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そらのかけら  作者: 夜と雨
第二章: 記憶と探し物
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第六話:小さな勇気

 朝の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の空気にじんわりと熱を広げていた。


 空はベッドの上で寝返りを打ち、まぶたの裏に差し込む光に顔をしかめる。


(……なんか、夢見てたような……)


 夢の内容を深く思い出そうとしても、細部は霞のように薄れていく。

 けれど、心のどこかに残っているのは、昨夜の神社の静けさと——朝陽の、あの一言。


「おやすみ、また明日」


 その言葉の余韻が、なぜか、じんわりと胸に残っていた。


 ゆっくりと体を起こして、空は伸びをする。


「う〜……今日も、暑くなりそうだな……」


 そんな寝ぼけた声と共に、リビングから呼ぶ声が聞こえてきた。


「お兄ちゃん、朝ごはんできてるよー!冷める前に降りて来てー!」


 朝から元気なあかりの声に、空は小さくため息をつきながらドアを開ける。




 リビングに入ると、テーブルの上にはいつもより少し気合いの入った朝食が並んでいた。


 焼きたてのトーストは、半分にカットされ、片方には卵サラダ、もう片方にはとろけたチーズが乗っている。その上に、ケチャップで「ありがとう」と書かれていた。


「……なんだこれ、アートか?」


 空が目を丸くすると、あかりは得意げに胸を張った。


「ふふん。昨日のプリンのお礼、あかり特製トーストだよ!」


 空は椅子に腰を下ろしながら苦笑する。


「いや、お礼のつもりじゃなかったんだけど……」


「言ったでしょー。トーストつけてあげるって」


「つけるって……なんだその表現……」


「文句言うなら、次からトースト抜きだからね?」


「……いただきます」


 トーストを頬張ると、意外なほど味はよかった。

 チーズの塩気と卵の優しい甘さが、絶妙に調和している。


 空は黙ってもう一口食べながら、ポケットの中の感触を思い出す。


(……“かけら”。今日は、持っていかない方がいいのかな)


