第14話 選択の時
遡ること数時間前。
《紅の烙印》の襲撃を退けた帰還部隊は、何とかその日の内に現場から最も近い子爵領中心都市に辿り着いた。もちろん、半数を国境に引き返させたとはいえ、数百人にも上る部隊すべてが街中に宿泊するのは無理なので、部隊の大部分は街に近い場所で野営だ。伯爵領の領都レベルならともかく、子爵領ではそれほどの人数を収容できる宿泊施設はまず期待できない。
だが、ひとまず《紅の烙印》の残党だけでも収監して貰うために、大隊長のジェラルドを始めとする十数人が、傭兵たちを連行して街に入った。
「――じゃあ俺、ひとまずこの街で鍛冶師探してみて、いいのいなかったら国境越えて北に行ってみるよ。レクレウスの北の方って、いい鉱石採れるって聞くからさ。そういうとこなら腕の良い鍛冶師いそうだし」
「んじゃ、フィランはここで離脱ってことか」
「そうだな。ま、縁があったらまた会うよ、きっと。それじゃ」
必要以上に国と関わりたくないというフィランは、アルヴィーにひらりと手を振って雑踏の中に消えていく。彼と別れ、騎士たちは予定通り領主館へと向かった。
予め騎士の一人を走らせて連絡を入れてあったので、領主への引き渡しは滞りなく終了した。領主にとってもいきなり飛び込んで来た面倒事ではあるが、騎士団に協力するということはすなわち国に協力するということだ。彼らのような小領地の下級貴族にとっては、こうして国への協力姿勢を見せて覚えをめでたくすることもまた、重要な仕事なのである。
「では、後ほど西方騎士団が連中を引き取りに参りますので、それまでよろしく頼みます」
「うむ、儂も女王陛下の臣として、協力は惜しみませんぞ」
領主である子爵は愛想良く頷いた。彼がここまで協力的なのは、国への点数稼ぎもさることながら、ジェラルドの家名も大いに関係している。カルヴァート侯爵家といえば、《女王派》の重鎮でもあり当主は司法大臣として国の中枢にある、押しも押されぬ大貴族の一角だ。ジェラルドは次男であり家督を継ぐ立場でないとはいえ、一級魔法騎士にして魔法騎士団第二大隊のトップというのは、決して低い地位ではない。子爵としては、愛想良く接して損はない相手なのである。
領主の館というものは規模の大小に関わらず、犯罪者を拘留するための牢を備えているものなので、そこに《紅の烙印》の残党を収容して――というか詰め込んで――貰う。そして、諸々の打ち合わせのためにジェラルドたちはしばし子爵の館に留まることになった。
「……で、何で俺までここにいるわけ? 普通俺みたいなの、そもそも街にすら入れないと思うんだけど」
なぜか領主館まで一緒に連れて来られたアルヴィーがぼやく。するとジェラルドは呆れた目になって、
「街の外なんぞに、おまえをそのまま放っておけるわけがないだろう。またぞろ襲撃されたら堪ったもんじゃない。まあ、よほど切羽詰まりゃ街中だろうと来るだろうが、街中で人目が多いってのは案外馬鹿にできん抑止力になるからな」
「……逃げられたらまずいから、とは言わないんだな」
「《擬竜兵》が本気で逃亡を図って、俺たちみたいな一般人が止められるとでも? それにおまえには、クローネルっていうでかい鎖が付いてるからな」
「うぐ……っていうか、あんたが一般人とかぜってー嘘だ!」
別に本気で逃げようとしていたわけではないが、ジェラルドの一般人という自称には、さすがに突っ込んでしまったアルヴィーだった。通常世間では、スペック上《下位竜》に並ぶ《擬竜兵》に、一時的とはいえ深手を負わせられる人間を一般人とは言わない。
「隊長、王都への申請、両方とも通りました。飛竜の方はちょうど任務でこちらに来ていた内の一騎を回してくれるそうで、一時間ほどで到着とのことです」
そこへパトリシアが報告にやって来た。子爵領内にある騎士団の詰所から西方騎士団司令部に連絡を取り、そこを通して王都にジェラルドの名前で二つほど申請を出したのだ。一つは飛竜の使用申請。何しろただでさえ貴重な飛竜が八騎も国境に取られているので、「野暮用でちょっと借りるけど事後承諾で」などというわけにもいかないのである。
「よし、通ったか。なら飛竜が届き次第、俺は現地に向かう。こっちは頼んだぞ」
「了解しました」
「え? 現地って、あんたどっか行くの?」
目を瞬かせるアルヴィーに、ジェラルドはニヤリと悪そうな笑みを向けた。
「他人事じゃないぞ。おまえもだ」
「――はあ!?」
驚くアルヴィーに構わず、ジェラルドはなぜか部屋の窓を開け放つ。しかしこれも、もう一つの申請のために必要なことだった。
彼が窓を開け放ってすぐ、風向きが変わったのか窓から風が吹き込んでくる。意外と強い風に、アルヴィーは目を細め――そしてジェラルドに肩を押さえ付けられた。
「ちょ、何すんだよ」
「いいから跪け。――おいでになる」
刹那、風が部屋の中で不自然に渦を巻き始める。そしてその中に、ふわりと浮かび上がる人影。もっとも、わけが分からないながらもとりあえず跪き頭を垂れていたアルヴィーは、それを見ることはなかったのだが。
隣で同じく跪き一礼したジェラルドが、その人影に呼びかけた。
「お呼び立て致しまして申し訳ありません、女王陛下」
(――え!?)
