第六十六話
朝陽が目を覚ますと、赤と青が鮮明に混じる空が広がっていた。
風は少し冷たく、朝の気配がしていた。
遠くの方で鳥たちがさえずっている声が耳に届く。
ゆっくりと体を起こして、倒れていた場所を確認する。
どうやら、何処かの草原のようであった。
ふと、手を繋いでいる感触に気がつく。
手の先を辿ると、そこには意識なく横たわっている空がいた。
「空、起きて……」
朝陽は空の肩を軽く揺らして、声をかける。
「ん…んん」
外部からの刺激にゆっくりと目を開ける。
数秒間の混乱。そして、目前にいる朝陽と目が合い、焦点が取り戻されていく。
「朝陽…?」
「うん、朝陽だよ、空…」
空は改めて認識すると朝陽を抱き寄せた。
「わっ…!」
朝陽は突然の出来事に目を白黒させる。
「朝陽…ようやく、会えた…良かった…」
「…それはこっちの台詞だよ…」
呆れたように空に笑いかける朝陽と恥ずかしくなって離れる空。
「この場所って何処かわかる…?きっとアズールヘヴンの中ではあるよな…」
誤魔化すように話題を変える。
「私もわからない…あのとき祈りの舞台にいたはずなんだけど…」
そこまで言うと突然、朝陽は俯いてしまった。
頭の中で、シィロの笑顔が何度も浮かんでは消えていく。
シィロと共に過ごした時間はわずかではあったが朝陽にとって、かけがえのない時間だった。
「空…。シィロさんが行っちゃったよ……私、しっかりとお礼も言えなかった…」
朝陽は嗚咽と共に自身の想いをこぼしていく。
空は咄嗟に体が反応して、今度は優しく包み込むように抱きしめた。
朝陽と同じように空自身も喉の奥に熱いものが込み上げていた。
けれど今は、朝陽の涙を受け止めたくて——ただ、そっとその背を撫でていた。
「朝陽、泣いてもいいんだよ…」
「……!うぁぁ……!」
空の言葉に決して器用ではない、しかし想いを噛み締めるような泣き声が草原に響く。
草原の香りが、涙で熱くなった頬を撫でていく。
それは、お節介で明るくて、とても優しい少女との別れを悲しむものだった。
* * *
朝陽が泣いてしばらくした頃。
「朝陽も見たよな…?シィロとミミが去って行く夢を…」
ゆっくりと流れる真っ白な雲を見つめながら空は包み込むような優しく声色で言った。
空の胸の中で、グスグスと涙をこぼしていた朝陽はこくんと無言で頷いた。
「あの時にさ…シィロに言われた気がしたんだよ…” 私の願いも、ミミの願いも……その先へ、ちゃんと繋げてほしい”って」
「……うん」
「だからさ……この先、良いことも悪いこともあると思うけど、シィロとミミの願いも想いも俺たちは抱えて、たくさんのことを経験して…いつか、また会えた時に”どうだ!こんなに生きてやったぞ”って笑って話せるように歩いていかなきゃいけないよな…」
朝陽は胸の中から空の顔を見上げる。
「……それが、俺たちにできる一番の“ありがとう”なんじゃないかなって、思うんだ」
「……うん。そうだよね…」
今ここで泣いて悲しんでいてもシィロが戻ってくることはなく、その事実は胸は締め付けるようにのしかかってくる。
しかし、様々な願いや想いに目を背けることは朝陽と空には出来なかった。
言葉を交わすうちに、朝陽の涙は少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「ミミも……もう寂しくないよね」
「ああ、寂しくないって、きっと思ってる。だって、シィロがいるから」
「…また会えるよね…」
「うん…いつになるかわからないけど、想いは巡り合うよ」
空は何故か確信めいたように言った。
「ふふ…それシィロさんが言ったやつ」
最後の言葉を思い出す。
