第9話 もう一つの国境戦
新章開始です。
レクレウス王国王都・レクレガン。そのほぼ中心部に、王国の中枢たる王宮がある。
その議場で、レクレウス国王グレゴリー三世ことグレゴリー・フィリオ・レクレウスを始めとする、国の意思決定を担う重鎮たちが、沈痛な面持ちを突き合わせていた。
「……レドナの攻略は、失敗に終わったそうだな?」
「は……申し訳ございませぬ」
軍務を預かる軍務大臣、ヘンリー・バル・ノスティウス侯爵が頭を垂れた。
「《擬竜兵》部隊により、レドナに甚大な被害を与えは致しましたが、肝心の《擬竜兵》が……」
「暴走したと聞き及んでおるが?」
「仰せの通りにございます。当初四人おりました《擬竜兵》部隊でしたが、内三人は《上位竜》の細胞が完全には適合しなかったと思われます。一人は暴走しかけていたところ騎士団との戦闘で戦死、残る二人は暴走により自壊を起こした模様と、情報部より報告がありました」
「ふむ……」
グレゴリー三世は思案げに唸る。その隣に座を占める、華やかな顔立ちに金髪を戴く青年が、不快げに眉をひそめた。
「ただでさえ注ぎ込んだ人員や設備に比して成功例が少なかったというのに、これでは大損害ではないか。どう責任を取るつもりだ、ノスティウス侯」
「よせ、ライネリオ。今さら言うたとて、どうにもなるまい」
グレゴリー三世に諌められ、王太子ライネリオ・ジルタス・レクレウスは不満げな様子を見せながらも口を噤んだ。
「続けよ」
「は、陛下の御恩情に感謝致します。――四人中三人は“喪失”致しましたが、残る一人は更なる進化を遂げ、安定状態に入ったと見られると現地から報告が上がっております。現在、ファルレアン王国の王都ソーマへの護送の最中だそうですが、必ずや奪還致します」
「うむ、それだけの戦闘力を示した以上、ファルレアンもよもやあれを手放そうとはすまい。何としても奪還せよ。さすれば、他国に対しての良い抑止力となろう。三人を喪失したとはいえ、更なる進化を遂げたというその生き残りが確保できれば、レドナの失敗もさほどの傷にはならぬ」
「はっ」
軍部の関係者が一斉に頭を垂れる。それに頷き、グレゴリー三世は次の議題に移った。
「……して、魔導研究所を襲撃した犯人は、まだ見つからぬのか」
「申し訳ございませぬ。何分夜間のことでございまして、目撃者もおらず……そもそも、研究所内にいた人間は残らず殺害されておりまして、生き残ったのは非番か所用のため当時研究所にいなかった、ごくわずかな人員のみという状態でございます。ただ……遺体を調べた結果、おそらく犯人はすべて同一人物であろうと。太刀筋がすべて同じ人物のものと思われる、とのことでございます」
「同一人物、だと? 確か事件当時、研究所には百人近い人間がいたはずでは?」
さすがに疑問に思ったのか、大臣の一人が声をあげる。
「大規模魔法を使ったならともかく、一人が剣で百人もの人間を斬り殺すなど……」
「ですが検死の結果、そうとしか考えられぬと」
「ふむ……魔剣の類なら不可能ではないかもしれんが……」
議場がざわつく中、宰相であるロドヴィック・フラン・オールトがぽつりと呟いた。
「何とも……百年前の《剣聖》の逸話を思い出すのう」
「失礼、宰相閣下。《剣聖》とは、あのサイフォス家のことでございますか? 二十二年前、この国を襲った《上位竜》の討伐に参加したという……」
議場にいる中では若い方の、外務大臣がそっと挙手をして尋ねる。ふむ、と老齢の宰相は長い顎鬚を撫ぜ、
「そうじゃの……この中で“魔導帝国”を知らぬ者はおるまい?」
「確か、百年ほど前に滅んだ国でございましょう。正式な名は《クレメンタイン帝国》であったかと」
「その通りじゃ。かの国は優れた魔法技術を誇っておった。驚いたことに、当時の魔法技術でさえ、現在世界に広まっておる技術の数段先を行っていたそうな。――だがかの国は、その力をもって他の国々を武力支配し、属国と貶めて自らが大陸の覇者となることを目指しておった。そこで、我が国を含む数ヶ国の志ある国々と帝国内で蜂起した貴族の私兵で連合軍を組織し、戦いの末にようやくかの国を打ち倒すことに成功したそうじゃ。ただ、かの国の技術のほとんどはその戦いを境に失われてしまい、今ではほんの一部が残るのみじゃがな」
「はい、それは歴史の講義でも習いましたので存じておりますが……」
「うむ。――その帝国の最後の皇女、名前までははきとは伝わっておらぬのだが、その皇女の傍に最後まで侍り、帝国では《剣聖》と、連合軍の間では《死神》と呼ばれたのが、皇女の騎士であった一人の青年だったという。サイフォス家は、その騎士に従っていた従騎士が戦後に興した家だそうだ。仕えた騎士の背を追うように剣の道に邁進し、いつしか《剣聖》を冠するようになったというが……」
「なるほど、そのような逸話が……」
「まあ、今回に限っては、《剣聖》の関与はなかろう。《剣聖》が魔導研究所を潰す理由がない。何よりサイフォス家は一国に縛られることを嫌い、代々諸国を巡っておるそうじゃからな。儂が《剣聖》を思い出したのも、百人もの人間を斬り殺した此度の犯人が、一人で数百もの連合国軍の兵を斬り倒したというその逸話を彷彿とさせたというだけのことよ」
