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そらのかけら  作者: 夜と雨
第八章:存在の交差点
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第四十九話:薄れ日

 湿った苔の匂いと、しんと静まり返った気配。

 シィロは重たい足取りで、ゆっくりと山道を下っていた。


 崩れかけた古道は雨に濡れ、ところどころぬかるんでいた。

 背にはぐったりとした朝陽の身体。軽いはずの少女の重みが、今は鉛のようにのしかかってくる。


 時折、レイスが追いついてきていないか振り返る。

 姿がないことを確認すると、また前を向いて歩き出す。


 崖上からロープで降下した地点に到達した。


「…流石に登れませんよね…」


 垂れ下がるロープを見つめ、背中の朝陽を見やる。

 すぐさま、考え直して、別のルートを模索することにした。


「こっちの道しか…ありませんね…」


 山道の登り道。

 行きとは違う道のため、何処に続いているかは不明だった。

 それでも、空に頼まれた朝陽を連れて帰るという使命感があった。


「…よし、行きましょう…」


 気合いを入れるように呟いたシィロは、朝陽を背負い直して、登り道へと足を向ける。


 その時、空気が張りつめて、音を立てて切れたような感覚がした。


「………?」


 嫌な胸騒ぎがして、来た道を振り返る。

 しばらく見つめていたが変化はなかった。


「…なんだったんでしょうか…」


 シィロは首を傾げながら、再び前を向いた。

 そして、山道を歩き始めた。


 * * *


 山道は想像以上に険しかった。

 倒木や崩れかけた段差を避けながら、シィロは何度も立ち止まり、足元のぬかるみを確認しながら歩いた。


 朝陽は眠ったままだ。

 時折、小さく息をする音だけが、確かに命を繋いでいることを教えてくれる。


「……朝陽さんを、守らないと……」


 誰かにそう頼まれた──ような気がした。

 その“誰か”の顔を思い出そうとする。


 けれど、霧のように思考がぼやけて、焦点が定まらない。


 疲れと寒さで指先の感覚が鈍くなる。

 ふらつく足取りで、朽ちた倒木に腰を下ろした。


「……あの人は……?」


 口をついて出た言葉。

 自分でも、誰のことを言っているのかわからない。


 けれど──胸が妙にざわついて、泣きたくなるような喪失感がこみ上げてくる。

 しかし、次第に喪失感も薄れていく。

 何かを書き換えられていくような感覚に少し目眩を覚える。


「……誰か……いた気が……」


 違う。

 「いた」ではない。

 「いなければならない」のだ──そんな、根拠のない確信だけが胸に残っていた。


 けれど、記憶が遠ざかるのは止められなかった。

 まるで、朝起きてすぐに夢を忘れていくように。

 思考を追いかけようとしても、すぐに流れていってしまった。


 シィロは、立ち上がった。

 背の朝陽を支え直し、再び、静かな山道を歩き始める。


(……帰らないと。朝陽さんを……無事に……)


 今や、それだけを頼りに、霧の中のような意識で、ただ前へと進んだ。


 一歩進むごとに何かを失いながら。


 * * *


 なんとか地上まで到達して、休憩を幾度と挟みながらもトキレイムへと進む。

 陽はもうとっくに山を越え、薄闇が世界を支配していた。


 遠くでフクロウが鳴く。

 肩にかけたマントの内で、朝陽は目覚めることなく微かに息をしていた。


 長い道のりの果てに──木々の向こうに、やっとトキレイムの明かりが見えた。


 シィロは小さく息を吐く。


(……よかった。……帰ってこれた)


 いつの間にか、心を満たしていた焦燥や悲しみは薄れていた。

 代わりに、ぽっかりと穴の空いたような静けさだけが、胸の奥に残っていた。


 トキレイムの門を抜けて、記録者(トキビト)の宿泊施設へと向かう。

 遅い時間になってしまっていたようで、誰ともすれ違う気配はない。


 シィロはそのことに、少しだけ安心した。


 宿泊施設の扉を開けて、中に入る。

 誰もいないロビーで、石像とエクシウスだけがシィロたちを出迎える。


「……疲れました…」


 シィロは小さくつぶやいた。


(朝陽さんをベッドに寝かせてあげないと…)


 ふと思いつくままに、医務室ではなく、静かな部屋へと足を向けた。

 誰かが使っていた──ような気がする部屋。


 ロビーを抜けて一階の奥の部屋に到着した。


 他の部屋の住人を起こさないように、そっと扉を開いて、部屋に入る。


 中に入るとサイドテーブルが目に入った。

 そこには、水差しやコップ、そして、誰かのスマホが乗っていた。


(…あれ…ここは空き部屋だった…はず…?)


 誰かの痕跡に、首を傾げるシィロ。


(…たぶん、誰かの落とし物ですね)


 そう考えて、シィロは朝陽をベッドに横たえると、大きく息を吐いて、体をほぐした。

 そして、サイドテーブルのことなど忘れたように朝陽に掛け布団をした。


 ベッドで眠る朝陽を見つめる。

 傷ひとつない、地球で見たときの姿のままであった。


  シィロはそっと、朝陽の頭を撫でる。

 少女を見ていると、地球での日々が懐かしく感じた。


 朝陽と過ごした日々。

 朝陽と笑った帰り道。

 朝陽に必要とされたこと。


 全てがシィロに力を与えてくれていた。

 今までの自分であったなら、到底やり遂げることが出来なかったと考えて、朝陽の存在に深く感謝した。


「……おやすみなさい」


 そう囁いたあと、もう一度撫でて、部屋を後にする。

 そして、ゆっくりと扉を閉めようとした瞬間──


「……あ」


 一瞬の戸惑いが胸をよぎる。

 このまま扉を閉めたら、何かを後悔する。

 

 だが扉は静かに閉まった。

 それと同時に、その思考も霧のようにかき消えた。


 記録者(トキビト)の少女はただ、静かに廊下を歩き去った。


短めですが…。

これで、八章は終わりです。

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