第五十四話:フラジャイル
「……朝陽さん、そろそろ行きましょう!」
弱さを隠して、柔らかな笑顔を浮かべるシィロは朝陽に手を差し伸べてくる。
朝陽も小さく頷いて、その手を取った。
* * *
ふたりは食堂の裏手、直接外へ出られる細い通用口を抜けて施設の外へと出る。
柔らかな朝の光の中、トキレイムの町並みが静かに広がっていた。
「シィロさん、記憶の祭壇って、どこにあるんですか?」
歩き出しながら、朝陽が問いかける。
「記憶の祭壇ですか?……あちらに見える門を出て、街道をずっと進むと古い山道に当たります。その山道を更に奥深くまで降っていくと、ようやく記憶の祭壇に……という感じでしょうか」
「それは……結構、厳しい道のりになりそうですね」
「そうですね……ただ、森を通らない分、迷うことはありません。単調なルートではありますが、起伏が多いので……」
そう言いかけて、シィロはふと朝陽の姿に視線を落とした。
「……朝陽さん。一度、装備を見直しましょう。ついてきてください」
「え? シィロさん?」
シィロは言うが早いか、朝陽の手を取り、軽やかに道を逸れていく。
「ど、どこに向かってるんですか?」
「朝陽さんの今の靴……少し歩きにくそうなので、履き替えた方がいいと思います。山道は、油断すると足を滑らせますから」
「…あ、でも、大丈夫ですよ? 私、ちゃんと歩けます」
そう言って朝陽が見下ろした自分の足元には、学校指定の黒い革靴。
磨かれてはいるが、見るからに柔軟性はなく、山道向きではなさそうだった。
「そう言わずに。ここで怪我をしたら、記憶を取り戻す前に引き返すことになります」
「……うっ……」
正論すぎて反論できない。
シィロの表情は真剣で、どこか微笑ましいほど心配してくれていた。
「……わかりました。じゃあ、お願いします」
朝陽は観念して頷いた。
しばらく歩くと、小さな服飾店のような場所にたどり着いた。
店の外には、丈夫そうな布地のコートや旅装用の小物が並び、窓際には軽登山向けの靴が丁寧に飾られている。
「……本格的ですね」
「ここは記録者向けの装備を扱っているお店です。少し古いですが、加護のついた服もあります」
「加護?」
「はい。この世界には、“祝福の糸”と呼ばれる特殊な繊維を用いた衣服があって……身につけると軽くなったり、疲れにくくなったりするんです。朝陽さんは1ヶ月ほど寝ていたので体力も以前より減っている可能性がありますので、そう言った衣服でカバーしたほうが良いと思います。」
「……体力、カバー…便利なんですね、そういうの」
朝陽が目を見開くと、シィロは嬉しそうに笑った。
「せっかくですから、見繕ってみましょう。旅は見た目から、ですから」
「は、はい……(その理屈ちょっと違う気がするけど)」
店内を物色したところ、結局、朝陽は白を基調とした、やや伸縮性のある薄手のワンピース調の装備に着替えることになった。
見た目は制服とさほど変わらず、動きやすいスパッツが下に隠れているデザイン。
足元は、グレーの軽登山靴に変わった。
「……なんだか、違う世界の人みたい」
「実際に違う世界の人ですから」
「……そっか、たしかに」
ふたりはお互いを見ると少し笑った。
「では、朝陽さん、祭壇に向けて進みましょう」
「はい…!」
シィロの言葉に強く頷いた朝陽。
そして、祭壇の方角へ向かう門に戻っていった。
* * *
門を抜けると、ひんやりとした風が頬をかすめた。
そこから先は、穏やかな草の香りとともに広がる街道。
両脇には低木が並び、時折小さな蝶が舞っては、朝陽の肩を掠めて消えた。
「……静かですね」
「このあたりは元々、旅人が通る以外ほとんど人の気配がありませんからね。ただ、森の中まで入ると危険な生物がいるので、注意は必要ですね」
「危険な生物…ですか?」
「はい…例えば、私たちの記憶を読み取って、油断している間に襲いかかってくる存在や先ほども言ったトガビトの存在…」
「あの…種子が芽吹いた…っていう…?」
「ええ、異変が起きたのは1ヶ月前程なのですが、この世界の各地でトガビトの被害が急増したんです。トキレイムの町でもトガビトが出現して死傷者が出ました…」
シィロは少し立ち止まり俯いている。
「トガビトの発生については不明だったため、最初は原因がわかりませんでしたが、最近になってようやく、ミミという特異型のトガビトが原因ではないかと仮説が出たんです…」
