07.夏のアルバイト
夏木先輩に会えず。
何かの任務に入ったそうで、夏木先輩から出されていた英語と地理の課題を秘密基地に提出に行ったら、待っていてくれたのは秋葉先輩と春日先輩だった。
「秋葉先輩も出動になりそうですか?」
「いや。俺は今のところ管制塔。参事官が表で忙しいからな」
「なぁに? 夏木と会えなくて寂しい?」
「寂しい……とかじゃないんですが」
「アタシだって英語なら教えられるわよ? 発音下手だけど」
「勇人、英語を夏木以外に聞くなら俺か柊にしろ。春日だとリスニングが崩壊する」
「なによー! |ドント・ビー・ソー・チーキー《生意気ねー》!」
「勇人、本当に夏木の発音か、買ったDVDで聞いた発音を覚えろよ? 夏木ほどは上手くないが、春日の言葉を言い直すとDon't be so cheekyだ」
「いーじゃない! 通じるんだから!」
「いいか悪いかじゃない。やる気溢れる勇人の耳を汚すな」
「|ユー・アー・ソー・アノーイング《むーかーつーくー》!」
「You are so annoying」
「きー! 言い直さないでよ!」
……で、なんて意味ですか? それって受験に必要な英語ですか? ……多分出ない。でも日常会話で知っていたらいい? ……そうですか……。
どんとびぃそぉちぃきぃ。
ゆぅあぁそぉあのぉいんぐ。
「合ってますか?」
「……なにこのカワイイ生きもの。撫で回したい」
「……合っているが合っていると言いたくない」
ぶぅ! 耳コピしたのにまったく褒められなかった。
春日先輩は特殊部隊では少ない女性。任務がないと本人曰く自堕落な主婦さん。自分で自分のことを自堕落というけれど、まったくぜんぜんこれっぽちも自堕落な人じゃない。太めの体型は……自堕落といえばそうかもしれないけど、食欲と体型以外はきっちりしっかりしている人。
ここのところは皇居のお堀の向こうにある本部での異能教育係をしていて、秘密基地に顔を出すのは久しぶり。
どこにいても誰よりも存在感が抜群。笑うと豊満なボディーもゆさゆさ揺れる。本当に少し絞ったほうがいいと思う。健康のために。
春日先輩には中学二年生の息子さんと高校一年生の娘さんがいて、僕が夏木先輩と秋葉先輩から勉強を習う話を聞いて、自分の子どもたちはどうするんだろうとちょっと嘆き気味。
就職先によっては学歴で手取りが違うこのご時世。春日先輩の旦那さんもそこまで薄給ではなく、春日先輩も特殊部隊の稼ぎがあるから、慎ましい生活を装いつつも、大学に行かせるくらいの蓄えはあると発破をかけているが暖簾に腕押し。でも、無理強いする気はないという。
「勇人くんのように何か目標が持てたら違うんだろうけど。ウチの子たちは何がしたいんだか」
僕もそうだった。
なんとなく学校に行っていればいいって思ってた。それで高校三年になって慌てて勉強するのか、頑張らなくても入れるどこかに行ったか、専門学校か、はたまた就職したのか。
あの事件が僕の心に負わせた傷は大きいけれど、負った傷の反動でそれまで描いていなかった自分の未来を見据えている。父のかっこよさにも気づけたし。
「さぁて! 雑談しに来たわけじゃないんよ。そんじゃ勇人くん、本部行こっか」
「?」
「春日、説明が飛んでる」
「あら、向かいながらでいいじゃない」
言いながら椅子から立ち上がり、もう出る体勢の春日先輩。
秋葉先輩は行かないようだ。
移動するならトイレに行っておきたいと断ってから春日先輩を追った先は駐車場。軽自動車の運転席に乗り込む春日先輩。やっぱり痩せたほうがいいと思う。
「これでも痩せたのよ?」
「僕は未来の春日先輩が心配です」
「あら。可愛いこと言っちゃって。焼肉ご馳走してあげようか?」
「春日先輩が食べたいだけですよね?」
「アハハハハッ」
時々こうしてダイエットを促すけれど暖簾に腕押し。娘さんと息子さんの性格はきっと春日先輩の遺伝だと思うな!