シィロが何処かで支えてくれているような気がして朝陽は少し笑顔に変わった。
草原を吹き抜ける風が、ふたりの間をそっと通り過ぎる。
そのとき——遠くの風のざわめきに紛れて、かすかな人の声が混じる。
「……人の声?」
朝陽が顔を上げる。
空も耳を澄ませて、やがて頷いた。
「誰かが……こっちを探してる」
「——い!」
遠くから聞き覚えのある女性の声が微かに聞こえてくる。
「…この声は…」
「うん、レイスさんだね…!」
草原のまだ遠くに、歩いている人影が見えた。
空と朝陽は立ち上がって、その人影に手を振る。
「おーい!こっちだー!!」
どうやら声が届いたのか、人影が空たちに向かって走ってきたようだった。
影が近づくたびに、その輪郭がはっきりしていく。
徐々に大きくなる人影は、やはりレイスであった。
「2人とも、随分と探したぞ!こんなところにいたのか!」
レイスは嬉しそうに微笑みながら、空たちの元まで来ると有無を言わさず、2人を力強く抱き寄せた。
背中に回された腕から、安堵と焦燥が入り混じった鼓動が伝わってくる。
「無事で良かった!」
「…レイスさんどうしてここに…?」
レイスの腕の中で空が苦しそうに尋ねる。
「祈りの舞台で朝陽とシィロが消えた後、しばらくしてから、動きを止めていたミミが光と影の粒子となって、こちらの方向に流れて行ったんだ…誰も戻らないから、もしかしてと思ってな…」
レイスは空たちに解放すると、祈りの舞台で起こった出来事を説明した。
「…探してくれてありがとうございます」
「ああ、本当に無事で良かった。ところでシィロの姿が見えないが…何処か別の場所にいるのか…?」
彼女はシィロを探すように、草原を見渡している。
「それは……レイスさん。伝えないといけないことがあります」
空と朝陽が姿勢を正した。
レイスも何かを察して、真剣な顔で言葉の続きを待つ。
「シィロのことについてです」
* * *
空と朝陽はミミの中で起きていたことをレイスに伝えた。
「……そうか…あのバカが… 何かあれば私に言えと言っておいたのにな…」
静かに全て聞き終えた後、レイスが小さく溢した。
その声の奥に、かすかな震えがあった。
「いや…バカは私だな…」
レイスは小さく息を吐き、足元の草を無意味に踏みしめる。
「シィロの扱いに問題があることを私はわかっていたのにな…いつか向こうから言ってくるはずだと、自惚れていたみたいだ…」
「レイスさん…」
ほんの一瞬、レイスの瞳が揺らぎ、そこに映ったのは後悔と——深い哀しみ。
その姿にどう声を掛ければ良いか迷った。
「だが…シィロが言ったように、また巡り合う日は来るはずだ…それまでシィロへの謝罪は取っておくことにしよう」
瞳の揺らぎはすぐに、強い光で塗りつぶされる。
レイスは少し俯いて笑うと、空たちを見た。
「2人とも、トキレイムに戻ろう。ハンゲツ様も待っているしな」
そこまで言うと話を打ち切るように空たちに告げて、通信機を使って何処かに連絡した。
「さぁ、行こう」
二言、三言話すと、2人に声を掛けて歩き始めた。
* * *
日が高く登る頃、トキレイムに戻った空たち。
石畳の隙間に、小さな草が顔を覗かせている。
崩れた屋根や傾いた塀の向こうでは、住民たちは瓦礫を片付けながら、互いに短い言葉を交わし合い、笑みを浮かべていて、戦いの爪痕は残っていても、街全体に満ちる空気はどこか柔らかい。
空はその笑い声に、ほんの少しだけ胸の奥の緊張がほどけていくのを感じた。
「ミミが去ってから、各地の種子も鎮静化したんだ」
前を歩くレイスは振り向くことなく言った。
やがて見覚えのある道に出ると、3人は記録者本部の前に到着した。
ハンゲツが髭を撫でる音すら聞こえそうな静けさが、本部の前を包んでいた。
