地であった。
そのオルロワナ北方領の中心都市・ラフトの領主館で、一人の女性が執務室のテラスから外を眺めている。
鋼色の髪を後頭部で纏め、シンプルな髪飾りを一つ挿しただけの機能的な髪型、纏うドレスも品質は最上クラスだが装飾はほとんどなく、全体的におよそ飾り気というものを感じさせない女性だ。しかしやや硬質な雰囲気を漂わせる美貌、そして何より右が金、左が紫という虹彩異色が、彼女を強烈に印象付けていた。
彼女はユフレイア・アシェル・レクレウス、当年とって十九歳。家名が示す通り、レクレウス王家の第三王女だ。とはいえ、生母の家格は低く、おまけに左右で色の違う瞳は王宮では気味悪がられたため、彼女は十歳にもならない内に北方領主という名前だけは立派な地位を与えられ、この北の辺境に封じられたのだった。
「――姫様」
背後からの声に、彼女は振り返る。
「ああ、すまない。少し外を眺めるだけのつもりだったが」
「いえ、姫様のお働きはこの老いぼれも知るところ、むしろもう少し休息を取られてもよろしいくらいです」
初老の補佐官の心遣いに、ユフレイアは笑みを浮かべた。
「そうか。ならば少し、息抜きに出掛けて来るとしよう」
「よろしゅうございますが……その前に、少々ご報告が」
「報告?」
ユフレイアは室内に入ると、初老の補佐官から書簡を受け取る。彼女がこの地に来た時からずっと仕えてくれている、気心の知れた忠実な人間だ。彼はユフレイアが書簡を読む間、彼女に供するための茶と茶菓子を手ずから用意し始める。
書簡にざっと目を通し、ユフレイアは何とも複雑な表情を浮かべた。それに気付き、補佐官は尋ねる。
「姫様、どうなさいました?」
「いや……喜ぶべきか憂うべきか、少々微妙な報告だと思ってな」
「左様でございますか」
補佐官は飄々と頷きつつカップに茶を注ぎ、ユフレイアの執務机に置いた。その横には茶菓子も。
「さ、どうぞ、姫様。お出掛けになる前に、少しお寛ぎください」
「ああ、ありがとう」
彼女は促された通り椅子に腰を下ろし、カップを取り上げると口に運ぶ。ほんのりと甘さを含んだ渋みが口内に広がり、程良い温度が喉を通り過ぎて腹の中から温めてくれるようだ。カップを置くと茶菓子を摘み、ぱくりと一口で口内に放り込む。小振りの茶菓子とはいえ、年頃の令嬢であれば本来は、フォークで千切って二口三口ほどで淑やかに食べるものだが、生憎彼女は優美さよりも効率を重んじる性質だった。
ちなみに、彼女の令嬢らしさからはかけ離れた口調については、補佐官はすでに諦めていた。何しろ鉱山の街だけあって、ここは荒くれ者の鉱山夫たちが多い。それに加え、ユフレイアはちょくちょく、お忍びで街に下りていた。とても一国の姫であり領主でもある女性が入るような場所ではない、下町情緒たっぷりの大衆食堂などがむしろお気に入りで、そこにたむろする鉱山夫たちから鉱物や山の知識などと一緒に、姫君とは程遠い口調まで教わってしまった次第である。
「……あの国王と王太子、ファルレアンへの侵攻をゴリ押しして見事に失敗とは。連中の顔が潰れたのはなかなか愉快な話だが、それに付き合わされた将兵のことを考えると、無責任に面白がってもいられないか」
異母兄にして国内でも上から数えた方が早い身分の相手を寸毫のためらいもなく馬鹿と言い放ち、ユフレイアは彼に対する嘲笑をほんの一瞬ひらめかせる。異母兄が彼女を嫌うように、彼女もまた異母兄を嫌っていた。だがそれも致し方ない。何しろユフレイアとその母はまだ王宮にいた頃、ライネリオとその同腹異腹の王子王女、そして王妃と他の側妃に散々虐げられ、虐め抜かれたのだから。果ては社交界へすら出して貰えず、自国の貴族はまだしも他国になると、彼女の存在からして知らない貴族さえいるのだ。さすがに、上層部は諜報網を駆使して彼女の情報もある程度掴んでいるのだろうが。
地方領主に封じる時も、国王は王妃たちの手前ユフレイアにあまり良い土地を与えることができず、彼女は生母共々こんな北の辺境に追いやられることとなった。もっとも、ユフレイアとしてはかえって清々したというところだが。むしろ、母も同道させてくれたことは珍しく英断だったとすら思っている。
そして彼女は、この北の地で大きな出会いを果たした。
