第三王女 「第三応接室」
第三応接室の空気は、重かった。
夜更けの城に灯る明かりは控えめで、
壁に掛けられた燭台の炎が、ゆっくりと揺れている。
広すぎない室内は、
謁見の間ほどの厳格さはない。
だが、それでも――
ここが王の意思を伝える場であることに変わりはなかった。
扉が開く。
国王が入室した、その瞬間。
待っていた侍女が、
音もなく背後に回り、
毛布のような厚手のローブを、
ふわりと国王の肩に掛けた。
国王は、
それを当然のことのように受け取りながら、
さっと右手を挙げて礼を示す。
国王が口を開く――
その直前だった。
一歩、前に出た影がある。
国王直属の親衛隊長だった。
背筋はまっすぐ。
声は、低く、鋭い。
声は護衛隊長に向けられた。
「……お前が、ついておきながら」
一言目から、容赦はなかった。
「なんだ、この様は!」
護衛隊長は、
反射的に膝をつき、頭を垂れる。
「何を確認して、
王女殿下を馬車に乗せた?」
言葉が、刃のように飛ぶ。
「御者の身元か。
手配経路か。
周囲に張り付く人間の動線か」
一つ一つが、
護衛として“当然”問われる項目だった。
「まさか、
『臨時手配だから省略』、
で済ませたわけではあるまいな?」
護衛隊長は、答えない。
答えられない。
親衛隊長は、さらに踏み込む。
「このお方の立場を、わかっているのか!」
声が、少しだけ強まる。
「第三王女殿下だぞ!
この方に何かあれば、
お前だけの責任で済む立場ではないぞ!」
「近寄る者たちの素性を確認するのは、
護衛としての“義務”だろう!」
親衛隊長の拳が強く握られ、ギリギリ、と鳴る。
「今回の帰還はな――」
息を吸い込んで。
「最悪のシナリオが起きなかっただけだ!」
言い切った。
「運で掴んだ帰還だぞ、これは!」
応接室に、
重い沈黙が落ちる。
護衛隊長は、
額が床につくほど深く、頭を下げた。
「……申し訳ありません」
声は、かすれている。
「弁明は、ございません」
親衛隊長は、
その姿を見下ろし、
一切、言葉を緩めなかった。
「弁明など、要らん。」
そこで、
ようやく国王が、
静かに手を挙げた。
「……そこまでだ」
親衛隊長は、
即座に一歩下がる。
「御意」
親衛隊長は、
拳を握り締めながら下がる。
国王は護衛隊長を見た。
その視線には、
叱責も、庇いも、
両方が含まれている。
だが、今はまだ、
何も言わない。
第三王女はそのやり取りを、
一言も挟まず見ていた。
護衛隊長が叱責されるのは、
彼が無能だからではない。
責任の重さを、
正面から背負わされているからだ。
それを彼女は理解していた。
第三応接室には、
再び、重い沈黙が戻る。
そして誰もが知っていた。
この叱責は、終わりではない。
始まりなのだと。
「……国王というのはな」
低く、少し疲れた声。
「夜も、ぐっすり眠ることは、
まかりならんものらしい」
それは愚痴だった。
だが、誰も笑わない。
第三王女と護衛隊長は、
同時に片膝をつき、
深く頭を下げている。
国王は、
いつもの席へと腰を下ろした。
椅子が、わずかに軋む。
「外泊、か」
短い一言。
「……飛んだことになったな」
その言葉に、
護衛隊長は即座に動いた。
剣自分の前に置き、
最早この重圧に、
両手をついて耐えていた。
そして額が床に触れんばかりに頭を下げる。
「申し訳ございません」
声に、言い訳はない。
間を置かず、
第三王女も続く。
「申し訳ございません」
その声音は、
はっきりしていた。
国王は、二人を見下ろし、
しばし沈黙した。
そして、
静かに言う。
「……二人とも」
声は、強くない。
「そのままにしておれ」
命令だった。
顔を上げることを、
許されないまま。
二人はその姿勢を崩さない。
応接室で頭を下げる二人。
そこに足音が近づく。
誰かが歩いてくる音。
だが、威圧ではない。
やがて。
第三王女と護衛隊長、
二人の背中に、
毛布のようなローブが、そっと掛けられた。
温かさが、
遅れて伝わってくる。
「……寒かったろう」
国王の声だった。
叱責でもない。
裁断でもない。
只々、優しかった。
第三王女の指先が、
わずかに震える。
護衛隊長は、
言葉を失ったまま、
その温もりを受け止めていた。
第三王女は、
自分でも理由が分からないまま、
前に出ていた。
足が、勝手に動いた。
考えるより先に、
国王の胸元へと飛び込んでいた。
「……っ」
声にならない嗚咽が、喉から漏れる。
両腕でしがみつき、
まるでこれからのやりとりを縋るように、
第三王女は大きく泣き出してしまった。
堰を切った涙は止まらない。
息が詰まり、肩が震える。
護衛隊長は、
その光景を、呆然と見つめていた。
胸の奥が、
ぎり、と音を立てる。
――自分が、
もっと慎重であれば。
もっと強く止めていれば。
歯を食いしばり、
なんとか涙を堪える。
だが自責の念が、
波のように押し寄せてくる。
「……これこれ」
国王の声が、すぐ傍で響いた。
叱責ではない。
威厳でもない。
ただの、
呆れと優しさが混じった声だった。
「どうしたんだ?
