番外03.背を押してくれる涙
どうしてこの部屋に招かれたんだろう。
「そんなに緊張しなくていいから。オジサン、取って食いやしないから」
人食いオバケじゃないことくらいわかってますって、脳内で現実逃避のツッコミが冴え渡る。
ここは警察庁警備局の局長室……だと思う。ドアに何かのプレートがあったけれど見る余裕ゼロ。
僕が警察庁の建物にいること自体、異常事態なのに。
今日は父と特殊部隊の本部に来ていて、用事は済んだから帰ろうとなったのに、帰る間際に父が部下と思う人に呼び止められた。
父がいたから帰るルートは警察庁の建物経由。
特殊部隊の一員を示すカードを首からぶら下げていたけど、僕の見た目は中学生。中学生が警察庁。なんで? と思うみなさんが正しいです。僕の背が伸びないばかりに混乱させて申し訳ない! ……牛乳飲もう。
父が呼び止められたのは表の仕事。
僕が聞いていい内容じゃない。
十五時かあ。土日ならよかったけれど、今日は平日。
このまま外に出たら地下鉄の駅に着く前に警視庁の人に補導される確率は何パーセントだろう。だったら、一度本部に戻って日比谷図書文化館の出入り口から帰ろうかな〜と思ったら、父が使ってない会議室に僕を押し込めて、待ってろとどっかに行ってしまった。
どうしようかと悩んで、僕が声をかけるのが遅かった!
だだっ広い会議室でドキドキバクバクしながら父を待っていたら、会議室のドアがカチャンと開いて緊張爆上がり!
ひょこっと入ってきたのは人懐っこい笑顔のお爺さんで、一度会ったことがあったから少しだけ緊張度を下げる。でも、この人なんでここに来たの?
こんななんにもない会議室にいるのはあーだこーだと理由をつけられ、こっちこっちと連れてこられて、座らされて、目の前にはシュークリームとお茶。
どういうシチュエーションなんでしょうか? 戸惑った表情がもう隠せません。
「あ、あの……」
「君のお父上ならもうすぐ来るからね?」
もうすぐと言った場合、何分なのかを教えてほしい。
脱走を試み、トイレの場所を聞いて用足しに行ったけど、廊下に出たらこっちこっちとドアの前で待っていた。無念。
戻ってきました、多分局長さんの部屋。
テーブルの向かいに座ったお爺さん、本人はオジサンと言っているけれど僕からすればお爺さんの人は、特殊部隊に入るときに会った人で間違いない。
父の上司の警備局の局長さん。ご自身には適性がなく、特殊部隊の一員になれなくて憧れている人。
警察庁にはこういう人がたまーにいると、父や秋葉先輩、志村先輩などから聞いている。
その面倒の筆頭が局長さん。お立場が上なのもあって対応が面倒くさい。
異世界への憧れなのか、異能という未知の力への憧れなのか。異能の見せてくれと言われて見せられるものでもないんだけど、そう言われたらどうしよう。
「勇人くんだったよね。うん。将来はお父上を目指して警察と聞いたが、本当かい?」
「は、はい。まだ、その、ふわっとした、夢なんですけど」
現実は高校一年だけど、幼稚園児の将来の夢くらいのイメージでいてほしい。それくらい無謀な目標だってことはわかっている。
単に警察の人になりたいであれば、地方警察の警察官だっていいわけで、警察組織のトップである警察庁を目指すというのは相当なこと。
「そうかあ。うん、うん。目標があるのはいいねぇ」
局長さんはそうかそうかと言いながらムッシャムッシャとシュークリームを頬張って、僕にも食べるよう促してくれるから、食べないわけにはいかない。
トイレから戻ったらいそいそと用意してくれて、出されたときから美味しそうだった。
恐る恐る手にしたら、うおっ! 見かけによらずどっしり重たい。
クリームをボタリと落とさないよう慎重に一口。
フワフワなシュー皮ではなくてクッキー生地みたいなシュー皮はカリッとした食感があり、ふわわあっ! カスタードクリームが濃厚!
これ、絶対お高いシュークリーム。
興奮を押し殺して何気ないふりでどこのお店のものかを聞いたら、テレビで紹介されたことがあるめっちゃ高いやつ!
これ一つで千円だよ! せんっえんっ!
この一口でいくらですか!?
