工房
第三王女は、ある工房の前に立っていた。
扉は半分開いたまま。
中から、熱気が押し出すように溢れてくる。
炉に放り込まれた鉄の塊が、赤く、橙に、そして白に近い光を帯びる。
別の職人がそれを引きずり出し、鉄床の上へ叩きつける。
次の瞬間、巨大なハンマーが振り下ろされた。
火花が散る。
乾いた衝撃音が、空気を震わせる。
鉄は抵抗するように、だが逆らいきれず、形を変えていく。
まるで不本意そうに。
第三王女は、その様子を黙って見ていた。
護衛隊長は半歩後ろに立ち、剣から手を離したまま、周囲を見渡している。
この場に、王女を害する気配はない。
それは、職人達の仕事への向き合い方からも分かる。
「あら、どなたかと思えば」
低く、よく通る声が工房に響いた。
その一言で、工房中の視線が集まる。
槌を振るっていた男たちが、動きを止める。
火の音だけが、変わらず鳴り続けていた。
第三王女は、軽く手を上げた。
「このまま、続けてください」
一瞬の間。
だが、職人たちはすぐに作業に戻る。
火花が再び散り、熱気がうねる。
「親方」
第三王女は、奥に立つ年季の入った男に声をかける。
「あれを、貸してくれない?」
「……また、お忍びで?」
「そうですね。街に、溶け込みたいの」
親方は壁際を指差した。
「洗ってはありますが、最低限です。
あまり綺麗とは言いがたいですよ」
「良いの。
香水よりも、鉄の匂いの方が、落ち着きます」
工房に、くぐもった笑いが広がる。
「……変わった王女様だ」
第三王女は気にしない。
むしろ、その言葉を受け入れるように、静かに息を吸った。
焦げた鉄の匂い。
汗と火と油の混ざった空気。
ここには、嘘がない。
第三王女は、工房の奥へと足を踏み入れた。
壁際には、分厚い生地の作業着が掛けられている。
火の粉に耐えるための重ね布。
その隣には、年季の入った革の前掛けがぶら下がっていた。
「……殿下、これは?」
問う間もなく、第三王女は上着の前ボタンを外し始めていた。
「殿下! 何を――」
「着替えるだけですよ」
「殿下、私がまだここにおりますが。
その状態で、着替えをなさるおつもりですか?」
「戦友ですもの。気にしません」
護衛隊長は一瞬、言葉に詰まり、視線を外した。
「……私は、工房の様子を見て参ります」
「そう? わかったわ」
第三王女は、そのまま着替えを進める気らしい。
やがて――
分厚い生地の作業着に身を包み、革の前掛けを締め、
革製のゴーグルと口を覆うマスクを着けた第三王女が現れた。
「……その出立では、もはやどなたか分かりませんな」
護衛隊長は、なんとも言えない顔で言った。
第三王女は答えず、灼熱の鉄塊の前に立つ。
胸丈まである柄の長いハンマーを、両手で掴んだ。
足を開き、重心を落とす。
剣を構える時と、ほとんど変わらない。
振り下ろされる一撃。
鈍い音とともに、火花が散る。
工房が静まった。
だがそこにあるのは、珍奇を見る視線ではない。
――打てる者を見る目だけだ。
元々の身長の高さも手伝って、工房に馴染んでいる。
親方が口を開く。
「王女様。
自慢の髪の毛に、傷が入っちゃいけません。
この炉の炎にも負けない、立派なお姿だ」
「あれを、借りるわ」
「安心してください。
他の物には、触らせていませんので」
「気を使わなくて良いのに」
「そういうわけには参りませんって。
うちらの、自慢の王女様なのですから」
その物言いに、護衛隊長が敏感に反応する。
「……その物言いは、如何なものか」
「うちらは、そんな王族を相手するような教育なんぞ、受けていません。
一人くらい、第一王女の教室に通った者はいますがね」
奥で、一人が恐る恐る手を挙げる。
「あー、お前だったか。ありがとう、続けてくれ」
工房は、何事もなかったように動き出す。
第三王女は、笑っていた。
「良いのよ。
この人たちも、戦友よ」
髪も含め、頭部全体を覆う、実用一点張りの装備。
マスクとも騎士のヘルメットとも言いがたい、それは、工房の火の粉からこの国の宝、王女を守る手段とは言え、実用的過ぎる。
第三王女は髪をマスクの中に押し込む様に、そのヘルメットを被り、後頭部のベルトを締めようとしていた。
左手でベルトを引っ張ったその瞬間だった。
隣で作業していた職人が打ちつけたハンマーが、鉄塊の破片を弾き飛ばす。
赤熱した破片が、一直線に王女へ向かう。
護衛隊長の手が、即座に剣へ伸びた。
だが――
親方は、もう動いていた。
大きく開いた手のひらで、素手のまま破片を受け止め、
何事もなかったように手を払う。
護衛隊長は剣を収め、深く頭を下げる。
「……感謝します」
「俺がやらなくても、
あんたが叩き落としてただろうな」
「まさか、という事もありますので」
親方は大きく笑った。
「慢心しないとは、
良い人がそばについたもんですねえ、王女殿下」
第三王女は、再びハンマーを構えた。
「良い構えだが……でも、もうちょっと、こっちかな?」
大将が歩み寄り、第三王女の細い腰に手を当てた。
刹那。
護衛隊長の剣が、反射的に走る。
だが、大将の手はそれを察したかのように引かれ、
手首の手甲で刃を受け止める。
「……そんなものを振り回されると、危ないんだよなぁ」
護衛隊長の低い声が、工房に響く。
「王女殿下の腰に手を回すとは、何事か」
「ごめんなさい!」
第三王女が、大きな声で謝った。
「私が、まだ未熟だったものですから!」
「何を見てるんだ!手が止まってるぞ!」
親方の一声で、工房は再び動き出す。
「……そうだ、王女殿下だったな。
すっかり弟子を指導するつもりで、申し訳なかった」
「弁えていらっしゃるとは思いましたが……
少々限度を超えていらしたようで」
「おー、さすがですな。
これこそ王女殿下の護衛だ」
「貴方こそ、よく止めてくださいました。
でなければ、王女殿下まで刃が届いていたやもしれません」
護衛隊長は、深く礼をする。
そして、第三王女へ向き直った。
「なるほど……
手練れが、眠って居ますな」
「でしょう?」
革のマスクの奥で、声が弾む。
「良い練習になりそうだわ」
再び、槌の音が工房に響く。
第三王女は、嬉しそうにハンマーを振るっていた。
そこには、
王女と職人と護衛という立場の違いはない。
火と鉄と、互いの距離感だけがある。
剣を抜かずとも、
守るべきものは、守られていた。




