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第三王女 大事な時間


第三王女はボウルを抱え上げ、最後の一滴まで残さぬ勢いで食べきった。

底を確かめるように器を傾け、くい、と一度だけ喉を鳴らす。


「……ふぅ」


満足げに息を吐いたその直後、

彼女は布巾を取り、口元をぬぐった。

雑ではないが、気取らない仕草だった。

唇の端を指先で確かめ、ようやく「ごちそうさま」と小さく言う。


その様子を見ていた子供が、くすっと笑った。


「おねーちゃん、いっぱい食べたね!」


「ふふ。強くなるには、たくさん食べないと」


第三王女はそう言って、子供の頭を軽く撫でる。

赤い髪と赤い髪が、陽の下で並んだ。


「わたしも、つよくなる!」


「いいわね。じゃあ――転ばないことから、練習ね」


子供は意味も分からぬまま、元気よく頷き、

よたよたと立ち上がっては、すぐに尻もちをついた。


第三王女は声を上げて笑った。


「大丈夫、大丈夫。今のは、まだ途中よ」


その笑い声は、城で聞くものとはまるで違う。

誰かを威圧するものでも、距離を測るものでもない。

ただ、同じ高さで、同じ目線で交わされる笑いだった。


護衛隊長は戒めの声をかけようとして、

――その言葉を飲み込んだ。


こういう時間は、彼女に必要なものだと、分かっていた。


城の中では、王女は守られるべき存在であると同時に、

その所作の一つ一つまで、躾けられるものだ。


食べ方、立ち方、言葉遣い。

それらは王女個人のためというより、

王家という「形」を保つために求められる。


だが第三王女殿下は、その枠を

剣の練習という理由で、よく、するりとかわしていた。


決して、わがままではない。

嫌だから避けたのではない。


やるべきことが何か。

自分が進むべき場所がどこか。

それを理解したうえでの選択だったのだろう。


躾係は、半分困った顔で、

半分は笑顔のまま、彼女の後ろ姿を見送っていた。


止めようと思えば、止められた。

だが、止める理由が見つからなかった。


その代わり――

第三王女の自制心は、目を見張るものがあった。


練習の量が多い、という表現では足りない。

明らかに、過多だった。


夜明け前。

誰もいない練兵場で、

第三王女は木刀を振る。


一振り、二振り。

呼吸が乱れ、腕が震えても、止まらない。


汗が目に入り、視界が滲んでも、

手を、足を、止める理由にはならなかった。


転ぶ。

立つ。

歯を食いしばり、もう一度、構える。


「出来るまで……もう一回」


出来たら出来たで更に続ける理由がある。


「身につくまで……もう一回」


誰に命じられたわけでもない。

誰に見られているわけでもない。


それでも振る。

倒れるまでではない。

「出来なくなる」直前まで。


その積み重ねだけが、

自分を前に立たせてくれると知っているからだ。


長時間、激しい運動をこなした身体には。

当然、汗が噴き出している。


そして、汗で濡れた髪は、顔に張り付いたままになる。

長い髪を頭の上で束ねてはいるが、

汗によって艶を得たそれはまるで、赤色のティアラのように神々しく映る。


これ以上の装飾を望む者がいるとすれば――

それは、美の女神の罰を恐れぬ者だろう。


象徴的な赤く長い髪。

兵士の一人が、ある時ふと、口を滑らせたことがある。


「……そのように長い髪は、戦闘の邪魔にはならないのですか?」


第三王女の口角だけが一段、”クッ ”と上がると、

次の瞬間だった。


第三王女は笑顔のまま兵士に一歩踏み込み、

正確に、兵士の右足だけを払った。


鈍い音とともに、兵士は地面に転がる。


「おい、失礼なことを言うな」


声は穏やかだった。


「これは”第一王女様が羨む髪”だぞ。

 おいそれと、簡単に切ってたまるものか」


そう言って、第三王女は何事もなかったように手を差し出す。


「隙だらけだな。ほら、立て」


差し出された手を取った兵士は、

顔を赤くしながら、慌てて立ち上がったという。


そこに叱責はなかった。

そして罰もなかった。


だが、その場にいた誰もが理解した。


――この王女は、

 何を守り、

 何を決して手放さないのか。


そして、何のための強さなのか。


 そんな第三王女も今は見る影がない。

 彼女は、空になったボウルを抱えたまま、

子供の方を見て、もう一度だけ笑った。


「ほら。午後は、あなたも練習よ」


「うん!」


護衛隊長は一歩だけ距離を保ち、静かに頷く。


この時間を、

この笑顔を、

剣で守る必要はない。


だが――

この時間があるからこそ、

第三王女は今日も、剣を振るう。


その理由を、

彼はもう、疑っていなかった。

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