第13話 ブレイク・スルー
――ぱしゃり、とかすかな水音が、石造りの部屋に反響する。
魔法で創り出された薄蒼い光に浮かび上がる、一部の歪みもなく石で組まれた壁と床。その床石には精緻かつ巨大な魔法陣が刻み込まれ、その中央には水槽が一つ据え置かれていた。一枚岩から彫り出されたように一つの継ぎ目もないそれは細長く、まるで棺のようにも見える。
その内部にはなみなみと液体が湛えられ、そしてその中に一人の女性が沈んでいた。
精霊かと見紛うほどに見目麗しい、二十歳ほどの女性である。銀色の長い髪を水中にたゆたわせ、茫洋と開かれた双眸は吸い込まれそうな深みを感じさせる群青色。彼女が伸ばしたたおやかな腕が水面を破り、小さな水音と波紋を立てたのだ。
伸ばされた手は翻って水槽の縁を掴み、彼女はゆっくりと身を起こした。
白い裸身に纏わり付く銀の髪もそのままに、彼女は水槽の中で立ち上がる。その身体から滴り落ちる水滴が、光を受けて宝玉の欠片のようにきらきらと輝いた。
「……どうやら、上手く定着したようですわね」
そう呟き、彼女は水槽を出た。小さく呟くと、熱を含んだ風が彼女の周囲に巻き起こり、余計な水分を奪い去っていく。風が消えると大きく翻った銀髪が背中に流れ落ち、彼女は魔法陣の傍らに据えられた台座から、銀色に輝く小さなベルを取り上げた。それを軽く鳴らすと、ややあって足音が近付いて来た。
「――お呼びでしょうか」
そう言って一礼したのは、それぞれ籠を手にして侍女のような服装に身を包んだ、二十代半ばほどの女性二人。こちらも充分に美しいのだが、人形を思わせるほどに表情がなく、どこか非人間的なものを感じさせる。何より二人とも、双子のようにそっくりの顔立ちをしていた。
「ええ。わたくしの支度を」
「畏まりました。それでは、失礼致します」
侍女服の女性たちは一礼し、手にした籠を台座に置いて上に掛けた布を取り去る。片方には女性用のドレスと肌着、そしてもう片方には靴下と靴。彼女たちは丁重な、だが慣れた手付きでそれらを主の身に着けていく。
片方の侍女が肌着を着け終わると、もう片方の侍女は主の足下に屈み込み、その白く整った足先を恭しく持ち上げた。手にした布でそっと残った水気を拭い、靴下を着けて靴下留めで留めると、その足先を華奢な靴に招き入れる。もう片方の足にも同じように靴下と靴を履かせ、二人掛かりでドレスを広げて主の身に纏わせた。わずかに青みの入った真珠色のドレスが、かすかに衣擦れの音を立てる他は、沈黙の内に支度は進んでいく。
背中のボタンをすべて留め、余計な皺などを伸ばして全体の形を整えると、二人の侍女は下がって一礼した。
「お待たせ致しました。すべて整いましてございます」
「ええ、ありがとう」
侍女たちを下がらせ、彼女は部屋に唯一存在する出入口に歩いて行く。扉などはなく、その向こうにはやはり隙間なく石が組まれた通路。壁の上方に規則的に取り付けられた魔法照明が、青白い光で通路を照らしている。彼女はゆったりとした足どりで、その通路を抜けた。通路の果てに立ちはだかる重厚な扉は、だが彼女が手を翳すとひとりでに開いていく。
――途端に広がるのは、蒼。
彼女が立つのは、古城の一画だった。頭上に広がる蒼穹と鮮やかな対比をなす、古色を帯びた白亜の美しい城。ただ、その美しさは滅びゆく寸前の美しさでもある。城壁や通路はところどころが崩れ、城内を流れる水路にその瓦礫が半ば沈んで、鳥たちが羽を休める場となっていた。
そよぐ風になびく髪を押さえ、彼女は右手を振り返る。そこには、数十本もの白い石柱が地面に突き立てられていた。長さ数十セトメルほどの、整然と立ち並んだその石柱が墓標であることを、彼女は知っている。
「我が君。お目覚めになられましたか」
不意に聞こえた青年の声に、彼女は微笑みながら振り返った。
「ええ。何か変わったことはありまして、ダンテ?」
「いいえ、何も。――まずは無事のお目覚め、お祝い申し上げます。我が君」
青年――彼女の騎士たるダンテ・ケイヒルは、翠緑の瞳を柔らかく細め、騎士の礼を取って主の目覚めを言祝ぐ。頷き一つ、それを受け取った彼女は、立ち上がったダンテに命じた。
「早速ですが、ダンテ。例の件、お願い致しますわ」
「はい。あの少年……アルヴィー・ロイの監視用の使い魔の件ですね」
「ええ。今から用意致しますので、彼のところへ届けてくださるかしら」
「もちろんです、我が君」
一礼するダンテを満足そうに見やり、彼女――レティーシャ・スーラ・クレメンタインは先に立って歩き出す。その数歩分後ろに付き従い、ダンテもまた歩みを進め始めた。
去って行く主従の後ろ姿を、白い墓標たちだけが沈黙の内に見送っていた。
◇◇◇◇◇
「――何だと!? また侵攻に失敗した!? 軍部は何をやっているのだ!」