「――それにしても、いい加減戦費を無駄に浪費するのは止めて貰いたいものだがな。次から次へと上納金の要求ばかりで、鬱陶しいことこの上ない。国を富ませるためならまだしも、これではあの王太子の尻拭いのようなものじゃないか。確かに、このオルロワナの鉱山資源の流通量を増やせば、一時的に収入は増えるがな。その代わり後の調整に苦労しなきゃいけなくなるのに、その辺りがまったく分かってない。まあ、中央でぬくぬくと暮らしていればそんなものかもしれないが」
吐き捨てて、ユフレイアは書簡を仕舞うと立ち上がる。
「今でさえ、すでに市場は寡占状態に近付いております。現在、この北方領から出た鉄や貴金属が、国内外の流通量の何割を占めておるのか、まさかお分かりではないのでしょうか」
「国王はともかく、王太子の方は知らないんだろう。机の上でいくら帝王学を詰め込んだところで、実際に現場に出ないと掴めないものだ、政や経済というものは。まあ、単にわたしが国の役に立っていると認めたくないだけかもしれないが」
執務机の端にひょいと腰掛けるという、姫君にあるまじきはしたない振る舞いを見せながら、ユフレイアはやれやれとばかりに息をつく。
「中央はよほど、わたしを表に出したくないようだ。そうでなければ、とっくに出陣命令の一つも来ているだろう。――まあ、そんなつもりで高位元素魔法士になったわけでもなし、そこだけは有難く思うべきかもしれないな」
彼女は領主としてやって来たこの北の地で、地の妖精族と出会い、そして彼らと友誼を結んだ。王宮では母と共に孤立し、友人どころか味方すら望めなかった彼女にとっては、とりあえず自分に害を為さずに対応してくれる相手ならば、それが人間だろうとそうでなかろうと大した問題ではなかったのである。というか、あの頃の彼女はどう言い繕っても人間不信状態でしかなかったので、妖精族の彼らの方がかえって付き合いやすいくらいだった。
そうして、地の妖精族に気に入られたユフレイアは彼らの加護を得、地の高位元素魔法士となったのだ。同時に、彼女を友と認めた妖精族がこの地に留まり、好き勝手に鉱脈を創り始めたがために、ここオルロワナ北方領はこの十年ほどで無節操なまでに多様な鉱物資源を持つに至った。鉄鉱石の鉱床を掘っていたらいきなりそれをぶち破って宝石の鉱脈が出て来るような土地は、大陸広しといえどここぐらいのものだ。
とはいえ、それはあくまでも、ユフレイアと妖精族の友誼によってもたらされたもの。もし彼女を失えば、妖精族はこの地への興味など失い、鉱脈も放ってどこかへ立ち去ってしまうことだろう。そういう意味では、中央の彼女への態度がかえって良い方に作用していると言えなくもなかった。
レクレウスきっての鉱山地帯を支えている姫は、ため息と共に言葉を継ぐ。
「大体この戦争も、もう少し傷が浅い内に終わらせておくべきだった。――例えば、二年前のファルレアン先王陛下の崩御の時辺りにな。あの時に停戦でも持ち掛けていれば、あちらも呑んだかもしれない。だが、そこで欲を掻いた上に今代の女王陛下に要らん対抗心を燃やして、このザマだ」
ユフレイアの言に、補佐官も内心同意する。二年前、ファルレアンの前国王が崩御し、第一王女アレクサンドラが女王として即位した際、レクレウスはこの機を逃してはならじと継戦を決めた。その頃はここまではっきりと流れがファルレアン側に傾いておらず、十歳を過ぎたばかりの新女王が治める国などこれまで以上に簡単に押し切れると読んだからだ。結果として、その読みは大外れだったわけだが。新女王アレクサンドラは、可憐な少女の姿をしながら先王をも凌ぐ傑物だった。
そして、そんな彼女に強烈な対抗心を抱く王太子が、徹底した対ファルレアン強硬派となって継戦を主張し続け、国王も我が子可愛さにそれを容認しているために、戦争は今日までずるずると続いているのだ。
「……とはいっても、ここで何を言ったところで国の方針が変わるわけじゃないし、結局のところ白黒付くまでやり合うしかないんだろうが。もし我が国が負けても、わたしがこの地から動かされることはまずあるまいしな。ここは戦場から遠いおかげで無傷だし、ここの資源はファルレアンにも魅力的だろう」
