第1話 《擬竜兵(ドラグーン)》
続けて投稿します(少なくともここまで投稿しないとあらすじに追いつかないので……)。
1/18追記:ルシエルの小隊番号を変更しました。
3/8追記:徴兵→兵員募集に修正しました。
懐かしい、悲しい夢を見た。
(……久しぶりだなー)
アルヴィー・ロイは、眦に残る夢の名残を拭いながら、ベッドから起き上がる。跳ねる黒髪を申し訳程度に撫で付け、もうすっかり眠気の飛んだ赤みがかった琥珀色の双眸で、自身が起居する部屋を眺めた。
小さな部屋だ。しかも四人の共同部屋である。プライベートなスペースがあるとすれば、せいぜいこの狭く硬いマットの二段ベッドの中くらいだろう。だがそれも、仕方のないことだった。
ここは生まれ育ったあの小さな村ではなく、軍の訓練生が寝起きする練兵学校の宿舎なのだから。
アルヴィーはつい三ヶ月ほど前に、所属国であるレクレウス王国の軍の兵員募集に応じ、村を出て王都レクレガンに移った。さすがに王都というだけあって村とは比べるのも馬鹿らしくなるような大都会だったが、それを味わう間などなく、アルヴィーを含む訓練生たちは厳しい訓練を課されることとなった。だがアルヴィーにとっては、何も考える余裕すらなくなるようなそれは、むしろ歓迎すべきものだった。
アルヴィーが生まれ育ったあの小さな村は、もうない。
今や敵国となって久しい隣国から流れて来た魔物の集団に蹂躙され、人も建物もほとんどが踏み躙られて、この世から消えてしまった。
――その中には、アルヴィーの母も含まれていた。
母を失った上、村も人が住めるような状態ではなくなり、アルヴィーは悲しみすら通り越して呆然としていた。そんな時、王国軍の兵員募集部隊が村を――否、村だった場所を訪れたのだ。
レクレウス王国と隣国のファルレアン王国は、五年ほど前に開戦し、曲がりなりにも戦前には行き来があったとは思えないような激しい戦いを繰り広げていた。しかし時が経つにつれ、両国の国力の差が表れ始め、今ではレクレウス王国側が間違いなく押されている。それゆえ、少しでも兵を確保するため、軍は兵員募集部隊を各地に派遣し、応じた者を片っ端から王都に送っていた。
アルヴィーは、村を滅ぼした魔物とそれが起こった原因について調べるため、そして何より自身を養うために、軍の募集に応じた。
そして、三ヶ月。アルヴィーたちは今日、晴れて訓練期間を終え、新兵として各部隊に配属されることとなる。
アルヴィーが過去を回想している間に、起床時間を知らせる鐘の音が響き、同室の僚友たちも起き上がり始める。急いで身支度を整え、部屋を出た。
――質素な朝食の後、訓練生たちは講堂に移動する。簡素な卒業式を行い、軍のお偉方の訓辞などを聞いた後、ここで辞令を受けるのだ。
(できりゃ後方がいいなあ……ま、なりたての新兵をいきなり前線にゃやらないだろ)
そんなことを考えながら、アルヴィーは壇上を見やる。
「……なあ、おまえはどこ志望だ?」
すぐ後ろに整列している同期生が小声で聞いてくる。アルヴィーは肩を竦めた。
「後方」
「何だよ、大雑把だな。どこの部隊希望とか、ねえの?」
「前線には行きたくないね」
「あー……まあなぁ。俺も死にたかないしさ」
同期生は頷いたが、アルヴィーが前線を厭う理由はそれだけではなかった。
(……ルシィは、どこにいんのかな)
九歳の時に、隣国の貴族に引き取られて行った家族同然の幼馴染。その貴族の名前を、アルヴィーは知らない。努力家で優しい性格だった彼は、あれから八年近く経った今、どうしているのだろうか。
(まさか俺みたいに軍人なんかにはなってないだろうし……そもそも貴族に引き取られたんだから、そんな危ないことしねーだろ。やっぱ、いい学校に行って勉強とかしてんのかな)
あの村では望むべくもなかったが、貴族の後ろ盾があれば充分な教育も受けられるだろう。学校で分厚い本を開いているルシエルを想像して、アルヴィーは少し微笑む。それはとても、あの幼馴染に似合っている姿に思えた。
そんな彼を、万が一にでも害する可能性のある前線勤務など、アルヴィーは真っ平だった。加えて、同期生の言う通り、この若さで死ぬのも御免である。
――絶対、会いに行くから。
あの時別れ際に、彼に誓ったのだ。
今はこの手を離しても、また必ず会いに行くのだと。
そう誓いを新たにした時、来賓の訓辞が終わり、最後の来賓が壇上を下りる。やっと終わるかと息をついた時、来賓と入れ替わるように、壇上に運び上げられるものがあることに気付いた。
(何だ、あれ……?)
訝しく思ったのはアルヴィーだけではなかったようで、かすかなざわめきが講堂を満たす。“それ”を運んでいる軍服姿の男たちはそのざわめきにも頓着することなく、黙々とその物体を壇上に安置すると、整然と壇上を下りて元通り講堂の壁際に控えた。
壇上に置かれたのは、両手で抱えるほどの大きさがある箱だった。と、軍の礼装に身を包んだいかにも高級士官といった雰囲気の士官が現れ、懐から掌に納まる程度の機材を取り出す。声を増幅するための魔動拡声器だ。この国に限らず、魔力で動く魔動機器は広く普及していた。もちろん、軍用のものが民間のそれより数段高性能なのは言うまでもない。
『――諸君、三ヶ月に及ぶ基礎訓練、まずはご苦労だった。これより諸君らは各部隊に配属となるが、まずはこれを見てくれたまえ』
士官はそう言って、箱の蓋をためらいなく取り去る。
「――――ッ!!」
その瞬間、アルヴィーは思わず耳を塞いで背を丸めた。
(……何だ、これはっ!?)
