11.助かった!
ゲート班の任務に就く際、志村先輩たちに次元に入る『探知』で思いがけない場所に行ってしまった場合でもパニックにならないように心構えは受けた。
次元にいる自分は実体ではないこと。
次元の様子を見て、空間にある音などを聞き、体がないのに肌で感じるのに似た感覚で状況を知るけれど、それらは体で感じている五感とは異なるのだと。
幽体という表現が正しいのかはわからないけれどそんな感じで、だからパニックになるなと言われた。
だから? とは?
「人は無響無音の中では生きることはできないと言われている。実際にほぼ無響の空間が体験できる施設があるが、普通の人は音がないことが恐怖となって数分持たない。わかってチャレンジしても一時間持たない」
アメリカで無響を体験できる施設があって、無響空間に最長で留まれた人は五十分弱という話を聞いた。本気の静寂はとても残酷で、数分で気分が悪くなり、パニックになり、本当にそのまま放置したら熱中症や餓死ではなく、恐慌状態で死ぬんじゃないかって言われてる。
次元の間は無響。
時間の感覚もまったくない。
そこで見るのも聞くのも、人として生きている五感に変換しているだけだから、何も視認できなくても音がなくても焦らないこと。
教える者も教えられた者もわかっているのに、たまに次元の間に落ち、パニックになって、実体に戻ってもしばらく療養しないとならない人が出てしまうという。
焦るな。
僕の体は現実世界の本部にある。
次元の間にある僕は異能を行使する思考の塊。
焦るな、焦るな、落ち着け──
知らなかったらパニックになって、精神崩壊して、今度こそ僕は僕を亡くしたかもしれないけれど、無響空間に放り込まれているのとは違うから、冷静になれ。
そうすれば僕は僕でいられる。
どれくらい経っただろう。
僕は正常。
狂ってない。
考えることもできている。
おそらく僕が次元の間に落ちたことはもうわかってくれているはずだ。
さっき異能を使いすぎて、この空間の謎の吸引の流れに抗えなくなって身を委ねた。この状態で寝たというのは正確には違うのかもしれないが、寝ていたんだろう。
まだ念波通信は何も受信しないし、発信もできないけれど、異能を僅かに使える力が戻っていた。
秘密基地で異能の訓練で夏木先輩に扱かれ、自分の異能が回復する時間はだいたいわかっている。
異能を本気で酷使したあと手足が震えて動けなくなった状態だったら、三十分間くらいしっかり休むと自力で動けるようになる。一時間くらい休めると少々の異能が振るえるくらいは回復する。
今の状態は一時間はしっかり寝た回復に近い。
だだっ広い部屋で『探知』に入る前のことをぼんやりと思い出す。何時間かかるかわからないからとオムツを渡された。各自の場所にタオルやペットボトルなどが用意されていたことも思い出す。あれは一定の時間で『探知』から戻り、着替える時間は取れないからタオルで拭いて、水分補給をしてすぐに任務に戻れるように準備していたんだと思う。
ゲート班の普段の任務を考えると、『探知』から一時間戻らなかったら異常事態に陥ったと気付いてもらえるはずだ。楽観的かもしれないけれど、この推測は多分あってる。
そう考えて待つ。
大丈夫、僕は大丈夫。
何の力なのかわからない吸引に流されるままだったけれど、いつの間にか動きがない。
僕に何かが纏わりついているような不思議な感覚がしないでもなく、ちょっとだけ異能を使って『鑑定』をかける。大きな術を使って疲労に陥るのは避けたいから最低限で。……無害っぽい。
もうちょっとだけ異能を使ってまわりを視る。上下左右前後すべて、蜘蛛の糸より細い何かが張り巡らされているような謎の空間。糸のように見えるものに触れることはできない。僕に実体がないから糸をぶっ千切ってしまうこともなく、漂っていた感覚もあったけどとくに最初にいた場所と変わっている感じもしない。
もう少し異能を使っても大丈夫かな。
異世界の生命体の侵入もゲートができそうな不穏な気配を探った。よし、気配なし。揺らぎもない。
異能を使うのはここまで。何があるかわからないから温存しておかないと。僕の精神安定が大事だ。
Twinkle, twinkle, little star, How I wonder what you are……
覚えたばかりの英語の歌を紡ぐ。
ここにある僕には実体がないから声はない。頭の中で歌っている感覚で紡ぐ。
キラキラ星の英語の歌を聞いたとき、日本語で歌うときの言葉とぜんぜん違う言葉が使われてるって気付いて、英語の歌詞の訳を読んだ。日本語の歌は星空という情景を歌っているけど、英語は誰かが星を見て、ときに疑問を呈しながらも星が見守ってくれていると詩的な内容だった。
僕は英語の歌詞が好きになった。
Then the traveller in the dark, Thanks you for your tiny spark, He could not see which way to go……
僕が僕を失ったとき、僕を導いてくれたたくさんの人たち。小さな星と例えるにはみんな輝くばかりに明るくて、|Blazing sun《ギラギラの太陽》に例えたいけど、歌詞にあるままの星に見立てれば無数にある輝き。
As your bright and tiny spark, Lights the traveller in the dark……
まだ未熟な僕だけど、この僕も誰かの道を照らしてあげるようになりたいって、歌うたびに思う。
Twinkle, twinkle, little star, how I wonder what you are.