 そんなことを考えていると、気付いたらトーストはなくなった。


「ごちそうさま、すごく美味しかったよ」


 笑顔で告げると、あかりは嬉しそうに、そして少し照れた表情で笑った。


「良かった!心配してたんだ!お兄ちゃん、最近ちょっとぼーっとしてるし!」


「…え?」


 空は少し目を見開くと、あかりに聞き返した。


「何隠してるかわかんないけど、何かあったら、あかりに相談しなよ?話くらいは聞いてあげるよ、お兄ちゃん。お礼はプリンだけどね!」


「…ありがと、また、何かあったら頼らせて貰うよ」


「それじゃ、先学校行くね!お兄ちゃんも早くしなよ?顔洗って、遅刻しないようにね?できる?」


 あかりは心配をするふりをして笑っている。


「…お前は母さんか…大丈夫、行ってらっしゃい」


「行ってきまーす!」


 そういうと鞄を持って、リビングを出ていった。

 空は牛乳を一息に飲んだ後、少しため息を吐いた。

 冷たい液体が喉を通る感触に、目が覚める気がした。


 部屋に戻り、制服に着替える。

 空はかけらを置いていこうと思ったが、気づけば制服のポケットに、それを滑り込ませていた。


 理由はわからない。ただ、そうしなければいけないような気がした。




 登校した空は、いつものように鞄を机に置き、椅子に腰を下ろす。

 教室には既に何人かのクラスメイトがいて、ざわめきと共に朝の空気が流れていた。


「おーっす、お前今日ちょっと元気じゃん?」


 隣の席から、伊織が身を乗り出すようにして声をかけてきた。


「そうか?別に普通だって」


「いやいや、昨日までの“どよ〜ん空”に比べたら、だいぶ回復してる。まさか……進展でもあったか?」


「何だよ…“どよ〜ん空”って。……何もねーよ」


「ふふーん?怪しいなあ、天音くんよぉ〜」


 伊織はからかうように笑いながら、わざと声を潜める。


「天音さんとはその後どうなん?話しかけたりした?」


 空は一瞬だけ斜め後ろに視線を向ける。そこには、窓の外を見ながら文庫本を読んでいる朝陽の姿があった。


「……まあ、ちょっとだけ」


「うぉ、まじか。どんな?どんな?」


「普通に、挨拶されただけだけどな」


「そっから!そっからがスタートラインだって!これは祝わなきゃな!」


 勝手に盛り上がる伊織をやれやれという顔で見ながら、空はつい笑みをこぼす。


 ——と、そのとき。


「……夜の学校って、なんか怖そうだよね」


 ふと前の席の女子たちが話しているのが耳に入った。


「昨日さ、旧校舎の方で変な音したって先輩が言ってたから、部活終わって、片付けする時に思い出して、めっちゃ怖くてさ〜」


「あー、あんた運動部だしね。確か体育倉庫って旧校舎側通らないといけないもんね…」


「そーそー!何で体育倉庫をあんな離れたとこに作ったんだろ!怖くて行けないじゃん」


「旧校舎を使ってた時に途中で建てて、まだ、新しいから使ってるらしいけど、そろそろ新しいの建てて欲しいよねー」


「…ところでさ、その旧校舎の変な音、誰か確かめに行ったの?」


「いや、怖くて無理だって〜」


 そんな会話を耳にしながら、伊織の目がぎらりと光った。


「なあなあ、空さんや?今夜さ!行ってみようぜ、旧校舎!」


「は?」


「よし!決まりだな。“夜の旧校舎肝試し”ツアー開催!主催、波瀬伊織!」


「肝試しって…お前…やめとけって、勝手に侵入したら先生に怒られるって。しかも何で夜なんだよ?」


「どうせ、肝試しに行くなら夜に行かないとだろ?放課後ちょっと残ってて、夜の校舎ちょっと歩くだけだって。な?青春の一ページってやつ?っていうか、俺、ずっとこういうイベントやってみたかったんだよ!」


「…いつも一人で行ってるもんな…」


 空は呆れながらも、伊織のノリに流されつつある自分に気づいていた。


「…わかったよ、行こう」


「さっすが空!話が早い!よ〜し、今夜は伝説作っちゃおうぜ!」


 早くも気分は“主催者モード”らしい。


「……その前に、次の授業で寝落ちしないようにな?」


「それなー、朝イチの現代文、鬼門なんだよな……よし、気合い入れていくか!」


 ふたりは笑い合いながら、チャイムの音に背を押されるように席へとついた——。




 今日、最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、他のクラスメイトたちは、それぞれの帰り道へと散っていった。

 机の上を片付けながら、空は伊織の方をちらりと見る。


「…で、本気で行くんだよな?」


「もちろん。何だよ、怖気付いたのか〜?天音くん」


 伊織はにやりと笑いながら、自分の荷物をまとめていた。


 ふと、空の目が斜め後ろの席に向く。

 そこには、まだ教科書を閉じずに座っている朝陽の姿。


 伊織も空の視線を追って、意味ありげに笑うと、空にこそっと小声でささやいた。


「……なあ、天音さんも、誘ってみね?」


 空は思わぬセリフに、伊織を振り返った。


「…いや、でも…」


「嫌なのか?仲良くなるきっかけになるかもじゃん」


「…俺はともかく、天音さんは嫌かもしれないからな…」


 空が戸惑って、言葉を濁していると。


「ま、いいじゃん!聞いてみようぜ!」


 ニヤリと意味ありげに笑う、伊織が朝陽の方へ向かっていった。「…あ!待て!」


「ね?天音さん!俺たちこれから“夜の旧校舎肝試し”ツアーに行くんだけど、良かったらさ!一緒に来ない?」


 軽いノリで話しかける伊織に、空は頭に手を当てた。


朝陽は伊織の言葉に少し驚いた様子で、何度か瞬きをした。

 その目が、ふと空の方を向く。


(……無理って言われるかな)

 空は、ごくりと小さく喉を鳴らした。

 けれど、朝陽の表情は、思ったほど固くなかった。


「…えっと…」


 朝陽は伊織の名前が出てこず、少し戸惑っているようだ。


「いきなり、ごめん、天音さん…こいつ、波瀬 伊織。ちょっと軽いやつだからびっくりさせたよね」


 空は思わず、朝陽に弁解をした。


「…天音くん、えっと…肝試しツアーって…?」


「今日の朝、前の席の女子が旧校舎にお化けが出るって話しててさ、それを聞いたこいつが張り切っちゃって…」


「そーそー!そんなの聞いたら健全な高校生としては行かない訳にはいかないじゃん?だから、夜に旧校舎に殴り込むぞーってね!」


 伊織は腕を突き上げて、得意げに笑っている。


「……天音くんも行くの?…」


「あ…うん。伊織1人だと心配だしね」


「そっか…」

 

 一瞬の空白の後、何かを決意したように朝陽は頷いた。


「ねぇ、それって…わたしも行ってもいいの?」

 少し迷いの滲んだ声だったけれど、その瞳はどこか強く、ほんの少しだけ、足元を踏み出すようだった。


 朝陽の声を聞いて、今度は2人が驚き、しばらく固まってしまった。


「…迷惑じゃ…なかったら…だけど…」

 

 2人が応えられずにいると、朝陽の声はどんどんと小さくなっていった。


「「迷惑なわけないじゃん!」」


 2人の勢いに、朝陽は少し微笑んだ様に見えた。


 (…気のせいかな?今ちょっと笑った…?)


 伊織は、朝陽の様子には気付いていないようだった。


「とは言っても、冷静になって考えたら、夜まで結構あるよな…。一回、家に帰って、19時前くらいに学校の裏門集合ってことで…」


「確かに…まだ結構明るいしな…また集合しよう、天音さんもそれで大丈夫?」


「うん…わかった」


 朝陽が頷くのを見て、空は、教室の窓から差し込む午後の陽を眩しそうに見ながら、心の奥が、そっと波打った。

 それは戸惑いか、安堵か。自分でもうまくわからない。


(……なんか、変な感じ。本当に来てくれるなんて)


 ほんの少しだけ、そうだったらいいなって、どこかで思ってたのかもしれない。



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