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読書感想文『アクション作品創作バイブル 魅せるためのキャラクター・設定・サブジャンル』(著者:ロバート・マッキー&バシム・エル=ワキル、訳:越前敏弥、フィルムアート社 2025年)を読んで

作者: Reckhen
掲載日:2025/11/30

ハア(溜め息)、行き詰まっちゃったな……。

いえね、新たな企画「仮面ライダーゴダイゴ」を構想しているわけですが、どうにも行き詰ってしまいまして、ええ。


そんな時に偶然『アクション作品創作バイブル 魅せるためのキャラクター・設定・サブジャンル』

(著者:ロバート・マッキー&バシム・エル=ワキル、訳:越前敏弥、フィルムアート社 2025年)を書店で見かけました。

ロバマキ師匠が新刊を出していたのに気づいたので(共著だけど)、書物(翻訳)を通した師弟愛をお見せできればと思います。

引用部分は『』でくくっています。


何回ボツを食らおうとも、読んでさえもらえなくとも、何度でも立ち上がるのがヒーローってもんでしょう。


ちなみに「仮面ライダーゴダイゴ」は

平和を愛する某高貴な傑物ゴダイゴが、

必殺技の「建武の新政キック」や「ローリング正中の変アタック」を駆使して、

仲間のマサシゲ(2号ライダークスノキ)と協力し、

日本征服を企む悪のタカウジ将軍と戦う、という、

超大河的ドラマなアクション作品になる予定です。


てなわけで、教えて! ロバート師匠&ワキル氏!


〇悩み相談1、そもそも何と戦えばいいのか分からない


主人公の設定なんかは適当に思いつきで行けそうなんですけど、悪役をどうすればいいのか分からないままなんですよ。

いつも「世界征服を企む悪の軍団」ではつまらないし、捻った設定の悪役にしたら今度は別に戦わなくてもいいような感じになっちゃうし。


『アクション作品の悪役は、病的な精神状態にあるせいで、世界じゅうの人々が自分の足もとにひれ伏すべきだという誇大妄想をいだく。

ヒーローは他者のために自分を犠牲にするが、悪役は自分のために他者を犠牲にする。』


『悪役には人生そのものと言うべき企みがあり、それは自分の存在よりも大きく完璧な存在だ。

その策略は不透明で謎が多く(そうでなければ、ただの違法行為だ)、桁ちがいに破壊的でもある(そうでなければ、ふつうの警察官でも対処できる)。

悪役がみずからの欲求に従って計画を実行すると、ハイジャック機に乗り合わせた人質、空爆下の民間人、人工的に作り出された疫病の感染者など、被害者がおのずと生まれる。

悪役の望みがなんであれ、代償を払うのはほかの人々だが、悪役にすればそれは当然のことだ。

自分はヒーローよりも何枚も上手で、自分の大義は被害者の命よりも尊い。だれが邪魔立てできるというのか、と。

悪役はともすれば自分を社会の不公正と戦う正義の殉教者や犠牲者と見なし、崇高な大義を説くことでみずからの悪事を正当化する。

だが、生死のかかった重圧下の選択によって、そのほんとうの特質が見えてくる。

悪役が悪役であることをさらけ出すのは、つねに他者よりも自分を優先し、それらの行為をこう考えて弁護するときだ――「わたしの望みは絶対だ。それをかなえるためなら、ほかの人間は使い捨てにしてもいい」。

まとめてみよう。

悪役の虚栄心はヒーローの利他主義を対比によって強調し、両者の道徳が対極にあることを示す。

作家は悪役に命を脅かす役目を課し、被害者には自分を救う力を与えず、ヒーローには悪役を倒して被害者を救う必然性を与える。

ヒーロー/悪役/被害者は一体となって、アクション作品を動かす三角形の関係を作りあげている。』


重要そうなのはこの『ヒーロー/悪役/被害者は一体となって、アクション作品を動かす三角形の関係を作りあげている。』のところで、この三角形をハッキリと区別しないと、悪役がいい奴になったり、被害者が主人公っぽくなったりしちゃうんですよね。


