#1 目覚め
「やっと、目を覚ましたのですね。」
貴女は誰?
聞き覚えのない女性の高く綺麗な声が脳に響く。真っ白な水辺線のように続く夢境の中央にあるキングサイズの白のベールが宙を浮いて、ベッドを覆う。そんな夢境で長いこと、私はベッドで眠り続けていた。目覚めることの無い夢境には、誰にも踏み入れることが出来ない…はずだった。夢境の中で女性の声が私の脳に響いていた。その声は私に語り掛けてくる。
「貴女様の内に眠る呪い…その力があれば、凶悪な死神の呪いを根絶することが出来ますのです。」
ゆっくりとした口調で余りにもゆったりと喋るものだから…睡魔が私を襲ってくる。ベッドの上で座って、話を聞いていたが…首が体がゆらりゆらりと揺れてしまう。
「貴女様の……って、ちょちょ!話、話聞いて〜!!」
そして、暫くすると…ベッドに倒れてしまう。目が、瞼がゆっくりと降りてくる。そんな間に、女性の声が段々と騒がしく大きくなってくる。その声が脳に大きく響くものだから…眠ろうにも眠れない。けれど、眠気は構わず襲ってくる。
『ん…うるさい……』
思わず、そう言葉を零すと女性の声はより一層騒がしくなる。
「あー!!今、今うるさいって言ったね?酷い!上司にも、まだ言われたことないのに!!あ〜…もう!このまま貴女と夢境を介して話してたら、話が進まない!もう、もう起こしちゃうからね〜だ!!起きてから、なんとか連絡するから…その時!その時はぜーっっっったい!話、聞いてよね!!!」
そう言うと、瞼で薄く細くなった視界いっぱいに眠気を強引に吹き飛ばすような眩しい光が埋めつくした。
目を覚ますと、そこは小さな木の小屋。苔と草木のツルが伸びて、小屋の壁や屋根を伝って伸びていた。そんな建物の中に1つ、ボロい木製のベッドの上に私は眠っていた。ベッドから降りて、立ち上がろうとする。けれど…長年夢境で眠り続けた私の現実の体は衰弱し切っていた。ベッドから落ちて、地面に倒れてしまう。その時だった。地面に自身の頬が当たる直前、冷たい風がふわりと吹いて私の身体を持ち上げた。宙に身体が浮いて、そのままゆっくりとベッドの上へと戻される。その風には微かに魔力の小さな粒子が見えた。風魔法…それは私が発動したものではなく、確かに私以外の誰かのものだった。私以外の誰かが、この場所に居る。
そう思った矢先に壁の奥の方から足音が聞こえた。特徴的な硬いものと硬いものがぶつかり合う、カツカツという足音だ。暫くすると、変わった服装と変わった仮面を着けた小柄な少年?青年?が…壁の先から現れた。彼は私を見るなり、こちらへ1歩と近付くと私をジッと見て言った。
「…ほんまに目覚めとるとはなぁ……ちっとは信頼せな、あかんみたいやなぁ。」
そう言って、頭を搔いた。私も彼をジッと見つめていると…此方へ近寄ってきて、しゃがむと私の顔を見て言った。
「歩けない以外に体に支障は?」
そう言われて、突然の事に驚きながらも手を少し動かしてみたり、頭を左右に振ったり…色々してみる。すると、自分のお腹の辺りから小さな音が聞こえた。その音を聞いて、今…自分は空腹なのだと気付いた。
『多分…ない、と思う。強いて言うなら…お腹、空いた…かも……』
私が言うと彼はそうか、とだけ言うと右手の指先でパチンと音を鳴らす。すると、彼の背中の方から黒い影が私と彼の間に集まってきて…それは次第に形を成していく。暫くすると、形が見えてくる。そして、形が完全な物になると物が形通りのそのものになった。形を生したもの…それは、宙にふわふわと浮く大きな箒だった。
「今日から、あんさんの相棒になるもんや」
そう言って、また突然吹いた風の流れに流されて私は箒の上に座った。私が座っても、全く高さが低くなったりすることはなく…安定して宙に浮いているこの箒は、恐らく魔道具の1種であろう。これほどの大きさで更に宙に浮くとは、かなり腕利きの職人が手掛けた良い物だ。それに…僅かに見える魔道具の中にある光の道筋。それは、魔力の流れ…魔力回路と呼ばれる魔道具に必ず存在する構造。その魔力回路に流れる魔力がかなり特殊だ。この光は…いや、そもそも…余りの暗さに本当に魔力の光なのかと思うほどだ。黒?いや、薄らと青みを帯びているようにも見えるような…光、輝く、どころか底知れない闇のように見えた。こんな特殊な魔力は見たことがない。だが、微弱ではあるが自身の持つ魔力とこの特殊な魔力が共鳴しているような気がした。
「魔力操作は出来はる?」