「は……勉強になりましてございます」
若手の貴族たちが頭を垂れる。
「さて、歴史の講義はここまでに致そう。とにかく、研究所員をほぼ皆殺しにした犯人は是が非でも突き止めねばならぬが、同時に後進の研究者たちも育てねばならぬ」
「うむ、宰相の言う通りだ。早急に差配せよ」
「は、仰せの通りに」
国王の命令だ、どれほど困難だろうと否やはない。居並ぶ貴族たちは謹んで受諾する。
「……そういえば、《擬竜兵》で思い出した。確か後詰のために、国境にいくらか兵を送っておいたはずであったな?」
ふと思い出したように言ったグレゴリー三世に、軍務大臣ヘンリーが起立し、得たりとばかりに頷く。
「は、仰せの通りにございます。かの部隊には研究所が新たに開発した《エレメントジャマー》を持たせており、ファルレアン女王の風精霊の情報網からも漏れております。情報部が国境に領地を持つ貴族に取り入り、混乱を起こしておりますゆえ、その隙を突けばファルレアンに攻め込むことも可能かと」
「しかし、問題はギズレ辺境伯の一件じゃ。レクレウス国内ならば情報操作もできようが、ファルレアンで話が広まるのは止められぬ。あちらの騎士どもとて、我が軍の出方はある程度予想が付こう。次は辺境伯領が狙われることを警戒して、レドナに展開した部隊をそちらに回すこともあり得るのではないかの」
宰相の懸念に、ヘンリーは頷く。
「閣下のご懸念はごもっともでございます。ゆえにこちらも、すでに追加の部隊を送りました。歩兵部隊八百と魔法士部隊二百、それに魔動巨人部隊にございます。他の戦線もございますので、魔動巨人は三体しか回せませぬが、元の部隊と合わせれば、国境の一都市を攻める程度ならば充分でございましょう」
大臣の返答に、グレゴリー三世は満足げに頷いた。
「ふむ、それなら良かろう。辺境伯領ごときに歩兵千五百に魔法士五百、その上魔動巨人三体は、いささか過剰な気がせぬでもないが」
「レドナで躓いておりますので、念には念を入れるべきかと。――それに、《擬竜兵》の件もございます。国境に魔動巨人を投入すれば、ファルレアン側は手近な友軍として、中央へ引き揚げている途上の部隊に応援を要請するでしょう。そしてその部隊は十中八九、《擬竜兵》を王都へ護送する戦力も兼ねております」
「なるほど……《擬竜兵》の奪還もやりやすくなるというわけか」
「ご明察の通りにございます」
「良かろう。そなたに委細任せるゆえ、良い知らせを期待しておるぞ」
鷹揚に頷くグレゴリー三世の横で、ライネリオが声を張り上げた。
「良いか、皆の者。ファルレアンは何としても下さねばならぬ。歴史ある我がレクレウスが、いくら風の大精霊に愛されているとはいえ、たかが十四の小娘が統べる国になど、決して敗れるわけにはいかぬのだ!」
彼の蒼い双眸が、妄執にも似た戦意にぎらぎらと輝く。彼は王太子として幼い頃から英才教育を受け、彼を誉めそやす者たちに傅かれて育ってきた。それゆえに、彼は自身の能力に絶対の自信を持ち、いずれ王位を継いだ暁には、レクレウス王国を大陸の国家群の盟主としてみせると公言していた。この隣国との戦争も、むしろファルレアンの力を削ぐのにちょうど良いと楽観的に見ていたのだ。
しかし戦況は年を追うごとにファルレアン側優位に傾きつつあり、しかも彼が王太子の地位に甘んじている間に、隣国では弱冠十二歳の女王が誕生した。加えて彼女は高位元素魔法士で、風の大精霊の加護というアドバンテージまで持っていたのである。風精霊の情報網を握り、少女ながら見事に国を治めるその手腕は、レクレウス側でもひとしきり話題となり、それはライネリオに彼女への激しい嫉妬心を抱かせるに充分なきっかけとなった。
(所詮は風精霊に頼っているだけの小娘ではないか……! 王としての能力であれば、わたしとて負けてはおらぬ!)
負けるわけにはいかない――そんな思いが鋭い眼光となり、議場に居並ぶ重臣たちを睨み付ける。
「はっ……必ずや」
語気を強める王太子にヘンリーは深く一礼し、着席した。
(……新型の魔動機器が一台ファルレアン側に渡ってしまったことは、何とか隠せたな)
情報部がギズレ辺境伯に取り入るために無償供与した《エレメントジャマー》と、その効果範囲を広げるための増幅器は、取り戻す前にギズレ辺境伯に騎士団の強制捜査が入ったため、ほぼ確実にあちらの手に落ちたと見て良いだろう。レドナの攻略は、失敗したといってもあれだけ損害が出れば前線基地としての機能はほぼ喪失したも同然だし、そもそもファルレアン側の領地なので、レクレウス側にとっては“最悪”ではない。だが魔動機器の回収失敗はまずかった。ゆえに軍部は、その失態をひた隠しにしたのだ。もっとも、やらかしたのが情報のエキスパートである情報部なので、情報操作に関しての心配はないだろう。彼らとしても自分の身は可愛い。
(今回の作戦と《擬竜兵》の奪還で、何としてもその失敗を取り返さねば……!)
