第25話 叙任
拙作をお読み頂きありがとうございます。
今回から第四章開始です。
ファルレアン王国北東部、王国第二の大河・セドリア川西岸に位置する大森林――それが《魔の大森林》だ。北のダルガット山脈と共に、大陸北東部一帯を有するリシュアーヌ王国とファルレアン王国を隔てる、いわば壁の役割を果たしているこの国内随一の大樹海は、同時に国内随一の魔物多発地帯でもあった。
《魔の大森林》の中には、森だけでなく水辺や草原なども点在し、そこを住処に多様な魔物が繁殖している。だがいくら広大な森林といえど、その中で養える数には限界があった。その限界を超えた時、魔物たちは新たな住処や食べ物を求め、森の外へと溢れ出すのだ。その現象は“大暴走”と呼ばれ、この《魔の大森林》では大体十年に一度ほどの頻度で起こる。《魔の大森林》には強力な魔物が多数棲息しており、それらが大暴走を起こせば領主の私兵レベルの軍備ではとても対応できないため、その一帯は直轄領として王家の管理下に置かれていた。それと共に、国は《魔の大森林》の至近に砦を築いてそこに騎士団の数個小隊を派遣し定期的に監視、時折森から出て来るはぐれ魔物を討伐すると共に、大暴走の兆候を見逃さないよう努めているのだ。
《魔の大森林》から数ケイルほどの地点に築かれた砦はラース砦と名付けられ、地魔法で築かれた長さ一ケイルに届こうかという壁、そしてセドリア川から水を引き森の外周の半分ほどを囲むよう造られた、全長約百ケイルに達する水濠と共に、国内の諸侯の領地を守っている。この砦を抜かれると、背後に広がるのは伯爵領や子爵家領地群だ。伯爵領はともかく、満足な私兵も揃えられない家がほとんどの下級貴族の領地など、《魔の大森林》の魔物に襲われればひとたまりもない。ラース砦は対大暴走の前線基地であると同時に、文字通り“最後の砦”でもあるのだ。もっとも、この砦を抜かれたことは記録の残る限り一度もなかったが。
そんなラース砦ではこの日も、当番の騎士が二人一組で、物見台から森の様子を監視していた。
「――時期的に、今年辺りにそろそろ大暴走が起きてもおかしくないからな。どんな小さな兆候も見逃すな」
「は、はい」
ベテランの騎士にそう言われ、まだこちらに来て日の浅い若手の騎士はやや緊張気味に答える。双眼鏡を使い、目を皿のようにして深い緑の樹海を見つめていた若手騎士だったが、ふと何かに気付いたように、
「あれ……何だかあの辺り、やけにざわついてませんか、ほら」
「うん?」
双眼鏡を渡されたもう一人の騎士も目をすがめて指し示された辺りを見、そしてはっとする。
「あれは……魔物が中で大規模に移動してるぞ! 急いで王都に報告だ! 念のために東方本部にも連絡を入れておけ! 大暴走が近いぞ!」
「は、はいっ!」
若手騎士は泡を食ったように駆け出して行く。残った騎士はもう一度双眼鏡越しに森を見やった。鳥が狂ったように飛び回り、木々が不自然にざわついている。大型の魔物や中型以上の群れが進む時に木々にぶつかり、大きく揺らしているのだろう。気ままに森の中を歩き回ってくれるだけならまだ良いが、これがひとたび森の外に足を向ければ、厄介なことになる。
(今回は結構な大物がいそうだな……王都からの応援が、間に合えばいいんだが。場合によっては、東方本部からも人を寄越して貰わんとな)
大暴走で《魔の大森林》から溢れ出す魔物は、年によって増減はあるが、およそ数千体から数万体というところだ。いくら砦があるとはいえ、たかだか数小隊では食い止められるはずもなかった。魔物たちが森から出て来るまでに王都からの本隊の派遣が間に合うか――それはもはや賭けのようなものだ。魔物たちがぐずぐずと森の中に留まり続けてくれる保証などどこにもないのだから。万が一の保険として、王都より遥かにここに近い東方騎士団本部にも応援要請はしておくが、この一帯は本来中央の管轄。できれば中央の人員だけで事を収めたい。
(やれやれ……本隊が来るまでは、胃が痛い毎日になりそうだ。それまで出て来てくれるなよ)
祈るように胸中でそう呟き、騎士は森の監視を続行し始めた。
◇◇◇◇◇
特別教育の講義もあと数日を残すところとなったある日。ジェラルドからの呼び出しで彼の執務室に顔を出したアルヴィーは、入室するが早いか、顔面に襲撃を受けた。
「――何だぁ!?」
見ると、アルヴィーの顔面に見事体当たりをかましたのは、制服の上下一式だった。おそらく綺麗に畳まれていたのであろうそれは、だが投げて寄越されたせいで台無しだ。
「これは?」
「おまえの制服だ。正規の騎士用のな」
「え、マジで!?」
顔を輝かせて、改めてそれを広げてみるアルヴィー。ダークグレイを基調とした詰襟の上着とスラックスは、確かに正規の騎士のものと同じデザインだ。ただし、肩の部分や袖、ラインに差し色として使われているのは、鮮やかな真紅。ジェラルドたちが所属する魔法騎士団は紫がかった群青、騎士団は若草色を差し色として使っており、どちらもアルヴィーに渡されたものとは違う。近衛騎士団はさらに趣が違って白地にダークグレイの差し色な上、そもそも実力はもちろん家柄まで考慮されて選り抜かれるエリート中のエリートなので論外だ。
「……何で俺のだけ色が違うの?」
新手の虐めか何かかと思っていると、ジェラルドが肩を竦めて教えてくれた。
「まあ早い話が、おまえの所属――というか階級に困った末の苦肉の策ってやつだ。まず前提条件として教えておくが、おまえはこの間の一件がトドメで、正式に高位元素魔法士として認定された。王都一帯上空まで広がった呪詛を一撃で焼き払えるんだから、それを認めなくてどうなるって話だがな。前にも言ったが、高位元素魔法士の存在はそのまま国の軍事力に直結するから、それが増えること自体は国としても望ましい……が、だ。そこで問題になるのが、おまえがファルレアンに亡命して間がない上、騎士団でも新参だってことだ」
