第1王女の憂鬱3
静かな拍手が、講義室に波紋のように広がった。
第一王女はその音が完全に収まるのを待ち、小さく一礼する。卓上に置いていた羊皮紙に指先を添え、紙の感触を確かめるように軽く押さえた。深呼吸ひとつ。胸に残る余韻を整え、背筋を伸ばして顔を上げる。
「では、次に“連作障害”について説明します」
声は落ち着いていた。緊張を隠すためでも、威光を示すためでもない。講義室の奥まで無理なく届く高さと速さで、言葉を差し出す。
第一王女は一度、前列から後列へと視線を巡らせてから、続ける。
「同じ作物を、同じ土地で、続けて育てる。一見、効率が良いように思えますが……土は、正直です」
言葉に合わせ、指先で机を軽く叩き、層を重ねるような動きで空中に線を引く。
――王女は剣を振るわない。畑も耕さない。
それでも農を学ぶ。国の礎が“食”であることを、誰よりも理解しているからだ。
少し間を置き、第一王女は声を落とす。
「養分は偏り、特定の病害虫が増え、やがて収穫量は落ちていく」
兵も、商人も、学者も、腹が満たされなければ動けない。
どれほど立派な理想も、飢えの前では無力になる。
だから私は、政治と同じ重さで、土と作物を学ぶ――第一王女はそう、心の中で繰り返す。
講義室の後方、壁際に立つ護衛隊長は、一歩も動かずその様子を見ていた。
両手は背中で組み、重心はわずかに踵寄り。いつでも前に出られる姿勢だが、決して前に出ない。
この国は小国だ。だが、閉じてはいない。
庶民にも学問の門は開かれ、その中でも特に優秀な者が、こうして王女の講義に同席している。
名誉であり、同時に試される場。
――殿下は、ただ教えているのではない。
見ている。
この話を“無駄”と切り捨てる者か、その先にある意味を掴もうとする者か。未来を任せられる人間がいるかどうかを。
第一王女は羊皮紙を一枚めくり、そこに描かれた簡素な図を指で示す。
「これを防ぐために、作物を替える“輪作”が行われます」
指先が図の上を滑り、順序を追う。
「麦の後に豆を。根の深い作物の後に、浅い作物を。土地に“休息”と“変化”を与えるのです」
一息置き、視線を学生たちに戻す。
「重要なのは、“土地を酷使しない”という考え方です。短期的な収穫ではなく、十年、二十年先を見据える」
講義室の隅。第六王女は椅子に浅く腰かけ、足先を小さく揺らしていた。
正直に言えば、話の半分は退屈だ。作物、土、年数、数字。眠くなる。
それでも――目が離せなかった。
難しい言葉を使っているのに、誰かを見下ろす感じがしない。
「分かれ」と命じるのではなく、「聞いてほしい」と願っている顔。
……ちゃんと、第一王女をしている。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ温かくなった。
第一王女は表情を引き締め、少しだけ声を低くする。
「連作障害が起きた土地は、回復に長い時間を要します。場合によっては、数年、何も育てない“休耕”も必要になる」
作物の出来ひとつで税率が変わる。
収穫量の増減は、そのまま外交になる。
この講義は、知識の披露ではない。国の現実を、言葉にして共有する場だ。
護衛隊長は、講義室全体を一度だけ見渡す。
剣では測れない価値を、言葉で測っている。
だから私は、ここに立つ。王女の身を守るためだけではなく、この場の意味を壊さぬために。
第一王女は、わずかに眉を寄せる。
「ですが、それを“無駄”と切り捨てる国は少なくありません」
そのまま、間を詰める。
「目に見える成果だけを求めれば、土は、静かに死んでいく」
言葉の重みを確かめるように、最後に一拍置く。
「知識がなければ、善意ですら害になるのです」
第六王女は無意識に背筋を伸ばしていた。
お姉様が話している間、護衛隊長は一度も動かない。一度も目を逸らさない。
言葉は交わさないのに、通じている。
……ずるい、と思った。
――「この国の王女は、農を知っている」
そう思わせること。それが余計な軽視を防ぐ。
無知だと思われた瞬間、国は削られる。
第一王女は、視線を静かに巡らせる。
土を見る。人を見る。積み重ねを見る。国を見る。
たとえ、植え替えられる運命であっても。私は、枯れずに実る方法を選ぶ。
護衛隊長は、わずかに顎を引く。
聞く者に、自分で気づかせる強さ。それが、王の器だ。
第一王女は、最後に穏やかな声へ戻す。
「ですから皆さん、作物を“数字”だけで見ないでください」
言葉に合わせ、手のひらを伏せるように動かす。
「土を見る。人を見る。積み重ねを見る」
一拍。
「それが、長く国を保つということです」
羊皮紙を整え、講義を締めくくる。
「では、次回は“施肥の過不足”について扱います。本日の講義は、ここまで」
静かな拍手が、再び講義室を満たした。
――土は、正直だ。
人も、国も。




