扉 (最終話)
護衛隊長は、街を歩きながら考えていた。
あの失態を犯した上で、なお街を歩けている意味を。
それは――
「ああいう事」が起きた翌日、
いや、正確には当日と呼ぶべき時間だった。
護衛隊長に与えられたのは、
休息ではない。
猶予でもない。
謹慎という名の、思考の時間だった。
それを与えたのは、
他ならぬ国王直属の親衛隊長である。
国王に進言する、という形は取られていた。
だが、その言葉は短く、逃げ場のないものだった。
「何も処分しないわけには、行きません」
その一言で、場の空気が引き締まる。
「除隊とするのは流石に……
当分の間、謹慎処分としましょう」
淡々と、だが確実に言葉が浴びせられる。
「お前は謹慎しながら、
自身の本分を見つめ直せ!」
護衛隊長は、即座に膝をついた。
「ハッ!」
そして、思わず問いを重ねる。
「では、私はこれより地下の牢獄へ……」
その問いに、親衛隊長は一瞬も迷わなかった。
「お前はそれで良いのか!
本当に、そのままで良いのか!」
「では……いかようにも」
「自分で考えろ」
言い切る。
「そして、自分で思う最善の行動をしろ!」
それだけだった。
拘束はない。
監視もない。
行動制限の細則もない。
――何も、縛られていない。
それが、どれほど重い処分であるかを、
護衛隊長は理解していた。
そのやり取りを聞きながら、
国王陛下は静かに目を閉じていた。
そして、すべてを悟ったように、
ただ一言だけ発した。
「……そのように、いたせ」
声は、驚くほど穏やかだった。
自分の娘に危険が及んだのだ。
怒り、責め、誰かに責任を取らせようとする。
それは、父として当然の感情のはずだった。
だが、陛下はそうしなかった。
処罰ではなく、思考を選んだ。
拘束ではなく、判断を委ねた。
だから――
国王なのだろう。
だからこそ、
あの国を治めているのだろう。
護衛隊長は理解した。
これは罰ではない。
逃がしでもない。
「行って来い」という命なのだと。
そして実際、
外出の許しは思っていたよりも静かに下りた。
国王は、多くを問わなかった。
理由を詳しく聞きもせず、
ただ一言だけ告げた。
「行ってこい」
命令ではない。
許可でもない。
理解だった。
護衛隊長は深く頭を下げ、
その場を辞した。
城門を出ると、
朝の空気はひんやりとしていた。
石畳を踏む音が、
城内とは違う響きを返す。
鎧は着けていない。
剣も、目立たぬ形で腰に下げただけだ。
肩書きは、
今は置いてきた。
護衛隊長は、城下を歩く。
人々の会話。
商人の呼び声。
パンの焼ける匂い。
すべてが、昨日と変わらぬ朝のはずだった。
だが、彼の目には違って見える。
視線の動き。
言葉の端。
噂話が一瞬、声を落とす、その間。
――赤い髪。
はっきりとした言葉ではない。
名前が出るわけでもない。
ただ、話題に上った瞬間、
ほんのわずかに生じる、間。
(……聞こえるか)
無意識のうちに、
護衛隊長は歩調を緩めていた。
街の音に、
赤い髪の情報が紛れていないか。
誰かが、何かを見ていないか。
つい、
聞き耳を立ててしまう。
――職業病だ。
いや、それだけではない。
ふと、視界が揺れた。
一瞬、
地面が遠のく。
睡眠が、足りていない。
昨夜、
まともに目を閉じた記憶はなかった。
だが、
それを理由にすることは出来ない。
言い訳が許される立場では、
もうない。
護衛隊長は、
小さく息を整え、足を止めずに歩き続けた。
(……ここだ)
足が、止まる。
見覚えのある家の前だった。
昨日、
第三王女と共に昼食をいただいた場所。
豪奢でもなく、
貧しさを誇るでもない、
ただの家。
だが――
人が、正直に話す場所だ。
護衛隊長は、
一度、深く息を吸う。
ここで聞く話は、
都合の良いものではないだろう。
だが、
それでいい。
真実は、
いつも居心地が悪い。
彼は、戸口の前に立つ。
手を伸ばせば届く距離に、
木製の扉がある。
昨日も、
この前に立った。
あの時は、
第三王女が隣にいた。
赤い髪が陽を受けて揺れ、
家の主と言葉を交わしていた。
護衛という立場を越え、
人として向き合う姿。
それを、
半歩後ろから見ていた。
今日は、
一人だ。
ノックをする前に、
一瞬だけ迷いがよぎる。
――自分は、
何としてここに来たのか。
護衛隊長としてか。
いや。
その肩書きを背負ったままでは、
ここでは何も聞けない。
問いは圧になる。
沈黙は拒絶になる。
肩書きは、
時に言葉を歪ませる。
――護衛隊長としての自分は、
ここには居ない。
今、必要なのは。
一人の人間として、
訪ねること。
それだけだ。
答えは、
すでに決まっていた。
護衛隊長は、
静かに手を上げる。
この一歩は、
処分の続きであり、
再出発でもある。
拳が、
扉の板に触れる。
わずかに、
木の温もりが伝わる。
そして――
戸を叩いた。
乾いた音が、
小さく、確かに響く。
その音は、
街のざわめきに紛れるほど小さい。
だが、
彼の中でははっきりと鳴っていた。
ここから始まる。
尋問ではない。
裁きでもない。
理解へ向かう最初の音だ。
この先で、
何を聞くことになるのか。
どれほど重い現実を、
受け取ることになるのか。
それでも――
ここから始めると、
決めたのだから。
その音が、
家の内側へと吸い込まれていく。
護衛隊長は、
手を下ろしたまま、動かない。
返事があるまで、
待つ。
待つことも、
覚悟の一部だ。
背後では、
街の音が続いている。
子供の笑い声。
荷車の軋み。
遠くで鳴る金槌の音。
すべてが、
いつも通りの朝を刻んでいる。
だが、
彼にとっては違う。
ここから先の言葉が、
守る形を変える。
自分が背負うのではない。
次に立つ者へ、
正確に渡すための材料を得る。
それが、
今の自分に出来る最善だ。
扉の向こうで、
微かな物音がする。
足音。
一瞬の沈黙。
護衛隊長は、
目を閉じる。
第三王女は、
まだ眠っているだろう。
昨日の出来事が、
身体と心の奥に沈み込み、
そのすべてを溶かすように。
泣き腫らしたその顔は、
きっと、幼い頃の面影を取り戻している。
何も知らず、
何も背負わず、
ただ守られている眠り。
護衛隊長が
どんな覚悟を選び、
どんな重さを引き受けたのか。
彼女は、まだ知らない。
だが、それでいい。
守るとは、
すべてを知らせることではない。
背負わせないことも、
守りだ。
扉の内側で、
鍵が外れる音がする。
だが――
その先の言葉は、
まだ描かれない。
必要なのは、
結果ではない。
選択だ。
護衛隊長は、
静かに息を吸う。
赤い髪を巡る物語は、
確実に次の段階へと踏み出した。
その最初の一歩は、
この小さなノックの音だった。
第三王女編 第一部 了
ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
本作はこれに一度完結とさせていただきます。
本作は「旧版」となります。
近く、改訂版(構成を再整理したver.)を公開予定です。
大筋は同じですが、
一部エピソードの順番や演出が変わります。
既読の方は、違いを楽しむ感覚で。
新規の方は、改訂版からの読了をおすすめします。