「高位元素魔法士は貴重だし、実力も高いから、かなり好待遇で迎えられることが多いけれど、あなたの場合は経緯が経緯だから……でもそれで新人の騎士と同じ扱いにしたら、今度は他国がうるさくなるの。どこの国も高位元素魔法士――それも戦闘に特化した魔法士は欲しいわ。おそらく、かなり執拗な引き抜き工作が始まるでしょうね」
パトリシアの説明がまさに、国や騎士団の上層部が危惧していることでもあった。ただでさえ現在のファルレアンは、隣国との紛争で他国から注目されている。当然、他国からの諜報員もそれなりの数が入り込んでいると見るべきだった。もっともそれはお互い様で、ファルレアンも他国には軒並み諜報員を送り込んでいるのだが、ともあれそういった諜報員によって、アルヴィーの情報はそれぞれの本国に伝わっていることだろう。ファルレアンとしても、それだけの“戦力”を手に入れたということを喧伝する意味で、故意に情報を隠さなかった面もある。だがその状態で国や騎士団がアルヴィーを冷遇するような素振りを見せれば、近隣諸国がここぞとばかりに引き抜き工作を仕掛けてくるのは火を見るより明らかだ。
「えーと……もしかして俺ってすっげー微妙な立場なんじゃ……」
「今頃気付いたのか」
恐る恐るそう問えば、何を今更というように呆れた表情のジェラルド。
「いや、そりゃ難しい立場なのは分かるけど! そんな国レベルの話とかされても……」
つい一年ほど前まで単なる村人でしかなかった身には、なかなか衝撃的な展開である。なにこれこわい! と心底震え上がる小市民なアルヴィーだった。
「……とまあそんなわけで、おまえの実力と経歴を擦り合わせるのはどう足掻いても無理だという結論になった。そこで思い切って、おまえを従来の騎士団の階級からは切り離すことにしたってわけだ。要するに、現行の六階級とは別に、新しくおまえ専用の独立した階級を作って、そこに放り込む形だな」
「えええええ……」
予想の斜め上に大事になった事態に、アルヴィーは慄いた。
「さらっと言ってるけど、それってつまり俺を突っ込むために騎士団の序列弄ったってことじゃ……」
「まあそうなるな。といっても、あくまでも急拵えの後付けで、今の六階級に大して影響はない。それでいて他国から見れば一人のために新しい階級を創設した形になるから、一応の格好は付くってわけだ。おまえが騎士団から抜ければ廃止する予定の階級だしな」
何とも曖昧な決着だが、政治の世界というのは意外とそういうものなのだろうか。
「おまえは今後、一応は魔法騎士団所属になるが、小隊に所属はせずに、必要に応じて派遣される遊軍的な扱いになる。その区別を付けるために、差し色が違うんだろう。とにかく、特別教育が終われば即叙任になるから、そのつもりでいろ」
「え、うん、了解、です」
つまりはあと数日で正式に騎士として叙任されるというわけだ。いきなりの話に面食らいながらも、アルヴィーは何とか頷いた。
「……んで、その叙任って、何か式典みたいなのやる……んですか」
「そういえば、騎士学校は卒業式がそのまま叙任式ですけど、こういう場合ってどうなります?」
セリオも知らないらしく尋ねると、ジェラルドはあっさりと、
「ああ、こいつは俺の従騎士だからな。従騎士任命と同じで、俺が叙任する形になる。大して難しい手順もないし、適当に形式整えてりゃいい」
「……騎士叙任って、そんなあっさりしてんの?」
一応アルヴィーの人生でもそれなりのイベントのはずなのに、何だか適当感が半端ない。
「まあ、騎士学校の卒業式じゃ、騎士科と魔法騎士科の首席卒業者が代表して叙任の儀式を踏襲して、後の卒業生は徽章を貰うだけだしね。数が結構いるから、一人一人やってたら余裕で半日は掛かるから。――そういえば、クローネル二級魔法騎士はその年の魔法騎士科の首席だったっけ」
「え、そうなのか!?」
「レクレウスの、しかも辺境の村で育ったってことで、最初は色々言われもしたみたいだけど、ことごとく実力で黙らせたって話だったよ。だから彼より下の年代には、結構信奉者もいたりしたらしいね」
「あー……」
とても心当たりがあって、アルヴィーは思わず頷いた。それはつまり、ウィリアム何某のような手合いだろう。
「特別教育が終わったら、その足で着替えてすぐにここに来い。その場で騎士に叙任する」
「あ――あの! 俺、本格的に剣を習いたいんだけど……今はただ力任せにぶん回してるだけだから、ちゃんとした剣を習ってもっと強くなりたい。特別教育じゃ結局習えなかったし……駄目、ですか」
冗談抜きで特別教育が終わり次第騎士に叙任されそうな雰囲気に、アルヴィーは慌てて申し出た。騎士になる以上、現在のような型も何もない振り回すだけの剣では、いずれ不足が出るだろう。
アルヴィーの申し出に、ジェラルドはふと表情を緩めた。
「いや? 今以上に強くなりたいとおまえ自身が望むなら、こっちとしても何も問題はない。別にそう慌てなくても、剣の訓練くらい騎士になってからでも受けられるぞ。――ただ、おまえの剣は特殊だからな。教えられそうな奴をこっちで見繕ってやる」
「やった!」
顔を輝かせるアルヴィーに、ジェラルドはニヤリと笑いつつ、
「だが、俺の伝手だと心当たりはどいつもこいつも剣に関しては厳しいからな。存分に扱かれろ」
「う……」
やや腰が引けるが、自分から頼んだ以上撤回はできない。肚を括ることにする。
ともあれ、これでやっと正規の騎士になれるのだ。制服を受け取り、アルヴィーは胸を弾ませつつ、もうすっかり慣れ親しんだ本部内の宿舎に戻った。
「きゅっ」
「あ、こら。これ一着しかないんだからじゃれるな」
部屋に残していたフラムがじゃれてくるのを避け、ひとまず制服は畳んで仕舞った。
「きゅー」
改めて擦り寄ってきたフラムを、今度は膝に乗せてあやしてやる。この間の一件以来、フラムはジェラルド始め騎士団の暗黙の了解の下、好きにさせておくこととなった。あの一件でダンテという青年が漏らした情報が重要視されたためだ。
(あいつはシアのことを“我が君”って呼んでたって話だし……やっぱりフラムは、シアが送り込んできた使い魔ってことなのか?)