思わず顔を上げかけたアルヴィーだったが、何とか思い止まる。皮肉にも、レクレウス軍の練兵学校での教育のおかげだった。そんな彼とジェラルドに、この場にはいないはずの少女の静かな声が掛かる。
『構わないわ。この距離をすぐに来られるのはわたしくらいだもの。――面を上げ、直答することを許します』
その言葉に、そろそろと顔を上げ、そしてアルヴィーは絶句した。
眼前の風の渦。その中心に、一人の少女が立っている。ルシエルのそれとどこか似通った、淡い色の金髪は長く緩やかに波打ち、ペリドットグリーンの瞳がアルヴィーを見据えていた。風の中に形作られた虚像の少女――ファルレアン女王アレクサンドラは、ジェラルドに目をやる。
『この度の一連の任務、大儀でした。カルヴァート一級魔法騎士』
「恐れ入ります」
普段の不遜な態度はどこへやら、神妙に答えるジェラルド。
『それで……わたしの立ち会いが必要というのは、彼のことかしら』
再び、ペリドットグリーンの双眸がアルヴィーに向けられる。自分より年下の少女の、しかも虚像の視線だというのに、そこに確かに王の威厳とでもいうべきものを感じて、アルヴィーは知らず息を呑んだ。しかし次の瞬間、
「仰せの通りにございます。――この者はファルレアン王国への亡命を求めています。それに伴い、一級魔法騎士の権限におきまして、この者を我が従騎士として任命したく、女王陛下のご許可とお立ち会いを賜りたいと存じます」
「……はあ!? 今から!? 王都着いてからじゃねーの!?」
ジェラルドの言葉に、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。途端にジェラルドに後頭部を掴まれて頭を下げさせられる。
「……ご無礼を致しました」
『構わないわ。――でも、ずいぶん急な話ね? 本人も知らなかったようだし』
「この者に関しましては、一刻も早く我が国に取り込む必要がございます。レクレウス軍所属の捕虜のままでは、色々と都合がよろしくありませんので」
所謂、大義名分というやつだ。実は、アルヴィーは現在もレクレウス軍特務少尉のままであり、つまり国籍上は未だにレクレウス国民なのである。この場合、もしレクレウスに正式な外交ルートでアルヴィーの身柄の返還を要求された場合、返すつもりが欠片もなかろうと、国際法上無視することができない。そこで先手を打ち、アルヴィーからの亡命申請を受理するという形で、アルヴィーの国籍を多少強引にでもファルレアンに移してしまうのだ。そうすれば自国民の保護ということで、レクレウスからの身柄返還要求を撥ね除けられる。レクレウス側もファルレアンがアルヴィーを手放すつもりはないと分かっているがゆえ、《紅の烙印》のような連中を使ってでも奪還しようとしているのだろうから、そういった動きへの牽制にもなるわけだ。アルヴィーがファルレアン国民ということになれば、レクレウスの奪還作戦はただの拉致計画になるのだから。
ジェラルドの一言でそれを理解し、アレクサンドラは頷いた。
『――いいでしょう。ファルレアン国王アレクサンドラ・エマイユ・ヴァン・ファルレアンの名において、彼の亡命を許可します。書面はちゃんと整えておいてね』
「は。――では引き続き、アルヴィー・ロイを従騎士に任命するにあたりまして、陛下に証人となっていただきたく」
『引き受けましょう』
アルヴィー本人だけが置いてきぼりを食らっている間に、二人の間で話がとんとんと進んでしまう。と、事態が呑み込めないアルヴィーに、アレクサンドラが静かな双眸を向けた。
『……あなたは、どう思っているの?』
「え……?」
『これは、あなたの人生の分かれ道になるの。我が国か、それともレクレウスか。選べばもう、後戻りはできないわ。だから、あなた自身が今、選びなさい。――少なくとも、我が国を選べばその瞬間から、あなたには我が国に身命を捧げて貰うことになるわ。騎士団に入るというのは、そういうことよ。例え我が国の貴族であった者が、あなたの故郷を奪った事実があるとしても』
「…………!」
アレクサンドラの言葉がアルヴィーの胸に突き刺さる。ジェラルドの瞳が鋭く細められた。
『流されるままに騎士団に入って、後で迷われても困るの。騎士団は国家国民の盾であり剣。この国を守る覚悟を決められない人間を入れるわけにはいかないわ。レクレウスからの身柄返還要求を撥ね除けるだけなら、亡命を認めた時点で充分だもの。飼い殺しにする方法ならいくらでもあるわ』
十代半ばの少女が口にするにはあまりにも忌憚がなさ過ぎる言葉だったが、彼女は眉一つ動かさずにそう言ってのけた。それは王として、彼女がはっきりと示しておかねばならないことなのだ。
例えどれほど大きな力であろうと、自身に刃を向けるかもしれない剣を恃みにはできない。
彼女の言外のその意思を過たず感じ取り、アルヴィーは唇を引き結んだ。
――ファルレアンかレクレウスか。どちらにも、故郷の村が地上から消える原因を作った者がいて、アルヴィーは今までその者たちを憎んできた。