『ヒーローは、ほぼ無力な者(『127時間』)から全知全能に見える者(『スーパーマン』)までさまざまだ。

悪役となる敵は、無情な海(『オール・イズ・ロスト~最後の手紙~』)からエイリアンの侵略者(『インデペンデンス・デイ』)まで幅広い。

被害者はどんな者でもありうる。

役柄がどれだけ多様化しようと、中核の欲求は変わらない。

悪役は力を欲する。

被害者は救出を求める。

ヒーローは悪役から被害者を救うことを望む。

それでも個性があるのは、欲求を満たすための戦略がキャラクターによって異なるからだ。

そのため、独創性のある役柄を設計するうえでは行動の戦略、つまりキャラクターが目標を達成するために用いる方法を、唯一無二のものにすることが重要だ。』


三角形はハッキリ意識した上で、それぞれに個性を乗せていく感じでしょうか。


『悪役にとって、計画以上に重要なものはない。

複雑な構想にも、手間暇のかかる準備にも、(読者や観客から見ると)謎に包まれた好奇心を刺激する仕掛けにも、悪役は膨大な創造のエネルギーを注ぎこんできた。

まさに犯罪の粋を集めた傑作である。

他人にはおぞましく非道な計画に見えたとしても、当人は道義心を捨てた解放感で気持ちが高ぶっている。良心の鎖から自由になり、つぎはこの大事業の僕となるわけだ。

もはや背を向けることはかなわず、その立場から脱することもできない。目標を達するためなら自分の命を懸け、あるいは犠牲にすることすら厭わない。』


『悪役の計画

悪役の計画が発する暗黒のエネルギーはそれぞれの出来事に浸透する。計画はたいてい謎めいた部分があるので、悪役はいつも一歩先を行くことができる。

悪役が計画を放棄しようものなら、アクション作品は頓挫する。

救うべき人も危険にさらされたものもなかったら、ヒーローはすべきことがないという壁に突きあたる。

(中略)

したがって、アクション作品のストーリーを作る過程では、まず悪役を設計し、つぎに独自の材料と戦略をもって、この悪に対抗するヒーローを設計することになる。

あらためて強調しよう。

アクションのプロットは悪役の心理やそこから生まれる計略によって進展し、それに対するヒーローの反応が言動の中核に動きを与える。』


『悪役の反応

自分の要塞を攻撃から守ろうとする受け身の悪役は、戦争ジャンルでは居場所があるかもしれないが、アクションではそうはいかない。

もう一度強調しよう。物語は悪役が計画を実行することで外へ向かう。

悪役が動くたびにヒーローは言動の中核に基づいた戦略を立て、クライマックスへつながる出来事が起こっていく。』


結局これなんです。悪役が何をしようとしているか、どんな計画を企てているか。目的と手段でそれぞれ良いアイデアが思いつけば。

その計画がヤバいというか周りに迷惑なので、ヒーローは阻止しようとする。何も考えずにリアクションすればいいのでヒーローは気楽です。


教え1:悪役は利己主義で非情なヤツで、完璧な計画を実行しようとしていると設定する。



〇悩み相談2、書き出してみたら、主人公が主人公らしくない


主人公であるゴダイゴなんですが、高貴すぎて動かず、主体性がないような気がします。主人公っぽくないっていうか。空気っていうか。


『ヒロイズムー利他の精神

古典的なストーリーでは、主人公がいくつかの出来事を進めていき、観客や読者が予想だにしない結末、つまり最終的な転換点へ到達する。

このクライマックスで、主人公は持てる力の限界まで試される。

アクション作品の主人公はそのすべてを実行しながら、ヒーローとしてじゅうぶんな活躍を見せなくてはいけない。

ヒーローということばには、勇気や戦う技術以上の含みがある。われわれは手術台で人命を救う外科医の冷静さや、麻薬依存症から子供を守るソーシャルワーカーの思いやりに称賛を贈る。

それらの場合、専門家の私生活と患者や子供たちの生活とのあいだには距離があるものだが、真のヒーローにおいては、そのふたつが交わる。

ほかの人間の生活を守るために、自分の生活を犠牲にするのだ。

(中略)