彼は遠い国境戦線に思いを馳せる。
進撃開始予定時刻は、間近に迫っていた。
◇◇◇◇◇
領主が反逆罪で捕らえられ、主を失った旧ギズレ辺境伯領。新たな領主が決まるまでは、ひとまず女王アレクサンドラの預かりとなり、その間の運営は防衛も兼ねて派遣された騎士団の大隊長に任されている。基本的に隊を率いることとなる一級・二級クラスの騎士となると貴族、それも上級貴族の出身である割合が三級以下の騎士に比べ圧倒的に跳ね上がるため、ある程度の領地運営にも対応できるだけの基礎知識があるのだ。
今回その役目を押し付けられたのは、ギズレ辺境伯――今や“元”辺境伯というべきか――を捕らえたグラディス・ヴァン・アークランドだった。
「――隊長。全部隊、配置完了致しました」
入室して来て報告した部下に、グラディスは執務机から立ち上がりながら頷く。旧ギズレ領防衛のため、中央からの本隊やレドナから回されて来る部隊を待っていたのだが、それも揃ったらしい。そしてもとより、彼女は騎士大隊を預かる者。戦いの指揮こそが本来の仕事だ。
「斥候は戻って来た?」
「はい、あまり近くまでは寄れなかったそうですが、やはり野営地らしき村落跡から進軍を始めるレクレウス軍らしき存在を確認したそうです。一部は密かに部隊に追随し、レクレウス軍が本格的に動き出したらこちらに一報を入れる手筈となっております」
「分かったわ。――敵はレドナ攻略に失敗している。だけどこちらも、レドナに手痛い損害を食らったわ。ここは譲れないわよ」
「は、心得ております」
「では、始めるわよ。今回はこの旧ギズレ領の防衛が目的だから、とにかく領内――最低でもこの領都ディルに被害を出さないこと。最初は軽く当たるだけにしておいた方がいいわね。向こうが罠を張っている可能性もあるから。わたしもディルの防衛体制を確認した後、前線に飛んで指揮を執るわ」
「了解致しました」
現在の状況とグラディスの指示はすぐさま前線に飛び、先鋒を担当する部隊に伝えられる。その中には、ルシエル率いる中央魔法騎士団所属・第一二一魔法騎士小隊の姿もあった。
「――アークランド大隊長からの指示だ。最初は軽く当たる程度で止めておけと。妥当なところだな」
「アークランド大隊長は、レクレウス側の動きを警戒しておられるようですね」
「ああ。――僕としてはこのまま突っ込んでもいいくらいだが」
ぎり、とルシエルの手が、愛剣の柄をきつく握り締める。秀麗な容貌に浮かぶのは薄い笑みだが、見る者の背筋に冷たいものを走らせる笑みでもあった。彼から放たれる殺気といっても良い凄絶な気配に、周囲の部下たちは息を呑む。
「隊長……それは冗談にしといてくださいよ。てか、何かあいつらに恨みでもあるんすか……?」
乾いた笑みを浮かべて何とか問うカイルに、ルシエルは吐き捨てるように答えた。
「……奴らが留まっていたのは、アルと僕が育った村だ。――滅ぼしただけじゃ飽き足らず、そこをさらに軍靴で踏み躙ったんだ」
魔物に蹂躙された、今はもうない村。防衛戦に先立つ軍議で説明を受けただけだが、ルシエルにはすぐに分かった。レクレウス軍が拠点としていたのは、まさにその場所で間違いない。
レドナを出発する直前、村のある方角を見つめていたアルヴィーの表情が、脳裏に甦った。
(アルから何もかも奪っておいて、その上にまだ、自分たちが滅ぼした村に居座るのか……! どれだけあの場所を穢せば気が済むんだ!)
あの村は纏まった数の軍の部隊が野営できるほど広くはない。おそらく、周辺の森も切り開かれたことだろう。アルヴィーの母を含めた村人たちが、今はもうあの場所で静かに眠っていることがせめてもの救いだったというのに――レクレウス軍はそれすらぶち壊しにしたのだ。
ルシエルの怒りを部下たちも理解し、やや剣呑な眼差しになる。無論、戦時中である以上、ある程度効率が重視されるのは仕方ないと理解はできるが、それでも軍の作戦で滅んだ村をさらに軍靴で踏みしだくようなそのやり方に、さすがに不快感を抑えられなかったのだ。
「隊長のお気持ちはお察ししますが――わたしたちの任務は軽く当たって敵の戦力を測ることです」
「ああ、分かってる」
シャーロットの冷静な言葉に、ルシエルは少し落ち着きを取り戻した。だがそのアイスブルーの双眸は、氷というより蒼い炎のように未だ怒りに燃えているが。
「いくら頭に来てるからって、任務を投げるような真似はしない」
「それなら結構です」
にこりと笑って、シャーロットは魔法式収納庫から愛用のバルディッシュを引き出す。とはいえ最初に攻撃を仕掛けるのは、攻撃魔法や魔法小銃のような遠距離からの攻撃手段を持つ者たちなのだが。前衛で戦う者たちは、遥か前方の主戦場で敵主力と相対し、あるいは敵からの攻撃が後衛に届かないよう前に控えて防波堤となるのだ。
ファルレアン側前線部隊約千五百人(騎士団約九百・魔法騎士団約六百)は、領都ディルから南西へ十ケイルほどの位置に布陣していた。レクレウス軍の野営地と思われる村落跡とディルとの間の、やや旧ギズレ領寄りの地点だ。一帯にはすでに、地系統の魔法で土塁と塹壕が造られ、大規模かつ射程の長い攻撃魔法を得意とする魔法士たちがその内側に詰めていた。数人がかりで一つの魔法を構築し、さらに術具などで威力を強化したその魔法は、時に一ケイル近い射程を叩き出すのだ。そして砲台である彼らを守るべく、防御魔法のエキスパートが同じく陣地に詰める。