それでも、どちらを選ぶかは、もう決めているのだ。
「……《擬竜兵》になって、この国に来て――あの件の真相を知って、俺は自分で考えました。それまでは、軍から教えられたことの中でしか考えようとしなかったから。何が正しいのかとか、間違ってるのかとか、ずっと。でも、俺が知ってることなんてやっぱり少なくて、自分の立ち位置だってはっきりしなくて……でも、一つだけ揺らがないものがあるんです。それは、ルシィが――ルシエル・ヴァン・クローネルだけが、今の俺が心から信じられる唯一だってこと」
今まで自分が信じていたものがことごとく崩れ去った中でも、たった一つ残った変わらないもの。
この心の真ん中にずっと佇む彼のことだけは、疑いなく信じられるから。
「だから……ルシィが守る国だから、俺もこの国を守る。それじゃ、いけませんか」
ファルレアンへの蟠りが、完全になくなったわけではない。だが、アルヴィーの故郷や母を蹂躙した魔物たちを召喚したのは、ギズレ辺境伯やその配下であって国の意思ではなかった。そして、軍の上層部からして村を魔物の生け贄としたレクレウスとは違い、この国はそれを適正に裁くという。
それに何より、この国にはルシエルがいる。それはアルヴィーにとって、何にも勝る理由だった。
アルヴィーの拙い、だが精一杯の訴えに、アレクサンドラは――。
『構わないわよ』
あっさりと、それを認めた。
『そもそもそれは、他の騎士たちだって同じようなものよ。確かに彼らは、我が国に対して剣を捧げてくれているけれど、本当に守りたいものはきっと、国に属する別の存在だもの。家族、恋人、友人、あるいは自分の故郷かもしれないし、単に騎士として身を立てたいだけの者も中にはいるでしょう。でも、それでいいの。例え何のためであろうと、揺るがない理由があってそれがこの国を守る力になるのなら、わたしはその理由にはこだわらないわ』
自分への無私の忠誠など求めない。いっそ潔いほどに、彼女はそう割り切っている。
『それに、あなたの理由がそうだというなら、かえってこちらには都合が良いわ。平民と違って貴族には、切り捨てられないしがらみが多いもの。――竜の欠片を留める鎖は、強い方が良いわ』
「え……」
竜の魂の欠片、その存在を知ることを匂わされ、アルヴィーが思わず声をあげる。だがアレクサンドラはそれに構うことなく、ジェラルドに向き直った。
『では、始めましょう』
「はっ」
ジェラルドは一礼し、立ち上がって魔法式収納庫から鞘に納められた一振りの短剣を取り出す。
「……それは?」
「任命する騎士が従騎士に与える短剣だ。従騎士の間は講習での実技以外で通常の剣を持つことができないからな。護身用でもあるし、身分証明みたいなもんでもある。まあ、おまえには前者の意味は薄いが」
彼が手にしたその短剣は、むしろダガーに近いごく短いものだ。意匠は簡素なものだが、柄の部分には紋章が入っていた。
「ほら、手ェ出せ。両手だ」
「あ、ああ」
アルヴィーは片膝をついた姿勢のまま、両手を差し出す。その上に、ジェラルドが短剣を無造作に置いた。
「今この時をもって、アルヴィー・ロイ、おまえを俺の従騎士とする。いずれ騎士となるため、修練に励め。力に驕るな。己の身が王国を守る剣にして盾であることを、心に刻め」
空気が息詰まるように張り詰める。練兵学校の卒業式典でも感じなかった身が引き締まるような思いを、アルヴィーは今始めて味わっていた。
――これが、国を守る覚悟ということか。
息を呑み、そしてアルヴィーは答える。
「――はい」
与えられたこの短剣は、この国で自分が立つための最初の足場。そこからそれをどう広げ、どう歩んで行くのか、それはアルヴィー次第だ。そのことを改めて心に刻み込み、アルヴィーは手にした短剣を握り締める。
『新たな従騎士の誕生、このアレクサンドラ・エマイユ・ヴァン・ファルレアンが確かに見届けました。あなたが誇りを胸に、民を守る高潔な騎士となることを心より望みます』
そう言ってアルヴィーを見つめ、そして風と共に唐突に掻き消えるアレクサンドラの姿。任命を見届け、もう用はないと見て取ったのだろう。彼女とて、王都でこなすべき責務があることには違いないのだ。
「……ああ、そうだ。騎士になったらその短剣は返上だからな。ちゃんと返せよ」
どこか厳粛だったその空気は、だがジェラルドの一言で粉々にぶち壊された。胡乱な目になるアルヴィーに、彼は肩を竦める。
「それはあくまでも、従騎士の証だからな。騎士になれば、自分で得物を誂えるもんなんだよ。ちなみにその短剣の紋章は、従騎士の主が誰かを示す。それはカルヴァート侯爵家の紋章だから、泥を塗るような真似はしてくれるなよ」
そう言い含め、ジェラルドはアルヴィーに立つよう促した。そしてさっさと部屋を出て行く。
「ちょ、どこ行くんだよ」
「言葉遣いもおいおい教育せんとなあ……まあ、今は時間がない。黙って付いて来い」
アルヴィーを連れ、ジェラルドは領主館を出る。領主館の前庭は、下級とはいえさすがに貴族の屋敷だけあって広い。そこに立ち、ジェラルドは魔法式収納庫から何かを取り出してアルヴィーに投げて寄越す。
