第12話 追憶と銃
――3年前――
あれは22歳の春、久しぶりの家族3人で私の看護師採用祝いに温泉旅行に行った帰りのトンネルでのことだった。
父の運転する車の後部座席で私はうとうとしていると突然、体が強い衝撃に襲われ、私は目を開ける。
両親の悲鳴が絶え間なく響く。もちろん自分も叫んでいたのだろうが、自覚はほとんどなくて、ひどく客観的な体験だった。
180度車が横転し、道路に激しく接触したドアが弾け飛ぶ。シートベルトをしていなかった私は慣性の法則に従って、車外に放り出された。
ガンッ!
うっ!
強烈な痛みと目眩。現状を理解する間もないまま硬いコンクリートの上に投げ出されて、私の視界は闇に沈んだ。
◆◇◆
……あつい
混沌とした思考の中で、それが最初に感じたものだった。
……息が苦しい、何なの……?
暗い、……そうだ、目を……
重い瞼を開けた瞬間、熱と何かで涙がにじんだ。ぼやけた目をこすり、徐々に周囲が見えてくる。
視界を取り戻したとき、私は一人でうつぶせに横たわっていて、辺りはトンネルの天井の崩落とそれによる二次火災で地獄へと変わっていた。
……どうしてこんなことに。
思い出そうと記憶を探ってみると、あることに気が付いて、焦燥感に駆られた。
お父さんとお母さんがいない!!
痺れたように痛む体を無理に起こして両親を探していると、めらめらと燃える炎に照らし出されて、数メートル先の瓦礫の中に見覚えのある時計をした腕が目にとまる。
驚きのあまり呼吸が止まりそうになってしまった。
「お父さんっ!」
痛む体を引きずって近づき、その手を取ると、熱い空気の中でそれは酷く冷たかった。
すぐそばには血まみれの母の足もつき出ている。2人を覆う瓦礫はどけようとしてもびくともしなかった。
心臓マッサージも、もはや無意味だろう。心肺停止の状態からわずかな時間で人の命は左右される。
停止から3分以内がベストだし、それ以上は秒刻みで生還率が下がるし、助かったとしても後遺症のリスクは増えてしまう。
そして今回の場合は、その判断すら必要なかった。
二人の周りに広がる血だまり、加えて傷口から流れる血も勢いをなくしていたからだ。
標準的な人間の体には、その体重の7~8%、すなわち約4000mlの血液が絶えず流れている。その半分を失うと、失血死に陥るのだが、彼らはもうそれ以上の血を流していた。
皮肉なことに看護学校で得た知識が、父母の死を明確にしていく。
もちろんこれ以上の処置が無意味なことは分かっている。しかし頭では理解していても、心は簡単に割り切れるものではない。
なんとか母親の体を車体の隙間から引っ張り出すと、地面に寝かせて心臓マッサージを始めた。
1分間に80~100回のリズムで胸部を圧迫。そして30回おきに二度、人工呼吸を繰り返した。
結果は、初めからわかっていることだった。どんどんぬくもりを失っていく母親の体。それをあざ笑うかのように熱と光を放ち迫ってくる炎。
怒り、悲しみ、自分の無力さ、そして最後に見た二人の笑顔……
色々なものがこみあげてきて、私はその場に座り込んでしまった。
それからどれほど時間がたったのだろう。
ああ、わたし、死ぬんだ……
押し寄せる絶望と一酸化炭素で、ぼんやりとそんなことを考えるようなった。倦怠感に耐えかねて、瞼が落ちていく。
せめて、結婚、したかったなぁ。でもそれも、どうでもいいことね……。
自嘲じみた考えが脳裏をよぎりかけたときだった。
「……、――――! ――――い!」
若い、男の人の、声。必死に、呼んで……?
「おーーい!」
誰かを、探している……?
「誰かいませんかー! 救助の者です。いたら返事をしてください!