レクレウス王国王都、王宮の議場にヒステリックな青年の声が響く。
第一王子にして王太子であるライネリオ・ジルタス・レクレウスは、旧ギズレ領攻防戦について報告した軍務大臣が身じろぎするのを睨み、腹立ち紛れに手にしていた華奢なつくりのティーカップを床に叩き付けた。雪のような白地に金で絵付けをした、それ一つで平民の半年ほどの生活費になる高価な茶器が、カシャンと小さな断末魔と共に床で砕ける。
「魔動巨人まで投入しておきながら、何と不甲斐ない!」
「は……面目次第もございません」
王太子の叱責を、軍務大臣ヘンリー・バル・ノスティウスは甘んじて受ける。直接指揮を執っているわけではないといっても、無視できない損害が出ているのは事実なのだ。
「現地の魔動巨人の操作術者が、ファルレアンの魔法騎士の奇襲により全滅。運搬用の台車も三台ともが大破……ですか。今の状況で、これは痛うございますな」
「ただでさえ魔導研究所が壊滅状態だというのに……」
「台車がなくば、魔動巨人はろくに動けませぬからな」
ひそひそと、閣僚たちの間から囁き声が漏れる。ライネリオも忌々しげに顔を歪ませた。
「兵員などどうとでもなる! だが台車は、我が軍でも貴重な装備だというのに」
レクレウス王国は魔法の素養がある国民の割合が隣国ファルレアンより低い代わりに、魔動機器の開発技術に秀でていた。その中でも、移動用・乗用の魔動機器、国内では魔動機械と呼ばれるものの開発は抜きん出ている。魔動巨人用の台車も、その中の一つだった。二千グラントもの重量を運ぶことのできる台車は他国にも例がなく、魔動巨人と共に戦線を支える柱の一つとなっている。しかし、台車に限らずこうした乗用の魔動機械は、稼働のために一般の魔動機器のそれとは比べ物にならない大きさの魔石を必要とし、必定その数は少ないものとなっていた。その貴重な台車を、三台も破壊されたのだ。ライネリオでなくとも渋い顔になろうというものである。
「ノスティウス候、急ぎ代わりの術者と台車を手配せよ! レドナ攻略が失敗に終わった今、今回の侵攻に失敗は許されぬのだぞ!」
隣に座す父王を差し置いて指示を下す王太子に、何人かの重臣がわずかに眉をひそめたが、レクレウスでは王室の権威は絶対である。結局彼らは何も言わずに、成り行きを見守ることを選んだ。
「畏れながら、殿下。他の戦線にも魔動巨人を投入しておりますゆえ、術者・台車共に余裕がございませぬ。術者はまだ予備人員がおりますので何とか回せますが、台車を動かすには道を選ばねばなりませぬので、どうしても大回りとなってしまい……ゆえに、多少の猶予を賜りたく存じます」
「何だと――」
「落ち着かぬか、ライネリオ」
激昂しかけた王太子を、その時父王グレゴリー三世が諌めた。
「大臣の言ももっともである。だが、レドナを取れなかった以上、橋頭堡としてかの地を手に入れねばならぬのもまた事実。出来る限り早急に差配致せ」
「は……」
国王と王太子からそう言われては、無理でもやり遂げるしかない。焦りを押し隠しながら、ヘンリーは頭を垂れる。
と、
「――僭越ながら、意見具申をお許しいただけますでしょうか」
割り込んだ声に、議場内の人々の目が一斉にその主に集中した。
発言したのは、蜂蜜色の髪を後ろに流し、エメラルド色の双眸を明るく輝かせる、精悍かつ端正な風貌の年の頃三十前ほどの青年だった。その年齢にしてはかなり上の席次にいる。
「クィンラム公……」
誰かが呟いた。グレゴリー三世が頷く。
「許す」
「感謝致します、陛下。――今回の件、つまりは魔動巨人が動けばよろしいのでしょう。でしたら、このわたくしめに一つ案がございます」
起立して口を開いた青年の言葉に、グレゴリー三世は問う。
「案、だと?」
「はい。実は我が手駒に、こういったことにうってつけの者がございます。その者であれば、台車がなくとも魔動巨人を動かすことも可能。是非、このナイジェル・アラド・クィンラムに此度の件をお任せいただきたく」
彼――ナイジェルの言葉に、議場がざわめいた。
「……その言葉、嘘ではなかろうな?」
ライネリオが探るように目をすがめる。ナイジェルは悠然と頷いた。
「天地と我らが陛下に誓い、偽りはございません」
「……良かろう。見事やり遂げてみせよ」
「は。謹んで承ります」
ナイジェルは優雅に一礼して着席した。議場のざわめきはやや下火になったが、まだ止まない。しかし、ナイジェルに詳しい理由を尋ねようとする声も、またなかった。
クィンラム公爵家。レクレウス王国でも有数の大貴族であり、代々国王相談役を務める由緒正しき家柄だ。だが相談役というのは名ばかりで、かの家の真の役目は諜報――軍のそれとは違い、彼らが探るのは国内外の貴族の内情だった。国王が強権をもって貴族たちの上に立ち続けるため、貴族たちの弱みを掴み、反乱の芽を潰し、時には王家に都合が良いように貴族家の当主の首が挿げ代わるよう仕向けることすら厭わない、王国の影の調整者。彼らは王家とはまた違った意味で、貴族たちにとって恐るべき一族であった。
