第三王女 「報告と外泊申請」
酔った男は、そのまま牢獄へ送られた。
縛られたまま、抵抗もなく連れて行かれる背中は、
数刻前の粗暴さをすっかり失っていた。
酒は抜け、事の重大さも理解したのだろう。
男は一度も顔を上げなかった。
路地に残されたのは、赤髪の女性と、第三王女たちだけだった。
女性は、何度も頭を下げた。
口からこぼれる言葉は、この国のものではない。
抑揚も、語尾も、耳慣れない。
それでも第三王女は、迷わず、その言語で応じた。
片言だった。
語順も曖昧で、発音も正確とは言えない。
だが――意味は、確かに通じていた。
女性の表情が、驚きに変わる。
そして次第に、固くこわばっていた顔がほどけていった。
第三王女は、静かに告げる。
「……今夜は、一人にしない」
女性は一瞬きょとんとした顔をし、
それから、胸に手を当てて深く礼をした。
第三王女は、護衛隊長の方を見る。
「昼食をいただいた、あの家を覚えている?」
「はい」
「そこに、この方を預かっていただくわ。
事情は、私から説明する」
護衛隊長は、すぐに理解した。
それは単なる“善意”ではない。
保護であり、責任を引き受けるという宣言だった。
「……殿下」
護衛隊長の声が、わずかに低くなる。
「外泊となります。
国王陛下へのご報告が必要です」
「ええ。分かっている」
第三王女は、即答だった。
「一度、城へ戻りましょう。
まずは、報告を」
女性は、会話のすべてを理解してはいない。
だが第三王女の声色と、視線の向け方から、
「守られる」という事実だけは、確かに感じ取っているようだった。
城へ向かう道すがら、
第三王女は歩調を緩め、護衛隊長に向き直る。
「……さっきは、ごめんなさい」
護衛隊長の足が止まる。
「剣を抜いた。
あなたの判断を、危うくした」
それは、取り繕いのない謝罪だった。
「でも、私は逃げない」
第三王女は、静かに続ける。
「起きたことは、きちんと処理する。
守ると決めたなら、最後まで引き受ける」
護衛隊長は、すぐには答えなかった。
第三王女は、言い切る。
「心配はいらないわ」
それは虚勢ではなかった。
覚悟を伴った、王女の言葉だった。
「……殿下は、いつもそうです」
護衛隊長は、抑えた声で言う。
「いつだって、ご自身でけりをつけようとなさる」
第三王女は、否定しない。
「それが、私だから」
護衛隊長は、深く息を吐いた。
「……どうか」
低く、しかし真剣な声。
「どうか、ご無理をなされませぬよう」
それは命令ではない。
忠告でもない。
覚悟を認めた者への、願いだった。
第三王女は、ほんの少しだけ笑った。
「ありがとう」
城の灯りが、遠くに見えてくる。
今夜、第三王女は――
一人の女性を守るために、
王女として、娘として、
父に報告をしなければならない。
剣ではなく、
言葉で。
城門をくぐる直前、
第三王女は何気ない調子で言った。
「今夜は、私も一緒に泊まるわ」
護衛隊長の足が、わずかに止まる。
「……殿下」
「それは、お勧めできません」
声は即座だった。
反射ではない。
職責に基づく拒否だ。
「理由は?」
第三王女は振り返らない。
「第一に、安全の問題です。
城外、一般の民家。
護衛の配置、退路、連絡手段――
いずれも城内とは比べものにならない」
「それでも、泊まるわ」
「……第二に、前例がございません」
護衛隊長は、言葉を選ぶ。
「王女が、
保護した女性と同じ屋根の下で夜を過ごす。
それは、軽い意味を持ちません」
第三王女は、足を止めた。
「だからよ」
振り返ったその目は、迷っていなかった。
「私が一緒にいることで、
“仮の保護”ではないと示せる」
「彼女は、怯えている。
言葉も、慣習も違う場所で、
一人で夜を越えるには、まだ早い」
護衛隊長は、即答できなかった。
「……殿下」
「私は、剣を抜いた」
第三王女は、淡々と言う。
「守ると決めた。
なら、その責任は最後まで引き受ける」
護衛隊長の表情が、わずかに揺れる。
「それは――
殿下ご自身を、危険に晒す選択です」
「違うわ」
第三王女は、真っ直ぐに言った。
「これは、
“王女である私”が引き受ける危険」
沈黙。
「……国王陛下へのご報告が必要です」
「ええ。もちろん」
「正式な許可がなければ、
私は、同行を認められません」
「分かってる。
だから、一度城へ戻るの」
護衛隊長は、しばらく考え込んだ。
そして――
腹を決めたように、言った。
「……殿下」
「どうか、ご無理をなされませぬよう」
それは反対ではなかった。
覚悟を認めた上での、最後の歯止めだった。
第三王女は、微笑んだ。
「ありがとう。
でも――今夜は、私が一緒にいる」
護衛隊長は、第三王女の背中を見つめていた。
赤い髪。
迷いのない歩幅。
振り返らずに前へ進く姿。
――この背中を、
こうして見るのは、
これが最後になるかもしれない。
護衛隊長は、無意識のうちにそう思っていた。
「……これが、殿下の後ろ姿を見る最後になるかもしれませんね」
思考が、そのまま声になって零れた。
第三王女の足が止まる。
「……何か言いましたか?」
問い詰める調子ではない。
ただ、確かめる声だった。
護衛隊長は、一瞬だけ視線を伏せる。
「いえ。何も」
「そうですか」
第三王女は、それ以上問わなかった。
だが――
護衛隊長には、はっきりと見えていた。
第三王女の瞳の奥で、
小さく、確かに、光るものがあった。
涙ではない。
恐れでもない。
それは、
誰かの覚悟を受け取ってしまった者の光だった。
護衛隊長は、胸の奥で静かに頷く。
――ああ。
この方は、もう引き返さない。
ならば。
この背中を守るのは、
剣ではなく、
最後まで立ち続ける覚悟だ。
護衛隊長は一歩、距離を保ったまま、
再び歩き出した。
影として。
誓いとして。
夜の街灯の下、
赤髪は、静かに揺れていた。
それは、
危険を呼ぶ印であり、
守るべき象徴であり、
そして――
誰かの人生を引き受ける覚悟の色だった。