シア・ノルリッツ。《擬竜兵計画》に関わった研究者であり、そしてレドナでレクレウス軍の指揮所を壊滅させて逃亡したと見られている女だ。アルヴィーたち《擬竜兵》との関わりもそれなりに深く、おそらく研究者たちの中でも、《擬竜兵》については最も詳しいであろう人物の一人である。しかし後ろで糸を引くと思しき彼女の存在は知れれど、彼女の目的は相変わらず分からないため、当初の予定通り引き続き泳がせることにしたのだろう。アルヴィーに使い魔を付けてまでその状態を知りたがるということは、どんな形にせよ彼女がまだアルヴィーに興味、ないしは執着を持っているということだ。上層部はそこに期待しているらしい。
(その辺りは話半分に思っといた方が良いんじゃないかと思うけど……でも、ついに騎士かあ)
ルシエルの隣に立つための、これは大事な一歩なのだ。アルヴィーはどこか晴れやかな気分で、膝の上で丸くなるフラムを撫でてやった。
「――《魔の大森林》で、魔物の動きが活発化してるらしいぞ……」
「そういえばそろそろ、大暴走の時期か……」
と、ドアの向こうから足音と共に話し声が聞こえて、アルヴィーは耳を澄ませる。こういう時、《擬竜兵》の聴力は便利だ。
(大暴走……って確か、《魔の大森林》ってとこで魔物が増え過ぎて、外に出て来ることだっけ)
ついこの間講義で習ったことだったので、すぐに思い当たることができた。そしてついでに、防御施設らしきものは水際に築かれたラース砦しかないことも思い出す。
(つーか、それってマズくね!? その砦抜かれたら、後ろの領地に魔物が雪崩れ込むぞ!?)
魔物に蹂躙された故郷の村が脳裏を掠め、顔から血の気が引くのが自分でも分かった。フラムの身に置いた手に力が入り、フラムが「きゅっ!」と短く鳴く。
「ああ、悪い……」
「きゅ?」
窺うように小首を傾げるフラムを撫でながらも、アルヴィーは湧き起こる胸騒ぎを抑えることができなかった。
◇◇◇◇◇
王都ソーマから遠く北西、今は《虚無領域》と呼ばれる旧クレメンタイン帝国領を横切る大河・リューラン川中流域の畔に、その街はある。
“廃都”クレメティーラ。
かつてはクレメンタイン帝国の帝都として栄え、高度な魔法技術が集約した、大陸で最も進んだ技術と文明を持つといわれたその都は、だが百年前の戦争により謎の壊滅を遂げ、一面の廃墟と化した。在りし日の栄華はそこに集められた数々の魔法技術や膨大な知識と共に消え去り、今はただ建造物の残骸が随所に残るだけの、荒涼とした場所だ。加えて一帯には強力な魔物たちがはびこり、とても徒人が立ち入れるような場所ではなくなっている。そのためか、大陸の各国に存在する旧クレメンタイン帝国時代の研究者たちも、現地調査には二の足を踏む状況だった。せいぜいが、魔物の素材や帝国の遺物目当ての命知らずな傭兵、あるいは冒険者と名乗る輩が時折訪れるくらいのものだ。
そんな廃都の中、高台にそびえ唯一それなりの形を留める建造物――それが、旧クレメンタイン帝国の中心であり、代々の皇帝が座した宮殿《薔薇宮》である。すべてを白亜の石材で形作られたこの宮殿は、日中の日射しの中では輝くばかりに白く、そして朝夕の太陽の光を浴びれば淡い紅色に染まり、それぞれが白と薄紅の薔薇の色を髣髴とさせることからそう呼ばれた。戦争の影響か、それとも年月による風化か、やはり各所が崩落し、廃墟と化した場所もあるものの、それがかえって一種退廃的な美しさをこの宮殿に与えている。
そんな《薔薇宮》の外縁部に近い一画、石造りの小さな尖塔の前に、レティーシャは立っていた。その白い繊手が扉に触れると、扉は軋みながら開いていく。中は薄暗く、所々に小さく作られた窓からの光だけが光源だ。その弱い明かりに浮かび上がるのは、壁際に並ぶ書架と乱雑に積み上げられた書籍、棚に無造作に置かれた鉱石や、何かの動物――時には人のものも混じった頭蓋骨。一応暖炉の前に肘掛け椅子と小さなテーブルも置かれているが、どこか冷ややかな、生活感の感じられない部屋だ。そして出入口とは反対側にぽっかりと空いた穴。レティーシャはためらわず、その穴に歩み寄った。穴はよく見ると階段の下り口であり、石段が螺旋を描きながらずっと下まで伸びている。
その石段を下りきったところには、これも石造りの空間が広がっていた。床一面に刻まれた魔法陣、壁には等間隔に魔法の照明が据え付けられ、青白い光を灯して周囲を照らし出している。床や壁際には裸やトーガを纏った状態の人骨が転がっていたが、その中に唯一、動く影。
「――今日は何をするつもりですの? ラドヴァン」
レティーシャの声に、その影は振り返った。
くすんだ金髪を無造作に伸ばし、緑灰色の瞳は茫洋と宙をさまよっているように見える。まだ二十代半ばの青年だが、白い肌と目元の隈のせいか、どうにも不健康な印象だ。背は高いが体格は痩身で、羽織っている濃灰色のローブが少々余っていた。その周囲にはぼんやりと光る玉のようなものが飛び回り、彼のただでさえ血色の悪い顔色をさらに青白く見せている。
「……ああ、皇女様か。外のアンデッド系の魔物がいくらか耐用限界を超えたようで、作り直している」
彼が指し示したのは、まだ血が滴るほどに新しい、大型の魔物たちの骸だ。いずれも人間たちの間では強力な魔物とされている種だが、ここにある骸はどれも、一撃で倒されたと思しき傷の少ないものばかりだった。
と、階段の方から足音が聞こえてきた。
「――これは、我が君」
姿を現したのはダンテだ。彼はごそごそと黒い小箱を取り出すと、それをひょいと放る。
「これくらい狩って来ておけば、しばらくは充分だろう」
