閑話 燻り
……ふう。
予定している結末にむけて話を進めようとしていますが
その過程を掘り下げるとどうにも微妙な内容に……orz
上も下も、左右もない、不思議な感覚。
最初に感じたのは闇だった。次いで倦怠感を伴う痛み、そして熱だった。
暗く深い意識の中で、彼女はぼんやりと思う。
……あつい
なんとなく息苦しい
どうして……?
遠くで何かが鳴っている。
「――――」
何かが、聴こえた。それとも、、、気のせい……?
「――――!」
……だ、だれ……?
誰かが繰り返し大声を出しているのはわかったが、それは深い霧に包まれているようにしか聴こえず、内容が掴めない。
「――――ッ!!」
だれなの?
しかし、返答はなく、代わりにその声は必死さだけを反響させて、くぐもって、滲んでいく。何かが微かに引っかかる。いうなればそれは既視感なのだろう。
前にも、確か……こんなことが……
もしかして……
その感覚はどうしても彼女に思い出させずにはいられなかった。あの日、あの場所から救ってくれた恩人のことを。
――――――健斗……? ――――――
「加川さんっ!!」
確かな呼び声が届いて、加川 菜月は覚醒した。
◆◇◆
ユキたちと佐伯の再開から遡ることおよそ半日。閑散とした工場群の一角にある廃工場。もう活気など戻るはずもないそこが、今夜に限って煌々と光を放っている。
しかしその光は蛍光灯のような静止したものではなく、まるで生き物のようにうねりながら、自在にその身を躍らせている。ありとあらゆるものを、巻き込んでは次々に炭化させていく。まるで踊りと破壊を司るヒンドゥー教の神、シヴァさながらに。
そう、燃えていた。辺り一面が、烈火に包まれていた。そんな廃工場の片隅、瓦礫で出来た壁の裏側に、ひと組の男女がいた。
そして男性の必死の呼びかけが功を奏したようで、今女性がゆっくりと瞼を開く。
「ん……、渡、辺さん?」
ぼやけた視界が焦点が合うにつれ徐々に明瞭になってゆき、ひび割れた眼鏡をかけた痩身の人物が、夕焼けのごとき光を受けて映し出される。
「良かった、意識が戻った……!」
目の前の男、渡辺 敦は煤だらけの頬を緩め、安堵の表情をみせたが、それも一瞬で、すぐに眉根寄せて険しさを露わにする。
「動けますか? 避難しましょう。ここは、危険です」
言うが早いが、細身の外見からは予想もできない力強さで、渡辺は菜月の上半身を起こす。
一方、渡辺に体を支えられた彼女は、少しでも状況を掴もうと首を回した途端に咳き込んでしまった。
熱気と灰を含んだ空気に彼女の視界は再び滲む。しかし、目を細めても、顔を背けても実感できるほど、その存在は強烈だった。
舞い踊る赤、立ち上る黒、そして迫りくる熱、熱、熱……
瓦礫の散在する廃墟のいたるところで、火の手とともに黒煙が上がっていた。熱く乾燥した風が、彼女の髪や肌を撫でる。煉獄さながらの暴威を前に、菜月は本能的な恐怖を感じて、思わず渡辺の上衣を握りしめた。
「身を低くして、なるべく煙は吸い込まないように行きましょう」
渡辺の動きが止まったが、それは一瞬のことで、冷静に指示を出す。
言われたとおりの体勢で、彼女がふらつきながらも懸命に足を前に出す。するとその肩に渡辺の腕が回され、二人三脚のような格好で、2人は身を焦がすような熱気の中を進んだ。
幸い、爆発の影響で通気性はよくなっており、2人が一酸化中毒に陥ることもなく、無事、燃え盛る廃工場を後にした。
やがて火の粉や熱波が届かない風上の、廃工場裏にある丘まで移動すると、彼らはその場に座り込んで新鮮な空気を肺に取りこんだ。夜風を受けてひんやりとした芝が火照った体に心地よい。
いくらか落ち着いたところで菜月は、いまだぼんやりとする頭をめぐらせた。
私たちは一体……?
どうやら自分は気を失っていたらしく、ここに至る経緯が分からない。しかし、燃え盛る廃墟の隅で燻っている巨大な骸が目に映ったとき、彼女の記憶はフラッシュバックした。
あのおぞましい怪物、ドラゴンフライ!
そうだ、あいつらが襲ってきて、タンクが爆発して、……ダメ、途中が思い出せない。そして今は火災。……ちょっと待って!