「…どうやってわかったんですか…?」
「……最初に犠牲になったのはふたり。どちらも記録者でした……そして、そのふたりは以前、そのトガビトに捕えられていたんです……」
「……捕えられていた?」
朝陽が眉を寄せると、シィロは小さく頷いた。
「はい……当初は救出された後も、ふたりとも外傷はほとんどなく、異常はないとされていました。けれど、ある日、ふたりの体内を突き破るように……同時にトガビトが発現したんです」
「…………っ」
朝陽は息をのんだ。
「まるで……体の中に、“種子”を埋め込まれていたかのように。記憶の奥深くに潜み、時間をかけて、発芽するのを待っていたんです」
「……植物じゃないんですよね? でも、“種子”って……」
「はい。名目上、“種子”と呼んでいるだけです。構造も、性質も、おそらく植物とはまったく異なります」
「……じゃあ、偶然だったんですか?」
「それが――ふたりが倒れたのは、ちょうど“各地で一斉にトガビトが出現した日”だったんです」
「え……」
「何かが引き金になって、“同時に”発芽したように見えるんです。だから、感情の蓄積や個人の状態には関係がないと考えられています。むしろ、外からの何か――強制的に“開かされた”可能性もあると」
しばらく無言になって、ひとつ小さく息をつくと
「ただ……やはり、本当の原因は不明のままですけどね……」
そう言って、シィロは少し遠くを見つめるように呟いた。
「……ところで、しばらく歩いてきましたが、調子はどうでしょうか?」
「“疲れにくくなる”っていうやつですね」
朝陽はその言葉を反芻しながら、自分の足元に目を落とす。
最初はやや固く感じた靴だったが、今はもうすっかり馴染んでいた。
歩くたびに地面をしっかりと捉え、足取りが軽い。
装いも、動きやすく温度調整が効いているのか、快適さを保っている。
……きっと、これが“加護の効果”なのだろう。
街道を抜けるまでに、およそ一時間。
昼にはまだ少し早い時間だったが、ふたりは小さな開けた丘の上に腰を下ろすことにした。
柔らかな草が風にそよぎ、遠くには山の稜線が霞んでいる。
岩陰に腰かけて、風を避けながら、シィロは持参していた大きなリュックを開いた。
中には、ふたつの丸いパンと、干し果実、そして固く練られた保存食のような菓子が丁寧に詰められている。
「よろしければ、どうぞ。簡単なもので申し訳ないのですが……」
「ありがとうございます。すごく助かります」
朝陽はパンを両手で包みこみ、ひとくちかじった。
素朴な味わいが口に広がる。
「……なんだか、こうしてると、遠足みたいですね」
「遠足、ですか?」
「はい。こうやって歩いて、途中でお弁当食べて……普段なら学校でしか体験しないようなこと、してる気がします」
「……朝陽さんにとっては、全部が“遠くの世界のこと”ですもんね」
「そう……かも。でも……呑気にはしてられないですね」
風の音にまじって、小鳥のさえずりが遠くから聞こえる。
しばらく、静かな沈黙がふたりを包んだ。
そのあと、朝陽がぽつりとつぶやいた。
「……シィロさん、ごめんなさい」
「……?」
シィロが顔を向けると、朝陽は視線を落としたまま、静かに言葉を継ぐ。
「私……シィロさんを巻き込んでしまったなって……。今も、危険な旅のはずなのに」
「……朝陽さん」
「“空を思い出す”っていう、私の願いにかこつけて……シィロさんに無理をさせてるんじゃないかって……だから、ごめんなさい……」
その声はどこまでも穏やかで、小さかった。
けれど、一語一語に込められた思いが、空気の中に重く染みこんでいく。
シィロはひと呼吸おいてから、柔らかな声で言った。
「朝陽さん。何度でも言いますが、私はあなたの力になりたいんです。役立たずかもしれないけど、それでも……誰かのために、何かをしたいんです」
彼女の声は、震えそうな思いをそっと押し留めるように、静かに響く。
「だから……謝らないでください」
「………」
「私が自分の意志で決めたんです」
「……ありがとう、シィロさん」
それは決意というより、自然と零れた言葉だった。
風が、ふたりの間を抜けていった。
立ち上がったシィロに、朝陽は小さく笑って続いた。
「では……出発しましょう。記憶の祭壇は、もうすぐです」
「はいっ」