第一二一魔法騎士小隊は、どちらかといえば敵陣に斬り込んでの機動戦闘を得意とする小隊のため、塹壕の前方一ケイルほどの地点に布陣し、進撃して来るレクレウス軍を跳ね返す役目を負うことになっていた。
やがて――レクレウスの動きを見るため張り付いていた斥候から、知らせがあったらしい。予め隊長クラスに支給されていた魔動通信機からノイズが聞こえ、それは程なく落ち着いた女性の声となる。
『……司令部より前線へ。たった今、斥候より連絡があった。村落跡より出陣したレクレウス軍の本隊が、我々の陣より西に五ケイルほどの地点に布陣、前線部隊はそれよりさらに二ケイルほど前方に布陣しているとのこと。敵兵力は目測で総数約二千。ただし、飛竜六体と魔動巨人らしきものが三体混ざっているそうだ。諸君も知っての通り、レクレウスの魔動巨人の魔動砲台は二、三千メイル先からでも砲撃を当ててくる。魔動巨人の動きを注視しつつ、まずは第一波を跳ね返すことを念頭に置くように。斬り込みは魔法騎士及び重装騎馬隊に任せ、その他の者は魔動銃及び手榴弾で弾幕を張り、敵兵力を削ることに専念せよ。――では、作戦開始!』
鬨の声があがり、前線部隊の後方から飛び立つ八騎の飛竜。会戦に先駆けたギズレ元辺境伯の逮捕のため、グラディスたちが王都から駆って来た飛竜たちだ。この作戦のため、今日までディルに留め置かれていたのである。飛竜は《下位竜》よりさらに下位とされる竜種で、体躯も小さくその鱗の強靭さも竜には及ばないが、飛翔の速度は立派に肩を並べ、卵から育てれば人間にもそれなりに懐くため、乗騎として重宝される種だ。また、竜種だけあって好戦的でもあり、おとなしい天馬と違って戦闘にも投入できる。
空高く舞い上がった飛竜たちは、それぞれ二人の騎士を背に乗せ、レクレウス軍目掛けて飛んで行く。だがレクレウス陣からも、六騎の飛竜が飛来してファルレアン側の飛竜に襲い掛かった。こちらは補給物資などをレクレウス本国から運搬して来た飛竜の一部が、ファルレアン側の対地攻撃を警戒して留め置かれたものだ。双方の飛竜の乗り手たちにより、地上より一足早く戦いの火蓋が切られる。
ファルレアン側の飛竜が爆弾を投下しようとするところへ、レクレウス側の飛竜が突っ込み、その背に跨る兵士が魔動銃を乱射する。それを躱しつつ、ファルレアン側の騎士も応戦。一人が完全に飛竜の騎乗に専念し、もう一人が攻撃を担当する形だ。魔力弾が飛び交い、その合間に投下された爆弾が轟音と共に地面を抉る。だが混戦の中で投下された爆弾は、最後尾を運搬されている本命の魔動巨人には当たらず、周囲の兵士や明後日の方向の地面を吹き飛ばすに止まった。また、敵の銃撃に当たって飛竜から落ち、装備していた命綱で力なく空中にぶら下がる姿も両軍ともに見受けられる。
やがてファルレアン側の爆弾が尽き、騎士たちは飛竜を転針させる。飛竜も貴重なので、滅多なことで失うわけにはいかないのだ。その退却を助けるため、追い縋るレクレウス側の飛竜に向けて、進軍を始めた地上の前衛部隊からも攻撃魔法の援護射撃が投射された。だが単独かつ術具などのブースト無しに放つ魔法の射程はせいぜい数十メイル程度である上、地上から上空を自由に舞う飛竜に当てるのは、いくら練達の魔法士であろうと難しい。飛竜に騎乗した兵士が地上を見下ろして嘲る。
「はっ、この程度の魔法に飛竜が当たると――」
瞬間。
鋭く風を切る音と共に、“何か”が飛竜の横腹に当たり、そして爆発した。
「うわあっ!?」
さすがに下位種とはいえ竜種の鱗を貫くほどではなかったが、その衝撃で飛竜は大きく体勢を崩す。騎乗を担当していた兵士は慌てて飛竜の首にしがみ付くことで事なきを得たが、後ろで攻撃を担当していた兵士はあえなく振り落とされ、命綱でぶら下がる羽目になった。
攻撃を食らった当の彼らは、それが何によるものなのか見ることは叶わなかったが、少し離れたところを飛行していた別の兵士は一部始終を目撃していた。それだけに、驚愕の表情で呟く。
「まさか……弓矢だと!? ファルレアンの陣からここまで、一体どれだけ距離があると……!」
そう、飛竜に一撃食らわせた攻撃の正体は、何と矢だった。見えたのはほんの一瞬だったが、間違いない。一本の矢が遥か地上から飛来し、そして飛竜の横っ腹に当たったかと思うと、次の瞬間爆発したのだ。おそらく魔法付与が施されていたのだろう。とはいえ、そもそも地上から空の飛竜に矢を当てたということ自体が、信じ難い芸当だった。いくら弓の方が魔法より射程が長いとはいえ、ここまで矢を飛ばすには相当の強弓に加え補助魔法でもなければ不可能なはずである。しかもこれだけ離れていれば、狙いを付けることからして難しい。
「一体何者なんだ……!?」
兵士は上空からその主を探そうとしたが、ただでさえ遠目の上にファルレアン陣には数百人もの騎士たちがいる。とても探し出せるものではなかった。それどころか、ぐずぐずしていたら今度は自分があの恐るべき矢の標的になりかねない。
早々に諦めた兵士は急いで飛竜を転針させ、自陣へと帰還して行った。
「――命中。距離は千二百メイルってところかな。向こうの飛竜も退き始めた」
一方のファルレアン陣内。塹壕の五百メイルほど前方、軍馬に騎乗した一人の騎士がそう呟き、弓を下ろした。その後ろに控え、耳当てをして双眼鏡で上空を見つめていた部下の少年が、半ば呆れたような声で言う。
「相変わらずデタラメっすねえ、隊長の“それ”」
「どっちが?」
「どっちもっすよ!」
部下の言葉に、彼は軽く笑いながら振り返る。