アクション作品のヒーローが被害者を死の危険から救い出すとき、ヒーローは利他の精神によって勇敢さの局地に達し、観客は感動する。

必要とあらばヒーローは、罪なき人々を救うためにみずからの命を投げ出す。この無意識の自己犠牲が、ヒーローをストーリーの善の中心にする。』


『アクション作品における善の中心は、ヒーローの利他主義だ。

ヒーロー自身がひどい目に遭ったとしても、たとえ血まみれになったとしても、この自己犠牲の精神があることで読者や観客は心理的に安全な距離を保つことができ、

ヒーローの道徳心の強さにみずからを重ねることができる。』


はい、「善の中心」! 名著『キャラクター』で習ったやつだ!

利他主義・自己犠牲って命懸けで無謀なことするじゃなくて、コロナ時のエッセンシャルワーカーさんとかみたいに、生活を犠牲にしてってことでも共感が呼べるんですね。

最近のヒーローは「何かを犠牲にして人を助ける」って感じが薄いかも。特撮ヒーローで「変身一回につき五万円」とか言われてたら視聴者は「どうする?」って興味がわくかな。


『善の中心

われわれは架空の世界の出来事を、自分の身に起こっているかのように体験することを求めている。

だがそのためには、登場人物の特徴や性格を探って、善と悪、プラスとマイナスを選り分けなければならない。

ただ頭で理解するだけでなく、心の底から作品に没入することを望んでいるからだ。

登場人物の内面が発するプラスの光を本能的に察知すると、読者や観客はその人物と自分を結びつけ、共感し、同化し、その人生に没入する。この役柄がストーリーにおける善の中心だ。

本能的に善と自分を結びつけるのは、だれもが自分の本質を善と見なしているからだ。

欠点があり、改善はむずかしいと自覚していたとしても、意識の奥底では自分には善良な心があると考えている。

ストーリーの中心にプラスの性質を持つ主人公を置き、その周囲に主人公より劣っていたり、ぱっとしなかったり、性格が悪かったり、マイナスの性質を持っていたりする登場人物を配すると、主人公の内面から放たれる明るい光が読者や観客の共感を引き寄せ、感情移入を促す。

いったん結びつきが生まれると、主人公に起こる出来事を自分のことのように心配したり、喜んだりするようになる。

読者や観客は作品世界に足を踏み入れた瞬間から、そこでの価値要素のあり方を模索しはじめ、プラスとマイナス、正と誤、善と悪をふるいにかけながら、共感を向けやすい安全な場所をさがし求める。

ストーリーの善の中心は、語りの奥深くにあるプラスの価値要素(正義、善、愛)と、それを取り巻くマイナスの価値要素(暴政、悪、憎しみ)の差異を浮かびあがらせる。

人間はたとえ欠点があったとしても内心では自分の本質はプラスだと考えているので、マイナスよりもプラスの価値要素におのずと共鳴する。

その結果、読者や観客は自分が肯定的に受け止めたものに対して本能的に共感を寄せる。』


ここの『人間はたとえ欠点があったとしても内心では自分の本質はプラスだと考えているので、マイナスよりもプラスの価値要素におのずと共鳴する。』は名言ですよね。

人間はどんな犯罪者でも、みんな「自分は正義」と思って生きている。逆に言うと「自分は悪い奴」という自覚がない。盲点でしたね。

書いている側は、ついつい露悪的というか、悪ぶったりアウトローを気取ったりしちゃうから注意しないといけない。


『弱者であるヒーロー

アクション作品のヒーローが弱者の立場にあることには、さまざまな理由がある。

第一に、共感しやすいからだ。

すべての人間は、たとえ巨大な組織の長であったとしても、みずからを弱者と見なしている。窮地へ追いつめられるような感覚は、人生のところどころで直面する困難への本能的な反応だ。

