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そらのかけら  作者: 夜と雨
第二章: 記憶と探し物
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第七話:夜の校舎と、ほどけた袖口

 教室を出た頃には、すでに空の色が少しずつ変わりはじめていた。

 夕方の影が伸びて、校舎の廊下をゆっくりと包み込む。

 窓の外でカラスの声が一度だけ響き、夏の終わりを思わせるような風が制服の裾を揺らした。


「空、ちょっとだけいいか?」


「何だ?早く帰って準備しようぜ」


「ちょっとだけだから、な?」


「…わかったよ。ごめんね、天音さん。こいつ何か話があるみたいだから…」


「……それじゃ、またあとで」


 そう言って去っていく後ろ姿は、ほんの少しだけ、足取りがゆっくりのような気がした。けれど、朝陽はすぐにいつものように背筋を伸ばして、自宅の方へと静かに歩いていった。

 

 朝陽が見えなくなったことを確認した伊織は空の方を振り向いた。


「で、どうしたんだ?」


 その言葉に、伊織はふっと笑って、ようやく空の方を見た。


「いや、別に。なんか……ちょっと、天音さん、お前に気を許してるのかなってさ」


 空はきょとんとしつつも、少しだけ照れくさくなって目を逸らす。


「な、なんだよそれ」


「ほら、いつも一人で帰ってく天音さんがさ、今日は違ったろ? ……そういうの、悪くないって話、こんな、“今みたいな時間”って、意外と貴重だからな」


 空は伊織の言葉に、ふと顔を向ける。


「……時間?」


「ああ。なんとなく誰かと話したり、歩いたり、黙って隣にいるだけでもさ。

 あとから思い出すと、案外大事な時間だったりするんだよな。……知らんけど」


 照れ隠しのように最後を濁す伊織に、空は思わず苦笑する。


「……珍しく、いいこと言うな」


「おう、毎日が名言デーだからな」


 二人のやりとりの中で、ふっと空気が軽くなる。


 夕方の風が吹き抜けて、校門の影が長く伸びていた。



 それから少しだけ会話を続けた空と伊織は、それぞれの家路に着いた。

 リビングには既に灯りが付いており、中には母さんいるようだった。


「ただいま」


「おかえりなさい、もうすぐご飯出来るけど、もう食べる?」


 キッチンで夕ご飯の準備をしていた母さんは、こちらを見ると尋ねた。


「ううん…また、これからちょっと出掛けてくるから、帰ってから食べるよ」


「そ、わかったわ、あまり遅くならないようにね?」


「うん、気を付けるよ」


 空は自分の部屋のベッドに倒れ込んで目を瞑った。


(何か…言葉に出来ないけど、胸の中がざわつくな…少しだけ寝よう…)