魔力操作、それは体内にある血液と共に流れる魔力というエネルギーを体内で循環させたり一点に集中させたり…体内に放出したりと操作する。魔法を使うに当たって、必ず必要になる基礎中の基礎だ。魔力操作は魔法の初歩中の初歩で、例えるとするならば歩行…歩くという動きのようなものだろう。魔法を使うにはいくら単純だとしても…必ず、魔力操作が必要になる。魔法を使える人類にとっては、歩くことと同じような行為だ。だが、魔力操作も…人とさほど変わらない。長いこと行っていなければ、足の筋肉は衰弱し、力は弱くなる。魔力操作も同じく、数年数十年…それこそ、数百年と行っていなければ、突然魔力を操るのは困難だ。だが、魔力操作もいうのは…さっきから言っている通り、基礎中の基礎であり、初歩の初歩だ。いくら筋肉が衰弱していようとも…リハビリ、補助があれば、手遅れでなければ、いずれは歩けるようになるし…道具や他の力が働けば何かしらの効果は得られるものだ。魔力操作も同じで、1人では衰弱し切ったものを何とか出来なくても、外部からの力があればきっと…なんとかなるだろう。その外部の力…それは目の前に居る彼しか居ない
『補助、してくれれば……』
私がそう申し出ると、暫く黙り込んだまま…2人の間に静かな時間が流れる。お互い、目の前の彼は仮面越しに私は細目でジッと見つめ合い続ける。
暫くすると、彼は溜息を着きながらも渋々と言った様子で自身の右手を覆い隠す黒の革の手袋を左手で外しながらポツリと零すように言った。
「…まぁ、あんさんも大罪人やし…問題あらへんか。」
その、小さく零れたような言葉が妙に引っ掛かった気がした。彼の露になった左手は陽の光を知らないような、雪のように白い。その白さの中に黒の痛々しい割れ物に刻まれたヒビのようなものが指先に広がっていた。それの縁を沿うように白い肌でよく目立つ紫が広がっていて、それがより一層痛々しい印象を思わせる。そのヒビのような痛々しい痕には所々、肌色が欠けて先が真っ暗な深淵のようになっていた。この痕は一体…そう思っているとその左手の手の平が私の前に広げられた。
「これはただの傷跡みたいなもんや。あんさんに移ったりはせえへんから…」
別に移るだとか、伝染だとか…そんなことは思っていなかったけれどわざわざ言うだなんて…彼はきっと、私が驚いてるのを見て配慮してくれたのだろう。それに本当に補助をしてくれるとは、思わなかった。彼が私をどう思っているのか、何故私が目を覚ますことを知っていたのか…それは分からないが、会ったばかりの相手にこうもする必要はないだろうに…きっと、これは彼の優しさの一部なのだろう。お言葉に甘えて、彼の手の平に自身の右手をそっと乗せた。
乗せてから、少しすると彼の手からひんやりとした冷たい感触が伝わって来た。それは少しずつ強くなって、魔力が私の手から体内に入って行くのを感じる。これは珍しい…冷たい水のような魔力だ。魔力というのは、生物にとっては体内に流れる血液と同じようなもので…体内の温度と同じように暖かいはずなのだが、彼の魔力は異常に冷たい気がする。まぁ、冷たいと言っても…ひんやりとした心地良い冷たさだけれど。なんて、ことを考えていると不意に話しかけられる。
「魔力操作、出来そうか?」
『あ…うん、もう出来る』
何時の間にか数分間ずっと、魔力を貰い続けていたことに気付いた。もう既に彼の魔力が私の体内の魔力回路を回っていて、それを追い掛けるようになぞるように魔力を感じることで魔力操作が格段にしやすくなる。これなら、もう魔力を自在に操作出来るだろう。
「ほな、魔道具の操作はもう出来るやんな?」
その言葉に頷いてから、私は箒に両手を添えて手の平から魔力を流して…黒っぽい魔力を押し出すように私の魔力で魔道具の中を上書きした。それによって、箒の操作権が私に移って私が好きなように操作出来るようになる。それが出来たら、彼は自分に着いてきて欲しい、まずは森を抜ける…と言って歩き始めた。行く宛ても断る理由もなく…その背中を追い掛けるように私は着いて行った。
数時間後、着いたのは城壁に囲まれた冒険者の都と言われる…ロドリアという都市だった。その都市に入るのに、身分証が無い私は彼に料金を代わりに支払って貰って…中に入ることが出来た。都市の中へと入って、案内されたのは1つの冒険者御用達の小さな宿屋だった。その宿に裏口から案内されて、中に入るなり…桃色髪をしたエルフの女性が居た。その人と彼が話をしているのを横目に建物の中を見渡していたら、エルフの女性の大きな声と共に…何故か、彼が床に正座させられていた。
それからというもの…私も何やら質問攻めにあってから…今は、そんな状態から暫く経っていた。
「行くなら、一声掛けてからって…いつも言ってるよね?」
そんなエルフの女性に叱られ、彼はただ無言で正座し続けていた。こんな状態がもう30分も続いている。そろそろ、流石にもう良いのでは…そう思い始めていた時だった。奥の扉から、少し疲れた様子で腕を回しながら入って来た大柄の女性が止めに入ってくれた。