……しっかり味わおう。
局長さんの話はあっちこっちに飛び、何の目的で僕を連れてきたのかぜんぜんわからない。
僕の将来の夢のことを聞いたかと思えば、父が入庁した頃の話に飛んで、ご自身の若かりし頃に至ったところまではご老人の話の流れかなと聞いていた。
ずれ始めたのはどこだったか。
奥様と喧嘩して何でご機嫌取りしたらいいのかわからなくて悩んでいることと、飼っておられる猫がこの夏にセミの死骸を八匹拾ってきた話と、孫にスマートウォッチで健康管理と言われてもらったが、就寝してから何かのアラーム音が鳴って飛び起き、横で寝ていた奥さんに怒られてそれ以来、仕舞い込んで使ってないが孫になんて言っていいかわからないこと。話してくれたことから想像すると、お孫さんも祖父では設定できないところはやってから渡したようだし、何かのアプリの通知をオフにし忘れたんだと思う。素直に言えばいいと思うんだけど、なぜ僕はここでスマートウォッチとスマホを渡されて設定の見直しをしてるんでしょうか。
スマートウォッチの設定を見直しながらも話は続いて、スマートウォッチが歩数をカウントしてくれるから会議中に机の下で足を動かしていたのにカウントされないのはなぜだろうって、普通に歩こう? どうして会議中? 目を逸らさない。
スマートウォッチの通知は一通り見直したので多分真夜中に鳴ることはないと思います、はい。
スマートウォッチの設定をしてほしくて僕を捕まえたのなら目的達成のはずだけど、局長さんの話は続いた。
足の形を測ってオーダーメイドの靴を新調したばかりなのに、飼っている猫がその靴で爪研ぎしてボロボロにしたのは不憫としか言いようがなく、お腹が出てきたのは明らかに奥さんに隠れてこうして職場でスイーツを食べているからだと思います。奥さんにこのシュークリームを買ってご機嫌取りましょう。
なんだかんだと一時間半は話を聞いていたと思う。
シュークリームが一つ千円。
追加で出された豆大福も一つで三百円超える高いやつ。二つも食べちゃったよ。あんこが甘すぎずペロリだった。こういうのを上品な味っていうんだろう、ゆっくりしっかり味あわなきゃって思いながらモグモグは止まらなかった。
いただいてしまいました。ざっと千七百円分。
お茶もいいやつだから二千円分くらい頂戴したとして、お爺ちゃんの独演会を聞くアルバイト代としては妥当かもしれないとニコニコしておく。現金な僕です。
そしてやっと父が来た。
局長さんのもうすぐは一時間半だった。ぜんぜんもうすぐじゃなかった!
「局長、勇人を保護してもらって、こんなご馳走まで。ありがとうございます」
「いやいや、スマートウォッチの設定を直してもらえてありがたかったよ」
やっぱりそれが目的でした?
こういうことを聞ける部下さんいないのかなあ。
とにもかくにも異能の話がでなくてよかった。
父が来てくれたからやっと解放されるー!
最後のほうは局長さんの飼っている猫の話ばかり。どこからかネズミも捕らえてくる非常に優秀なハンターだとよーくわかった。獲物を捕らえると局長さんと奥さんに披露して悲鳴を上げさせるところまでがセット。都市部の街にネズミってけっこういるんだね。
「そうそう、勇人くんにこれを渡そうとね」
「局長、本当にいいんですか? お孫様のために用意していたのでは?」
「祖父の私が言ってはいかんのだろうがあいつはだめだろうなあ。大学に行っとって学んでいるのか遊んでいるのか。優しい子ではあるんだがね」
少し寂しそうな局長さん。
スマートウォッチをプレゼントしてくれたお孫さんのようだけど、デスクの下から出してきたのはかなりズッシリとした紙袋。
渡されたので中を見たら、問題集?