* * *
日が、ちょうど空の真上に差し掛かる頃だった。
ふたりは、ようやく山道の入り口へと辿り着いた。
石畳が終わり、そこから先は自然のままの土の道。木々が左右から覆いかぶさるように迫り、昼間だというのに、道の奥はうっすらと薄暗く、一見では道だとは気が付かないような道だった。
「……ここですね。ようやく着きました。この山道を下っていけば、記憶の祭壇です」
シィロが穏やかな声で言う。
だが朝陽は、目の前に“森の入口”を見て、ほんの少しだけ身をすくませた。
「……けっこう……暗いんですね」
「はい。木々が多くて陽が入りにくいんです。あと、谷になっているので湿気も多めで……」
「……あ、あの、シィロさん……ここって、まさか……お、お化けとか、出ませんよね?」
朝陽がやや小声でたずねると、シィロは一瞬だけきょとんとし——すぐに、ふっと微笑んだ。
「……心配しなくても大丈夫ですよ。お化けが出るような気配はありません。それに、私が一緒です」
「う……」
思わず情けない声を出してしまった自分に、朝陽は恥ずかしそうに顔をそらす。
「……あの、私、ホラーとか……実は、ちょっと苦手で……」
「ふふっ」
くすりと笑ったシィロが、そっと朝陽の手を取った。
「では、私がずっと近くにいますから。怖くなったら、何でも言ってくださいね」
「……う、うん。ありがとう、シィロさん」
まだ先の見えない山道。
けれど、隣を歩くその手の温かさが、ほんの少しだけ朝陽の胸を落ち着かせてくれた。
* * *
ふたりは手を繋いだまま、山道をゆっくりと降りていく。
辺りは徐々に薄暗くなり、森の奥から、じわじわと霧が湧き上がってくるようだった。
「よ、よくこんな道、知っていましたね……」
周囲をきょろきょろと見渡しながら、朝陽が小声でつぶやく。
「……この道は、以前、朝陽さんを運んだときに通ったんです。それまでは私も、存在すら知りませんでした」
そう言った瞬間、頭上の木々の間からバサッと何かが飛び立つ音が響いた。
「……!」
朝陽は肩をびくりと震わせ、声も出せずに固まる。
シィロは笑うのをこらえるように、小さく息を吐いた。
「……あれはたぶん、大きな鳥です。驚かせてしまってすみません」
「び、びっくりしました……」
「足元、滑りやすいので気をつけてください。ここから先は、石段も一部崩れている場所がありますから」
「……は、はい」
朝陽は足元に気を配りながら、そろそろと歩を進める。
霧はさらに濃くなり、視界の奥がかすんで見える。
「……シィロさん、道……ちゃんとわかりますか?」
「はい。いくつか目印がありますので、慎重に行けば迷うことはありません」
そうして、ふたりは霧の中を慎重に進んでいった。
長い時間が経ったような気がしていたが、実際には一時間ほどしか歩いていなかった。
やがて、少し開けた崖のような地形に差しかかったときだった。
「……あれ?」
朝陽が、ふと立ち止まって上を見上げる。
木々の隙間、その上方から、崖を下るように伸びた一本の古びたロープが揺れていた。
「……このロープは……?」
シィロはそれを見つめながら頷いた。
「……初めて記憶の祭壇に来たときは、崖上からロープで降りてきたんですよ。ここまで来たということは…おそらく……この先ですね」
霧の中、わずかに開けた道が、さらに奥へと続いている。
やがて足元の道は石段へと代わり、ふたりはそこを、慎重に進んでいった。
やがて——
視界が開ける。
そこにあったのは、荒れ果てた聖域だった。
黒く焦げたような草花が、地表にへばりついており、周囲に天井から落ちてきたであろう岩が存在していた。
地面も深くひび割れが走り、そこからは、まだ癒えきらぬ闇の名残のような空気が漂っていた。
それでも。
その中心に立つ、“記憶の祭壇”だけは——
まるで、何ひとつ触れられていないかのように、静かに、神聖なままの姿を保っていた。
「……ここが、記憶の祭壇……」
その瞬間。
朝陽の胸の奥で、何かがわずかにざわめいた。
——懐かしさ。
——痛み。
——そして、呼ばれているような、遠い気配。
「……朝陽さん?」
隣で問いかけるシィロの声に、朝陽は小さく首を振った。
「……ううん。なんでもない。……でも、きっと、ここに何かがある…よね…」
そう言って、祭壇へと静かに歩き出した朝陽の瞳に、迷いはなかった。




