第三王女 「違和感」
身支度を整えた第三王女は、最後に外套の留め具を確かめた。
派手さはない。
だが、夜に出る者として不足もない。
髪はまとめられ、装飾は最小限。
剣は帯びていない。
それは慢心ではなく、
判断だった。
「歩いて行きたいところだけれど……」
第三王女がそう口にした時点で、
護衛隊長は、静かに首を横に振っていた。
「それは叶いません」
即答だった。
夜間。
城外。
すでに一度、事が起きている。
第三王女は、軽く息を吐いた。
「……分かりました」
王家の馬車は使えない。
紋章、車体、御者の服装――
どれを取っても目立ちすぎる。
街灯は点在しているが、
夜の闇の深さに対して、ほとんど意味をなしていない。
酒場の前を通ることもある。
笑い声、怒鳴り声、割れる瓶の音。
夜は、昼とは別の顔を持つ。
そこで用意されたのは、
臨時に手配された馬車。
装飾も、紋章もない。
どこにでもある、ありふれた馬車。
あまりに普通で、
かえって目につきそうなほどの。
御者は、フードを深く被った男だった。
顔は見えない。
その時、馬車の扉の中から、
やけに愛想のいい声だけが飛びだしてくる。
「この馬車を手配していただき、
ありがとうございます。
さぁどうぞどうぞ!
寒いでしょう、早くお乗りください!」
扉が開くと同時に、一人の男が飛び出してきた。
動きが早い。距離感が近い。
第三王女は、ほんの一瞬、足を止めた。
「……ありがとう」
穏やかに答えると、
男はさらににこやかに頭を下げた。
「いえいえ!
こんな夜ですからね!」
その言葉に、
護衛隊長の視線が、わずかに鋭くなる。
こんな夜。
誰にとっての、どんな夜なのか。
答えがないまま、
馬車は静かに走り出した。
奥の通りから、「ドン!」と鈍い音が響いた。
続いて、怒鳴り声。
瓶が割れる音。
「……酔っ払いの喧嘩かしら」
第三王女が、静かに呟く。
ありふれた夜の騒ぎ。
だが今日は、事を大きくしたくない。
「不本意ながら……
あの喧騒を治める方が、良さそうですね」
護衛隊長は、即座に頷いた。
「任せます」
だが、第三王女の心は、
すでに赤髪の女性のもとへ向かっている。
時間をかけたくない。
寄り道は避けたい。
その時、御者が声をかけてきた。
「ところで……
こちらの馬車は、あと何人ほどお乗りになります?」
唐突だった。
「あと二人」
「二人追加ですかね、はい」
軽すぎる返答。
「6人乗ると、三人ずつ向かい合わせですね」
第三王女は深く考えずに返す。
馬車主の男は。
「……そうみたいですね」
護衛隊長の目が、細くなる。
「“みたい”とは?」
「い、いえいえ!
まだ、座席が埋まるほどの方々を
乗せたことがなくてですね」
「……日が浅いのか?」
「左様でございます」
――早い。
判断は、即座だった。
「殿下」
護衛隊長は、低く言う。
「別の手段を」
「……でも、時間が」
「私は、殿下を守る役目を
仰せつかっております」
その言葉に、迷いはない。
「全ての不安は、
ここで排除させていただきます」
その瞬間。
「急いでおられるのですねー」
御者の声が、弾んだ。
「では、
もっと走らせましょう」
馬車が、急加速する。
護衛隊長は、即座に察した。
――逃げる速度だ。
「……何処へ連れて行く気だ?」
「さぁ?」
馬車主の楽しげな声。
「どちらがよろしいでしょうか。
行先がどこであろうと、
一晩、お付き合いいただきましょうかね」
外から、御者の声が聞こえた。
「ふーん、
赤毛がここの街にもいたんだなぁ」
馬車主が答える。
「ラッキーだな。
で、どうなんだ!道の感じは!」
御者は弾んだ声で答える。
「慣れない馬車運転してるんだ、
ちょっとは気使ってくれよ!」
「分け前は七:三だぜ」
「五:五だろう?」
「まぁいいや。
上物だから高く売れるさ」
「なんの話をしているのか.......」
第三王女は、理解した。
怒りではない。
恐怖でもない。
理解だった。
「……護衛隊長」
静かな声。
「これ以上、
あなたに迷惑をかけるわけにはいかない」
「私も、腕がなります」
護衛隊長は、一瞬だけ目を閉じた。
「……合図を」
それだけで、十分だった。
ただ......今、この馬車が横転すれば――
殿下の身が、ただでは済まない。
護衛隊長は、即座に計算する。
客室と御者台には隔たりがある。
後部座席に第三王女がいる。
まず制すべきは、
この調子の良い馬車主と言い張る輩だ。
まずはこいつに声をかける。
「……忠告だけしておく」
静かな声。
「今から、投降する気はないか?」
「なんの事だい?投降って」
護衛隊長は馬車主ではなく、
御者へ向けて言った。
「お前たちのやり方については、
この際、目を瞑ってやる」
鋭い目つきで、この場を流し見る。
馬車主の男が調子よく言い放つ。
「だが......女性を危険に晒すのは、
いかがなものかな?
――そちらの、紳士」
沈黙が重い。
御者の手綱が、わずかに緩む。
その瞬間――馬が暴れる。
街角で、巡回兵が異変に気付いた。
「……おい、今の!」
「合図だ!馬車を追え!」
「馬を出せ!」
宿に飛び込む者。
民家の厩を叩く者。
「王家の急用だ!」
「命に関わる!」
城へ走る影。
「応援を呼べ!
第三王女殿下の馬車が異常だ!」
夜の街の一部が、
一斉に目を覚ます。
馬車は、夜の奥へ向けて疾走し続ける。
だが――それを追う影も、
確かに動き出していた。
この夜は、
もう逃げ場ではない。
小さな戦場だった。




