表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/4

第四話 愛する私の頭脳へ

 その日、王宮で開かれた舞踏会には多くの貴族たちが参加した。

 当然モリアーティとホームズも招かれている。

「モリアーティ嬢!」

 不意に高らかにモリアーティを呼んだのは、会場に姿を見せた王太子だ。

 そのそばにいつもいるあの男爵令嬢がそばにいない。

「我が婚約者殿。どうか一曲ダンスを」

「お断り致しますわ。

 殿下のお心はもうわたくしにはないはず。

 よく存じておりますわ」

「そ、そんなことはない」

 目の前に参じたモリアーティの言葉にカイルは顕著に狼狽えた。

「あら、どうしまして?

 先日、わたくしを恋しい方の殺人を企てたと冤罪を向けてきた方が」

「あ、あれはわたしが間違っていた。

 わたしが見ているのはそなただけだ。

 どうかわたしに変わらぬ愛を」

 うわー、嘘くさい。と思った矢先だ。

 わざとらしい拍手が響いて、視線を向けるとホームズがこちらに歩いてきていた。

「見事な手のひら返しだ。

 よほど侯爵令嬢を奪われたくないと見える。

 いや、奪われそうなことに気づいたから慌てて取り返しに来た、か?」

「なんだ貴様、口の利き方をわきまえろ!」

「お断りする」

「なんだと!? 子爵令息が偉そうに」

 ああ、他人に奪われそうになった婚約者が今更惜しくなったんですね。

 まあ察していたけれども。

 カイルに疎ましげな目を向けられたホームズはやれやれとため息を吐いた。

「私は昔からその貴族の階級意識とやらが嫌いでね」

 そう心底という口調で零した。

「彼に近づくにも苦労したよ。

 なにしろ中流階級の私には、貴族の彼にはなかなか近づけなかった」

「なにを言っている…?」

 彼、と言われてはカイルには誰のことかわからないだろう。

 まあ、前世の私のことなんだが。

「だが私のほうが長く彼を見つめてきた。

 長く彼を想ってきた。

 私のほうが、想いが深い」

 そう真摯に、というかいっそ恐ろしいほどの執着心を覗かせてホームズは決め顔で告げた。


「私はモリアーティ(の頭脳)を愛している。

 命を懸けても、国に喧嘩を売ってもだ。

 君にその覚悟はあるかね?」


 今、副音声で「頭脳を」って言った。「頭脳を」って言った!

 そう叫びたいモリアーティである。

 やっぱりこいつ脳味噌にしか眼中がない!

「へ、減らず口を」

 しかも気圧されるな王太子! 真実の愛とか思うな!

 そいつの目当ては脳味噌だけだ!

 そう内心叫ぶも、ホームズはこちらに優雅な所作で手を差し出してくる。

 貴族の子女たちが黄色い歓声をあげた。

「モリアーティ嬢。どうか私にひとときの寵愛を」


(ホームズの手を取るのは悪手。だが、あの王太子の絶望顔が見られるのは良いね)


「喜んで。ホームズ様」

 まあそれに、断ってもこいつ諦めないだろうしな、と内心思ったので。

 そのままホームズの手を取って、音楽に合わせて踊り始める。

 それを見て周囲の貴族たちがほう、と感嘆の息を漏らした。

「なんてお似合いの美男美女」

「これぞ本当の身分差のロマンスだわ」

「あのホームズ様のモリアーティ様への深い愛情の言葉」

「素敵でしたわ」

 口々に囁かれる言葉に、カイルが悔しげに顔をゆがめる。

 ああ、いい気分だ。いや、ホームズに距離を詰められているのは全く穏やかじゃないけども、などと考えていたわけですが。




 ホームズがモリアーティと一曲踊った後、一度会場から席を外した。

 その後を追いかけてきたのは王太子カイルだ。

「お前!」

 長い廊下、呼び止めたカイルをホームズは真っ直ぐに見つめ返す。

「本当に国に喧嘩を売る気か?」

「そのつもりです」

「そ、それほど彼女を愛しているという気か」

「ええ、その言葉に嘘はない」

 ホームズの言葉に迷いはなかった。

「たとえどんな困難に襲われようとも、命を狙われようとも、私は彼女(の頭脳)が欲しい。

 彼女のあの優れた頭脳を、才能を、私は尊敬しているのだから」

 その真摯なまなざしを受けて、カイルの瞳が揺らぐ。

「…わたしは、彼女の優れた頭脳に嫉妬していた。

 わたしより優れた彼女の隣に立つのが恥ずかしかった。

 …そなたにはそれがないのか」

「ない。あり得ない」

 だがホームズは凜とした姿でそれを否定する。


「なぜなら、私たちは同じ高みで、唯一互いの頭脳を理解しあえるのだから。

 そして、互いの不在は、それこそ世界が灰色になったと錯覚するほどに虚しいものだろう」


 私は一度、その虚しさを味わったのだから、と言外に続いたホームズの言葉にカイルが息を呑んだ時だ。

 不意に感じた殺気に、あらかじめ予測していたように素早くホームズは動く。

「危ない!」

 そう叫んで目の前のカイルを庇うように倒れ込む。

 瞬間、廊下の硝子が割れる。狙撃だ。

「ご無事ですか?

 王太子殿下」

「お前、命がけでわたしを…」

 カイルはひどく驚いて、不意に思い出したように呟く。

「皆、王太子だから媚びへつらうだけで本当のわたしを見ているものなどいないと思っていた。…そんな中、彼女だけが本当のわたしを見てくれていると思ったんだ。

 そうだ、彼女だけが…」

 そうだね。私、君が王太子とか正直どうでもよかったもんね。

 ホームズを倒すことしか眼中になかったからね。

 不意に立ち上がったカイルがふっと微笑む。

「残念だが、認めざるを得ないな」

 そう、晴れやかに告げた。




 カイルが会場に戻った後、ゆっくり歩み寄ったモリアーティを見て、ホームズは笑って、

「セバスチャン・モラン大佐の狙撃に遭ったよ。

 君の差し金かな?」

 と言った。

「さあ」

 とりあえずそれにはとぼけておく。

 まあモランの狙撃なんだが。

「うまくやりましたわね。

 自分への狙撃を殿下への狙撃と見せかけ、殿下に自分を認めさせる。

 人を騙すのがお得意なことで」

「私に人の心がないと言ったのは君だよ」

「覚えがありませんが」

 しらばっくれたモリアーティに向かい合って、ホームズは真剣な表情で告げた。

「忘れたふりはやめたまえ、モリアーティ教授。

 いい加減、嘘の仮面は剥いで私と向き合うんだ」

 その声は切実で、必死にも思えた。

「私は君に会うために生まれ変わった。

 君のいない世界はつまらなかったよ、教授」

 そうホームズは真摯に言う。だがアイコンタクトでわかってしまった。


(君の脳味噌がない世界は色褪せていた!)


 こいつそう思ってる!

 やっぱり脳味噌だけが目当てかい!



 その頃、王宮から少し離れた時計塔からホームズを狙っていたモランは困ったように顔を上げる。

「どうしたの~? もう狙撃はやめ?」

「いやぁ、ホームズ。あいつ本当に教授の脳味噌にしか興味ないんだなって思って」

 特別製の銃を用意したヘルダーの言葉にモランは苦笑する。

「なんていうか、下手な男に教授をくれてやるよりは、あの男のほうが教授は安全かなあと思って。主に貞操が」

「まあ、脳味噌にしか愛を囁いてない男は安全だろうねえ。貞操は」

 などと会話する一幕があったとか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