助手席を進められ、真夏なのに大きな膝掛けがあって不思議だったけれど、発進してすぐに必須アイテムだとわかった。春日先輩がガンガンに冷房を効かせるので寒い。そのための防寒だった。
「さてと、なんで僕? と思ってるわよね」
「はい」
見習いの僕を本部に呼ぶってことは、猫の手でも借りたい何かが起きたのかなって緊張してる。
この前の少年救出作戦も僕の訓練の結果を実践で確認しようってなったけれど、人員不足の苦肉の策だった。自分の判断ミスもあって危機一髪な場面に陥ったばかりだから、正直緊張しかない。
「まあそうよね。任務内容から言うわね。異世界に出動ということではないわ。異世界とのゲートができそうな気配がある。それをぶっ壊す班に加わってほしいの」
異世界とのゲート。
向こうの世界で召喚などの儀式となることが成功して、この世界と繋がるときにできる道のようなもの。
人を拉致るゲートは一方通行で小さく一時的ですぐに閉じる。もっと厄介なのが異世界からの侵略目的で開けられるゲート。
この地球で世界征服といったら地球上の命の営みがある場所を征服するという意味だけど、異世界では違う。複数のありとあらゆる世界を征服せんとする戦闘生命体がいるのだ。
そんなことを許したら地球はなくなる。
だから戦ってきた。
日本は地球上でも一つの国としての歴史が長い稀有な存在で、脈々と受け継がれてきた影の組織が今の特殊部隊の前身。
異世界と戦ってきた組織は世界各国にあると言いたいけれど多くはなく、歴史の混沌のなかでなくなってしまった組織もある。
ヨーロッパであった魔女狩りは異世界と戦っていた組織を訝しがった人の間違った情報と当時のあの地の事情が絡み合い、まったく関係のない無実の人たちがたくさん殺されてしまった。組織もはバラバラになり、いくつかの秘術が失われた。
南米の森に消えたマヤの消滅は特殊部隊の歴史上で非常に痛手だったとも習った。
他にも表の歴史には残らない、数千年も続いている異世界からの侵略を阻止せんと立ち向かっているのが特殊部隊。
異世界とのゲートはそう簡単にはできない。
だけど、ゲートのきっかけとなる何かがあると、綻びが大きくなるようにできあがっていく。
特殊部隊の日々の活動はその妨害と、新たにできないか探知すること。
「とは言え、緊急性は低め。とっても現実的な理由で、盆休みに休暇を取りたい人が多くて、その前にできるだけ対処しようってなったの。でもねー、ゲート班向きの異能が使える人員は多くはないのよー」
「はー、そういう理由で呼ばれたんですか。ホッとしました」
「ふふふ。そんな理由よ! 秘密基地での訓練は『鑑定』や『探知』のレベルアップはあんまりやってないみたいだし、訓練だと思って!」
「はい!」
とても現実的な理由で笑っちゃった。
確実にやばいなら盆休みもなく対応だけど、人は寝食は必要で、二十四時間戦えません。
「あ、でも、ゲート班だと『解体』が必要だと聞いたんですが」
「やってほしいのは『鑑定』を応用したことだから大丈夫よ」
春日先輩に、この任務を通じて『解体』や『昇華』などの僕がまだ未習得の異能の術が使えるようになる! ついでに小遣いも稼げる! 一石二鳥! と言われたら気持ちも前向き。
少し道が混雑していてノロノロ運転。
春日先輩がポンポンと話題を変えて楽しく会話していたけど、いつの間にか異能の話に戻っていた。
昔の文献に異能の術でももっと効率的な方法などがあったらしい。その具体的な方法などが残っていないのが痛いって。
「──未だに何がゲートができる条件なのか分析しきれていないのが本当につらい。残してくれている報告書を読むと、マヤの秘術が残っていれば……って、その時代に生きてないアタシが悔やんでも仕方ないわね」
「……」
異世界に拉致られた人があちらの世界に長く留まると、元の世界と異世界が繋がりやすいのではないかという推論がある。もう一つは異世界で命を落とした場合も、元の世界に帰りたかった思いがゲートの糧になるんじゃないかとも言われている。
残留思念というものがあるなら、という仮説だけど。
確定した情報ではない。
だけど異世界に拉致られたら救出する。本人が異世界に留まりたいとごねても連れ帰る。間に合わなかったとしても、地球で弔うために集められるだけの骨や肉片、灰などを持ち帰る。
異世界と繋がるゲートが作られにくいようにするため。
異世界からの侵略を阻止するため。
それが特殊部隊の最大使命。
「やぁね、ジメッとした話になっちゃって! とにかく夏休みのアルバイトだと思って? 異能を使うのはとてつもなく疲れるから、規則正しく健康第一! これが絶対よ」
「春日先輩も適量な食事に、適度に運動ですからね?」
「言うようになったなー、アハハハッ!」
僕は週に三回、本部でゲート班の任務に就き、とにかく食事と睡眠はしっかり確保することと口酸っぱく言われた。
父とともに僕を助けに来てくれた春日先輩。
救出されたあとの僕は食べることもできなくて、ガリガリに痩せてしまって、「これなら食べられるかな、これならどう?」っていろいろ考えてくれた春日先輩。
今はちゃんと食べてる。ちゃんと寝てる。
おかげさまで、もう肋は浮いて見えない。
この夏休みは任務なしで、あっても異能の訓練だけだと思っていたから、予定ができたことが嬉しい。
僕はこの夏休みをどう過ごせばいいのかわかってなくて、実はちょっと落ち込んでた。
友だちもいな……智也くんしかいなくて、その智也くんは仕事があるから遊ぼうって言いにくいし、自分から誘う勇気はないし、小学生までどうしていたのかと、思い出そうとしてやめる。もうあの頃の友だちはいない。
僕の中学生活はずっと病室で、僕を取り戻せたのはこの一年くらいのこと。
異能の訓練がある日は誰かに会えるのが楽しみで、夏木先輩と秋葉先輩が勉強を教えてくれることになったのが嬉しくて仕方なかった。
誰かに会える。それだけで嬉しい。
……スパルタだけどね。
ちょっと道路が混んでいたけれど、霞ケ関の建物群が見えてきたと思ったら、どこをどう走ったのか気づいたら異能の気配がする地下道路だった。
僕の驚いている様子にケラケラ笑う春日先輩。
「昔に陛下のお側についていた術者が作った隠密ルートなんだって。なかなか便利よね」
「入り口どこでした? え?」
「ふふふ! 勇人くんが車の免許を取ったら教えてあげる!」
車の免許は十八歳にならないと取れません!
あと二年謎のままなんて、気になるよー!
照明器具類がないのに明るい謎の地下道路をキョロキョロと見ていたら、パッと明るい場所に出た。緑豊かな外の景色。整備された木々の向こうに見えてきた建物は特殊部隊の本部で、「え?」と車のリアウィンドウ越しに後ろを見たら、来たはずの道路がない。どういうこと?
「道路は? え? 出口? え?」
「ははははは! 内緒!」
気になるじゃないですかー!