箱の中から現れたのは、巨大な玉石に見えた。人の頭ほども大きく、深く澄んだ暗紅色の、ややいびつな形をした玉石。
だがそれが姿を現したその瞬間、凄まじい咆哮とも轟音ともつかない音が、アルヴィーの耳を貫き、頭の中を掻き回さんばかりに響き渡ったのだ。うるさいなどというレベルを遥かに通り越し、腹の底から身体を震わせるような音の暴力。それが、アルヴィーの聴覚を散々に蹂躙した。
「……ッ、あ……!」
「おい!」
あまりの衝撃に平衡感覚すら狂い倒れ込みかけたところを、近くの同期生に間一髪腕を掴まれ、何とか片膝が崩れるだけで持ち堪える。
「おい、どうした? 具合でも悪いのか?」
「……え……」
同期生に尋ねられ、その時アルヴィーは初めて気付いた。あの凄まじいまでの音が、ぴたりと止んでいることに。
見回すと、どうやらあの音を聞いたのはアルヴィーの他にもいたようで、皆一様に耳を塞いだり、頭を振ったりしていた。壇上を見ると、あの玉石は元通り箱に納められ、壇上から運び出されようとしていた。
『今、耳を塞いだり調子を崩している者は、列を離れて講堂後方の出入口前に整列するように。担当の者が待っている。それ以外の者は辞令を受け取り、速やかに配属先に向かうように。以上だ』
士官はそう締め括って魔動機器を仕舞うと、壇上から下りて講堂を出て行く。アルヴィーは何となく気になってそれを見送ったが、担当者が呼び掛けを始めたので視線を外してそちらへと向かった。
講堂後方の出入口前に集まったのは、アルヴィーを含めて十数人。今期の訓練生が二百人ほどなので、全体の一割以下だ。
謎の指示に、集まったはいいが困惑顔の訓練生たちに、担当の士官は説明もなく付いて来るようにと促す。軍内において階級は絶対だ。ましてや今日ようやく訓練生を卒業しようという身では、質問したくともできようはずもなかった。
彼らは指示に従い、士官の後に続いて講堂を後にした。
――訓練生たちが連れて来られたのは、練兵学校に隣接して建てられた軍の研究所だった。主に魔法を応用した武器の開発が行われていると、訓練生たちは座学で習った覚えがある。
(何で俺たち、研究所なんかに連れて来られたんだ……?)
アルヴィーは訝しく思いながらも、初めて見る研究所内の様子に目を奪われる。さすがに、国内のトップクラスの魔法研究者が集まっているだけあって、ここでは高度な研究が行われているようだった。練兵学校の座学も四苦八苦しながらこなしていた彼には良く分からないが(別にアルヴィーが特別頭が悪いわけではなく、ろくに教育機関などない地方出身の若者は皆そんなものだ)、訓練で使った魔動機器の中にもここで考案されたものが少なくないことは聞いていたので、素直に感心する。
と、訓練生たちを案内して来た士官が、ある扉の前で立ち止まった。
士官が扉の横のパネルを操作すると、扉が両側に開いた。王都でもまだ珍しい、昇降機だ。思わずどよめく訓練生たちを、士官は無表情に促して昇降機に乗せた。
さすがに全員は乗り切れなかったので、数回に分けて全員が昇降機でさらに階下へと降りる。昇降機を出ると、無機質な廊下が遥か彼方まで伸び、ほぼ等間隔で扉が付いているのが見えた。
「――ここだ。入れ」
その扉の中の一つの前で、士官が足を止める。促され、訓練生たちはおっかなびっくり開かれた扉を潜った。
そこには、ずらりと寝台が並んでいた。壁際には様々な機材を載せたワゴンが、寝台と同じ数だけ置かれている。寝台に取り付けられた幅広のバンドが、アルヴィーに不安を感じさせた。
――まるで、あの寝台に載せられた者を拘束するのが前提のように思えて。
「……あの、ここは……」
おずおずと、訓練生の一人が窺うように呟く。士官は別段咎め立てもせず、訓練生たちを一瞥した。
「諸君らは、選ばれたのだ。あの《竜玉》にな」
「《竜玉》……?」
聞き覚えのない言葉を反芻するアルヴィーの呟きに、別の訓練生の歓声のような声が重なる。
「《竜玉》ってもしかして……二十年くらい前にこの国が倒したっていう、竜のものですか!?」
「その通りだ。我が国は二十二年前、国内の都市を襲った《上位竜》を、相応の犠牲を払いはしたが倒すことに成功した。諸君らも知っての通り、竜種の中でも《上位竜》は、魔力と魂の凝集体である《竜玉》を体内に持つ。そしてその主である竜と波長が合う者は、《竜玉》に宿った竜の聲を聞くことが叶うという」
「竜の、聲……」
あの凄まじい、身体の奥まで震わせるような“音”を、アルヴィーは思い出した。そういえば、あの時自分を支えてくれたすぐ近くの同期生は、あれがまったく聞こえていないようだった――。
