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そらのかけら  作者: 夜と雨
最終章:
69/71

第六十五話

 誰かの声が聞こえる。

 水中にいるみたいで、はっきりと聞き取ることは出来なかったが、ぼやけていたピントが合わさっていくような気がした。


 辺りを見ると白と黒が混じる霧のような場所にいる。

 重力も、音も、温度も感じない。

 空は、何もない空間にただ立っていた。


 ……どれくらいここにいたのか、わからない。


 時間の感覚も、記憶も、どこかぼやけている。


(どうして、こんな場所に…それにこの声は…?)


 優しくも凛々しいその声は今も鼓膜を揺らしている。

 ふと、微かな風が吹いた。


 風に乗って、声がはっきりと聞こえる。


 「……空……戻ってきて……」


 懐かしい声だった。優しく、どこか切ない響き。

 誰の声かは思い出せない。

 でも、心の奥が無性に苦しくなる。


 空が目を伏せると、地面のないはずの足元に、光が集まっていく。

 そこに浮かび上がるのは——少女の姿だった。


 彼女はまっすぐこちらを見て、口を動かしている。


 (……祈ってる……?)


 声ははっきりと聞こえない。でも、確かにわかる。

 届けたいという想い。空に還ってほしいという願い。

 そして、何かを赦そうとしている願い。


 胸の奥で、何かが鳴った。

 

 * * *


 空の中に、何かが流れ込んできた。


 忘れていた記憶。

 共に笑ったこと。喧嘩したこと。


 幼い日の約束。


「……朝陽……」


 名前を口にした瞬間、胸に灯がともるように、霧がひと筋ずつ晴れていく。

 その名が、自分の軸を取り戻す鍵のように感じた。


 何もなかった空間が、世界の輪郭を取り戻していく。


  * * *


 意識がハッキリとした。

 空は自分が薄暗い空間にいることに気がつく。


 ……ひくっ、ひぐっ……。


 目の前の光の中で泣き声が聞こえる。

 そこには蹲って泣いてるミミがいて、自分は彼女に寄り添っているようだった。

 自分の意思で動くことも話すこともできない。


『……もう、大丈夫……頑張ったね……ずっと、ここにいるよ……君のそばに……』


 口は勝手に言葉を紡いでいく。

 自分が機械になったような感覚。


(ここは…?そうだ。俺、ミミとの約束を果たして…一緒にいることを選んだ…)


 ミミが泣き止む気配はなく、空には何もすることができない。

 そのことにもどかしさを感じた。


(……でも、なんでミミはこんなに泣いているんだ…?)


 ミミの震える背中を見つめながら、空の胸に痛みが走る。


(もしかして…俺が、こんな状態になったから…?)


 事実かはわからないが、そう考えてしまった。

 空は身体を動かそうとする。


(せめて…少しでも、何かを伝えられたら…)


 泣いている姿を見ながら何度も挑戦するが動けなかった。


「……誰か…私を見てよ……」


 少女がぽつりと溢す言葉。

 その声が、アズールヘヴンに来てからのことを思い出させる。


 ずっとシィロがいてくれたこと。

 彼女がいなかったら、空はおそらく途方に暮れていたに違いなかった。


(ミミはずっと孤独だったのか…俺だってシィロやレイスさん、それに朝陽ががいなかったらと思うと…)


 そう感じた瞬間、聞き慣れた声と共に、“想い”が流れ込んできた。


「……空さん…?」


 ——シィロ。


「待って!様子がおかしい…」


 ——朝陽。


 2人の声と想いが、ミミの空間に差し込んでくる。


(……どうして2人がこの場所に…?)


 混ざるように流れてくる声に応えようとするたびに、空の心が揺れる。

 何かが少しずつ溶けていくように感じた。


(何かが変わって……?)


  * * *

 

