第四話 御嶽の森
東京都町田市の小高い丘の上にある「白鷺データサイエンス大学付属中学校」の南側には広大な森がある。
小中高大学一貫教育のこの学校は広大な森に囲まれた自然豊かな環境にある。
普段なら生徒たちがこの森の入り口辺りで昼ご飯食べたり、木に登ったり、リスやウサギなどの動物を探したりして遊んでいる。
夏にはセミやカブトムシ、クワガタムシなどもいるし、小川にはトンボの幼虫のヤゴや小さな魚やメダカも捕れたりする絶好の遊び場になっていた。
が、今、その学園の南側は無数の御嶽が存在する神々が降臨する危険な聖域の森と化していた。
御嶽というのは琉球神道における祭祀などを行う聖地で、神話の神が来訪する場所である。
具体的な見分け方としては神が降臨する石舞台のような石を中心に聖域になっていて、近づくにつれ、何となくゾッとするような感覚が強まる。
沖縄の聖地の神々は本来、人間にとって怖れ敬う物であって、神社にいる何か願い事を叶えてくれるような無害な存在ではない。
例えば、岡山県の一宮の吉備津神社では温羅という鬼の首が封印されているお釜殿という施設があり、その竈の地中深くに埋められた鬼の首は十三年間、うなり声を上げて鳴りやまなかったという。
温羅を討伐した第七代孝霊天皇の第三皇子で四道将軍のひとりである吉備津彦命(本名は五十狭芹彦命、桃太郎のモデル)の夢の中に、ある日、温羅が現れて、温羅の妻の阿曽媛にお釜殿の神饌(神に捧げる米などのお供え物)を炊かせるよう告げたという。この事を吉備の人々に伝えて神事を執り行うと、うなり声はようやく鎮まった。
その後、その逸話は米を炊いた釜の鳴る音で吉凶を占う吉備津神社の鳴釜神事となる。
この祟りにより吉備津神社の格はどんどん上がって行き、最高位の一品にまで登りつめた。
豊前国の宇佐八幡の大神(八幡神)に対して一品、その比売神(卑弥呼説もある)に対して二品が授けられた例がある。
平安時代末期に編まれた歌謡集である梁塵秘抄には「一品聖霊吉備津宮、新宮、本宮、内宮、隼人崎、北や南の神客人、丑寅みさき(温羅のこと)は恐ろしや」と詠まれ、京都の朝廷の人々にも非常に怖れられていたことが分かる。
温羅が『丑寅みさき』と呼ばれてる理由は、吉備津神社の外陣(神社本殿の外側)の丑寅(北東の鬼門)の方向に小さな祠があり、温羅が祀られているからである。
そこには大きな鬼の仮面が祀られてるが、角のない穏やかな面となっている。
他の四隅の方角の祠には弟の王丹や妻の阿曽媛、吉備の海部(中国などと交易もしていた吉備の海軍)なども祀られている。
もちろん、内陣には天皇家の皇子の吉備津彦命やその手下の犬飼氏などが祀られているのだが、桃太郎の原型となった温羅伝承では温羅は百済の皇子だとされている。
鬼には金棒が付きものであるが、吉備の国に製鉄、造船技術、果物栽培や備前焼などの鋳物の技術などをもたらしたのは、百済の皇子の温羅だった。
そして、岡山県吉備の国には各地に『丑寅御崎神社』『御前神社』と呼ばれる温羅を祀ってると思われる神社が多数ある。
『御前』は『御前』とも読め、温羅の別名の『丑寅みさき』と重なる。
現代では『うらじゃ』という岡山県吉備の国の夏祭りの踊りが盛り上がってるが、主役はあくまで吉備冠者と呼ばれてる温羅である。
そう、本来は神という存在は、まず怖ろしいものであり、その災厄を祀り上げる事によって無害化する場所が聖域であり、神社もそういう目的で作られる事が多い。
つまり、怖ろしいものを封印する結界である。
「その怖ろしい神々のいる聖域である御嶽を足で蹴って、どんどんスピードを上げてる怜ちゃんは校則違反じゃないの? それともスピード違反かしら?」
先頭を行く黒鉄美里が涼介に訊いてくる。
確かに、橘怜は凄い速さで森を駆け抜けていて、しかも、所々に出現する聖域である御嶽の結界の反発力を利用して、更に加速するという奇想天外な方法で坂本君救出の道を急いでいた。
まあ、非常時だし大目にみたい。
「……でも、ベアトリス先生は聖域の『御嶽に入ってはダメ』と言ってましたが、結界の反発力を利用して加速するなとは言ってなかったし、ギリギリセーフでしょう」
