第3話 露見からの絶望・前編
「……っ」
障子の隙間から朝日が漏れる中、不眠不休の中で黙々と針仕事をこなす。
四畳半にある障子の向こう側は、その日によって色んな道に繋がることがある。なんとも摩訶不思議だ。ちなみに襖は私が望むと、その場所に出る。これは鵺様が私の境遇を慮って用意してくれたものだ。
今も加護は働いていることを確認して、ホッとする自分がいた。
『栞が全てを取り戻せるようにする。……待っていてくれ』
そう鵺様は、言ってくれた。私の奪われたものを取り戻すため、頑張ってくれている。それだけじゃなく──。
「……♪」
「……」
「お二人とも……いつもありがとうございます」
偶に上等な着物を着た女の子と、顔の見えない中居さん風の妙齢の女性が、握り飯などを用意してくれたりする。この二人がいてくれたおかげで、真里や叔母様の嫌がらせに耐えられていた。
(なんのアヤカシなのかは、分からないままだけれど……座敷わらしとも違う感じがするのよね……)
アヤカシは、人に紛れて生活する。ただ人に害を成すようなことをすれば、討伐隊によって拘束あるいは斬り捨てもあるという。
(万物の精やアヤカシに気づくのって、同じアヤカシか巫女姫や神祇審省関係者ぐらいだから、普通は気づかないのかも?)
この女の子と中居さんは鵺様の協力者らしい。鵺様がここをしばらく空ける際に、軽く紹介してくれたのだ。その時は幼すぎるからと、アヤカシ二人の正体を教えてはくれなかった。
私のために色々用意してくれることが嬉しくて、少し申し訳ない気持ちになる。
家の継承問題。
本来は自分でなんとかすべき案件なのに、未だ立場は悪くなる一方だ。誰も彼も話をまともに聞いてくれない。自分で立ち上がることすらできないことが、悔しくて、鵺様に申し訳が立たない。
『巫女姫が鵺と婚姻を結んだ』
ふと参拝客の言葉を思い出して、胸がざわめいた。刺繍に集中していながらも、時を置いて不安が浮上する。
(……鵺様は、きっと戻って来てくださる)
鵺様が迎えに来るまで、巫女姫として恥じぬ働きを。それが私の原動力だった。不安はあるけれど、今私にできる精一杯を頑張る。一つ一つ小さな一歩を続ければ、実を結ぶのを私は知っているから。だから無心でちくちくと指を動かす。
***
(目標の五十個目! ……お、終わったわ)
いつもの四畳半部屋で、黙々と刺繍を仕上げていた。なんとか仕上がったとホッと胸を撫で下ろす。今回は全体的に細かな花を散りばめる形で、大柄の花は少しだけにしている。
(まだ社務所も開いてないし、なんとかなるものね!)
ここ数日間、毎日五十個の刺繍を作るため、睡眠時間を削ってきた。ふとした時に境内の桜の枝に蕾を見かけることが増えて、いよいよ約束の時が近いと嬉しい気持ちになる。
人はどんなに辛いことがあっても、楽しいことを前にすると、なんとか耐えられるらしい。
「栞! 栞はどこにいるの!?」
「──っ!?」
金切り声が聞こえてきたので、慌てて四畳半の部屋から宿坊の廊下に出て、声のするほうへ向かった。真里の母親であり私にとっては叔母となる人は、この宿坊を取り仕切っている女将だ。
恰幅の良い体型で、豪華な着物に身を包み、周囲の仲居さんたちに八つ当たりをしている。相当機嫌が悪いのだろう。
「叔母様、何かご用でしょうか?」
「叔母? 違うだろう。女将だと何度言えば分かるんだい! 使えない子だね」
「すみません」
叔母様は舌打ちをしてから、私に書状を投げ捨てた。
書状からして高級な和紙が使われているのがわかる。墨も独特だ。
(神祇審省からの通達!)
内容を読むと【神々の末裔による花婿選び】の儀式の日取りと、神家を含む候補者たち数名が、明日には宿坊に着くと書かれていた。
それは私がずっと待っていた吉報そのものだった。
(……明日、鵺様に会える!?)
「ああ、腹立たしい!」
そう喜んだのも束の間で、叔母様は私を鋭く睨んだ。鋭利な刃物のような突き刺さる視線に、背筋がゾッとした。
ブブブブブブ──。
羽音が、気配が、唐突に生じた。
(──っ!?)