自国に対して容赦なくそう言い放ち、ユフレイアは机から下りると補佐官に告げる。
「――少し出て来る。一時間ほどで戻るつもりだ」
「畏まりました。行ってらっしゃいませ」
一礼し、補佐官は執務室を後にする。ユフレイアは窓からもう一度だけ外を見やると、執務室を出て私室に向かった。そこで手早く服を着替える。ドレス姿から活動的な服装に着替え、髪も結い直すと、彼女は念のためローブを羽織って、私室を出ると廊下を歩き出した。すれ違う使用人や文官たちはもう見慣れたもので、どこか生温い笑みと共に「行ってらっしゃいませ」と頭を下げる。一応お忍びでの街への外出のはずなのだが、忍んでいるのは街の領民たちに対してだけで、領主館では彼女の“お忍び”はもはや公認となっていた。ちなみに護衛なども付かない。この北の地で、妖精族が友と認める彼女を傷付けられる存在などいないからだ。ある意味、妖精族が護衛のようなものかもしれないが。
彼らに見送られて領主館を出たユフレイアは、ローブのフードを目深に被ると、街に向かって歩き出す。領主館は市街地に囲まれた小高い丘の上に建っており、十分ほど歩いて丘を下りれば、そこはもうラフトの街中だ。さすがに王都には及ばないが、重厚な石造りの建物が建ち並び、石畳が敷かれた通りが四方に伸びるこのラフトの街は、オルロワナ北方領はおろか国内でも五指に入る規模を誇るだろう。
通りを歩いていると、金属を打つ甲高い音があちこちでリズムを刻み、いかにも鉱山夫と分かる体格の良い男たちが連れ立って、大声で笑いながらユフレイアとすれ違う。街中は活気に満ち、店に並ぶ品はどれも質が良く品数も多い。それは、この街が豊かな証だった。
フードの陰に左右色違いの瞳を隠すようにして、ユフレイアは満足感と共に街を見て回る。この一時が、彼女にとっての息抜きだった。自分が治める街で、領民たちが平穏で幸せな生活を謳歌しているのを見て回るのは、実に気分が晴れる。特徴的な瞳を晒せばさすがに一発で正体がばれてしまうので、フードを取ることはできないが、こうして市井に紛れてみるのは楽しめるし、時折改善すべき点を見つけることもあった。
さすがに鉱山の街というところか、通りには金物を扱う店が多い。特に多いのは武具店だった。豊富で質の良い鉱物から作られる武器防具は、性能の高さの割に価格が手頃で人気が高い。わざわざ王都や国の南方から買い付けに来ている商人もいるほどだ。
(さて……今日はどの辺りを回ろうか)
時間は限られている。どこを見て回るのが良いかと考えていた、その時。
「――おい、邪魔だ!」
ドン、と背後から突き当たられ、ユフレイアはよろめいた。
「何をする!?」
「あ? 道の真ん中で突っ立ってる方が悪ィんだろうが!」
ぶつかってきたのは、いかにも場末の酒場辺りにいそうな、破落戸めいた風体の男三人だ。武器目当てなのか、あるいは単にこの街の羽振りが良いからか、こうした輩もこの街には一定数集まって来る。
彼らはユフレイアに咎められて怒鳴り返したが、彼女が若い女だと見て取ると、雰囲気が一変した。
「……お? 良く見りゃ割といい女じゃね?」
「そうかぁ? フードが邪魔で分からねえけど」
「とりあえず女ならいいだろ。この街は確かに羽振り良いけどよ、その分その手の店も高くてよぉ。姉ちゃん、ちょっと付き合ってくれよ、なあ?」
無遠慮に腕を掴まれ、フードを引き剥がされかけて、ユフレイアはもがく。彼女の怒りに反応してか、足元の石畳がわずかに波打った。彼女を庇護する地の妖精族が、干渉しようとしているのだ。
まさにその瞬間、その声は割って入った。
「ちょっと、ウチの店の前で揉め事とか止めてくんない? 営業妨害なんだけど!」
声の主は、ユフレイアと同年代かと見える青年だった。金色と茶色が入り混じった髪に、どことなく猫目気味の茶色の瞳。店の軒先の蜘蛛の巣でも払っていたのか、棒切れ片手に呆れたようにならず者たちを見やっている。
「あ? 何だてめえ!」
「ここの臨時店員だけどさ。店の前で性質の悪いナンパとかされちゃ、迷惑なんだよね。“そういう”お付き合いがしたけりゃ、こんなとこで素人さん捕まえてないで、そういう店に行けばいいだろ。まあ、素行がそれじゃモテないとは思うけどさ」
