閑話 リーダー
前話のあとがきで戦闘を臭わせていたのですが、もう少し掘り下げようと思って閑話を挟みました。バトル展開を望まれていた方、すみません。
「隊長も疲れをとって下さいね…」
その言葉に、分かっている。と返すとドアが閉められる音を背後で聞いた。
静まり返った会議室。音といえば時計が秒を刻む音ぐらいしかないその場所で、先ほどと同じく椅子に身を預けなら、瞑目している人物がいた。
佐伯 正志である。
警官たちはゾンビの監視や、備品の確認でこの場にいなかったし、女性たちは署内にあるシャワーを浴びに行き、2人の青年と渡辺は休眠を摂っている。
そしてたった今、間宮も自分と同じくシャワーを浴びたので、仮眠の為に退室したところだ。
シャワーを浴びただけでなく、ボロボロだった野戦服も警官の制服に着替えて体がさっぱりしたので、佐伯自身も疲れからくる眠気を感じてはいたが、それ以上に頭を支配する物があった。
これまでのコトと、これからのコトだ。
これまでのコトの前者は、先ほどまでの感染体との戦闘。
これに関してはそこそこの手ごたえを感じていた。未知の感染体相手に一人も欠けることなくここに到達出来たのは十分な成果だ。が、現在の彼は一瞬の安堵や喜びの片鱗すら見せていない。
なぜなら…後者が今現在も彼に大きな打撃を与えている、部下の損失だったからだ。
皆の手前、嘆き悲しむことは出来なかったが人知れず空に向かって敬礼をした時、彼の胸には激情が渦巻いていた。
伊藤、岡崎、須藤、神田…。
名前を思い浮かべるだけで瞼の裏にかつての光景が蘇る。懐かしい思い出に自然と目が細められた。
伊藤 美咲。26歳でチーム唯一の女性隊員。顔は整っているのに男勝りな性格で、飾り気が無い。髪型も邪魔になるという理由からベリーショート。いつだったか号令の際に冗談でじゃじゃ馬と呼んだら本気で怒ったっけなぁ…。
岡崎 裕樹。防衛大を卒業したばかりの新人で、抜けた所もあったが何より正義感の強い奴だった。数年前の雪山遭難事故の救出作業でも無理をして吹雪の中を探索していた。岡崎の奮闘の甲斐あって遭難者は予定よりも早く救助されたのだが、肝心のあいつが高熱を出してぶっ倒れて、本末転倒だと見舞い際に言ったらベッドで顔を赤くしていたな。
須藤 遼太郎。34歳。無口だが、確かな技術を持っており仲間内での信頼も高かった男だ。手先が器用で技官も兼ねていて、奴の整備する89式小銃は誤作動を起こした試しがなかった。
そして最後に…神田。
神田 大輔。今回は副隊長を務めると共に、ヘリの操縦もしていた。気さくで気取らない奴で、歳が近かったこともあって、すぐに意気投合した。
防大の頃から同期であった彼は、自分にとって相棒であり、副官であり、最大の友人でもあったのだ。
表面上、部下である神田は任務中こそ敬語で自分に接していたが、プライベートでは名指しで呼び合う仲だった。
そんな、自分にとってかけがえのない大切な仲間が、一瞬にして消え去った。
正確には墜落現場を見た訳ではないので、どんな最後だったかは分からないが、カラスに襲われてコントロールを失ったヘリが墜落すればどうなるかは想像がつく。
一瞬だっただろう。いや、一瞬であって欲しいというべきか。どうせ死ぬなら痛みを感じる間もなく死んだ方が楽であろうから。
彼らの訃報を親族、友人はどう受け止めるだろう。立派に自衛官としての指名を全うしたということで誇りに思うだろうか?