ナイジェルは家督を継いでまだ日は浅いが、その手腕は歴代の当主に劣らない。その家名と自信に満ちた風貌は、貴族たちに口を噤ませるに充分だった。
「では、この件はクィンラム公爵に任せることとしよう。では、次の議題だが――」
国王の一声でこの一件は本決まりとなり、次の議題が取り沙汰され始める。だが魔動巨人の件ほどに扱いに困る議題は他にはなく、会議は程なく終了した。
散会が告げられ、グレゴリー三世とライネリオ、宰相らが議場を退出すると、閣僚たちも各々立ち上がって仕事に戻り始める。そんな中、ナイジェルに声を掛けた者があった。
「――クィンラム公」
「おや、いかがなされた、ノスティウス侯」
「先ほどの件ですが……」
煮え切らない口調のヘンリーに、ナイジェルは快活に笑う。
「ああ、確かに二千グラントもの重さがある魔動巨人を、台車も使わずに動かせるなど、にわかに信じられぬのも無理はない。――いいでしょう、では実際にご覧いただこう。こちらへ」
そう言うと、ナイジェルはさっさと歩き出す。ヘンリーは従者に予定変更の指示を出し、その後を追った。
彼らは王宮を後にし、クィンラム家所有の馬車に乗り込む。従者用のやや質素な馬車が当主用の豪奢な馬車を挟む形で車列を成し、一行はとある場所に向かった。
移動時間はさほど長くなく、馬車列は程なく目的地に到着する。
「……ここは……」
馬車から下り立ち、ヘンリーは思わず呟いた。
「魔導研究所ではないか」
そう、そこは所員のほとんどが惨殺されてほぼ閉鎖状態になっている、魔導研究所だった。心なしか、辺りに重苦しい空気が漂っているようにすら感じる。だがナイジェルはまったく気にした様子もなく、従者用の馬車に声を投げた。
「ブラン、ニエラ」
すると――馬車のドアが開いた。
「――旦那様」
「お呼びですか」
馬車から下りてきたのは、ローブを纏いフードを被った小柄な人物だった。それが二人。体格はそっくりで、声からして二人とも少女のようだ。
二人はナイジェルの両脇にそれぞれ控えると、まるで示し合わせたかのようにほぼ同時にフードを取った。
さらり、と流れる銀の髪。少女たちは髪の色や長さまでそっくりだった。ただ、片方の少女は透き通るような白い肌、もう一人の少女は異民族のような褐色の肌をしている。そして、もう一つの共通点――それが、彼女たちの目元を覆い隠すよう垂らされた布だ。その布のせいで年齢の推測は難しいが、体格からしてせいぜい十代半ばというところか。
「クィンラム公、その娘たちは……」
「ちょっとした伝手で手に入ったもので。――では、場所を変えましょう」
ナイジェルはそう言って、先に立って歩き出す。建物の周辺をぐるりと回り、彼らは開けた場所に出た。
そこはどうやら、大型の魔動機械のテストなどを行うための場所のようだった。標的用の魔動機械の破片があちこちに散らばり、荒涼とした様子だ。まだしも形を残してはいるが、片隅で朽ちるに任せて放り出されている大型魔動機械も見受けられる。
そんな中に、“それ”はあった。
「あれは……魔動巨人?」
「ええ。現在配備されているものの、一世代前の型だそうで。しかし、実験台にはちょうど良い」
魔動機械の残骸に混じって、現行のものよりも幾分無骨な意匠の魔動巨人が、まるで疲れ切った兵士のように腰を落としている。その装甲はあちこちが破壊され、左腕の肘から先は消失していた。新型に取って代わられ、何かの兵器の試験用にでも供されたのだろう。
「調べたところによると、これの重量は約二千五百グラント。これが動かせれば、現場の魔動巨人も問題なく動かせる。――おまえたち、できるな?」
「……これ、可愛くないです」
「大きいし重いし、おまけに傷だらけ……」
不平を漏らしつつも、指示を聞く気はあるようで、少女たちは魔動巨人に歩み寄ると、猫のような身軽な動きでひょいとその肩に飛び乗った。
「――やろうか、ニエラ」
「うん、遊ぼう、ブラン」
彼女たちはそれぞれ魔動巨人の左右の肩の上で頷き合い、両手を虚空に差し伸べる。
その指先から、大量の糸が噴き出した。きらきらと輝くそれは、魔力によるものだ。それらはまるで自ら意思を持つような動きで、魔動巨人の手足に幾重にも絡み付く。
「あれは……」
呆然と見上げるヘンリーに、ナイジェルは薄く笑みを浮かべた。
「さあ――動くぞ」
次の瞬間、廃棄されて久しいはずの巨体が、耳障りな軋みをあげながらも、ゆっくりと立ち上がった。
「馬鹿な……! 魔石も回収されて、動力源などないはず……!」
「あれはあの二人の魔力で動かしているのでね。――あれが我が配下、《人形遣い》。なかなかのものでしょう」