「あの《竜玉》と波長が合った諸君らは、選ばれし者たちだ。ここで簡単な施術を受けた後は、少尉待遇で特別に編成された部隊に配属となる」
「少尉……!」
訓練生たちが再びざわめいた。通常、士官学校でもないただの兵学校を出た彼らは、訓練生の時点ですでに二等兵相当と見做され、卒業後は新兵として一等兵からのスタートとなる。それでも軍の中ではほぼ最下級の兵卒だ。それが下士官を飛び越して一気に士官として扱うというのだから、訓練生たちが驚くのも無理からぬことだった。
「さあ、諸君。そこの寝台に横になりたまえ。何、施術といっても、腕にほんの少し傷を入れる程度に過ぎん。すぐに終わる」
士官が懐から小型の伝声機を取り出して指示を出すと、扉が開いて白衣を身に着けた衛生兵や研究者らしき者たちが入って来た。ある者は手際良くワゴンの上の機材を操り、ある者は候補生たちの上着を脱がせてインナー姿にすると、寝台の上に寝かせる。
「君、利き手は?」
「え、右、ですけど……」
マスク越しのくぐもった声に尋ねられ、アルヴィーが答えると、衛生兵は頷き、アルヴィーの右腕に何かを注射した。
「ちょ、それ……!」
「安心しなさい、ただの麻酔薬だ。局所麻酔だからね、意識も無くならない」
「何だ……」
安堵の息をつくアルヴィーは、衛生兵がかすかに呟いたのを聞き逃してしまった。
「……意識がないと、確実に死ぬからね」
麻酔を終えると、衛生兵たちは訓練生の身体をバンドで寝台に拘束する。ただし、麻酔をした腕は拘束されず、バンドの外に伸ばされたままだ。
そして、準備は済んだとばかりに、衛生兵たちは皆退出した。残るのは研究者と思しき数人の白衣姿の男たちだけ。彼らの内の一人が部屋を出て行き、すぐに一台のワゴンを押して戻って来る。ワゴンの上には、厳重に密閉されたと思しきケースが十数個――ちょうど訓練生の人数分並んでいた。
「――ではこれより、施術を始める」
士官が宣言し、白衣の男たちはまず、入口に近い五人が横たわる寝台の横に、それぞれ移動した。一人が一つずつ、運ばれて来たケースを丁重に運び、寝台の傍のワゴンに置く。そして手を消毒し、準備を整えると、ケースの蓋を開けた。
(……何だ、あれ……)
出入口から七番目の寝台にいるアルヴィーには、ケースの中身までは見えない。だが二つ向こうの、今から施術を受けようとする訓練生の息を呑む声が、はっきりと聞こえた。
「……そ、それ、は……」
誰かが震える声で問う。対する答えは、どこか高揚した声で与えられた。
「これは特殊な術式を込めた竜の肉片! 諸君らはこれを受け入れるだけで、竜の力の一部を手に入れることが叶うのだ!」
そして――麻酔を掛けられた腕にメスで傷が入れられ、怯えて叫ぶ訓練生たちに構わず、その傷口に竜の肉片が押し込まれる!
……変化は、すぐに現れた。
「――ぎゃああぁぁぁぁ!!」
「う、嘘だあああああ!!」
絶叫。
麻酔を掛けられて動かないはずの腕が、まるで別の生き物のようにのたうち回る。竜の肉片を入れられた上腕部から、赤黒い筋が蜘蛛の巣のように伸び、腕全体を包み込むのにさほど時間は掛からなかった。バキバキと、人体が発するはずのない音と共に、同期生たちの腕が異形のものに変わり果てていくのを、アルヴィーは呆然と見つめた。
侵食は腕だけに留まらず、肩口にまで及び始める。たちまち、苦痛による二度目の絶叫が轟いた。
「い、痛い痛い痛いぃぃぃっ!!」
「ひっ、ぎゃああぁぁ!!」
「嫌だっ、嫌だ……がぶぉっ!」
侵食の痛みに暴れ、泣き喚いていた訓練生の一人が、やおら口から鮮血を溢れさせた。彼ばかりではない。他の四人も、口だけでなく目、耳、鼻……およそ顔にある穴のすべてから血を垂れ流し、ビクビクと痙攣に身体を震わせて、血の泡の混じった断末魔の悲鳴をあげる。
やがて――その内の一つが、ぱたりと途絶えた。
愕然と見つめるアルヴィーや他の同期生たちの目の前で、だらりと弛緩した身体は寝台に沈み、二度と動かなかった。上半身は血塗れで、凄惨な有様だ。他の四人も時間差はあれど同様の運命を辿り、最後の一人の悲鳴が途切れると、室内は痛いほどの沈黙に包まれる。
だが、研究者たちは意にも介していないように呟いた。
「この五人は“不適合”か」
「被験者の肉体に完全に癒着してしまいますので、欠片程度の肉片とはいえ、使い捨てになってしまうのが難点ですな。せっかくの《上位竜》の肉片が……」
「コストに見合う成果が出れば良いのですがな」
「ま、あと十人以上いるのだ。次を進めよう」
その言葉に、アルヴィーははっとする。“次”には、自分も含まれる――!
