六十三話
レイスや記録者たちの活躍によって、祈りの舞台に誘き出されたトキビト。
そこで朝陽と暴走したトガビトが対峙する。
——それより少し前。
シャワールームで装束に着替えた朝陽はシィロと共に選定者の元に向かうために記憶の塔に向かう昇降機に載っていた。
昇降機が音もなく上昇していく。
だが、その静けさとは裏腹に、朝陽の胸の鼓動は次第に速くなって、じんわりと熱を帯びていく。
朝陽は白装束の裾をそっとつまむ。
緊張からか、指先にはわずかに汗がにじんでいた。
「そういえば…シィロさんも着替えたんですね」
シィロも朝陽と同じように白いワンピース型の服を新たに着ていた。
「…私は祝詞は唱えないので、必要ないと思っていたのですが、装束を取りに行った時に堕ちてしまったとは言え、神前には変わりないので綺麗な服を纏うように、と言われまして…」
「確かに……でも、可愛いデザインですね、その服」
「あはは、いつも白い服を着ているので変わり映えしないとは思いますが…」
シィロは着ている服を見せるように袖を持ち上げて拡げてみせた。
「そんなことないですよ?すごく素敵です。……なんだか、似合ってるって言いたくなったんです」
「…ありがとうございます…」
朝陽に褒められて、シィロは照れたように笑った。
「あ…もう着きますね」
昇降機の上昇が止まる感覚がして扉がゆっくりと開いていく。
扉の先に続く巨大な回廊。
高い天井、星空のような光がきらめく壁面。
幾重にも積み上がる“記録の書”たちが、空気を震わせるような静けさを抱えていた。
その中央に蒼い光を帯びて立っている記憶の塔。
2人は昇降機を降りて塔を目指していく。
「シィロさんに聞いていましたが…すごい幻想的ですね…」
朝陽は壁のひとつひとつに刻まれている光の文字列を歩きながら眺める。
指先が自然と伸び、文字の輪郭をなぞるように触れる。
淡く発光するその触感は、温もりにも似た感覚を与えた。
「そうですね…私も何度来ても夢の中にいるみたいな気分になります」
会話を続けながら少し進むと剪定者が見えた。
彼女はこちらに気がつくとわずかに微笑んだ。
背後の光がゆらぎ、彼女の輪郭が一瞬だけ淡く揺らめいた。
『来ましたね。2人ともよく似合っていますよ』
そう言って2人を迎え入れる剪定者。
「お待たせしました」
『…然程待ってはいませんが、時間はあまり残っていません…行きましょうか』
剪定者は記録の塔の扉を開けて、中に入っていく。
朝陽たちもそれに追従した。
塔の扉がゆっくりと開いた瞬間、内部から冷たい風が流れ出した。
朝陽の背筋に、ひとすじの緊張が走る。
まるで、ここがただの場所ではなく、“記憶”そのものの心臓部であるかのように思えた。
「剪定者。先ほど時間が残っていないと言っていましたが…もしかして、もう近くに…?」
剪定者の小さな背中にシィロは尋ねる。
『トガビトは…トキレイムから5キロメルトルほどの場所まで迫っていると聞いてます』
振り向くことなく言葉を紡ぐ剪定者。
「遠くない場所…レイスさんたちは無事ですよね…?」
『……記録者が1人…闇に侵食されて、離脱したと』
「え……そんな…その1人は、無事なんですか…」
朝陽の顔が青くなり、祈るように尋ねた。
『その場に居合わせたアジクが闇を操作して取り込んだため、離脱した記録者に命の別状はありませんでした』
「…そうですか…無事でよかった…」
剪定者の言葉にホッとする朝陽。
「闇を操作…アジク様はそんなことが出来たんですね…と言うよりも誘導作戦に参加されていたんですね」
シィロが朝陽の背後でつぶやくように言った。
『彼にどう言った意図があるのかは分かりませんが、記録者たちの作戦参加に手を貸したようですよ』
「…珍しいですね、あのアジク様が」
シィロは黙って何かを考え込んでいるように見えた。
しばらく誰も言葉を発しないまま、石を素材とした質素な階段に到着した。
『祈りの舞台には、この階段を登る必要があります』
剪定者は朝陽たちを振り向いて、階段を指差した。
階段の先は薄暗く、灯りは存在していないようだった。
「随分と暗いですね…灯りとかはないんですか…?」
『灯りについては行けばわかると思います』
「シィロさん…行ってみましょう」
「え…朝陽さん?」
朝陽はシィロの手を握って階段に足をかける。
そのとき、階段に変化があった。
足を乗せた部分から光の粒子が舞い上がった。
「これは…そういうことですか…?」
シィロが剪定者を振り返ると彼女は肯定するように頷いた。
『そういうことです。それでは朝陽、シィロ、頼みましたよ』
「剪定者は来ないのですか…?」
『ここからは…あなたたちが紡ぐ必要があります…世界の明日を変えるかもためにも…』
そう言い残すと、剪定者の姿は風に溶けるように消えた。
「剪定者!……行ってしまいましたね…」
シィロは息を短く吐いた。
隣にいる朝陽に目を向けると、お互いに頷いて階段を登り始めた。
* * *
足元と進む先を確認しながら、無言で階段を登っていく。
一歩踏み出すたびに、足元から浮かび上がる金色の粒子。
それらは舞い上がり、儚く空中で弾けて消えていく。
呼吸が少しずつ浅くなっていく。