「佐伯さんや刑事さんたちは!?」
つい先ほどまで行動を共にしていた仲間がいないことに気がついて、彼女は狼狽する。
「彼らは……。いや、その前に失礼」
「あっ……」
渡辺の左手が、菜月の顎に触れる。突然の予想外な行動に面食らって彼女は固まってしまう。
その間に渡辺は胸ポケットからペンライトを取り出し、彼女の瞼を広げて瞳孔をチェックした。
黒い瞳が若干驚きで拡がっていたが、その働きは正常で、意識障害の類いは見られない。そのまま全身も視診したが、幸い大きなけがは無いようだ。
唯一左手首から肘にかけて軽度の火傷を負っていたので、ガーゼに水筒の水を含ませたものを患部にあてがった。その作業も終えると彼は一息つき、立ちあがる。
「とくに目立つ外傷はありませんね。他に痛むところは?」
鎖骨あたりに鈍い痛み感じていた菜月が、確認のためにシャツの前ボタンを外し始めると、渡辺は咳払いをして背を向けた。
彼女も自分の大胆さに気づいて、頬を上気させる。自己診断の間、気を紛らわすために渡辺は黙々と銃器の点検を行った。
排莢不良、銃身の歪みはなく、ヘッケラー&コッホとニューナンブM60ともに健全で彼はひとまず安心する。菜月のS&W M3913にいたっては、発砲回数が少ないためか新品同様である。そうこうしているうちに彼女の診察も終わったようだ。
「軽い打ち身程度でした。ありがとうございます。……それで、あの……」
「はい……。落ち着いて聞いてくれますか」
拳銃を受け取って脇の下に吊り下げたホルスターにしまってから彼女が頷くと、渡辺は静かに口を開いた。
「まず、悲しいお知らせです。……橋谷さんと山本さんが、亡くなりました」
「……!!」
あまりにも唐突な訃報に、言葉が出てこない。そんな彼女の様子を察して渡辺は先を続ける。
「そして佐伯さんに関しては、安否も不明です」
「嘘……そんなことって……!」
声を絞り出して否定する彼女に、首を振らなければならない自分を渡辺は呪った。しかし彼は見てしまったのだ。燃え盛る瓦礫と炎の先に、折り重なって貫かれた彼らの姿を。
「爆風で飛ばされた破片によって……おそらく即死だったでしょう。僕たちはかすり傷程度で済んで、幸運でした」
狂気に満ちた街で、次々と仲間が消えていく……。この場にはちっとも似合わない『幸運』などという言葉を吐いてしまったことに、渡辺は内心毒気づく。
下手な欺瞞だ。『幸運』なんて程遠い。むしろ爆発に巻き込まれて死んでいたほうが、僕にとってはどれほどに楽だったことか。
しかしそれは死者への冒涜であり、因果からの逃避だと思いいたった彼は頭を振って、余計な考えを追い払う。
お互いに黙り込んでしまって、ゴウゴウと燃え盛る炎の音だけが木霊する。
「……健斗」
しばらくして、炎に包まれた廃墟を前に、菜月が呟いた。その瞳はどこか恍惚としていて、心ここにあらず、な状態だ。
「加川……さん?」
呼びかけられても、彼女は眼下の火から目を放そうとしない。しかしやがて、熱に浮かされたかのようにぽつりぽつりと語り始めた。
私には……探している人がいるんです。恋人であり、命の恩人……。
3年ほど前、大きな事故に巻き込まれ、両親を喪った衝撃と、火災の猛威という地獄に囚われた私を助け出してくれた1人の消防士。
彼との出会いは運命、だったといえます。まるで陳腐な小説のようだけど、私は彼に惹かれ、彼もそれに応じてくれました。付き合ってから2年が経ち、ついには婚約までも。
そこで彼女は一瞬口を引き結んでから、意を決したようにまた話しだす。
でも彼は1年前、突然姿を消してしまったんです。何の前触れもなく。
忘れもしない、去年の9月26日。朝、病院へと出勤する私を非番の彼は見送ってくれました。
『最近風邪が流行ってるらしいから、気を付けて』
それが私がきいた彼の最後の言葉でした。もちろん、すぐ警察には事情を話しましたが、犯罪性が低いのか、本格的な捜査は望めず、挙げ句の果てには、浮気だなんてっ……!