「何だと、この――!」
男たちはユフレイアを放り出し、青年に食って掛かる。どうしたものかと彼を見たユフレイアは、青年がこっそり手振りで“行け”と示しているのに気付いて、謝意と共に軽く手を挙げ、周囲の野次馬の中に紛れ込んだ。それに気付いた男たちは、目当ての獲物に逃げられた苛立ちで、さらに頭に血を上らせ青年に掴み掛かる。
「てめえ、よくも!」
「落とし前は付けて貰うぜ、コラァ!」
男三人に詰め寄られながら、青年は平然と店内に声をかけた。
「――おやっさん、こいつら追っ払っていい? “実力行使”で」
すると、
「おう、許す! 存分にやれ!」
店内からダミ声が飛んで来た。ならばとばかりに、青年は男たちに向き直る。
「んじゃまあ……そういうことで!」
青年が一歩踏み出し――次の瞬間、男たちの一人が吹っ飛んだ。
「なっ……!?」
いきなり仲間が吹っ飛ぶ事態に、残りの二人が一瞬呆気に取られる。吹っ飛ばされた男の方は、左肩を押さえて呻いていた。
「肩が外れてると思うから、後で嵌め直して貰いなよ。多分物凄く痛いけど」
「て、てめ、何しやがったっ!?」
飄々と嘯く青年に、残りの男たちはやや引きつった顔で喚く。青年は手にした棒で肩を軽く叩きながら、
「何って、これで肩突いただけだけど。でもさ、せめて受け身くらいは取ろうよ」
「こっ……の、ガキがぁっ!」
どこまでも自分たちを馬鹿にしているような――というか、実際に馬鹿にしているのだが――青年の言動に、男たちはついに自重をかなぐり捨て、各々ナイフを抜き出した。ナイフといっても、刃渡りが二十セトメル以上はありそうな大型のものだ。護身用ではあるまい。
青年は自分に向けられたナイフを呆れたように見やり、
「……やっぱ、そうなるよね。ま、そっちの方が話が早くていいか」
ヒュ、と棒切れを一振り。そこへ、男たちがほぼ同時に突進した。
「死ねやぁっ――!」
だが。
「というわけで――お帰りはあちら!」
トトン、と。
各々の首筋に、“後ろから”一撃ずつ。それですべては片付いた。
目にも留まらぬ早業、という言葉がぴったりの素早さで男たちの背後に回り込んだ青年は、これまた常人には視認すら難しい速さで棒を打ち振った。首筋にそれぞれ一撃ずつ貰った男たちは、そのまま昏倒。突進の勢いそのままに地面に突っ込む。その時にはすでに意識を刈り取られていたのは、彼らにとって幸運だったのかもしれない。何せ顔面からダイブである。
そして一瞬の後、周囲が沸いた。
「いいぞー、兄ちゃん!」
「良くやった!」
「今度おめえんとこで剣誂えてやるぜ!」
「良い腕してんなあ!」
主に武具店の常連であるむくつけき男どもからの、腹に響く野太い歓声に苦笑しながら、青年は昏倒したり呻いたりしている男たちをずるずる引きずり、通行の邪魔にならないよう道端に放り出した。あれだけ騒げば詰所から警邏の人間が来るだろう。そこで引き取って貰うつもりのようだ。
ぱんぱんと両手を払っている青年に、野次馬の中から脱け出したユフレイアは声をかけた。
「――すまない、助かった」
「いやあ、店の前で騒がれちゃ迷惑なのは本当だしさ。怪我はないよね?」
「ああ。――あなたは、そこの店の?」
「あー……うん、剣の直しを頼んでるんだけど、手持ちがね。で、足りない分をこうして労働で払ってるわけ」
たはは、と苦笑しながら、青年。そうしていると、つい先ほど男三人を一撃で叩き伏せたのが嘘のようだ。
と、
「――おい、フィラン! 片付いたんならこっち手伝え!」
店の中から再びダミ声。店の主だろう。
「おっと。じゃ、俺仕事に戻るから。また絡まれないように気を付けて」
「ああ、感謝する」
青年と別れ、ユフレイアは歩き始めた。さっきの一件で思いがけず時間を取られたため、もうそろそろ戻らなければならない。領主としてこの地を切り盛りするのは苦ではないが、彼女の自由になる時間は少なかった。
(店と彼の名は覚えた。後でこっそり、心付けでも届けさせるか)
そんなことを思いながら、ユフレイアは領主館に戻って行った。
……一方その頃。
「おうフィラン、おめえなかなか良い腕してたんだなあ。そんな惚けたナリして」
「おやっさん酷い! 俺が剣士なの知ってんでしょ!」