年の頃二十歳前というところの、端正な顔立ちの青年だ。指通りの良さそうな真っ直ぐな黒髪はさらさらと風に踊り、切れ長の瞳は澄んだ灰色。まさしく貴公子という言葉が似合いそうな青年であり、ただでさえ人目を惹く存在であったが、今はさらに注目を集めるものがその左手に握られている。
長弓――だが、その長さが尋常ではない。複数の素材で作られた複合弓だが、その全長およそ百八十セトメルほど。持ち主の背丈よりも大きいそれに相応しく、番える矢も一メイルに迫ろうかという規格外の長さだ。この化物のような弓矢が、彼のメインウェポンだった。
青年――二級魔法騎士、シルヴィオ・ヴァン・イリアルテは、灰色の双眸をすがめて、退却していく飛竜部隊を見送る。
「それにしても、やっぱり下位とはいえ竜種ってとこか……《爆裂》だけじゃ力不足だな。まあ、退いたから良しとするか。あーあ、さっさと終わらせて本が読みたい……」
「他の魔法付与した矢は作ってないんすか? あと、本はディルに戻んないと無理っすよ」
「対人だと《爆裂》が一番使い勝手良いから、ほとんどそれしか持って来てない。それ以外だとせいぜい、《雷撃》がいくつか。失敗したな、《貫通》の矢を作っとくべきだった。あれなら魔動巨人でも多分貫けるのに」
彼はため息をつきながらも、今度は地上を射るべく再び長弓を構える。番えた長大な矢の軸には、焼印のように呪句が刻まれていた。魔法付与が施されている証だ。並の人間では引くこともできないような強弓の弦を、身体強化魔法を使って引き絞る。狙うは魔力弾をばら撒きながら敵の先陣を切る一団。遥か遠く、一千メイル以上の距離を隔てたその向こうを睨むその灰色の双眸が、わずかに銀のきらめきを放ち、瞳孔がピントを合わせるようにきゅう、と動く。
「――切り拓け、《風導領域》」
刹那、シルヴィオの周囲で風が渦巻く。彼だけに見える、標的に向かうその途上まで伸びる風の道――その只中に向け、彼は矢を撃ち放った。
キュオン、と咆哮のような甲高い音を伴い、矢は一直線に、渦巻く風の中に形作られた道を飛んでいく。長大な弓の分だけ強力なしなりをもって射出された矢は、その初速に加え、風の補助魔法《風導領域》の効果で空気抵抗をほとんど受けることなく、逆に速度を増して標的目掛けて突き進んだ。《風導領域》の効果範囲内で実に倍近い速度に達した矢は、効果範囲を出てもその勢いのまま本来弓が持つ射程の三倍近い距離を貫き、狙い違わずレクレウス軍先陣の兵士たちのど真ん中、その地面に突き刺さる。
――爆音。
着弾の瞬間、矢に付与された魔法が作動し、派手に爆発した。飛竜をよろめかせたほどの爆発だ。至近にいた兵士たちは爆発と、それによって生み出された石飛礫の嵐に巻き込まれて吹き飛んだ。もはやちょっとした爆薬並みの威力である。
「……命中。先頭集団はほぼ壊滅……にしても、魔動巨人はまだ後ろで寝てるのか?」
シルヴィオの呟きに応えるかのように、遥か彼方で巨大な人影が三つ立ち上がったのを、彼は見た。身体強化魔法、補助魔法と共に彼の超長距離射撃を支える三本柱の一角――“千里眼”。シルヴィオのその灰色の双眸は、魔力を流すことで人間の限界を遥かに超越した距離の目視を可能にする。
レクレウス軍の最後尾を巨大な台車に載せられて運ばれていた魔動巨人は、操作役の術者の制御を受けてゆっくりと立ち上がる。全長約七メイル、重量は二千グラントを超えるだろう。動きは鈍重だがその分非常に耐久力に優れており、剣はもちろん生半可な魔法すら弾き返してしまうほどのタフな怪物。それが三体、ついに戦場に立った。
「ちっ……さすがに五千メイル近くも離れると弓も届かないな。ここ障害物ないし、二千くらいまでなら何とか行けそうだけど……」
「俺はむしろ弓矢で二千メイル先を狙える隊長のデタラメさにドン引きっす。魔動巨人と射程でタメ張れるってどういうことっすか。あと、仮にも伯爵家の若様が舌打ちとかやめてください。せっかく顔が良いのに、勿体無い」
「さすがにあれを直接相手にするのは分が悪いから、やっぱり術者狙いかな。命令を伝達してる機関があるはずだから、そいつを壊せるならそれも有りだけど」
「うわ、流した。さらっと流したよこの人」
「それより、もう少し近付かれたらレクレウスからの攻撃がこっちにも届く。しっかり前衛頼むぞ? 俺、近接戦闘はからっきしだからな。連中をこっちに近付けてくれるなよ」
「はいはい、承りました、っと!」
さっきから部下にしてはフランク過ぎる口調でシルヴィオに応じていた少年は、ひょいと馬を下りて双眼鏡を手近な同僚に放り渡すと、耳当てを魔法式収納庫に片付け、代わりに巨大なバトルアックスを引っ張り出した。大振りの斧と鳥の嘴を象ったような鋭い刃、二つの斧頭を持ち、長さも持ち主の身長に迫るほどもある大型のものだ。当然重さもそれ相応になるはずだが、少年は元々の膂力と身体強化魔法を用いて、軽々とそれを片手で振り回すのだ。
「では、カシム・タヴァル、ちょっくらあいつら蹴散らして来まっす!」
ぴっと敬礼して、彼は身体強化魔法を発動し、こちらに迫りつつある敵前衛部隊に突撃して行った。彼の場合、馬上戦闘よりも自前の脚力で突っ走った方が自由に動ける。シルヴィオが率いる第一三八魔法騎士小隊は弓や攻撃魔法、魔法小銃による遠距離攻撃に特化した小隊だが、カシムはその中で異色の、近接戦闘を得意とする魔法騎士だ。シルヴィオの乳兄弟であり、将来の側近でもある十六歳の少年は、二歳年上の主に付き従いその身を守るため、自分の戦闘スタイルとは真逆の小隊に身を置き、三級魔法騎士まで上り詰めた。