そんなこと今までなかったし、彼に限ってあり得ません。きっと何かに巻き込まれたんです。それに彼は孤児だったので、両親はおろか親戚もいません。私が探すのを諦めたら、もう誰も……
そこで彼女は目を閉じて深く息を吸い込んで感情の昂りを抑えてから、静かにいった。
「私はまだ死ねません。彼を、健斗を、見つけるまでは」
知らず知らずの間に頬を伝っていた涙を拭いて菜月は立ち上がった。
「ごめんなさい、昔話に付き合わせてしまって、……渡辺さん?」
思わず尋ねてしまうほど、話を聞き終えた男の顔は緊張していた。驚きと恐怖が混ざって幽鬼のよう、といっても過言ではない程に。
「彼の名前は……」
「え……?」
「フルネーム、は?」
枯れ葉がこすれ合うような渇いた声でそう訊かれ、加川 菜月は違和感を覚えつつも彼の名前を、『西谷 健斗』と口にする。
なぜそれを渡辺が知りたいのか、そしてなぜ名前を聞いただけでこんな表情になるのか、と思案したところで、ある考えが頭をよぎり、はっとする。
「……もしかして、もしかして、あなたは健斗のことを知ってるんですか!?」
「い、いや」
口ごもる渡辺の様子に、疑惑は確信となる。彼女は冷静さをかなぐり捨てて、詰め寄った。
どう考えても、この反応は異常。渡辺さんは絶対に何かを知っている!
彼は、渡辺は青海市で暗躍する秘密組織の研究員だ。彼の情報を持っていても不思議ではない。もっともその場合、良い報せである可能性は下がってしまうのだが……
それでも彼女は知りたかった。心から愛している彼の行方を。
「お願いします、どんな小さなことでもいいんです! 彼に繋がることであれば!!」
渡辺の防刃ベストを強く掴み、束ねた髪を振り乱して懇願する彼女の目を見ることもできず、渡辺はどうしようもない、とばかりに渋面で首を横に振った。
「……本当に、知らないんです。『ケント』というのはよくある名前ですから、念のため確認しただけで……人違いでした」
そう言われてしまうと彼女も引き下がるしかない。そうですか、ごめんなさい。と消え入るような声で告げて渡辺から身を離した。
その様子を見た渡辺は、苦悶の表情が浮べる。眼下に広がる業火をも上回る勢いで、彼の心を焼き焦がすものがあった。
呵責、後悔、自己嫌悪……
ニシタニ ケント
その名を僕はよく知っている。いやそれ以上に、経歴、年齢、血液型、罹患歴、身体データ、天涯孤独の孤児だったこと……。他にもおおよそ本人ですら把握していない情報まで。
なぜならその人物こそ僕が行っていた実験の、被験者だったからだ。
迂闊、としか言いようがない。組織から送られてきた報告書には、遺伝子的に繋がりのあると推定される血縁者のリストの他に同棲者あり、との情報はあったものの、名前までは知らなかった。
それがこんな形で判明するとは……。
僕は数奇なめぐり合わせに軽くめまいを感じた。
これも運命なのか?
だとしたらなんと残酷なのだろう。加川さんは彼の帰りを待っている。その身を案じながら。だがその彼はもう……
吐き気を催す嫌悪感にさいなまれ、渡辺は奥歯を噛みしめる。口の奥で鉄の味が拡がったが、そんなことはどうだってよかった。
葛藤の末、溜飲が下がるのを待ってから、彼は一言呟いた。
「……すみません、嘘です」
本当に自分の口から発せられているのか、と疑いたくなるほどに上ずった掠れ声だった。
「えっ?」
突然のことに戸惑いをみせる彼女だったが、やがて言葉の真意を感じ取ったらしく、その目が次第に見開かれていく。
渡辺はいっそ大声で叫びたかった。
貴女の大切な人を、貴女の人生を、狂わせてしまったのは僕です、と。
僕の正体が悪魔だと知った貴女はどうするだろう。その腰の拳銃で、警棒で、恋人の仇を討つのだろうか?