架空の世界にいる弱者の葛藤に、実世界での自分の苦労が投影されていると観客や読者が感じるとき、ヒーローの人間性に対する共感が生まれる。

同じ人間性を持つという意識が作品世界へ没入させて、自分の身に起こった出来事のように感じさせ、場面ごとに心を揺さぶる。

これと同じ理由で、圧倒的な強者が愚かな小物を相手に勝利を重ねたところで、曲芸師の皿まわし程度のおもしろみしかない。

第二の理由も同じく重要である。サスペンスの問題だ。

アクション作品のストーリーでは、つぎはどうなのか、そのつぎはどうなって、さらにそのあとは、とつねに先々の転換点に関する疑問を湧かせる必要がある。

とはいえ、アクション作品の観客や読者は、このジャンルの慣例によって、結末がどうなるかを見抜いている。

ごくわずかな例外もあるが、最後はプラスに転じ、悪役はヒーローの手によって敗北を喫するのがつねだ。この認識は好奇心を削ぐことになりかねない。

だから、アクション作品におけるサスペンスでは、過程や動機こそが思案のしどころだ。

たとえば、窮地のシーンを目にしたとき、観客や読者はこれからヒーローが形勢を逆転することを知っている。

ただし、どうやるのかはわからない。どんな裏の手があるのか。知力か、腕力か。秘密の才能が開花するのか。

アクション作品を執筆するのは、シルク・ド・ソレイユの曲芸をことばでやってのけるようなものだ。

ヒーローは乏しい能力、ときにはゼロに近い能力しか持たない弱者であるにもかかわらず、けっして被害者より弱く見えてはならない――これは綱渡りに等しいキャラクター設計だ。

また、ヒーローが持つ能力は。キャラクターによってはきわめて強大なものであってもよいが、悪役はかならずそれ以上の力を具えていなくてはならない――これもまた離れ業だ。』


盲点その2、人間はどんな社会的に強者でも、自分は弱者側だと自認して生きている。

私なんかもよく「悩んでいるのは自分だけで、周りの連中は悩みなんか何もなくて毎日楽しそうにしている」と思ってしまうのですが、悩みの無い人間なんていないって少し考えればわかることなのにね。

今日の特撮でも悪の組織が現れたのを聞いて「俺たちの出番だ!」みたいなセリフがあって、「自分らが勝つ前提で出撃するんだな」と少し冷めて見てしまいました。

「俺たちは弱者で負けるかもしれないけど、それでも行くしかない!」みたいな姿勢があってもいいかもしれません。まあ勝つんだろうけど。


教え2:主人公を利他主義なナイス人格、かつ弱者として設定し、読者が自認している善・弱者に共感するように意識する。



〇悩み相談3、書いているうちに脇キャラが主人公っぽくなる


マサシゲ(2号ライダークスノキ)のキャラが立って活躍させすぎ「スーパー太平記キック」で中ボスを倒してしまい、主人公ゴダイゴの出番が極端に減りました。


『被害者の特性――脆弱な精神

脆弱な被害者は、さまざまな役柄で表現される。子供、恋人、家族、小さな町、国家、地球、さらには宇宙全体ということもある。

被害者は不可欠の存在だ。被害者がいなければ、ヒーローはヒーローになれず、悪役は悪役になれない。

個性的で現実味のある被害者は、ヒーローや悪役同様にアクション作品に欠かせない。表現豊かに描かれた脆弱者がなければ、アクション作品は成り立たない。

被害者が反撃して勝利したら、悪役の威嚇はどうなってしまうのか。被害者が自分の身を守れるなら、ヒーローは何をすればいいのか。

だが、作家が被害者の心理を深く突きつめて、その脆弱さをきわめて複雑に描けば、悪役は魅力ある悪役に、ヒーローは印象的なヒーローになり、このジャンルは豊かになる。』


被害者キャラには、ちゃんと被害者を演じてもらわないといけないですね。


『脆弱だからといって、被害者が臆病だとはかぎらない。ただ、自分では自分を救うことができないだけだ。

勝ち気な子供は悪役に対して執拗に抵抗するかもしれないが、どれほど独創的で深みのある筋書きを作家が考えついたとしても、脱出を実行するには身体能力が足りない。

ヒーローの利他主義が観客や読者の共感を誘うのと同様に、表現豊かに描かれる被害者の脆弱さは好感を引き寄せる。

ちがいはこうだ。

われわれがヒーローに共感し、一体化さえするとき、その姿のなかに自分を見つけ、「このヒーローは自分のようだ。だから、もし自分が同じ立場になったら、きっと同じことをする」と考える。

