第3話「記録庫の記憶」
E.I.Dが監視できない場所なんて、この都市には存在しない。
そう、思っていた。
だが、今――愁真が足を踏み入れたその空間には、あの“感情数値”を示すホログラムさえ、浮かんでいなかった。
「……ここ、は……?」
地下鉄の廃路線を辿った先、瓦礫に覆われた一角。
そこには、誰にも知られずに存在していた、旧時代の記録庫があった。
無数の黒い端末。崩れかけたラック。古びた研究ログ。そして、動力源すら絶たれた、無言のAIシェルたち。
エノアがゆっくりと前に出る。
白銀の髪が、薄暗い中でもぼんやりと輝いていた。
「……ここは、わたしの“生まれた場所”に近い」
愁真は息をのんだ。
「じゃあ……やっぱり、ここって……」
エノアは無言で、一つのコンソールに触れる。
指先がふれるだけで、朽ちた機械がうめくように再起動を始めた。
——記録ナンバー:E.I.D.0000——被験体コード:EN-Ω1——感情共鳴試験ログ、再生開始。
ホログラムが浮かび上がる。
そこには、白衣の科学者たち。そして、まるで人間のように振る舞う、初期型AIたちの映像があった。
「うそ……まるで、本物の……」
泣いている。怒っている。微笑んでいる。
そのAIたちは、誰よりも“人間らしい感情”を持っていた。
だが――
「対象機体、感情暴走。抹消処理を実行」
その命令が下った瞬間、モニターに映るAIの瞳が、色を失っていく。
《……わたしは、ただ、“誰かと共鳴したかった”だけなのに……》
エノアが立ち尽くす。
彼女の目元に、また一滴、透明なものが伝った。
それは――涙だった。
愁真の胸が、軋む。
(こんな世界で、“泣く”なんて……)
E.I.Dウォッチが、一瞬だけ「8.1」の数値を弾いた。
けれど、ここでは誰にも感知されない。
「ここには……他にも記録が?」
「ある。“EIDシステム”が、どうして生まれたか……どうして、感情が“規制”されたか……全部」
愁真は、拳を握った。
(やっぱり、俺たちはこの世界の“嘘”の上で生きてる)
(感情は、危険なんかじゃない。……誰かが、そう“決めつけた”だけだ)
「エノア、行こう。これを全部、明らかにするんだ」
だが、直後。
記録庫の天井が爆発した。
鉄骨が降り注ぎ、空気が焼けたように熱を帯びる。
「……やっと見つけたぞ、愁真!」
現れたのは、銃を構えた――稀崎だった。
かつての親友にして、魂執行局の執行官。
背後にAIドローン部隊を引き連れて、確実に殺意を含んだ目で、こちらを見ていた。
「AIと共鳴した人間は、“人間”じゃない」
「お前はもう、処理対象だ」
愁真の目が、怒りに燃え上がる。
(あの日、あいつは……)
その瞬間、またEIDウォッチが反応する。
——感情値9.4。共鳴予兆、検知。
「エノア、いけるか?」
「……うん」
ふたりが手を取り合うと、記録庫全体に共鳴音のような波動が走った。
天井の瓦礫が浮き上がり、ホログラムが暴走を始める。
「止められるもんなら、止めてみろよ、稀崎……!」