風が一度だけ木の葉を揺らし、その隙間から差し込む短くも温かい光が老人の横顔を照らす。
「ただいま、戻りました」
レイスが老人に声を掛けると穏やかな顔で空たちを出迎える。
「レイス。それに空と朝陽、よく戻ったのう…して、トガビトはどうであった…?」
「光と影の粒子を追跡しましたが、その姿はありませんでした。また、空と朝陽の話によるとシィロが、自らトガビトを抑えて、旅立ったと」
レイスは空たちに聞いた話をその場で話し始める。
ハンゲツは口を挟むことなく静かにレイスの話に耳を傾けていた。
「そうか…」
全てを聞き終えた後、ハンゲツは思慮するように髭を撫でた。
「…此度の作戦に関わったもの全ては英雄と思うておる……だが、シィロはそれ以上のことを成し遂げたようじゃな…」
ハンゲツは一呼吸置いて続ける。
「どんな想いがあるにせよ、誰かのために全てを捨てて動けるものはそういまい…あの子の行いは誰が何と言おうと忘れずに記録し、伝えていくべきじゃ…」
「…よろしくお願いします、ハンゲツ様。後…いつかシィロが戻ってきたら、褒めてあげでください」
朝陽がハンゲツに言うと、ゆっくりと頷いた。
「もちろんじゃ…さて、2人とも様々なことがあり、疲れたじゃろう。また後ほど、帰還について話そう」
「…ありがとうございます」
「2人とも。部屋を用意してもらっている。着いてきてくれ」
レイスはハンゲツに挨拶するとその場を離れた。
空たちも礼をしてレイスの後を追っていく。
本部を離れ、石畳を進む足音が一定のリズムを刻む。
行き交う住民が軽く頭を下げて挨拶し、遠くからは子どもの笑い声が響く。
空は歩きながら、ふと肩の力が抜けていくのを感じた。
戻ってきたのだという実感が、ようやく心に染み込んでくる。
「レイスさん何処に向かっているんですか?」
「休むと言えば、空も泊まったことのある記録者の宿泊施設だ」
レイスは振り向いて、すぐ近くにある記録者の宿泊施設を指差した。
宿泊施設はミミの影響がなかったのか、以前と変わらぬ佇まいであった。
レイスが扉に手をかけて、重く引きずる音と共にゆっくりと開いていく。
扉が開くにつれてほのかに木材と古い本の匂いが鼻をくすぐった。
磨き込まれた床に、夕陽が窓から差し込み、埃が金色の粒となって漂っている。
その静けさは、街の喧騒とは別種の安らぎを感じさせた。
ホールの中央では石像とエクシウスが3人を静かに出迎えていた。
「このオブジェはやっぱりすごいな…」
空は口を開けたままエクシウスを見上げている。
空の隣に立っている朝陽は、その姿を見て笑いをこぼす。
「このオブジェが、動いて空のことを思い出させてくれたんだよね…」
「え…?どういうこと…?」
「ふふ…これからいっぱい話そう。今まであったことも、これからのこともね」
朝陽と空はエクシウスの前で視線を交差させる。
しばしの間、見つめ合っていると。
「2人とも!置いていくぞ!」
「今、行きます!」
ホールの出口側から、レイスに呼ばれて朝陽は空の手を繋いで駆け寄って行く。
引っ張られて少し体制を崩しながら、空もその後をついていった。
* * *
ホールを抜けて廊下の先。
宿泊施設一階の一番奥にある部屋に到着した。
「この部屋と隣の部屋を使ってくれ」
「あれ…ここって、前に泊まった部屋…?」
部屋の場所に覚えがあった空がレイスに尋ねる。
「ああ…その後に朝陽も…もが」
「レイスさん…!しーっ!」
朝陽が顔を赤くしてレイスの口を塞いでいた。
空は朝陽の行動に首を傾げて不思議そうな顔をしている。
「どうしたんだ、2人とも…?」
「なんでもないよ!」
朝陽の剣幕に一歩後ろに下がる空。