ぱしりとそれを受け取ったラドヴァンは、箱の蓋を開けて翳した。
「……《解放》」
途端にその場に堆く積み上がる、魔物たちの骸。なるほど倒したのはダンテだったらしい。確かに彼の技量ならば、その辺の魔物程度、一撃で充分過ぎる。
「……確かに。協力、感謝する」
あまり感謝の感じられない素っ気ない口調でそう言うと、ラドヴァンは足下に置いてあった杖を取り上げる。黒水晶に動物の頭骨を模した飾りが施された、見るからに禍々しい代物だ。彼はそれを無造作に、床の魔法陣に突き立てた。
「蘇れ。《操屍再生》」
詠唱と共に杖の黒水晶が蒼黒の光を放ち始める。それに呼応するように、足元の魔法陣も同じ蒼黒の光を帯び始め、そこから稲妻のように伸びた細い光が、ラドヴァンの周囲を飛び回っていた光球を絡め取るように捕らえた。光球は見る間に蒼黒く染まり、ラドヴァンが杖を振るうとそれに従うように、次々と魔物の骸へと飛び込んでいく。すると魔法陣から蒼黒い光が触手のように伸び、魔物の骸を縛るように巻き付くと、その身に溶けるように消えていった。
と――確かに絶命していたはずの魔物たちが、ゆっくりと起き上がる。ぎしぎしとぎこちない動きながら、魔物たちはその四肢で立ち上がると、白濁した双眸でラドヴァンを見やった。その身には未だ血を滴らせる無残な傷口が残り、何ともいえないおぞましさを見る者に感じさせる。
だがラドヴァンはそんな魔物の群れを見ても眉一つ動かさず、平坦な声で命じた。
「……その身が朽ちるまでこの地を守り、宮殿の周囲に立ち入る者はすべて殺せ」
すると魔物たちは、地の底から響くような咆哮を放つ。生命活動を停止し、呼吸も止まっているため本来声などほとんど出ないはずだが、決して狭くはないこの空間の空気を揺るがす咆哮を、その場にいた全員が確かに聞いた。
ラドヴァンが杖を振るうと、魔物たちはそれに従うようにぞろぞろと移動を始める。地下室の一隅には、三メイル四方ほどの大きさで壁が切り取られた部分があり、金属製の両開きの扉が付いていた。扉を押し開けると、その向こうは通路となっている。通路は宮殿の外に通じており、魔物たちはそこを通って外に出て行くのだ。扉は片方にしか開かない仕組みで、一度通ってしまえば向こう側からは開かない。同じものが通路の出口にも付いているため、通路を逆行してこの地下室に入り込まれることはまずないだろう。
「ラドヴァン。あれはどのくらい保ちますの?」
「上手く骨になれば数十年は保つが、大抵はその前に腐って自壊してしまう。そうなればせいぜい一年というところか。まあ、壊れたところで作り直すために少々暇潰しができるだけのことだ」
レティーシャの質問に素っ気なく返し、彼は杖を手にふらりと歩き出す。ダンテが一歩退いた横を通り抜け、石段を上がって行くと、上の居室で杖をその辺に立て掛け、暖炉の前の肘掛け椅子に腰を下ろすとテーブルの上のランプを灯した。その後を、ダンテにエスコートされたレティーシャも上がって来る。
「……こんな暗い部屋にいつも篭もっているから、顔色も悪いんだろうに」
ダンテが呆れたように呟く。実際彼は、ラドヴァンの姿を宮殿内でほとんど見掛けたことがない。
「ふふ、仕方ありませんわ、ダンテ。――彼は死霊術士。日の光は性に合わないのですわ、きっと」
レティーシャがそう言うと、ラドヴァンはちらりと彼女に目をやり、適当にその辺の本を手に取って開く。この室内にある本はどれも、死霊術に関わるものや人間・動物の身体構造を記したもの、あるいはそれを基に彼自身が纏めた書籍だ。
ラドヴァン・ファーハルドは、レティーシャに仕える死霊術士だった。その名の通り、死者の魂を従え、場合によっては骸に依り憑かせて操ることもできる。先刻の魔物たちなど、まさにその力の産物だ。彼は自らの研鑚と余暇の消費を兼ね、《薔薇宮》外に死霊術で作り上げたアンデッドの魔物を放っていた。もっとも、百年も前に滅んだとされるこんな場所に、侵入者など滅多に来ない。それでも時折、前述したような傭兵や冒険者などが近寄るため、そういった輩が彼の作品たるアンデッドたちの餌食となる。まったくといって良いほど外に出ないラドヴァンだが、ごくたまに外に出てそういった犠牲者の骸を回収し、死霊術で仮初の命を与えて小間使い代わりにすることもあった。それが、地下室で転がっていた人骨だ。
「……それで、皇女様。俺に何か用でもできたのか。そうでなければ、こんな陰気なところには来ないだろう」
仕えているとは思えない言い草だが、彼は当初からこんな感じだったので、レティーシャも今更口調にはこだわらない。ダンテは面白くなさそうな顔をしているが、彼にしてももはや諦めの境地だ。一応、自分の居室を陰気と言い切れる辺り、まだ常識的な感覚は持っているのだと思いたいところである。
「ええ、ラドヴァン。実は、あなたに一つ仕事を持って来ましたの」
レティーシャはそう言って、小さなガラスの小瓶を三つ取り出す。高さが五セトメルもないような、本当に小さく細いその小瓶には赤黒い液体が半分ほど入っており、きっちりと栓がされ首にはタグが括り付けられていた。本を置いて小瓶を受け取り、ラドヴァンは軽く揺らしてみる。
「……血か」
「ええ。――その血の主の魂を呼び出していただきたいのです。それだけあれば、手掛かりとしては充分でしょう」
「探し当てることはできなくはないが……向こうが応えるかどうかは別問題だ。狂って自分のことさえ認識できんような魂は、俺でもどうにもならんぞ」
「構いませんわ。どの道、そのような魂ではわたくしとしても使いようがありませんもの。使い物になるものだけで結構ですわ」