特に神田には7歳になる娘と、妻がいたはずだ。一家の大黒柱が、謎の感染体によって散ったと聞けば、果して彼女たちはそれを受け入れるだろうか。
いや、そんなことはきっと無いだろう。
せめて避難民の救助が完了してからなら、浮かばれたかもしれない。
最後に自分に発せられた彼らの言葉が、表情が、脳裏に浮かんでは消えた。
佐伯はしばらく椅子にもたれたままじっと動かなかったが、やがて頭を振って陰鬱な思考を振り払うと、さっと立ち上がった。
今は感傷に浸っている場合ではない。それは間宮にも再三言った言葉だ。今は脱出のことだけ考えていればいいんだ。
机の隅に固められた品々、もとい銃器を引き寄せる。
これは椎葉たち青年と渡辺に貸与していたものだ。去り際に提出を促すとあっさりと従ってくれた。
その時は若干拍子抜けしてしまったが、非常事態とはいえここは日本だと思い直して納得した。一度安全な領域に入ってしまえば、銃と寝るなどという習慣は彼らには無いはずだ。
まずは装備品の整備からだな…。
彼は端末を開き、情報が着ていないことを確認すると、電源を切ってそれを上着の胸ポケットへとしまい、作業を開始した。
拳銃の一つを自前のフィールドストリッピングで簡易分解すると、布で内部を拭き取ってから警察署の備品であったガンオイルをさした。銃というのは存外繊細な武器だ。定期的に整備をしなければ、内部の機構がダメになって何らかの動作不良の原因になってしまう。特に、派手に使用した後ではその作業は必須である。
自分のも含めて順に整備を行ったが、安堂とかいう青年の9mm拳銃が一番ひどかった。
恐らく過度に連射したことと、返り血を至近距離で受けたためだろう。内部にまで赤黒い血痕がこびりついていた。よく途中で排莢不良を起こさなかったものだと思えるほどだ。
まあ、一般人なのだから仕方がないことだが、と思いつつも佐伯は作戦説明の他に追加講習を行う必要性を感じた。
とはいっても、結果だけなら一般人にしては上出来過ぎる戦いぶりだったと評価できるだろう。感染していれば大問題なので一人ずつ念入りに身体検査を行ったが、小さな傷や打撲、捻挫などはあるものの、皆無傷に等しかった。警棒しか持たない女性2人は戦いこそしていないが、五体満足で生き残っている。
青年たちも武器が与えられたとはいえ、所詮は拳銃と打撃武器ぐらいだ。何より付け焼刃であのパフォーマンス…。彼らが若者だということを加味してもその順応能力の高さに、人は危機的状況に陥ればこうも力を発揮できるものだと、改めて実感させられたものだ。
戦闘の様子を再現してみた後、それにしても、と彼は思う。
あの渡辺と言う男…。
奴は本当に一般人なのだろうか。身のこなし、技術、そして精神力。全てにおいて目立つとまではいかないが、一般人のそれよりは頭一つ飛び抜けている気がする…。特に銃器への慣れが他の2人とは明らかに違うことが、何よりの疑いの種であった。
再装填や射撃はもとより、安全装置や排莢、弾詰まりなどの対処方法も最初から分かっている兆しが見えた。事実、現在手元にある奴の銃だけが妙に綺麗だった。青年2人は焦りゆえにスライドを無理に引っ張った形跡があったが、渡辺にはそれも無かった。
更に、銃を構えた際のあの隙のないフォーム…。体を半身にすることによって、正面から受ける攻撃の面積を少しでも減らす構えだ。
そして何より、目だ。自分はこれまで同僚はもちろんのこと様々な兵士や傭兵を見てきた。彼らと一般人の違いは体捌きはもとより、目に顕著に表れる。主に目線の配り方、眼光、瞳孔などだ。特に動向は人間の感情に応じて開閉される。ゾンビに遭遇した際に皆が驚愕するなか、渡辺だけは瞳孔が開いていなかったのだ。それはつまり、奴が事態にさして驚いていなかったことを示している。
奴を観察していて分かったこと全てが、訓練を受けた人間を臭わせた。
もっともその技術を見込んで自分は奴に、性能の良いH&K P2000を渡したのであるが。
それとなく経歴を訊ねてみたが、大学の理系助教授だとしか語らなかった。
だが、一介の壮年の教授が付け焼刃の技術でああも善戦出来るものであろうか?