だが、それは許されない。加川さんに僕を殺す権利はあっても、僕には殺される権利がない。この罪から逃げることは、万死をもっても贖われないからだ。自分の業にけりをつけるまでは、死ぬわけにはいかない。なにより、彼女を邪悪な罪人の血で汚したくない。
結果として発せられたのは、狡猾な詐欺師の言葉だった。
「世の中には知らないほうが良いことも沢山あります。それでも真実を、……知りたいですか?」
白々しいにも程がある。と渡辺は内心で辟易した。
この言い方で、良いニュースな訳がない。知らないほうがいいに決まっている。しかも、結末を知っているくせに『知りたいですか?』などと相手に判断を委ねるなんて、一体僕はどこまで堕ちれば気が済むのだろう。
「知りたい……、教えて下さい」
やがて、彼女は澄んだ目で真っ直ぐ渡辺を見据えて言った。だが反対にその表情は固く、肩も強張っていて小さく震えている。その仕草に、渡辺は確信した。
加川さんは恐れている。それでもなお、知りたいんだ、心の底から愛している男の末路を。
しらを切り続けることもできたはずだ。僕はすでに数えきれないほど罪を重ねている。死後の世界があるのなら、間違いなく地獄行きは免れない。だから今さらそこに一つ、二つ罪状が加わっても大差ないだろう。しかし彼女が自分のせいで空虚な幻想に囚われたままになることは避けたかった。
いや、正直に言うと怖れている。すべてを投げうつ覚悟の人間を裏切るのことを。
僕はかつて一人の女性を欺いた。最愛の女、妻を。
悪魔の手先だという素性を隠して過ごした偽りの日々。
そして後悔したときには何もかもが遅過ぎて、無くしたものの大きさに呆然とするしかなかった。状況は違えど、もうあんな思いはしたくない。
「……分かりました。その前に」
渡辺は近くにあった標識を拾うと、拓けた丘の斜面に突き刺した。爆風でここまで飛ばされたのだろう。標識の表面は真黒だ。石で線を入れると、白く浮き上がったので、そこに自分たちの無事と、別行動をする、という旨を書き記した。
草はらにそびえるそれは、思ったよりも存在感があった。さしずめ、伝言である。佐伯や他のメンバーに向けての。
そしてもう一度彼女の目を見た。迷いの無い、どこまでも澄んだ光をたたえていた。
目は心の鏡だときいたことがある。ならば自分の目はどれほど濁っていることだろう。
科学という宗教に傾倒し、人道を外れてなお、自分と他者を騙し続ける偽善者の眼。
そう思うと酷く視界がぼやけてきたような錯覚におちいって、渡辺は煤けて亀裂の入った眼鏡を捨てた。
「渡辺さん、それ……」
「大丈夫です、度は入ってませんから」
ちょうどそのとき酔客のような足取りで、複数のゾンビが近づいてきた。おおかた火災の熱や音に惹かれてここまでやってきたのだろう。
渡辺は右手でホルスターからH&K P2000を抜き、左手には帯革から取り出した9mmパラベラム弾を掴んだ。
初弾を手動で送り込んでから、狙いを付け、一切の無駄がない動作で数回引き金を引く。
飛んで火にいる夏の虫とでもいうべきか。貫通性の高いフルメタルジャケットの弾丸は、火薬によって得た推進力を回転することで増幅させると、標的の頭蓋を次々に穿ち、食欲のみに囚われた中身を激しくかき混ぜてから、腐った脳漿とともに反対側へ飛びだした。
反動をも利用する、片手での水平撃ち。ゾンビの襲来から沈黙まで、全てが一瞬の出来事だった。
今の彼には科学者なんて肩書よりも戦闘員のほうが相応しい。
「ほらね」
呆気にとられている彼女に、まだ微かに硝煙を漂わせている拳銃に弾を装填すると、渡辺は肩をすくめた。
「では、とりあえずここを離れましょう。感染体が寄ってこないうちに」
これ以上目を曇らせるものは必要ない、偽りはもうたくさんだ。
ある種の決意を胸に、罪深き科学者は歩き出す。その瞳に宿るは、尽きることなき自己嫌悪の燻り。
それは燃え上がることもなく、燃え尽きることもない。生きている限り永遠に蝕み続ける。
これが赦される機会を失った者の宿命なのだろうか。
月が雲間に呑まれていき、夜空は分厚いベールで覆われていく。まるで彼の心に渦巻く闇を投影したかのように。
いつも読んで下さってありがとうございます!
しかし今回はアレですね。
前話に続く掘り下げ系なんですが、主人公が一切登場しないのは佐伯のときにもありましたけど
主観キャラが2人ともなれば、文章が混乱気味です。
(あ、それはいつもか☆)
次回は……未定です(オイ)
しかし、近いうちに新キャラを登場させる予定です(今さら!?)
……では引き続き、感想・アドバイス待ってますm(_ _)m




