第6話 学校
俺たちはひた走る。住宅地を抜け、凄惨な道を通って。
緊張で昂っている俺と護に反して、周囲は静寂そのものだった。
所々に赤い水たまりはあったものの、道中、一体のゾンビにも遭遇することもなく、目的地へは拍子抜けするほど簡単に到達した。
それが単なる偶然ではないことを、この時の俺達は知る由もなかった。
噂には聞いてたけど、これ学校か…?
それが俺の第一印象だった。
呈楠高校の入り口は3m近い頑丈そうな校門で封鎖されていて、その前で先に避難した女性陣が立ち往生している。
ちなみに、門のそばのインターホンは何度押しても反応がないらしかった。
門の下部分はで太くて握れそうもない縦柵で構成されていて、つかまって登るのは難しそうだ。
また、敷地を囲む壁は門より低いものの刑務所の如く有刺鉄線が張り巡らされており、突破は不可能だ。
唯一、門には2m半ぐらいのところに掴めそうな横柵が走っていたが……
まるでかつての鋼の要塞だ。
ここがこんなことになってしまったのは、数年前に凶器を持った不審者が侵入し、7人もの生徒が犠牲になるという痛ましい過去の反省からなのだが。
長身の護が誰かを肩車すれば、なんとか届くだろうか?
そう思って振り返ると護は門から少し離れたところで屈伸をしていた。
「護?」
俺が問いかけたのと彼が駆け出したのは同時だった。
次の瞬間、彼は一気に加速して力強く地面を蹴る。全員が息を飲む中、180近い彼の身体が宙を舞い、横柵を掴んで門を超えた。
まるでバスケのダンクシュートのようなジャンプからの見事なアクロバティックを決めると、彼は敷地内に着地し、門を開けて俺達を招き入れる。
場が歓喜に湧いた。
「すごいのね、護くん!」
看護師の加川 菜月さんも感嘆の声をあげる。
「高校、バスケ部だったんスよ。でもしばらくやってないから大分鈍っちまったなー」
そう言って彼は少し恥ずかしそうにはにかんだ。誰にでも物怖じしない、護にしては珍しい反応だった。
「安堂……もしかしてあの欽明高校バスケ部エースの安堂 護か? てっきりプロに行くとばかり思っていたが」
どうやら護はその方面ではかなりの有名人らしい。男性の一人が興奮気味に呟いた。
「……昔の話っす」
彼は複雑な表情で後頭部を掻いた。彼なりにいろいろとあったのだろう。
やがて全員が通過したのを確認すると彼は門を閉じてその場に座り込んだ。
「俺はここで館長さんや佐々木さんを待つ。ユキ、お前はみんなと一緒に校舎に向かってくれ」
護に、わかった、と告げると俺は前方にそびえる校舎を目指した。
◆◇◆
周囲を囲む高い壁やフェンスを奴らは超えられなかったのか、刑務所のような外壁に守られた学校の敷地内はいたって普通の私立高校だった。
そして静かで生々しい血痕や死体も見当たらない。
……誰もいないのか?
が、誰かに見られているような、気が抜けない雰囲気が微かに漂っていた。
グランドに差し掛かるとそこには白線で大きくHELPと書いてあるのが見える。上空へのメッセージだ。そしてそれは生存者の存在を示していた。
少なくとも人は居そうだな。
俺の中で不安要素がひとつ減った時、妹の有紗が短く声をあげた。
「どうした!?」
俺はリュックの中を探って取り出したハンマーを構える。他の男性数名もそれに続き各々の武器を構えた。
彼女は校舎の陰を指さして囁く。
「さっきあそこで、黒い、何かが動いたの……」
黒い何か、だって? やはりここも安全ではないのか?
示された辺りを見渡すと、確かに校庭を囲む生垣や倉庫の裏にも人影のようなものが見える。
それも一つや二つではなかった。
しまった、囲まれたか!? ハンマーを握る手に冷や汗がにじむ。
畜生、来るなら来いよ!
覚悟を決めた、その時だった。
「お前ら何モンや!!」
「!?」
突然の怒鳴り声に心臓がバウンドする。見ると校舎の玄関ホールから男が一人歩いてきた。
その男は初見で40代手前でサングラスに剃りこみ頭、開襟シャツといった典型的なヤクザのいでたちで、手にはあろうことか拳銃が握られていた。
おいっ!