国家公務員の過去問の本だった。基礎能力、専門試験、教育試験……何冊あるのこれ……。
「まだ早かろうが、過去問は何冊あってもよかろう? あいつに渡したところで古本屋に売りに出すだけな気がしてな。それならがむしゃらに頑張っている若人の背を押させておくれ」
この本たちを用意した理由。
この本たちを手放すことにした理由。
その先として僕を選んでくれたのはなぜだろう。
「……警察に入るというのはかっこいいようで、実際はきつく苦しいもんだ。職務によるところはあるけれどね。君はすでに密かにではあるが警察庁の一員で、そうしたことも知って、特殊部隊じゃ血なまぐさい現場すらある。命の危機だってある。それもこれも全部わかって、それでもお父上を目指している。このご時世になかなかおらんよ。──誰にも知られず、公の称賛もなく、この世界の平和を守るために戦おうとする者を応援したくもなるだろう? そうそう──」
──君のお父上は将来ここに座るだろう。君もここを目指すといい。その先ならなおいいね。
ポンポンと叩いたのは局長のデスク。
さっきまでのお爺ちゃん顔じゃない。
警察庁警備局の局長の顔。
「……たどり着けるでしょうか?」
「『千里の道も一歩から』だよ。本もこうして積み重なると重たいけれど一冊一冊ならどうだい?」
そう言って紙袋から一冊だけ取り出し、僕に渡してくれた。
「持てます」
「うん。それならこの一冊を持って。残りはホラ、持ってかんかい」
「局長、俺への扱いが雑すぎませんか」
「何をいうかヘタレが。図体はデカいくせに息子をどう叱咤激励すればよいかと悩むのはいいが、職場のデスクで唸って、その唸り声がうるさくて部下たちから苦情がきたわい! 静かに唸れ!」
父さんは僕に勉強しろと発破をかけないけど、かけないことを悩んでいたことを知る。でも唸って苦情ってどれだけ声が漏れてたのかな?
嬉しいやら笑いたいやら、僕の顔はどうなってますか?
局長さんは父の分もシュークリームと豆大福を用意していて箱のまま渡された。
過去問の一冊と父用のお土産を僕が持ち、どっさりの過去問の紙袋は父。
局長さんは僕が警察庁の建物に寄り付かないのも気にしてくれていたけれど、平日の霞ケ関をウロチョロすると、ともれなく補導される事情を言えば、「日本の警察職員は真面目で結構!」と笑っていた。
帰りは父の車。
「過去問、本当にもらってよかったの?」
「ああ、前に局長と飲んだときにお孫さんのことを吐露されてな。そのとき勇人のことも話したんだよ」
局長さんはお立場から僕が異世界に連れ去られたのも、心を壊していたのも、前を向いて生きる道に戻れたことも、特殊部隊に入ったことも知っていた。
僕が父を目指し始めたことは知らなくて、よくその道を選んだなと泣いてくれたそうだ。
「局長の息子さんは商社勤務なんだが、息子も孫もそれぞれが選んだ道を行けばいいとわかっていても、警察の道に進んでほしかったんだろうな。局長のお父上も警察官僚だったし、お祖父様も偉い方だったそうだ」
「そっ……か……」
たまたま近いところで自分が目をかけている部下の息子が、警察を目指すのが嬉しかったのかもしれない。
「真っ黒にするくらい頑張ろっ!」
「真っ黒にしたら新しいのを買ってやるから頑張れ」
「うん!」
あの事件後から初めて父が僕に勉強を頑張れの意味の言葉をくれた。
秋葉先輩と夏木先輩がなかなか容赦なく教えているから、これで父まで僕に発破をかけたら、追い込んでしまうんじゃないかって悩んでくれてた。
「父さんもあの二人が鬼だってわかってたんだ」
「あれはなかなかだろう?」
「だったら今のままの父さんでいいや。鬼が三人もいたら死んじゃう」
「はははははっ! さて、夕飯はどうする? 早いがそのへんで食って帰るか?」
「あのね、僕ね、シュークリームと豆大福食べてお腹いっぱい」
「父さん腹減ったんだが」
「ファミレスにする? 僕、飲み物で付き合う」
「なら、近いあそこだな」
その後、父にシュークリームと豆大福の値段を言ったら真顔になり、一回帰ってシュークリームたちの箱を丁寧に冷蔵庫に入れて、過去問も僕の部屋の勉強机に並べてきた。
そして歩いてファミレスへ。
「俺は局長に何を返せばいいんだ……」
「猫グッズか猫が食べるやつが一番いいと思う。今なら爪研ぎが喜ばれると思う」
「いったい何の話をされたんだ?」
「猫の武勇伝の話が八割かな……」
「……そうか。土曜にホームセンター行こう」
「うん」
ファミレスで父に局長さんから聞いた話を言ったら、会議中の足踏みは局長さんより上の次長さんからやめるよう言ってもらうことになった。
局長さん、いっぱいもらっておきながら告げ口してごめんなさい! 廊下をいっぱい歩いてね!