地上で見上げる二人の男の前で、少女たちに操られた魔動巨人は、鈍重な動きながらも一歩、また一歩と建物の方へ歩みを進め始める。
「ん……やっぱり、重い――ね、ニエラ」
白い肌の少女が、左手の糸を操りながらぼやいた。褐色の肌の少女が返す。
「でも、ブランと半分ずつだから、何とかいけるか――な!」
彼女が右手の糸の束を掴むように握り、引いた。すると魔動巨人の左腕が大きく打ち振られる。
……ガゴン、という音と共に、魔動巨人の腕が研究所の壁を大きく抉った。
「あ……やっちゃった」
「あーあ」
それでもどこか呑気な少女たちとは対照的に、ヘンリーはその有様に目を剥いた。
「な、何だ、あの力は……!」
「ふむ。まあ及第点というところか。――ブラン、ニエラ。もういい」
「はい」
「じゃあ、片付けます」
少女たちは再び魔動巨人を操り、元あった場所に戻る。彼女たちが魔力の糸を消すと、魔動巨人はまさしく糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。無論、二人の少女は寸前にその肩から飛び下りて退避している。
「――ご納得いただけたかな、ノスティウス候」
先ほどと同じように二人の少女を両脇に控えさせ、自信に満ちた笑みを見せるナイジェルに、ヘンリーはただ頷くしかなかった。確かに彼女たちならば、魔動巨人を動かせるだろう。
しかし――。
(……これほどの能力を持つ魔法士を、クィンラム公はどこから見つけて来た? それに、ただでさえ厄介な男に、さらに厄介な手駒が増えた……)
ある意味王家よりも貴族たちに恐れられている男が、これほどの力を手に入れたという事実を目の当たりにして、ヘンリーは冷たいものが背筋を滑り下りるのを感じた。
(今回の作戦が成功すれば、クィンラム公の発言力はさらに大きくなるだろう。それを上回るにはやはり、《擬竜兵》を取り込むしかない。――情報部め、上手くやっておるのだろうな)
遠く国境地帯にいる、自らの手駒ともいえる部隊のことを思い出しつつ、ヘンリーは帰城を促すナイジェルに頷き、馬車へ向かって歩き出した。
◇◇◇◇◇
旧ギズレ領攻防戦は、事態が膠着し、当初の想定以上に長引いていた。
台車を破壊し、操作術者を優先的に狙うというルシエルの作戦は当たったようで、魔動巨人の進撃は止まった。台車はともかく、操作術者は増援が来ることも視野に入れていたのだが、どうやら他の戦線にも魔動巨人を使用しているようで、即座にこちらに人員を回す余裕はさすがにないというところらしい。そもそも魔動巨人自体そう量産できるようなものでもないので、操作術者も貴重だろう。結果、魔動巨人は戦場のど真ん中で置物と化している。
そして魔動巨人がなければ、ファルレアンの騎士団が騎士・魔法騎士合わせて約千五百に対し、レクレウス軍は約二千。加えてファルレアンの魔法騎士は、戦闘能力の高さで近隣諸国に知られた精鋭だ。戦力はほぼ拮抗しているといって良かった。
(……後は、応援の部隊が来れば何とか押し返せるか)
現在は、何度か散発的な衝突が起こっている程度だ。戦場とはいえ、そう立て続けに戦闘が起こるわけでもないのである。
何度目かのレクレウス軍の攻撃を押し返し、ルシエルたち第一二一魔法騎士小隊は一旦後方に下がっていた。
「――隊長! 大丈夫ですか!?」
「ああ、全員無事だ。――応援部隊の到着について、何か聞いたか?」
「いえ……現在こちらに向かっているとしか」
「わたしも聞いてないです。こっちにもまだ、ほとんど情報が来ない」
今回は後方で防御や遠距離攻撃部隊の護衛に徹していたユフィオとユナが、帰還したルシエルたちに駆け寄って来る。彼らなら前線にいた自分たちより情報を持っているかと思って尋ねてみたが、どうやら応援部隊はまだこちらへの途上らしい。
(まあ、仕方ないといえば仕方ないか……日数的に、応援を要請した時は多分、オルグレン辺境伯領を出て子爵家領地群の辺りにいたはずだから)
ファルレアン王国ではかつて大規模な領地替えが行われ、上級貴族の領地の合間に点在していた下級貴族の小領地は、領地群としていくつかの地域に纏められた。これは、他国との国境をある程度の私兵を保有している上級貴族の領地で固めるためだったといわれている。子爵以下の下級貴族では、私兵を抱えるほどの経済力を持つ家は少なく、騎士団の駐留だけでは手が回らないことも多い。そうした領地が国境近くにあるのは、防衛上よろしくないという理由だ。現在、そうした下級貴族の領地群は、国境を越えて攻め込まれる心配がまずない山脈の麓や、国家的に空白域である《虚無領域》に隣接した王国北東部などに纏められている。もちろん、すべての領地が移動したわけではない。最初から王都周辺を固めていた公爵や侯爵クラスの広大な領地や、古くから国境を任されていた辺境伯領などはほとんどそのままだ。