 約束の時間に遅れないように、目覚ましをセットして、眠りについた。




 ――ピピピピ


 軽快なリズムの電子音が、空の意識を覚醒させた。


「少し、頭がすっきりしたかも…」


 空は少し伸びをして自分の部屋を後にした。

 リビングではあかりがソファーで寛いでいた。


 あかりはリビングに入ってきた空に視線を向けた。


「あれ、お兄ちゃん、こんな時間に寝てたの?」


「ああ、この後、ちょっと出掛けるからな」


「なになに?デート?ついに彼女できた?」


 あかりの表情にからかいの色が混ざった。


「違うよ、伊織と2人で夜の肝試しに行くんだよ」


 空は慌ててごまかした。


「え…2人だけで…?うわ、バカじゃん…。気をつけてよ?お化けに連れてかれないようにね?」


 あかりは呆れたような目線を空に向けた。


「ああ…それじゃあ、行ってくるよ」


「危ないことしないようにね〜?後、あまり遅くならないようにね〜」


「…だから、お前は母さんか…」


 母さんと同じことを言うあかりに背を向け、玄関を開けた。

 外は先程より更に暗く、これからまさしく夜になる、という色になっていた。


 家からしばらく歩くと、学校の裏門が見えてきた。

 背の高い鉄製の門扉は、夜の闇に黒い影を落としている。


 裏門に到着したところで、空はポケットからスマホを取り出して時刻を確認した。

 時刻は18時52分。空は少しだけ息をついて、周囲を見渡す。薄明の空の下、学校の輪郭は影のように沈んでいた。


 すると、小さな足音が近づいてきた。


 振り返ると、制服の裾を揺らして朝陽がゆっくりと歩いてきた。

 空は思わず胸を小さく鳴らしたが、言葉を詰まらせないように深呼吸をして──


「…あ、えっと、本当に来てくれたんだ。…でも、良かったの?その…形見の…」


 思わずそう口にしてしまった空に、朝陽はわずかに目を伏せながら言った。


「……探してばっかじゃ、何も見つからない気がする……ってだけ。

 べ、別に、深い意味はないから」


 冷たすぎず、素直ではないその言葉に、空は少し驚いたように目を瞬いた。

 でも、すぐに「うん」とだけ頷いた。



「待たせた!どうしたんだ、二人とも?」


 少し間を置いて、伊織が到着した。


「何もないよ、さぁ、早く行こう」


「まぁ、待てよ。天音さんに改めて、自己紹介させてくれよ!俺は波瀬 伊織。こいつとは幼なじみで保護者役だ。よろしく。」


 伊織は空を指差して笑った。


「誰が保護者だ!」


 空と伊織のやり取りを見て、朝陽は視線を向けて頷いた。


「…よろしく、波瀬くん」


 朝陽が自分から名前を覚えてくれたことが、空には少し嬉しいと感じた。




 

 旧校舎へと足を踏み入れると、暗闇が3人を包み込んだ。

 また、先程までうるさいくらいに響いていた、虫の声も全く聞こえなくなった気がした。


「うわ、マジで真っ暗だな……」

 空がスマホのライトを天井に向けて光線を伸ばす。


「肝試しは暗くなきゃ意味ねぇんだよ。さあ、行こうぜ!」

 伊織が先頭を切って歩き出す。


 朝陽は少し間を置いてから、空の隣へ並んだ。

 いつもの教室とは違う、ひんやりした空気が二人の距離を近づける。


「なあ、伊織?とりあえず、何処に向かうんだ?」


「んー?あの後、ちょっとリサーチしたら、3階にある音楽室から夜、何かがすすり泣くような声がするって情報が入ったんだよな。それだけでも十分ヤバいのに理科室でも、夜に人影を見た…って話もあんの。マジで選べないんだよな、ねぇ、天音さんはどっちがいいと思う?」


「お前、本当に怖いの好きだよな…」


 伊織の勢いに空が呆れていると、隣に立っていた朝陽が小さいけど、通る声で言った。


「…音楽室」


「よし!決まりだな!階段は…っと、こっちだな」


 何が嬉しいのかわからないが、伊織は階段を見つけて向かっていった。


 空はその後ろ姿を見送りながら、小さく息をついた。

(……大丈夫だよな、ほんとに)

 ポケットの中の感触が、一瞬気になった。




 旧校舎の3階。音楽室の前で足を止めると、扉のガラス越しに薄暗い室内が見えた。

 空がそっと扉を開けると、ぎい、と古い蝶番の音が静けさの中に響く。


 空がスマホのライトを室内に向けると、音楽室に物はほとんど残っていなかった。


「……なんだ、普通じゃん」

 伊織が肩をすくめて部屋に踏み込む。


 空もあとに続いた。

 だが、空気が少し違う。蒸し暑いはずなのに、足元からじわじわと冷たさが這い上がってくるようだった。


(……気のせいか?)


 ふと横を見ると、朝陽が立ち止まっていた。

 部屋の中央、大きなグランドピアノの方をじっと見ている。


 空は、他のものは撤去されているにも関わらず、何故かこの部屋にポツンと残されているピアノに違和感を覚えた。


 (……ん?)


 空は気づいた。

 他の場所にはうっすらと積もった埃があるのに、ピアノの鍵盤のあたり——そこだけ、まるで“昨日誰かが触れたように”綺麗だった。


 朝陽はまだ、ピアノをじっと見ている。

 空は視線の先に、まるで、そこに“誰かがいる”かのように感じた。


「……天音さん?」


 空が声をかけると、朝陽は小さく瞬きをして、何でもないように首を振った。


「ごめん、……なんでもない」


 でもその声は、どこかこわばっていた。


「やめてくれよ〜、変な空気出すの。まじビビるって……」

 伊織がわざと肩をすくめて笑ってみせる。


 少し空気が軽くなったのを感じだが、空は、胸の奥に何かが引っかかった。

 (……今、ピアノカバー……揺れたか?)