子供みたいに」
国王は、
第三王女の背に手を回し、
ゆっくりと抱き留める。
その表情は、
もはや“国王”のものではなかった。
完全に――
父親の顔だった。
「今日はな」
静かな声。
「無事な顔を、
見ることが出来れば、
それでよかったのだよ」
第三王女の泣き声が、
少しずつ、小さくなる。
「話は、明日にしよう」
頭を、優しく撫でる。
「今日は、もう十分だ」
それから、
国王は視線を護衛隊長へ向けた。
「……護衛隊長」
「はっ」
「良くぞ、守ってくれた」
その一言に、
護衛隊長の胸が、強く締め付けられる。
だが、彼は首を振った。
「……恐れながら」
悔しさを噛み殺すように、
低い声で答える。
「守れたとは、
とても言えません」
拳が、無意識に握りしめられる。
「あの時、
私がもっと強く進言していれば」
拳を床に打ち付けたい衝動を抑えながら。
「もしくは――
私に、もっと力があれば……」
言葉の途中で、声が掠れた。
国王は、即座に首を振る。
「……そんな事を言うでない」
声は、はっきりとしていた。
「もし、あの時にだ」
国王はどこか遠くを見る素振りで。
そう、今ではない、
遠い昔を思い出しているように。
「そなたのような、
勇敢な者がおったなら」
国王は、
少しだけ目を伏せる。
「……今頃、
私は国王では、なかっただろうがな」
護衛隊長は、言葉を失う。
「それは……」
口を開きかけたところで、
国王は軽く手を振った。
「よい。昔の話だ」
そして、穏やかに言った。
「今のは、忘れてくれ」
護衛隊長は、
深く、深く頭を下げる。
「……お辛い事を思い出させてしまい、
誠に申し訳ございません」
国王は、小さく息を吐いた。
「なぁに」
肩をすくめる。
「“たられば”を、今から語る愚かさを、
私も、思い出しただけだ」
護衛隊長は、
それ以上、何も言えなかった。
「あの……言葉も、ございません」
そのまま、
頭を上げられずにいる。
第三王女は、
国王の胸に顔を埋めたまま、
静かに、涙を流し続けていた。
第三応接室には、
裁きも、命令もない。
あるのは――
生きて戻った者たちが、
ようやく息をつくための時間だけだった。
夜は、まだ深い。
だが、この場にいる誰もが知っていた。
この出来事は、
もう誰か一人の責では終わらない。
親衛隊長は少し口調を緩めたものの、
言い聞かせるように放つ。
「今、我々護衛に立場全員に言えることは、
次に同じ事を起こさぬ覚悟だ!」
親衛隊長は足を揃えて音を出す。
「今から護衛部隊を全て集めろ、
もちろん王家の守備に、
支障をきたさぬ範囲での話だ」
国王は親衛隊長の肩に手を置き、
声をかける。
「よろしく頼む」
「はっ!
この失敗を犯した我々に対し、
勿体無いお言葉」
国王は両手を第三王女の肩に伸ばし、
優しい言葉をかけた。
「先ずは、ゆっくり休め」
そしてこの応接室に響き渡る声で伝える。
「以上だ!
今日はこれで休ませてもらう」
国王の重さと優しさは、
まだこの部屋に残ったまま、
ここに集まった者達は
それぞれの役割に散っていった。