「や、やめろ……!」
震える声で制止するが、もちろんそんなものが相手に通用するはずもない。キイキイと、かすかな軋みをあげながらワゴンが近付いて来て、アルヴィーの寝台の脇で止まった。
「い、嫌だ……」
「帰してくれ! ここから出して――」
訓練生たちの懇願など意にも介さず、研究者たちは先ほどと同じように、麻酔を掛けられた腕に傷を入れ、魔法陣が刻まれたケースから竜の肉片を大型のピンセットで摘み上げた。胡桃ほどの大きさの、血のような赤黒い液体の滴るそれが、腕の傷口に押し付けられる。
びくり、とアルヴィーの右腕が大きく震えた。
「あ……あぁ……」
自分の意思とは無関係に、暴れ回る自分自身の右腕を、アルヴィーは呆然と眺めた。竜の肉片は見る間に傷口を塞ぐ形で完全に癒着、そこから伸びた赤黒い筋が皮膚の下で蠢き、確かに人のものだった腕を異形のものに作り変えていく。
それは、竜のものにどこか似ていた。
やがて――やはり腕から肩、さらに鎖骨の辺りまで侵食が広がり始め、アルヴィーを激痛が襲う。
「あ゛あ゛ああぁぁぁっ!!」
腕が無理やり引き千切られたかのような激痛、そして何かが皮膚の下をまさぐり、押し入ってこようとする壮絶な異物感。不意に喉が詰まり、咳き込んで吐き出したのは血の塊だった。先ほど目の当たりにした――そしてすでに息絶えた訓練生と、同じ症状。絶望がよぎり、視界が急速に狭くなる。
――死ぬのか。
こんなところで、誰にも知られずに。
……ルシエルにもう一度、会うことも叶わずに。
必ず会いに行くと、手を離したあの時に、確かに彼に誓ったのに――!
「ふざっ、けるなっ……あ゛ぁぁっ!!」
唯一拘束されていない右手を、握り締める。麻酔はすでに効果を失ったのか、右腕にも激痛と、燃えるような熱が宿っている。それでも確かに、その右手はアルヴィーの意思に従って動いたのだ。
「ぐ、ぅっ……っ、そ、死んで、たまるか、ってんだッ……!」
喉の奥に溜まる血の味を飲み下し、右手で胸を掻き毟る。自分の中を侵食しようとする“何か”と、アルヴィーの意識がせめぎ合う。それでも光を失わない赤みがかった琥珀の瞳が、熾火のように輝いた。
――バツッ!
胸を掻き毟る異形の右手の爪が、身体を拘束するバンドを断ち切った。どよめく研究者たちなど気にも留めず、アルヴィーは半身を起こしかける。シュウ、とかすかな音に、胸元を見やると、ボロボロに破れたインナーの隙間から、掻き毟ったはずの傷がどんどん塞がっているのが見て取れた。
「――――ッ!!」
右腕を中心に身体は燃えるように熱いのに、冷たいものが背筋を滑り下りた気がして、アルヴィーは侵食を振り切るように右腕を鋭く振る。その手が傍らのワゴンに当たり、派手に吹っ飛ばしたが、その痛みもさほど感じない。
研究者たちが歓声をあげた。
「おお! これは……!」
「この膂力! それにまだ生きているということは……適合したか! 素晴らしいぞ!」
彼らの歓喜を余所に、アルヴィーは自分を戒めるバンドに右手を掛け、引き千切る。そして寝台から転げ落ちるように下りると、赤ん坊のように寝台に掴まりながら、よろめく足で立ち上がろうとした。
だが――すっと血が落ちるような感覚と共に、目の前が暗くなる。
(やばい……!)
抗おうとするが、先ほど血を流し過ぎたのだろう、意識がどんどん薄れていく。耐え切れず、床に倒れ込んだ。
「……誕生おめでとう。我が国初の《擬竜兵》よ――」
誰かが告げるその声も、急速に遠くなり――アルヴィーの意識は闇に沈んだ。
◇◇◇◇◇
半年後。
レクレウス王国とファルレアン王国の国境からわずかにファルレアン側に入った、ファルレアン王国オルグレン領カーサス地方。ここには、戦前には両国の中継地として機能し、現在はレクレウス軍を睥睨する砦としての役割を果たしている、数万ほどの人口を持つ辺境の都市・レドナがある。
そこを目指して街道を進む、四つの人影があった。
いずれもアイボリーのマントを翻し、フードを目深に被っていた。そしてその速度が尋常ではない。馬の速足ほどの速度で、もう三十分ほど走り続けている。目撃者があれば自分の目を疑っただろうが、生憎この街道は両国の開戦と共に人の行き来が絶えていて、今や通る者もいない。
「――見えた。あれがレドナだ」
一人がそう呟き、目をすがめる。フードの下で、炎を透かした琥珀のようなその双眸が一瞬だけきらめいた。
「へーえ、あれが。要塞みてーなゴッツイ街だな……こっからだとあと二、三ケイルってとこか」
「あんまり近付き過ぎるとマズイわよね。門の衛兵に見られちゃう」
「ま、一旦指揮所に顔出さねーと。だろ?」
「ああ」
四人は街道を逸れ、森の中に飛び込んで行く。足場の悪い獣道に足を踏み入れた途端に、牙と爪を振り翳した猿や尾に風の刃を纏わせた狐などが一斉に彼らに襲い掛かった。人間に遜色ない体躯を持つこれらの獣は、一般に魔物と呼ばれる異形の獣たちで、仕留めるには一匹につき大の大人が数人掛かりで戦う必要があるのだが、四人はそれらの魔物たちを片手を振るうだけで文字通り薙ぎ払っていく。マントから覗くその手は人のものとは思えない、赤黒い色をしていた。