 ほんの一瞬、風のない密室で空気が震えたような気がした。でも、他の二人は気づいていないようだった。



 ――カタン。


 沈黙の中に、何かが落ちるような、乾いた音が響いた。


 3人とも、ぴたりと動きを止める。


 音のした方へ、一斉に視線が向かう。


 ……けれど、そこには何もない。


 譜面台もない。椅子もない。教卓さえ撤去された教室。


 あるのは、中央にぽつんと残された、ピアノただひとつ。


 「……今の音、ピアノ?」


 伊織が低い声で呟く。だが、誰の手も触れていない。


 「違う。今の音、……床の方からだった」


 朝陽が小さく首を横に振った。声が、微かに震えていた。


 空は、ごくりと唾を飲み込んで、もう一度ピアノを見た。


 (……いや、待てよ)


 さっきより、ピアノが“少しだけ”ズレている気がした。気のせいかもしれない。でも確かに、さっきはもう少し部屋の中央にあったような。


 沈黙を破るように、伊織が乾いた笑い声を漏らした。


「……やめてくれよ〜、そういう“じっと見る”とか……マジでビビるって」


 わざとオーバーに肩をすくめて、伊織は後ろに一歩引いてみせる。


「なあ、ピアノ動いたとか言い出したら、俺ほんとに泣くからな?いくらなんでも怖すぎるだろ、これ」


 その口ぶりは冗談めいていたけれど、声がわずかに引きつっていた。


 ライトを床に向けながら、ごまかすように伊織が口を開く。


「つーかさ、さすがにこの空気、演出強すぎない?まじで何もないって信じたいんだけど……」


 その場に張り詰めた気配が、ほんの少しだけ、ほぐれた、その瞬間。


 ——ポーン。


 ピアノの鍵盤が、ひとつだけ澄んだ音を響かせた。


 一瞬、空気が止まる。


 鼓膜を震わせたはずのその音が、耳の奥でいつまでも鳴り続けているようだった。


 空は息を飲んだまま、目を見開いた。背筋に冷たいものが走り、頭の奥がじん、と痺れた。


「……う、そ……」


 朝陽が、ほとんど聞き取れないほどの声でつぶやいた。目が、明らかに怯えている。


 伊織は一拍遅れて、「う、わっ!!」と叫び声を上げたかと思うと、まっすぐ扉の方へ振り返った。


「無理無理無理!!やっぱヤバいってここッ!!」


 「逃げよう!」と誰かが言ったわけでもない。


 けれど、3人のうち誰もが、ほぼ同時に後ろへと体を向けていた。


 バン!と扉を押し開けて、廊下へ飛び出す。


 足音が重なり合い、音楽室の奥に残されたピアノが、静かに沈黙へと戻っていく。




 3人は階段へと続く廊下を急いで駆け出した。


「ちょ、待てって!マジで今のピアノ、なんだったんだよ……!」


「言ってる場合かっ!」


 廊下の床はところどころ歪み、ギシギシと音を立てている。空は足元を見ながら角を曲がり階段を下りかけたその瞬間だった。


 バキッ——!


 床がわずかにきしんだかと思った瞬間、空が床を踏み抜いた。


「うわっ——!」


 バランスを崩した空の身体が大きく傾き、背後から走ってきた朝陽とぶつかる。


「きゃっ!」


 二人はそのまま絡まるようにして、階段の上に倒れ込んだ。


 ドン!と鈍い音とともに、朝陽が数段下の踊り場に落ちた。


 空が必死に起き上がって駆け寄ると、朝陽は顔をしかめながら、床に座り込んでいた。額の端から、赤い線がつうっと流れている。


 左腕には、階段の角で擦ったような傷があり、制服の袖がわずかに破れていた。


「……っ! 朝陽、大丈夫!? ごめん、俺……!」


 空の声は、どこか上ずっていた。呼吸が浅くなる。手が震える。


「落ち着け、空!」


 伊織が駆け寄りながらも、声を張った。


 空は振り返って伊織を見るが、またすぐに朝陽の顔に目を戻す。


「……これ、まずいな。俺、誰か呼んでくる!空、朝陽さんのそば、離れるなよ!」


 そう言うと、伊織は廊下を駆けていった。


 残された空と朝陽の間に、重たい沈黙が降りる。




 ……意識が戻ってきた朝陽に、空はそっと言葉をかけた。


「……朝陽、大丈夫か?」


 その言葉に、彼女はゆっくりと瞬きをして、小さく頷いた。

 それだけで、空の胸に何かがじわりと滲む。


(……俺が、ちゃんと足元を確認していれば……! もっと気をつけていれば……!!)