しかし、被害者には自分を重ねたりしない。被害者に対する感情は「自分のようだ」ではなく、ただの好感や同情だ。

そして、こう考える。

「この被害者は弱い。自分がこの場にいたら救ってあげるのに。この人には自分が必要だ」と。

ヒーローは共感を誘い、被害者は好感を引き寄せ、悪役は反感を買う。』


『対立要素を持たない被害者

アクション作品では、ヒーローと悪役のあいだで確たるバランスをとる必要がある。

ヒーローが情緒的な関心と共感をより多く集める一方、悪役はより大きな脅威と力を持つ。

アクション作品の書き手は自分の望みどおりにこの均衡を変えられるが、まったく歯止めのきかないヒーローややさしく人情味のある悪役のように、均衡が乱れすぎると、失望や困惑をもたらしかねない。

アクション作品のストーリーの均衡を保つ策として、被害者に対立要素を内包させることは少なく、しかも当然ながらその対立要素が窮地を脱する鍵となってはならない。

「機転がきく/機転がきかない」、「賢い/愚か」、「熟練/未熟」、「力がある/力がない」といった対立要素を被害者が具えていると、

自分のなかのプラスの力を発揮し、ついには逃走や反撃の手立てを見つけ出すことになる。結果として、悪役は無能な、ヒーローは無用な存在になってしまう。』


盛り上げようとして主人公をどんどん強くしがちですが、逆転の発想で他を弱くする企みがあってもいいかも。


教え3:被害者は脆弱に設定する。だが読者から好感を持たれるように努力する。



〇悩み相談4、敵への思い入れの方が強くなってしまう


タカウジ将軍の人気が出てしまい(作者の中で)、悪役にもドラマと思い人間性を作り込むと愛着が湧いてしまう。気が付けば主人公そっちのけ状態です。


『悪役らしさ――自己中心的な精神

超人的な存在から犯罪者のボスやストリートギャングまで、悪役にもいろいろある。悪役がためらうことなく暴力を振るうのは、被害者の人間性に無頓着だからだ。

逆にヒーローは、悪役を含めたあらゆる者の人間性に無関心ではいられないため、力に訴えるのは必要なときにかぎられる。

悪役にとっては、ヒーローも被害者も単なる対象物――目的に到るための手段にすぎない。

一方、ヒーローにとっては、悪役を含めただれもが単なる対象物ではない。

悪役の範疇には、いじめっ子、犯罪者、怪物などが含まれる。』


よくガンダムなんかで「敵には敵の正義がある、だから深い」とか聞いているので、悪役側もつい人格者だったり仲間思いだったりカリスマだったりに設定しちゃうんですよね。


『磁力、反感、謎

悪役は磁力、反感、謎という三位一体の特性を持つ。

最初のふたつ(「磁力/反感」)は、悪役に具わる最大の対立要素だ。

三つ目(謎)は、悪役の鍵となる特徴だ。

これら三つが合わさって、興味を呼び起こす危険な雰囲気が醸し出される。アクション作品のファンは、悪役を嫌悪しつつその力に惹かれずにはいられない。

巧みに描かれた悪役はその両方を喚起し、だからこそ読者や観客を魅了する。

秘密のベールをまとわせれば、悪役は人々の心をとらえて、さらにはつぎつぎに新たな事実を明かして驚かせ、愛される憎まれ役となる。』


悪役には読者から反感を持たれないといけない。作者からすると心苦しいというか、悪役にも思い入れが出てしまうので、つい人間味とか付け足してしまいがちです。

心を鬼にして、悪役のキャラクターを全うしてもらわないといけません。


『悪役の秘密

計画が見え透いていればいるほど、悪役は予想がつきやすい存在となり、脅威ではなくなる。

計画が謎めいていればいるほど、悪役はより危険になり、言動の中核がより驚きに満ちたものとなる。

(中略)