「これは?」
「剣帯だ。その短剣は基本的に常に携帯するもんだからな。従騎士の証をズボンに挟むなんてのも締まらんだろう」
確かにその通りだったので、アルヴィーは剣帯を着けて短剣をそこに佩く。何しろ彼の剣は腕から生えてくるのだから、そんなものを持つ必要もなかったのだ。一応着け方は練兵学校で習っていたので、恥はかかずに済んだ。
「……どうして俺を、従騎士に?」
ジェラルドを見据えてそう尋ねると、彼ははあ、とこれ見よがしにため息をつく。
「おまえなあ。どこの世界に、民間人を戦争に引っ張り出す騎士がいる。――いいか、亡命申請が受理された時点で、おまえはこのファルレアン王国の国民になった。だがそれはあくまでも、民間人の扱いだ。その状態で戦争、つまり自己防衛じゃない戦闘行為に参加すれば、文句なしに犯罪なんだよ。だから従騎士に任命して、形だけでも騎士団に編入した。もちろん従騎士なんぞまだ卵みたいなもんだが、それでも騎士団所属には違いないからな。ギリギリ通る。主の騎士に随行して戦場に行って、成り行きで戦闘に参加する従騎士もいないわけじゃないしな」
騎士学校の生徒だとまずそんなケースはないそうだが、腕が立つ平民を騎士が見込んで従騎士に任命したような場合だと、ままあることなのだそうだ。
ちなみに今までレクレウス軍やギズレ辺境伯の部下、《紅の烙印》とやり合った件について訊いてみると、レクレウス籍だった間のことなのでファルレアンには関係ない、と身も蓋もない答えが返ってきた。ただ、どのケースも身の安全を脅かされていたといえるものなので、正当防衛を主張すれば通るだろうとは言われたが。
そんなもんなのか、と納得していると、今度はジェラルドが尋ねる。
「それはそうと……おまえ、レクレウス軍の魔動巨人について、何か知ってるか?」
「魔動巨人? そういや、《擬竜兵》としての性能試験とかで、あれの砲撃食らったり《竜の咆哮》で撃ったりしたっけ。今配備されてるやつじゃなくて型落ちのやつだったけど、現行のやつも重さが八割くらいになっただけで、攻撃力はそんな変わってないって言ってたからな。一応魔動砲は《竜の障壁》で防げるし、装甲も一番頑丈なとこでも、《竜の咆哮》何発かぶち込んだら吹っ飛んだぜ」
「…………」
けろっと告げられた一言に、さすがにジェラルドも絶句した。いかに型落ちとはいえ、魔動巨人を標的扱いとは豪快なことだ。だが、《竜の障壁》で砲撃を防げるという情報は有益だった。その事実があればいい。細かいことは気にしないことにした。
「……そうか。そりゃ好都合だ」
ジェラルドは気を取り直し、それ以上の言及を控えた。
そして、待つことしばし。
「……ん?」
遠くからかすかに聞こえた咆哮に、アルヴィーは空を見上げる。そして目を見張った。
「あ、あれって……!」
「何だ、飛竜を見るのは初めてか?」
それを見て、ジェラルドが得たりとばかりにニヤリとする。
そう、遥か彼方からぐんぐんと近付いて来るそれは、一頭の飛竜だった。地上の領民たちにもその姿が見えたのだろう、驚きの声が遠く聞こえてくる。
飛竜は一直線に領主館に向かって来ると、ぶわりと風を巻き起こしながら前庭に下りた。その背に跨がっていた騎士が身軽に飛び下りてきて、ジェラルドに敬礼する。
「お待たせ致しました!」
「いや、こっちこそ急な話ですまないな。ああ、手綱は俺が取る。一応飛竜の騎乗訓練も受けたからな。悪いがしばらく、ここで待っててくれ」
「は、了解致しました!」
騎士から騎乗用の装備を受け取り、手慣れたとまではいわずとも迷いのない手付きで装着するジェラルド。そしてアルヴィーにも装備を装着させた。
「なあ、そもそも俺たち、どこ行くんだ?」
するとジェラルドはあっさりと、
「ああ、もうこの際だからディルに飛んで、魔動巨人を片付けようかと思ってな。クローネルたちの助けにもなることだし、おまえにも否やはないだろう。期待してるぞ、メイン火力」
「え!? ルシィのとこに行くのか!?」
だが、いざ乗ろうとする段になって、飛竜がなぜか尻込みするように後ずさる。原因は言うまでもない。アルヴィーの中の《上位竜》の気配に、飛竜が怯えているのだ。ここに来て予想外の事態にジェラルドがどうしたものかと思っていると、アルヴィーが進み出た。何となく据わったような目で飛竜を睨み、一言。
「いいからさっさと俺ら乗せて、ディルに飛べ。じゃねーと焼肉にすんぞ」
途端に、飛竜はべたりと地面に伏せるように姿勢を低くして、どうぞお乗りくださいと言わんばかりだ。アルヴィーの言葉を理解したのかは不明だが、その怒気はしっかり感じたらしい。もしかしたら飛竜の調教に使えるかもしれないなどと思いながら、ジェラルドはアルヴィーを連れて騎乗する。
「よし、飛ばすぞ! しっかり掴まっとけ!」
ジェラルドが踵で合図を送ると、飛竜はふわりと浮き上がった。そして翼を力強く羽ばたかせると、一気に上空へと舞い上がる。
「うおっ」
