第三王女 「優しくしてやれ」
城に戻った頃には、すでに夜が深かった。
回廊に灯る明かりは間引かれ、
足音だけがやけに大きく響く。
昼間なら賑わいのある場所も、
今は、城そのものが息を潜めているかのようだった。
第三王女の歩みは乱れていない。
だが、その半歩後ろを歩く護衛隊長の表情は、
これまでになく神妙だった。
王城の門をくぐった瞬間、
門番たちははっきりと異変を察していた。
赤髪の王女が、夜遅く戻る。
護衛隊長の顔つきが、いつもと違う。
護衛兵の数も、必要最低限。
「……お帰りなさいませ」
そう言いかけて、門番は言葉を止めた。
「……ご苦労様でした」
その言葉も、喉の奥で消えた。
無事なのは分かる。
だが同時に何かが起きた後だということも、
誰の目にも明らかだった。
護衛兵たちが配置に戻ろうとした、その時。
護衛隊長は足を止めた。
振り返り、
門番たちに向かって、深く頭を下げる。
「……感謝する」
短い一言だった。
理由も、説明もない。
だが、その重みだけは、はっきりと伝わった。
門番たちは慌てて頭を下げ返し、
誰も、余計な言葉を口にしなかった。
第三王女は、そのやり取りを見て、
何も言わず軽く会釈した。
もう、言葉は要らなかった。
城内を進む途中、
侍従が小走りで近づいてくる。
「第三王女殿下……
国王陛下より、『ただちに謁見を』とのことです」
当然だった。
第三王女は頷く。
「すぐに向かいます」
謁見の間には、夜の静けさが満ちていた。
灯りは最小限。
昼の政務を終えた後の空気が、重く沈んでいる。
第三王女は、定められた距離で膝をつき、頭を下げていた。
その一歩後ろで、護衛隊長もまた、微動だにせず跪いている。
国王は、二人を見下ろしていた。
「……報告は聞いた」
声は低く、感情を含まない。
「城外での騒動。
第三王女、お前は剣を抜いたな」
「はい」
迷いのない返答だった。
国王の視線が、護衛隊長に移る。
「護衛隊長」
「はっ」
「王女を危険に晒した。
剣を抜かせた」
「……はい」
言い訳はなかった。
一拍の沈黙。
やがて、第三王女が口を開く。
「陛下。
もう一つ、お許しを願いたいことがございます」
国王の眉が、わずかに動く。
「申してみよ」
「城外で保護した女性についてです。
今夜、彼女を一人にはできません」
一瞬、護衛隊長の呼吸が止まる。
「城外、昼食をいただいた家にて、
彼女を保護いたします」
第三王女は、言葉を切り――
そして、はっきりと続けた。
「私も、共に泊まる許可をお願いいたします」
空気が、張りつめた。
国王は、即座に首を振った。
「ならぬ」
短く、断定的な言葉だった。
「外泊は認められん。
まして王女自らが城外に留まるなど、前例がない」
第三王女は、唇を引き結ぶ。
だが、言い返さなかった。
その沈黙を破ったのは――
護衛隊長だった。
「……陛下」
声が、震えた。
護衛隊長は、深く、深く頭を下げる。
「不敬を承知の上で、
一言、発言の許可を頂きたく存じます」
国王の目が、護衛隊長を射抜く。
しばしの沈黙の後。
「……申せ」
許可の言葉は、短かった。
護衛隊長は、跪いたまま、さらに頭を下げる。
「保護した女性は――
髪が、赤色でございました」
その一言で、
謁見の間の空気が、はっきりと変わった。
国王の目が、細まる。
言葉は、続かなかった。
だが――
察するには、十分だった。
赤髪。
異国。
夜の路地。
酔った男の暴言。
そして――
第三王女自身も、赤髪。
国王は、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
短い沈黙。
それから、国王は、はっきりと告げた。
「大変だったな。
ご苦労だった」
その言葉は、
第三王女ではなく、
護衛隊長に向けられていた。
護衛隊長の肩が、わずかに揺れる。
国王は、視線を第三王女へ戻す。
「外泊についてだが――」
一拍。
「許可する」
第三王女の目が、わずかに見開かれる。
「護衛を倍、連れて行け」
国王は、護衛隊長を見据える。
「配置、動線、判断。
すべて、お前に一任する」
護衛隊長は、即座に頭を下げた。
「……はっ!」
国王は、低く、しかし重く言い切る。
「必ず、王女を守れ」
その言葉に、
護衛隊長は、初めて、声を詰まらせた。
「命に代えても」
国王は、わずかに目を伏せる。
「それは要らん」
そして、静かに付け加えた。
「生きて、守れ」
謁見の間に、深い静けさが戻る。
第三王女は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、陛下」
護衛隊長も、同じように。
二人が下がるとき、
国王は、背中に向かって言った。
「優しくしてやれ……赤髪にはな」
それ以上は、語られなかった。
だが、
その言葉の続きを、
二人とも、理解していた。
回廊へ出た瞬間、
護衛隊長は、ゆっくりと息を吐いた。
第三王女は、横顔で微笑む。
「ありがとう。
勇気を出してくれて」
護衛隊長は、首を振った。
「……守るべきものを、
お伝えしただけでございます」
夜の城を出る準備が始まる。
外泊は、許可された。
それは逃げではなく、
王女として引き受ける責任の夜だった。