「そ、空は前に泊まった部屋使って!ね!」
「わ、かったよ…レイスさん、色々ありがとう」
レイスから手を離した朝陽は、目に止まらぬ速さで空の後ろに回り込んで、部屋に押し込んでいく。
空が部屋に押し込まれ、朝陽は後ろ手で扉を閉めた。
「…朝陽…?」
「……内緒ですよ?」
にっこり笑う朝陽の目は笑っていなかった。
その目の圧力に、多くの戦いを経験したレイスと言えど何も言えなくなってしまう。
「……わかった」
レイスがぎこちなく頷くのを確認して、朝陽もようやく安心したように頷いた。
(これは…空もこれから大変かもしれんな…)
「じゃあ私は行くよ……朝陽…戻ってきてくれて良かった」
レイスは朝陽に笑いかけると頭をひと撫でして「また明日、来る」と言って去って行った。
部屋の中に入った朝陽はベッドに腰掛けると息を吐いた。
(レイスさんがまた来てくれるまで、少し休もう…)
そう考えてベッドにゆっくりと横になると目を閉じた。
* * *
部屋の扉をノックする音に目を覚ました。
窓の外はすでに日が落ちて、夜が訪れていた。
「朝陽、いる…?」
ノックの音に続けて、空の声が扉の外から聞こえてきた。
朝陽は起き上がって、容姿を整えて扉を開けた。
「…空?どうしたの?」
「いや、お腹空いてないかなって思って、良かったら一緒に食堂に行かない?」
「何も食べてないから、お腹空いちゃったね。誘ってくれてありがとう」
空からの誘いににっこりと笑顔を浮かべて部屋から出る朝陽。
朝陽が手を差し出すと空はそっと手を取った。
「じゃあ、行こう」
2人は食堂へと歩き始めた。
廊下は夜の静けさが肌にしっとりとまとわりついてきた。
窓の外には、昼間は笑い声や足音で満ちていたはずの道が広がっている。
灯りの下では影が長く伸び、その上を夜風がそっと撫でていった。
外から差し込む月明かりが、床の石タイルを銀色に縁取り、二人の影も淡く揺らしていた。
朝陽は、その影が自分と空を一つに繋げているように感じ、胸の奥が少し温かくなる。
「……なんだか、落ち着くね」
空の声は、木目に染み込んだランプの光のように、ゆっくりと朝陽の胸に広がった。
食堂の扉を開けると、そこには誰の姿もなかった。
長テーブルの上には整然と並んだ食器とランプ。
小さな炎が、琥珀色の光で木目をやわらかく照らしている。
窓の外では、夜風が葉を揺らし、かすかなざわめきが波のように寄せては返す。
「俺、何か貰ってくるよ」
そう言うと空は食堂の奥に向かって行った。
朝陽は以前、シィロやレイスと待ち合わせした席に腰を下ろした。
静かな食堂は心を落ち着かせるには十分な空間であった。
「お待たせ」
温かい湯気の立つスープとふっくらとしたパンをトレイに載せて空が運んできた。
温かな湯気がふわりと顔に触れ、スープの香りが鼻をくすぐる。
張り詰めていた肩の力が、自然とふっと抜けていった。
空の向かいに座ると、その瞳に灯りが映り込み、まるで星が瞬いているみたいだった。
空は朝陽と向かい合う席に座る。
どちらが言い出すわけでもなく、お互いに手を合わせた。
「いただきます」
そして、2人ともスプーンを手に取ってスープを食べ始めた。
しばらく無言で食べていたが、空はスプーンを手にしたまま尋ねる。
「……ねぇ、朝陽」
「どうしたの空?」
「アズールヘヴンで……俺がいなくなった後、何があったのか、聞いてもいい?」
朝陽は少しだけ間を置き、スープの表面に映る揺れる灯りを見つめる。
そして、口を開いた。
「……私も、空に聞きたいことがあるんだ」
互いに目を合わせた瞬間、ふっと笑みがこぼれた。
言葉にするより先に、胸の奥がほどけていく感覚だけが、確かにそこにあった。
* * *