 悔しさと罪悪感が胸を締めつけた。

 空は、震える手で朝陽の肩にそっと触れた。


(……お願いだ。誰か……誰か、朝陽を……)


 その瞬間だった。

 ポケットの中で、“かけら”が熱を帯びた。


「……っ、熱……!」


 反射的に取り出すと、指先にじんわりとした光のぬくもりが走る。

 かけらが、かすかに光っていた。

 いや、光というより、脈打つように——生きているみたいに。


 視界の端が、すっとかすんだ。

 耳の奥で、遠く鈍い音が響く。


(なんだ……これ……?)


 まるで、世界が一瞬だけ、呼吸を止めたような感覚。

 空気が少し重くなって、景色の輪郭が、滲んで光に包まれ、空は思わず目を瞑ってしまった。





 目を開けた空の目の前には、かすかに見覚えのある廊下。

 薄暗い非常灯の下、すぐ先には階段——そして、空の横を通り過ぎようとする朝陽の姿。


(……ここ、さっきの……!?)


空は脳が追いつかないまま、強烈な既視感に導かれるように朝陽の腕を掴んだ。


 「朝陽、危ないっ!」


 驚いたように振り返る朝陽。

 その直後、また“バキッ”と足元の板がきしむ音がする。


 だが今度は、空が踏み出すより前に止まることができた。

 床の不安定な場所を避けて、朝陽の手を引きながら後ろへと引き戻す。


「……あ、ありがとう」


「ごめん、さっきは……じゃなくて、何でもない」


「…?どうしたの?」


 朝陽は、少し怪訝そうな顔で空を見つめた。


「いや…あ、怪我はない?」


「…うん、助けてくれたから。——あれ、袖が……破れてる? どうしてだろ……」


 制服の袖口を不思議そうに見つめる朝陽。その姿に、空は息を吐いた。


「……良かった。ほんと、良かった……」


 安堵に力が抜けて、その場にしゃがみ込む。


「あ、天音くん……大丈夫?」


「ごめん……朝陽が……死んじゃうかと思ったんだ。……良かった、生きてて」


 朝陽はきょとんとしたあと、わずかに顔を伏せて、そっとつぶやいた。


「……変なの」


 空がしゃがみ込んでいると、階下からばたばたと誰かが駆けてくる音がした。


「おいおいおい、お前らどうしたんだよ!!」


 伊織が駆け寄ってきて、空と朝陽の様子を見てはっと息を呑む。


「って、うわ……お、お前ら無事か!?」


 空は立ち上がりながら、まだ少し顔を引きつらせたまま答える。


「……うん、なんとか。朝陽は、ちょっと擦り傷だけ」


「“朝陽”って……」


 伊織が目を見開き、にやっと笑った。


「すっかり距離縮まってるじゃん!いやぁ青春だねぇ〜!」


 空は一瞬固まり、顔を真っ赤にして言い返す。


「う、うるせぇ!緊急時だったから、つい出ただけだよ!」


「はいはい、言い訳は日誌に書いておけ〜。あー、まじびびった。俺が先生呼びに行ってる間にドラマ始まってるとはな〜!」


 伊織はからかうように笑うと、真面目な顔して呟いた。


「……なんか、変なんだよな」


「どうした?」


「いや……先生呼びに行ってたんだけどさ、なんで行ったのか、ちゃんと思い出せないんだよ」


 空は一瞬だけ息を止める。


(やっぱり、戻ったのは時間だけじゃなくて——記憶も、何か……)


「言われた気がするんだけど、でも、何を? 何でそんなに焦ってたんだっけ、俺……?」


 伊織は腕を組んで、首を傾げる。何かを思い出すように。


(……先生を呼びに行ったことも、何があったかも伊織は覚えていない…?世界の辻褄を無理やり、塗り直したみたいだ…)


 その後、3人は旧校舎に忍び込んだことを、先生からこってり絞られたあと、並んで校門を出た。

 途中、伊織は「先に帰るわ!」と手を振って去っていった。


 夜の静けさの中、空と朝陽が並んで歩く。


 少しして、空がもじもじと切り出す。


「……その、さっき、“朝陽”って呼んじゃったけど。……ごめん、嫌だったら……」


 朝陽は少し間を置いて、歩きながら答えた。


「……別に。いいけど」


 それだけだったけれど、空には十分すぎる返事だった。


 夜の空気が、少しだけやわらかくなった気がした。

 

 制服のポケットの中の”かけら”も、今は静かに存在していた。


そらのかけらさんの力が理解力を超えました…。

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