「まあ、剣持ち込んできたしなあ。――しかしあれも、結構使い込んでるが良い剣じゃねえか」
「実家にあったやつ、餞別に貰って来たんだよ」
「へえ、じゃあ意外と、名のある剣士の家系だったりするのか」
「さあ、それはどうだかね」
店主と軽口を交わしながら、彼は奥を覗くようにして尋ねた。
「そういえばさ、俺いつまでこうして働いてればいいわけ?」
「ああ、不足分にはもうちょいってとこだな。さっき面白ぇもん見せてくれたから、ちょいと負けてやる」
「やった!」
嬉しそうに声をあげ、彼――フィラン・サイフォスは、店主に言い付けられた店出しの品の整理を始めるのだった。
◇◇◇◇◇
《魔の大森林》浅層。
「――それで、砦の様子はどうだった?」
魔物たちの進撃で作られたちょっとした空き地に、《黒狼》を始めとする暗殺者たちは拠点を築いていた。元々、砦の中に入り込めなければ、こうして森の浅い場所に潜むつもりだったのだ。そのための物資も持って来ていたのがここで役に立った。
《黒狼》に尋ねられ、《魔物使い》は肩を竦める。
「どうもこうも、昨夜の襲撃の話で持ちきりだったよ。――っていうかさ、何で僕が潜入役なのさ! ったく、ヒヤヒヤしたよ」
「仕方あるまい。昨夜の一件で、《擬竜兵》に姿を見られたからな。確実に顔が割れていないと言えるのは、魔物を集めていてあの場にいなかったおまえだけだ」
襲撃に失敗し、何とか砦から逃げおおせたは良いものの、やはり砦の状況は気になる。そこで、唯一襲撃に直接参加せず、顔も知られていない《魔物使い》に、砦の様子を探る斥候役として白羽の矢が立ったのだった。
「にしても仕損じるなんて、《黒狼》もヤキが回ったね」
「ふん……そうかもしれんな。確かに、上手く罠に嵌めたと思って甘く見ていた部分もあったかもしれん。――が、次は仕留める」
その言葉に、《魔物使い》は肩を竦める。
「……ま、意気込みはいいけどさ。《擬竜兵》、もうすぐあの砦を出るらしいよ」
「何?」
「小耳に挟んだんだけどさ。何でも《擬竜兵》は、大暴走の対応とは別に、特別な任務を受けてるらしいよ。で、大暴走もそろそろ落ち着いてきたからさ。その特別任務に移るみたい」
「そうか……その任務、どういうものか分かるか?」
「詳しくは分からない。でも、この森に入るみたいなことは言ってたよ」
「この森? 《魔の大森林》にか?」
「そ。《擬竜兵》に随行するらしい騎士が喋ってたの聞いただけだから、それぐらいしか分かんなかった」
「いや……それだけでも分かれば充分だ。――まだ機会があるということだからな」
「……やっぱ森の中で仕掛けるの?」
ため息をつく《魔物使い》。森で仕掛けるとなれば、彼の参加は確定だからだ。
「無論だ。おまえにも協力して貰うぞ、《魔物使い》」
「やっぱりかー……でも、例の“邪魔者”とやらはどうすんの? 正体、分かんないんでしょ?」
「情報部の連中を置いて調べさせる。奴らは専門だろう。森の中では情報部の出番はさほどない。おまえには存分に働いて貰うがな」
「言っとくけど、僕だって操れる魔物とそうじゃないのがいるんだからね」
とても気が進まないが、任務であるからには仕方ない。《魔物使い》はまたしてもため息一つ落として、作戦続行を了承した。
「とりあえず、森の入口辺りに鳥を集めておくよ。連中が森に入ったら騒ぐから、すぐに分かる」
《魔物使い》は笛を使い、鳥を呼び集め始める。
「我々は?」
「ひとまずは待機だ。――連中が森に入ったら、気取られないよう追跡する。あまり深くまで入り込まれたら、我々が帰還に困るからな。適当なところで仕掛けるぞ」
「了解」
暗殺者たちは頷き、《魔物使い》も笛を吹きながらひらりと手を振る。
(今はまだ技術も稚拙だが、これで戦い方を本格的に学べば、手の付けようがなくなるだろう。――《擬竜兵》は必ず、ここで仕留める)
改めて自身にそう命じると、《黒狼》は砦の中の標的を睨むかのように、砦の方角を見つめた。
……ざわり、と森が風で揺れる。
まるで、人間たちの小さな思惑を嘲笑っているかのように――。
ブクマ100件突破! ありがとうございます!
手探りではありますが、これからも楽しんで頂ける作品作りを目指します。