眼下に広がる光景に、アルヴィーは驚きの声をあげた。そしてその超人的な視力が、領民たちの間に紛れてこちらを見上げるフィランの姿を捉える。
「おーい!」
手を振ったが、向こうに見えたかどうか。確認などする余裕もなく、飛竜は風を切り、国境に向かって空を翔け始めた。
「……おい」
吹き荒ぶ風に目を細めると、ジェラルドが短く呼ぶ。
「何だよ」
「今回は本格的に、祖国に弓を引くことになる。言い訳もできん。――本当に肚は決まったのか?」
「こんなとこまで連れ出しといて、今更言うなっつーの」
呆れたように嘆息し、アルヴィーは遠く西方を見据えた。
「……さっきも言った。俺はもう選んだんだ。ルシィの守る国を、俺も守るって。そんでいつか、堂々とあいつの隣に立ってやる。俺は、あいつの剣になるんだから」
「なるほど、おまえの剣はクローネルに捧げたか。――いいだろう。当てにするぞ」
ジェラルドはそう言って、踵で軽く飛竜の胴を叩く。飛竜はさらに速度を上げ、ディルへと突き進んで行った。
そして――彼らは戦場へと舞い下りる。
◇◇◇◇◇
戦場は、奇妙な静けさに支配されていた。
絶体絶命のファルレアン軍を救った救世主は、だがあまりにも異様だった。人間のそれとは思えない異形の右腕を携え、肩には翼。そして彼が見せたその力は、両軍に息を呑ませるに充分だった。
「何なの……あれは……」
ファルレアン側の本陣で、グラディスは双眼鏡を下ろすのも忘れ呆然と呟く。と、その頭上に影が差した。
影の正体は、戦場から戻って来た飛竜だ。飛竜は陣の後方に着陸すると、その背から一人の騎士が飛び下りる。
「――カルヴァート一級魔法騎士!?」
その姿を認め、グラディスは声をあげた。当の本人は呑気に手など上げて挨拶してくる。
「アークランド一級騎士、間に合ったみたいで何よりだ」
「そ、それはともかく――今のは!」
「あれが《擬竜兵》だよ」
「あの少年が……」
グラディスは戦場に向き直る。その視線の先では、翼を負った少年が再び右手から光芒を放ち、魔動巨人の頭を吹き飛ばしたところだった。
(――まず、魔動巨人を完全に潰す!)
魔動巨人を標的とした性能試験の際、術式伝達機関が頭部に搭載されていると聞いた覚えがある。《竜の咆哮》で魔動巨人の頭を消し飛ばしたアルヴィーは、次いで魔動巨人の片膝を吹き飛ばした。これで、どう頑張っても魔動人形の再起動は不可能だ。
反撃の芽を完全に潰して安堵の息をつき、右腕を通常のそれに戻した、その時。
「――アル!」
静寂を貫いて響く声。恐れをなしたように遠巻きに見守る騎士たちの中から、ルシエルが駆け出して来た。脇目もふらずに駆け付けると、その勢いでアルヴィーの肩を掴んで問い詰める。
「アル、どうして君がここに!? 王都に向かってたんじゃないのか!?」
「えーと、それは……」
「それに、こんなことを……分かってるのか? 君は完全に、レクレウスに――祖国に弓を引いたことになったんだ」
「分かってるよ」
アルヴィーは剣帯から短剣を外し、ルシエルに差し出す。その柄の紋章に、ルシエルが目を見張った。
「それは……従騎士の短剣?――そうか、カルヴァート大隊長には、従騎士の任命権がある……でも、いつ? 従騎士の任命には、騎士団長の承認が必要なはずだ」
「ついさっき。何かさ、ファルレアンの女王様呼んで立ち会いして貰ったんだけど」
「女王陛下を!?」
確かに、女王アレクサンドラならば騎士団長よりも上位であるし、風精霊の力を借りて意識だけを一瞬で遠方に飛ばすこともできる。しかし、いくら可能だからといって従騎士の任命に一国の女王を呼び出すなど前代未聞だ。おそらく、その従騎士が《擬竜兵》であったからこそ、彼女も動くことにしたのだろうが。ともあれ、つくづく常識外れな人物だと、ルシエルは上官への人物評を新たにした。
その時、震える声が彼らの耳に届いた。
「……ド、《擬竜兵》……!」
見ると、再起不能の魔動巨人の脇で、操作術者の男が腰を抜かしてへたり込んでいた。その右足が不自然な方向に曲がっているのは、退避したはいいが結局魔動巨人が倒れるのに巻き込まれでもしたのだろう。だがそれで骨折程度で済んだのなら、ある意味幸運な男なのかもしれない。
しかし本人はそうは思っていないようで、恐慌に身を震わせながらアルヴィーを睨み据える。
「き、貴様ッ……! そ、祖国に刃を向けるか、この裏切り者ッ……!」
「何だと……!」
思わず一歩踏み出しかけたルシエルを、だがアルヴィーが制した。かつての友軍からの糾弾を、彼は黙って受け止める。
アルヴィーが自身の心に従って下した決断は、レクレウス側から見れば確かに裏切り以外の何物でもないのだろう。立場が変われば善悪も変わる。対立する双方のどちらにも善となる選択肢など無きに等しいのだ。
だから、アルヴィーは選択した。祖国を切り捨て、親友の傍らに立つことを。
「……思い出した。あんた、《擬竜兵》の性能試験で、魔動巨人操作してたよな?」
アルヴィーに声を掛けられ、男はびくりと身を竦ませた。無意識にだろう、へたり込んだまま後ずさりかける。そしてパニックに陥ったのか、手にした杖を振り回しながら喚き立てた。