しばらく魔物たちを薙ぎ払いながら進むと、森の中には不似合いな、いかにも人工的な白い色が見えた。彼らが目指す、指揮所の天幕だ。天幕といっても、きちんと骨組みを組んで建てられた頑丈なもので、即席の軍事施設としてはまあ充分なレベルだった。それが数棟建ち並び、その周囲には結界の陣が施されて、魔物は近寄りもしない。
「あーあ、マント汚れちまったなあ」
「いいじゃない、どうせ作戦の時には脱ぐんだし」
「――な、何者だ!」
天幕を警護していた兵士の誰何の声に、彼らはフードを取った。その下から現れたのは、いずれも十代後半から二十歳前後かと思われる、若者の顔だった。一人は十代後半と思しき少女ですらある。たじろぐ兵士に、四人の内の一人、十代後半の黒髪の少年が、軍服の内ポケットから一枚の紙を取り出して示した。
「《擬竜兵》隊だ。レドナ侵攻作戦に参加する。これが指令書だ」
それは確かに、レクレウス王国軍が発行した王国の紋章入りの指令書だった。しかも、認識阻害の魔法処理が施された重要任務用のものだ。この処理が施されたものは、指令を発行した司令部と指令を受け取った当該部隊、そして配属先の指揮官にしか内容が読み取れないため、この兵士には宛先と発行者のサインくらいしか読めなかったが、そんな処理を施された指令書を持っているということ自体が、眼前の少年たちの言を証明している。
それに――と、兵士は怖々、マントの隙間から覗く彼らの腕を盗み見た。
人間のそれとはかけ離れた色をした、その腕。血を思わせる深紅の肌、そこに縦横無尽に赤黒い痣が刺青のように走り、まるで何かの紋様を形作っているようにも見える。極め付けにその指は、赤黒い尖った爪を指先に、関節は大きく膨れて、とても人のものとは思えない造形だ。
《擬竜兵》。レクレウス軍が二十余年もの研究の末にようやく実用化した、生きた戦略兵器である。
軍内でもごく一部の限られた者たちしか彼らの存在を知らないが、彼らはその戦闘能力の高さと稀少性から、特務少尉の地位を与えられていた。つまり、兵士よりも階級が上だ。
「ハッ! 失礼致しました!」
兵士は素早く姿勢を正して敬礼した。士官と下士官、または兵士の間には高い階級の壁がある。例え、相手が自分より年下の少年少女であろうとも。
「そういえば、ここの指揮官はどの天幕に? 到着したらそちらへ出頭するようにと言われているんだが」
四人の中で一番年上と思しき、二十歳ほどの青年が兵士に尋ねる。肩まで届く長めの灰色の髪が特徴的な青年だった。兵士は緊張を見せながらも、
「は、こちらの指揮を執っておられるマクマトン少佐は、あちらの真ん中の天幕におられます! そちらには魔導研究所から招聘されたザーフィル博士らも詰めておりまして――」
「ああ、なら都合がいい。どうせ両方に顔を出さなきゃいけないから」
「そうだな」
「お仕事頑張ってねー」
紅一点の少女がひらりと兵士に手を振り、彼らは兵士が開けた道を通って天幕へと向かった。
四人が天幕に入ると、中にいた将校や研究者と思しき服装の人々が一斉にそちらを向く。
「ああ、来たのね」
柔和な笑顔で彼らを出迎えたのは、四十代半ばほどと見える女性研究者だった。年相応に小皺は目立つが、美しく整った容貌で、長い銀髪を結って纏めている。群青色の瞳は細められ、四人を見る表情は大抵の人間が母のようだと形容することだろう。
だが、その隣の将校は、何か得体の知れないものを見るような目で少年少女たちを見やった。
「貴官らが《擬竜兵》か」
「は。《擬竜兵》隊四名、指令を受けサーズマルラより只今到着致しました。これより、レドナ侵攻作戦本部に着任致します」
黒髪の、整ってはいるがまだわずかに幼さを残した顔立ちの少年が差し出した指令書を受け取り、さっと目を走らせて、将校は頷く。
「確かに、正規の指令書だな。司令部からも貴官らの実戦投入の連絡は受けている。――よろしい。マクセル・ヒューレ特務少尉、メリエ・グラン特務少尉、エルネス・ディノ特務少尉、及びアルヴィー・ロイ特務少尉。貴官らの着任を確認した」
「はっ」
四人は敬礼した。敬礼のために上げられた腕の異様さに、将校たちは密かに鼻白む。
着任が確認されれば、四人の仕事はもう半分終わったようなものだった。後は、実際にレドナに攻撃を仕掛けるまで、彼らの出番はない。
その代わり、今度は研究者たちが《擬竜兵》たちを取り囲む。
「――このレドナ侵攻作戦が、おまえたちの初陣にして最終稼働試験となる。おまえたちの実力を、軍とファルレアンの騎士団に、存分に見せつけてやるが良い」
魔導研究所からこの指揮所へ派遣された研究者たちの内、責任者となるゴーラ・ザーフィル博士が、四人の《擬竜兵》を舐めるように見やる。彼ら魔導研究所の研究者たちは、四人の《擬竜兵》の管理、及びデータ収集を担当することになっていた。今回のレドナ侵攻作戦は、《擬竜兵》が実際に戦場で使い物になるかどうかを判断するための、重要なデータ収集の場となる予定だ。