「……分かった。探してみよう」
ラドヴァンは小瓶の栓を開けてテーブルに置くと立ち上がり、杖を手に取った。低く詠唱すると、杖の黒水晶が蒼黒く光り始める。それを小瓶の上に翳すと、黒水晶から触手のように伸びた光が小瓶のそれぞれに巻き付き、やがて小瓶の上に寄り集まってそれぞれほの白い光の玉となった。一つは小さく震え、一つは明滅し、そしてもう一つは光を強めて、次第にかすかな唸りのようなものも聞こえてくる。目を閉じてそれに聞き入り、やがてラドヴァンは目を開いた。
「……二つは駄目だな。一方はそれこそ狂いきって自我すら崩壊しているし、もう一方は自分が死んだことすら理解していない。呼んでも聞く耳持たんという感じだな。――だが、一つだけ脈がありそうだ。だがそれも、この世に留まり続けるには少々弱い。何か執着するものがあればともかく」
「それはどの血の主ですの?」
「その、真ん中の瓶の血だ」
レティーシャは覗き込み、小瓶の首のタグを読む。そして笑みを浮かべた。
「ああ……そういうことですの。それなら、ちょうど良い相手がいますわね。――わたくしが語りかけても?」
「構わんが、何か心当たりがあるのか」
「ええ」
レティーシャは頷き、真ん中の小瓶の上に浮かぶ、三つの中では一番光の強い光球に語りかけ始める。
「もう一度わたくしのもとにお戻りなさい。――そうすれば、アルヴィー・ロイに会わせて差し上げますわ」
すると。
『――あ、る……』
細い、だが唸り声などではないはっきりした声が、確かに聞こえた。
それは、まだ年若いと思しき女の声だった。
「ええ、アルヴィー・ロイですわ。もう一度、彼に会いたいでしょう?」
その問いかけに、光はさらに強まった。
『ア、ル、ヴィー……会い、たい。会えるの……?』
「あなたがわたくしのもとに戻るなら、いずれは」
レティーシャが頷く。光の強さを見ていたラドヴァンも頷いた。
「……ふむ。これだけ強まれば、何か依り憑くものさえあれば、充分この世に存在できるだろう」
「それは問題ありませんわ。これから“彼女”の身体を作りますもの。それまで“彼女”が消えてしまわないようにしていただければ結構ですわ」
「それなら、一時的に下の骨のどれかにでも依り憑かせておけば良い」
ラドヴァンがそう言うと、
『イヤ!!』
何と、“本人”が断固として拒絶した。
『骨だなんて絶対嫌よ! せめてもっと可愛いものにして!』
「……ずいぶん我の強い魂だ」
「そりゃ、女の子が一時的とはいえ骨に憑依だなんて嫌だろう……」
さすがにダンテが突っ込みを入れる。
「面倒だな……これでいいだろう」
ラドヴァンがため息と共に近くの棚から小さな水晶柱を取り上げ、小瓶の前に置くと、杖を翳して別の詠唱を始める。他の二つの光球は解けるように空中に掻き消えたが、白く輝く光球はそのままだ。と、杖から伸びた蒼黒の光が光球と水晶柱を囲むように巻き付き、白の光球が引っ張られるように水晶柱に吸い込まれた。
『……ちょっとー!? これただの石じゃない!』
「うるさい。それも一応宝玉だ。女は光り物が好きだろう。消えんだけ有難く思え」
『何その暴論!? ふざけないでよ、この朴念仁!』
もちろんラドヴァンは抗議など聞く耳持たずに、水晶柱を元あった棚に戻した。水晶柱の中では白い光がちらちらと明滅していたが、やがて諦めたようにその光も小さくなる。
「……とりあえずはこれでいいだろう」
「ええ、ご苦労様です、ラドヴァン。“彼女”の身体ができましたら、また魂の移し替えをお願いしますわ」
「……覚えておこう」
ラドヴァンは頷き、杖を置いて椅子に腰を下ろす。レティーシャは再び小瓶に栓をして二つは仕舞い、残る一つは手にしたままダンテを促した。
「行きましょう、ダンテ。ここからはわたくしの仕事ですわ」
「はい、我が君」
ダンテに恭しくエスコートされ、レティーシャはラドヴァンの居室であり研究室でもある尖塔を後にする。宮殿への道を歩きながら、ダンテが尋ねた。
「我が君、あの魂は誰のものなのですか?」
「“彼女”はわたくしの娘のようなものですわ。――レドナでは不幸なことになりましたけれど、“彼女”だけでも呼び戻せたのは僥倖です。やはりわたくしたちだけでは、戦力が足りませんもの。これから領土を回復し、世界と渡り合える力を手に入れるためには、やはり必要ですわ。《擬竜兵》の力が」
レティーシャは手にした小瓶を見下ろす。小瓶の首に付けられたタグには、走り書きの名前が一つ。
そこには《メリエ・グラン》の名が記されていた。
◇◇◇◇◇
特別教育最終日。最後の講義を終え、教壇に立つダニエラが口を開いた。
「諸君、長らくご苦労だった。今日でこの特別教育も終了だ。諸君らはこれより、叙任を受け正式に騎士となる。所属小隊等は叙任後の通知となるが、どの小隊に配属になろうとも、諸君らがこのファルレアン王国の剣にして盾、誇りある騎士団の一員であることには変わりない。努々それを忘れず、騎士として恥じることのない道を歩むように。では、解散」
そう言って、ダニエラは颯爽と講義室を出て行く。残ったニーナが手にした書面を受講生三人に配った。
「特別教育の修了証よ。ヒューゴ・エルガー及びルーファス・ディロンの両名は、騎士団本部にこれを提出して。騎士叙任の手続きを取るわ。近日中に叙任式を行うことになると思うから、そのつもりで。アルヴィー・ロイ、あなたは……」
「あ、聞いてる。ええと、カルヴァート大隊長に叙任して貰うことになるって」
