表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

骨のある物書き

作者: 竹仲法順

     *

 蒸し暑い部屋の中で、ずっと原稿を書いている。エアコンはあまり効いてない。俺も基本的に貧乏暮らしなので、節約の意味で、冷暖房は年中程々にしている。効かせ過ぎると電気代が跳ね上がるからだ。特にこの季節はそうである。暑い分、エアコンをフル稼働させずに、扇風機で凌いでいた。

 昔、三十二歳で直木賞を獲り、今も作品を書き続けているのだが、本はあまり売れてない。まあ、仕方なかった。すでに四百冊以上商業出版しているのだが、最近は若手に押されている。よくいるのだ。大手の文学書受賞後に妥協作のようなものを書いて増刷が掛かり、涼しい顔をしているヤツらが、である。

 俺自身、そういった売文作家が一番嫌いなのだった。確かにそういった連中は一般受けする作品を書くだろう。だが肝心の骨がない。文壇でも骨のある作家を目にする機会がめっきり少なくなった。

 直木賞を獲るまでに相当な労苦があったのは事実だ。当時はまだ文学界も成熟していなくて、若手などでも売れない連中は大勢いた。俺など、売れている大御所作家の話し相手をさせられることが多かったのだ。

 二十代などはカス扱いされているようなところがあった。当時から推理モノ一本で来ていたのだが、何せ本が売れない。今六十代前半だから、四十年ぐらい前の話である。あの時はまだ手書きだった。普通に掻き集めた資料を元手に、原稿を書き続けていたのである。

     *

「佐川君、筆を絶やすなよ」

 いつも先輩作家で人気のあった推理作家の日高(ひだか)恵一(けいいち)先生がそう言ってくださったのを覚えている。確か大手の推理系の文芸賞を受賞し、デビュー作を出して直後だったから、今から四十年以上前の話だ。日高先生のご自宅にお邪魔し、書斎で執筆のご様子をずっと見ていた。原稿用紙に万年筆というスタイルだった。今じゃ到底考えられない。

 日高先生は俺の本がぼちぼち売れ出した頃に、肺ガンでお亡くなりになった。当然、臨終の床にあった先生にお会いするため、入院先の病院に急いで行き、息を引き取られるまで看取ったのである。遺品の万年筆と大量に買い集めていたインクは、何と先生のご遺志で俺に与えられた。

 それから勇気づけられたように、しっかりと作品を書くようになった。日高先生ご愛用の万年筆は今でも書斎に飾ってある。それを見るたびに大文豪と接してきたんだなと思う。今の若手などとは、まるで訳が違う。味のある極上の作風を展開なさっていた。

     *

 パソコンのキーを叩きながら原稿を作る。別に抵抗はなかった。書き慣れていたからである。ずっとマシーンを使い続けながら、手書きの時代が遠くなったことを改めて思った。キーを叩き続ける。今でこそ原稿料や印税などがある程度入り、時折過去作が二時間ドラマ化や映画化されてロイヤリティーなどが入ってきたりもする。

 だが日高先生から言われた<筆を絶やすな>という一言が俺を元気づけたのは間違いない。今の若いヤツらが書く作品はまるで中身がなくて薄っぺらだ。出版社から献本されてくる作品を合間に読んだりするのだが、どれもいい加減で、こんなものが売れてるのかと目を疑いたくなることが多々あった。所詮自費出版系の会社が適当な宣伝をして、売り付けているのだろう。そういったものに何ら興味はない。

 求めているのは骨のある書き手だった。稀にそういった人間もいる。人生経験が豊富でちゃんとしたものを書き綴る作家もいるにはいた。推理小説だけでなく、どういったジャンルの作品にも言えるのは書き手の訴えであり、魂だ。それがなければ何の意味もない単なる作文に終わってしまう。

 小説家は常に新しいものを追いかける傍ら、同時に古き良きものを鑑賞する。暇があれば昔あったドラマなどをパソコンの動画サイトなどで見たりしていた。創作に終わりはないと思っている。一貫してそうだ。売れなくて貧乏している頃から、少し部数が出始めたなと思うつい最近まで……。

     *

 毎日午前五時に起床し、キッチンでコーヒーを淹れて飲む。その後、独身なので一人厨房に立ち、簡単に朝食を作った。そして食べてしまってから、歯を磨いて顔を洗う。伸びている髭を剃り落としてしまった後、部屋の掃除をし、パソコンを立ち上げるのだ。別に日常においてやっていることに変化はない。

 書斎の固定電話は決まった時刻に鳴り出す。夏場などは午前十時半ぐらいに掛かってくるのだし、掛けてくるのは大抵編集者か、同僚作家だった。ずっとキーを叩きながら、電話中は原稿をいったん上書き保存し、電話応対する。

 俺ぐらいの年齢になると、時間が惜しくなる。愚痴や泣き言ですら、作中に登場させたりしていた。別にいいのである。俺の著作は初版が一万五千部から二万部ぐらいで、増刷もそう派手に掛かることはない。四版とか五版ぐらいされれば、後は絶版となる。

「佐川先生はあまり対人関係がお得意じゃないようで?」

「ええ、私も人前で話すのが苦手なんですよ。部屋からもあまり出ませんし」

「普段ずっと原稿を書いておられるんでしょう?」

「はい。午後三時からは散歩しますがね」

 西奥日報(さいおうにっぽう)の文化部記者の辰見(たつみ)が、会うたびにいつもそう言ってくる。俺も半ば聞き流していた。確かに売れない作家の悲哀というのは辰見も知っているようだ。

     *

「辰見さん、最近の若いヤツらには骨がある物書きがいないね」

「そうですね。一作売れたからと言ってチャラチャラしてる人間が大勢いますしね」

「俺、そういう作家が一番嫌いなんだよ。下積みもろくにしないで、処女作が売れるなんていう。全く馬鹿げてて、くだらないって思ってる。まあ、それが現実なのかもしれないけどね」

「佐川先生は下積みが長かったですからですね」

「ああ。俺なんかこの世界に四十年近くいるんだから」

「先生も本が売れればいいですね」

「うん。今は原稿料とわずかな印税で暮らしてるからね」

「陰ながら応援してますよ」

「ああ、ありがとう」

 話をした街のカフェでコーヒーを飲み終わると、俺の方が先に立ち上がった。そして、

「辰見さん、急ぐ?」

 と訊く。

「ええ。本社に戻って記事書かないといけませんから」

「今日のコーヒー代は俺が奢るから」

「ああ、済みませんね」

 辰見もそう言って席を立つ。俺の方がレジへと行き、二人分のコーヒー代と付け合せで持ってこられたスイーツの料金を支払う。そして店外へと歩き出す。これから先、自宅の書斎に戻り、取り掛かっていた作品を書き進めるつもりでいた。

 六十代というのはまさに人生の残り少なさを感じる時である。だけど俺の場合、生前の日高先生から言われた通り、筆を絶やす気は毛頭ない。売れなくても大丈夫だと思っていた。別に出版社から契約を切られたりすることはないので……。

 そして自宅に帰り着き、パソコンの電源を入れて、また執筆し始める。頼まれていた原稿もあった。それを書き終えて稿末に了の字を入れることが肝心だ。そう思っていた。日々淡々としているのだが、これが作家の現実だ。キーの叩き過ぎによる腱鞘炎は相変わらずだったのだが……。

                          (了)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