「稼働試験ならもう大丈夫だと思うけどね。今まで俺たちが、どんだけ魔物殺してきたと思ってんの? ベヒモスやサイクロプスだって、俺たちみんな単独で始末できるよ?」
マクセル・ヒューレが不満げに口を尖らせた。短く刈り上げた茶色の髪に、くすんだ緑の瞳をいたずら盛りの子供のように輝かせて、だが言っていることは相当に物騒だ。ベヒモスやサイクロプスなど、一体出現すればフル装備の軍の数個小隊が出動するレベルである。彼の言葉に、同じ天幕にいた軍の将校たちが顔色を変える。
だが、彼ら《擬竜兵》のスペックは、単独で《下位竜》に匹敵するといわれていた。つまり、一人で下位とはいえ竜を向こうに回して戦えるだけの戦闘力が、彼らにはある。実際彼らは、このレドナ侵攻作戦に先立って、本国であるレクレウスの各地で魔物を討伐して回っていた。これは《擬竜兵》の戦闘能力を測ると共に彼ら自身に力の使い方を覚えさせ、そして魔物退治に費やされる人的資源を節約するという、一石三鳥を狙ってのことだ。そして首尾良く自らの力を使いこなし始めた彼らは、国内でも魔物多発地帯と悪名高いサーズマルラに一度集められ、そこでしばらく連携などの訓練を積んだ後、このレドナにやって来たのだった。
「そうよ。それにあたしたち、今日の朝指令受けてサーズマルラから走って来たのよ? 稼働試験なんてそれで充分でしょ?」
メリエ・グランもうんざりしたように、二つに結った榛色の長い髪を弄り、菫色の瞳を細める。彼女の言葉に、またしてもざわめきが起こった。サーズマルラからここレドナまでは、直線距離でも七十ケイルほどの距離がある。馬でも使えばともかく、人の足で半日で着ける距離ではない。
だが、研究者たちは疑う様子もなく、
「ほう、体力はやはり常人とは比べ物にならんな」
「先行して奇襲を掛けるという運用も有りか……」
などと会話を交わしながら、紙に何やら書き付けているのだ。
「もう少しでサーズマルラの魔物を全滅させてやれたのに、惜しかったな」
エルネス・ディノが肩を竦める。《擬竜兵》で最年長の彼は、髪より少し濃い灰色の瞳に冷めた光を浮かべ、軍の将校たちを見やった。彼らは慌てて目を逸らす。
「……ああ、そういえば、来る時に襲って来たからこの辺の魔物薙ぎ払って来たけど、あれそのままにしといていいのかな。血の臭いとかで別の魔物が寄って来たりしないか?」
アルヴィーがふと思い出したように漏らし、将校の一人が眉を寄せた。
「む、それは……早めに始末せんといかんな。ついでに、魔石があるなら採取しておきたい」
魔石とは魔物が体内に持つ、魔力を帯びた鉱石状の物体だ。竜種の《竜玉》と同じようなものだが、秘められた力は後者が圧倒的に高い。とはいえ、魔物の魔石も魔動機器の動力源として、多くの需要がある。
「ならアルヴィー、あなたが行って始末して来てちょうだい。集めた魔石はここの物資に回すと良いわ。この辺りの魔物の魔石程度では、わたしたちが使う研究機材の動力には足りませんからね」
「分かった」
女性研究者の言葉にアルヴィーは頷き、天幕を退出する。将校の一人が慌てたように、彼女に進言した。
「ノルリッツ博士、何も《擬竜兵》に任せずとも、死体の始末や魔石回収などは兵士で充分――」
「あの子なら炎で死体を焼き尽くしてしまえますし、それに元々故郷で猟師をやっていたそうで、森歩きや動物を捌くのは慣れていますのよ」
上品に笑い、彼女――《擬竜兵》の管理を担当する研究員の一人であるシア・ノルリッツは残る三人の《擬竜兵》に顔を向ける。
「あなたたちは、作戦開始まで待機よ。分かったわね?」
「はーい」
「しょーがないなー」
軽い不満を漏らしながらも、彼らもまた研究者の一人に連れられて天幕を後にする。彼らには専用の天幕が宛がわれる予定だ。
「アルヴィーが戻ったら、一度あの子たちのメンテナンスをしておかないとね」
「とにかく、できるだけ細部にわたるまで詳しいデータを取っておこう。作戦開始後、どう変わるか実に興味深い」
「アルヴィーのデータは、特に念入りにね。あの子は最初の適合者だし、一番団体行動に向いているわ。周囲も見えているようだし」
「確かに、他の三人に比べて落ち着いておるな。確か適合率も一番高かったな?」
熱心に話を始める研究者たちを、将校たちは薄気味悪いものを見るように眺めた。
(あんな子供が、《下位竜》と同等の力を持っているのだぞ……? 恐ろしくはないのか……?)
《下位竜》は、かつて国を襲った《上位竜》より劣るとはいえ、一体出現すれば街の一つや二つは容易く滅ぼしかねない存在だ。そんなものと同等のスペックを持つとされるのが、まだ精神的にも未熟な年若い少年少女。だが研究者たちは、彼らからもたらされるデータにしか興味がないようだ。指揮官であるデニス・マクマトン少佐は、そのことに慄然とした。
(《擬竜兵》をレドナ侵攻の中核に据えるという作戦……本当にこれを、実行して良いものなのか……?)