「あなたは従騎士ですものね。――アルヴィー・ロイ以外の二名は、これまでの経歴も鑑みて、叙任後は四級騎士の扱いになるわ。所属小隊はイズデイル三級騎士も仰ったように現段階では不明だけど、中央騎士団の所属になるのは間違いないから、そのつもりでいてちょうだい。第三大隊なら心配はないけど、第一か第二大隊だと、ラース砦に行く可能性もあるから」
「ラース砦……ってぇと、《魔の大森林》の?」
ヒューゴが身を乗り出した。
「ってことは、そろそろ大暴走が始まるってことか」
「ええ、ラース砦の方からその可能性が高いと報告が来てるそうよ」
「大暴走か……」
アルヴィーはこの間漏れ聞いた話を思い出す。
(……多分、俺も行くことになるんだろうな。そのラース砦ってとこに)
アルヴィーの戦闘スタイルは多数を相手取るのに向いている。《竜の咆哮》で一薙ぎすれば、魔物の群れも容易く消し飛ばせるだろう。ジェラルドがやけにアルヴィーの叙任を急いでいるように思えたのも、そのためかもしれない。もちろん、ラース砦に派遣されるとしても、アルヴィーに異存はなかった。
(俺の力が役に立つんなら、それでいい。――俺の村みたいなことは、もう二度と起こさせない)
魔物に踏み躙られ、地図から消えた故郷の村。あの時の村人たちの泣き叫ぶ声、魔物に喰い千切られて血塗れになった無残な遺体、そして目の前で母を失った絶望と無力感……それは忘れようにも忘れられない、アルヴィーの中に深く刻まれた傷痕だ。だから、それを繰り返さないために、同じ思いをもう誰にもさせないために、《擬竜兵》の力が必要ならばためらいなく揮うつもりだった。
「ふむ……どうせなら、俺もそのラース砦とやらに行きたいものだな」
修了証を仕舞いながら、ルーファスが物騒なことを呟いた。ヒューゴがげんなりとぼやく。
「……そういやおまえ、最初から《魔の大森林》に行きたがってたよなぁ……」
「俺の剣がどこまで通用するのか、興味がある。以前から《魔の大森林》には行きたかったが、ファルレアンの王家直轄領と聞いていたから難しいと思っていてな。だが運良く貴族の推挙を受けられて騎士団に入れることになったから、もしかしたらと期待はしていた。その上大暴走とは……さぞかし斬り甲斐があるだろうな、《魔の大森林》の魔物は」
ルーファスの声には抑えきれない愉悦が滲んでいた。表情も心なしか明るい。ただし言っていることは(特に後半)、ただの危険人物だ。
「……まあ、腕に自信があるのなら歓迎されるだろうけど。――では、解散後は修了証の提出を忘れないように。あなたたちが誇り高い真の騎士となることを祈っているわ」
後の予定があるのか、それともこれ以上ルーファスと関わりたくなかったのか――多分前者だとは思うが後者の可能性も捨てきれない――ニーナはそう切り上げて、教本を抱え講義室を出て行く。
「じゃ、俺も行くよ。特別教育終わったらその足で着替えて執務室来いって言われてんだ。その場で叙任するって」
アルヴィーも修了証を仕舞い、鞄を背負う。そういえばこの修了証はどうすればいいのかとちらりと思ったが、まあジェラルドに訊けばいいだろうと片付けた。どの道、自分を騎士に叙任するのは彼なのだから、彼にも見せなければならないだろうし。
「おう、おまえは一足先に騎士様か。まあ頑張れや」
ヒューゴがひらひらと手を振って見送ってくれた。ルーファスはといえば、
「ああ。いずれ手合わせでもしよう」
「嫌だよ!!――じゃあな、二人とも」
どこまでも通常運転な彼の申し出はしっかり拒否して、アルヴィーは軽く手を振って講義室を出た。早く部屋に戻りたいがため、その足どりは早い。ぱたぱたと小走りに廊下を進むと、先に出たニーナに追い付いてしまった。
「あら……ずいぶん急いでるのね」
「ああ、特別教育終わったらその足で着替えて執務室来いってさ。じゃ」
思えば、あの呪詛絡みの一件以来、彼女も大分角が取れて、アルヴィーとも普通に接してくれるようになっていた。そういう意味ではあの一件も、悪いことばかりではなかった気がする。もちろんリーネの死、そしてそれがおそらく政治的な思惑とやらで半ば揉み消されてしまったことは、忘れようにも忘れられないが。
「……あ、あの!」
そのまま彼女を追い抜いて行こうとすると、なぜか呼び止められた。
「何?」
「あ、ええと、その……あ、あなたは叙任の後、どこかの小隊に所属になるの?」
「いや、俺は何ていうか、必要に応じてあちこち渡り歩くみたいな形になるらしいけど。一応、魔法騎士団の方に所属になるのは決まってるみたいだけどな」
「そ、そう……そうよね、あなたある意味魔法士でもあるものね……わたしは魔法なんかほとんど使えないし、異動は無理よね……」
「ん? 何か言った?」
後半は何やらごにょごにょと呟くように言われたので、アルヴィーの聴力でも聞き取れなかった。何か重要なことかと思って尋ねてみたが、ニーナは慌てたようにかぶりを振る。
「う、ううん、何でもないわ!――そ、その、怪我には気を付けなさい。わたしが言うのも何だけど、いくら回復が早いっていっても、怪我をしないに越したことはないんだから!」
何しろアルヴィーを剣で串刺しにしたのが彼女自身なので、そういう意味では確かに言い難くはあるだろう。だが心配してくれているのだろうことは察せられたので、アルヴィーは微笑む。
「ああ、ありがとな」
「っ、分かればいいわ。じゃあ……い、いずれ一緒に……仕事ができるといいわね」
「そうだな、じゃ」
そのまま彼女を追い抜き、小走りに駆けて行くアルヴィーは、だから気付かなかった。
「……あああ、もう……! 仕事じゃないでしょ、何言ってるのわたし……!!」