ともあれ、そこからとんぼ返りとなるのだから、移動補佐があったところで一日や二日でディルまで来られるわけがないのだ。
「ひとまずは、現有の戦力で押し返し続けるしかないということか」
「そうですね。ですが、少し気になることが」
どこか物憂げなシャーロットの様子に、ルシエルも表情を引き締める。
「気になること?」
「はい。――あの魔動巨人、いつまであそこにあるんでしょう」
彼女が指差した先、四ケイルほど向こうには、移動手段を失った魔動巨人が単なる置物となって未だ鎮座している。何度か斥候が出て確認したそうなので、まだ未回収なのはまず間違いない。
「いつまでったって、そりゃ足がねーんだから動かしようもねーだろ?」
「わたしが気になるのは、なぜレクレウスが魔動巨人を解体してでも回収しないのかということです」
「え?」
カイルが虚を突かれたように声を漏らす。
「つーか……あれ、解体とかできんの?」
「では、まさかあれが最初からあのままの形で作られたとでも? 組み立てたのなら解体だってできるでしょう。レクレウスにとっても魔動巨人は貴重な装備のはずです。この場で使えないにしても、早々に回収すれば他の戦線に回せるかもしれないのに。あのままあそこにあったところで、せいぜい障害物にしかなりませんよ」
「ああ、まあ、そりゃそうか」
シャーロットのもっともな意見に、カイルもうんうんと頷いた。そして、小隊内で最も魔動機器方面に詳しいクロリッドに話を振る。
「そこらへん、どーよ」
「考えられる理由としては、単純に道具が足りない。組み立てだって解体だって、道具がなきゃどうしようもないからね。後は……どうにかして動かす当てがある、とか?」
クロリッドの言葉に、小隊内に緊張が走る。
「……それって、またあの台車が来るってこと? もう一度、イリアルテ小隊長にお出ましいただくってことになるのかしら」
「いや、あの手はもう通用しないと考えた方がいい。レクレウス軍だって馬鹿じゃない、それなりの対策はしてくるだろう。一度見せた手はもう奇襲にはならない」
ジーンの案をあっさりと却下し、ルシエルはその双眸をすがめて遥か西方を見つめる。
「……とりあえず、魔動巨人の戦線復帰の可能性を報告しておこう。取り越し苦労で済めば、それに越したことはない」
ルシエルは《伝令》の魔法を、指揮を執るグラディスに飛ばす。その時、陣の後方で歓声があがった。
「何だ?」
「……ああ、どうやら応援部隊が到着したらしい」
様子を見に行って戻って来たディラークの言葉に、ユフィオが顔を輝かせた。
「良かった! これで何とか押し切れますね!」
「意外と早かったな。もうちょい掛かるかと思ったんだけど」
カイルやジーンら年長組も表情を緩める。そんな中、ルシエルはディラークに尋ねる。
「応援部隊の数は分かるか?」
「伝聞なので正確さには欠けますが……帰還していた部隊の、大体半分ほどだと」
「そうか……」
どこか浮かぬ顔のルシエルに、シャーロットが尋ねた。
「何か気掛かりなことでも?」
「いや……少し気になっただけだ。帰還部隊の半数をこちらに寄越したということは、アル――《擬竜兵》を護送する人員も半減したことになる。そこを襲撃されたら……」
「隊長はまだ、レクレウスが《擬竜兵》奪還を企てていると?」
「ですが、カルヴァート大隊長がその可能性を考えておられないとは考え難い。半数を応援に回したということは、残りの人員でも切り抜けられるということではないかと」
「……そうだな」
ディラークの意見に頷き、ルシエルはともすれば悲観的になりそうな考えを切り捨てる。今はこちらの戦線に集中しなければならない。アルヴィーのことはもちろん気になるが、そちらに気を取られるあまり戦場で不覚でも取れば、取り返しが付かないのだから。
「ひとまず、こちらの戦線に集中しよう。応援が来た以上、もう睨み合っていても意味はない。アークランド大隊長は、一気に反転攻勢を考えるはずだ」
「その勢いで、レクレウス軍を旧ギズレ領から叩き出すわけですね」
「ああ。叩き出すだけでなく、できる限り損害を与えることを念頭に置いておこう。ここから追い返したところで、その戦力をもう一度レドナに回されたりするのはまずい。せめて結界陣の修復が終わるまでは、攻め入る余力を残させたくない。アークランド大隊長も、そうお考えだろうし」
「では、ジーンやクロリッドの広範囲攻撃魔法を中心に据えるのが良いでしょう。我々は援護に回ります」
「だな」
ディラークの提案に、カイルも頷いた。この二人はどちらかといえば近接戦闘を得意としている。対複数戦闘も苦手ではないのだが、やはり魔法で広範囲の敵を倒せる魔法特化のクロリッドやジーンには、効率という点で一歩譲る形だ。ならば自分たちが二人の護衛に回り、彼らには攻撃魔法に集中して貰った方が良いという意見に、ルシエルも頷く。