「おらあああ! 退け退けぇ!!」
早速バトルアックスを振り回し、人型の嵐となって敵前衛を掻き回し始めるカシムを見送ると、シルヴィオは後ろに控える部下達に指示を出す。
「……総員、構え。そろそろ来るぞ。連中の鼻っ柱をへし折ってやれ!」
「はっ!」
シルヴィオの指示に、隊員たちは口々にそう答え、各々が長弓や杖、魔法小銃を構える。シルヴィオの超長距離射撃はさすがに小隊内でも規格外だが、第一三八魔法騎士小隊に所属する弓使いはいずれも、補助魔法や魔法付与によって通常の弓矢に数倍する攻撃力を誇るのだ。補助魔法は通常の攻撃魔法や魔法小銃に比べて消費する魔力が少なく済むため、彼らは矢の補給さえ続けば、高い継続戦闘能力を持っていると言える。
そして――いよいよ、レクレウス軍の先鋒がファルレアンの騎士団と接敵した。
「切り拓け、《風導領域》。――総員、放てっ!!」
シルヴィオが鋭く命じつつ弦を弾いた。隊員たちもそれに倣って矢を放ち、あるいは攻撃魔法や魔法小銃を発動させる。補助魔法を受けた矢が、攻撃魔法や魔法小銃の魔法の弾丸を引き連れるように空を裂き、前衛の騎士たちの頭上を越えて敵軍の真っ只中に炸裂した。だがレクレウス軍からも応戦の魔法弾や攻撃魔法が後方陣地目掛けて襲い掛かる。そこへ防御魔法担当の魔法騎士たちが同じ魔法を詠唱、相乗効果で強化されて展開された魔法障壁が攻撃を遮り、戦場を光と轟音で彩った。
こうして、昼を二時間ほど回った頃、もう一つの国境戦――旧ギズレ領攻防戦が幕を開けたのだった。
◇◇◇◇◇
粛々と進軍する騎士たちの頭上を越え、自陣から放たれた長大な矢が、敵の先頭集団を吹き飛ばす。それを眺めながら、ルシエルの心は奇妙に凪いでいた。
魔法騎士として国と女王に忠誠を誓い、任務のためこの手で人を殺めたこともある。それは法を犯し無辜の民を害した悪人であったが、初めて人を斬った時は、覚悟を決めたつもりであっても手の震えがしばらく止まらなかったものだ。それに比べれば、今は敵兵が味方の攻撃で吹き飛ぶ様を見ても何も感じない。
否――愛剣を握る手に、知らず力が篭もっている。自分もあの中に躍り込み、この剣を振るいたいと。
今この眼前にいるのは、親友の家族が眠る地を、無遠慮に踏み荒らした輩だ。
そして、アルヴィーからすべてを奪い、あのような異形の存在に作り変えた国――。
「……隊長、後続来ます!」
「よし、迎え撃つ! 総員、出撃だ!」
「了解!!」
ルシエルが剣を振りかざして命じると、隊員たちが唱和し、各々の得物を構える。
「――おおおぉぉぉぉッ!!」
鬨の声をあげ、第一二一魔法騎士小隊に先んじて、長槍を構えた重装騎馬隊の騎士たちが突撃して行く。ルシエルも命じた。
「遅れるな! 行くぞ!」
「おおっ!!」
「露払いはお任せを。――はあああっ!!」
身体強化魔法を発動したシャーロットが前に出、バルディッシュを振り抜いた。上半身を防具で固めたレクレウスの歩兵が、その一撃で構えた剣や槍ごとへし折られ、派手に吹っ飛ぶ。
「焼き尽くせ、《炎撃爆雷》! おらあああ!!」
カイルの放った魔法が敵陣を一直線に奔り、凝った炎が解き放たれて爆発する勢いで燃え上がる。慌てて避けた兵士たちを、魔法の後に振るわれた大剣が薙ぎ払った。少し離れたところでは、ディラークが身体強化魔法全開で大槍を振り回し、こちらも敵兵を順調に薙ぎ倒している。
「斬り裂け、《風刃》!」
ルシエルも愛剣たる《イグネイア》を励起、魔法を纏わせて手近な敵兵を斬り倒した。
「ファルレアンの魔法騎士だっ! 魔法士隊――」
「させないよっ! 貫け! 《雷槍》!」
「断ち斬れ、《氷鎌》!」
魔法士隊の応援を呼ぼうとした兵士をクロリッドの放った雷撃が貫き、ジーンの氷魔法が周辺の兵士を薙ぎ払う。
「おぉああああ!!」
猛攻に錯乱した兵士が、魔動銃を乱射しながらその銃口をルシエルに向ける――その瞬間、その兵士の頭が弾けるように仰け反った。
「……命中」
乱戦から少し後方の馬上で、魔法小銃を構えるユナがそう呟いた。兵士の頭を見事ヘッドショットで撃ち抜いた彼女は、次の標的を求めてスコープを覗く。と、味方からの長距離攻撃とすれ違うように、彼方から飛来する敵魔法士隊からの攻撃魔法。大部分は後方の陣地へ向かって行くが、中にはそれを隠れ蓑にしたのか、途中の騎士たちを狙うコースのものも混ざっている。
「阻め、《二重障壁》!!」
第一二一魔法騎士小隊にも襲い掛かったそれらの攻撃魔法は、しかしユフィオの展開した二重の魔法障壁によって受け止められた。彼は小隊員の護衛として、ユナ同様騎乗し小隊の後方を追随していたのだ。
そして、後方陣地に降り注ぐかと思われた魔法攻撃も、やはり魔法障壁で阻まれる。ユフィオ単独で展開したものより遥かに広い範囲で発動したそれは、複数の魔法士によって同じタイミングで同一の魔法が詠唱されたのだろう。唱和詠唱と呼ばれるこの技術は、至近距離で同じ魔法を唱和することにより、魔法の威力と効果範囲を向上させる効果があるのだ。塹壕の一角を覆うように、二重の魔法障壁が出現し、殺到した魔法を受け止める。外側の障壁は破られたが、威力が上がっていたおかげで内側の障壁は何とか持ち堪え、眩い光と炸裂音が弾けた。
ユナは味方の障壁が消えるのを待ち、もう一度魔法小銃の引鉄を引く。彼女の魔力が内蔵の魔法カートリッジによって魔法に変換され、氷の弾丸となって別の兵士を撃ち倒した。それを見届け、彼女はユフィオと共に先行した隊員たちを追う。