高圧的な男の声を合図に陰から数名の人が出てくる。全員、未成年の男子だ。バットや掃除用具を構えて制服や部活のユニフォームを着ているところを見るに、ここの生徒だろうか。
先ほどの視線は彼らのものだったのか。俺は最悪の事態ではなかったことにひとまず安堵した。
「突然、驚かせてすみません」
菜月さんが一歩前に進み出る。
「細かいことはええ。おまえら噛まれてないんやろな?」
男は説明をしようとした彼女が口を開く前に関西弁で質問した。当然ながら菜月さんは首を横に振る。
だが男は疑いの目を緩めず、粘着質な視線を菜月さんに向けている。世間でセクハラと糾弾されてもおかしくないレベルだ。
よく彼女は耐えられるものだと、非常時ながらも俺は感心する。
「ホンマか? もし嘘やってみぃ……」
男はそこで声を落として銃口を彼女に向けた。
この場にいた全員に戦慄が走った。
モデルガンの可能性もあったが、本物ならコトだ。俺を含めた男性陣が思わず半歩踏み出す。
「嘘じゃありません」
彼女は毅然とした態度で男から目線を外さずに答えた。
それでも角田と名乗る男の指は引き金にかかったままで、俺達は迂闊に動けない。緊張と焦燥感の中で、嫌な空気だけが流れていった。
「……ふ、」
数秒の沈黙の後、ふいに男の口角がつりあがった。
「ハハハ、若いのに大した度胸や! 銃見せたら腰抜かすヤツもおるっちゅうのにまさかアンタみたいなねえちゃんがなぁ」
何が可笑しいのか下卑たにやけ面で、角田は続ける。
「それに噛まれたヤツと一緒に行動する訳ないか。よっぽどのお人よしか、アホやったら別やけど。まぁ信用したるわ、一応な」
奴は鼻先で笑うと銃を下し、そのまま視線を俺達へと移した。
「しっかし、どっから逃げてきたんか知らんけどエライ荷物や、食いもんのひとつでもありそうや」
そう言うなり彼は女性の一人からリュックをひったくって中を探る。
「おっ……、なんや乾パンか。もっとマシなもんないんかい」
男はその後も周囲の目も気にせずに好き勝手に俺達の荷物をひとしきり漁ってはいちいち愚痴をこぼす。
「ワシは角田。不甲斐ない餓鬼どもの代わりにリーダーをやってるんや。まあ、一つよろしゅうな」
彼のおざなりな挨拶に対し、眉をひそめつつも菜月さんは自己紹介や自分達の現状を伝える。が、奴がその話の半分も聞いていたのかも怪しいものだ。
適当に頷いた後、角田は地面にツバを吐く。
汚ねぇな、と俺は思ったし、有紗を含めた女性数名も不快感を露わにした。
「ふざけたことになってんなぁ。こんな時に限ってポリ公は何しとんじゃ……とっとと助けにこんかいボケ」
「まあ、なんや、ちょうど腹も減っとったし、これは有り難く貰っとくわな~」
そう言って漁ったものを詰め込んだリュックの一つを当たり前のように肩に担ぐ。
俺たちの側の何人かが非難の声を上げようとしたが、菜月さんが首を振って止める。
その目は『抑えて下さい』と語っていた。
俺たちに混ざって周りの学生達も恨めしげな目線を向け、視線が男に集中する。どうやら彼らも角田に好意を抱いているようには見えない。
「なんやお前ら、まだおったんかいな、ここは解散や、早よ持ち場に戻らんかい!」
視線に気づいた角田が怒鳴り、彼らは去ろうとした。しかしその目は名残惜しそうに俺たちの荷物をながめていた。きっと彼らも空腹だったのだ。
「よかったら、あなた達もどうぞ」
見かねた菜月さんが水と食糧の詰まったリュックを差し出す。
「え、いいんですか?」
生徒の一人が目を輝かせて訊いた。
「もちろんです」
鷹揚に彼女が頷くと、学生たちの表情が一気に華やいだ。
「ふん、優しいねえちゃんが来て万々歳、か? 餓鬼ども」
そう言い残して角田は校舎の玄関ホールの奥へと消えていった。
……世の中には嫌な人間もいるものだ。確かに今は非常時だが、というより非常時だからこそ、ああはなりたくない、と強く思った。
その後、俺達は学生たちに校舎2階の多目的室へ案内された。
しばらくぶりの、教室。
半年ほど前には、俺も制服を着て登校し、勉強して、友達と下らないことしていたんだ。そう思うとなんだか懐かしさが込み上げてきた。
机を後ろに下げた少し広めのスペースには既に5、6人の女子生徒がいる。
不安げな彼女達に菜月さんが説明する。そして中央のテーブルに食糧を広げた。俺も空腹感を覚えて、ふと部屋の時計を見ると14時半をさしていた。
しかし、遅いな。
簡素な食事を終えると八木さん達が気になってきて、俺は一応リュックを背負い、見てくる、と言って有紗たちを部屋に残し校門へ向かった。
なかなか感染体と戦いませんね。がっかりさせてしまった人、すみません。
しかし次話からバトルシーンを増やしていく予定です。