「そうしてくれ。僕も魔法攻撃を主体にしよう。ユフィオとユナも出てくれ。戦線はおそらくずっと前方になる。少しでもそっちに戦力が欲しい」
「では、露払いはわたしが」
手早く役割分担を決め、次の出撃命令が出るまで身体を休めることにする。そう長い休息にはなるまいと、ルシエルは見当を付けていた。ならば一秒たりとも無駄にはできない。
そしてその予想は当たり、一時間も経たない内に全軍に出撃命令が下った。
「――よし、行くぞ」
ルシエルが愛剣《イグネイア》を抜き放てば、隊員たちも各々得物を手に頷く。
そして、重装騎士たちの突撃を嚆矢に、ファルレアン側は攻撃を開始した。
「やぁぁぁぁっ!!」
シャーロットがバルディッシュを縦横無尽に操り、兵士たちを撥ね飛ばす勢いで道を開く。それをルシエルの攻撃魔法でさらに切り開き、そこへ飛び込んだクロリッドとジーンが、カイルとディラークに守られながら大規模な攻撃魔法を詠唱。
「押し流せ、《氷海豪波》!!」
「撃ち果たせ、《雷撃瞬波》!!」
ジーンの生み出した鋭い氷片混じりの大波に、クロリッドの広範囲雷撃魔法が乗り、兵士たちを巻き込む。兵士たちは、凍り付くような冷たさの中氷の刃で斬り裂かれ、雷に撃ち据えられて為す術もなく押し流されていった。何とか踏み止まって反撃しようと試みた者もいたが、それはユフィオの魔法障壁に阻まれ、逆にユナの魔法射撃の餌食となる。
「くそっ、魔法騎士だ! 魔法騎士どもを何とか片付け――」
部隊の指揮官と思しき男が喚きかけるが、次の瞬間、ルシエルたちの遥か後方から飛んで来た長大な矢が指揮官の眼前の地面に突き刺さり、爆発を起こして彼を周囲の兵士ごと吹き飛ばした。シルヴィオ・ヴァン・イリアルテの超長距離射撃だ。今回は接敵地点がかなりレクレウス側に寄る予定のため、彼もまた前線に打って出ることにしたのだろう。それにしても相変わらず恐ろしいほどの命中率である。
「――もう少しで、魔動巨人の擱座地点です」
シャーロットが告げ、小隊員たちの間に緊張が走った。あの魔動砲の威力は、まだ記憶に新しい。
「よし、一気に走り抜けてレクレウスの本陣を目指す。遅れるな――」
ルシエルがそう言いかけた、その時。“それ”は起きた。
――ぼこり、と。
彼らの眼前、ちょうど魔動巨人が擱座した辺りを囲むように、土の壁が形成されたのだ。
「妨害か!? 総員、壁の向こうからの攻撃に警戒しろ!」
進撃中の部隊のど真ん中に思いっきりぶち込まれでもしたら目も当てられない。ルシエルの指示に、小隊員たちは土壁を避けてコースを変え、少し離れた地点で一時足を止めると、攻撃に備えた。
「何だ、あれは……」
どよめく騎士たちの頭上を越え、後方からシルヴィオの矢が飛んでくる。それは狙い違わず、土の壁に突き刺さって爆発を起こし――そしてすぐに、魔法で修復された。
「撃ち抜け! 《氷弾》!」
「焼き尽くせ、《炎砲》!」
「斬り裂け、《風刃》!」
他の魔法騎士たちも加勢し、土壁に雨あられと浴びせられる攻撃魔法。しかし、土壁は破壊されては生き物のように即座に再生し、その向こうを見せない。そこへ、シルヴィオの追撃。今度は続けざまに三本、すべてほぼ同じポイントに撃ち込むという冗談のような精密射撃だ。爆音が戦場に響き渡る。しかし、爆発で吹き飛ばされた土壁は、やはりすぐに修復された。おそらく破壊されるたびに魔法を重ね掛けしているのだろう。材料は腐るほどある。何しろ、足下は土の地面なのだから。
「硬かないけど、厄介だな! 部分ごとにちまちま攻撃してても埒があかねーぜ!」
「けど、あの規模を一気に破壊するような魔法となると、後方陣地の魔法士を術具ごと引っ張って来るか、高位元素魔法士クラスじゃないと……」
カイルの慨嘆に、クロリッドが絶望的な答えを返す。後方陣地の魔法士は作戦上動かせないし、高位元素魔法士ともなれば言うに及ばずだ。そもそも高位元素魔法士と呼ばれるには、精霊や妖精族、竜など、人間を遥かに超越した存在の加護を必要とする。そんな人間が、そうそうその辺に転がっているはずがない。
――いや。
(……アル)
《上位竜》の魂の欠片とその力を宿すアルヴィーなら、もしかしたら。
しかしルシエルは、その考えをすぐに振り払う。レクレウス軍に攻撃するということは、彼にとっては完全に祖国に弓引くこととなる。この状況では、自衛のためだという言い訳もできない。甘いと言われようとも、ルシエルはできうる限りアルヴィーにそんなことをさせたくなかった。それにそもそも彼は今、遠く王都への道の途上だ。
(ここにいないアルを当てにしたってしょうがない。――何とか僕たちで、これを破る方法を考えないと……!)