「もう、その辺にしておけ。勝手にふらっと行方を眩ませて、忘れた頃に帰ってくる…そんなの何時ものことだろ?」
「バーゼル…でも〜」
バーゼルと呼ばれた女性にしては、大柄で鍛え上げられた筋肉を持つ女性はエプロンを身に着けていて、どうやら宿の経営者のようだった。不貞腐れたような様子でエルフの女性が何かを言いかけると、それを遮るように言った。
「いい歳して、でも〜とかなんとか言ってんじゃないよ。アタシより年上の癖によ…」
その言葉にさっきまで、黙り込んでいた彼が顔を少し上げて追い打ちをかけるように言った。
「8000歳が言い訳は見苦しいちゅうことや。」
その言葉にエプロンを着た宿主は片手の拳を握り締めて、上に上げる。彼の方に近付くと、力強く頭に拳骨を食らわせた。それはまるで、ゴツンと大きな音が聞こえたような気がした。それを食らった彼はというと…そのまま頭を抱えるように横に倒れた。
「あんたは、余計なこと言ってんじゃないよ。黙って反省しな!2人共、どっちも反省しな!ほら、返事は?」
その言葉にエルフは不貞腐れたまま、納得いかない様子で返事をする。
「はーい…」
一方、倒れて未だに頭を抱えた彼は小さな声で何かを呟いてから返事をした。
「足、痺れて立てへんなぁ……あ…はい。」
そんな2人の様子に溜息を付いて、頭を抱えたように困った顔をしてから。宿の方が落ち着いたから、と私達3人を奥の方へと案内してくれた。
案内された先は宿の入口側にある食堂兼受付のような場所で、カウンターの椅子に座るよう案内されると、もう昼食の時間だから…と言って、食事を用意してくれた。食事を終えると、甘い飲み物を飲みながら…改めて、話をすることになった。
「アタシは、クネア・バーゼル。見ての通り、この宿の店主で元A級冒険者さ!」
クネア・バーゼル。数年前まで、現役のA級冒険者として名を馳せていた上級冒険者。今は倒産寸前だった宿、花の蜜を引き継いで経営している店主。赤茶色の髪と冒険者時代に鍛え抜かれた筋肉と高い背丈は、彼女の宿主としてのエプロン姿に少々違和感を持たせる。
「んで…あっちで果物を食ってるのが、ハイエルフのカラン。」
親指を立てて、指し示された先では…カウンターの少し離れた所で木製のジョッキにワインを豪快に注いでは飲んでを繰り返していた。
「超絶可愛い美少女カラちゃんだよ〜!貴女、可愛いね〜!私の次に!」
そう言って、また豪快にジョッキを持ち上げて口にした。カラン。森に住まう高い魔法適用体質と魔法技術に美しい美貌を持つ種族エルフの更に上位のハイエルフ。そう言った特性を持つ種族だと言うのもあるだろうが…彼女の容姿はまさに美貌と言えた。特に桃色の長い髪は器用に細かく、アレンジがされていて可愛らしい。
「で…そこでカウンターからさりげなく、酒の瓶を取ろうとしてるのが…イルベト。」
次に親指で指し示されたのは、カランが居る場所のもっと左…カウンターの中だった。そこには、言葉通り、しゃがんで下からゆっくりと手を伸ばす手がカウンターから見えていた。
「気配、消してたはずなんやけど…」
名前を呼ばれたことで観念したのかと…立ち上がった。立ち上がるなり、当たり前のように棚にあるいくつかの酒の大きな瓶を左手に掴むと目線を此方に向けたまま、右手も棚にある大きな瓶の方へと伸びて行く。
「お前は……酒飲むなって、何時も言ってんだろうが!」
右手が瓶に触れた時、何時の間にか目の前に居たバーゼルは居なくて、彼…イルベトの背後に立っていた。その瞬間、またまたゴツン!と大きな音が聞こえたような気がした。その音と共にイルベトはカウンターの下へと隠れるように倒れ込むが、容赦なく首根っこを掴まれて、そのままカウンターから出されては私の前へと吊るされるように連れてこられた。そのまま、隣の椅子に落とすように座らせられると…バーゼルが続けて言った。
「で、あんたに用があるのはコイツ。」
そう言って、目の前に座る彼の方を親指で指さした。イルベト。ここら辺では珍しい東洋の服装をした少し小柄な少年で、ゴールドの綺麗な金髪がよく見立つ。さっき、目覚めた時に見たが手は黒の革手袋で隠れていて…その中の手の指先は何やら不穏な痕のようなものがあった。そして、顔を東洋と同じような雰囲気の仮面で隠しており、素顔が上手く見えない。仮面とその珍しい東洋の装いが不思議な雰囲気を醸し出していた。
「あんさんに協力して欲しいねん。呪いを……終わらせるために」
そう、真剣な雰囲気でこちらを見て言った。だが…何時の間にか、彼は何処からかさっき手を伸ばしていた大きな酒瓶を手に持ち、今にも栓を開けようとしていた。
「…お前、酒から一旦離れろ!!!」
バーゼルの大きなその声と共に、本日3回目の大きなゴツン!という音が鳴った。