悪役の秘密は、本名や投獄歴や幼少期の虐待といった、単なる事実の説明であってはならない。

秘密が明るみに出たときに、対立が生じたり増大したり複雑になったりし、それによって出来事を大きく揺るがして、新たな方向へ動かすものであるべきだ。

(中略)

秘密について、もうひとつだけ指摘しよう。秘密は好奇心を掻き立てるが、転換点で秘密が明かされ、読者や観客が知りたいことを知ったあとは、それ以上説明を加えるべきではない。

転換点のあとで、いま何がどのように起こったかを説明せざるをえなくなったら、一ページ目から書きなおしだ。』


教え4:悪役は読者が反感を持つように、かつ秘密を持たせて興味を引き出すが明るみで出たシーンでストーリーが動くかイメージしておく。



〇悩み相談5、盛り上がりに欠ける


ずっと俺は何を書いているんだろう、と、途方もない虚無感に襲われています。今。


『アクション作品における中核の価値要素

基本ジャンルを構成する四つの中核の要素(登場人物、出来事、感情、価値要素)のなかでも、価値要素こそが各ジャンルの根幹であり、それぞれを明確に区別する。

それはジャンルの主題を決めて、その意図を形作るだけでなく、語りに活力をもたらす。

価値要素とは、「真実/嘘」、「愛/憎」、「自由/隷属」など、プラスとマイナスのあいだを変動する対立要素であり、これがストーリーを動かしていく。

(中略)

どんなストーリーでも、中核にある対立要素が感情の最も深い部分を動かす。

これがプラスからマイナスへ、あるいはマイナスからプラスへと変化するたびに、キャラクターは勝利と敗北、安堵と絶望を味わいながら、出来事をクライマックスへ推し進める。

読者や観客が登場人物の生き方を通して価値要素の変化を感じとることができなければ、興味は困惑へ、共感は無関心へとしぼんでしまう。

中核の価値要素がなければ出来事は意味をなさず、登場人物は心を揺り動かされない。

アクション作品の中核の価値要素は「生/死」だ。

(中略)

犯罪ジャンルでは、不正行為に対する法的な決着が話の中心となり、贖罪の物語では、主人公が道義的に正しく変わっていくさまが描かれる。

だが、アクション作品の場合、法的義務も道義的な変化も重んじられない。代わりに、ヒーローと悪役の特徴が対極にあるものとして鮮明に描かれる。

ヒーローは法を破ったとしてもヒーローのままであり、悪役はたとえ仲間内で義理堅かったとしても悪役のままだ。

この道義的な二極化があるおかげで、アクション作品の作り手は最も興奮を掻き立てるもの、すなわち間近に迫る死を描くことに専念できる。

「生/死」はアクション作品にその存在意義を与える。生存が危ぶまれる状況がなければ、興奮はやがて退屈に変わる。

死の脅威がなければ、どれだけ激しい格闘が繰りひろげられようと、アクション作品は空虚な舞踊にすぎない。

アクション作品で描かれる「プラス/マイナス」の中核の価値要素は多種多様であり、引き起こす感情は、アドレナリンが放出される高揚感から愛する者の死への嘆きまで多岐にわたる。

そのため、ほかの価値要素がサブプロットとして盛りこまれていることが多いとはいえ、「生/死」の価値要素だけでも長編作品としてじゅうぶん多様な対立や葛藤を生み出すことができる。』


ここを読んで安心しました。『アクション作品の中核の価値要素は「生/死」』。他の価値要素は考えなくていいと思えば、「そもそも価値要素は何?」みたいな呪縛から解放された気がして。

そして『生存が危ぶまれる状況がなければ、興奮はやがて退屈に変わる。』とのことで、「主人公が死ぬはずがない」と読者に思われると興奮も弱いかも。


『強者としての悪役

敵対する力が弱ければ、アクション作品はもちろん、どんなストーリーでも興奮は生まれない。だから、悪役が振るう力は強大でなくてはならない。

自分の力に顔を輝かせる悪役が、力を失ったヒーローを高みから見おろすとき、ヒーローに共感した観客や読者のなかでは、感情に満ちた好奇心が一気に高まる。

ヒーローが命懸けの危険を冒すたびに勝ち目が濃くなり、アドレナリンが放出される。強者と弱者の極度の不均衡こそがアクション満載のシーンの土台であり、それが興奮を引き起こす。