静けさが、鼓動だけを浮かび上がらせていた。
「あそこに光が見えますよ!」
シィロが階段の上を指差した。
そこには赤い光が見える。
風が吹き抜け、朝陽の装束の裾がふわりと揺れた。
「着いたみたいですね…」
登っていた時間は定かではないが、朝陽は僅かに息が上がっているようだった。
そしてすぐに出口に到達した。
塔の最上階。
その拓けたその場所には天井は存在せず、空が広がっていた。
空は、どこまでも赤く染まり、どこか懐かしさを帯びていた。
また、石畳の床に、木造の舞台が設置されており、2人には一目でそれが祈りの舞台だとわかった。
舞台の板には、誰かの祈りが染み込んだような、深い静けさがあった。
「これは、本当に舞台って感じですね…」
「ふふ…なんだかとても長かった気がします」
2人は目を合わせると笑うと朝陽はすぐに顔を引き締めて言う。
「シィロさん、少しだけ…集中したいので1人になってもいいですか?」
シィロも何かを察したのか頷いた。
「それでは私は階段の方に戻っていますね」
振り返る直前、シィロはほんのわずかに朝陽の袖をつまんでいた。
言葉にならない何かを伝えるように、そしてすぐに手を離した。
そう言って振り向き、階段を降りていく。
朝陽は深呼吸をすると舞台の中央へと向かっていく。
(祈りの言葉…自ずと心に浮かんだもの…)
朝陽には自分に清い心があるかは正直わからなかったが、揺るぎない想いであれば持ち得ているのではないかと感じていた。
(…空を取り戻す…彼がそうしてくれたように…)
空を想うと胸が高鳴る。
まるで、彼の手が背中を押してくれているような気がした。
(うん…大丈夫…)
朝陽は赤く染まった空を見上げる。
高く昇った風が、衣の裾を舞い上げる。
視線の先には、赤と青が溶けあい、ひとつの世界を成していた。
その世界は朝陽の心を昂らせるようだった。
風の音だけが耳を叩く。
* * *
朝陽はトガビトが導かれてくるその時を静かに待っていた。
遠くで地面を揺らすような音が響く。
「朝陽さん、今の音は…?」
階段からシィロが姿を見せる。
その声に朝陽は閉じていた目を開いて、シィロに目を向けた。
「来たみたい…」
朝陽は小さく頷いた。
「……朝陽さん、準備が出来たみたいですね」
「シィロさんもね…」
朝陽の表情から覚悟を感じ取ったシィロ。
2人は目を合わせて笑いをこぼした。
「……そうだ…朝陽さんは全てが無事に終わったら、何がしたいですか?」
「…全てが終わったら…?そうですね…まずは空に”おかえり”と”ありがとう”と”ごめんね”って伝えたい…かな?」
朝陽はそのときを考えて質問に答える。
「その後は、帰ってしまいますよね…?」
「うん…お世話になった人たち、全員に感謝を伝えて…最後は地球に戻ることになると思います」
「そうですよね…」
シィロの顔を俯いた。
「シィロさん?」
「いえ、少し寂しいなって思いまして。折角、お二人と仲良くなれたのになって…」
俯いたシィロの顔は悲しみの表情と何かを恐れているような表情が混ざり合っていたが朝陽には見えなかった。
「うん…確かにそうですね…私も寂しいです…でも、また会えますよね…?」
朝陽はシィロに一歩近づく。
「…もうノエリウムも地球にはありませんし…お二人が戻ってしまえば、たぶん会うことはなくなるんだと思います…」
シィロは顔を上げて、涙を堪えるように笑う。
「私は任務で地球に行ってましたからね…でも、うん、悲しんでばかりではダメですね!空さんを助けるのもこれからですからね!」
強がってみせるシィロに朝陽は側まで歩くとゆっくりと頭に手をのせた。
突然のことにシィロの肩がビクリと上がる。
「悲しんでも良いんですよ、私も悲しいし寂しいですから。それに、もう会えないって決まった訳ではないですよ。想いがあれば何とかなるはずです」
そう言いながら、シィロの髪を優しく撫でる。
陽だまりのような手の温もりにシィロの肩がかすかに震える。
声にならない嗚咽。
目尻に溜まった涙が、ぽたりと衣に染みをつくる。
「う…うぅ…そうですよね、ごめんなさい…大事なときなのに…自分のことばっかり考えてしまって」
涙が次々と落ちていく。
「自分のことは大事にするべきですよ。シィロさんはそれでなくても人のために頑張っているんですから」
「…ありがとうございます…」
そのとき、舞台の外で一際大きい音が続く。
石畳の向こうから、空気がざわめくような感覚が広がってきた。
音ではなく、気配が迫ってくる。
重く、黒く、圧倒的な何かが——確かに近づいている。
シィロはハッとして頬を伝う涙を袖で拭った。
「こんなことしてる場合じゃないんでした…!ごめんなさい…!変な空気にしてしまって!ちょっと見てきます!」
シィロは朝陽に謝ると、慌てて塔の端の方に向かっていった。
石畳を踏みしめる足音が、緊張の高まりと共鳴するように響いた。
「あっ!あれはレイスさんと…ミミ!?朝陽さん!もうすぐ、ここに来ますよ!」
シィロはそれだけ伝えると再び、塔から顔を出してそこから見えたであろうレイスに話しかけた。
「レイスさん!こちらです!!」
そして、レイスと共にトガビトが最上階に現れた。
祈りの舞台にトガビトの咆哮が響いた。