「そんなことになってたんだね…」
「ああ、結局は俺の責任なんだけどね……朝陽、本当にごめんな…」
ノエリウムのこと。
朝陽が消えた後のこと。
アズールヘヴンに来てからのことを空は全て話して謝罪した。
「……お母さんの形見のこと、黙っていたのはダメなんだろうけど、ちゃんと私を助けてくれたから許すよ」
「……ありがとう、朝陽…」
「でもこれからは、内緒にしないで何かあったら話をしてね?」
「うん、もちろん…朝陽も何かあったら教えて欲しい。力になりたいからさ」
「ありがとう、空。そうさせてもらうよ」
空の言葉に朝陽は嬉しそうに笑った。
「……ところで、地球戻ったらどうしようっか」
食後のお茶を一口飲んでから空に尋ねる。
「戻ったら、か…そう言えばこの世界と地球は時間の流れが同じなのかな…朝陽の存在が戻ったけど、失踪扱いになってたりしないよな…?」
「うわ…あり得るかも…あ、でもお父さんに会ったんだよね…?」
「会ったには会ったけど…覚えているかな…」
「多分大丈夫…お父さん、アズールヘヴンのことやノエリウムのことを知ってると思うから…空が声を掛けたことと繋がっている…と思いたい…」
「とりあえず帰ったら説明かな…?」
「…そうだね…きっと信じてくれるよ」
「後さ…戻ったら、ヒナタさんのお墓参り行ってもいいかな…?」
「…お母さんの?」
「きっと今も見守ってくれてるけど、朝陽を助けられたこと。もう一度、お礼が言いたくてさ…」
「…わかった、それなら一緒に行こう」
朝陽は母を思い出して一瞬だけ寂しそうな顔を浮かべたが、すぐにそれも消えてしまった。
「ねぇ、空…。お母さん何か言ってた…?」
記憶の祭壇。
ヒナタとの出会いと別れを思い出す。
少しの間の出来事だったが、それは空の中で決して忘れられないものの一つとなっていた。
「…朝陽の頬をとても愛おしそうに撫でながら、おかえり、幸せになってって言ってたよ…」
その言葉が零れた瞬間、朝陽は小さく息を呑み、視線が揺れた。
自分の頬にそっと指先を触れると、そこに母の温もりがふっと蘇る。
寂しさ、安堵、嬉しさ——すべてが混ざり合って胸がいっぱいになる。
「幸せになって、か…お母さんらしいかな…」
朝陽の声は震えていたが、その瞳は確かに笑っていた。
「お母さんに言われたなら、頑張らなきゃね!」
想いを包み込むように握った拳を胸の前に持ってくる朝陽。
「朝陽…転校してきたときと変わったよな…いや、神社で会った頃みたいに戻ったのか…」
「…それはきっと空やシィロさんたちのおかげ、かな……私、お母さんが死んじゃって、ずっと寂しくて、もういいやって思ってたんだ…でも今回のことで私はたくさんの人に支えられてたんだって気付いたの…だから素直になろうって」
「…いいと思う。前も放っておけなかったけど、今はもっと魅力的って言うか…」
空は想いを言葉にすることで照れて小声になっていった。
「ふふ…ありがとう」
「よ、よし!もう遅いし部屋に戻って休もう!」
空はお茶を飲み干して立ち上がり、コップを下げに行った。
「あ、待ってよー」
朝陽も急いで立ち上がると空の後に着いて歩く。
二人は返却口にコップを置くと、並んで食堂を後にした。
廊下には足音だけが響き、その音も夜の静けさにすぐ吸い込まれていく。
「じ、じゃあ、おやすみ」
「…うん、おやすみ。また明日ね」
部屋の前で交わされた笑みは短かったが、その余韻は扉が閉まった後も残っていた。
空は背中にそのぬくもりを感じたまま、自室の扉を押し閉める。
(魅力的ってなんだよ……っ)
頭から布団を被り、じたばたと足を動かす。
けれど、その足先までもが火照っていて、どうにも眠れそうになかった。




