同族
奥から、落ち着いた女性の声がした。
「……第三王女様でございますね」
暖簾の向こうから現れたのは、穏やかな眼差しの女性だった。
抱き上げられていた子供と、同じ赤みを帯びた髪。
年を重ねた分だけ色は深く、柔らかい。
「はい」
第三王女は、自然な調子で答える。
「今日も、来ましたよ」
「あら……」
女性は小さく目を見開き、すぐに微笑んだ。
「お昼を、いただけないかしら?」
「まあまあ」
女性は、どこか嬉しそうに首を振る。
「美味しいお店は、街にたくさんあるでしょうに。
わざわざ、ここまで」
第三王女は迷いなく言った。
「このお家でないと、
この味付けは出てこないのよ」
女性は一瞬、目を細める。
誇りと照れが、同時に滲んだ表情だった。
「それに……その格好」
作業着と前掛けに視線を落とす。
「一汗、かかれてきたのですね」
「まぁね」
短い返事。
言い訳も、説明もない。
護衛隊長は一歩引いた位置から、軽く会釈する。
「第三王女が、いつもお世話になっております」
「まあまあ」
女性はすぐに手を振った。
「固い挨拶は抜きにしましょう。
さぁ、そちらの紳士もお席にどうぞどうぞ」
促され、護衛隊長は一瞬だけ第三王女を見る。
第三王女は、ほんのわずかに頷いた。
それで十分だった。
家の中には、湯気と香草の匂いが満ちている。
工房の火とは違う、柔らかな温度。
台所の奥から、鍋をかき混ぜる音がした。
「こちらの料理は、香草を多く使いますので」
女性が、穏やかな声で言う。
「好みが分かれますの。
でも、地元では“健康になる”と信じて、食べ続けられています」
第三王女は、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「そうそう」
女性は思い出したように続ける。
「この前、持ってきていただいた野豚の干し肉が、まだ残っていましたので。
こちらに合わせて、お出ししますね」
干し肉が刻まれ、鍋に加えられる。
香草と脂の匂いが絡み合い、さらに深みを増した。
護衛隊長は、思わず鼻を鳴らす。
「……この地域では、ほとんど嗅いだことのない香りですね」
その言葉を待っていたかのように、第三王女が顔を上げる。
「でしょう?」
少しだけ胸を張り、どこか自慢げに言う。
「これはね、第二王女お姉様から分けて頂いた薬草に、
ある木の皮を乾燥させたものを混ぜて作るの」
指先で空中に輪郭を描くようにしながら続ける。
「下処理もあるし、乾燥の加減も難しい。
香りが飛びすぎてもだめだし、残りすぎてもきつくなる」
「……手間も、かかっている物なんですよ」
その口調は、王女の説明ではなかった。
“知っている者”の言い方だった。
やがて、皿が並ぶ。
食べ慣れていない味ではあったものの、
それは不思議と後を引く美味しさだった。
香草の癖が最初に立ち、
遅れて肉の旨味が追いかけてくる。
護衛隊長は、スプーンを置き、呟く。
「……なんとも、不思議な味ですね」
第三王女は、にっこりと笑う。
「不思議な味。
そうですね」
先ほどまで泣いていた子供は、
小さな手でスプーンを不器用に扱いながらも、
夢中になって食べている。
よく見ると、女の子だった。
「……女の子、なんですね」
「そうなんです」
女性が笑う。
「第三王女様に憧れて、ホウキを振り回して。
本当に、やんちゃで」
護衛隊長の脳裏に、
庭で棒を振っていた幼い第三王女の姿がよぎる。
だが、あの頃の彼女は、
決して楽しそうではなかった。
今は違う。
同じ動作でも、そこに目的がある。
「……そして」
護衛隊長は、少し言い淀んでから口を開く。
「これを聞いて良いのか、分かりませんが」
「この、髪の色ですね」
「はい。
どうしても」
女性は、静かに問い返す。
「どうですか。
この色を見て、何を思われますか?」
「第三王女殿下と、同じ髪の色だなと」
一瞬の沈黙。
「血の色だとか、嫌悪感だとか、
縁起が悪いとか……」
「そんな事は、全然思いませんよ」
即答だった。
女性は、安堵したように微笑む。
「それならば、良かった」
「ここには、宗教的にも文化的にも、
寛容さがあふれて居ます」
「国王陛下が温和な方でございますので。
争いも、好まれませんし」
「……左様でございましたか」
護衛隊長は静かに頷いた。
言葉の端々から、
高貴な者特有の気品が滲んでいる。
だが、それを追及する意味は、今はない。
「美味しいわねー!」
唐突に、第三王女が声を上げる。
「最高に、幸せ!」
スプーンを掲げ、満面の笑み。
「あらあら」
女性が苦笑する。
それを見ていた子供も、
真似してスプーンを掲げた。
「こら。
静かに食べなさい。こぼすでしょ」
「はーい」
第三王女も、同じ調子で返す。
「はーい」
護衛隊長は、思わず息を漏らした。
母親は笑みを浮かべる。
「……王女様は、
お城でも、こういう感じなのですか?」
「いえいえ」
護衛隊長は首を振る。
「とても、今とは……」
言葉を濁す。
第三王女は、興味深そうに身を乗り出した。
「何を言われるのか、気になるなぁ」
護衛隊長は構わず続ける。
「どちらかと言えば、
恐れられ、敬われる存在です」
「そうですか」
「王女様の立ち位置とは、
そういうお仕事も、あるのですね」
「……いえ」
護衛隊長は少し間を置き、言った。
「第三王女殿下は、特別です」
第三王女は、子供の方を向き、
舌を出しておちゃらけてみせる。
子供は声を上げて笑った。
「静かに食べなさい」
母親は、その様子を見ながら、静かに言う。
「多くの場合、王女様は
文化的な側面を支えられることが多いのですが。
たまたま、
武の方向に、すべてが合って居たのでしょうね」
「……そうですか」
母親は何かを感じとったのか、視線を落とす。
第三王女は、スプーンを口に運びながら、
何も言わずに笑っていた。
諍いも、剣も、政治も、ここにはない。
ただ、食卓と、匂いと、
小さな笑みがあるだけの昼。
それが――
第三王女が守ろうとしているものの、
一つの形だった。