「こ、この、この裏切り者がっ……! 誇り高きレクレウス軍人でありながらっ、そ、その誇りを捨てたのか!」
「誇り高き、か。俺も前はそう思ってたよ。――俺の村を魔物が踏み躙っていった一件が、軍の差し金だったって知るまではな」
静かな声に、男が絶句した。
「もちろん、仕組んだのは軍のほんの一部だろうし、個人では尊敬してる人もいたよ。――でも、レクレウスにはもう、俺の大事な人はいないんだ」
家族も、僚友も。皆、この手の届かないところへ行ってしまった。
たった一人を除いて。
「今の俺が守りたい相手はファルレアンにいる。だからレクレウスにはもう戻らない。裏切り者って呼びたきゃ、呼べばいいさ。それくらい覚悟の上で、俺は選んだんだから」
「う……あ、あ……」
揺るぎないアルヴィーの覚悟、その言葉に、男は呻き声を漏らす。今やその心が完全にレクレウスから離れていることを、否応なく悟らされてしまったから。そしてそれが、自国にとって悪夢でしかないことも。何しろ、戦闘力では《下位竜》と肩を並べ、決戦兵器といっても良い魔動巨人の魔動砲すら容易く防ぐ《擬竜兵》の離反だ。
「アル……」
「大丈夫だ。風当たりが強いのは分かってた。――それを承知の上で、俺はこれを受け取ったんだ」
従騎士の短剣。ファルレアン王国の盾にして剣である、騎士へと続く道標だ。かつての敵国への忠誠の証であるそれを、アルヴィーは自分の意思で手にした。
その先に、ルシエルがいるから。
気遣わしげに自分を見やる彼に笑みを見せ、アルヴィーは男に向き直る。
「投降しろよ。そうすりゃ、命までは取られないから。どの道周りはファルレアンの騎士ばっかだぜ」
「くっ……!」
操作術者は救いを求めるように周囲を見回すが、アルヴィーの言う通りファルレアンの騎士だらけだ。いよいよ追い詰められ、操作術者は最後の希望に縋るように杖を握り締める。と、
「――それは困る」
「操作術者も貴重なの。引き抜きは駄目」
ばさり、翼が羽ばたく音と鈴が鳴るような少女たちの声。同時に、操作術者の身体にきらきらと光る糸が巻き付く。
「! あの二人……!」
その糸の先、見上げた頭上には、それぞれ天馬に乗った二人の少女がいた。彼女たちはあっという間に操作術者を吊り上げると、天馬を駆ってレクレウス陣の方へ戻って行く。
「撃て! 撃ち落とせ!」
それを追うように魔法騎士の魔法が放たれるが、彼女たちは息の合った手綱捌きでそれを躱し、彼方へと消えていった。
「くそ……! 偵察を出せ! レクレウス側の様子を探るんだ!」
「一度態勢を立て直せ! また魔動巨人を押し立てて来るかもしれん! 前線の連中も呼び戻せ!」
指示が交錯し、騎士たちが慌ただしく動き始める。
「仕切り直しか……」
「そのようで」
呟いたルシエルに、いつの間にか傍に来ていたディラークが返した。
「ディラーク。さっきは助かった」
「いえ。――しかし、隊長。剣が……」
「ああ。少し無理をさせ過ぎたな」
剣身が砕けた愛剣に、ルシエルは顔を曇らせた。彼とて剣士、自分の剣には愛着があるのだ。《擬竜兵》の《竜爪》と打ち合っても折れなかった剣だが、さすがに魔動巨人の膂力をまともに食らった挙句、間髪入れずに魔法を放つのは剣身への負担が大き過ぎたらしい。
「あちゃー、また派手にいったなあ。一旦陣地まで下がって、従軍鍛冶師に見て貰った方がいいんじゃないっすか?」
そんな彼の肩越しに、カイルがひょいと手元を覗き込む。その意見はもっともだったが、
「どうかな……修復には魔鋼が要る。剣身を完全に修復するほどの量を、確保できるかどうか……」
魔剣を鍛えるには、魔鋼という特殊な金属を使う。魔力を帯びた鉄鉱石を製錬・魔法処理したもので、現在の魔剣の主流はこの魔鋼製である。剣によっては、ミスリルなどの高性能魔法金属を魔法を強化するための触媒として仕込むこともあった。
ともあれ、ミスリルほどではないにしても、魔鋼もそれなりに貴重かつ高価な素材だ。あらゆる物資が集まる王都ならともかく、こんな戦場で満足な量が手に入るとも思えない。手詰まりになって唸った時、
「……あのさあ」
存在が空気になりかけていたアルヴィーが、おずおずと声をあげた。
「その、魔鋼ってんじゃないんだけど。材料になるかもしれないもんなら、俺に一つ心当たりあるんだけど……」
「心当たり?」
「ああ。実はこっちに来る前に、レクレウスの息が掛かった傭兵に襲撃されてさ。その時に一回《竜爪》へし折られて、それがほぼまんまな形で残ってるから――」
そう申告し、そしてアルヴィーは自分が話の持って行き方を誤ったことを悟った。
なぜかというと、ルシエルの表情と雰囲気がすうっと変わったからだ。それはもう劇的に。
「……アル」
にっこりと――ただし目は笑っていない――笑みを浮かべ、ルシエルはアルヴィーの左肩に手を置く。軽く置いただけに見えるのに、逃げられる気がしないのはなぜだろうか。
「剣の話は置いておいて……まず、そっちの話から先に聞こうか。いいよね?」