破壊と再生を繰り返す土壁を見据えながら、ルシエルは部下たちに指示を下した。
「クロリッド、ジーン、《氷砲》を唱和詠唱。僕も合わせる。ユナは壁が崩れるタイミングを狙って内部を狙撃。残りは周辺警戒、敵部隊の反撃に備えろ。――行くぞ!」
「はい!」
「了解!」
ルシエルの号令一下、第一二一魔法騎士小隊は壁を破壊するために攻撃を開始した。
◇◇◇◇◇
「隔てよ、《土盾》!」
「ファルレアンの攻撃、なお継続――これではこちらの魔法士が先に潰れます!」
土壁の向こう側、必死に魔法で壁を修復し続ける魔法士たちから、悲鳴のような声があがる。だが、半壊した台車の上で、魔動巨人に魔力の糸を設置する作業に忙しい二人の少女は、にべもなかった。
「保たせて」
「それがあなたたちの仕事」
白い肌の少女・ブランが右手と右足を、褐色の肌の少女・ニエラが左手と左足を担当し、魔力の糸を巻き付けていく。充分に糸を巻き付けると、彼女たちは魔力の糸の束を握り締めた。
「――起こすよ」
「うん」
少女たちは息を合わせ、両手の糸を操る。荷台に仰臥した状態だった魔動巨人が、やおらむくりと上半身を起こした。周囲の魔法士たちから歓声があがる。
「やった!」
「本当に動くのか……!」
上体を起こした魔動巨人の肩に飛び乗り、少女たちはそんな魔法士たちを呆れたように見下ろす。
「だから、できるって言った」
「それより、操作術者は誰? 早く来て」
「は、はい!」
今回のために他の戦線から回されて来た魔法士は、慌てて魔動巨人に駆け寄った。すると、ブランが右腕を操作し、魔法士を拾い上げる。魔動巨人はそのまま、荷台の上に立ち上がった。
「じゃ、行こうか、ブラン」
「そうだね、早く終わらせよう、ニエラ」
少女たちは頷き合い、そして魔動巨人は動き出した。荷台から下り、退避する魔法士たちを尻目に土壁へと向かう。
「この間のよりちょっと軽い」
「うん、動かしやすいね」
左手の糸で魔動巨人の歩みを微調整。魔動巨人は重々しい足音を響かせながらそのまま土壁に突っ込み、いとも容易く粉砕した。
「なっ、ゴ、魔動巨人が――!」
「うわあああっ!!」
土壁を突き壊し、そのまま足下の騎士たちなど歯牙にも掛けぬと言わんばかりに悠然と歩いて行く魔動巨人。騎士たちが食い止めようにも、魔動巨人の頑丈過ぎる体躯は生半可な攻撃魔法など平気で跳ね返し、それどころか、うかつに近付き過ぎた者が撥ね飛ばされる始末だ。
「――薙ぎ払え、《流水斬刃》!!」
ルシエルは魔動巨人の足を目掛けて、《イグネイア》を振り抜く。迸る水の刃が巨木のような足を捉え、そして空しく弾き散らされた。
「この程度じゃ掠り傷にもならないか……!」
「ヤベエっすよ隊長、あいつらこっちの陣地の方に向かってる!」
「追うぞ!」
第一二一魔法騎士小隊は、魔動巨人を追って駆け出す。
「このっ――!」
身体強化して魔動巨人と並走しながら、シャーロットがバルディッシュを振るうが、甲高い音と火花を散らしただけで弾き返された。むしろ自分の手が痺れそうな衝撃に、彼女は思わず顔をしかめる。
「捕らえよ、《鋼鉄縛蔓》!」
ジーンの魔法は一瞬だけ魔動巨人の足を捉えてすぐに引き千切られ、
「戒めろ、《地鋭縛針》!」
「阻め、《三重障壁》!」
クロリッドとユフィオの二段構えの魔法も、意に介さぬとばかりに突き破られる。
「ロット、離れて!」
魔動巨人と並走するシャーロットに注意を促し、ユナが腰の後ろに保持していた魔法小銃を抜き出して、素早くカートリッジを叩き込んだ。足を止めてその場に片膝をつき、立てた方の膝を支点に銃を保持して照準。狙いは魔動巨人の右肩、砲身の上に立つ少女だ。スコープにその姿を確かに捉え、引鉄を引く!
ごう、と銃口から撃ち出された、高密度に圧縮された炎の弾丸が、銀髪をなびかせる少女に吸い込まれるように向かっていく。だが、それを察したように、魔動巨人は歩みを止め、膝を曲げて腰を落とした。標的を見失い、炎弾は虚空へと飛び去っていく。巨体に似合わぬ挙動に、ユナは眉をひそめた。
「大きいくせに、意外と動きが良い……!」
「くそ、もうすぐデッドラインだぞ!」
カイルが焦った声で叫ぶ。ファルレアン陣を魔動砲の射程に収められる三ケイル地点まで、あとわずか。と、
「……一二一小隊、離れろっ!」
声と共に横合いから次々と矢が飛んで来て、魔動巨人の頭部目掛け襲い掛かる。シルヴィオの矢だ。だが魔動巨人の左肩の少女が右手を動かすと、魔動巨人の左腕が上がり、彼女を庇うように翳された。そこへ矢が突き立つ。魔法付与が作動して起きた爆発で、魔動巨人の歩みは止まったが、その装甲にはわずかな汚れ以外の痕跡を残すことはできなかった。
「チッ、やっぱり《爆裂》じゃ通じないか!」
騎乗して魔動巨人に追い縋っていた第一三八魔法騎士小隊、その先頭でシルヴィオが舌打ちと共に吐き捨てる。
「他に通用しそうな攻撃、ないんすか!?」
「《貫通》なら通じるかもしれないけど――矢を作るための材料がない! あれは鏃が特別なんだ!」
カシムの焦った声にそう返し、シルヴィオは忍び寄る絶望に目をすがめる。
と――。
「ディラーク、手を貸せ!」
ルシエルの凛とした声が、その場の空気を斬り裂いた。彼は魔動巨人に向かって走りながら、
「――投げろ!」
その一言で、ディラークは自分がやるべきことを理解する。魔動巨人にギリギリまで近付くと、手にした槍を傍らの地面に突き立て、両手を組み合わせて腰を落とした。地を蹴ったルシエルがピタリとその手の上に着地――次の瞬間、渾身の力でその身体を上方へと投げ上げる!