(中略)

大事なのは悪役の武器のほうだ。それは、とりわけヒーローに対して効果を発揮するものでなくてはならない。

ヒーローがどんな技能や力を持っていようと、悪役の要となる戦法の前では劣勢になる。』


『悪役が持つヒーローに対する耐性

ヒーローが戦いで繰り出す技がどんなものであっても、相対する悪役には効かない。そのため、悪役を暗殺するのは不可能で、脅すこともむずかしい。

ヒーローは無敵の悪党と対峙し、成功の見こみのないまま、あらゆる手を尽くさなくてはならない。

打つ手が捨て鉢になるほど、新しい戦術の可能性はしぼみ、勝機もなくなっていく。

徐々に戦況が悪化するなかでも、ヒーローは敢然と立ち向かい、内面の奥深くを探求し、新たな作戦を見いだすとともに、自分のなかの新たな才能をも発掘しなくてはならない。

ヒーローがあきらめずに取り組んで独自性と意外性のある戦法を編み出し、悪役の耐性を打ち破ったり、機転をきかせて悪役の耐性を逆手にとったりすると、

サスペンスは一気に燃えあがって興奮を呼び起こす。』


悪役の方が強者であることと、そのピンチを乗り越えて逆転するためにヒーローがいろいろやることが大事で、単にピンチになってパワーアップ形態になって逆転、では興奮がいまいちでね。


『行動の進展

ヒーローがある行動によって世界にプラスの反応を引き起こそうとしたとき、期待とは異なることが起こると、そこに転換点が生まれる。

噴出するマイナスの力はヒーローが予想したものとはちがって、思いも寄らなかったほど強大だ。

このような予期せぬ難局のせいで、ヒーローは短期的な目標を達成できなくなり、その結果、長期的な欲求もつぶされる。

そうなった瞬間、読者や観客はもはやあともどりができないことを察知する。

ヒーローはいま起こした行動の結果、求めるものを得られなかった。そのため、退却できない。同じ戦略を繰り返すことも、質や規模やリスクの劣る戦略に立ち返ることも不可能だ。

先へ進み、これまで以上に頭脳と度胸と危険を必要とする作戦を実行するしかない。

物語のなかでは、言動の中核に基づいて転換点が訪れるたびにヒーローがより強い意志の力を求められ、より大きな危険にさらされ、

より深さと幅と影響力のある行動に移す以外の道を絶たれて、対立や葛藤が深まっていく。

ヒーローが多くのことを達成しようとすればするほど、道は険しくなる。』


『重大局面――ヒーローによる究極の選択

ストーリー全体にわたるアクションの連続を通して、ヒーローは被害者を救おうと奮闘し、作戦をつぎつぎ練りあげるが、その作戦はますます困難で危険なものになったいき、やがて最終決戦に至る。

悪役の持つ最強の武器と対峙し、狙いをつけられたヒーローは、最後に行動を選択しなくてはならない。それが重大局面だ。

あともどり可能な地点はすべて過ぎ去り、ありとあらゆる策を試みたがことごとく失敗している……たったひとつを除いて。

このシーンで、観客や読者の頭のなかに究極の問いが浮かぶ。このヒーローは、はたしてヒーローと呼べるのだろうか?