「朝陽さん、心配しないで。私が、残ります。ここで、この子のそばに居ますから——」


 シィロは決意を宿した瞳で朝陽に言い放った。

 その言葉を一瞬、理解することができなかった。


「な、にを…何を言ってるんですか!シィロさんにだって待ってる人はいるでしょう!?」


「私には!!…私には待ってくれる人は居ませんよ…」


 シィロの声は頑なで、朝陽の声を掻き消すほどに力が込められていた。


「この子は私と同じなんです…捨てられて、ずっと独りで…記録者になっても役立たずで、邪魔者で、周りからは疎まれていて…」


 シィロが力なく笑う。


「…本当は苦しかったんです…誰からも必要とされていなかった…出来ることなら、消えてしまいたかった…!」


 シィロの告白に朝陽は言葉を失っていた。


「だから……私は、ここで意味を見つけたいんです。私が助けられなかった私自身の孤独を…私と似たこの子の孤独を終わらせることで……」


 強張った表情で呟くように言うシィロ。

 まるでそれしか道がないと言わんばかりであった。

 そして、すぐににっこりと笑って朝陽を見る。


「朝陽さん……代わりに、空さんのこと……お願いします」


「……え?」


「朝陽さんには、空さんがいます。——どうか、私のためにも幸せになってください」


 シィロはそう言うと、静かにミミの前に歩み寄り、そっと膝をついた。

 そして、震える手でミミを優しく抱きしめる。


「……大丈夫だよ。ミミ……もう、泣かなくていいんだよ」


「…もう、ひとりじゃ、なくていいの…?」


 ミミの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。

 それをシィロの肩に預けるように、身体が寄り添ってくる。


 その瞬間、周囲の闇が、静かに動き始めた。


 ミミの身体を包むように伸びる光と影——それは、やがてシィロの身体に伸びて行った。


 ミミの心の闇を、シィロが優しく引き受けていくように、二人の想いが重なり、寄り添い合う。

 闇は少しずつその輪郭を失い、空の意識が、ようやく戻っていった。


(身体が…声が……)


「…ミミ」


 そのとき、機械のように同じ言葉を話していた空から、初めて“空自身の声”が響いた。

 朝陽とシィロは息を飲んで、空の顔を見た。


 ミミは空をじっと見つめていた。


「……ミミが苦しかったこと……ちゃんと俺にも届いた……」


 その声には、悔しさと、何かを守ろうとする静かな決意が宿っていた。


「本当にごめんな……俺、向き合わなきゃいけなかったのに……」


 ミミが応えることはなかったが、肩がびくりと震えた。

 その姿を見て、空の胸は痛みを覚えた。


 次に空はシィロに向き直る。


「シィロも…」


「……空さん?」

 

「シィロ。俺はシィロがそばに居たことで救われたんだ」


 空はいつかを思い出しながら言った。


「朝陽を失ってから、シィロはずっと近くで支えてくれたよな…ここに来てからだって、シィロの明るさに何度助けられたか…」


「うん、私も。シィロさんにたくさん助けてもらったよ…」


 同じように朝陽も想いを伝える。


「俺にはシィロが役立たずだなんて、思わないし思えない…レイスさんたちだってそうだろう…?」


 空の言葉にシィロの瞳がわずかに揺れる。


「…だからさ。ここでさよならなんて言わないで、皆でずっと居られるような良い方法を探そう…」


「……そう言って下さってありがとうございます…私の人生に意味があるとするなら、それはきっとお二人に会えたことだと思います…」


 シィロは静かに呟くように言うと二人に向けて控えめに笑う。


「だったら…!」


 空は声を荒げて、ぐっと足を踏み出した。

 今にも手を伸ばして引き止めようとする——けれど、次の言葉がそれを止めた。


「それでも、私はこの道を選びます。…それに外には暴走したミミがいて放っておけない。このまま、この子の想いを誰かが包んであげないと…本当にこの子は独りで救われくなってしまいます」


 空と朝陽の心にはミミから溢れた想いが深く刺さっていた。

 瞳の中の揺れはおさまっており、再び決意に満ちていた。


「……それに、この子となら……少しだけ、笑える日が来る気がするんです」


「なぁ、シィロ!本当に…こうするしかないのか…?もう会えなくなるかもしれないんだぞ!」


 シィロの決意に少しでも別れを引き延ばすかのように言葉を探していたが、口がうまく言葉を紡げなかった。


「ええ……私が、そうしたいんです…でも、またいつか会えるはずです。たとえ形を変えても、想いはきっと、巡り合うんですから」


 空は唇を噛みしめて、ただ拳を強く握りしめた。

 涙は流れずとも、その肩は小さく震えていた。


 シィロは空と朝陽を見て、静かに笑う。


「空さん、朝陽さん…いつか、どこかでまた会いましょう」

 

 シィロとミミの魂が、静かに重なっていく。

 痛みと孤独を抱えた影に、祈りと微笑みの光がそっと寄り添っていく。

 それは、赦しと再生だった。


 光と影が粒子となり、やがて境界にほどけていった。


「待って…!」


 朝陽が光に手を伸ばす。

 けれど、その手は空を切り、何も掴むことはできない。

 言葉にならない声が、喉の奥でちぎれるように洩れた。


「——ありがとう。……さようなら」


 シィロの声が聞こえた、ような気がした。


 * * *


 朝陽と空の意識は、柔らかな光の中で再び沈んでいった。


 夢の中で、ふたりは見た。


 淡い霧の中、手を繋いだ二人の少女の姿——


 ひとりは、優しげに隣を見つめるシィロ。

 もうひとりは、大切なものを見つけて嬉しそうな表情の小さなミミ。


 ふたりは静かに歩いていく。振り返ることはない。


「——行きましょう、ミミ」


 その声は、風に溶けるように、優しく響いた。


 やがてふたりの姿は、光の向こうにゆっくりと溶けていった。

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