自分の背後でニーナが教本に顔を埋め、小声でそう自分に突っ込んでいたこと、そしてその顔にほのかに朱が差していたことなど。
◇◇◇◇◇
本部の宿舎に戻ると、アルヴィーは着慣れた従騎士の略装を脱ぎ、この間渡された制服を広げた。詰襟とスラックスの上下、シャツも揃っている。それに袖を通そうとして、アルヴィーはふと気付いた。
(あ……肩んとこ、これ、開くようになってんだな)
布地を重ねて仕立ててあるせいで、ぱっと見には気付き難いが、右肩の肩から背中の部分に掛けてが開くようになっている。シャツと上着、両方同じように仕立ててあった。右腕を戦闘形態にした時に、魔力集積器官の形成の邪魔にならないようにという配慮だろう。確かにこれなら、毎回服を破る羽目に陥らずに済む。
真新しい制服を身に着け、剣帯も着けて短剣を下げる。そういえばこれも今日で返還かと思い当たった。騎士になれば、従騎士の証であるこの短剣も、ジェラルドに返さなくてはならない。
「きゅっ」
「あ、こら」
新しい制服に早速よじ登ってくるフラムを、捕まえようと手を伸ばしたところで、ふと思い付いた。下ろそうとしたフラムをいつものように肩に乗せ、特別教育の修了証を手に部屋を後にする。
ジェラルドの執務室に顔を出すと、セリオが迎えてくれた。
「やあ。いよいよだね」
「ああ、来たか」
執務机で書類にペンを走らせていたジェラルドが、書類仕事で凝り固まった肩や腕を解しながら立ち上がる。そんな彼に、アルヴィーは修了証を渡した。
「これ、今日貰ったんだ……ですけど。どうしたらいいのかな。他の二人は本部に提出って言われてたけど……」
「そうだな、まあ確認するまでもないが、一応見ておくか。パトリシア、後で処理してくれ」
「はい」
パトリシアに修了証を渡すと、ジェラルドはひょいとアルヴィーの肩のフラムを摘み上げた。
「にしても、この毛玉まで連れて来ることはなかっただろうに」
「ああ……フラムはシアが送り込んできた使い魔らしいっていうからさ。だったら、見てるかなって」
「見てる?」
「俺の様子を見てるならさ。ファルレアンの騎士になるとこ、ちゃんと見せとこうと思って」
アルヴィーの答えに、ジェラルドもニヤリとどこか悪い笑みを浮かべる。
「なるほど、そりゃいいな。名実共にファルレアンの人間になるところを、きっちり見といて貰おうじゃないか。――セリオ、しばらくこれ持っとけ」
「はい。ほら、こっちおいで」
フラムをセリオに預け、ジェラルドはアルヴィーに向き直った。
「さて、と。――それじゃ始めるぞ。パトリシア、窓を」
「はい」
パトリシアが窓を開ける。何となく既視感を感じて、アルヴィーはジェラルドを見た。
「なあ、まさか――」
その瞬間、風が吹き込む。ジェラルドがアルヴィーの隣に立ち、跪いた。パトリシアとセリオもその場でそれに倣う。やっぱりかと思いながら、アルヴィーも床に片膝をついて顔を伏せた。
すると、前方に生まれる気配。
「――わざわざお出ましいただきまして恐縮です、女王陛下」
ジェラルドの挨拶に、この場にいないはずの少女の声が返った。
『構わないわ、来ると言ったのはわたしだもの。――面を上げ、直答を許します』
その言葉に顔を上げると、眼前に女王アレクサンドラの姿があった。例によって城から意識だけを飛ばしてきたのだろう、虚像での降臨だが、その荘厳なまでの佇まいはやはり一国の王といったところだ。
『まずはアルヴィー・ロイ。過日の一件、大儀でした』
「は、はい。その、恐縮です」
まさかの名指しに、アルヴィーは思わず頭を下げる。とっさにジェラルドの真似をしたが、どつかれなかったところを見ると何とか及第点というところらしい。
『カルヴァート一級魔法騎士を筆頭に、魔法騎士たちもよく働いてくれました』
「勿体無いお言葉です」
ジェラルドたちも頭を垂れ、女王の賛辞を受け取る。そして、ジェラルドが口を開いた。
「それでは、これよりアルヴィー・ロイを正式に騎士と致したく、叙任の儀を執り行いますので、女王陛下には何卒お立ち会いの程、お願い申し上げます」
『いいでしょう』
アレクサンドラが頷き、騎士たちは準備を始める。ジェラルドは立ち上がり、アルヴィーの正面に移動した。セリオはフラムを抱えたまま退き、パトリシアは小さな盤に載せた魔法騎士団の徽章を持って、ジェラルドの傍らに控えた。アレクサンドラは数歩分ほど離れて、その様子を見守る。
「――まずは、短剣の返還を」
パトリシアの凛とした声が、張り詰めた空気を裂いた。アルヴィーは跪いたまま短剣を外し、かつてそれを受け取った時のように両手で捧げ持つ。ジェラルドの手が短剣を取ると、後ろの執務机に置いた。
「頭を下げろ」
言われて素直に頭を下げると、すらり、とかすかな音。アルヴィーには見えなかったが、ジェラルドが愛剣《オプシディア》を抜き放った音だ。しかし戦闘時のように魔剣として使うのではない。
「我らが母なる王国のため、今この時をもって、我は汝を騎士として任じ、我らが同胞として迎え入れる」
アルヴィーの右肩を、剣の平たい部分が軽く叩く。
「その身が王国の剣にして盾であることを心に刻み、騎士として在るべき道を歩み続けよ」
続いて、左肩。そして剣が引かれ、鞘走りの音と共に再び納められる。
「……顔を上げろ。今日からおまえはれっきとしたファルレアンの騎士――《擬竜騎士》だ」
「え……」
思わず顔を跳ね上げたアルヴィーの前に、パトリシアが徽章を手に屈み込む。彼女は手ずから、その徽章をアルヴィーの襟元に付けてくれた。魔法騎士団の徽章は、光を受けて銀の輝きを放つ。
