第5話 鵺は花嫁を重愛している・前編
『鵼は深山にすめる化鳥なり。
源三位頼政、頭は猿、足手は虎、尾はくちなはのごとき異物を射おとせしに、なく声の鵼に似たればとて、ぬえと名づけしならん』
『今昔画図続百鬼』より引用「鵼」
鵺、鵼、恠鳥、夜鳥、奴延鳥は、日本のアヤカシで、『古事記』『万葉集』では『夜に鳴く鳥』とされその声は不吉で凶鳥とされていた。これは中国の『山海経』に記されている白鵺という想像上の鳥と、別の想像上の怪鳥である鵼を日本では同一視して「ぬえ」と呼んだのではないか。
曖昧模糊な恐怖を、魑魅魍魎や鬼として名を与えて、形作って押し込めていったように鵺もまた人の、政治の、それらのモノによって作られたアヤカシなのではないか。
陰陽道と仏教など様々な術式や方位を駆使して、人の都合によって作り上げ、仕立て上げられた悪役。あるいは害悪を滅するためだけに作られた、式神寄りのアヤカシ。
そう自分のルーツを考えるが、小生が明確な答えを知っているわけもなく、深淵書庫にまた一冊、自分のことを書き連ねた物語を納める。
小生が何者なのか。
それを問うて、真っ直ぐに答えたのは、幼かった少女だ。存在そのものが消えかけた小生に、歴代の鵺と異なる役割を望んだ愛しい人。
「鵺様は私を守って、私の傍に居てくださる方です。私は……鵺様の花嫁になるのですから!」
そう臆面も無くはっきりと言った娘の名は、月見里栞という。小生の愛おしい花嫁。
幼い頃から可愛いくて、愛おしくて、傍にいるだけで救われる。
山神を祀る氏子であり、幼くして【清浄の巫女】の称号を持った魂が清らかな娘で、巫女姫でもある。小生が生きることを望んだお人好し。
「栞……栞に会いたい……。この姿で会うのは数年ぶりになるか」
小生は『八酉神社』、八酉神社周辺の魔蟲掃討担当を担っている。そう遙か昔に縛られた──作られたと言うのが正しいだろうか。
帝都東京の隣の県に位置する狼都前玉の山奥、沱羽久町。
神々の血筋を持つ尊き神家が東国巡礼の際に、社地を囲む羽々岩山、戸羅法ヶ岳、去留取山、神域の森を賞でて『八酉神社』と名付けた。なんとも小生におあつらえ向きの場所である。
アヤカシは神の形骸化した存在であることが多く、元は精霊であったものも多い。何かが生じるとき、そこに何か元となるモノがある。
故に鵺もまた、時の権力者である武士を台頭させるための踏み台として、厄災という名の悪役を押しつけられた存在。
それを祀りあげて、魔蟲と戦うための役割を追加した。
見る場所、見る者によって姿を変える。それが鵺で、誰もが正確に小生の姿を捉えていなかったというのに、栞だけは小生が狼の姿であっても、虎であっても、蛇であっても、フクロウであっても、小生を小生だと気付いて声をかける。
「鵺様」と。
その小さい唇で、 黒糖のように美しい髪と、強い瞳。いつだって抱きしめる温もりは心地よくて、早く君を抱きしめて包み込みたい。
失った力を取り戻すまで、十年も掛かってしまった。
「(それでも、ようやく栞を娶れる。栞がいないと寒くて、つらい。早く会いたい……)栞……」
魔蟲討伐の援軍として、京都魔界に数年も駆り出されるとは思っていなかった。その上、百鬼夜行に出くわすし、報告と違い魔蟲大量発生と鉢合わせるなど、ふざけた事態に手を焼いた。
神祇審省も一枚岩ではない。後手に回ったことで、事態の沈静化に数年かかってしまった。
アヤカシとて魔蟲に取り憑かれれば、無傷ではすまない。あれは人だろうと、神だろうと心の隙間に入り込む。
(……胸クソな依頼だったな。栞に早く会って癒されたい)
ガタン、と車両が揺らいだ。
京都魔界から帝都東京まで、この鉄の乗り物に乗っていなければならない。列車の乗り心地は、馬車よりはマシだろうか。飛んで帰ったほうが早い気がするが、つくづく人の体は面倒だ。
ただ栞と一緒だったら、目をキラキラさせてすごく嬉しそうな顔をしただろう。
(栞と一緒なら……また乗ってもいい)
栞に会いたい。栞が圧倒的に足りない。いつもは獣の姿で抱きしめられているのだから、今度は小生が栞と同じ人の姿になって抱きしめて、包み込みたい。分身体から感覚共有されるが、実際に抱きしめたいのだ。
栞は元気だろうか。時間があれば栞のことを考えてしまう。それぐらい栞が大好きで、離れてしまっている分、妄想の中でも彼女を感じたい。
(京都魔界では栞にたくさんの土産を買えた。喜ぶだろうか。金平糖は昔から好きだったけれど、今回はチョコレートとキャラメル、カステラも買った。洋服も今回は良い物があったから、帰ったら着て貰おう。巫女服も愛らしいけれど、普段着も見たい……。それにペット用ブラシもオーダーメイドで購入した。栞に頼んで毛並みを整えて貰おう。毛並みを整えるのは伴侶の役目だし……)
「ご機嫌やな」
「……小生はたった今悪くなった」
「おや」
声をかけてきたのは、準神家の常春秋人だ。今回の【神々の末裔による花婿選び】では、次期神主候補として色々立ち回って貰うのだが、腹の底が見えない油断できない九尾のアヤカシだ。
ただ栞の現状を憂いて手を貸すと言い出したので、少しばかり信用できるかもしれない。何せ栞に大恩があるとか。狐であれば眷族あるいは、本人が助けられたのだろう。小生の栞は穢れて弱った御使いや、邪気まみれのアヤカシを癒してしまうのだから。
(今回の件で神祇審省や他のアヤカシの協力を得られたのは、栞の人徳がなせる技だ。栞は可愛いだけじゃなくて、優しい子だ)
「栞ちゃんの傍は居心地がいいから、はよ会いたいな。なんて言ったってアヤカシ界隈の姫様やし」
「……」
コイツ呪い殺してやろうか。そう殺意が芽生えたが、栞が悲しむ姿が浮かんで抑えた。あと一応協力者だし。
栞はもふもふしている獣が好きで、良く獣の姿になるアヤカシや精、御使いと戯れる。
(もちろん小生が一番だけれども!)
