孤児院の成り立ち
「今日はあいつらが巡回の番か」
護衛隊長は通りの角で立ち止まり、巡回中の兵士たちを遠目に見渡す。体の奥底から自然と湧く緊張が、目の端に光を添えていた。
「ご苦労」
「巡回の間隔も乱れていない。町の治安は、かなり良さそうですね」
王女は小さく笑みを浮かべ、隊長の横顔に視線を落とす。「……ふふ。そう言って自然に声をかけられるの、もう十分“町に溶けてる”と思いますわよ」
ちら、と同じ方向を見るが、すぐに視線を戻す。王女の目は石畳と軒先を滑らかに追い、周囲を把握している。
「ええ、巡回が出ているなら大丈夫そうですね」
「はい。巡回が表に出ている日は、無理はしません」
「今日は市の日でもありますし、人の目も多い」
隊長は少しだけ頷く。
「人の流れも一定ですね」
「治安がいい町ほど、静かに“気配”が回っていますもの」
「……目立たないところほど、よく見ています」
王女は歩みを少し緩め、足元の石畳を意識するように視線を落とした。
「それに――ああして兵士が普通に働いている姿を見ると」
「はい」
「城の中で報告書を読むより、ずっと安心できる気がしません?」
隊長も視線を巡らせ、町の空気を吸い込む。
「……ええ。現場の空気は、数字では分かりませんから」
歩幅を揃え、二人の間に絶妙な距離感が生まれる。王女は小さく微笑んだ。「隊長、今のはとても良い距離感でしたわ」
「……そうでしたか」
「近すぎず、離れすぎず」
「意識はしていました」
「‘守っている’けれど‘構えていない’」
「……難しい加減です」
「……第一王女の警護とは、まったく別の難しさでしょう?」
「はい。同じ護衛でも、考え方が違います」
「でも、こういうのも悪くない顔をなさっています」
「……そう言われるのは、慣れていません」
王女は少しだけ肩をすくめ、冬の光に目を細める。
「さて。次はパンを配りに行きますけれど――」
「……はい」
「今度は‘町娘の荷物持ち’の役、お願いしてもよろしいですか?」
「承知しました。荷物の量は、問題ありません」
隊長は少し眉をひそめる。
「第一王女が開かれた孤児院に届けると聞いておりますが。いつの間に第一王女は、そのような物を……」
王女は声を少し落とし、石畳を踏みしめながら答える。
「……ああ、それですね。‘いつの間に’ではありませんわ」
「……以前から、ですか」
「お姉様は、ずっと前からしていました」
「存じ上げませんでした」
王女は両手で持つパンの袋を軽く整え、歩きながら語る。
「ただ――目立たない形で、です」
「……らしいやり方です」
「孤児院を開いたのも、支援の仕組みを整えたのも、ご自身の名前が前に出ないように、慎重に」
「記録よりも、継続を選ばれたのですね」
「王女が善意を示すと、それはすぐ‘政策’や‘打算’に見られますから」
「……避けられぬ目線です」
「だからお姉様は、『誰がやったか』より『続くこと』を選んだの」
隊長は微かに息を吐き、少しだけ苦笑した。現場の空気と王女の言葉が胸に響く。
「……納得できます」
王女はパンの袋を手で整え、柔らかな微笑を浮かべる。
「このパンも同じですわ」
「城の物と分からぬように、ですね」
「城の台所から‘余剰’として出た形にして、町のパン屋を通して、自然に届くようにしている」
「流れが途切れにくい。よく考えられています」
王女は小さく息を吐き、誇らしげに胸を張った。
「……第一王女はね、誰かに感謝されるのが目的じゃないのです」
「はい」
「‘明日も、今日と同じように生きられる’――それが守られていれば、それでいい」
「……静かな覚悟ですね」
「だから、隊長。驚く必要はありません」
「……失礼しました」
「剣を振らなくても、あの方はちゃんと国を守っているのですから」
「……はい。その通りだと思います」
街の角を曲がると、木製の看板が風に揺れ、子供たちの笑い声が奥から聞こえてきた。小さな煙突から立ち上る白い煙が、冬の光を淡く反射する。
「……さて。そろそろ見えてきますわよ」
「……あそこですね」
王女の指先が孤児院の屋根を示す。色褪せたレンガと木造の窓枠が、町の景色に溶け込んでいる。
「そこが、孤児院です」
隊長は静かに頷き、歩を少しだけ落とす。
「その意思を受け継ぐ第六王女殿下も、立派でございます」
王女は肩をすくめ、小さく息を吐いた。
「……やめてください、隊長」
「……失礼しました」
「そんなふうに言われると、歩きにくくなりますわ」
「……では、後ろで、静かに支えます」
護衛隊長は王女の背後に立ち、石畳の感触を足元で確かめながら、心を引き締める。冬の光の中、王女と護衛の影が町の中に穏やかに伸びていた。