だが軍人である以上、司令部からの命令は絶対だ。彼は這い寄ってくる嫌な予感を振り払うように、かぶりを振って自身の任務へと戻るのだった。
◇◇◇◇◇
「これで終わり、っと……」
魔物の死体を捌いて体内から魔石を取り出し、アルヴィーはただの抜け殻となった狐を右手で鷲掴みにした。次の瞬間、その右手が紅蓮の炎に包まれる。炎はあっという間に狐の骸を焼き尽くし、一握りの灰に変えた。同じく炎に包まれていたアルヴィーの右手には、火傷一つない。
(毛皮は勿体無かったけど、こんなとこで毛皮なんか鞣してられないもんなあ……)
こうしていると、あの頃に戻った気がする。故郷の村で弓矢を手に、森の獣を追っていた頃に。
だが、その時視界に入った右腕に、彼は回想から覚めた。あの日、凄まじい激痛とアルヴィーを食らい尽くそうとする“何か”との壮絶なせめぎ合いを経て、勝ち取った力。魔法などまったく縁のない、ただの村人だったアルヴィーは、今では呪文の詠唱も無しに炎を使えるようになった。
――ただ、死にたくなかった。
もう一度“家族”に――親友に会うために。
(……そうだ。それまで、俺は死ぬわけにはいかない)
故郷の森で、慎ましく獣を狩って感謝と共にその肉を口にしていた頃の自分には、もう戻れない。《上位竜》の肉片を受け入れてその力を手に入れて以来、力に慣れるために多くの魔物たちを殺し、その骸を灰燼に帰してきた。
「……戻るか」
ため息をつき呟いて、アルヴィーは魔石を詰めた袋を手に、立ち上がった。集めた魔石は、さほど大きくもなく質もそれなりだが、軍で使う魔動機器や魔動銃の動力としては充分だ。
辿って来た道を戻っていると、斜め前方の木立の間を、影が横切るのが見えた。《擬竜兵》となって飛躍的に上昇した視力が、その正体を的確に捉える。
(鹿か……軍用の携帯食もそろそろ飽きてきたし……)
見たところまだ若い鹿だ。肉も柔らかくて美味だろう。
アルヴィーはそっと足元の小石を拾い上げ、異形の右手で手首のスナップを利かせて投げた。
――ドッ!
砲弾のような速度で飛んだ小石は狙い違わず鹿の首を捉え、ほとんど引き千切った。込められた運動エネルギーが大き過ぎたのだ。
アルヴィーは頭を飛ばした鹿に歩み寄ると、腰の後ろから支給品の軍用ナイフを抜き出し、まず頭部を完全に切り離してから手早く腹を捌いた。内臓を掻き出し、後足を持って骸を吊り下げる。
「――圧し潰せ。《重力陣》」
すると、鹿の骸の真下に重力場が生まれ、荷重が一気に跳ね上がる。ただでさえ成体の鹿の重量は数十グラントはあろうかというのに、それが数倍になるのだ。だが、アルヴィーの膂力はそれをも凌ぐ。わずかに身じろいだだけで、鹿の足を掴んだ右腕は重力に負けることはなかった。ただ、鹿の内部の血液はそうではない。数倍となった重力に引かれ、下になった首の断面から血が迸り、滝のような勢いで地面に流れ落ちた。跳ねた血飛沫がアルヴィーのブーツにも飛ぶが、彼は眉一つ動かさない。辺りに広がる血の臭いも、村で猟をしていた時に嗅ぎ慣れている。
アルヴィーたち《擬竜兵》が最も得意とするのは炎の魔法だが、その他の魔法も使えないことはない。ただ、やはり炎の魔法に比べると使い難いのは否めなかった。他の《擬竜兵》は炎の魔法だけで十分だと、他の属性の魔法は習得していない。だがアルヴィーは違った。この重力の魔法は、一定範囲内の重力を数倍に跳ね上げる魔法だが、こうした血抜きに便利だと思ってこれだけは習得したのだ。
魔法で手早く血抜きを済ませてしまうと、アルヴィーはナイフを仕舞って鹿を担いだ。
(そうだ……ハーブも欲しいな)
幸いここは森の中だ。野生のハーブ類には事欠かないし、この辺りは同じく国境付近だった故郷の村と植生が似ている。山歩きに慣れたアルヴィーは、程なく数種類の野生のハーブを見つけることができた。
(……似てる、な。村の森と……)
わずかな痛みを胸に覚えつつ、アルヴィーは最後の仕上げに、地面に飛び散った臓物と血、残った鹿の頭を炎で焼き尽くした。火が消えるのを確認し、念のため土を被せると踵を返す。
そのまま指揮所に戻ると、兵士たちがざわめいた。
「こ、この鹿は……」
「携帯食料も飽きたから、偶然見掛けたのを狩って来た。血抜きは済ませてある。解体はできるか? 無理なら俺がやるけど」
「は、はい! 猟師の出の者がおりますので……!」
「じゃあ任せた。ハーブも取って来たから、揉み込んで焼くといい。あとこれ、来る時に始末した魔物の魔石。ここの物資に回すように言われた」
「はっ! 有難くあります!」
兵士の一人が敬礼して、怖々と魔石の袋を受け取る。“それなり”の魔石であっても、これだけの量があれば一般人には一財産だ。普通の人間であれば、これだけの魔石を手に入れるのに何度命を賭さなければならないことか。
“戦果”を兵士たちに託し、アルヴィーは血に汚れた手を洗うため、近くの小川に向かった。安定した水場を得るために、指揮所は森の中を流れる小さな川の傍に設置されている。川の水で鹿の血を洗い流し、中央の天幕に顔を出して処理が完了したことと鹿を狩って来たことを告げると、研究員に聞いた自分たちに割り当てられたという天幕に向かった。
「――あ、お帰りー」
「少し時間が掛かったな」