「……ハイ」
他に返答のしようなどなく、アルヴィーは幼馴染の発する謎の圧力に怯えつつ、こくりと頷くしかなかった。
◇◇◇◇◇
天馬で自陣に帰還しながら、ブランとニエラは憂鬱な気分でため息をついていた。
「……失敗しちゃったね」
「旦那様に怒られるかなあ」
当初の予定では、彼女たちは一体目の魔動巨人を所定位置まで運んだ後、すぐに取って返して他の魔動巨人も順次移動させることになっていた。そのための足として、天馬を呼び寄せるためのアイテムも事前に支給されていたのだ。だがそれは、予定とは違う形で役に立つこととなった。
彼女たちは戦況などに興味はないが、この作戦が重要なものであることは主に充分に言い含められていたので、それが失敗したのが甚だまずい事態であることは分かっていた。だが、誤魔化すわけにもいかない。どうせすぐにばれるのだ。
「……素直に怒られよう」
「そうだね……」
げんなりと肩を落としながら、彼女たちは自陣に帰り着く。骨折した操作術者を衛生兵に引き渡すと、二人は主人であるナイジェル・アラド・クィンラム公爵のもとに報告に向かった。最前線の戦況がここまで伝わるには時間が掛かるので、帰還したらすぐに報告に参じるようにと命じられているのだ。
「――旦那様、申し訳ありません。失敗しました」
「魔動巨人の魔動砲が、止められました」
「何?」
彼女たちの報告に、ナイジェルは眉を寄せた。
「魔動巨人の魔動砲を止めた? ファルレアンが? 何がしかの大魔法でも使ったのか? そのような兆候は見られなかったが」
「いえ、その……人、でした」
「右手から光線みたいなのを出す人間が、魔動砲を壊して……」
「わたしたち、巻き込まれないように逃げて、操作術者を回収して来るので精一杯でした」
二人の報告は拙かったが、ナイジェルにはそれで充分だった。魔動巨人の魔動砲を止め、あまつさえ逆に破壊できるような存在――そんなものは、一つしか思い当たらない。
「なるほど……《擬竜兵》か。まさか敵国に寝返るとはな。王都ソーマへの移送中を狙って、情報部が奪還に動くという話だったが……」
国境にいる以上、奪還作戦は失敗したということだろう。しかも、敵側に寝返ったとなると、情報部がよほどのヘマをしでかしたのか。
(《擬竜兵》が向こうに付いたとなると、ますます我が国が不利になる。戦略を根本から見直す必要が出てくるな。――そもそも、今の我が国の懐事情は悪くなる一方だ。本来ならば、戦争などしている場合ではないのだが)
国内の貴族に対する諜報を得意とするだけあって、彼は国や貴族領地の財政事情にも通じている。そんな彼から見れば、国の経済が収縮し、財政が悪化しつつあるのが手に取るように分かるのだ。戦争で交易が滞りがちになり、物の流通も鈍り始めたところへ、軍による半ば強引な物資の大量買い上げ。商人の中には、商いが立ち行かずに夜逃げ同然に行方を晦ました者もいると聞く。そして、戦費を捻出するための各領地での増税。レクレウス王国の北方には鉱山資源が豊富な地域があり、そこからの収益のおかげでまだ致命的な財政危機には陥っていないが、国民の間には不満が燻っていた。
正直なところ、彼らにとっては遠く国境での戦争の勝敗より、明日の自分の生活の方が大事なのだ。庶民の間では、勝敗は二の次で、とにかく早く戦争が終わってくれないかと囁かれていたという。実際に戦場に近い国境地帯や、王家のお膝元である王都ではともかく、地方の貴族領の領民などはそういった思いが強かった。彼らは敵国ファルレアンよりも、むしろ自分たちから直接税金を毟り取っていき、時にはその一部で私腹を肥やす貴族の方を疎ましく思っていたのだ。
その不満の矛先をファルレアンに向けるための細工が、九ヶ月前のあの事件だった。魔物に蹂躙され、辺境の小村が地図から消え去ったあの事件は、国民の対ファルレアン感情を悪化させ、政権への不満を一時的にでも忘れさせるために利用されたのだ。それは確かに図に当たり、国民たちにファルレアンへの反感を持たせることには成功したが、所詮は一時凌ぎ。再び生活に不満を抱き始めれば、大多数の国民は辺境の小村のことなどすぐに忘れ、再び厭戦の機運が高まりかねない。もっとも、ナイジェルはそれでも一向に構わないのだが、王家――特に王太子ライネリオはそれを許さないだろう。
(……王家への諜報網を、少し厚くしておくか。手札が多いに越したことはない……それに、軍の情報部にも何人か潜り込ませた。その者たちからの情報次第では、こちらも身の振り方を考えねばなるまい)
代々王家に仕え、王家のために暗躍してきたとはいえ、クィンラム公爵家は無条件に王家に盲従しているわけではない。何しろ、王家が絡む後ろ暗いことを山ほど知っている一族なのだ。玉座に座る人物次第では、謂れのない罪状をでっち上げられて家ごと潰される可能性すらある。そこで代々のクィンラム家当主は、王家にも諜報を仕掛け、保険を掛けていた。もちろんあくまで“万が一”の場合の用心であり、それが役立ったことは今までなかったのだが。