そのことが益々、懐疑心を強くさせた。渡辺が何かを隠している気がしてならなかったからだ。
しかし、奴は敵対する素振りは見せていない。また、他に武器を隠し持っている素振りはない。それに油断はできないが、味方としては頼れる存在であることは間違いない。実際、他のメンバーからの信頼も厚いことだろう。
ここで下手に渡辺を疑えば、仲間同士の信頼関係を崩してしまうことになりかねない。佐伯としても、それだけは避けたいところだ。この状況下での内部分裂は致命的だ。
…奴はこの際、監視程度に留めておこう。敵意を見せていない今のうちは。
今のうちはな…、と内心で反芻しているうちに整備作業は終わりを迎え、彼は凝った筋肉をほぐすために二、三度肩を回す。
武器と整備器具を脇へどけると次に、これまたここにあった青海市の全域地図を広げて脱出ルートの再確認を行った。端末を使わなかったのは、バッテリーの消耗を危惧したからだ。
それに存外こちらの方が青海市限定なだけに、詳しく記載されている。
ルートは橋を目指して国道に沿って直進するというシンプルなものだったが、慎重に建物の配置や裏道に目を配る。
ヤツら…。ゾンビはどこから湧いてくるか分からない。いざとなった時の逃げ道や、視界を遮る可能性がある建物は事前に把握しておきたかった。
一通り地図にマーカーなどで印を付けると、佐伯はやっと一息ついてまた椅子に腰を下ろす。ギギッと安っぽい造りのパイプ椅子が重みで軽く軋んだ。
ふと、彼の目に整備を終えた武器の横に置かれた無線機が映る。
無駄だと分かっていて尚、周波数を本部に合わせてコールした。が、暫く待っても流れるのは耳障りな雑音のみ。彼はため息をつくと無線を切った。
「フッ、まったく嫌になってくるな…」
彼にしては珍しく、諦観が混ざった声だった。
不安は山積み、脅威は未知数。希望は微か。時間すらミサイルによって限られていると来たもんだ。
敵は怖れも痛みも感じずに、貪欲に襲いかかってくる死者同然の大軍勢。
今も増え続けるそれに対するは、生きようと足掻くちっぽけな人間だ。
歴史上でも中国で清王朝末期に猛威を奮った義和団事件で、西欧列強が明らかに武器の劣る連中相手に苦戦した理由が、敵が麻薬によって恐怖心を捨て去った死を恐れぬ集団であったことと同様に、牽制の効かない敵は非常に厄介なのだ。
今回はそれよりも数段酷いといえる。ゾンビは足が折れようが、腕がもげようが、構わず突進してくる。急所である頭部を破壊しない限り、這ってでも執拗に攻撃してくるのだ。
何よりも此方には抗うための武器が少な過ぎる。ただえさえ多勢に無勢だというのに、今手元にある兵器は拳銃が4丁とその弾薬が56発。閃光手榴弾と破片手榴弾が1個ずつ。ナイフが予備も含めて2本という頼りないものだった。信号銃もあったが、これは攻撃手段にはならないので足しにはならない。
警官たちが現在、署内の銃から何から使えそうなものを掻き集めてくれているようだが、果してどれぐらい残っているのか…。事態の対処に向かった職員が大方持ちだしたのではないかと佐伯は踏んでいた。
これなら海外支援としてどこぞの戦場に赴く方が、余程楽かもしれんな…。
ついつい他にも悪態をこぼしそうになったが、彼は口を引き結ぶことでそれに堪えた。
リーダーとは弱音を吐いてはいけない。リーダーとは道標にならなくてはいけない。
指導者自ら、集団の士気を下げないためだ。
無能で臆病な指揮官の下では、いかなる屈強な戦士たちも烏合の衆と化してしまう。
事実そういう例を過去に何度か見てきた。普段は無能なくせに威張り散らし、肝心な時には委縮してしまう輩を…。
だからこそ彼は、以前から任務中は皆の前で弱音を一切吐かないように努めていた。
少なからず自分には、自衛官として長年培ってきた経験による技術と直感がある。驕っているわけではなく根拠に基づく自負だ。大丈夫だ、出来る。彼は決意の証に右手を強く握りしめる。
「神田…、見ていてくれ。お前たちの死は無駄じゃない。俺がそれを…証明してみせる…!」
他でもない自分自身に放った力強い声は、広い会議室にさざ波のように響いた。
そして、再度立ち上がると、ガンオイルや火薬の臭いを室内から追い出すために窓を開けた。開けると同時に温度差で冷えた秋風が微かな死臭と共に舞い込む。いつの間にか空は日が落ちて暗くなっており、時計を確認すると19時だった。
電気が断たれていないため街には明かりが灯っていて、初見ではいつも通りの景色に見える。が、建物から漏れる光の下にいる生きた人間は少ないことだろう。ほとんどが点けっぱなしの状態で放置されているだけだ。
そろそろ、男たちを起こすか…。
佐伯は窓を閉めて、戸口に向かうと電気を消して部屋を後にした。
呼んで下さっている皆様には申し訳ないのですが、近頃徐々に忙しくなってきていて、更新速度が以前よりも遅れるかもしれません。ですが、途中放棄はしたくないので合間を縫って投稿する所存です。それではいつも通りですが身の程知らずな僕は感想・評価を切望しておりますm(_ _)m