天幕には三人の《擬竜兵》たちが思い思いに過ごしていた。最年長のエルネスは本を読み、メリエは髪の手入れをしている。マクセルは毛布を敷いてその上で寝ていたが、完全には寝入っていなかったようで、すんすんと鼻を動かすと起き上がった。
「……血の臭いがする。なに、アルヴィーどっかで殺ってきたの」
「やっぱ臭うか。鹿を狩って来た。今日は鹿肉食えるぞ」
「マジで!? やったー! いい加減携帯食料飽きてたんだよね! 獲りたての鹿肉とか、うまそー!」
マクセルが顔を輝かせて跳ね起きた。そんな表情は普通の少年と何ら変わりがない。
「そうだ、アルヴィーが戻ったらメンテナンスも兼ねてデータ測定をすると、あいつらが言っていたぞ」
「えー、あれかぁ……あれメンドイんだよね、何か色々くっつけられるしさ」
鹿肉に輝かせた顔をげんなりとしかめ、マクセルがぼやく。メリエも眉をひそめた。
「それにあれ着けてる間、動けないんだもの。データが乱れるー、とかいって」
「確かに面倒だけど、嫌なことはさっさと済ませようぜ」
「……そうね。アルヴィーがそう言うなら」
アルヴィーに言われ、メリエも嫌々ながら立ち上がった。マクセルが何やら言いたげな顔でわくわくと目を輝かせて二人を見やり、エルネスに制される。
「……なあ、あれぜってーそうだよな!?」
「そうかもしれんが、人の色恋に首を突っ込むのは馬鹿のやることだぞ、マクセル」
「おい、二人とも何こそこそ話してんだ?」
首を傾げるアルヴィーに何でもないと返し、エルネスは本を閉じて天幕を出て行った。
天幕を出ると、もう日は傾きかけて、辺りは夕暮れに差し掛かろうとしていた。風が吹き、アルヴィーが羽織ったアイボリーのマントが翻る。
その下の軍服は、紅かった。まるで異形の腕に合わせたような、血よりも深い深紅。それは、他のレクレウス軍人の纏う灰緑の軍服とは相容れない、彼ら《擬竜兵》のためだけの色だ。
それを認めるたび、アルヴィーは自分が異形の身となったことを改めて噛み締める。故郷も家族も、そして普通の人間としての人生さえも、すべて失ったことを痛感する。
(……だけど、失くしたばかりじゃない。手に入れたものだってある……!)
右手を握り締め、アルヴィーは前を向いた。魔物さえ一蹴するほどの力、同じ《擬竜兵》である戦友たち。そして、《擬竜兵》となったことで得た、村を襲った災禍の真相。
(だからその力で――あの国を討つ)
振り仰いだ方向は、森の木々に阻まれて街は見えない。だがその向こうに、ファルレアンの要衝たるレドナは確かにある。
アルヴィーたちの任務は、そのレドナに侵攻し、占領することだ。それが叶えば、レドナは今度はファルレアンに対しての砦となり、ファルレアン側に傾きつつある戦況に楔を打ち込むことができる。
……あの国には、ルシエルがいるけれど。
それでも、この戦争に負けるわけにはいかない。
何よりも、魔物に蹂躙され命を落とした、母や故郷の村人たちのために――。
「――アルヴィー? 何してるの?」
「ああ、今行く」
メリエの声に、過去に思いを馳せていたアルヴィーははっと我に返った。先に行っていた仲間たちに追い付くべく、足を早める。
「でもさー、ホント稼働試験ったって、街一つ落とすだけだろ? 正直さあ、単独でベヒモス討伐の方がしんどくね?」
「占領して後々も使うんだから、あまり壊すなということだろう。まあ、あの街を守っている結界陣を破壊するのは致し方ないが」
「それに、軍規や国際法だってあるんだ。一般人に手を出すのはご法度だぞ。――練兵学校の教官も言ってただろ。“敵に背を向けるな、非戦闘員に力を振るうな”って。誰彼構わず薙ぎ払うんじゃ、魔物と変わらない。俺たちは、魔物じゃないんだ」
魔物さえ軽々と凌駕する力を持ってしまったからこそ、心は人であらねばならない。それが、アルヴィーの矜持だ。
「アルヴィーは真面目だよなー。そもそもさあ、俺たち相手に普通の人間が立ち向かって来るわけないじゃん。《下位竜》と同等なんだぜ? まともな頭がありゃ、さっさと逃げ出すって!」
気楽なマクセルの言葉に、アルヴィーは苦笑する。そうであればいい。いくら敵国の人間とはいえ、人など進んで殺したいわけではないのだから。
暮れなずむ空を見上げ、アルヴィーはどこにいるかも知れぬ敵国の友に問う。
(ルシィ、今どうしてる? 元気でやってるか?)
無論、答えなどあろうはずもなく――アルヴィーは肩を竦めて、メンテナンスのために研究者たちが待つ天幕へと向かうのだった。
この三日後、レクレウス王国軍によるレドナ侵攻作戦は開始される。
そしてそこで自身の運命が大きく変わることを、この時のアルヴィーはまだ知らずにいた。
ファルレアン王国西方騎士団所属、レドナ駐屯地。
その一室に、一組の少年少女が入室していく。二人は室内に足を踏み入れ、敬礼と共に少年が口を開いた。
「――失礼します。ルシエル・ヴァン・クローネル二級魔法騎士、及びシャーロット・フォルトナー三級魔法騎士、只今出頭致しました。並びに、中央魔法騎士団第二大隊所属第一二一魔法騎士小隊、問題なく着任しましたことをご報告します」
そう告げた少年は、淡い色の金髪に、アイスブルーの瞳をしていた。
ちなみにこの世界の度量衡は
長さ
1km=1ケイル
1m=1メイル
1cm=1セトメル
重さ
1kg=1グラント
1g=1カラム となります。