(王家が真に仕え続けるに値するならば、このまま影として仕えよう。――だがもし、そうでないなら……)
エメラルドの瞳を冷徹に光らせ、ナイジェルは心を決めた。そして、恐々とこちらの様子を窺っている従者たちに声をかける。
「おまえたち」
「は、はい!」
びくりと姿勢を正した彼女たちに、ナイジェルはああ、と思い当たる。二人は任務失敗による叱責を恐れているのだろう。
「そう怯えることはない。魔動巨人一体は確かに手痛い損失だが、操作術者は回収して来たし、何より《擬竜兵》離反の情報をいち早く持ち帰った。むしろ手柄だ」
「ほ、本当ですか……?」
「《擬竜兵》が軍の管理下を離れた今、その動向は戦局を左右する重要な情報になる。ひいては、我がクィンラム家がこれからどう動くべきかの情報にもな。良くやった」
「はい……!」
叱責されずに済んだ安堵に、二人は息をつく。だが、とナイジェルは続けた。
「魔動巨人は我が軍でも貴重な装備だ。その内部構造は一級の軍事機密になる。今までは両軍に動かす方法がなかったために人をやっての哨戒のみに留めていたが、できれば奪還、それが無理なら完全に破壊するのが望ましい」
「でも……確かあの時、魔動巨人、そのドラグーンっていうのに頭と片足吹き飛ばされてました」
「なるほど……さすがに元軍属というところか。魔動巨人の急所を知っていたようだ。術式伝達機関を潰されたか……では、次善策だな。内蔵の魔石を回収し、魔動巨人を破壊、ファルレアン側への情報漏洩を防ぐ。いくら《擬竜兵》が寝返ったところで、駆動系や中枢部の情報までは知らないはずだからな。正式な決定は王都に判断を仰いでからになるが、おそらく許可されるだろう」
「ですが、旦那様。魔動巨人って物凄く頑丈です。壊すにしても、どうやって……」
首を傾げる少女たちに、ナイジェルは戦場の方向を指し示した。
「何を言っている? まだ魔動巨人は二体残っているんだ。その魔動砲を使えば、魔動巨人とてひとたまりもないだろう」
「あ、そっかあ!」
ブランが手を打ち鳴らした。
「撃破された魔動巨人までなら、あの二体の位置からでも充分に射程内のはずだ。おまえたちには魔動巨人破壊後、それぞれ残った魔動巨人を操って撤退して貰う」
『ええーっ!!』
二人が異口同音に叫んだ。
「一人で一体ずつなんて、無理ですよう!」
「魔動巨人の重さが半分、ううん、せめて六割くらいなら何とかなりますけど、それ以上だとわたしたちの魔力じゃ……!」
彼女たちの魔力は確かに、一般の魔法士に比べるとずば抜けて大きいが、それでも二千グラントもの重さの魔動巨人を単独で動かすにはいささか不足だった。
すると、ナイジェルは軽く手を叩く。近くに控えていた部下が、何やら宝玉の欠片のようなものをトレイに載せて持って来た。しかし、その欠片というのが大きい。一つが掌ほどもあるものが複数だ。
「旦那様、これは……?」
「すっごい魔力」
訝しげに眉を寄せ、それを見つめる少女たちに、ナイジェルは満足げな薄い笑みを口元に浮かべる。
「やはり分かるか。――これは、ファルレアンの奇襲で破壊された台車の動力源だった魔石だ。おまえたちが攻撃に出ている間に回収させた。車両部分を爆破された際、攻撃の余波を受けて破壊されたが、見ての通り魔力はまだ充分残っている。これを補助として使えば、単独でも魔動巨人を動かせるだろう」
「はい……これなら」
「でも、わたしたち両手が糸で塞がっちゃうけど、どうやって持てばいいんですか?」
「それはこれから加工を急がせる。――やれるな? おまえたち」
「はい!」
「やります!」
頷く少女たちに満足そうに首肯し、ナイジェルは控える部下たちに指示を出す。
「この魔石を急ぎ、身に着けられる形に加工しろ。わたしはここで多少根回しをしつつ王都と連絡を取る。許可が下り次第、動くぞ」
「は、畏まりました、旦那様」
一礼して部下たちはそれぞれ散って行く。ナイジェルはブランとニエラにも命じた。
「おまえたちはポーションで魔力を回復して、身体を休めておけ。王都から許可が下りれば、すぐに再出撃して貰う」
「はい」
「分かりました」
素直に頷き、少女たちも休憩を取りに行く。その場に残ったナイジェルは、ふとその片方を呼び止めた。
「そういえば、ニエラ。ベールはどうした?」
「……向こうの騎士の攻撃で失くしました。でも、向こうはこの目の意味を知らないし、問題ありません」
「そうか。ならば良い」
ナイジェルの答えに、ニエラはぺこりと一礼してブランを追いかける。その後ろ姿から視線を外し、彼は遠く東の空を見上げた。
「さて……《擬竜兵》離反の件も王都に伝えねばなるまい。ノスティウス侯も頭の痛いことだ。つくづくご同情申し上げる」
そう嘯き、ナイジェルは振り向きもせず、いつの間にか背後に控えていた部下に命じた。
「情報部に潜り込んでいる者たちに連絡を取れ。《擬竜兵》が離反するに至った経緯をできる限り探らせろ。――事と次第によっては、国が大きく動くぞ」
そう言って彼は、何かを期待するように、不敵な笑みを浮かべた。