『我が国初の《擬竜騎士》の誕生、このアレクサンドラ・エマイユ・ヴァン・ファルレアンが確かに見届けました。あなたがその力に溺れず、我が国の守り手となることを心より望みます』
「っ、はい!」
アルヴィーが答えると、アレクサンドラはかすかに微笑んでその姿を霧散させる。後には風だけが残ったが、それもすぐに散っていった。
「よし、これでおまえも正式な騎士になったわけだ。じゃあ早速、任務を言い渡す」
ジェラルドは短剣を自分の魔法式収納庫に仕舞い、代わりに一枚の紙を取り出した。それなりに使い込んでいると見えるそれは、ファルレアン王国の地図だ。彼は執務机にそれを広げると、その一点、地図の中でも一際目立つ大森林地帯を指で叩く。立ち上がったアルヴィーもそれを覗き込んだ。
「《魔の大森林》……やっぱり俺も、魔物の討伐に出る、んですか」
「まあ、それもあるが……おまえにはもう一つ、別の任務を任せるつもりだ」
「別の任務?」
「おまえ、ギズレ元辺境伯を覚えてるか」
紡がれた名前に、アルヴィーはわずかに表情を硬くする。それは、アルヴィーの故郷が地図から消える原因を作った人間の一人だった。
「……そいつが、何か」
「そのギズレ元辺境伯の自供で分かったんだが、元辺境伯がレドナの一件で魔物を召喚するのに使った術具の一部が、まだ《魔の大森林》の中に残ってる。そいつはクレメンタイン帝国時代の貴重な魔法遺産だ。可能なら是非とも手に入れたいってのが、国と騎士団の上層部の意向でな。場所が場所だけに、余所に掠め取られる心配はそうそうないだろうが、どこかから話が漏れてる可能性も捨てきれんし、早いところ回収するに越したことはない」
「それを、俺が回収しに行くってこと?」
「そうだ」
なるほど、それで自分の叙任を急いだのかと、アルヴィーは何となく納得した。確かに自分なら、よほどの化け物級の魔物でなければ単騎で対応できる。それにアルヴィーは元猟師だ。森の中での探索もお手の物である。
だが、まったく問題がないわけでもなかった。
「……で、それ、森の中のどこらへん?」
「分からん。だがそれなりに奥の方ではあるだろうな。あまり浅いと、さすがにそれほど強い魔物は捕まらん。あの時出て来たベヒモスやらサイクロプスやらとなると、森の中でも中心に近い部分だろう。あの森の魔物の分布は、大体森の深さに比例してるそうだからな」
やっぱり、とアルヴィーはがくりと項垂れる。
「肝心の場所が手探りかよ……」
「そればっかりはしょうがない。元辺境伯も大まかな指示しかせずに、細かい場所は現場の裁量に任せたらしいし、実際に設置した人間も完了の連絡だけ寄越して、本人は帰って来なかったそうだ。逃げたのか死んだのかは分からんがな。――まあ、おまえなら大抵の魔物は問題にならんだろうし、外の魔物は適当に《竜の咆哮》辺りで消し飛ばして、早めに森の探索に移れ」
「無茶振りもいいとこじゃねーか……!」
全力で突っ込むアルヴィーだったが、確かにこれは他の騎士には振れない案件だ。
「ま、しょうがないか……ところで、これ俺一人で行くの?」
「いや、さすがに単独では行かせられんからな。小隊を一つ付ける。それなりの練度の隊を付けるから、足手纏いにはならんだろう。《魔の大森林》については、王城内の図書室にいくつか資料があったはずだから、不安なら予習でもしとけ」
「……了解しました」
何はともあれ初任務だ。色々突っ込みたいところはあれど、任務を受領する。
「向こうに着いたら、砦の責任者にこれを見せろ。便宜を図ってくれるはずだ。間違っても置き忘れて行くなよ」
ジェラルドから渡されたのは、アルヴィーに《魔の大森林》の探索を命じる命令書だ。受け取って懐に仕舞い、そしてアルヴィーはふと思い出したことがあった。
「……そういえば、俺もう従騎士じゃないけど、宿舎どうなんの?」
「ああ、新しい部屋を用意させるから、そっちへ移れ。基本的に騎士になれば住居は自由だが、おまえは立場が立場だからな。本部内に留まるのが望ましいってのが、上層部の意向だ。まあ、今よりは部屋も広くなるぞ」
「ふーん。ま、いいけどさ。メシとか楽だし」
肩を竦め、アルヴィーはそれを了承した。正直、街で一人暮らしというのも少々惹かれるものがあったが、元々住環境には大してこだわりがないので、家事の諸々が丸投げできるという利便性の魅力の方が上回ったのだ。
フラムを連れて執務室を退出すると、宿舎の部屋に戻って、部屋を移るため荷物を纏め始める。そう多くもない荷物はすぐに纏まった。もっとも、早々にラース砦に向けて発たなければならないので、新しい部屋で荷を解く暇があるかは疑問だ。
(やっと騎士になれた……けど、まだまだこれからだ)
今はまだ、ルシエルが通った道を追いかけているに過ぎないのだ。彼に並び立って守るには、まだ経験も力も足りない。
(だから、こういう任務もきっちりこなして、少しでも足下固めないとな)
この国での自らの足場を確立し、道を切り拓いていくために。
アルヴィーは改めてそう心に決めると、とりあえず《魔の大森林》について調べるため、王城の図書室とやらに向かうことにした。
……生まれて初めて足を踏み入れた王城の図書室で、そのあまりの広さと本の多さに圧倒された挙句、書架の間で現在位置を見失って危うく遭難しかけ、偶然通り掛かった司書に“救出”されたのは、親友にも言えない彼の黒歴史である。
夕方更新復活ー!
一週休んだおかげで些少ながらストックもできましたので、またぼちぼちと更新したいと思います。これからも拙作をよろしくお願い致します。