身体強化魔法で増幅された膂力で投げ上げられたルシエルは、思惑通り魔動巨人と並ぶ高さまで到達した。その手には、限界まで魔力を注ぎ込み強化した《イグネイア》。
(まず、魔動巨人の操縦者を排除する!)
相手が少女とはいえ、手心を加えるつもりもその余裕もない。まずは魔動巨人の左肩、褐色の肌の少女に狙いを定めて愛剣を振りかぶり、ルシエルは高らかに唱える。
「斬り裂け――」
……だが。
「狙いは悪くないけど――遅いよ!」
ニエラが糸を操るや、魔動巨人の左手が思いがけない反応の速さでルシエルに迫る。やむなくルシエルは、《イグネイア》で迎え撃った。金属が擦れ合う耳障りな音。そして、ぎしりと不吉な音がして剣身が軋むのを、握った柄からの手応えで感じ取る。
だがそれでも、魔動巨人の手に弾き飛ばされながら、ルシエルは魔法を放っていた。
「――《風刃》ッ!!」
振り抜かれた剣から放たれた風は、鋭い刃を伴ってニエラに襲い掛かる。だがその負荷に剣身は耐え切れず、きぃん、と悲鳴のような音を残して砕けた。
「きゃっ――!?」
ニエラは身を縮めるようにして放たれた魔法を避けようとする。だが避けきれず、こめかみを掠めた。銀髪の一房が風に舞い、それを追うようにひらりと風に流されていく、彼女の目元を隠していた薄い布。驚いたように見張られた彼女の金の双眸と、宙を舞うルシエルの視線が、ほんの一瞬だけ合わさった。
「――隊長!」
交錯は一瞬、支えるもののないルシエルの身体は、そのまま地上へと墜ちていく。だがその落下地点へディラークが駆け込み、すんでのところで彼の身体を受け止めた。
「大丈夫ですか!」
「平気だ。でも――」
ルシエルが焦燥もあらわに振り仰ぐ先、魔動巨人の右手の上で、操作術者が杖を掲げた。
「――魔動砲起動! 照準、ファルレアン軍本陣!」
そうはさせじと操作術者を狙って放たれた魔法騎士たちの攻撃魔法は、しかし魔動巨人の左手によって遮られる。それに守られ、操作術者は術式を完成させた。
「魔動砲、発射せよ!」
魔動巨人がその右肩に負う砲身に、内蔵の魔石から膨大な魔力が供給され、光の奔流が砲口から迸る――!
……まさに、その瞬間。
戦場に飛竜の咆哮が轟いた。
魔動砲の射線上に、一騎の飛竜が上空から滑り込む。その背に二人の人影が騎乗しているのを、どれだけの人間が視認できただろうか。
その飛竜もろともファルレアン陣を蹂躙しようと、砲撃が突き進み――そして飛竜の眼前で不可視の障壁に遮られて爆発を起こす!
「何っ……!?」
必中を期した一撃のまさかの不発に、操作術者が一瞬呆然とする。その隙を突くように、飛竜が魔動巨人との距離を一気に詰め、人影がその背から飛び下りた。飛竜はそのまま再び上空へと舞い上がり、宙に舞う人影が右腕を振りかざす。
「――《竜の咆哮》っ!!」
その右手から放たれた光芒が、砲撃を放ったばかりの魔動巨人の砲口を捉え、砲身を貫いた。その上に陣取っていたブランは、弾かれたように飛び下り、魔力の糸を使って着地の衝撃を和らげる。ほぼ同時、内部で炸裂した《竜の咆哮》に砲身が耐え切れず、爆発を起こした。
「きゃああっ!?」
「うわわわわ……!」
爆発によって魔動巨人が姿勢を崩し、ニエラも慌てて魔動巨人の左肩から飛び下りた。ブランが制御を放棄したことによって、魔動巨人の右手に乗せられていた操作術者も転落しかけ、魔法を使って離脱する。少女たちの制御を失い、魔動巨人はそのまま崩れるように地面に倒れ込んだ。比喩でなく地面が揺れ、轟音が響く。
「……ば……馬鹿なっ……!」
「嘘だろ……!?」
信じ難い光景に、敵味方問わず呆然とする中、ルシエルだけは事態を理解し、呟いた。
「……アル……!」
戦場に下り立った、一人の少年。
王都への途上であるはずのアルヴィーの姿が、確かにそこにあった。