あのもふもふ行為によって、邪気や瘴気が浄化されるため今や栞はアヤカシ、神祇審省、精霊と神々から保護対象扱いを受けている存在だ。
それもあって今回の花婿選びでは、力になってもらっている神やアヤカシも多い。
「…………獣なら抱擁までは許可するが、人の姿でやったら殺す」
「おおきに。旦那さんが心の広い方でほんまに良かったわ」
(旦那……っ、良い言葉だ)
栞は浄化する力が強く、それゆえ五歳で巫女姫の称号を得た。神域の泉と栞がいることで、邪気や瘴気、魔蟲ですら浄化する力を持っている。
本来、邪気や瘴気を散らすことで精一杯な人の身とは、明らかに異なる能力。だからこそ守るべき存在だというのに、人は利権だとか権威だとかで大いに揉めた。
その結果、両親と母方親族が亡くなり、虎視眈々と神主の座を欲していた、叔父夫婦が神社領地内の宿坊経営を掌握。
もっとも書類上、山神の巫女姫となった栞を追い出すことは、山神の逆鱗に触れることとなる。だからこそ年に三カ月に一度は、審神者が訪れて確認を取っているほどだ。
不当な扱いをすることがないように審神者も念を押したというのに年々、栞の待遇は悪くなっていく。
九十九神の力を借りて、宿坊内に四畳半の部屋を用意。女郎蜘蛛に中居として潜り込ませて栞の生活面の補佐を頼んだ。逐一何があったかを木霊が知らせるようにしている。さっさと呪い殺してしまえば楽なのだが、原則として、アヤカシが人間に害を与えるのは禁止とされているのだ。
そう基本的には。
(だがそれも栞を娶れば一変する。妻を虐げる敵に対しては、正当防衛が認められるのだから)
彼女の叔父はそのことを理解はしていたが、実際に大した罰になるとは思っていないのだろうな。あの女将と従妹は、よく理解していなかったのだろう。だから虐げて、暴力を振るった。
(さっさと嬲り殺しに……いや生き地獄を味合わせるか)
今までは神祇審省の許可が降りない以上、小生たちが動けば最終的に栞の責任になる。もっとも神祇審省としても『神職と認められる一家が虐待など信じられない。ただ数年間を通して虐待の事実があれば、こちら側でも対処はできる』と発言した。栞を囮にする形になったが、彼女はその提案を受け入れた。
(そして……受け入れた上で、栞自身が囮である情報だけ術式で忘れさせた。それを知っているのは、小生と数人だけ)
だからこそこの数年任務をこなした。
掻っ攫うこともできたが、あの土地と権限全てを栞の元に戻せるのなら、そのほうがいい。栞には笑ってほしい。
「栞は心が強くて、お人好しだ。可愛い。可愛い……早く会いたい」
「……それにしても、このところ似たような案件が多いよね」
「ん? どうでもいい……。栞のお土産はこれで足りるだろうか」
急な話題に眉を顰めると、「いややな」と秋人は言葉を続けた。
「魔蟲関係のお家騒動や。六条院家放火事件、久我一家惨殺事件、櫻木村連続事件、一宮集団毒ガス事件……いくらなんでも多すぎん?」
「そうか? 全国的に見たらそこまででも……というかどうでもいい」
面倒な世間話など、どうでも良いと思ったのだが、秋人は珍しく話を続けた。
「そんなん言うてもな」
(大抵は空気を読むので、話に乗らなければ話題も変えるか黙るのに珍しいな。何か示唆したいことがあるということか?)
面倒だが、栞のお土産の最終確認する手を止めた。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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後半は今日の夜の予定です