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そらのかけら  作者: 夜と雨
第九章: 消える世界、君のために
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第五十二話:リコレクション

作者にも記憶の改竄ががが…ちょっと調整しました。

 廊下に足を踏み出すと、静けさがいっそう濃く感じられた。

 柔らかい灯りが天井に沿ってぼんやりと続いていて、どこまでも夜の夢の中を歩いているようだった。


 足元に敷かれたカーペットは吸い込むように音を殺し、朝陽の足音だけが、かすかに自分の鼓動に混じっていく。

 歩くたびに、まだ万全ではない体がぎこちなく揺れた。けれど、それでも一歩ずつ確かに進めている。


(……変な感じ。まるで、自分じゃないみたい……)


 ふと、背中をなぞるような、ぞくりとする気配がよぎった。

 振り返っても、誰もいない。


(…お化け、とかじゃないよね…?)


 何者かの気配を感じて、肝試しやスマホの写真のことが頭に思い浮かぶ。


 朝陽はもともとホラーが苦手で、肝試しに行くようなタイプではない。

 友達付き合いで無理に行くような社交性も、朝陽にはなかった。

 だが、朝陽が自分を変えようと思って参加した肝試し。

 あの日、本当に伊織とふたりであったなら参加することはなかったと思った。

 写真の空白。

 あそこにいた”誰か”が朝陽を動かしたのではないか。

 そう考えると同時に胸がきゅっと苦しくなった。


(…早く外の空気を…)


 苦しむ胸を抑えながらも前を向いて朝陽は進む。

 

 やがて静まり返った廊下の突き当たりに、大きな両開きの扉が見えた。

 細かい造詣が施された重厚な木の扉にはガラスがはまっており、そこから中庭が見えていた。


 朝陽は少しだけ息を吸って、その取っ手に手をかける。

 冷たい感触が、手のひらにじんわりと染みた。


(……この扉の向こうに、何かがある気がする)

そんな直感に導かれるように、朝陽はそっと扉を押し開いた。


 * * *


 取っ手を回して、そっとガラス扉を押し開ける。

 ひんやりとした夜の空気が、頬を撫でていった。

 その空気には、ほのかに草の匂いが混じっていた。懐かしさと、少しの異質さを含んだ香り。


(……やっぱり、外に出てよかったかも)


 朝陽はゆっくりと歩を進める。

 中庭にはいくつもの木々が規則正しく並び、遠くからは細い水の流れる音がかすかに届いていた。

 静けさの中に、かすかな命のざわめきだけが息づいている。まるで、施設の中とは思えない。


 植え込みの合間を抜けていくと、月明かりの差さない影の中に、ひとつのベンチがあった。

 中庭の奥、灯りからも離れたその場所だけが、ぽっかりと切り取られた別世界のように感じられた。


 朝陽はゆっくりとそこに腰を下ろした。


 ベンチのひんやりとした感触が、背中に染みる。


(あの夢……あの写真……思い出そうとしても、霧の中にいるみたい)


 自分の中にある「空白」を見つめようとするたびに、心のどこかが軋むように痛んだ。

 それでも、目を背けたくなかった。忘れてしまった「誰か」がいる。その感覚だけは、どこまでも確かだった。


(誰なの……私、どうして……)


 ふと、風向きが変わった。

 ざぁ……と木々の葉が揺れ、月光が雲の隙間から差し込む。


 その光に照らされて、中庭の中央──1本の大きな樹の下に、誰かが立っていた。


 気配も、足音もなかった。

 けれど、確かにそこに“何か”が存在していた。


 白い服をまとい、夜の帳に溶け込むように立つその少女は、ひどく静かだった。

 けれど朝陽が視線を向けたその瞬間、少女は、まっすぐにこちらを見つめ返してきた。


 白銀の髪が月明かりを受けて淡く揺れ、琥珀色の瞳が、光の粒のように瞬いた。


(……人、なの……?)


 その存在は、何かを超越しているように見えた。

 けれど、恐ろしさはなかった。

 ただ、すべてを見透かすような、冷たくも穏やかな眼差しに、心の奥がひやりと掬い上げられるようだった。


『──あなたが、“朝陽”ですか』


 少女は、静かにそう言った。


 どこか、確信のようなものを持っていた。

 けれど、それは問いだった。朝陽に対する、たしかめるような呼びかけ。


「……どうして、私の名前を?」


 思わず立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、朝陽はベンチに座ったまま問い返した。


 少女はすぐには答えず、ただ、風の中に佇んだまま目を細める。


『……私は、“剪定者”。記憶の管理や剪定をしている者です』


 その声には感情の起伏がほとんどなかった。

 けれど、どこかで懐かしい響きを帯びていた。昔、夢の中で聞いたような──そんな音色。


『朝陽は…あなたはやはりヒナタに似ていますね…』


「……!あなたはお母さんを知っているんですか!?」


『……私たちはかつて、双子の姉妹でした』


「姉妹…?それって」


『そうですね、ヒナタはアズールヘヴンの人間でした』


「お母さんが…この世界の…それってシィロさんもいっていた」


 剪定者は、しばし朝陽を見つめたまま、言葉を選ぶように口を開いた。


『……私には、ヒナタが地球でどう生きたのか、すべてを知ることはできません。けれど、ひとつだけ確かに記憶しています』


 その声に、ほんのわずかに揺らぎが混じる。


『彼女は最後まで、あなたを“守りたい”と強く願い続けました。その祈りは記録を超え、ノエリウムという形になった。……想いが結晶となることは、稀にあるのです。──“剪定”すら届かない、強すぎる想いは、時に世界の法則を歪める』