「――先鋒に続けぇぇ!! レドナの分までレクレウス兵を血祭りに上げてやれ!」
「おおおおっ!!」
そんな彼女たちを追い抜き、重装騎馬隊が次々と長槍を構えて敵陣に突っ込んで行く。迎え撃つレクレウス軍は、盾を並べた歩兵の後ろから槍や魔動銃を構えた歩兵。密集隊形に近い形だ。だが――ファルレアン軍の騎馬隊には、身体強化魔法や風の補助魔法で軍馬にも劣らない速度を得た魔法騎士たちも追随している。彼らは騎馬隊を追い越す形で先んじて接敵し、地を蹴って盾を持つ歩兵たちの頭上を飛び越えた。
「う、撃ち落とせェ!」
「斬り裂け――《風刃》!!」
「撃ち抜け! 《氷弾》!」
迎撃に放たれた魔力弾を、ルシエルや他の魔法騎士の魔法が相殺し、魔法騎士たちは歩兵の背後に下り立つ。そして、槍と魔動銃を構えた兵士を優先に倒し始めた。混乱する隊列に、重装騎士の騎馬隊が突っ込む。軍馬の嘶き、兵士の悲鳴。それでも魔法騎士たちが倒しきれなかった歩兵の槍が馬に突き刺さって騎士が振り落とされ、あるいは突撃に突き倒された歩兵の悲鳴が馬蹄の下に消える。
「この――化け物どもがぁっ!」
「斬り裂け、《風刃》!」
槍を振り翳して向かって来た敵兵を、魔剣の一振りで打ち倒し、ルシエルは遥か彼方の敵陣最後方を見やる。身体強化魔法で強化された視覚で遠く捉えた魔動巨人のシルエットはまだ、立ち上がっただけで動かないが――。
――ぞくり。
不意に、ルシエルの背筋を冷たいものが滑り下りるような感覚が貫いた。
「……全員、伏せろっ!!」
それは多分に反射的な命令。だが、これまで騎士として戦場に立ち続け、磨き続けてきた勘が叫ばせた言葉でもあった。
戦場の空気を貫いたルシエルの声に、彼の部下たちはいち早く従い、素早く身を伏せる。部下たち以外にも、目端の利く者がいたらしく、そういった者たちはほぼ同時に地面に身を投げ出していた。
そして――衝撃。
轟音というのも生温い、もはや衝撃波に近い音の嵐と爆風が、敵味方問わず襲い掛かった。地面に伏せていたにも関わらず、巨大な手に持ち上げられたように身体が浮き上がり、放り投げられるがごとくに地面を転がされる。身体強化魔法を継続していたため打ち身程度で済んだが、そうでなければ骨の数本も折って動けなくなっていただろう。
「……何だ? 何が起こった……?」
やっとのことで平衡感覚を取り戻し、ルシエルは身体を起こす。そして目を見開いた。
彼らがいる地点より少しファルレアン陣寄りの場所。そこが大きく抉れ、爆発に巻き込まれたと思しき騎士や兵士の身体の一部が散乱している。そしてそのさらに外側には、逃げ遅れた者たちが倒れ、呻き声をあげていた。おそらく、身を伏せるのが間に合わず、爆風に吹き飛ばされたのだろう。
「これは……」
ルシエルはその光景に慄然とし、そしてレクレウス陣の方向を振り仰ぐ。
「まさか――魔動巨人の砲撃!?」
「隊長、ご無事ですか!?」
駆け寄って来るシャーロットに立ち上がって無事を伝え、ルシエルは指示を出す。
「シャーロット、後方陣地に《伝令》を飛ばしてくれ。着弾地点から見て、多分無事だとは思うが……」
「分かりました」
シャーロットはすぐさま、安否を問う《伝令》の魔法を陣地に飛ばす。ルシエルは近くに倒れている部下たちを揺り起こした。
「カイル、しっかりしろ! 起きられるか!?」
「……ああ、こりゃひでえや。アッタマ痛え……」
「竜巻の中に放り込まれた気分だ……」
「隊長!」
カイルやディラークが呻きながら起き上がり、クロリッドとジーンが駆け付けて来る。その後ろに、ユフィオとユナの姿も見えた。馬に乗っていないのは、先ほどの一撃で馬が逃げるか昏倒でもしたのかもしれない。
「隊長、陣地は無事のようです。《伝令》が返って来ました」
後衛からの《伝令》を受け取ったシャーロットの報告に、ルシエルは息をついた。
「そうか……しかし、これは」
「魔動巨人の砲撃が、こんなに凄まじいなんて……ユフィオの魔法が間に合ってなかったら、あたしたちもあっちで倒れてる連中の仲間入りだったわね」
「着弾地点からは少し離れてましたし。でも、馬までは手が回らなくて……無事ならいいんですけど」
息をつくジーンの横で、ユフィオが顔を曇らせた。とはいえ、あの状況で隊員たちだけでも守り切ったのは称賛ものだろう。
「けど、こんな高威力の砲撃ぶっ放したら、多分すぐには魔力をチャージできないはずですけどね。魔動巨人が今まで攻撃に参加してなかったのも、そのせいじゃないかと思いますけど。何せ魔動巨人って、図体が馬鹿でかいせいで、動くだけでも結構な魔力を消費しますから」
魔動機器に詳しいクロリッドがそう言ったので、ルシエルは彼に向き直った。
「チャージにはどれくらい掛かる? 大体でいい」
「レクレウスは魔動機器方面得意だし、ファルレアンのと規格も性能も違うだろうから、あんま自信はないですけど……あれだけの砲撃をぶっ放すなら、最低でも半時間は掛かるんじゃないかと。今、一体しか撃ってこなかったのは、そのチャージ時間を埋めるためだと思います」
「なるほど、時間差射撃か」
魔動巨人の砲撃は強力だが、確かにあれだけの威力の砲撃をそう連発して放てるわけがない。三体が一度に砲撃して半時間無防備になるより、タイミングをずらして叩き込んだ方が、刻々と変わる戦況にも対応できる。
「……そう考えると、《擬竜兵》ってのはどんだけデタラメなんだよって話だよな……」
「……確かに」