「いや、涼介、大丈夫じゃないでしょ。校則的にはそうかも知れないけど。どう考えても、後で祟られるパターンじゃん」
千堂薫もそう言いながら、すでに数十の御嶽を蹴りまくっていた。
怜が速すぎるので、追いつくために仕方なく真似してるのだが、美里も涼介も御嶽を蹴るのがどんどん上手くなっていた。
「御嶽キックと名付けましょう。もう、一回蹴ったら、何回蹴ってもどうせ祟られる。毒を食らわば皿まで、死なばもろともよ」
美里は思いっきりよく言い切った。
いや、あんたが最初に蹴ったのがきっかけだし、いやいや、そもそも怜ちゃんが蹴り始めたんだっけ。
死ぬの前提なのはだめでしょ。
生き残らないと。
「―—キムジナーのアジトの木みたいね」
美里がいつのまにか立ち止まっていた。
森が急に開けていた。
そこには巨大な古い捻じ曲った大木が聳えていて、鳥が翼を広げるように無数の枝が左右に伸びて、葉が揺れていた。
おそらく、沖縄によくあるガジュマルの木だと思われるが、根や枝は複雑に曲がりくねった血管のように見える。
まるでそれは巨大な生き物のようにも見えて、葉や枝が擦れ合うような音だけが聴こえて、肌をなでる微風が吹いていた。
わずかな木漏れ日はあるが、深い闇のように静かに巨木は佇んでいる。
「怜ちゃん、結界よ。すぐに踏み込んではダメよ」
薫が警告する。
が、沖縄の野生児である怜は何のためらいもなく結界に入っていく。
勝手知ったる沖縄の御嶽の森とはいえ、自由すぎる性格に涼介的には勘弁してほしいと思う。
「キムジナー! 坂本君けーしぇー」
意外に大きな声で怜は叫んだ。
結界の聖域にどんどん踏み込んでいく怜であるが、沖縄弁なのでたぶん、「キムジナー! 坂本君を返しなさい」と言ってると思われる。
何となく雰囲気は伝わってくる。
赤い無気味に光る目を持った子猿のようなキムジナーが一斉に、巨木の枝のあちこちに現れた。
数十匹、おそらく、三十ぐらいはいるだろう。
髪はやはり赤く毛むくじゃらで、小学生の低学年ぐらいの大きさだが、何となくイメージしていた可愛さはあまり無かった。
むしろ、薄暗い森のなかで赤い目だけが怪しい光を放ち、魔物か妖怪の類なのは確かだ。
今にも飛びかかってきそうな殺気に近い唸り声を上げて、キムジナーの敵意が波動にように伝わってくる。
何となく気配が尋常ではない。
「キムジナー! 坂本君けーしぇー」
今度は美里が怜の真似をして叫ぶ。
美里も巨木の結界を踏み越えて、ゆっくりと怜の近くに歩いていく。
赤毛のキムジナー達を刺激しないような絶妙で自然な歩法で近づいていく。
美里は生粋の剣の民の黒鉄家ゆえに、武道や体術に優れる。
常に最前線で戦う事を好む。
今回は橘玲の快足で先行を許してしまった事に悔しい思いがあるのか、転校生を守ろうと危険な聖域に足を踏み入れていく。
キムジナー達は敵意を放ちつつ、決して襲いかかるような様子をみせない。
何かを待ってるように、統制のようなものがあった。
「これはマズイよ。何か出てくるね」
薫は何か感じ取ってるようだ。
薫は勾玉の民の父親と鏡の民の母親を持つ。
どちらかというと、呪術系の能力に秀でている。
千堂家は勾玉の民の筆頭の安東、安堂家に次ぐ名門の家系である。
涼介も勾玉の民の家系だが、少し剣の民の血も混じっている。
が、未だにそんな武術の才が発現する様子はなく、薫や美里のように強い戦闘力や呪術がある訳ではない。
勾玉の民の本領は先読みや作戦指揮能力だと言うが、それも雲を掴むようなものであり、具体的な力としては実感できない。
下手をすると、薫の能力の方が高いぐらいで、涼介自身の強みははっきりしない。
そこが涼介の悩みどころだが、いつかはその事を乗り越えなくてはいけないと焦りだけが募っていた。
その時、結界がわずかに揺れて、巨木の奥から熊かと思うような大猿が現れた。
その体毛は黒く、邪悪なオーラを纏っていた。
「黒いキジムナー。とても悪い精霊です」
橘怜がつぶやいた。
美里は怜の隣にたどり着く。
緊張と沈黙で時間が止まったように思えた。