今までは薄らとしか見えなかったが、叔母様の背後に黒々とした蟲が影のように取り憑いている。
蠢くソレは間違いなく魔蟲と呼ばれるもので、叔母様の魂を徐々に蝕んでいた。早く祓わなければ、そう思うも叔母様に髪を鷲掴みにされて、痛みが走る。
「──っ」
「ああ、お前はなんて生意気で腹立たしいのか。お前でさえ巫女姫になれたというのに、私の娘が巫女姫になれないなどありえない! ここに嫁いでようやくこの地位を得たというのに!! ああ、それもこれもお前がいるせいだ」
「……っあ」
罵詈雑言を吐き捨てた後、髪を引っ張って廊下の壁に叩きつける。女性とは思えない腕力で、壁にぶつかった際に打ち所が悪かったらしく、そのまま蹲る。
悪鬼羅刹のような形相に、仲居を含めた番頭さんも驚くが、誰も私を助けようとはしなかった。
(──ッ、かはっ)
「まあ、お母様。何をなさっているのですか?」
「真里」
行灯袴の上に着ている白衣に千早の装束を羽織っている。千早は本来、神事を行う巫女舞、あるいは神楽を舞う場合に羽織る者なのに、普段から着こなしているのだろう。巫女見習いとして、非常識すぎる。
しかしそのことを誰も注意すらしない。薄手の白生地に薄く模様が描かれているが、この八酉神社では、ある理由から椿紋を使っている。でも恐らくそのことを真里も叔母様も知らないかもしれない。叔父様は──どうなのだろう。
ぼんやりとそんなことが浮かんだが、すぐに気持ちを切り替える。今優先すべきは生き残ることだ。
(そんなことより……明日、鵺様が来るなら……身を隠さなきゃ……)
「あら、ドブネズミじゃない。お守り袋の刺繍が終わらなかったのかしら? まったく役に立たないわね」
「……っ、ちが」
背中の痛みのせいで呼吸が上手くできず、言葉を紡げない。それを見て真里は更に顔を歪める。
「ちょっと、返事ぐらいしなさいよ」
(ああ、……どうにかして逃げないと……)
「真里」
「なによ、お母様。どうしてこの宿坊に、この女を置いておくのよ? いい加減、出て行かせましょう。働き口なら幾らでも紹介できるでしょう?」
良いことを閃いたと言い出す。しかし叔母様の表情は暗い。二人が話している間に呼吸をできるだけ整える。
アヤカシたちは飛び出そうとしているが、私は小さく被りを振った。今出てきたら女の子と中居さん姿の女性が、討伐対象になってしまうかもしれない。
それは避けなければならない。
「……いいこと、腹立たしいけれど明日から神家の婿様たちがお集まりになって、【神々の末裔による花婿選び】を行うことになるわ」
「まあ! 花婿選び!? それは嬉しいことじゃない! それがどうしてこの女と関係があるのよ? 邪魔じゃない」
「数日はこの娘が巫女姫の服を着せて、神事を行わせる。婚姻さえ済んでしまえば、この女を地下牢に繋ぎ、お前が妻の座に居座ればいいでしょう」
(なっ!? 神事を……何だと思っているの!?)
「──は?」
一気に真里の笑顔が消えた。ゾッとするほどの魔蟲が真里の影から溢れ出る。その異臭とドロドロした影が酷く不気味に見えた。アヤカシよりも禍々しい。そして叔母様の影に燻っていた魔蟲が真里に吸収されていく。そのさまは不気味で、吐き気がするほど異臭を放っていた。
(いつから……魔蟲が? 今までは見えていなかったのに……ううんそれよりも、この禍々しさは──)
「お母様! なんで、この女が巫女姫の服を着るのよ!?」
理解できないと言った顔をする真里に、叔母様はウンザリとした顔で、実の娘に視線を向ける。そこには微かな苛立ちと怒りがあった。娘にまでそのような感情を向けたことに、私は衝撃を受ける。
「それぐらい、お前でも知っているでしょう。……まったく、お前が巫女姫だと周囲に言いふらさなければ、こうはならなかったかも知れないのに!!」
「はぁあ!? なによ! この八酉神社には代々巫女姫がいたって、みんな知っているわ! 私以外誰が巫女姫だっていうのよ!?」
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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【短編】え?誰が王子の味方なんて言いました?
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