カイルが遠い目でそうぼやき、その場の全員が同意した。魔動巨人の砲撃にも劣らない威力の《竜の咆哮》を息をするようにバカスカ放ち、魔力のチャージもほぼ同時進行。その上負傷しても即座に回復である。アルヴィーがルシエルの親友でなければ、第一二一魔法騎士小隊はレドナで壊滅していただろう。小隊員たちはしみじみ、自分たちの上官の交友関係に感謝した。
「……っと、呑気に話してる場合じゃないや。さっきの一発、あれで向こうは多分誤差測ってくるんで、次に撃ってくる一発はもうちょっと正確にこっち狙ってくるはずです。何とかしないとこっちはいい的ですよ」
「あの威力で直撃でもされたら、唱和詠唱で障壁張っても消し飛ばされますよね……」
「一旦後退するべきか……?」
隊員たちが思案しつつ意見を交わし合う中、ルシエルは顔を上げた。
「――クロリッド、魔動巨人の弱点は分かるか?」
「ええと、まず動きは当然鈍いですよね。それから、操作術者の命令を伝達するための術式を仕込んだ機関が、どこかにあるはずです。それが脳味噌みたいなものだから、それがイカレるか操作術者がやられたら、魔動巨人もただのデッカイ木偶ですね。ただ、向こうもそれは分かってるから、操作術者は最優先でガッチリ守ってますけど」
「そうか」
ルシエルは敵陣の方角を仰ぎ見る。そして周辺。この辺り一帯は以前から開拓のために切り拓かれ、平坦な地形が広がっているが、戦場となった幅三ケイルほどの平地を挟むように未だ森が迫っており、それは遥かレクレウス領まで続いていた。もちろんレクレウス軍が布陣する辺りも、数ケイルの空間を置いて森に挟まれる形だ。
「……あそこの森に隠れながらだったら、レクレウス陣の後方まで回り込めるか?」
「ちょ、この人数で敵陣に乗り込むのか!? 正気かよ隊長!?」
「それはいくら何でも危険です」
「だが、あの魔動巨人を黙らせないと、このまま押し切られるぞ。それに今は、あの砲撃にレクレウス兵も巻き込まれたせいで向こうも混乱している。機会は今しかない」
「それはそうですが――」
難色を示す部下たちを、何とか説得しようとしていた時。
「――その話、もうちょい詳しく聞かせて貰っていいすか?」
いきなり割り込んできた声に、第一二一魔法騎士小隊の面々は弾かれたようにそちらを振り返った。
「どーも」
戦場には何とも不似合いな、へらりとした笑みを浮かべた少年騎士が、大型のバトルアックスを軽々と担いでそこに立っている。
「……君は?」
「中央魔法騎士団所属、第一三八魔法騎士小隊の三級魔法騎士、カシム・タヴァルっす! お見知りおきを!」
「第一三八……もしかして“千里眼”イリアルテ小隊長の?」
ルシエルはすぐに、遠距離攻撃特化の少々特殊な魔法騎士小隊の存在を思い出した。カシムが顔を輝かせる。
「有名な“氷の貴公子”クローネル小隊長にまで名前が通ってるとは、光栄っすね! まあ俺は現場の露払い役なんすけど」
「そうか、先陣を吹き飛ばしたあれはイリアルテ小隊長の一撃か」
そういえばあの時飛んで行った矢は長かったなと、ルシエルは思い出す。二メイル近くもある長弓とそれに相応しい長大な矢は、遠距離攻撃特化の第一三八魔法騎士小隊といえど、小隊長のシルヴィオ・ヴァン・イリアルテにしか扱えない。
「だが、イリアルテ小隊長でも、レクレウス陣の最後方まで矢を届かせるのは無理だろう。レクレウス軍が進軍して来ているといっても、ここからでさえ魔動巨人まではまだ三ケイルはある」
そこへ、
「それでも、長々と議論してる暇はないぞ」
声と共に、一人の青年が馬を進ませて来た。二級魔法騎士であることを示す制服の意匠、そして何より彼が携える化け物のような大きさの弓と矢が、彼の素性を雄弁に物語る。
「イリアルテ小隊長……」
「“小隊長”は要らない。そっちも同格だろう、クローネル」
彼――シルヴィオはひらりと馬から下りると、レクレウス陣の方を指差す。
「魔動巨人が動き出した。おそらく操作術者も一緒に動くから、俺も前に出て狙ってみるつもりで、カシムに遮蔽物の構築を頼もうと思ってたんだが」
それにはカシムがぎょっと目を見張った。
「ちょ、隊長まで前に出てどうすんの!?」
すると、クロリッドが思い当たったように舌打ちする。
「そうか、射程か! あの魔動巨人の射程、多分三ケイル辺りが限界なんだ。前に出て来るってことは、あいつらこっちの頭越しに、一気に後方陣地狙う気だ! ていうか、もしかしたらそのままディルまで突っ切る気かも……!」
「おいおい、そんなことになったらこっちは総崩れだぞ」
ディラークが顔付きを引き締め、空気が一気に緊迫する。
「……魔動巨人の足を止めるには、やはり術者を狙うのが一番手っ取り早いか?」
「そーですね。命令伝達機関がどこにあるか分かんないんで、それが一番確実だとは思いますけど。ただ、あっちも万一考えて、予備人員は用意してるはずだし、さっきも言った通り周りガッチリ固めてるはずです。あと、移動は多分台車使うんで、移動速度も単体より上がると考えた方がいいですよね」
「――そうだ!」
クロリッドの言葉に、ルシエルの脳裏に閃いた手が一つあった。それを逃さないように、シルヴィオに声を投げる。
「前に出るのは少し待ってくれ。僕はアークランド大隊長に《伝令》を飛ばしてみる」
「隊長、何かいい案でもおありですか?」
尋ねるシャーロットに頷き、ルシエルは部下たちに指示を出す。
「アークランド大隊長からの返事次第で、一旦後方に下がる。僕が考えた手にアークランド大隊長の許可が下りれば、魔動巨人の進撃をかなり遅らせられるはずだ。――時が命だ、急げ!」