あ!」
足音が徐々に大きくなった。
もう、いいのに。とても、眠いの……
「しっかりしてください!」
頬を半ば強引に叩かれて、閉じかけていたまぶたがひらく。
「ああ、よかった無事だったんですね!」
ぼやけた視界が、少しずつ輪郭をとらえていく。銀色の防火服を着た消防隊員だった。彼は自身のマスク酸素マスクを私に被せた。
酸素の効用で、意識がいくらかはっきりとする。
「もう大丈夫ですよ、他に生存者はいますか?」
黙って首を横に振る。
「そう……ですか。とにかく今は脱出しましょう」
私の手を彼は取ろうとしたが、私がそれを拒んだ。
「お父さん、お母さん……」
呪文のように繰り返す。喪失感にとらわれて、もう何も考えられなかった。
すると体が引き寄せられて、気づけば彼に背負われていた。思わず見開いてしまった私の目と彼の視線が交錯する。
彼は強い意志を宿した瞳でこう言った。
「生きてここから出ましょう。大切な人の分まで」
そのとき肩越しに見えた厳しくも優しい顔を今でも覚えている。それが彼、西谷 健斗との出会いだった。
◆◇◆
現在 呈楠高校グランド
「菜月、さん……?」
しばらく放心状態だった彼女の様子を不審に思って護が尋ねる。
ややあってから、我にかえったらしい彼女は、軽くかぶりを振った。
「ごめんなさい。なんでもないの、ちょっと――――」
――――彼に似てただけ
そうつぶやくと彼女は立ち上がってリュックを肩にかける。これ以上の詮索を拒むかのように。俺と護は顔を見合わせた。
準備が整うと、佐伯さんは自身の端末に地図を呼び出して俺たちに見せた。現在地は呈楠高校をさしている。
「ここから市街に出るには国道沿いに県境の阿良居川を目指すのがいいだろう。運が良ければ動かせる車両があるかもしれん。」
それと、と彼は付け加えてアタッシュケースの中から何か黒いものを取り出して護、俺、渡辺さんの順に手渡した。
――――拳銃だった。
鈍い威圧的な金属光沢と、確かな重みが偽物ではないことを静かに語っている。全員が驚きを隠せずに佐伯さんの顔を見た。
「法律違反であることは十分承知している。しかしこの状況下で我々2人が丸腰の民間人7名全員の命を守るのは不可能だ。よって身体能力が高そうな君達にも武装してもらいたい」
「銃なんて持ったこともないんすけど……」
佐伯さんのいうことも的は射ていたが、それ以上にもっともな意見を護が言う。
ここは法治国家日本だ。おおよその国民が銃とは無縁のうちに生涯を終える。ましてや発砲経験なんてあるのは自衛隊と警察を除けば、角田のような無法者ぐらいだろう。
「これから必要なことは教えるから心配はいらない」
そして彼と間宮さんは拳銃の大まかな扱い方と諸注意を説明した。
引き金はもちろん再装填の手順や照準の合わせ方、暴発防止の安全装置についての説明と実演が終わると、それぞれの銃の特徴が述べられた。
俺と護が受け取ったのは自衛官装備として標準的な装弾9発の9mm口径拳銃と、その予備弾薬だった。
渡辺さんには同口径だがややコンパクトなヘッケラー&コッホUSPの小型改良版、H&K P2000が渡されていた。
重さが俺達のものより軽いにも関わらず装弾数は13発という優れモノらしい。
最後にリロードからの射撃の構えを一人ずつ佐伯さんの前で行った。
護はなかなかのものだったが、それ以上に渡辺さんの手際の良さには驚かされた。
その細見からは想像できないほど、しなやかで隙のない構えだった。
因みに俺はリロード時の隙が大きいので要注意だと指摘されてしまった。しかも構えが映画の見すぎだと、ため息までつかれる始末だ。
一応、俺も射撃は得意な方なんですよ? 主にゲーム内では、だけど。
俺は地味に傷ついた。
一方銃の俺たちが銃のノウハウを学ぶ傍らでは、間宮さんが有紗と菜月さんに警棒を用いた護身術を教えていた。
とりあえず強力な助っ人と攻撃手段が手に入った。
失ったものは大き過ぎたが、漠然としていた脱出計画に僅かな光が見えてきて、俺はハンドガンの銃把を強く握りこんだ。
最近、『栄林庵へようこそ!』というコメディーを始めました。あまりに違うジャンルに挑んだせいでInfectionの執筆が進みません。
ダークな展開に疲れたという方、くすっと笑いたい方
機会があれば是非、こちらも覗いてくださいm(_ _)m
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