何者でもいいと思うんだ。
僕は僕。
それでいい。
「──悠長に歌っている場合か。なんでこんなところに挟まったんだよ」
「落ちて挟まってへばりついているというか、なんというか」
ん? なに? 幻聴?
大丈夫、大丈夫って自分に言い聞かせていたけど、無響の空間に耐えかねて、僕はとうとう壊れてしまった?
「|Hey! Wake up! Now!《こらー!起きろー!》」
ぎゃぁあ! 大音量!
僕に実体があるならバチンと目を開けたってなるくらいバッチリ起きました!
え? 夏木先輩に柊先輩! ……が半透明なんですが、やっぱり僕、狂っちゃって幻覚が視え始めたのかな。
「はー……。五十嵐勇人確保。帰還します」
「久しぶり~。元気そうで何より~。戻ったらぐったり動けないだろうけどね~」
夏木先輩がむんずと僕を捕まえた。
今の僕、夏木先輩と柊先輩にはどんな風に見えているんですか?
ひらひらと手を振っている柊先輩。僕のこの状況でそのノリは軽いよ、軽すぎる。
グワンッと引っ張られるような感覚に、安定して僕はぐえぇえっとなった。その次の瞬間、どっと感覚が重たくなって、即時飛び込んできたたくさんの声と音と、うわあっ! 凄く眩しい!
「勇人!」
「勇人くん!」
父と志村先輩、医務職員と思われる人たちが僕の顔を覗き込んできて、照明の明るさが遮られて少し視界が落ち着いた。
異能を使いすぎて全力疾走後のような息切れ。口のまわりに違和感と思ったら酸素マスク?
ああ、ぜんぜん手足を動かせない。
じっとりと汗もかいている感覚がする。パジャマが肌にあたっている感覚。
色んな音。たくさんの人の声。
ああ、帰ってきたんだ! 助かったー!
点滴の管を外されるまで父は落ち着きなく、ぎっちりと止血されて、腕は濡らさないようにと言われた声を聞いたか聞かないかで、僕を抱えて浴場にダッシュ。
オムツを外したらうんちしちゃってた。父さん、臭くてごめん。
指を少し動かすくらいしか動けなくて、首も起こしておけず、本当にぐったり。柊先輩の言葉通りだ。
「十二時間だ」
十二時間か……。異能の回復具合から計算して、一時間から三時間くらいは経過していると思ったけど、もっと経ってた。
シャワーが肌を叩く心地よさに目を閉じる。
父が股の部分はしっかり洗ってくれて、あとは汗をザッと流して出た。
入浴は体力を使うから、取り急ぎはざっと流すだけ。これは先輩たちを介助してきたからわかる。
男性用ロッカールームにバスタオルを重ねて簡易の寝床を作ってもらえていて、そこに寝かされ拭いてもらえた。心配顔の志村先輩になんとか微笑む。
「勇人くん以外にも一人が間に落ちてしまってね。そっちは既知のところだったからすぐに救出できたんだが、勇人くんは場所がわかってもなかなか辿り着けなくて遅くなってしまった。申し訳ない」
「……い……う……」
「まだ無理するな」
志村先輩に大丈夫って言いたかったのに、喉が詰まった感じで声が出しにくい。父の大きな手で口を覆って喋らなくていいと動作で教えてくれて、手はそのまま頬を通って頭を撫でてくれた。
「よく頑張った」
頑張った──。僕もそう思う。無響無音のあの空間から狂わずに帰ってこれた。泣きたいわけではないのに目尻から涙が溢れる。
ずっと寝てたような状態だったと思うけど、寝ても大丈夫かな。すごく眠たい。
「ああ、寝ていい。ゆっくり寝ろ」
起きたら何があったか教えてね──。