ここまでで最大の重圧のもとでその問いに答えるためには、アクション作家はきわめてすぐれた創造力が求められる。

ここでどんな行動を選択するかによって、ヒーローの勇気、高度な技術、重圧に負けない冷静さ、そして何より大切な自己犠牲の精神が表現できるかどうかが決まる。

アクション作品における重大局面は、ヒーローの行動規範に対する試練である。はたして他人の命のためにみずからの命を犠牲にするだろうか、と。

アクション作品のストーリーの大半で、重大局面でなされる究極の選択は最終局面における緊迫感を高め、クライマックスの引き金となる。』


やはり時系列で見て、どんどん状況が悪くなっていく、というのがないと中だるみというかダレちゃいますよね。


『アキレス腱問題

自分の個性を生かし、仕掛けに頼らない戦術によって強者を出し抜いたり圧倒したりする弱者を生み出すことは、アクション作家にとってこの上なくむずかしく、

だからこそ最も創造力を刺激する試練だ。

非常に多くのアクション作品がこれに失敗し、アキレス腱問題が生まれた。

一九三八年のスーパーマン誕生以来、スーパーヒーローが人気を博し、同時にスーパーヴィランが台頭したことで、特にファンタジーの形式ジャンルでは、脆弱さと耐性の問題までもがスーパーになった。

ファンタジー作品の悪役は、生死に対して絶対的な力を持つことが多い。このような鉄壁の守りを、ヒーローはどうすれば崩すことができるのか。

この難局を切り抜けるため、一部の作家はホメロスの解決策を見習って、悪役にアキレス腱、つまり隠れた致命的な弱点を持たせる。この戦術を採用すると、作家は正解のないジレンマに陥る。

クライマックスで悪役のアキレス腱を突然登場させてヒーローを救えば、語り手はこのジャンルで最も悪名高い罪を犯すことになる――すなわち、機械仕掛けのデウス・エクス・マキナ頼みの結末だ。

一方、致命的な欠点を物語の早い段階から登場させると、観る側は遅かれ早かれそれに気づき、だれかが悪役のスイッチを切るのを待ち焦がれる。

そして、ようやくそれがかなっても驚きはせず、予想どおりの結末に腹を立てる。

「このあとどうなるのか」という問いの答がより簡単に、より早く見抜けるほど、物語に対する満足感は減っていく。

(中略)

悪役に弱点がないとき、作家は役柄の内面を見つめ、だれも予想しなかった――しかし、ひとたび明かされれば、つねにそこにあったと気づく――特徴をさがすことになる。

その特徴は一見強力でありながら、ヒーローがそれを利用して優位に立つ方法を知ると弱点に変わる。

ヒーローにとっても作家にとっても、これを見つけるのはむずかしい。

貧弱な悪役は貧弱なヒーローを生み、これらがそろうとストーリーも貧弱になる。

犯罪物で完全犯罪を解決することが大きな課題となるのと同じで、アクション作品では不死身の悪役を倒すことが大きな課題となる。』


じゃあ、どうやってピンチから逆転すればいいんですかってことになるのですが、アキレス腱(敵の弱点)をあらかじめ設定しておくと読者にはすぐに見抜かれちゃいますからね。

長所と短所はコインの表裏とよく言われますので、悪役のストロングポイントを逆手に取って、みたいなのですかね。

最初の「悪役の計画」と最後の「逆転する方法」、を捻り出してからじゃないと、書き始めてもほとんどが無駄になりそうです。


教え5:価値要素は「生/死」で固定し、主人公が本当に死んじゃうかも、っていう展開にする。敵を強大にしてどんどん状況を悪くする。読者が予想しないような逆転の方法を考える。


〇まとめ

教えを抜き出してみました。

1、タカウジ将軍の計画は強大で完璧、かつ迷惑なものとする

2、ゴダイゴを「善の中心」、利他主義かつ弱者に設定して読者に共感してもらう

3、クスノキ(被害者)は脆弱に設定し、活躍しないように、かつ好感は持たれるようにする

4、読者がタカウジ将軍に反感を持つように、冷酷かつ利己主義に設定する

5、価値要素を「生/死」にして、ゴダイゴに死のピンチにたびたび合わせ、読者に興奮してもらう

6,クライマックスの逆転方法は読者の予想を外し、かつ破綻の無いものを思いついておく

……実際にどうするかは、別の日に考えよう。


おや、APさんからメールだ……

またボツ? 読まれもしないどころか、まだ送ってもいないのに!


などと書いてみましたが、言われてみれば当たり前のことのようにも思えました。

その当たり前ができてないから行き詰まっているんでしょうね。

センキュー! ロバート&バシム!

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