「……お母さんの、想いが……」


 剪定者は頷く。そして、ぽつりと呟くように続けた。


『──あなたが“再構築”された時、私はその場にいました。そこにはヒナタ、そしてもうひとりいました』


「もうひとり…?誰だったんですか…?」


 剪定者は目を伏せて首を横に振った。


『……私は、それが誰なのかまでは……覚えていません。いえ、思い出せないのです。まるで存在が喪失したかのように』


「……!」


『……ただ、あなたが今ここにいるのは、この世界に存在することを、ヒナタとその誰かが選び、強く願った。だから、あなたは戻れた』


「……お母さんとその人が、選び、願った…」


『ふたりはあなたを再構築するために、様々な記憶の痕跡を集めました。それがどのような内容か、私はすべてを知っているわけではありません』


 剪定者はそこで一度言葉を止め、小さく息を吸う。


『──けれど、ひとつだけ。私が見つけ、持ち込んだ記憶だけは、今も私の中に残っています』


 「……記憶?」


『ええ。記録のどこにも正式に残っていなかった、剪定もされず、分類すらされていなかった……“名もなき記憶”として扱われていたものです』


 剪定者は、その瞳の奥に、かすかな光を宿すように言った。


『それは、ずっと昔、幼い頃に交わした、少年との“約束”の記憶です。その記憶には、朝陽もその少年の名前も、確かに残っていました』


 剪定者は、少し目を伏せて続ける。


「……だったら、どうして“名もなき”なんて…?」


『……それは、おそらくあなたがまだ幼かったこと。そして、その記憶を塗り潰してしまうほどの何かがあったのではないでしょうか』


「…記憶を、塗り潰すほどの何か……お母さんの…!」


 朝陽は考え込んでいたが、何かに行き当たり、ハッとして顔を上げた。


「お母さんが死んでしまって…私、全てに目を背けて…」


 朝陽は俯いて唇を噛んだ。


『なるほど…ヒナタの死…それは記憶を塗り潰すには十分な出来事ですね…』


「…その男の子の名前は…なんて言うんですか…?」


 朝陽は剪定者の瞳を真っ直ぐ見つめて尋ねた。


『…その少年の名前は…”空”』


「……”空”」


 剪定者に伝えられた名前を刻み込むように繰り返す。


『再構築の場にいたもうひとりの人物。それが誰なのかは私にも思い出せません。まるで存在ごと、世界から消えてしまったかなようです。ですが……私は、”空”という少年と、その人が無関係とはどうしても思えないのです』


 剪定者はそっと歩み寄り、朝陽の目を見つめて言った。


『……あなたは、その誰かを思い出してあげてください。そうしなければならない。あなたのためにも。……そして、その人のためにも』


「…わかりました、思い出します。何としても」


 そう答えた朝陽の瞳には理解と決意があった。


(“空”──あの夢の中の男の子の名前。私の中に残っていた、唯一確かな感覚)


 思い出した、というには不確かだった。

 けれど、その名前が胸の奥で響いたとき、何かが確かに揺れた。


(……そうだ。私は……彼と、約束をしたんだ)


 まだ、すべてを思い出せたわけじゃない。

 でも、きっと、ここから取り戻せる。

 もう逃げたりしない。今度こそ、思い出す。大切な記憶を──そして彼を。


 剪定者は一歩、朝陽から離れ、夜の風に髪をなびかせながら言った。


『……これから、朝陽がどう進むか。私にはわかりません。けれど、ひとつだけ助言を──』


 剪定者は一瞬、瞳を細めて微笑んだように見えた。


『……“シィロ”を頼ってください。彼女なら、きっとあなたを支えられる』


「シィロさん……?」


『ええ。彼女も、また強く変わろうと努力を重ねています。……きっと朝陽の力になってくれるでしょう』


 静かに語られたその言葉に、朝陽の胸が少しだけ温かくなった。


『──夜も更けました。戻って、休んだほうが良いと思います。体はまだ完全ではないはずですから』


 朝陽は小さく頷き、立ち上がる。


「……ありがとうございました。あなたに会えて、よかった」


『…私も、再びヒナタに出会えたようでした』


 剪定者は優しく微笑み、その場に留まっていた。

 朝陽が歩き出すと、風が再び彼女の髪を揺らし、その姿は月明かりの中に溶けていった。


 ベンチを後にして、ゆっくりと中庭を歩く朝陽。


 夜の空を見上げると、そこには雲の切れ間から星が一つ、瞬いていた。


 あの星も、ずっとそこにあったのだ。

 思い出せなかっただけで──忘れたわけじゃない。

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